nana.812.png

2009年04月11日

FAB4-021:ALL MY LOVING

Paul Is Live [12 inch Analog] ジュークボックス BeatlesAML.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-3)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


初期のビートルズでは、ジョン・レノンの魅力が他を凌駕していました。「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」なんて名乗って居た頃も在ったほどに、ジョンは絶対的なリーダーだったのです。ポール・マッカートニーの歴史とは、其の「早熟の天才:ジョン・レノン」を追いかける事でした。更に云えば、ジョージは「世紀の二大巨頭:レノン・マッカートニー」の追っかけでした。ジョン、ポール、ジョージの三人が、子供の頃から六年も一緒に辛酸を舐めて、下積み時代を送って、ようやく世に出たのです。アノ三人がですよ。俄には信じられない噺でしょうけど、歴史的事実です。

ジョンは、初対面でポールの秘めたる才能を見抜きます。彼にとってのビートルズとは、自分とポールだけいれば好いバンドだったのです。其れは、彼が不幸過ぎる最期を迎える時まで、一貫した発言でした。死する間際に「俺は、ビートルズ、の、ジョンだ」と云った人物はこう語りました。「バンドは、俺が作った。あの日、俺の晴れ姿を観たポールってファンと楽屋で出逢った。俺は、あいつに惚れたから、バンドに加えた。其のポールがジョージってガキを連れて来た。ポールのダチだから、渋々入れた。其れで、親友のスチュと便利屋のピートと五人でやらかしてたら、スチュが死んで、ピートはクビにするって話になって、ジョージがリッチーを連れて来た。だからさ『FAB4』で、俺が選んだのは、ポールだけだぜ。他は知らない。再結成?いつでも好いよ。俺とポールがいれば、其れで好いんだからさ。」(すいません、かなりの意訳かもしれないけど「大意」はこんな感じでしょ?)

そんなジョンの期待に、ポールは応えて行きます。此の時代は、どう贔屓目に見ても

「ジョン>ポール」です。

でも、ポール・マッカートニーと云う人はアルバムで最低一曲は「トンデモない名曲」を書くのでした。「WITH THE BEATLES」での其れは、文句なしに此の「ALL MY LOVING」でしょう。同じアルバムに収録された、もうひとつのポール作品「HOLD ME TIGHT」と比べ、おんなじ奴が書いたとは思えない程に素晴らしい作品です。いや、何度も繰り返し云いますが「HOLD ME TIGHT」が駄曲過ぎるわけだ。(ポールには、結構「クズ曲」が在ります。)

ポールの下降進行のメロディアスなリード・ベースは、最初にコピーしたベース・ラインです。弾きながら歌うのに、かなり苦労したっけ。そんなポールに呼応して、三連をかき鳴らしまくるジョン、そしてチェット・アトキンス奏法でリードを弾くジョージ。初期の彼らにとって間違いない名演のひとつです。シングル曲ではないのに「赤盤」へ選曲したジョージは偉いぞ!ジョンも「ポールには完璧な作曲能力がある」と絶賛し、奇しくも射殺された時に運び込まれた病院で「ALL MY LOVING」が流れていたらしいです。

「おいおい、毎度ながら、リンゴはどーした?」

って声が聞こえます。はい、其れはですね、ミックス違いの迷宮へのいざないになりますよ。と云うのも、此の二枚目から「モノとステレオを別の日にミックスした」からです。さらに、人気上昇から「各国盤」が登場します。

「泥沼のミックス違い道」へ、ようこそ。

通常ヴァージョンでは、イントロなしでいきなり歌い出され演奏もバッチリ決まりますが、オランダ盤のベスト「beatles' greatest」などに収録された別ミックスでは、リンゴがハイハットで「チッ、チッ、チッ、チッ、チ」とカウントを取り、ポールが息を吸う部分が(おそらく間違って)収録されちゃいました。通常ヴァージョンも、注意深く聴けば「ポールのブレスの一部」が確認出来ます。つまり、カウント無しでいきなり始まるのは「演出」だったのです。ちゃんとリンゴが(珍しく)カウントして居るのです。其れを隠そうとしたんだけど、好い加減な各国盤ミックスでバレちゃったって噺です。其れだけの違いなんですよ。カウントが在るか無いかだけです。でもね、こーゆー些細な違いを発見した時って、感動するんだよね。そんな気持ちになれたなら、貴方も「立派なビーヲタ」です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-20
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-20

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月12日

FAB4-022:DON'T BOTHER ME

Off the Beatle Track 素顔のジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月12日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-4)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


此のたった那奈年後に、三枚組ソロ作品で華々しくデビューし、其の作曲能力を満天下に知らしめるジョージ・ハリスンの処女作です。

「だせぇ曲!」

ジョージ・ファンがビートルズ時代の彼のコンピ盤を編集しても「此れは、なかった事にしよう。」とオミットし、知らんぷりして「I NEED YOU」から始めてしまったりする程の駄曲です。はい、あたくしがそうですよっ。アルバム「WITH THE BEATLES」では、コッソリとA面4曲目に目立たない様に紛れ込ませているのも納得の「クズ曲」ですね。が、しかし、「WITH THE BEATLES」のジャケットは余りにも美しかったので米盤「MEET THE BEATLES」と日本盤「ビートルズ!」に流用され、中学生だった頃には全部おんなじに見えました。

そして、在ろう事か米盤ではB面トップ!日本盤でもA面ラストと云う、最高に目立つ位置に何故か配置されちゃったのですよ。大体、何でこんな曲が三枚でダブっているんだ?「WITH THE BEATLES」の曲順を滅茶苦茶にした来日記念盤「ステレオ!これがビートルズ Vol.2」にまで入ってやがるっ!(いや、其れは当たり前。)ジョージが天に召された時に出た海賊盤ベスト三枚組の壱曲目にもいやがったぞっ!!「1」の最初が「LOVE ME DO」で在るペテンよりもムカついたわよ。厭味なのか、ジョージ・マーティンが「off the BEATLE track」でカヴァーまでしているじゃまいかっ!!

もうね、ジョージ本人も「そんな曲を書いた覚えはないさ」と誤魔化していたに決まってますよっ。そんな「へっぽこ曲」なのに、ビートルズは二日(9/11&12)に渡り17テイクも録音したのでした。出来が悪いから時間が掛かったわけよ。だって、自伝「I ME MINE」で本人が認めてますから。「アレは生まれて初めて書いた曲で、ハッキリ云えば駄作。僕は、ジョンとポールが名曲を大量生産して印税でガッポリ儲けてるのが羨ましかったのさ。だから、僕にも出来るのか試してみたんだ。ただそれだけ」ゆえに、未だジョージの秘めたる才能は開花していません。レノン・マッカートニーの粗悪なパチモンみたいな楽曲です。まあ、其の詩作は彼自身の心情を吐露したもので、ジョンに負けず劣らずに斬新でした。でも、曲が酷過ぎたっ!

絶対に、ポールは怒ったね。「ほっといてくれって、こんなクズ曲を持ってきやがって、ほっとけねーだろ!」と苛めたでしょう。でも、其のポールもヘボ曲「HOLD ME TIGHT」を録音し直すわけでして、、、ジョンはよく耐えたよ。(ん?リンゴの立場は。)でもね、こーゆー「スットコドッコイな曲」こそが、在る日突然、頭の中で鳴り出してしまい「アレレ?もしかして、此れが好きなの?」なんて思わせちゃうのがビートルズの恐ろしいトコなんです。そして、あたくしは此の曲が、実は好きなんです。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-21
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-21

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月13日

FAB4-023:LITTLE CHILD

All Strung Out Meet the Smithereens: Tribute to the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11、12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日、12日、10月3日
 MONO MIX:1963年9月30日、10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-5)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョージ・ハリスンの恥ずかしい過去で在る「DONT BOTHER ME」に続いて、ジョン・レノンのハモニカが大フューチャーされ、ポール・マッカートニーが初めてピアノを弾いた「LITTLE CHILD」の登場です。ポールは、ジョージ・マーティンに出逢い教えて貰うまで「ピアノが弾けなかった」のです。其れは、ジョンもおんなじです。ジョンもポールも譜面が書けなかったし、ズバリ云ってしまえば、現在でもポールは譜面が書けないし読めません。もっと本当の事を云えば、ビートルズの四人は全員「譜面が書けないし読めなかった」し、其の後も「譜面」で音楽を制作していません。彼らこそが「耳こそはすべて」だったのです。当然乍ら、レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーも「譜面」で音楽していません。おっと、噺がヤバくなりそうなのでヤメときます。

此の楽曲は、ジョンとポールにとっては「新人にあげちゃおうか?」程度の曲だったのかもしれません。天然ポールとは違って、ジョンは既に「プロ意識」がありました。確かに、ステレオタイプな音楽的知識はジョンには皆無と云ってよかったでしょう。何せ、彼は母親のジュリアが得意だった「バンジョー」でコードを覚えたのです。ハッキリ云って、ジョンのギター奏法は滅茶苦茶です。作曲法も、完全なる「我流」です。其の点、元々音楽一家の出で在るポールは「ちゃんとした作曲技法」がありました。屈託がないストレート過ぎるジョンらしいロケンロールに、ポールはお得意のパクリを導入!其の相反する摩訶不思議さが、レノン・マッカートニーの類稀なる魅力です。

そして「DON’T BOTHER ME」同様にこうした「ほとんど忘れ去られる運命にある曲」こそ、レコーディングに手間取っていました。こんなお手軽そうな曲を、彼らは三日間、なな、なんと、「21テイク」も費やしたのです。モノ・ミックスも二回やっています。こんな曲の「ミックス違い」を見つけて、有頂天になったなら、貴方はもう「不治の病」です。あたくしも同じ病に侵されておりますので、お互いに支え合って生きてゆきましょうね。しみじみみあみあ。此の曲ってさ、三分どころか二分も無いのですよ。一分半一寸、たったの「106秒」で終わっちゃうのよさ。でも、此の性急さが「ロック」なのよ。ちなみに、画像の「ニノ&エイプリル」が歌っているのは「同名異曲」でカヴァーではありません。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-22
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-22

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月14日

FAB4-024:TILL THERE WAS YOU

Latin ala Lee!/Ole´ a la Lee ビートルズ事典 改訂・増補新版


 w & m:MEREDITH WILLSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18、30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日、30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-6)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


「WITH THE BEATLES」と云うアルバムは、初期の彼らの魅力を凝縮した傑作です。オリジナル8曲、カヴァー6曲と云うバランスは、デビュー盤と同じですが、ほとんど一発録りでやっつけたデビュー盤と違い、じっくりと時間を掛けて色んな企みを忍ばせておりました。リード・ヴォーカル担当も「ジョン:7、ポール:3、ジョージ:3、リンゴ:1」と、当時のバンド内パワー・バランスに沿ったカタチになっています。デビュー盤はたった一日のやっつけ仕事の上、リーダーで眞のリード歌手で在るジョンが風邪で不調でした。二枚目では、初期のライヴ・バンドとしてのビートルズの本当の姿が提示されたのです。そして、其処には「大ヒット・シングル」は収録されなかったっ!デビュー盤から二枚目の間には「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」が在り、二枚目と同時進行で「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」をレコーディングしていたのに、全部アルバム未収録です。すぎょすぎる!

さて、オリジナルが5曲続き、此処でカヴァーの登場です。前出の通り、此のアルバムでポールが歌うのはたったの三曲で、後の展開からは俄に信じられない事態でした。挙げ句に其の中の一曲は、あの天下無敵のクズ曲「HOLD ME TIGHT」ですよっ!(此の件に関しては、三曲後に、こてんぱんに叩き書き致します。)でも、流石はポールです。

他の二曲は素晴らしかった!

ブロードウェイ・ミュージカル「THE MUSIC MAN」からの曲で、ポールが参考にしたのはペギー・リーのヴァージョンです。ソロになってからポールはペギーに曲を書きますから、熱狂的なファンだったのでしょう。ジョンには「なんじゃ此の曲は?」と云われたでしょうけど、ポールは喜々としてライヴでも演奏していました。名演です。間奏のギター・ソロなんか、とてもロケンロール・バンドとは思えません。そして、此の美しいアコースティック・ギター・ソロ(ペギー・リー版の完全コピーですけど)を奏でているのは、紛れも無く、他の誰でも無く、

「我が愛しのジョージ・ハリスン」其のひとなのですっ!!
(↑出ましたっ、イコちゃんの「レコスケ節」)

あのさ、ジョージはギターが下手じゃないんだよ。聴いてよ、此れを。ライヴでもおんなじソロを弾いてたし、後の「AND I LOVE HER」でも名ソロを弾いてるでしょ?ジョージはさ、アコギの名手だったんだよ。次のアルバムから、12弦を使い出したのはジョージだ。ウクレレも上手だったんだよ。シタールだって勉強したし、シンセサイザーを初めて導入したのもジョージなの。エレキだってさ、「SOMETHING」の頃には素晴らしいソロを弾ける様になったじゃん。ジョージは、立派な「ビートルズのリード・ギタリスト」です。鈴木茂だって云ってるぞ。「ジミヘン、クラプトン、ベックとかなら何とか真似出来たけど、ジョージのギターは真似が出来なかった。だから、僕はジョージに憧れたんです」とね。

さて、日本のビートルズ研究の父である「故・香月利一」先生は、此のカヴァー曲を聴いて「おっ、こいつら只のやかましい音を出す連中じゃないんだナ」と感心し、彼らの研究を始めたのだそうです。ポールのスタンダード嗜好が無ければ、日本に於ける彼らの評価は全く違っていたでしょう。現役時代には、ビージーズやモンキーズの方が人気があったみたいなんですよ。ジョンの我流なんて、日本人には理解出来ませんよ。スタンダードじゃなきゃダメだったのよ。だからこそ、ジョンは我を捨てて、ポールと組んだのです。ポールも「何にも音楽知識が無いのに自分勝手に作れちゃう」ジョンに憧れたんです。余談ですが、ウクレレで最初に練習したのが此の曲でした。最初にこんな難曲に挑んだので、ウクレレが弾ける様になりました。其れで、楽器が弾ける片ならすぐに気付く事ですけど、後にポールが書く名曲「I WILL」は此の複雑な楽曲のコード進行を簡略化して作られたモノです。ですから「TILL THERE WAS YOU」が弾けたなら「I WILL」なんて「お茶の子さいさい」で弾けちゃうわけですよ。

しかし、「ペギー・リーをカヴァーするロケンロール・バンド」なんて前代未聞だったと思います。一寸、他の「R&B嗜好」のバンドには真似の出来ないのが此れでした。プロデューサーのマーティンは、当然、此の分野ならお得意だったのです。風変わりな音楽性を持つマーティンですが、矢張り元々は正当派の常識的な音楽家でした。そして、そんなマーティンと組んだポールの、此の「スタンダードとロックを融合した前衛」こそが、ビートルズを後の世で音楽の教科書に載せたんだよ。分るよね、同志:山崎クン?(あらら、いつの間にか「片瀬噺」に持ってくトコだった。)

「レノン・マッカートニー」は、奇跡のコムビです。前作の「A TASTE OF HONEY(蜜の味)」や此の楽曲の様なミュージカル・ナムバーをも、ポールは好んでいました。更に云えば、デッカ・オーディションでポールは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を、EMIでの最初のレコーディング時には「ベサメ・ムーチョ」まで歌っています。映画「LET IT BE」で「ベサメ・ムーチョ」を喜々としてがなるポールに、最初は付き合っていたジョンが途中で投げ出す場面が在ります。ジョンには、ロケンロールしかなかった。いや、ポールとは違い、ジョンは別に「音楽」じゃなくとも好かった。表現出来れば、何でも好かった。ポールは「音楽家」です。でも、ジョンは「芸術家」だったのです。そんな二人が偶然にもタッグを組んでしまったのです。

「最強」です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-22
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-23

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月15日

FAB4-025:PLEASE MISTER POSTMAN

20th Century Masters - The Millennium Collection: The Best of the Marvelettes Horizon


 w & m:HOLLAND / GARMAN / DOBBINS / BATEMAN / GARRETT

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-7)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


A面の最後もカヴァーです。そして、名演です。相棒ポール(未だ力量の差は歴然としていましたが、ジョンは対等だと認めていました)の名唱を、正に叩き潰すかの様な「絶唱」で対抗!容赦の無い、本気度「200 %」の、

「カヴァーの王様:ジョン・レノン」が、ぶちかましますよっ。

オリジナルのマーヴェレッツ盤が1961年に、更にカーペンターズのカヴァー盤が1975年に、全米首位を獲得した名曲です。しかし、本国ではシングル・カットすらされなかったビートルズのヴァージョンが最も有名で名演なのです。日本では、ちゃっかりシングル盤も出ていました。「キャピタル(昔の名前で書いてます)、氏ねっ!」などと云えるのは、英国人だけです。敢えて名は伏せますが、某「東芝音楽工業株式会社」は、おそらく、

「世界壱、ビーレコを発売していますよっ!」

彼らが得意とする「ガールズ・グループ」のカヴァーですが、兎に角、ヴォーカルが素晴らしい!リードのジョンに、コーラスのポール&ジョージ。此の「三人やろこ」の歌唱が、如何なる「三人娘」よりも「色っぽい」のです。エロ杉なのでつ。ぜいはあ、、、特に、ジョンですね。本当に、歌が上手い!正に「歌う為に生まれた」のがジョンでした。彼の歌は、おんなじ旋律を繰り返しません。其の歌詞に合わせて、一番と二番ではフレージングが全く変わるのです。最後の「うえたみに、うえたみに、うおおお」の自由奔放さこそが、ジョンの真骨頂です。完全にオリジナルを凌駕している。此れが「うた」です。

ジョン・レノンは「天才・歌手」でした。

此の連載を書きながら、あたくしはよく「彼らがカヴァーした原曲を編集した音源集」を流しています。其れを聴くと、ビートルズは演奏に於いて「オリジナル版の完全コピー」をやらかしていると云う事実が発覚します。山下達郎兄さんが、かつて(もう四半世紀以上も前)NHK-FMで「ANNA(Go To Him)」「MR. MOONLIGHT」のオリジナル盤を流してくれて、初めて其れを聴けました。感動したよ、タツロー。でも、一緒に居た「鬼の大瀧師匠」は云った。「山下クンは優しいねぇ、僕はこんなの全部三枚ずつ持ってるけど、壱度もラジオで流した事無いよ。勿体無いじゃない?」タツローは、口は悪いけど優しいのです。全部かけちゃうんですよ。手に入れたのが嬉しくて仕方ないんでしょう。でもね、あたくしも「大瀧師匠」の弟子として苦言を呈します。

「兄さん、後輩が自分で探す楽しみを奪っちゃダメよ」

「レア音源」とは、簡単に手に入れられたら「レア」でも何でも無くなっちゃうのよさ。そんな事よりも重要なのは、楽譜なんて無い時代にレコードを聴いただけで、いやおそらくラジオで繰り返し聴いただけで、耳だけで、

「ビートルズは、完コピ出来たのだっ!」

ジョン、ポール、ジョージの三人は、恐るべき耳と技量を持つ「秀才演奏家」だったのです。更には、同じオケを演奏しながらも、彼らが歌うと「ロック」になってしまうのです。勿論、彼等の性急なビート感も大きな要素では在りました。されど、アレンジは「オリジナルに忠実」なのですよ。そして原曲は、あくまでも「ロケンロール」や「ポップス」に過ぎません。いや、だからこそ永遠に美しいスタンダードなんです。時代を超えて聴ける楽曲です。でも、呑気なんですよ。チャック・ベリーなんて鼻唄じゃん。其処がサイコー!なんだけどね。でもでも、同じアレンジで、ジョンが歌い、ポールとジョージがハモルと、其れは、立町田舎村都道府県、全く別の得体の知れない何かになったのです。僕らは、其れをこう呼ぶ。

「ROCK」


彼らが「ロック」を創造したのです。あっ。リンゴの太鼓も好いですよ。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-23
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-24

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月16日

FAB4-026:ROLL OVER BEETHOVEN

Yow Elo 2 Chuck Berry - Roll Over Beethoven


 w & m:CHUCK BERRY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-1)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


レノンの「♪うえあみに、うえたみに、おーいぇー!ゆがた、うえ、うえっ!」で「A面の大団円」を迎え、

レコード盤、ひっくり返せば「B面」へ。(大瀧師匠声で)

「WITH THE BEATLES」では、ジョージが三曲も歌っています。此れは、他には「REVOLVER」と二枚組の「THE BEATLES」位しか実現しない事態です。ジョージは多くても三曲、リンゴは一曲ってのがお約束でした。然し乍ら「デッカ・オーディション」でも溌剌としていた様に、初期のジョージはカヴァーが得意でした。ゆえに、B面トップと云う好い位置に、此のチャック・ベリーの名曲カヴァーが収められました。後の「FOR SALE」でも、ジョージのカヴァー曲はB面ラストに収録されます。

アルバムで最も目立つのは、A面トップ&B面ラストです。次がA面ラストとB面トップなのです。「WITH THE BEATLES」に関してだけなら、其の四つのポジションを得たのは「ジョン:3」「ジョージ:1」なのです。リード・ヴォーカル担当もポールと同じ三曲だし、珍しいジョンとのデュエットまで入っていますので、正直、ポールよりも目立っています。てか、「WITH THE BEATLES」は、最もポールが目立たないアルバムです。ジャケでの顔の大きさも、ジョンやジョージに負けていますし、「ビートルズ史上最大のへっぽこ曲」である「HOLD ME TIGHT」をゴリ押しで収録しちゃってます。繰り返しますが、此の愚挙に関しては、次回いよいよ徹底的に叩きまくりますですよっ!ぜいはあ、、、

さて、此のチャック・ベリー作品を最初に歌っていたのは、当然「ジョン・レノン」でした。ジョンは、可愛い弟分のジョージに譲ったのです。其の憧れの兄貴の期待に、ジョージは応えました。「おい、ジョージ。今日から此れはお前が歌え」と云われた時のジョージの心情は、計り知れません。つまり、ジョンに認められたわけですからね。嬉しかったでしょう。たったひとりでギターを弾いていたポールとは違い、ジョージは「クオリーメン」に加入を許される前に、自分で「レブルズ」なるバンドを結成していました。未だ若干13才のギター少年だったジョージは、既に自分のバンドを持っていたのです。そんな早熟な少年が、スクールバスでポールに出逢い、ジョンに辿り着いてしまいます。当時のジョンは、もう完全に出来上がっていました。大人、いや、完璧なる「不良のボス」でした。ジョージは憧れた。そして、どんなに嫌がられても追っかけます。ジョージがジョンのバンドに加入を許されたのは、出逢って半年近く経ってからなのです。

1991年12月に来日したジョージを、あたくしは初日の横浜アリーナと最終日の東京ドームの二回行きました。洋楽の同一公演ツアーを二回観たのは、其の時だけです。其のライヴのアンコールの最後が此の曲でした。つまり、生で観て聴いた最後のジョージは此の曲なのです。当然の事ですが、おんなじ体験をした「多くのレコスケ」が居るでしょう。僕らにとって、大切な忘れられない名カヴァーとなりました。そして、其れを彼が最後に歌ったのは、憧れのジョンに貰った曲だからなのだと思います。チャック・ベリーをカヴァーしたんじゃないんだよ。ジョージは、ジョン・レノンをカヴァーしたのです。

其れは「ベートーベンをぶっ飛ばせ!」と連呼する途中に、こっそりと「ビートルズをぶっ飛ばせ!」なるフレーズを忍ばせている事でも明白でしょう。確かに、ジョンもそう歌っていました。如何にも「レノン」らしい「自己批判精神」で、其れを唯一共有した「ビートル」が「ハリスン」でした。此の「斜に構えた」感じが、其の「暗さ」こそが、「リズム隊で天然のマッカとスター」には無い彼等の魅力でも在りました。ジョージだけは観ていたんです、ジョンの陰を。そして、其の「残忍で底意地の悪い悪魔:ボス・ジョニー」に憧れたのでした。だから、追っかけた。ジョージは、健気です、可愛いです、苦労人です、日本人好みです。

「ジョージ、愛してる」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-24
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-25

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月17日

FAB4-027:HOLD ME TIGHT

Back to Mono (1958-1969) サムホエア/エニホエア?〜幻の未発表音源集 ベイシーズ・ビートル・バッグ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11、9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年2月11日(ボツ!)、9月12日(リメイク)
 MONO MIX:1963年9月30日、10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-2)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ポール・ファンなら1973年に発売された「ポール・マッカートニーとウイングス」のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」のラストを飾る「メドレー」に、同名異曲で在る「HOLD ME TIGHT」って名曲が在る事は知っているよね?

「ポールよ、自分が書いた曲名まで忘れたのかっ」

うんにゃ、ポールは決して忘れちゃいない。只、思い出したく無いだけさ。(アキラ声で)此の曲は、酷い、駄曲だ。なのに、ポールはたった一日しかなかった「PLEASE PLEASE ME」セッションで、在ろう事か此の「世紀のクズ曲」を13テイクも録音したのです。

「莫迦かお前はっ!」
(↑小川に完敗した橋本が「猪木さん!有難う御座居ましたぁーっ!」と絶叫した時に飛んだヤジ声で)

其れどころか、「WITH THE BEATLES」セッションでも更に10テイクも録音し、マーティンもエマリックも困り果て、モノ・ミックスを二回もやってんじゃねーかよっ!こんな「クズ曲」に、正式レコーディングだけでも「23回」も付き合わされた「ジョン、ジョージ&リンゴ」って、一体、、、ずっと後の噺になりますけど、解散間際の「ホワイト・アルバム」セッションや、悪夢の「ゲバ」などでも「天然バカボン:ポール vs 他の三人」って確執が登場します。其の元祖が此れでした。

「最初っから、ポールって、、、おまいって奴はっ。」

だってさ、リメイクですよ。其れなのに此れよ。あのさ、ポールの音程、外れまくってんじゃん。嫌気がさした他の参人も投げちゃってますよ。「ビートルズに駄曲なしっ!」と断言するあたくしでも、此れは一寸、酷いと思うぞ。何故だ?何故、ポールは、空耳で「アホみたい」と聴こえるこんなクズ曲にこだわったのだ?確かに、ポールには名曲とおんなじくらいの数だけの「駄曲」が在ります。つまりだ、アノ「世紀のメロディー・メイカー」様は、

「な〜んも考えてね〜んだよっ!」

ジョンやジョージは、懸命に「推敲」を重ねて「名曲」を残しました。リンゴ?ああ、彼は「曲なんか書けませんです!(断言)」なので論外なのよ。何?リチャード・スターキー名儀の曲も在るって?んなもん、全部「ジョージが書いてあげた」だけじゃん。少なくとも、名作「RINGO(1973年)」までのリンゴ名儀の曲って、本当の作者は「ジョージ・ハリスン」じゃん。例外は「DON'T PASS ME BY」位でしょ?アレはリンゴが書いたと思うよ。しかも、四年も掛けてね。其れでアレだぞ。リンゴには「作曲能力なんか無い!」です。

でさ、ポールってさ、出来ちゃったら「全部、発表しちゃう」のよさ。てかさ、マジで「推敲」なんてしないの。ポールは、一発で曲を書いちゃうの。最初から、全部、出来上がってるのよ。だから、例えば「YESTERDAY」とか「HEY JUDE」とか「LET IT BE」とかの名曲も、此の目も当てられない屑曲「HOLD ME TIGHT」も、作り方はおんなじなのですよ。つまりは「出たとこ勝負」なんです。兎に角、素材を作って、あとはスタジオで何とでもなるって考えてんのよ。ポールの曲って、恐るべき程に「コード進行が単純」なんです。誰でも知ってる展開なの。でも、ポールが作り、編曲し、演奏し、歌うと「魔法」が生まれるのですよ。だからこそ、ポールはテイクを重ねるのです。「きっと、もっとよくなる」って信じているのですからね。でもね、元は一発で出来上がっているのよさ。変えようが無いの。幾らアレンジしたって「名曲」は「名曲」で、「駄曲」は「屑!」なんですよ。

ジョンなんか「一発録りが楽でええや」って人ですから、堪ったもんじゃなかったでしょう。いや、ポールの完璧主義も、数多の名曲を生み出したのです。でも、其れは「元の楽曲が好い」って大前提ありきでしょう。もうね、素直に書けば名曲を書けるのに、無理に「へんちくりん」なコード展開を試みて、当然ながら「大失敗!」って云う「目も当てられない悲惨な土ツボへハマって行く」って「屑曲」の見本みたいな代物ですよっ。

「此の曲は酷い、酷過ぎるんだよ〜んのおじさんだよ〜ん!」

ところが、こんな「へぼ曲」を、フィル・スペクターやトッド・ラングレンやカウント・ベイシーがカヴァーしているのです。何故だ?おいおい、だからさ、書いた本人だって「アレはなかったことにしよう。そうだっ!おんなじタイトルで新曲を出してしまえばええじゃまいかっ!ボクって、やっぱ、天才だよナァ」なんて考えているんだからさぁ。

「頼むから、ポールを勘違いさせないで頂戴!」

こっちの「HOLD ME TIGHT」は、駄曲でつよっ!他人への提供曲でも、ジョンの作品は「勿体無い、自分で歌えよ」と思えるのに、ポールの其れは「当たり外れ」が激しいのです。何にも考えて無いのよさ。いや、考えてる事って云えば、若大将が証言する通りなのよさ。

「ポールは、おねえちゃんのアソコの事しか考えてないのよさっ!」

若大将が「こいつは、いつもこんな事しか考えてないのか?」と呆れ返ったのも頷けるわよ。アノ絵(来日公演時に、若大将と伍人で「スキヤキ」を食べながら描いた『WOMAN』)は何なのよさっ!「便所の落書きか?」ポールは「単なる助平な莫迦」です。完全なる「天然」です。此の歌も「今夜、僕とやろうぜ!」と連呼しているだけです。そんな下らない駄曲を正式レコーディングで「23回」もやらかして、すっかり忘れたふりをしちゃうんですから、トンデモないですよ。てか、マジで忘れちゃったのかもしれません。正に「やり逃げ」です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-25
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-25

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月18日

FAB4-028:YOU REALLY GOT A HOLD ON ME

The 35th Anniversary Collection シング・スモーキー(紙ジャケット仕様) 33 1/3


 w & m:SMOKEY ROBINSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-3)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの、ほぼリアル・タイムでのカヴァー曲です。ビートルズは、ガールズ・グループと共にこうしたR&Bチャートの動向にも注目し、いち早く最新ヒットをレパートリーに加えていました。古い黒人ブルースのカヴァーを演奏するバンドが多い中で、彼らの「先取り精神」は際立っていた事でしょう。「WITH THE BEATLES」では、タムラ・モータウンのヒット曲を三曲もカヴァーしていますが、時は1963年、英国でようやくモータウンのレコードが流通し始めたばかりでした。其れを、すぐに自分たちのレパートリーに加えてしまったのだ。三曲とも、リード・ヴォーカルは「カヴァーの天才:ジョン・レノン」です。歌が上手い!ミラクルズを速攻コピーして、自分の歌に変貌させちゃうんですよ。何なんだ、ジョン・レノン。正に、底知れぬ才気です。

当然、当時はすべて耳だけでコピーしていたわけです。「凄いナァ、やっぱり。」(小鉄声で) ポールの影が薄い「WITH THE BEATLES」ですが、演奏面での貢献を忘れてはいけませんね。コピー能力の高さや確かなアンサンブルを支えたのは、「天才マルチ・プレイヤー:ポール・マッカートニー」其のひとでしょう。(だから、リンゴの立場は、、、)其れで、此の楽曲は、おそらく唯一の「ジョン&ジョージ」によるデュエットです。「憧れのジョン」と二人っきりでハモる機会を得た「追っかけジョージ」の気持ちは、天にも昇る様だったでしょう。ポールが連れて来た「ギター少年:ジョージ」と初めて逢った時、ジョンは17才、ジョージは14才でした。10代での此の年齢差は「決定的」です。ジョンにとって、ジョージは「只のガキ」にすぎなかった。スクールバス仲間のポールが「君よりも、こいつはコードを知ってるぜ」と推薦しなかったら、ジョージはバンドに入れてもらえなかったでしょう。ジョンは17才にして、既に「圧倒的なスター」でした。ジョージは、追いかけます。どんなに邪魔者扱いされても、ジョンについて行ったのです。そんなジョージの健気さに、いつしかジョンも「可愛い弟」の様に思う事となるのでした。此処でも、ジョンの歌の上手さが際立っています。スモーキーを敬愛するジョージですが、完全に負けています。相手にならない。永遠に超えられない残酷すぎる「壁」が在ります。

「ラベルが違い過ぎるっ!」(「俺はムラタだ、此れはタムラだ」声で)

でも、たった一曲でもジョンと歌えたのだから、ジョージは満足だったでしょう。後に自伝で、ジョージはジョンの事をほとんど書かなかった。ジョンは、怒りました。当然です。ジョンは、ジョージを可愛がっていました。解散間際にジョージ作品が優遇されたのも、リーダー、いやさ「ボス:ジョニー」の提案が在ったからこそです。でも、だからこそ、ジョージはジョンの事を書けなかったのです。其れ程に、ジョージはジョンに憧れていました。其れは「過ぎ去りし日々」と云う曲を聴くだけでも解ります。数多在る「ジョン・レノン追悼歌」の中で、其れを「ちゃんとしたヒット曲」に昇華しえたのは「弟:ジョージ」だけでした。ジョージはジョンを愛し続けました。初めて逢った時から、ずっとずっと、追いかけた。そして、ジョンもジョージを深く愛していました。そうでなければ、ジョージの自伝に自分の事があまり書かれていない事に激怒したりはしません。

映画「LET IT BE」で、1969年の彼らが再び此の曲を演奏する場面を観る事が出来ます。ビリー・プレストンを加えた即興ながら骨太な演奏に乗せて、余裕たっぷりに歌うジョンに対し、ジョージは在ろう事か歌詞を忘れ、「ボキもう何が何だかわかりましぇ〜ん!」状態でカラダを揺らすだけになっちゃうのでした。そもそも、何故かミラクルズのオリジナル・キーで演奏しちゃっているので、ジョンもジョージも高くて声が出ないのだよ。でも、ジョンはテキトーに誤魔化しつつ「おまい、何やってんだよ?」とニヤニヤしながら睨みつけ、知らんぷりして演奏を止めないバンマス・ポール。鬼のレノマカの言いなり状態のリンゴとビリー。屈辱感に耐えるジョージ、、、ジョージは思ったでしょう。「タイトアップだ。雁字搦めだよ。僕はジョンとポールの下僕か?此のバンドにいる限り、僕は生涯、浮かばれないのだ!」と。でも、其れは、まだ先のお話です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-26
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-26

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月19日

FAB4-029:I WANNA BE YOUR MAN

Singles 1963-1965 Live at the Greek Theatre 2008


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11、9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日、12日、30日、10月3日
 MONO MIX:1963年10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-4)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


えっと、、、「なんでこんな曲に手間掛けてんだよっ!」

云わずと知れた、天下無敵のロケンロール帝王に現在でも君臨する化け物「the rolling stones(此処では森高声で「ストンズ」と云います)」の為に、ジョンとポールが彼らの目の前であっと云う間に書き、プレゼントした曲のセルフ・カヴァーです。ビートルズとストンズは「同じ穴の狢」でした。少しだけ先にデビューしたジョンとポール、所謂ひとつの「レノン・マッカートニー」は、ストンズの中核をブライアン・ジョーンズからミック&キースに移行させる手助けをします。其れは、ジョンとポールの計算づくの悪巧みでした。彼らはさも一瞬にして曲を書いた様にみせ其れをプレゼントし、こう予言します。「ほら、曲なんか簡単に自分で作れるんだよ。此れをシングルにしたら、絶対に売れるよ。ま、友達だからあげちゃうよ。でもさ、お前らも自分で書けば儲かるぜ!」と。ジョンとポールの予言通り、ストンズが二枚目のシングルとして発売した此の曲は彼らにとって最初の「トップ10」ヒットになりました。「してやったりっ!レノン・マッカートニー」

いくら天才コムビの彼らでも「偶然にアンドリュー・オールダムに交差点で逢って、ノコノコとスタジオに行き、一瞬にして曲を書く」なんて無理でしょう。曲名にもなったフレーズは、ポールが以前から持っていたアイディアで、ジョンも知っていました。自分達でいつか完成させるつもりの膨大な未完成作品の引出しから、ストンズ用に「未完成状態の侭」で投げ出しただけです。てゆーか、ストンズのマネジャーで在った「アンドリュー・オールダム」ってさ、「ブライアン・エプスタイン」の弟子なのよさ。決まっていた事だったのです。ジョンとポールは「仕事をした」だけなんですよ。しかも、自分たちでやるには「些かお粗末な素材」を、恩着せがましく提供して優位に立っちゃったのよさ。

「鬼か?レノマカ。」

だから、其れをヒットさせたのは、ストンズの実力なんです。でも、鬼の「レノマカ(まんどくさいから、略称にしてますです)」は、何枚も上手でした。在ろう事か、ストンズで売れた此の曲をだ、、、「リンゴに歌わせたんだよーっ!!」完全に、ストンズを小馬鹿にした暴挙です。「こんなクズ曲は、ウチで最低の唄い手で充分なんだよ。ケケケ」ってなもんや、です。♪やりてー、やりてー、やりてーんだよ〜ん♪と、朴訥に太鼓を叩きつつ絶叫するだけの鼻がデカイひと「リンゴ」に、乙女は濡れました。在ろう事か「在る事情で歌詞が覚えられないリンゴ」は、ライヴでは、「一番の歌詞しか歌わないんだよ〜ん!」ミックが一生懸命にテクニックを駆使しても、莫迦リンゴの天然と変わんなかったわけよ。

データを見て頂ければお分かりの様に、ビートルズは、こーゆー「ヘボ曲」にこそ時間とお金を費やしていたのです。こんなもんに、三日間、21テイクも掛けてしまうわけで、こりゃ誰も叶わんよ。ステージではポールの紹介で曲名まで「リンゴ!」って云われていた単純明快なロケンロールです。「儲かるからさ、おまいらも自作しろよ」と唆し、ポイと目の前で曲を書かれた「ミック&キース」は、覚醒します。「兄貴たちが出来るんだから、俺達もやったるでっ!」と、若い二人は「自作自演」に走るのでした。そしたら、ええ曲が書けちゃったのよさ。キースは「サティスファクション」のリフを思い付いたのが外国だったから、英国までの飛行機の中でずっと忘れない様に頭の中でアノ有名過ぎるリフを刻んでいたのです。端から見れば、完全なる「危ない兄ちゃん」です。其の時、キースは「ロケンロールの魔法」を発見しちゃったわけよ。でも、唆したのは「レノマカ」なのです。ジョン・レノンは「ミックとキースは、俺とポールのマネばっかしてる」と云いましたが、そもそも「レノマカ」が「マネしろよ」と命じたのです。そもそも、デビュー前のストンズをライヴで観て推したのは、他ならぬビートルズなのだ。それじゃ、もうストンズは、ずっと頭が上がりませんよ。

「非道だぜっ!レノマカよっ。」


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-27
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-27

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月20日

FAB4-030:DEVIL IN HER HEART

Kiss N Tell: 30 Works of Heart Baby It's You / I'll Follow Sun / Devil in Her ’69~’70


 w & m:RICHARD DRAPKIN

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-5)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


追っかけジョージによる「WITH THE BEATLES」三曲目のリード・ヴォーカル・ナムバーは、ビートルズの底知れぬ「マニアック」振りを示すカヴァーです。オリジナルは、全く無名の黒人ガールズ・グループ「ザ・ドネイズ」の1962年の不発シングル(トップ40に入っていません)「BAD BOYS」の、更にマイナーな B面曲!「DEVIL IN HIS HEART」であります。かつて、全曲カヴァーをやった時にも彼ら以外でこんなマイナーな曲を演奏したバンドを見つける事は出来なかったし、オリジナルの「ザ・ドネイズ」盤ですら入手するのは困難を究めました。

其れにしては、とても好い曲です。カヴァーの帝王:ジョン・レノンに憧れたジョージもカヴァーが大好きで得意でした。後年、奇跡の大復活を遂げた「GOT MY MIND SET ON YOU(1987、全米1位)」もカヴァーでしたし、多くのソロ・アルバムでもカヴァー曲を披露しています。ジョージもジョンに負けず劣らずの「ポップス研究家」だったのです。だってさ、こんなマイナー・ヒットの、しかも「B面」曲をカヴァーしようって云い出したのは、他ならぬ、

「ジョージ・ハリソン(昔の呼び名)」なのだよっ!

ジョージこそが、ガールズ・グループの「眞なる研究家」だったのです。だからこそ、後に「盗作疑惑」が派生するのですよ。彼には、ライフワークとして「ガールズ・グループ」をプロデュースするって「夢」が在りました。其れが「ロニー・スペクターとの仕事」や「マドンナ様主演映画の製作」や「シリータとデュエットでの映画主題歌」や「ベリンダ・カーライルのヒット曲でスライド・ギターを弾いたのは、やっぱり君か?事件(「弟:デレク」発言)」等のカタチで遺されました。でも、ジョージは本気で「ロネッツ」みたいな事をやらかす気だったのです。きっと、やっていたのでしょう。発掘を、切に望みます。

ジョージが歌うカヴァー曲は、ひとことで云えば「可愛い」のです。「胸キュン!(死語)」なのです。此の曲でも、ジョンとポールが「アノコはワルだぜ、やめときな」と掛け合いでコーラスしまくるのに対して「ちがう!そんなんじゃない(中村まーくん声で)」と健気に対抗するのが好いんだよね〜。そー云えば、中村雅俊さんってジョージに逢った事があるんだよね。昔「月刊明星」で見ました。まーくんの感想「ジョージに髭がなくって吃驚した!」(「33 1/3」の頃に英国まで逢いに行ったと記憶して居ります。)「僕たちの好きだった革命」の歴史は、長いのだ。あっ。うっかり、片瀬噺に持ってこうとしてる、、、何はともあれ、

「ジョージ、愛してる☆」


「レコスケは、同志です」:(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-29
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-28

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月21日

FAB4-031:NOT A SECOND TIME

Clues All You Need Is Ears


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-6)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョン好きで知られる「佐野・ライオン・元春」サンは、「貴方が一番好きなビートルズ・ナムバーは?」と訊かれる度に、待ってましたとばかりに自信満々で、

「其れは、ノッタセカンタイムですっ!」

と応え、ニヤリと笑います。其れで、きっと屈託も無く、「さあ、どーだい?なかなか渋い選曲だろ?其れにさ、此れこそがレノン節じゃないか?今夜は今夜しかないのさっ!(←其れは「SOMEDAY」違いだと思う。)」なんて感じで、如何にもタコの八ちゃんにも「元春らしいセレクション」を提示する「同志」に、あたくしは毎回、苦笑しちゃうのでした。

確かに、掛け値無しの名曲です。「ジョン・レノン、此処に在り!」と高らかに示す、「WITH THE BEATLES」のクライマックスが此れでしょう。徹底的に、歌心が在り過ぎますっ!自由自在に歌詞に沿ってメロディーを変えてしまいながら展開してゆく「魔法の歌唱法」こそが、レノンの最大の魅力なのです。しかも、此れは自作です。もう、やりたい放題し放題です。なのに、全く破綻しないっ!やっぱ、ジョンは「天才歌手」だわ。

マーラーの「大地の歌」とおんなじ終止和音を使ったと云われる曲ですが、其れは作者のレノンの企みでは無く、ピアノを担当したジョージ・マーティンの悪戯だったのだと思います。此れから何度か言及しますが、基本的にジョージ・マーティンって人は「ロックでも何でもない」のです。彼の基本は「クラシック」です。だから、後の「YESTERDAY」なんかが生まれるのだけど、ビートルズを担当するまでマーティンはギターのコードすら知らなかったのですよっ!其れは、ジョンやポールもおんなじで、彼らは譜面を書けなかったし、ピアノもマーティンに教わったのでした。そして其の「異文化交流(日本版トーマス声で。ちなみに米版ではリンゴが担当してたりする。)」こそが、魔法を産んだのです。

デビュー盤は基本的に一発録りだったので、マーティンが鍵盤楽器をオーヴァーダビングしたのは僅か二曲でした。其れが、二枚目の「WITH THE BEATLES」になると、正に「五人目のビートル」と呼ばれるに相応しい活躍を魅せます。初期はライヴ・バンドとしての魅力も在った彼らですが、レコードでは既にマーティンの鍵盤が大きな位置を占めていました。続く最後の「MONEY」でも、演奏の要はマーティンのピアノです。当時のライヴでは当然四人だけの演奏だったのですが、マーティンは「俺様がステージに上がって鍵盤でサポートしたら、きっともっともっと良くなるっ!」と思っていたのでしょう。「WITH THE BEATLES」で始まった此の「マーティンの出しゃばり」は、彼に代わる鍵盤奏者「ビリー・プレストン」が登場するまで延々と続くのでした。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-30
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-29

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月22日

FAB4-032:MONEY(THAT'S WHAT I WANT)

The Complete Motown Collection ミュージック・ファクトリー


 w & m:JANIE BRADFORD / BERRY GORDY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18、30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)、A.B.リンカーン(10/30)
 録音:1963年7月18日、30日、9月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日、30日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-7)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


アルバムのラストを飾るのは、ジョンのお気に入りナムバー「マネー」です。オリジナルはタムラ・モータウンのバレット・ストロングによる1960年のスマッシュ・ヒットで、作者は後にモータウンの社長になるベリー・ゴーディで、此の曲のヒットが其の後のモータウン発展への足がかりとなりました。ゆえに、此の楽曲は「THE BEATLES」と「THE ROLLING STONES」の二大グループにカヴァーされたと云う、大変に珍しい人気ナムバーとなりました。勿論、他にも多くのカヴァーが在ります。ちなみに、あたくしのお気に入りは「THE FLYING LIZARDS 」によるヴァージョンで、其の後の「宅録人生」に決定的な影響を受けました。されど、矢張り、其の曲が「ジョンの愛唱歌だった」事で興味を持ったのです。

其のジョンも、1962年のデッカ・オーディションで歌い、さらには1969年に「プラスティック・オノ・バンド」名儀でのトロントでのライヴでも取り上げています。ゆえに、ピート・ベスト、リンゴ・スター、アラン・ホワイトの三人による太鼓と共演するレノンが聴けます。(当然ながら、チャーリー・ワッツによる太鼓も聴けますよっ!THE FLYING LIZARDS なんて、ダンボール箱を叩いてるんですよ。)アラン・ホワイト曰く、

「ジョンのバックで太鼓を叩いて、リンゴの素晴らしさが分った」

「金くれっ!」と「銭ゲバ」の様に絶叫するレノンに呼応して演奏もかなり荒削りなのですが、此処でもジョージ・マーティンのスタイリッシュなピアノが中和剤になっています。ともすれば、クラシック志向のマーティンとロケンロール・バンドであるビートルズは「水と油」だったはずです。しかし、彼らは奇跡的に融合しました。「WITH THE BEATLES」の聴きどころのひとつは、マーティンのピアノやハモンド・オルガンと云った「鍵盤楽器」です。此の頃から1967年までは、間違いなく、マーティンが「伍人目のビートル」でした。「EMI には、マーティンが居た。」此れは、歴史の「偶然」と云う名の「必然」でした。もしも、デッカ・オーディションに受かっていたなら、ビートルズはジョージ・マーティンと出逢えなかったのです。兎も角、お溢れで「ビートルズのプロデューサー」になってしまったマーティンは、僅かな期間を彼等と共にした段階で思ったでしょう。

「ツイテたね☆」と。

アルバム「WITH THE BEATLES」は構成的に前作アルバムである「PLEASE PLEASE ME」と全く同じです。「オリジナル:8曲」&「カヴァー:6曲」で、ラストも「ジョンの絶叫カヴァー」なのですが、アンサンブルにマーティンの鍵盤が加わった事と、シングル曲(其れが「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」なのだよ!)をオミットした事で、実際には、たったの半年で大きく変貌した彼らが聴けるのです。「全曲新曲、大ヒット・シングル曲未収録!」と云う「アルバムはアルバムだろ?」って「レノンイズム」が、二作目にして既に出来上がっていました。

更に、モノクロームの美しいジャケットは、次作で映画のサントラでも在る「初期の大傑作」に繋がって行きます。当時の彼らは「モノクローム」でした。先を急げば、其れが中期にカラフルになり、真っ白になって、「ゲット・バック」しようとして頓挫し、「横断歩道を渡って去ってゆく」のです。余りにも「ドラマティックなバンド」です。其れが、たったの「那奈年間」で起こるのです。彼らがマトモにアルバムを出したのは、1963年から1969年までなのですよっ!たった那奈年で、彼等は10数枚のアルバムを遺しました。年間二枚と云うハイペースで、しかも「全て違ったコンセプトの作品集を連発した」のです。正に、彼等は「化物」です。

さて、噺を戻しましょう。データを見て戴ければお分かりの様に、此の楽曲はモノとステレオを別にミックスしたばかりか、ステレオ・ミックスを二回もやっています。ゆえに、明らかにモノとステレオでは違いがあります。モノを中心に考えていた当時の彼らには珍しく、此の曲に関しては圧倒的にステレオの方が「ど迫力サウンド」になっています。理由は、モノ・ミックス後にマーティンがピアノを追加録音(其の時、ビートルズは休暇で不在!)し、新たにステレオ・ミックスを行ったからなのだ。「泥沼のミックス違い道」へ進む覚悟がおありの片は、此の曲あたりから聴き比べてみては如何でしょう?但し、其の後の貴方の人生に関しての保障は、一切合切、致しません。

其れにしても、ジョンの歌うカヴァー曲は素晴らしい。此の楽曲も、明らかにオリジナルを超えてしまっています。オルジナルには無い歌詞を、ジョンはアドリヴで絶叫します。そして、此のひと言が、モータウンの「R&B」を「ROCK」に変えました。ジョンは叫ぶ。

「I WANNA BE FREE !」

そう、此れが「ROCK」だ。僕らは「自由」になりたくって、「ロックの人」になったのだから。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-1
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-1

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月23日

FAB4-033:I WANT TO HOLD YOUR HAND
(抱きしめたい)

meet the 東京ビートルズ iwanttoholdyourhand.jpg



 w & m:LENNON / McCARTNEY


 P:ジョージ・マーティン(1963、1966)

 E:ノーマン・スミス(1963、1965)ジェフ・エマリック(1966)

 2E:ジェフ・エマリック(1963)、ロン・ペンダー(1965)、マイク・ストーン(1966)

 録音:1963年10月17日

 MONO & STEREO MIX:1963年10月21日

 STEREO MIX:1965年6月8日、1966年11月7日


 1963年11月29日 シングル発売(最高位英米1位)

 パーロフォン R 5084(モノ)



前出の通り彼らのセカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」には、大ヒット・シングル曲が全く収録されませんでした。アルバムと同時期に録音されたのは「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」、そして「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」と、それぞれのB面曲です。デビュー盤「PLEASE PLEASE ME」の二番煎じでも十二分に売れたはずですから、其の6曲に新録8曲でアルバムにすれば事足りたし、みんなそうやってアルバムを作っていました。されど、ビートルズにはそんなこたぁ出来なかったっ!


此の世界制覇を成し遂げた楽曲は、彼らにとって初めての「4トラック・レコーディング」でした。ゆえに、音の感じが「WITH THE BEATLES」とは全く違っています。ま、つまり此処までは全部「2トラック」だったわけでして、其れもすぎょい話です。本国英国では「WITH THE BEATLES」が発売された僅か一週間後にリリースされました。当時のファンにとっては夢の様な展開です。全曲新録音のアルバムを買って聴き狂っている時に、超ド級の新曲が発売されたのです。翌1964年、彼らは遂にアメリカを制覇します。全米チャートで英国のバンドが首位を獲得したのは二度目でした。初回のトーネイドーズによる「テルスター(1962年、プロデュース:ジョー・ミーク)」はインストでしたから、歌ものとしては史上初の快挙でした。


ビートルズの「世界規模での人気爆発!」は、正に此の「抱きしめたい(なんと云う素晴らしい邦題!)」から始まりました。ゆえに「WITH THE BEATLES」と同じジャケット写真を使った米国キャピトルでのデビュー盤「MEET THE BEATLES !(1964年)」でも、日本デビュー盤「ビートルズ!(1964年)」でも、A面一曲目は此の曲でした。ロバート・フリーマン撮影の有名すぎるハーフシャドウの四人のモノクロームのポートレートを使った三つ子の様な英米日の三枚のアルバムの中で、特にリアルタイムで聴かれた日本人にとって最も愛着が在るのが日本デビュー盤「ビートルズ!」でしょう。


かつては各国盤が勝手に編集されて居て、特に初期は米国や日本以外でも様々な編集盤が出ています。其の中でも、選曲に於いてベストなのが「ビートルズ!」だと思います。内容は、1963年までのベスト盤と云って良いでしょう。「LOVE ME DO」から「抱きしめたい」までの英国オリジナル・シングルA面5曲を完全収録し、他の9曲は「PLEASE PLEASE ME」と「WITH THE BEATLES」から選りすぐりの全14曲!モノラルで「盤起こしだった!」なんて噂も在りますが、世界制覇前夜の彼らを壱枚に凝縮した名編集盤だと思います。実際、此処までの連載中に最も繰り返し聴いたのが「ビートルズ!」でした。敬愛する「キヨシちゃん」こと「忌野清志郎」先生は語ります。「ビートルズはさ、信じられたんだよ。だってさ、ストーンズのアルバムを買うと、曲がダブってんだよ。詐欺じゃねーかって思ったよ。ビートルズはダブらないんだよね。だから、信じたんだ」


此の曲は、後に語るドイツ語版も含めて、基本的にはすべて同一テイク(第17テイク)が元になっています。ゆえに、テイク違いは在りません。現在、最も容易にCDで聴けるのは「1966年のステレオ・ミックス」で、其れは未CD化の英国公式ベスト盤「オールディーズ(1966年)」の為に作られたミックスです。1963年当時、いや、解散間際まで彼らのシングル曲の多くは英国オリジナル・アルバムには収録されなかったのです。そして、其れらの楽曲はモノラルでした。初の「4トラック」に挑んだ「抱きしめたい」ですら、ステレオ・ミックスを制作したものの発売されなかったのです。其れでですね、米国じゃアルバムに入れたいわけですよ。てなると「疑似ステレオ」ってのを捏ち上げなきゃならんわけだ。「レコーディング・セッション」での記録だけで三回もステレオ・ミックスが行われていますから、無法の世界だったCD化以前の各国盤では「なんじゃ、こりゃ?」的なミックスも多発しました。此の曲で最も有名なのは、演奏と歌が左右に別れた「オーストラリア再発シングル盤」でしょう。


此れは、掛け値なしの文句なしの名曲です。こんな会心作をアルバムには収録しなかった「志の高さ」と「自信」は何だ?レノン色が強く感じられますが、紛れも無い「レノン・マッカートニー」の合作です。ジョン・レノン23歳、ポール・マッカートニー21歳、遂に彼らは天下を穫りました。アメリカ上陸し、憧れのゴフィン&キングに逢います。そして、此の曲の歌詞を「空耳」したボブ・ディランに出逢う事となりますが、其れはもう少しだけ後のお話です。それにしても、邦題を「抱きしめたい」と意訳したセンスは抜群ですね。但し、其の素晴らしいセンスが発揮されたのは此の曲だけでありました。何せ、B面は「こいつ」ですからね。



(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-2
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-2

(and this is REMIX-2 by 小島藺子



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2009年04月24日

FAB4-034:THIS BOY(こいつ)

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 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン(1963)
 E:ノーマン・スミス(1963)ピーター・ボーン(1966)
 2E:ジェフ・エマリック(1963)、グレアム・カークビー(1966)
 録音:1963年10月17日
 MONO MIX:1963年10月21日
 STEREO MIX:1966年11月10日

 1963年11月29日 シングル発売
 パーロフォン R 5084(モノ)


全く隠れていない「B面の名曲」です。

ジョン・レノン作。本人も語る様に「俺様だってポールに負けず劣らずのメロディ・メーカーなんだぜっ」を満天下に知らしめる美しい曲ですが、英国公式アルバムには当然のルールで未収録だった為に、アナログ時代にはシングル盤を買うかダブり覚悟で米国編集盤「MEET THE BEATLES !」か日本編集盤「ビートルズ No.5」を買わなければ聴けない「レア曲」のひとつでした。さらに、データでお分かりの様に此の曲のステレオ・ミックスはシングルのみと云うことで、1966年まで作られませんでした。其れも「オールディーズ」用に「BAD BOY」と「THIS BOY」を間違えてミックスしたと云う顛末だった為に「当然の如くお蔵入り」し、長年リアル・ステレオは「幻のミックス」と云われていました。彼らのシングル曲、特にB面では良くある話で、かつては結構「血眼になって『リアル・ステレオ』を探した」ものです。ま、現在では「パストマスターズ Vol.1」で簡単に聴けちゃうんだけどね。其の反面、昔は普通に聴けて居たモノラルが「20年前!のCD化」によって聴けなくなって居たりもします。其の辺もいよいよリマスター化により解消されるのだけど、結局はさ、「アナログ盤を聴けっ!」に尽きるんですよ。CDじゃ永遠に「THE BEATLES は理解出来ません」よ。だって、簡単じゃん。1960年代、彼等が現役だった時代に「CDなんて無かった!」のだよ。

ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラスの美しさ!そして、サビのレノン節炸裂!の熱唱!!と、只のやかましいロケンロール・バンドだけではない彼らの魅力を存分に伝えてくれる素晴らしい名曲です。此れでも「B面」なんですからネ。英国アルバム未収録なんですよ。だってさ「A面」の「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」だって英国じゃ「オールディーズ(1966年)」までは「シングル盤」と「EP盤」でしか聴けなかったのですよ。レノン作品には「此のB面を聴け!」な名曲が多いのです。初期から、常に「実験的で革新性を重視した」彼は、こうした「美しいスタンダード曲」を敢えてB面に回しました。中期以降に「ポールのスタンダード路線」が、こと「シングル曲」では重視されます。ジョンの曲は「B面」に甘んずる事が多くなる上に、在ろう事か、レノンは「ジョージの曲でええやん」と私情を捨て、史上の名曲(「ACROSS THE UNIVERSE」で在ります!)を「没」にしたのですよっ!何故、ジョンはそんな事を出来たのか?其れはさ、彼こそがビートルズを、銀河系一に愛した漢だったからさ。彼こそがビートルズを結成し、誰よりも愛した人間だったんだよ。ジョンはさ、撃たれた後、救急車の中で云ったんだぜ。「貴方は誰ですか?」って訊かれて、応えたんだぜ。

「俺は、ビートルズの、ジョン、、、ジョン・レノンだ」

そう云って、死んじまったんだよ。ジョンはさ、そういうひとだったんだよ。さて、此の楽曲は、映画「A HARD DAY'S NIGHT」では、ジョージ・マーティンによる弦楽アレンジで「リンゴのテーマ」としても有名になりました。「俺が選んだのは、ポールだけさ」なんて嘯くジョンですけど、ジョージやリンゴにも「リーダー」らしく気を配っていたのです。其の辺の「ええ噺」は、追々、書いてゆきますよ。さてさて、余り指摘されないのですけど、此の曲って THE BEACH BOYS の名曲「サーファー・ガール」に似ていると思うのですよ。曲の構成は、ほぼ同じです。「ブライアンのライバルはポール」と云われ、ジョンが影響を受けた点は見逃されて居ますが、後の「(Just Like)STARTING OVER」にも「DON'T WORRY BABY」と似たメロディーが出て来ます。逆に「ディランからの影響が強いのはレノン」と云われますが、ポールだって十二分に受けているのです。ジョンとポールにとって、当時のアメリカの音楽のすべてが「憧れ」の対象だったのだと思います。そんでもって、邦題に関しては、敢えて「ノーコメント」です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-3
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-3

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2009年04月25日

FAB4-035:KOMM, GIB MIR DEINE HAND
(抱きしめたい ドイツ語版)

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 w & m:LENNON / McCARTNEY / Nicolas / Hellmer

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)
 録音:1964年1月29日
 MONO MIX:1964年3月10日
 STEREO MIX:1964年3月12日

 1964年 西ドイツ発売


此の連載は基本的には英国オリジナル発売順に全曲解説する事にしていますが、数少ない例外として此の「独逸語版」が在ります。彼らには二曲の独逸語版が在りますが、其れは「無名時代に独逸のハンブルグで演奏していたから実現したわけではない」のです。そうで在れば「美談」なんですけど、残念ながらレコード会社(西独逸、オデオン)の「強い要望ゆえ」でした。何せ、此のレコーディングは公演中の仏蘭西で行われたのです。さらに云えば、独逸とは縁もゆかりもない「THE BEACH BOYS」ですら、独逸語版を録音させられたのでした。

「嗚呼、恐るべし独逸人!流石は同盟国だっ」

こちらの「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」は初めて「4トラック」で録音した楽曲でしたから、所謂ひとつの「カラオケ(第17テイクのベーシック・リズム・トラック)」が存在しておりました。マーティンとスミスが、門外不出の其れを抱えてパリまで飛んだのです。其の「カラオケ」に合わせて、独逸語によるヴォーカルと手拍子を加えて「一丁あがり」です。「海外向けの接待」みたいなもんでして、英国では1979年まで公表されなかった「黒歴史」なのでした。

しかし「守銭奴:米国キャピトル」は違ったっ!3月12日に作られたステレオ・ミックスは何故か西独逸だけでなく米国にも発送されました。ビートルズが米国を制覇した「1964年」に、米国ではなんと「6セット(那奈麻衣)」ものアルバムが発売されました。二ヶ月に壱枚は出たのですよ。兎に角、在るモンは全部出しまくったのです。しかも英国は14曲入りでシングル曲は収録しないのに対し、米国ではたったの「11曲入りでシングル曲も二度売り!」していたわけだよ。だからさ、1964年には英国で二枚(当時の彼らは英国で、年間アルバム二枚、シングル三枚の契約をしていました)だったのに、米国じゃ「其の三倍以上ものアルバムとシングルが乱発された」のです。(いや、此処日本では「もっとすぎょい状況」だった様ですが。)其の米国盤の内の四枚ずつをモノとステレオで収めた箱が現在では容易にCDで聴けます。

独逸での事情は分りません。僕らがアナログ時代に此のヴァージョンが聴けたのは、米国編集盤「SOMETHING NEW(1964)」と日本編集盤「ビートルズ No.5(1965)」でした。其れで、「SOMETHING NEW」のステレオ盤には「何だか変な声が入って居る」のです。イントロで米国のスタッフか誰か分んないけど、ノリノリで騒ぐ様子が入っちゃってるのですよっ!「なんじゃ、こりゃ?」米国盤って、こーゆー無茶苦茶でいい加減なミックスが多々在るわけよ。ですから、

初心者は「米国盤の箱なんか買っちゃダメですよっ!」

あーゆーのは、英国オリジナルを聴き倒してから辿り着くべき「最後の音源」です。「アンソロジー」とか「BBCライヴ」とか「なんちゃらリミックス」とかも、ぜ〜んぶ同じです。あんなもんはね、

「全部、海賊盤とおんなじですよっ!」

英国オリジナル盤こそはすべてなのです。幸いにも、やっと其の本家本元がリマスターされます。さあ、今年(2009年)の秋までには「最低、壱拾萬円」を貯めて置きましょうね。「祭り」ですよっ!出た時に全部買わなきゃイカン!のだ。何せ、20年以上も待ったんですよ。次はいつか分りません。20年に一度の「祭りだ!祭りだ!!わしょーいっ!!!」なのよさ。更に言及するならば、我が国「日本」ほどビートルズのレコードを「公式盤」及び「違法な海賊盤」で、平気で発売しまくっている国家は無いっ!と断言出来ます。いや、中国やジャマイカなどでは、もっと無茶な事をやらかしちゃっているのかもしれません。されど、其れは「違法なブート」や「違法なパチモン」や「違法なCOPY」です。

我が国では、各国盤の公式アルバムがほとんど全て「日本盤」として入手可能でした。西新宿に行けば、違法なナンチャラも全部お金さえ払えば買えたのです。実際に、敢えて名は伏せますけど、「某:ジミー・ペイジ様」とか、「某:ロバート・フィリップ様」なんてぇ方々は、西新宿で入手した音源(当然、無料で持ってくのです。鬼です。「俺様の演奏した音楽に、何故?俺様が金を払わなきゃならんのだ?俺様に返すだけじゃん。ぐわっはっはっはっはっは。」ですよ!)を元にしたと思われる「公式盤」まで発売しちゃってんだよぉっ!!ぜいはあ、、、(銭出して泣いたモンだった。)ビートルズだって、トンデモ音源が満載ですよ。くれぐれも、初心者は「英国公式盤」から始めて欲しいです。

(ま、あたくしは病気だから、全部買うけどさ。)


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-4
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-4

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2009年04月26日

FAB4-036:SIE LIEBT DICH(SHE LOVES YOU ドイツ語版)

Sie Liebt Dich Jeah, Jeah, Jeah: Weitere Beatles Songs Auf Deutsch TheBeatlesRaritiesalbumcover.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY / Nicolas / Montague

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)
 録音:1964年1月29日
 MONO MIX:1964年3月10日
 STEREO MIX:1964年3月12日

 1964年 西ドイツ発売


さてと、もう壱曲の「接待録音」です。但し「KOMM, GIB MIR DEINE HAND(抱きしめたい)」が基本的にはオリジナル・テイクのオケを流用したのとは違って、こっちは彼らには珍しい「完全なる別テイク」で御座居ます。なんて事だけ云うとだ、「何だか、オラ、わくわくして来たぞ!」な展開ですけど、其れは残念ながら「魔人ブーーーーーーー!」なのだ。「SHE LOVES YOU」の項でも述べた通り、1963年7月1日に行われた「SHE LOVES YOU / GET YOU TO THE END」セッションの詳しい記録は残っておりません。何故なら、セッションばかりか、「2トラック・テープ」すべてが処分されてしまったからです。シングル用の楽曲だったので、モノ・ミックスのみが行われ、其のマスター以外の何もかもぜ〜んぶなくなっちゃったのですよっ!

「信じられない愚挙だっ!」

だってさ、アータ、「SHE LOVES YOU」のテープを消しちゃったんですよ。何じゃ、そりゃ?常識的に「有り得ない!!」でしょ。なな、なんと、初期ばかりかビートルズ全キャリアに於いても最重要曲のひとつである「SHE LOVES YOU」の「2トラック・マスターは消された」のでした。幾ら当時のテープが高価で在ったからと云って、やっていい事と悪い事って在るでしょう?只、此の時の教訓が其の後「ビートルズの音源は、どんなクズでも絶対に捨てるなっ!」と云う「社訓」を作らせ、実質的なラスト・アルバムのエンディングを「愉快なモノ」にするのです。

「流石は、ビートルズ!タダでは転ばんのだっ!!」

ま、其れは「此の連載の最後の方のお楽しみ」です。兎に角、捨てちゃったのか、消しちゃったのか、重ね録りしちゃったのか、、、は定かではありませんが、失ったモンは帰って来ません。其れで、こっちの独逸語版は「ベーシック・トラックから全部録音し直さなければならなかった」わけです。あ〜あ、嫌がる奴がいますよ。新しい事しかしたくない「芸術家」で「リーダー」が居ますよ。困ったネェ。独逸語版を半ばイヤイヤ録音した日、彼らは「次のシングル曲」の録音もやっています。其れはポール作の「CAN'T BUY ME LOVE」でした。彼らは、既に「1964年」にいました。過去の焼き直しなんて、やってらんないのです。

特に、ジョンが分り易い。オリジナルに比べて全体的にルーズな演奏ですが、ジョンは丸っきりやる気が無いです。英語版ではジョンの声が大きいのに、独逸語だとポールに負けてます。其れは、決して「ポールにはハンブルグ時代に隠し子がいる」からではないでしょう。英国公式盤では1979年、米国キャピトル盤でも1980年まで正式発売されなかったヴァージョンです。米国スワンから、チャカリとシングル盤が出ていた方が驚きです。ドイツ以外で公開されたのはアメリカの、しかもマイナー・レーベルのみでした。いえ、実は日本では「ビートルズ No.5」なるヘッポコ盤やコンパクト盤にも収録されていたのです。でも、後追いの立場としては英国公式を中心に集めていたので、そんなもんは無視しておりましたから、必然的にあたくしが今回の連載本編で書く「公式213曲」の中では、、、

最後に聴いた「お宝音源」でした。

其れが、此れです。正に「目が点になる」とは此の事かと思い知らされましたよ。

ま、「お宝なんて、そんなモンですよっ」


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-4
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-4

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2009年04月27日

FAB4-037:CAN'T BUY ME LOVE

Sing the Beatles Hits ア・ビット・オブ・リヴァプール/TCB


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)、リチャード・ランガム(2/26)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年1月29日、2月25日
 MONO MIX:1964年2月26日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年3月20日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5114(モノ)

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-7)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


苦節6年でようやく本国でメジャー・デビューを果たしたビートルズは、其の長い下積みで蓄えたパワーを一気に全開し、約一年後には全世界制覇を成し遂げます。1964年2月1日付の「米国ビルボード・シングル・チャート」で、彼らの「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」が首位を獲得しました。其れは那奈週連続続き、其れに代わって首位に立ったのが「SHE LOVES YOU」(二週連続)さらに其の次が此の「CAN'T BUY ME LOVE」(五週連続)と、通算14週連続で首位を独占!挙げ句の果てには、其の間の4月4日付では、在ろう事か「シングル・チャートの1位から5位までを彼らが占拠」し、100位内に12曲ものシングル曲がランクインしてしまったのでした。昨今の日本で作為的に再発シングル盤を乱発し「ビートルズ並みの(もしくは神をも恐れずに「超えた!」なんぞとぬかす)快挙を達成!」なんて云ってる阿呆とは違って、リアルタイムでの新曲が売れまくった結果の「大記録」だったのです。此の怪物が偶発的に成し遂げてしまった「TOP 5 独占!」って記録も現象も、おそらく、あたくしが生きていられる世の中では再現されないでしょう。

さて、フランスでのレコーディングで、たったの4テイクで完成まで行ってしまった新曲は、後に彼らの初主演映画に挿入歌として使用されます。結果的にはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」からの先行シングルになりましたが、此の曲が発売された時には未だタイトル曲は録音どころか書かれてもいなかったのです。激動の「1964年」に、最初に発表されたのが此のシングル盤でした。当時の彼らは、欧州ツアーをやり、テレビやラジオにも出演しまくり、初主演映画も撮影し、アメリカ上陸も果たす、と云う「わけ分りましぇーんっ!」状態で、此のシングルや、EP盤オリジナル作品「LONG TALL SALLY」、そしてアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の録音をすべて同時進行で行っていたのですっ!!すぎょすぎる。だからこそ「接待ドイツ語版」なんかを録るだけじゃ満足出来なかったし、何よりも時間が無かった。其の上、今後はもっともっと多忙になってゆくのでした。

ポール・マッカートニーが書いたストレートなロケンロールです。初期でポールの曲がシングルのA面になるのは珍しい事でした。此の楽曲が収められるアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は、はっきり云えば「ジョン・レノンのソロ・アルバム」です。彼らが三枚目にして初めて(そして結果的には最初で最後の)、全曲「レノン・マッカートニー」によるオリジナル曲で固めた作品ですが、全13曲中ポールが単独で書いたのは「たったの二曲」なのです。もう誰の目から見ても、ジョンこそが「要」でした。圧倒的に、器が違い過ぎた。其れでも、先行シングルは「ポール作の此れ」でした。確かに好い曲で大ヒットしたけれど、未だ此の時代のジョンには余裕が在ったとも思えます。「ま、今回はポールがA面でいいんじゃねーの?」ってな感じでしょう。後の「どっちがA面を穫るか、勝負だぜっ!」って気持ちは感じられません。だってさ、例えば「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER(恋する二人)」とか「IF I FELL(恋におちたら)」とかミックスまで終わっていたのですもの。ジョンは、待っていたのでしょう。最初に出逢った時から確信していた時が来る日を。正に頂点に達した己の才能をポールに見せつけて、相棒の眞の姿を暴こうとします。ポールは、其の真摯すぎる想いに応えようとしていました。そして、其の時は、もうすぐそこまで来てもいたのです。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-5
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-5

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月28日

FAB4-038:YOU CAN'T DO THAT

パンディモニアム・シャドウ・ショウ(紙ジャケット仕様) Summer Holiday


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/25、26)、A.B.リンカーン(5/22)、ジェフ・エマリック(6/22)、他
 録音:1964年2月25日、5月22日
 MONO MIX:1964年2月26日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年3月20日 シングル発売
 パーロフォン R 5114

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 B-5)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


「此れこそはB面の超名曲!そして名演!!」

ジョン・レノン作。どこをどー聴いてもジョン・レノン。リード・ギターもジョン。彼の得意とするカッティングが飛び出すから、すぐに分ります。そして、サイドにまわったジョージは此の後の彼らのサウンドを決定づけるリッケンバッカー社の電気式12弦ギターを、初めて正式録音で弾いています。レコーディングの直前にアメリカ初上陸した際に入手したばかりのピカピカの新品です。其れは映画でも嬉々として弾きまくっている、リッケンバッカー社が初めてジョージの為に作った「360/12モデル」です。

超有名曲で好きになった少年少女が、所謂ひとつの「ビートルズ通」になる頃に出逢う「僕だけが知っている(そんなこたぁ無いのだけど、そう思い込む)素敵なお宝音源」が此の楽曲でしょう。ウイルソン・ピケットを意識してジョンが書き上げた「1964年のビートルズ」が凝縮された会心作です。彼が自らリードも弾いたって事は、かなりの自信作だったはずです。パリでの「CAN'T BUY ME LOVE」と云う例外を除けば、其の後の彼らのアルバムの通例となる「最初に録音するのは、ジョン・レノンの新曲で自信作」と云う「暗黙の了解」が始まりました。そして、其れらの楽曲は、何れも「アルバムのカラーを決定づける」事となってゆきます。

解散間際に鍵盤奏者として準メムバーとなった「ビリー・プレストン」が自信を持って証言した様に、「ジョンは最後まで、ビートルズの偉大なるリーダー」でした。ジョンのソロ作品集とさえ云える初期の最高傑作アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」からの先行シングルに、ジョンはアルバムに単独作品を二曲しか書けなかった相棒ポールの「CAN'T BUY ME LOVE」を選び、自分の自信作をB面にしたのです。しかも「CAN'T BUY ME LOVE」ってお題に見事に応えた「YOU CAN'T DO THAT」って曲ですよっ。「ポールの曲の方が優れていたから、自信作だったけど、こりゃ仕方ないナァ、とB面に甘んじたのさ」と云う懐の深さが「ボス:ジョニー」の真骨頂でした。少なくとも未だ1964年の世界では。

さて、数多ある彼らの楽曲をカヴァーした作品の中でも「此れは必聴盤!」と云えるモノのひとつが、ハリー・ニルソンによる此の楽曲のカヴァーです。後にジョン、そしてリンゴと「大酒呑み仲間」となる愛すべき酔っぱらいニルソンが、未だ「酒焼けしていない美声」で歌うファースト・アルバムに収録された其のカヴァーには、沢山のビートルズ・ナムバーが歌い込まれていました。ビートルズへの愛に満ち溢れた其の名唱を36時間も聴き続けた男が、堪らずに英国から「見知らぬ米国の歌手ニルソン」に国際電話を掛けます。電話口に出たハリーに、英国の男は云いました。

「俺は、ジョン・レノンだ。此れだけは云いたい。
 お前のアルバムは最高だ、お前は最高だ!」


そして、二人は「生涯の友」になったのでした。そう、ジョン・レノンとは、そう云う人間だったのです。
彼は「真実」を求めていた。「自由」になろうとした。眞の「表現者」で「芸術家」です。しかも、彼は「大衆音楽家」で在る事を生涯貫きました。「自分の音楽を理解してくれる人間は、世界に100人といない」と自覚しながら、常に「マス」を相手に格闘し自分を追い込み推敲を重ねて楽曲を書きました。引退して悠々自適の生活をしていたのに、「やっぱり、俺がやらなきゃ誰がやる?」とばかりに復活し、大莫迦野郎にまで真摯にサインしてあげたにも関わらず、「サインする時の態度が気に食わない」なんぞと云うトンデモな理由で撃ち殺されてしまったのだ。何じゃ、そりゃ?

元・チューリップの財津さんなんか「ポールに逢った時はサインと握手も快くしてくれたのに、ジョンはヨーコさんが「サインはダメよ!」と云ったら「ダメ?ダメ!」とか云ってしてくれなかった。だから僕はポールが好き」なんぞと云っているぞ。ジョンにサインしてもらっただけでも有り難いと思いなさい!ところで、ジョンがイヤミの「シェー!」を完璧に出来たのは、彼が其れを「少年サンデー」を入手して来日公演以前に知っていたからだと思います。来日の時に会食した若大将の証言でも、ジョンは「日本の事を唯一、真剣に勉強していた」様子が伺えます。洋子さんに出逢う以前からジョンは日本に興味があったと考えると、其の後の展開が何となく分かった気にもなります。

さて、僕が「前衛芸術」を知ったのは、ビートルズでは無いのです。其れは、先日、惜しまれつつ亡くなった「赤塚不二夫」先生の漫画「天才バカボン」でした。小学生だった僕は、「実物大漫画」とか「左手で描きました→右足で描きました」とか「少女マンガに変更します」とか、毎週目くるめく変化する破天荒すぎる「実験作」に夢中になりました。其れで、将来は「手塚賞」ではなく「赤塚賞」を目指そうと、ギャグ漫画家になろうと決意したのです。そんな時にラジオでビートルズを聴いてしまったのでした。

赤塚先生の前衛ギャグで最も衝撃を受けたのが、「山田一郎」への改名事件です。「赤塚って名前は飽きたから、来週からは山田になるのだ。これでいいのだ!」と宣言し、本当に改名してしまったのですよ。何週間か本当に「山田一郎」名儀で全ての作品を発表して、「やっぱり元に戻す事にしたのだ」と「赤塚」に還っちゃったんだけどね。そう、僕が「コピコン」を閉鎖し「アゲン」を始めて、再び「コピコン」へ回帰したのは、其れのマネなのだ。だから、僕も「赤塚先生の作品」なのだ。万感の想いを込めて云うジョー!ニャロメ!!先生、有難う!だす、べし、やんす、だよ〜ん!!

「これでいいのだ。」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-6
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-6

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月29日

FAB4-039:LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)

The Georgia Peach BeatlesLongTallSallyEP.jpg


 w & m:ENOTRIS JOHNSON / RICHARD PENNIMAN / ROBERT BLACKWELL

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/10、6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年3月1日
 MONO MIX:1964年3月10日、6月4日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」A-1)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


ポール・マッカートニーの数多在るカヴァー・ソングの中で、最高傑作にして別格の存在が此の楽曲です。我が愛しの「小野未来」ちゃんも「イエスタデイでしょ?あたし、好きだナ☆」と語る様に、ポールと云えば「美しい曲を書き歌うバラード歌手」ってのが定番な評価となりました。其れは、「同志:山崎クン」が驚愕した様に、

「かつては不良の音楽と云われて居たのに、
 音楽の教科書に載ってるじゃまいかっ!」


って「コペルニクス的転換」が成されたからです。其れは、ジョンが殺されたから起こった事です。伝説になったから、安心して、安全なモンだって事にしようとしたのです。だから、若造どもはヌカすのだ。「ポールは、ロックじゃないよね〜」なんぞと云う暴言を、平気で吐くのだよ。「ロックじゃない」ひとが、こんな絶唱を出来ますかしら?結局、おまいらはさ、聴いてないのよさ。な〜んにも知らないのとおんなじなんだぜ。「聴いてなんぼ」なんです。後追いでもええから、

「体験しなきゃ語れない」のよさ。

さ〜てと、此の楽曲から始まる EP盤「LONG TALL SALLY」は、三枚目のアルバムで在り彼らにとって初主演映画のサントラ盤としての側面も在った「A HARD DAY'S NIGHT」セッションで録音された四曲が収められています。しかし、其れらはすべて、本国では其の四曲入りEP盤でしか聴けない楽曲で構成されていました。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」には、先行シングルとアルバム同時発売シングルの四曲が重複してしまい、セカンドで「全曲アルバム用でシングルとのダブリなしっ!」と云う快挙を遂げた彼らにしては些かお粗末な展開にも見えます。でも、其れは此の「EP盤の存在」で、帳消しになります。

超多忙過ぎた彼らでしたが、前作同様にアルバム全曲新録で行けるだけの録音はしたのです。されど、サントラ盤でも在ると云う縛りから、キラーチューンをシングル盤でも出さなければならなかったっ。そして、更には、当時「第一期のピーク」に達してしまった「早熟の奇才:ジョン」は、どうしても全曲オリジナルで作りたかった。此のEPに収められた四曲中、三曲はカヴァーです。そして、唯一のオリジナルを書いたのはジョンでした。最早「ジョンの創作意欲を止める手だて」など無かった。

1964年に、確かにジョンは開花してしまったのでした。

そんなジョンを追うポールは、此のカヴァー曲で秘めたる己に能力に気付きます。なな、なんと、此の楽曲は「正真正銘の一発録り!」です。現在もCDで聴ける演奏と歌は、たった一回で終わったスタジオ・ライヴです。パーソネルは、ビートルズの四人とピアノ担当のジョージ・マーティンです。マーティンの「俺様もメムバーなら、、、」なる野望が達成された瞬間だったでしょう。そして、何よりもポールの叫びが素晴らしい。ズバリ云って、当時のポールは白人史上最高のハード・ロック・ヴォーカリストです。其の後も20代前半のポールを超える存在などいません。流石のレノンも舌を巻いたでしょう。そして、ニヤリと笑ったはずです。

「やっぱ、俺様が見初めただけあるぜっ!」と。

ポールは、オリジナルのリトル・リチャードの大ファンでした。そして、其の憧れの人とツアーを行う機会を得たのです。時は1962年、やっとメジャー・デビューが決まった頃のお話です。もう、ポールは最高の気分でした。挙げ句に、尊敬する神様に気に入られちゃったんですよ。けど、どーも噺がおかしくなって行きました。リトル・リチャードは、ポールが好みのタイプだったみたいです。そーです、彼は「真性『ウホッ』のひと」だったのです。ポールは「可愛いお尻を散々追っかけ回される事」となりました。そして、其の当時リトル・リチャードのバックでキーボードを担当していたのが、当時未だ10代だった「ビリー・プレストン」でした。一説によると、意気投合したビートルズ・サイドから「ビリーを五人目のメムバーにしたい」との要請が在った様です。既にスケジュールがいっぱいだったビリーは1962年には断ってしまうのですが、那奈年後に再会を果たすのでした。

「ドラマティックだナァ!」

当時のライヴでもラスト・ナムバーとして何度も演奏された楽曲ですので、此れも彼らのオリジナルだと思っている「新しいファン」もいるかもしれません。其れ程に、此処でのポールは神懸かっています。1973年に制作された「ジェームス・ポール・マッカートニー・ショウ」での「スタジオ・ライヴ」を、中学生の時に「世界のワンマンショー(NHK)」で観ました。ヴィデオなんて無い時代だったから、カセットテープに録音しながら、一瞬も見逃すまいと、固唾を飲んで観ていたんだよ。そして、ポールは最後に此の曲を歌った。

格好よかった。嬉しかった。シビレたよ。

そしてポールは現在でも「シャウト」をヤメません。壱度でも、彼のライヴを体験した片なら、彼もまたジョンに負けず劣らずの「ロケンローラー」だと分るはずです。てかさ、彼がやった事こそが「ロック」なんだよ。後に詳しく語るけど、例えば「YESTERDAY」「HEY JUDE」「LET IT BE」ってポール作の「ビートル・スタンダード」ってさ、今でこそ「スタンダード」って思われてますけど、発表時には「誰も考えつかなかった斬新過ぎる楽曲」だったんだよ。其れを普通の曲と認めさせてしまったのが、ビートルズなのよさ。てか、そんな事すら分からないなんて、余りにも不憫です。お話になりません。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-7

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年04月30日

FAB4-040:I CALL YOUR NAME

Mercy, Mercy, Mercy: A Collection メイキング・オブ・ア・ハード・デイズ・ナイト [DVD] If You Can Believe Your Eyes & Ears [12 inch Analog]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/1、10、6/4)、A.B.リンカーン(3/3)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年3月1日
 MONO MIX:1964年3月3日、4日、6月4日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」A-2)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とEP「LONG TALL SALLY」のレコーディングは、完全に同時進行で行われました。具体的には、1964年1月29日から6月2日までの三ヶ月余の期間です。映画も当然、同時に撮影していて、サントラ盤のA面には映画で使われる新曲を収めB面には其れ以外の新曲を入れる事になりました。余った曲が四曲入りのEP盤「LONG TALL SALLY」になるわけです。EP盤「LONG TALL SALLY」には、カヴァーが三曲と此のジョン・レノン作のオリジナルが弾かれましたが、実は「YOU CAN'T DO THAT」「I'LL CRY INSTEAD(僕が泣く)」と此の「I CALL YOUR NAME」の三曲も映画に使われる予定だったのです。ステレオ・ミックスが1964年3月10日に行われている事からも、間違いないでしょう。

「YOU CAN'T DO THAT」に関しては、実際に演奏シーンまで撮影され、其の場面には少年時代のフィル・コリンズが観客役のエキストラでバッチリ映っています。髪の毛もフサフサで、可愛い男の子なので俄に彼だとは気付かないかもしれません。(「MAKING OF A HARD DAY'S NIGHT(1994年制作)」で、禿げコリンズの自慢噺付きで観れます。アノ名言「最高だったよ!ビートルズにも逢えたし、弁当も出たし」の「弁当とビートルズが『等価』発言!」も飛び出す名作ドキュメンタリーですので、未見の片は是非とも御覧下さいナ☆)

三曲とも「みんなのアイドル」でも在った当時のビートルズにしては暗めで革新的なサウンドでした。そして、全部がジョンの曲です。此の曲が弾かれた理由は、タイトル曲である「A HARD DAY'S NIGHT」をギリギリになってジョンが書いて来たからでした。正に、此の頃のジョンは「神」でした。そして此の曲が、アルバムからまで弾かれてしまった理由は、此れが「セルフ・カヴァー曲」だったからなのかもしれません。そう、此の名曲は、何故か「ブライアン・エプスタイン」のお気に入りだった「BILLY J. KRAMER with THE DAKOTAS」によって、先に歌われてしまったのでした。ジョンから楽曲を最も提供されたのが彼らでした。ビリーって、歌が下手なのにナァ。何でかナァ。やっぱ、エプスタインが「ウホッ!」だからとしか思えませんです。

つまり、ビートルズは、同時進行で録音した楽曲から、カヴァーとセルフ・カヴァーを「EP」に収めたのです。其れ程に「A HARD DAY'S NIGHT」を「最初のオリジナル作品集にするぞっ!」って明確なる意志が、間違いなく、ジョンには在りました。彼らが「スカ・ビート」を取り入れるのは1968年の「OB-LA-DI, OB-LA-DA」が最初と云われていますが、実際には此の楽曲です。1964年に、ジョン・レノンは既にジャマイカン・ビートを自作で試みていたのです。本人がしっかりと証言しているので、偶然ではなく、確信犯的に「レゲ(かつてはこう云ったもんだった)」をやろうとした事が分ります。一般的には1970年代になってからブームが起こったと思われている「スカ」及び「レゲエ」ですが、実は1960年代初頭にも英国でプチ・ブームになっていた様です。そーゆー最新のリズムに飛びつくのが「ジョン・レノン」と云う奇才でした。其れは、後に「前衛音楽こそがビートルズの進むべき音楽だっ!」と宣言し、在ろう事か「REVOLUTION 9」のシングル化まで構想したエピソードからも伺えます。(其れは「革新的」杉!)

只、ジョン以外のメムバーに「其処までの革新性を求めるのは酷な話」だったので、此の曲に関しては何だか妙なミドル部分になっているのでした。其処で聴けるのは、ジョンの志を理解したポールとの「スカ・ビート」に、全く対応出来ないジョージとリンゴの「8ビート」なのです。「レノマカ」と他の二人の「音楽的センス」には、此の当時には「絶望的な格差」が在ったと理解出来るのが、此の曲の「不可思議なミドル部分」でしょう。ソロになってからレノンは、此の「中間部をいきなりレゲエにする」と云う大胆過ぎる試みに、再度挑戦します。約10年後に再チャレンジした其の楽曲は「MIND GAMES」と云います。

複雑な展開の楽曲だったからか、モノミックスとステレオミックスを合わせて五回もやっていますので、ミックス違いの宝庫でも在ります。印象的なカウベル(リンゴが担当)の入り方に特に大きな違いが聴き取れますので、色々と聴き比べれば楽しいと思いますよ。此の「ミックス違い道」とは、あたくしなんか「老後の楽しみのひとつ」として考えている位に「愉快痛快奇々怪々な世界」なんです。そして、EPとして発表された4曲も発売後の6月22日にステレオ・ミックスが作られているのが興味深いですね。此れはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」用に行われたわけで、つまりEPの4曲もアルバム収録候補だったのだと思われます。此の日にビートルズはニュージーランドのウェリントンでコンサートを行っていて立ち会っていません。帰って来たビートルズが、いやさ、レノン・マッカートニーが、もっと云ってしまえばジョン・レノンがEP用のカヴァー曲を外してアルバム曲を決めたのかもしれません。

ちなみに、最も「老後の楽しみ」にしたい「ビートルズ音源」は、当然「ゲバ」ですよっ!ええ「THE GET BACK SESSIONS」の全ロールを、にやにやみあみあしながら「1/2〜1/31」まで順番に聴くわけよ。楽しいぞぉ。ま、あんまり「オススメ出来ない遊び」だけどね(ぼそっ)。でもね、「スカ」と「8ビート」が不格好に絡み合うってのが、其の「崩れた感じ」こそが、実は彼らを「永遠の美女」にしたのだと思う。一寸だけ、抜けてた方が好いんです。完璧なんて、有り得ないのよさ。ビートルズって「未完成」なんですよ。彼らには「完璧な作品」なんて皆無です。何処かが抜けているんです。マヌケなのよさ。

でも、其れこそが、実は彼らの「最大の魅力」なんです。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-8

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 02:29| FAB4 | 更新情報をチェックする