
結成当時のローリング・ストーンズのリーダーは、ブライアン・ジョーンズでした。ブライアン・ジョーンズは黒人音楽に精通していて、ローリング・ストーンズはリズム&ブルースのカバーばかり演奏していました。ところが、メジャー・デビュー後にマネジャー兼プロデューサーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムは、ローリング・ストーンズもビートルズの様にオリジナルで勝負すべきだと考えて、メンバーにオリジナル曲を書く様に命令したのです。ブライアン・ジョーンズはオリジナル曲には興味がなかったので、アンドリュー・ルーグ・オールダムはミック・ジャガーとキース・リチャーズの二人に、ビートルズの「レノン=マッカートニー」の様に「ジャガー=リチャーズ」として共作する様に命じて、オリジナル曲を書かせたのです。ところが、始めの内は稚拙な曲しか書けなかったジャガー=リチャーズですが、1965年には「(I CAN'T GET NO)SATISFACTION」と云う傑作を書く様になり、1966年のアルバム「AFTERMATH」では全曲がジャガー=リチャーズ作のオリジナルで構成される程に成長してしまったのです。曲を書いているのはジャガー=リチャーズなのに、周りは未だにブライアン・ジョーンズをリーダー扱いしている事に、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは不満を持つ様になりました。しかしながら、ブライアン・ジョーンズは「楽器の天才」でマルチプレイヤーだったので、ジャガー=リチャーズ作の楽曲をアレンジ面では大いに支えていて、例えば「PAINT IT BLACK」でのシタール、「UNDER MY THUMB」でのマリンバ、「LADY JANE」でのダルシマー、「RUBY TUESDAY」でのリコーダー、「2000 LIGHT YEARS FROM HOME」でのメロトロン、等々、楽曲の魅力を決定づける楽器をローリング・ストーンズに導入しています。アンドリュー・ルーグ・オールダムはその貢献度を認めていたものの、ジャガー=リチャーズはそれ程には認めておらず、逆にひとりでギターを弾く機会が増えたキース・リチャーズは迷惑に思っていました。そして、アンドリュー・ルーグ・オールダムは1967年のシングル「WE LOVE YOU / DANDELION」を最後に、ローリング・ストーンズと袂を分かつ事となりました。
1968年12月6日に英国オリジナルでは7作目(米国では10作目)のアルバム「BEGGARS BANQUET」を、新たにジミー・ミラーのプロデュースで、デッカ/ロンドンからリリースしたローリング・ストーンズは、素早く同年12月10日から12日にかけてテレビ特番「ROCK AND ROLL CIRCUS」を制作しますが、それはお蔵入りしてしまいます。そのスタジオ・ライヴでは、早くも「YOU CAN'T ALWAYS GET WHAT YOU WANT」が演奏されていて、次作アルバム「LET IT BLEED」へと向かっていたのですが、バンドでの立場が悪くなったブライアン・ジョーンズはドラッグに溺れて、アルバム「LET IT BLEED」の制作中だった1969年6月に自分が創設したバンドであるローリング・ストーンズから解雇されてしまったのです。そして、同1969年7月3日に、ブライアン・ジョーンズはプールで水死しているところを発見されました。享年・27歳。ローリング・ストーンズは、新たに若き天才ギタリストだったミック・テイラー(当時は少女マンガの王子様みたいだった)をメンバーに加えて、同1969年7月5日にそのお披露目のフリー・コンサートをハイドパークで行ったのですが、ブライアン・ジョーンズの死を受けて急遽、追悼コンサートとして行われました。話は逸れますが、そのハイドパークでのライヴは映像作品になっているので観る事が出来るのですけれど、ライヴが終わった後に観衆の中でニヤけているポール・マッカートニーの姿がバッチリと映っています。丁度、ビートルズはアルバム「ABBEY ROAD」をレコーディング中だったのですけれど、7月5日は土曜日でレコーディングはお休みだったのですよ。折角のお休みなのに、ポールはローリング・ストーンズを観に行っていたわけですなあ。さて、ローリング・ストーンズのアルバムは1968年12月6日リリースの「BEGGARS BANQUET」からギタリストの交代もあって間が空いていて、全米ツアー前にヒット曲「JUMPIN' JACK FLASH」と「HONKY TONK WOMEN」も収録したアルバムを出したかったところに、ブライアン・ジョーンズの死を追悼すると云う大義名分も重なったので、2作目のベスト・アルバム「THROUGH THE PAST, DARKLY(BIG HITS VOL.2)」を1969年9月12日に、英国デッカからと米国ロンドンからリリースしました。
折角、1967年の英国オリジナルでは6作目(米国編集では9作目)のアルバム「THEIR SATANIC MAJESTIES REQUEST」から英米で同じ内容になったのに、このベスト・アルバム「THROUGH THE PAST, DARKLY(BIG HITS VOL.2)」は再び英米で別の選曲になっています。ジャケット写真は英米で同じですが、英国オリジナル盤では八角形の変型ジャケットとなっています。英国盤の内容は、A面が、1「JUMPIN' JACK FLASH」、2「MOTHER'S LITTLE HELPER」、3「2000 LIGHT YEARS FROM HOME」、4「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」、5「YOU BETTER MOVE ON」、6「WE LOVE YOU」で、B面が、1「STREET FIGHTING MAN」、2「SHE'S A RAINBOW」、3「RUBY TUESDAY」、4「DANDELION」、5「SITTIN' ON A FENCE」、6「HONKY TONK WOMEN」の、全12曲入りです。先ずは、英国オリジナル・アルバムには収録されていないシングル・ヒット曲が6曲(1968年「JUMPIN' JACK FLASH」、1967年「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」、1967年「WE LOVE YOU」、1967年「RUBY TUESDAY」、1967年「DANDELION」、1969年「HONKY TONK WOMEN」)もあります。更に、1967年の米国編集アルバム「FLOWERS」に収録されていた「SITTIN' ON A FENCE」(トワイス・アズ・マッチへの提供曲のデモ音源)も、英国では初収録です。他は1966年のアルバム「AFTERMATH」から「MOTHER'S LITTLE HELPER」、1964年のEP「THE ROLLING STONES」から「YOU BETTER MOVE ON」(英国アルバム初収録)、1968年のアルバム「BEGGARS BANQUET」から「STREET FIGHTING MAN」、1967年のアルバム「THEIR SATANIC MAJESTIES REQUEST」から2曲(「SHE'S A RAINBOW」、「2000 LIGHT YEARS FROM HOME」)と云った構成で、英国オリジナル・アルバムで集めている方々にとっては嬉しい選曲となっております。特に、米国編集アルバムがなくなった1967年のシングル曲「WE LOVE YOU」は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーも参加した重要な曲ですが、米国編集アルバムでは1972年の「MORE HOT ROCKS(BIG HITS & FAZED COOKIES)」まで聴けなかった曲です。この英国盤ベスト・アルバム「THROUGH THE PAST, DARKLY(BIG HITS VOL.2)」は、全英2位まで上がっています。
(小島イコ)
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