
1960年代の初期から中期にかけてのローリング・ストーンズは、マネジャーでプロデューサーでもあったアンドリュー・ルーグ・オールダムの存在なしには語れません。アンドリュー・ルーグ・オールダムは、ビートルズのマネジャーだったブライアン・エプスタインの元で働いていた事もあって、ブライアン・エプスタインがリーゼントに皮ジャンの不良スタイルだったビートルズを、お揃いのスーツにマッシュルーム・カットの優等生スタイルに変えて売り出したのを見て、逆にローリング・ストーンズを不良スタイルにして売り出しました。他にも、オリジナル・メンバーだったピアノ担当のイアン・スチュワートを、ルックスが悪いからと正式メンバーから外したり、リーダーだったブライアン・ジョーンズではなくミック・ジャガーをフロントマンに抜擢したり、ジョン・レノンとポール・マッカートニーをローリング・ストーンズに紹介して、目の前でレノン=マッカートニーに曲を書かせて、ジャガー=リチャーズにもオリジナル曲を書く様に強要したりしました。そうして、まんまとローリング・ストーンズを「ビートルズの公式ライバル」に仕立て上げたのです。それで疑問なのは、アンドリュー・ルーグ・オールダムには何故にそれ程の権限があったのか、と云う事です。アンドリュー・ルーグ・オールダムがローリング・ストーンズのマネジャーになったのは19歳の時で、ローリング・ストーンズのメンバーよりも若造だったのですけれど、そうして自分たちがアマチュア時代に積み上げてきたイメージを一新させられて、文句が出なかったのが不思議です。ジャガー=リチャーズを曲が書けるまでキッチンに閉じ込めたなどとも云われていて、何故に二人はそんなジャイアンみたいなアンドリュー・ルーグ・オールダムに従ったのでしょうか。ビル・ワイマンは既にアラサーだったわけで、8歳も若いひよっこにやりたい放題やられて内心は面白くなかったでしょう。そして、アンドリュー・ルーグ・オールダムはマネジャーを務めるだけではなく、ローリング・ストーンズの1964年から1967年にかけてのアルバムをプロデュースも務めていて、ビートルズで云ったならば、ブライアン・エプスタインとサー・ジョージ・マーティンの両方の役割を担っていたのです。
アンドリュー・ルーグ・オールダムは、ブライアン・エプスタインに憧れると云うよりも、フィル・スペクターに憧れていて、実際にフィル・スペクターやフィレスのアレンジャーだったジャック・ニッチェをローリング・ストーンズのレコーディング・セッションに招いていて、時には参加してもらってもいます。それで、自らが指揮を取った「アンドリュー・オールダム・オーケストラ」を率いて、ローリング・ストーンズの楽曲を中心としたインストゥルメンタル・アルバムをリリースしています。アンドリュー・オールダム・オーケストラは、実体がないオーケストラで、正体はローリング・ストーンズのメンバーを含めたスタジオ・ミュージシャンによる流動的な架空の楽団でした。1964年10月にエースからアルバム「16 HIP HITS」全16曲入りを、同1964年10月にデッカからアルバム「LIONEL BART'S MAGGIE MAY」全12曲入りを、翌1965年にパロットからアルバム「EAST MEETS WEST」全12曲入り(フォー・シーズンズとビーチ・ボーイズのカバー)を、そして1966年6月にロンドンからアルバム「THE ROLLING STONES SONGBOOK」全11曲入りと、4作のアルバムをリリースしています。ローリング・ストーンズの楽曲に特化したアルバム「THE ROLLING STONES SONGBOOK」に、それまでのアルバムでのローリング・ストーンズ関連の曲を加えた1CDの「THE ANDREW OLDHAMM ORCHESTRA THE ROLLING STONES SONGBOOK」が1989年にデラムからリリースされているので紹介します。内容は、1「(I CAN'T GET NO)SATISFACTION」、2「BLUE TURNS TO GREY」、3「YOU BETTER MOVE ON」、4「TIME IS ON MY SIDE」、5「HEART OF STONE」、6「AS TEARS GO BY」、7「PLAY WITH FIRE」、8「THEME FOR ROLLING STONES」、9「TELL ME(YOU'RE COMING BACK)」、10「CONGRADULATIONS」、11「THE LAST TIME」、12「MEMPHIS TENNESSEE」、13「I WANNA BE YOUR MAN」、14「THERE ARE BUT FIRE ROLLING STONES」、15「365 ROLLING STONES(ONE FOR EVERYDAY OF THE YEAR)」、16「OH, I DO LIKE TO SEE ME ON THE ‘B’ SIDE」、17「DA DOO RON RON」、18「FUNKY AND FLEOPATRA」の、全18曲入りです。
全てがインストゥルメンタルではなく、クリスタルズのカバー「DA DOO RON RON」ではミック・ジャガーのやる気がないヴォーカルが聴けたり、「365 ROLLING STONES(ONE FOR EVERYDAY OF THE YEAR)」ではブライアン・ジョーンズの掛け声が聴こえたりします。これらのアンドリュー・オールダム・オーケストラの音源が再評価されたのは、1997年にヴァーヴが「BITTER SWEET SYMPHONY」にアンドリュー・オールダム・オーケストラ盤の「THE LAST TIME」をサンプリングして(と云うよりもループした音源をカラオケとして使用して)それが大ヒットしたからです。そして、アンドリュー・オールダム・オーケストラは、変名の「アランビー・ポップ・シンフォニー・オーケストラ」としても、1966年に自らのレーベルであるイミディエイトからアルバム「THE ARANBEE POP SYMPHONY ORCHESTRA UNDER THE DIRECTION OF KEITH RICHARD」をリリースしています。この変名アルバムは、タイトルにもある様にキース・リチャーズがプロデュースしていて、ローリング・ストーンズのアルバムとは立場が逆転しています。内容は、1「THERE'S A PLACE」、2「RAG DOLL」、3「I GOT YOU BABE」、4「WE CAN WORK IT OUT」、5「PLAY WITH FIRE」、6「MOTHER'S LITTLE HELPER」、7「IN THE MIDNIGHT HOUR」、8「TAKE IT OR LEAVE IT」、9「SITTIN' ON A FENCE」、10「I DON'T WANT TO GO ON WITHOUT YOU」の、全10曲入りです。ビートルズ(ジャケットにも登場)のカバーが2曲(「THERE'S A PLACE」、「WE CAN WORK IT OUT」)、ローリング・ストーンズのカバーが4曲(「PLAY WITH FIRE」、「MOTHER'S LITTLE HELPER」、「TAKE IT OR LEAVE IT」、「SITTIN' ON A FENCE」)、フォー・シーズンズのカバーが1曲(「RAG DOLL」)、ソニー&シェールのカバーが1曲(「I GOT YOU BABE」)、ウィルソン・ピケットのカバーが1曲(「IN THE MIDNIGHT HOUR」)、ムーディー・ブルースのカバーが1曲(「I DON'T WANT TO GO ON WITHOUT YOU」)で、アンドリュー・オールダム・オーケストラよりも、よりクラシック調のアレンジになっています。その辺が、実は聖歌隊出身のキース・リチャーズらしい上品な味なのでしょう。
(小島イコ)
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