nana.812.png

2026年03月04日

「ポールの道」#1021「BEAT THE BEATLES」
#070「A POSTCARD FROM CALIFORNIA」

aljardin.jpg


ビーチ・ボーイズのオリジナル・メンバーは、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンのウィルソン3兄弟に、彼らの従兄弟であるマイク・ラヴ、そして、アル・ジャーディンの5人です。つまり、アル・ジャーディンだけが身内ではありませんでした。アル・ジャーディンは、ハイスクールのフットボール・チームにブライアン・ウィルソンと共に所属していた友人で、身内4人で結成されたバンドにひとりだけ他人として加わっています。ビートルズが、幾らガキの頃からの付き合いだったとは云え元々は赤の他人だったのと違って、ビーチ・ボーイズはマネジャーでウィルソン3兄弟の父親のマリー・ウィルソンも居た「同族バンド」だったわけで、ひとりだけ他人と云うのは色々と気を遣ったと思われます。しかしながら、デビュー曲「SURFIN'」でベースを演奏しているものの、歯科医になる為の学業に専念しよう
と、ビーチ・ボーイズの1962年のデビュー・アルバム「SURFIN' SAFARI」と1963年の2作目のアルバム「SURFIN' U.S.A.」には参加せずに、1963年の3作目のアルバム「SURFER GIRL」から復帰しています。その間には代わりにウィルソン家の隣人だったデイヴィット・マークス(当時13歳)が参加していて、アル・ジャーディンの復帰と前後して、デイヴィッド・マークスは素行不良でビーチ・ボーイズから追い出されています。アル・ジャーディンとしては、成功するかどうか分からない音楽業界に進むよりも、堅実な仕事を選んだのでしょうし、歯科医を目指していたのですから頭も良いのでしょう。それに、オリジナル・メンバーで唯一の他人だった事もあって、冷静にビーチ・ボーイズを見ていたのでしょう。ビーチ・ボーイズに復帰してからは、1965年に全米首位!となった「HELP ME, RHONDA」でリード・ヴォーカルを担当していたり、1966年に「SLOOP JOHN B.」をカバーする様にブライアン・ウィルソンに提言したり、1973年のアルバム「HOLLAND」で組曲「CALIFORNIA SAGA」を書いたり、1978年のアルバム「M.I.U. ALBUM」を共同プロデュースしたり、1979年に自作曲「LADY LYNDA」が全英7位と大ヒットしたり、充分にグループに貢献していました。

1998年2月6日にカール・ウィルソンが亡くなって、ビーチ・ボーイズが3分裂した後で、アル・ジャーディンは「ビーチ・ボーイズ・ファミリー&フレンズ」を結成してライヴ活動を開始したのですが、「ビーチ・ボーイズ」の商標を持つマイク・ラヴに訴訟を起こされて「アル・ジャーディン・ファミリー&フレンズ」と改名しました。そのメンバーには、マット・ジャーディンとアダム・ジャーディンの息子二人に加えて、ビリー・ヒンチ、エド・カーター、ボビー・フィゲロア、と云ったビーチ・ボーイズのライヴ・サポート・メンバーや、ブライアン・ウィルソンの娘であるカーニー・ウィルソンとウェンディ・ウィルソンまで参加していました。それだけ「マイク・ラヴとブルース・ジョンストンのビーチ・ボーイズ」には行かずに、ビーチ・ボーイズに所縁があるメンバーが集まると云う事は、つまり、アル・ジャーディンには人望もあるのでしょう。その「アル・ジャーディン・ファミリー&フレンズ」は、2001年10月に初のライヴ・アルバム「LIVE IN LAS VEGAS」をリリースしていて、内容は、1「DANCE, DANCE, DANCE」、2「DO YOU WANNA DANCE?」、3「CATCH A WAVE」、4「HAWAII」、5「DO IT AGAIN」、6「DARLIN'」、7「WILD HONEY」、8「COME GO WITH ME」、9「SURFER GIRL」、10「DON'T WORRY BABY」、11「SHUT DOWN」、12「LITTLE DEUCE COUPE」、13「I GET AROUND」、14「IN MY ROOM」、15「GIRL DON'T TELL ME」、16「BREAK AWAY」、17「SAIL ON, SAILOR」、18「GOD ONLY KNOWS」、19「SLOOP JOHN B.」、20「WOULDN'T IT BE NICE」、21「GOOD VIBRATIONS」、22「HEROES AND VILLAINS」、23「HELP ME, RHONDA」、24「SURFIN' U.S.A.」、25「BARBARA ANN」、26「FUN, FUN, FUN」、27「CALIFORNIA ENERGY BLUES」の全27曲入りで、最後の新曲「CALIFORNIA ENERGY BLUES」以外は、当時の懐メロ・ライヴ音源です。しかしながら、マイク・ラヴとブルース・ジョンストンのビーチ・ボーイズでは演奏しない曲もやっています。

そして、2010年6月19日に、アル・ジャーディンは遂に初のソロ・アルバム「A POSTCARD FROM CALIFORNIA」を、先ずは配信でリリースして、2012年になってCD化されました。内容は、1「A POSTCARD FROM CALIFORNIA」、2「CALIFORNIA FEELIN'」、3「LOOKING DOWN THE COAST」、4「DON'T FIGHT THE SEA」、5「TIDEPOOL INTERUDE」、6「CAMPFIRE SCENE」、7「A CALIFORNIA SAGA」、8「HELP ME, RHONDA」、9「SAN SIMEON」、10「DRIVIN'」、11「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」、12「CALIFORNIA DREAMIN’」、13「AND I ALWAYS WILL」の、全13曲入りで、CDには、14「WAVES OF LOVE」、15「SLOOP JOHN B.」が、日本盤CDには、14「WAVES OF LOVE」、15「ETERNAL BALLAD」が、それぞれボーナス・トラックで収録されています。兎に角、ゲストが豪華で、1「A POSTCARD FROM CALIFORNIA」と、12「CALIFORNIA DREAMIN’」にはグレン・キャンベルが、4「DON'T FIGHT THE SEA」にはレコーディングの時期こそ違っているものの、ブライアン・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、ブルース・ジョンストンが、5「TIDEPOOL INTERUDE」にはアレック・ボールドウィンが、6「CAMPFIRE SCENE」にはニール・ヤングが、7「A CALIFORNIA SAGA」にはニール・ヤング、デイヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルスが、8「HELP ME, RHONDA」にはスティーヴ・ミラーが、9「SAN SIMEON」にはアメリカのデューイ・バネル、ジェリー・ベックリーが、10「DRIVIN'」にはブライアン・ウィルソンとデイヴィッド・マークスが、11「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY」にはブライアン・ウィルソンが、14「WAVES OF LOVE」にはカール・ウィルソンが、それぞれ参加しています。2「CALIFORNIA FEELIN'」は、ブライアン・ウィルソンも2002年にレコーディングしていて、3「LOOKING DOWN THE COAST」もビーチ・ボーイズの未発表曲を元にしていて、ビーチ・ボーイズの再演も含む渾身の出来栄えで、ゲスト陣を見ただけでもアル・ジャーディンは人望が厚いと分かります。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする