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2026年05月02日

「ポールの道」#1077「BEAT THE BEATLES」
#126「BETWEEN THE BUTTONS」US

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ローリング・ストーンズの英国での5作目のオリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」は、1967年1月20日にデッカからリリースされています。内容は、前回の繰り返しになりますが、A面が、1「YESTERDAY'S PAPERS」、2「MY OBSESSION」、3「BACK STREET GIRL」、4「CONNECTION」、5「SHE SMILED SWEETLY」、6「COOL, CALM & COLLECTED」で、B面が、1「ALL SOLD OUT」、2「PLEASE GO HOME」、3「WHO'S BEEN SLEEPING HERE?」、4「COMPLICATED」、5「MISS AMANDA JONES」、6「SOMETHING HAPPEND TO ME YESTERDAY」の、全12曲入りです。英国オリジナル・アルバムにはヒット・シングル曲を収録しておらず、トータル・アルバムを目指していたと思われる内容でした。ところが、米国ロンドンでの7作目の編集アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」は、同1967年2月10日にリリースされていて、内容は、A面が、1「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」、2「YESTERDAY'S PAPERS」、3「RUBY TUESDAY」、4「CONNECTION」、5「SHE SMILED SWEETLY」、6「COOL, CALM & COLLECTED」で、B面が、1「ALL SOLD OUT」、2「MY OBSESSION」、3「WHO'S BEEN SLEEPING HERE?」、4「COMPLICATED」、5「MISS AMANDA JONES」、6「SOMETHING HAPPEND TO ME YESTERDAY」の、全12曲入りになっています。英国オリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」から「BACK STREET GIRL」と「PLEASE GO HOME」の2曲を抜いて、結果的には両A面シングルとなった「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」と「RUBY TUESDAY」の2曲を加えて、更に曲順を変更しています。「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」がセックスを連想させるとして「エド・サリヴァン・ショー」では「LET'S SPEND SOMETIME TOGETHER」と歌詞を変えて歌われたりもしましたが、無難な「RUBY TUESDAY」の方が売れて、全米首位!となっています。

問題は、この英国オリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」と米国編集アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」は、タイトルもジャケット写真も同じなのに、それぞれで収録曲が違っている点です。ビートルズの英国オリジナル・アルバム「REVOLVER」全14曲入りを、米国編集アルバム「REVOLVER」では3曲抜いただけの全11曲入りにされた程の手抜き編集ではありませんが、既にトータル・アルバムを意識していたローリング・ストーンズにしてみれば、英米で同じタイトルと同じジャケットなのに内容が違っているのでは困ったちゃんだったでしょう。米国編集アルバムは全米2位まで上がっていて、抜かれた2曲(「BACK STREET GIRL」、「PLEASE GO HOME」)は、米国ロンドン編集アルバムでは8作目で最後となる「FLOWERS」に収録されるのですが、その編集アルバム「FLOWERS」と云うのが、これまた酷い選曲で、それに関しては次回で取り上げますけれど、ひとことで云えば、ビートルズの米国編集アルバム「YESTERDAY AND TODAY」も腰を抜かす程に滅茶苦茶な事となるのです。この英国オリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」と米国編集アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」は、実質的にはアンドリュー・ルーグ・オールダムが最後にプロデュースしたアルバムとなっていて、米国では次作の編集アルバム「FLOWERS」もアンドリュー・ルーグ・オールダムがプロデューサーとして名前が載っているものの、その収録曲は全てが英国オリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」以前の音源を集めたものなのです。故に、アンドリュー・ルーグ・オールダムとローリング・ストーンズの蜜月期間は、このアルバム「BETWEEN THE BUTTONS」で終わっています。アンドリュー・ルーグ・オールダムは、シングル曲を中心にしたプロデュースを行っていたので、それまでの米国編集アルバムも意味があるものとなっていたのですが、英国オリジナル・アルバム「BETWEEN THE BUTTONS」の頃には、ローリング・ストーンズは独り立ちしていたので、両者に齟齬が生まれていました。

ローリング・ストーンズは、元々はブライアン・ジョーンズがリーダーのバンドで、R&Bのカバーばかり演奏していました。ところが、アンドリュー・ルーグ・オールダムがマネジャーになって、実質的にはブライアン・ジョーンズを名ばかりのリーダーにしてしまい、ジャガー=リチャーズにオリジナル曲を書かせて、ミック・ジャガーをフロントマンにしてしまったのです。アマチュア時代から音楽的な才能はブライアン・ジョーンズが最も秀でていて、実際にジャガー=リチャーズによるオリジナル曲も、ブライアン・ジョーンズが多彩な楽器を演奏する事で他のバンドよりも個性が強くなっていました。しかしながら、ジャガー=リチャーズがアルバムの全ての曲を書く様になった1966年のアルバム「AFTERMATH」の頃になると、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは自分たちが曲を書いているのに、依然としてブライアン・ジョーンズがリーダーとされている事を不満に思う様になったのです。ブライアン・ジョーンズがマルチプレイヤーとして活躍していたのも、アンドリュー・ルーグ・オールダムは認めていたものの、ジャガー=リチャーズにとってはそれ程には貢献度を感じてはおらず、キース・リチャーズはひとりでギターを弾く事になって負担が増えて嫌気がさしていました。ブライアン・ジョーンズは、ビートルズのメンバーとも特に仲が良くて、例えば「PAINT IT BLACK」でシタールを弾いているのは、ジョージ・ハリスンの家に遊びに行ったらシタールがあったので、一寸貸してもらって我流で弾いてしまったのです。1966年にはビートルズの「YELLOW SUBMARINE」のセッションに参加して、バックヴォーカルと効果音を担当していて、1967年(リリースは1970年)にはビートルズの「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」のセッションでサックスを担当しています。ビートルズからの紹介もあったのか、1968年にはピーター&ゴードンやマッゴー&マクギア(どちらもポール・マッカートニーの身内がメンバー)のレコーディングにも参加していて、ドラムスやサックスを演奏しています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする