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2025年10月13日
ビートルズが解散状態になった1970年から1973年にかけて、ジョージ・ハリスンは「ビートルズが解散して最も得をした男」と称されていました。それは、いきなり3枚組のアルバム「ALL THINGS MUST PASS」を1970年11月にリリースして、全英首位!・全米首位!となり、シングル・カットした「MY SWEET LORD」も全英首位!・全米首位!となり、翌1971年8月1日には「バングラデシュ・コンサート」を主宰して、同年12月にリリースしたライヴ・アルバムも全英首位!・全米2位となり、グラミー賞を獲得して、1973年5月にはアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」をリリースして全英2位・全米首位!となり、シングル・カットした「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」も全英8位・全米首位!と大ヒットさせたからです。しかしながら、その後は失速して、ファン以外には「あの人は今」状態になっていた1987年11月リリースのアルバム「CLOUD NINE」が全英10位・全米8位となり、シングル・カットした「GOT MY MIND SET ON YOU」が全英2位・全米首位!となり大復活したのです。アルバム「ALL THINGS MUST PASS」は、ビートルズ時代に書いていながらレノン=マッカートニー作品に阻まれてビートルズとしては採用してもらえなかった楽曲を中心にしている(ジョージが「THE ART OF DYING」は1966年リリースのアルバム「REVOLVER」の頃に書いたと云っている)ので、5年分位のストックがありました。大復活したアルバム「CLOUD NINE」も、その前作で1982年10月にリリースしたアルバム「GONE TROPPO」から5年も間を開けて制作されているのです。つまり、ジョージはそれだけのストックがあれば、万人が認めるアルバムを作る事が出来るわけです。さて、事実上はビートルズ解散後の4人のレア・トラックを集めた「SUPERSTOCK」から2021年にリリースされた「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY」の、今回はジョージ・ハリスン編です。
内容は、CD1が、1「MY SWEET LORD」、2「WHAT IS LIFE」、3「LET IT ROLL(BALLAD OF SIR FRANKIE CRISP)」、4「APPLE SCRUFFS」、5「AWAITING ON YOU ALL」、6「THE ART OF DYING」、7「IT DON'T COME EASY」、8「NOWHERE TO GO」、9「GET BACK」、10「YOU」、11「IF NOT FOR YOU」、12「COME ON IN MY KITCHEN」、13「BANGLADESH」、14「DEEP BLUE」、15「MISS O'DELL」、16「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」、17「DARK HORSE」、18「I DON'T CARE ANYMORE」、19「DING DONG, DING DONG」、20「HARI'S ON TOUR」、21「FOR YOU BLUE」、22「THIS GUITAR(CAN'T KEEP FROM CRYING)」の、全22曲入りです。1「MY SWEET LORD」〜6「THE ART OF DYING」の6曲は、1970年11月リリースの「ロックの金字塔」であるアルバム「ALL THINGS MUST PASS」からの楽曲で、1「MY SWEET LORD」はスライド・ギターなどが入っていない初期ミックスで、2「WHAT IS LIFE」はステレオ・リミックスで、4「APPLE SCRUFFS」はアコースティック・ギターとハーモニカのボブ・ディラン・スタイルでのデモ音源で、3「LET IT ROLL(BALLAD OF SIR FRANKIE CRISP)」と、5「AWAITING ON YOU ALL」と、6「THE ART OF DYING」の3曲はアウトテイクです。7「IT DON'T COME EASY」は1971年4月にリリースされたリンゴ・スターのソロ・シングルですが、コレはジョージが歌っているヴァージョンで、女性コーラスが「ハリ・クリシュナ!」と歌っています。この動かぬ証拠が出たからなのか、リンゴは単独作だとクレジットしているものの、後にジョージとの共作だと白状しています。
8「NOWHERE TO GO」は、1968年にボブ・ディランとジョージが共作した曲で、アルバム「ALL THINGS MUST PASS」のアウトテイクです。9「GET BACK」はポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作品で、ジョージが歌っています。コレは1970年か1971年のアウトテイクでしょう。10「YOU」は1971年にロネッツのロニー・スペクター用に書いてボツになり、1975年9月リリースのアルバム「EXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)(ジョージ・ハリスン帝国)」に収録されてシングル・カットもされた曲のアウトテイクで、まだ歌詞が完成していません。11「IF NOT FOR YOU」は、ボブ・ディランが1970年のアルバム「NEW MORNING」に収録して、ジョージも1970年のアルバム「ALL THINGS MUST PASS」に収録した曲で、コレは1971年のジョージとディランによるライヴ・リハーサル音源で、12「COME ON IN MY KITCHEN」(レオン・ラッセル作で歌ってもいる)も、1971年のライヴ・リハーサル音源です。これらは「バングラデシュ・コンサート」のリハーサルでしょう。13「BANGLADESH」と、14「DEEP BLUE」は、1971年7月リリースのシングル両面のシングル・ヴァージョンで、現在ではアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」のボーナス・トラックで聴けますが、両面共にアルバム未収録曲でした。「BANGLADESH」はチャリティー曲で、「DEEP BLUE」は亡くなった母親に捧げた曲です。15「MISS O'DELL」と、16「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」は、1973年のシングルでどちらも別ヴァージョンです。「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」はアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」でも聴けますが、「MISS O'DELL」はやはり現在はボーナス・トラックで聴けるものの、アルバム未収録曲で、公式盤ではジョージが笑いながら歌っていますが、こちらの別テイクでは笑いません。
17「DARK HORSE」と、18「I DON'T CARE ANYMORE」と、19「DING DONG, DING DONG」の3曲は、1974年12月リリースのアルバム「DARK HORSE」からのシングルで、全てがシングル・ヴァージョンです。「I DON'T CARE ANYMORE」はアルバム未収録曲ですし、他の2曲もアルバム・ヴァージョンとは違っていて短く編集しています。20「HARI'S ON TOUR」と、21「FOR YOU BLUE」の2曲は、1974年11月から12月に行われた「北米ツアー」からのライヴ音源で、当時は評論家に叩かれてジョージがライヴ恐怖症となり1991年12月の日本公演まで17年もツアーを止めてしまったのですけれど、北米ツアーを観に行ったジョン・レノンが「云われている程には酷くなかった」と云っているし、ブートレグで聴くと結構良い感じなので、ダニーくんに頑張ってもらってライヴ・アルバムを出して欲しいものですなあ。ここまでは、まだ法的にはビートルズが解散していなかった時期です。22「THIS GUITAR(CAN'T KEEP FROM CRYING)」は、1975年9月リリースのアルバム「EXTRA TEXTURE(READ ALL ABOUT IT)」からの曲で、コレはシングル・ヴァージョンで、ビートルズ時代の「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」の続編です。CD2は、1「THIS SONG」、2「LEARNING HOW TO LOVE YOU」、3「HERE COMES THE SUN」、4「HOMEWARD BOUND」、5「BLOW AWAY」、6「LOVE COMES TO EVERYONE」、7「HERE COMES THE MOON」、8「TEARDROPS」、9「SAVE THE WORLD」、10「THAT’S THE WAY IT GOES」、11「I DON'T WANT TO DO IT」、12「GOT MY MIND SET ON YOU」、13「WHEN WE WAS FAB」、14「RIDE RAJBUN」、15「CHEER DOWN」、16「POOR LITTLE GIRL」、17「ANY ROAD」、18「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA」、19「HORSE TO THE WATER」、20「ALL THINGS MUST PASS」の、全20曲入りで合計42曲入りです。
1「THIS SONG」と、2「LEARNING HOW TO LOVE YOU」の2曲は、1976年11月リリースのアルバム「THIRTY THREE & 1/3」からの曲で、盗作裁判を茶化した「THIS SONG」はシングル・ヴァージョンで、「LEARNING HOW TO LOVE YOU」は初期ミックスで、この曲はシングル「THIS SONG」のB面にもなっています。3「HERE COMES THE SUN」と、4「HOMEWARD BOUND」の2曲は、1976年のテレビ番組「サタデー・ナイト・ライヴ」でのポール・サイモンとの共演ライヴ音源で、ビートルズの「HERE COMES THE SUN」と、サイモン&ガーファンクルの「HOMEWARD BOUND」をアコースティック・ギター2本で披露しています。5「BLOW AWAY」と、6「LOVE COMES TO EVERYONE」と、7「HERE COMES THE MOON」の3曲は、1979年2月リリースのアルバム「GEORGE HARRISON(慈愛の輝き)」からの曲で、「BLOW AWAY」はデモ音源で、「LOVE COMES TO EVERYONE」はシングル・ヴァージョンで、「HERE COMES THE MOON」はフェイドアウトが早いヴァージョンで、「HERE COMES THE MOON」は「HERE COMES THE SUN」のセルフ・パロディです。ジョージは1978年に、ラトルズのテレビ番組にも出演しています。8「TEARDROPS」と、9「SAVE THE WORLD」の2曲は、1981年5月リリースのアルバム「SOMEWHERE IN ENGLAND」からの曲で、「TEARDROPS」はシングル・ヴァージョンで、「SAVE THE WORLD」はリミックス音源です。10「THAT’S THE WAY IT GOES」は1982年10月リリースのアルバム「GONE TROPPO」からの曲のリミックス音源で、11「I DON'T WANT TO DO IT」は1985年の映画「ポーキーズ・リヴェンジ」のサントラ盤に収録されたボブ・ディランが書いた曲で、コレはアルバムとはミックス違いのシングル・ヴァージョンです。
12「GOT MY MIND SET ON YOU」と、13「WHEN WE WAS FAB」の2曲は、1987年11月リリースのアルバム「CLOUD NINE」からの曲で、全米首位!となった「GOT MY MIND SET ON YOU」は12インチ盤のロング・ヴァージョンで、ビートルズのセルフ・パロディの「FAB」は12インチ盤やシングルCDに収録された「リヴァース・エンド・ヴァージョン」です。14「RIDE RAJBUN」は1992年の子ども向けテレビ番組から派生したアルバム「THE BUNBURY TAILS」に提供したインド風の楽曲で、ラヴィ・シャンカール先生によるシタールに乗せてジョージが息子のダニーくんと歌っています。15「CHEER DOWN」と、16「POOR LITTLE GIRL」の2曲は、1989年10月リリースのベスト・アルバム「BEST OF DARK HORSE 1976-1989」に新曲として収録された曲で、映画「リーサルウェポン2」の主題歌である「CHEER DOWN」は、1989年8月に米国でシングルでリリースされたシングル・ヴァージョンで、「POOR LITTLE GIRL」は1989年11月に英国でリリースされたシングル「CHEER DOWN」にカップリングされたシングル・ヴァージョンです。「CHEER DOWN」は、ジョージの傑作のひとつでしょう。そして、ジョージは2001年11月29日に亡くなりました。17「ANY ROAD」と、18「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA」の2曲は、ジョージの死後の2002年11月にリリースされた遺作アルバム「BRAINWASHED」からの曲で、「ANY ROAD」はアコースティック・ヴァージョンで、「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA」はオリジナル・ミックスです。19「HORSE TO THE WATER」は、2001年にジョージが生前最後にレコーディングした曲で、テレビ番組「ジュールズ倶楽部」で有名なジュールズ・ホーランドのアルバムに収録された曲のリミックス音源で、最後の20「ALL THINGS MUST PASS」は2020年リミックス音源です。中には怪しい音源もあるものの、レアなシングル・ヴァージョンを多く収録した好編集アルバムになっています。
ちなみに、ジョージ・ハリスンの公式盤でのベスト・アルバムは、3作リリースされています。1作目は1976年11月にアップルからリリースされた「THE BEST OF GEORGE HARRISON」全13曲入りですが、レコードだとA面の7曲がビートルズ時代の曲で、B面の6曲がソロの曲と云う、屈辱的な内容でした。ジョージにはアップル時代に8曲のシングル・ヒット曲があったので、普通はソレに4曲位を足してリリースするところですが、アップルは「ジョージのソロじゃ売れない」と判断したのです。2作目のベスト・アルバムは、1989年10月にダーク・ホースからリリースされた「BEST OF DARK HORSE 1976-1989」で、ダーク・ホース時代の全15曲をジョージ自身で選曲しています。新曲が3曲収録されていて、曲順も年代順ではなくジョージが決めていて、ベスト・アルバムの鑑の様な内容です。3作目は、ジョージの死後になって2009年6月に「ダーク・ホース/パーロフォン/アップル」からリリースされた「LET IT ROLL」です。コレはオリヴィアさんが選曲したと云われているのですが、所謂ひとつの「オールタイム・ベスト・アルバム」で、レーベルを越えた選曲にはなっている全19曲入りです。ソレは良いのですけれど、またしてもビートルズ時代の3曲(「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」、「SOMETHING」、「HERE COMES THE SUN」)を「バングラデシュ・コンサート」のライヴ音源で入れていたり、選曲も偏りが多くて、1曲も選ばれていないアルバムが多過ぎます。本当にオリヴィアさんが選曲したの?と疑問に思う様な内容で、今更ビートルズ・ナンバーに頼らなくたってベスト・アルバム位作れるでしょう、と云う話です。公式盤でソレを出来ないから、この「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY」の様なブートレグがやっているわけですよ。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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2025年10月12日
ポール・マッカートニーは、大体10年位の間を開けてベスト・アルバムをリリースしています。1作目の1978年11月にリリースしたベスト・アルバム「WINGS GREATEST」は全12曲入りで、レコードだと60分位詰め込まれていましたが、まだウイングスを結成する前の「ANOTHER DAY」がA面1曲目で、やはりウイングス以前の「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」がB面1曲目と云う、天然バカボン全開の選曲でした。実は、このアルバムは「HOT HITZ - KOLD KUTZ」と云う2枚組の構想で、1枚目がベスト・アルバムで、2枚目は未発表音源集だったのですけれど、レコード会社に反対されてベスト・アルバムだけになっています。2作目は1987年11月リリースの「ALL THE BEST!」で、レコードは2枚組で全20曲入りで、CDは1枚で全17曲入りです。コレはCDの選曲が英国盤と日本盤は同じですが、米国盤は違っていて、個人的にはこの米国盤が最も好きなポールのベスト・アルバムです。内容は1970年から1987年までの大ヒット曲を集めている文句なしのベスト・アルバムですし、英国盤と日本盤には新曲「ONCE UPON A LONG AGO」も入っているので、コレは米国盤と両方買うべきでしょう。1989年からは再びワールド・ツアーを開始して、それが2025年の現在まで続いているのも驚嘆すべき事ですけれど、ビートルズ時代も含めたベスト・ヒット・ライヴ・アルバムをリリースする様になったので、3作目のベスト・アルバムは2001年5月にリリースされた「WINGSPAN: HITS AND HISTORY」です。コレはCD2枚組全40曲(日本盤は41曲)入りで、CD1が「HITS」で、CD2が「HISTORY」となっていて、タイトル通りにウイングス時代の曲が中心ではあるものの、ソロの曲も混じっています。4作目は2016年6月にリリースされたベスト・アルバム「PURE McCARTNEY」で、CD4枚組全67曲入りです。
ベスト・アルバムがCD4枚組で全67曲入りと云う、俄かには信じられない領域に入っているのが、サー・ポール・マッカートニーなのですけれど、来るべき2025年11月7日に、5作目のベスト・アルバム「WINGS」がリリースされます。CD2枚組の全32曲入りで、コレは正真正銘の「ウイングスのベスト・アルバム」です。ウイングスの実質的な活動期間は、1971年から1979年なのですけれど、ズバリ云って、ポールが大ヒット曲を連発していたのはウイングス時代です。ウイングスと云うバンドは、ポールとリンダ・マッカートニーとデニー・レインの3人以外のメンバーが何度も代わって、同じメンバーでは1枚ずつしかアルバムをリリース出来なかった、完全なるポールのワンマン・バンドです。さて、前置きが長くなりましたが、前回のジョン・レノン編に続いて、今回は2021年に「SUPERSTOCK」からリリースされた2CDのブートレグ「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY PAUL McCARTNEY」を紹介します。内容は、CD1が、1「MAYBE I'M AMAZED」、2「ANOTHER DAY」、3「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」、4「UNCLE ALBERT JAM」、5「EAT AT HOME」、6「SMILE AWAY」、7「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」、8「MARY HAD A LITTLE LAMB」、9「HI, HI, HI」、10「SEASIDE WOMAN」、11「THE MESS」、12「MY LOVE」、13「LIVE AND LET DIE」、14「HELEN WHEELS」、15「JET」、16「BAND ON THE RUN」、17「JUNIOR'S FARM」、18「SALLY G」、19「SEND ME THE HEART」、20「VENUS AND MARS」の、全20曲入りです。CD1は、1970年から1975年までのアウトテイクや別テイクやライヴ音源に加えて、なんちゃってリミックス音源も混じっています。法的にはまだポールはビートルズのメンバーで、それなのにウイングスもやっていた時期となります。
1「MAYBE I'M AMAZED」は、1970年4月リリースの初ソロ・アルバム「McCARTNEY」に収録された名曲ですが、コレはですね、ピアノの弾き語り風にやらかした「なんちゃってリミックス音源」です。レコードではポールが全ての楽器を演奏していますが、ピアノとリード・ヴォーカルだけ残して、ドラムスも間奏での印象的なリード・ギターもコーラスも全てなくしてしまったヘッポコ・リミックスとなっています。2「ANOTHER DAY」は1971年2月リリースの初のシングル曲のなんちゃってリミックス音源ですが、こちらはそれほどには弄っていません。3「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」は、1971年5月リリースのポール&リンダ・マッカートニーによるアルバム「RAM」からのなんちゃってリミックスのロング・ヴァージョンで、繋いだところがハッキリ分かるのは困りものです。4「UNCLE ALBERT JAM」はその「RAM」のセッション音源で、ポールとこの後にウイングスの初代ドラマーとなるデニー・シーウェルによるカントリー調で完成品とは全く違うアレンジでの演奏です。5「EAT AT HOME」と、6「SMILE AWAY」は、1972年のウイングスによるライヴ音源で、個人的にはこの初期ウイングスで頑なにビートルズ・ナンバーを封印して新曲ばかり演奏していたライヴが好きだし、このアルバム「RAM」からの楽曲もバンド・アレンジだと印象が違って良い感じです。7「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」は1972年2月リリースのウイングスの1作目のシングル曲で、ジョン・レノンに「歌詞が幼稚」と切り捨てられた曲のリハーサル音源です。8「MARY HAD A LITTLE LAMB」は1972年5月リリースのウイングスのシングル曲の初期テイクですが、もう開き直ってファミリー路線に舵を切っています。
9「HI, HI, HI」は、1972年12月リリースのウイングスの放送禁止曲で、エロいポール節が満開のロックンロールですが、これはなんちゃってリミックス音源です。10「SEASIDE WOMAN」は、1972年11月にレコーディングされたリンダ・マッカートニーがリード・ヴォーカルの楽曲のラフミックス音源で、この曲が公式リリースされたのは1977年5月で「スージー&ザ・レッド・ストライプス」名義のシングルでした。11「THE MESS」は、1973年3月リリースのポール・マッカートニー&ウイングスの名曲「MY LOVE」のシングルB面にライヴ・ヴァージョンが収録された曲のスタジオ・テイクですが、この時から「ウイングスなんて誰も知らないから、ポール・マッカートニー&ウイングスに改名しろ」とレコード会社に命令されてしまい改名しています。12「MY LOVE」は、そのA面で全米首位!となった名曲のオーケストラやコーラスを抜いたベーシック・トラックです。13「LIVE AND LET DIE」は、映画「007 死ぬのは奴らだ」の主題歌で、1973年6月リリースのシングルで、久しぶりにサー・ジョージ・マーティンのプロデュースでヒットした曲の「4チャンネル・ミックス」です。14「HELEN WHEELS」は、1973年10月リリースのシングル曲のなんちゃってロング・ヴァージョンです。この曲は、基本的には1コードで書かれています。15「JET」と、16「BAND ON THE RUN」は、1973年12月リリースの名作アルバム「BAND ON THE RUN」からで、「JET」はオーケストラなどが入っていないラフミックス音源で、「BAND ON THE RUN」はシングル・ヴァージョンです。17「JUNIOR'S FARM」と、18「SALLY G」は、1974年10月リリースのシングルAB面で、19「SEND ME THE HEART」(デニー・レイン作)も含めて「EMIE WINFREY MIX」です。20「VENUS AND MARS」は、1975年5月リリースのアルバム「VENUS AND MARS」のタイトル曲のアウトテイクです。
CD2は、1「ROCK SHOW」、2「LETTING GO」、3「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」、4「SILLY LOVE SONGS」、5「LET ’EM IN」、6「MULL OF KINTYRE」、7「GIRLS' SCHOOL」、8「WATERSPOT」、9「WITH A LITTLE LUCK」、10「I'VE HAD ENOUGH」、11「LONDON TOWN」、12「GOODNIGHT TONIGHT」、13「NO WORDS」、14「BAND ON THE RUN」、15「COMING UP」の全15曲入りで合計35曲入りです。CD2の曲数が少ないのは「なんちゃってロング・ヴァージョン」が多いからです。1「ROCK SHOW」と、2「LETTING GO」と、3「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」の3曲は、1975年5月リリースのアルバム「VENUS AND MARS」からで、「ROCK SHOW」はニュー・ヴァージョンで、他の2曲はなんちゃってロング・ヴァージョンです。ちなみに、このアルバム「VENUS AND MARS」からは「ウイングス」名義に戻っていて、売れると云うのはそう云う事なのでしょうなあ。これらの曲は全てシングル・カットされています。4「SILLY LOVE SONGS」と、5「LET ’EM IN」は、1976年3月リリースのアルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」からで、アルバムもシングルも大ヒットしていますが、2曲共になんちゃってロング・ヴァージョンです。6「MULL OF KINTYRE」と、7「GIRLS' SCHOOL」は、1977年11月リリースのシングルAB面曲で、英国では「MULL OF KINTYRE」が6週連続首位!となり、219万枚以上も売れて、ビートルズの「SHE LOVES YOU」が保持していた記録をポール自ら塗り替えました。「MULL OF KINTYRE」は完全に英国を意識した曲だったので、米国では「GIRLS' SCHOOL」をA面にしていて、スマッシュ・ヒット(全米33位)に終わっています。
8「WATERSPOT」は、未発表アルバムとなった「HOT HITZ - KOLD KUTZ」の「KOLD KUTZ」に収録を予定していた曲のラフミックス音源で、ここに入っていると云う事は1977年から1978年にかけての音源なのでしょう。「KOLD KUTZ」もしくは「COLD CUTS」は、多くのブートレグが出ている未発表音源集で、収録曲の中には後にポールがシングルのカップリングで公式リリースした曲もいくつかある程に完成度が高いアルバムです。個人的にも、色々なブートレグを聴いてきた中で5本の指に入る程に素晴らしい出来栄えだと思っていますし、ブートレグと云うよりも公式盤に限りなく近いアルバムです。ポールには、そうした未発表音源が他にも山ほどあるのでしょう。9「WITH A LITTLE LUCK」と、10「I'VE HAD ENOUGH」と、11「LONDON TOWN」の3曲は、1978年3月リリースのアルバム「LONDON TOWN」からの楽曲で、「WITH A LITTLE LUCK」は編集ヴァージョン、「I'VE HAD ENOUGH」は初期テイク、「LONDON TOWN」はリミックス音源です。12「GOODNIGHT TONIGHT」は1979年3月リリースのシングルのロング・ヴァージョンで、13「NO WORDS」と、14「BAND ON THE RUN」と、15「COMING UP」の3曲は、1979年のグラスゴー公演でのライヴ音源です。と云うわけで、ポール編はここまでなのですけれど、なな、なんと、1970年から1979年までの、しかも基本的にはシングル曲しか選曲されていないのです。ジョンだって1969年から亡くなった1980年までから選曲されていたし、ジョージとリンゴだって全キャリアからの選曲なのに、ポール編だけが1970年代限定で、しかもシングル曲だけで他の3人と同じCD2枚組に達してしまったわけで、コレが長く続けている強みだし、今度公式リリースされるウイングス限定のベスト・アルバム「WINGS」CD2枚組の全32曲入りも、期待を裏切る事はないでしょう。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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(小島イコ/姫川未亜)
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LOOK UP THE #
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2025年10月11日
1970年4月10日に、ポール・マッカートニーはビートルズ脱退宣言をしました。それによって事実上はビートルズの解散へと進むのですが、解散は裁判沙汰となり、法的に正式の解散となったのは1975年1月9日でした。ポール・マッカートニーが脱退宣言をしたのは、4人の中では最後で、まず1968年8月22日にアルバム「THE BEATLES」を制作中に、リンゴ・スターが脱退しています。ドラマーが脱退したらレコーディングを中止して呼び戻そうとするところですけれど、3人になったビートルズはポール・マッカートニーがドラムスも叩いてレコーディングを続行しています。そもそもリンゴ・スターが脱退したのは、ポール・マッカートニーが「BACK IN THE U.S.S.R.」のリンゴ・スターによるドラムスを気に入らず、こう叩くんだよ、とリンゴ・スターに実演して見せたのでリンゴ・スターが激怒したからなのです。しかしながら、「HEY JUDE」と「REVOLUTION」のミュージック・ビデオを制作するのにドラムスのリンゴ・スターがいないのでは困るので、同年9月3日にリンゴ・スターは復帰して、そのゴタゴタは内密にされました。次に、1969年1月10日のジョージ・ハリスンの脱退で、「THE GET BACK SESSIONS」のリハーサル中に、前々からのポール・マッカートニーによるパワハラに耐えかねたのと、ジョン・レノンとも口論(ヨーコさんがジョージのビスケットを勝手に食べたから)になって、脱退しています。ジョージ・ハリスンは同年1月20日には条件つきで復帰していて、コレもまた内密にされました。そして、1969年9月20日に、遂にリーダーであるジョン・レノンがアップルの会議で脱退宣言をぶちかまして、ジョン・レノンはその後はビートルズのレコーディングには一切参加していません。しかしながら、ジョン・レノンの脱退は、アルバム「ABBEY ROAD」がリリースされる約1週間前で、米国キャピトルとの契約更新直前だったので、内密にされたのです。
ジョンがポールの脱退宣言に激怒したのは、ジョンが公言している「俺が先に脱退していたのを内密にしていたのに、ポールは1週間後にリリースする初のソロ・アルバム『McCARTNEY』の宣伝に利用した」からではなく、仲間内でのゴタゴタで済んだリンゴとジョージと自分(ジョン)とは違って、ポールがマスコミを通じて脱退宣言をしてしまった事でしょう。つまり、ポールは取り返しのつかない事をやってしまったのです。ポールとしては、他の3人も過去に脱退していて、自分(ポール)も含めて他の3人で止めたので、きっと今度はジョンとジョージとリンゴが止めてくれるだろう、と考えていたのでしょう。ところが、誰も止めてくれないどころか、何やらジョンもジョージもソロ・アルバムを作り始めて、両方にリンゴが参加していて、ジョンはジョージにも参加を呼び掛けていて、ポール抜きでビートルズが続行されそうな雲行きとなってしまい、1970年12月31日にポールはビートルズの解散を裁判沙汰にしてしまったのです。裁判沙汰となったビートルズの解散が決着したのが1975年1月9日で、つまり1974年末までは法的にはビートルズは存続していた事となります。となると、ジョンは1974年10月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES」まで、ポールは1974年10月リリースのシングル「JUNIOR'S FARM / SALLY G.」まで、ジョージは1974年12月リリースのアルバム「DARK HORSE」まで、リンゴは1974年11月リリースのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」までは、4人は「元・ビートルズ」ではなく「ビートルズ」のメンバーとしてソロ活動をしていたと云う事になります。法的にビートルズが解散した後の1970年代後半には、ジョンは音楽活動を止めて、ポールはウイングスで天下を取り、ジョージは趣味に興じて、リンゴは1970年代前半の狂い咲きが嘘だった様に低迷してしまったのです。自分から裁判沙汰にしたポールは、法的に解散が認められたら「ビートルズが本当に解散するとは思っていなかった」と云ったのですから「天然バカボン」全開です。
そこで、今回から「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY」を再び取り上げます。この2021年に「SUPERSTOCK」からリリースされたブートレグ2CD4セット全CD8枚組は以前に2作ずつ取り上げていますが、今回は1作ずつ、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、と分けて紹介します。最初に長々と前置きを書いたのは、これらの音源の半分位は、4人がまだ法的にはビートルズだった時期の音源であると云う説明をする為です。今回はジョン・レノン編の「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY JOHN LENNON」です。内容は、CD1が1「GIVE PEACE A CHANCE」、2「COLD TURKEY」、3「INSTANT KARMA!」、4「MOTHER」、5「LOVE」、6「GOD」、7「POWER TO THE PEOPLE」、8「IMAGINE」、9「JEALOUS GUY」、10「GIMME SOME TRUTH」、11「HOW?」、12「ATTICA STATE」、13「JOHN SINCLAIR」、14「IMAGINE」、15「NEW YORK CITY」、16「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」、18「SUNDAY BLOODY SUNDAY」、19「THE LUCK OF THE IRISH」、20「WORKING CLASS HERO」、21「HAPPY XMAS(WAR IS OVER!)」の、全21曲入りです。1「GIVE PEACE A CHANCE」は1969年7月リリースのプラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングルで、コレは編集前のヴァージョンです。この曲はまだビートルズが活動中にリリースされていて、作者名が「レノン=マッカートニー」となっていましたが、1997年10月リリースのジョンのベスト・アルバム「LENNON LEGEND」からはジョンの単独作に変更されています。ジョンがヨーコさんとのイヴェント「ベッドイン」でライヴ・レコーディングした曲で、勿論ジョンの単独作なのですが、作者名が「レノン=マッカートニー」となっているのが味だったのに、何で変えちゃったのでしょうね。
2「COLD TURKY」は1969年10月リリースのプラスティック・オノ・バンドの2作目のシングルで、コレはアセテート盤音源ですが、ビートルズでのリリースを他の3人に反対されてプラスティック・オノ・バンド名義でリリースしていて、作者名も「レノン」単独となっています。ビートルズとしてのリリースには反対したリンゴはシングル・ヴァージョンでドラムスを叩いているし、ジョージもライヴで披露した時にギターで参加しています。3「INSTANT KARMA!」は1970年2月リリースのプラスティック・オノ・バンドの3作目のシングルで、コレはテレビ番組で披露したヴァージョンです。スタジオ盤にはジョージがギターで参加していて、フィル・スペクターがジョンと共同プロデュースしています。このシングルでのフィル・スペクターの手腕を目の当たりにしたジョンとジョージが、アルバム「LET IT BE」のプロデュースを依頼するキッカケになっています。フィル・スペクターの起用は、リンゴは追加レコーディングに参加しているので当然知っていましたが、ポールには知らされていなかったのです。4「MOTHER」、5「LOVE」、6「GOD」の3曲は、1970年12月リリースのアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」からのアウトテイクです。7「POWER TO THE PEOPLE」は1971年3月リリースのシングルで、未編集ヴァージョンです。8「IMAGINE」、9「JEALOUS GUY」、10「GIMME SOME TRUTH」、11「HOW?」の4曲は、1971年10月リリースのアルバム「IMAGINE」からのアウトテイクで、ベーシック・トラックやリハーサル音源が聴けて、14「IMAGINE」はアコースティック・ギターでの弾き語りライヴ音源です。「IMAGINE」と云えばピアノの弾き語りを連想するでしょうけれど、このギターでの弾き語りも美しいヴァージョンで、何だかんだ云っても曲が良いのでしょう。
12「ATTICA STATE」、13「JOHN SINCLAIR」15「NEW YORK CITY」、16「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」、18「SUNDAY BLOODY SUNDAY」、19「THE LUCK OF THE IRISH」の7曲は、1972年9月リリースのアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」収録曲のライヴ音源やアウトテイクで、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」なんてジョンがソロで歌うこのデモ音源の方がずっと良いです。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、今年(2025年)に「ワン・トゥ・ワン・コンサート」と抱き合わせでCD9枚+BD3枚の箱が出たみたいですけれど、そもそも「ワン・トゥ・ワン・コンサート」はジョンがお蔵入りにした出来が悪いライヴ音源ですし、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は2枚組で、2枚目にはジョンとフランク・ザッパ先生の世紀のライヴ共演が入っていたりしたのですけれど、兎に角、本編である1枚目がヨーコさん色が強過ぎるレコードで、「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」位しか純粋にジョンの音楽が聴ける曲がないので、今更12枚組とか出されてもなあ、と云う感じです。このブートレグの目玉は、20「WORKING CLASS HERO」で、ライヴ・リハーサル音源となっているので「ワン・トゥ・ワン・コンサート」のリハーサル音源なのでしょうけれど、楽曲自体はアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」に収録されている曲です。レコードではボブ・ディラン風にアコースティック・ギターで弾き語りしていたのですが、コレはヘヴィなバックでジョンが叫ぶ様に歌っているテイクです。この感じでフル・ライヴをやっていたら、評価は変わっていたでしょう。21「HAPPY XMAS(WAR IS OVER!)」は、別リミックス音源です。
CD2は、1「MIND GAMES」、2「MEAT CITY」、3「ONE DAY(AT A TIME)」、4「OUT THE BLUE」、5「ROCK’N’ROLL PEOPLE」、6「I'M THE GREATEST」、7「WHATEVER GET YOU THRU THE NIGHT」、8「#9 DREAM」、9「MOVE OVER MS. L」、10「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU’RE DOWN AND OUT)」、11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」、13「(JUST LIKE)STARTING OVER」、14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」、16「WOMAN」、17「NOBODY TOLD ME」、18「I DON'T WANNA FACE IT」、19「BORROWED TIME」、20「I'M STEPPING OUT」、21「GROW OLD WITH ME」の、全21曲入りで、計42曲入りです。1「MIND GAMES」、2「MEAT CITY」、3「ONE DAY(AT A TIME)」、4「OUT THE BLUE」、5「ROCK’N’ROLL PEOPLE」の5曲は、1973年11月リリースのアルバム「MIND GAMES」からのラフミックス音源を中心に収録していて、5「ROCK'N'ROLL PEOPLE」はボツになっていますが、ジョニー・ウィンターが1974年リリースのアルバム「俺は天才ギタリスト」で取り上げていて、提供曲となりました。6「I'M THE GREATEST」は、1973年リリースのリンゴのアルバム「RINGO」に提供した楽曲のデモ音源で、リンゴのアルバムではA面1曲目に収録されて、ジョン、ジョージ、リンゴとポール以外の3人が揃った上に、クラウス・フォアマンとビリー・プレストンと云うビートルズの身内も大集合した楽曲です。7「WHATEVER GET YOU THRU THE NIGHT」、8「#9 DREAM」、10「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU’RE DOWN AND OUT)」の3曲は、1974年10月にリリースされたアルバム「WALLS AND BRIDGES」からのアウトテイクで、8「#9 DREAM」はシングル・ヴァージョンです。
9「MOVE OVER MS. L」、11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」の3曲は、1975年2月リリースのアルバム「ROCK'N'ROLL」からで、9「MOVE OVER MS. L」はシングル「STAND BY ME」のB面になり、1975年のキース・ムーンのアルバム「TWO SIDES OF THE MOON」にも提供曲として収録(ビートルズの「IN MY LIFE」もカバー)されています。11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」は未編集ヴァージョンです。そして、5年の沈黙の後に、1980年11月にアルバム「DOUBLE FANTASY」でジョンは復活しました。13「(JUST LIKE)STARTING OVER」、14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」、16「WOMAN」の4曲は、そのアルバム「DOUBLE FANTASY」からで、13「(JUST LIKE)STARTING OVER」はプロモ盤音源でエンディングのジョンのアドリブが長く聴けます。14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」の2曲はアウトテイクで、16「WOMAN」は美しいアコースティック・ギター弾き語りデモ音源です。そして、1980年12月8日にジョンは殺されてしまい、1984年1月に遺稿集「MILK AND HONEY」がリリースされました。17「NOBODY TOLD ME」、18「I DON'T WANNA FACE IT」、19「BORROWED TIME」、20「I'M STEPPING OUT」、21「GROW OLD WITH ME」の5曲はそのアルバムからのアウトテイクなのですけれど、そもそもアルバム「MILK AND HONEY」はアルバム「DOUBLE FANTASY」のセッションでのボツ音源集なわけで、アウトテイクのアウトテイクと云うヘンテコリンな事になっています。但し、やっぱり「GROW OLD WITH ME」は、このピアノの弾き語りが良いです。と云う感じで、ビートルズが解散状態となった時期の別テイク集なのですけれど、ジョンの場合は沈黙する前の1975年2月リリースのアルバム「ROCK'N'ROLL」(レコーディングは1973年と1974年)と1975年10月リリースのベスト・アルバム「SHAVED FISH」(レコーディングは1969年から1974年)までは「元」が付かない「ビートルズのメンバー」だったわけです。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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フジテレビTWO 3:40〜4:50
第11話(最終話)「幸せのオーロラ」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第11話(最終話)の、今年2回目の再放送です。前回で横断歩道での切ない別れをした那奈ちゃんが演じた律子さんと日垣ですが、最終話では律子さんが空港へ向かう途中で引き返してしまいます。そして会社のロビーで日垣と会った律子さんは「今度は私が片想いする。ニューヨークにいつまでいるか分からないけど」などと云うのですが、おや?1年間って決めてなかったっけ?そもそも日垣は「律子を追ってニューヨークへ行く」はずじゃなかったっけ?白昼堂々と律子を抱きしめる日垣が「もう俺は迷わない」と云うと、まわりの女性社員たちが泣き崩れたり失神したりの阿鼻叫喚の地獄絵図となります。日垣は、どれだけ女性をたぶらかしてきたのでしょうか。主人公の春木の後輩社員も相手の勤務先のレストランでズッコケプロポーズからのキス!春木の母親までヒロインの青井の担当医と熟年再婚!まわりが全てバカップルと化した中で、青井は手術の為にシアトルへ向かい春木も同行して、初回冒頭の春木がイエローナイフをゆく場面になります。つまりここまでは春木の長過ぎる回想で、どうりで春木がやたらとイイ男に描かれているわけです。青井の手術結果を聞いた春木は激しく動揺して泣き出し、30分拡大だった本放送だとここでCMです。CM明けには話が1年後に飛んで、律子さんも予定通りに帰国しています。青井の部屋には別の誰かが引っ越していて「嗚呼、青井は死んだのね」とダメ押ししてからの、青井からバカップルどもへの手紙で生存確認!ラストは主役バカップルの結婚式からオーロラ見物でおしまいです。はあ?そもそもドアで繋がっているトンデモ物件の部屋に主人公とヒロインが住んでしまい、しかも二人は同じ会社に勤務しておりますなんぞと云う初期設定からして出鱈目なのですが、終盤の「青井、死ぬ死ぬ詐欺劇場」の展開が酷過ぎます。律子さんの束の間の婚約者とか、日垣の部屋に怒鳴り込んで来た女とか、アッサリと死んだ青井と同じ難病患者とか、その場を盛り上げる為だけに用意された脇役の描き方の薄っぺらさと云い、よくもまあ、こんなに酷いドラマを作れたものです。ドラマも酷い上に、女優回帰した那奈ちゃんもガラガラ声でコンディション最悪で、ズバリ云って別に那奈ちゃんでなければならない役どころでもなかったし、制作されたのが20年以上も前で古さばかり感じるので、もうコレは再放送しなくてもいいと、あたくしは思います。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 04:50|
ACTRESS
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2025年10月10日
1週間程ビートルズ本隊から話を逸らして、シャッグスを3回も続けてしまいましたが、久しぶりに話をビートルズに戻します。今回紹介するのは「UNDERCOVER」からリリースされた、1CDのブートレグ「UPGRADED COLLECTION - HIGHLIGHTS」です。既に各アルバムごとの関連ブートレグやパイレート盤に関しては2000年リリースの「1」や2015年リリースの「1+」まで進めていて、2017年から始まったアルバムごとの公式盤の箱や、2023年の「赤盤」と「青盤」の新装拡大盤も取り上げていますので、これからはランダムにビートルズのコンピレーション・アルバムを適当にピックアップして紹介していく予定です。このブートレグ「UPGRADED COLLECTION - HIGHLIGHTS」は、品番が「UC-001」となっているので、おそらく「UNDERCOVER」と云うレーベルが最初にリリースしたCDでしょう。ちなみに、コレの他にあたくしが持っている「UNDERCOVER」のブートレグは、以前紹介した1CDのブートレグ「YELLOW SUBMARINE SANDWICH」が「UC-004」で、ポール・マッカートニーのラジオ特番「OOBU JOOBUS」からの音源を集めたCD4枚組の「BEST JOOBUS」は「UC-005-1/2/3/4」です。実は、今回は別のブートレグを紹介する予定だったのですけれど、内容が聴いていてシャッグスとは違う意味で「気持ち悪い」ので、そんなブートレグを紹介するのも何だなあ、と思い、コレに変更しました。そのブートレグは、敢えてタイトルは伏せますけれど、「dap」からリリースされた「NOW AND THEN」です。ソレはですね、ソロになったビートルズのメンバーの曲を、リード・ボーカルだけ残して、バッキングは「AI」に学習させてビートルズ風に演奏させている音源集で、2枚組なんですけれど、1枚どころか1曲聴き通すのも苦痛なのです。
これまでも「AI」を使ったブートレグは紹介してきましたけれど、どうも最近は度を越した「AI・ビートルズ」がブートレグの世界では蔓延っているみたいで、あんまりにも酷い出来栄えなので、タイトルに「AI」が入っているブートレグを買うのは止めました。そうなるとですね、結局はリマスター位で留めてあった昔のブートレグに愛着が湧いてくるわけです。このブートレグ「UPGRADED COLLECTION - HIGHLIGHTS」も、そんな昔のブートレグのひとつです。内容は、1「SHOUT」、2「I'M A LOSER」、3「THAT MEANS A LOT」、4「YESTERDAY」、5「AND YOUR BIRD CAN SING」、6「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」、7「WHEN I'M SIXTY-FOUR」、8「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」、9「ONLY A NORTHERN SONG」、10「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」、11「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」、12「ACROSS THE UNIVERSE」、13「SOUR MILK SEA」、14「HELTER SKELTER / GONE TOMORROW HERE TODAY / BLACKBIRD」、15「WHAT ABOUT BRIAN EPSTEIN?」、16「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」、17「NOT GUILTY」、18「GONE, GONE, GONE」、19「ACROSS THE UNIVERSE」、20「MEAN MR. MUSTARD / HER MAJESTY / POLYTHENE PAM / SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」、21「FREE AS A BIRD」、22「WHATEVER HAPPENED TO...」、23「INDIA」の、全23曲入りです。メドレーを分けると、全28曲も詰め込んであります。コレの良いところはですね、まだ「AI」技術が発達する前のブートレグなので、聴いていて気持ちが悪くなる様な「エセ・ビートルズ」ではない点ですなあ。
1「SHOUT」は1964年4月にテレビ番組「アラウンド・ザ・ビートルズ」用にレコーディングしたアイズレー・ブラザーズのカバーで、公式盤「ANTHOLOGY 1」に収録された編集ヴァージョンよりも長く演奏が聴けます。2「I'M A LOSER」は1964年12月リリースのアルバム「BEATLES FOR SALE」用の「Take 2」で通常のスピードに戻されていて、3「THAT MEANS A LOT」は1965年8月リリースのアルバム「HELP!」用のポール・マッカートニー世紀の駄作のボツ音源(Version 2)で、こんなもんまで通常のスピードに戻されています。4「YESTERDAY」は前曲と同じ1965年8月リリースのアルバム「HELP!」に収録されたポール・マッカートニー世紀の傑作ですが、コレは完成テイクから弦楽四重奏を抜いたインチキ・ミックスです。「THAT MEANS A LOT」と「YESTERDAY」を同時期に書いたポールは、やっぱり二人いるんですよ。5「AND YOUR BIRD CAN SING」は1966年8月リリースのアルバム「REVOLVER」収録曲のアウトテイクで、公式盤「ANTHOLOGY 2」では入っているジョンとポールがゲラゲラ笑っている声が入っていません。6と8「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は、1967年2月リリースのシングル曲のビートルズによる「Take 1」と、リテイクのスピードを元に戻した音源です。7「WHEN I'M SIXTY-FOUR」は1967年6月リリースのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」収録曲のスピードを元に戻した音源で、9「ONLY A NORTHERN SONG」は、その1967年のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」ではボツになって、1969年1月リリースのアルバム「YELLOW SUBMARINE」に収録されたジョージ・ハリスン作の曲を、やはり通常のスピードに戻した音源です。
10「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、1967年にバッキング・トラックが完成(ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがサックスで参加)して、1969年にジョンとポールが出鱈目なボーカルを乗せて完成させて、結局は1970年3月リリースのシングル「LET IT BE」のB面になった曲の、アルバム「ANTHOLOGY 2」でのステレオ・ロング・ヴァージョンにエンディングだけシングル・モノラル・ヴァージョンを繋いだインチキ・ミックスです。11「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」は、1967年12月に英国では2枚組EP「MAGICAL MYSTERY TOUR」に収録された曲の初期ミックスを通常のスピードに戻した音源で、この曲は米国キャピトル編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」に収録されて、現在ではその米国編集盤がCD化されています。12「ACROSS THE UNIVERSE」は、1968年2月にシングル用にレコーディングされたもののボツ音源となり、1969年12月にチャリティー・アルバムにサー・ジョージ・マーティンのプロデュースで収録された曲を通常のスピードに戻した音源です。13「SOUR MILK SEA」は1968年5月に「イーシャー・デモ」で披露していたジョージ・ハリスン作の楽曲で、ジョージのプロデュースで1968年8月にジャッキー・ロマックスがアップルからシングルでリリースしていて、そっちのヴァージョンにはジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトンが参加しています。14「HELTER SKELTER / GONE TOMORROW HERE TODAY / BLACKBIRD」は、1968年11月リリースのアルバム「THE BEATLES」のレコーディング・セッションでポールが演奏している音源で、この音源は個別には取り上げなかったのですけれど、1CDのブートレグ「GONE TOMORROW HERE TODAY」として出ていてあたくしも持っています。しかしながら、全19曲中13曲が「BLACKBIRD」なので、スルーしました。
15「WHAT ABOUT BRIAN EPSTEIN?」も、1968年のアルバム「THE BEATLES」のレコーディング・セッションでジョンが歌っている曲で、前年に亡くなったマネジャーのブライアン・エプスタインを揶揄しています。ちなみに、前曲もこの曲もアウトテイクなのに通常のスピードに戻した音源です。16「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」は、やはり1968年のアルバム「THE BEATLES」収録のジョージ作のアコースティックな「Take 1」で、これはこれで味があります。17「NOT GUILTY」も1968年のアルバム「THE BEATLES」用のジョージ作ですが、100テイク以上もレコーディングした挙句の果てにボツとなり、ジョージがこの曲を完成させるのは1979年12月リリースのソロ・アルバム「GEORGE HARRISON(慈愛の輝き)」の時です。18「GONE, GONE, GONE」は1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」音源で、19「ACROSS THE UNIVERSE」は1970年5月リリースのアルバム「LET IT BE」でフィル・スペクターがプロデュースした曲を通常のスピードに戻した音源です。20「MEAN MR. MUSTARD / HER MAJESTY / POLYTHENE PAM / SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」は、1969年9月リリースのアルバム「ABBEY ROAD」のレコードだと「B面メドレー」と云われるところの「HER MAJESTY」を最初に構想した位置に戻したインチキ・ミックスです。こうしてブートレグでやる分には良いけれど、2019年9月リリースの公式盤の箱でもやらかしているのはイカンですなあ。21「FREE AS A BIRD」はヴァーチャル・ビートルズの第1弾で、コレが入っているので1995年よりも後にこのブートレグは制作されていると分かります。22「WHATEVER HAPPENED TO...」と、23「INDIA」は、ジョン・レノンのデモ音源ですが、「ニュー・バッキング」と書いてあるので、何かやらかしている感じもします。全体的にテープ・スピードを調整する程度の改変なので、気持ち悪くはなりません。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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TBSチャンネル1 7:00〜8:40
文科省から極秘文書を持ち出したのは親友の息子だった!
そこに現れる謎の調査官。巨大競技場建設に隠された陰謀とは?!
内山理名 AS 木島華子
「税務調査官 窓際太郎の事件簿30」の、今年3回目の再放送です。理名ちゃんが演じた木島華子さんは、窓際太郎を調査しにやってきて、最初はダメ親父だと思っていたものの、徐々に窓際太郎を評価する様になります。そりゃあ、只のダメ親父だったならば、この時点で30回もつづいていないし、30回にもなって調査するって随分と呑気な話です。ところが、終盤で謎の調査官である華子さんは、窓際太郎の身代わりに刺されて入院して、責任を取って左遷されます。結構、踏んだり蹴ったりな役どころとなっておりますが、最後には元気で暮らしていると、窓際太郎へ手紙を送ります。出演者が、理名ちゃんも含めて「雲霧仁左衛門」と被っています。
(姫川未亜/小島イコ)
posted by 栗 at 08:40|
RINA
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フジテレビTWO 3:40〜5:30
第9話「天使の雪」
第10話「約束の海」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第9話と第10話の、今年2回目の再放送です。第9話となると大詰めになって、那奈ちゃんが演じた律子さんと日垣の脇役バカップルは本筋とは関係なくなるし、主役バカップル以外も収まるところに収まってしまいます。主人公の春木を置き去りにして逃げた元婚約者なんかも出て来て波乱もあったものの、そう云う問題は何だかよく分からない展開で解決されてゆくわけで、まあ、脚本家としては波乱を起こしたいだけなので、その事後処理など知ったこっちゃなく、適当なのです。そして、遂にヒロインの青井の難病が再発します。第10話ではニューヨークへ行く律子さんと日垣の横断歩道での切ない別れが描かれますが、おいおい、日垣は「律子を追ってニューヨークへ行く」んじゃなかったんですか?この別れの演出すら、次回の最終話では根底から覆るので、このドラマは真面目に観るとバカを見ます。青井は入院すると、同じ病室の同じ難病の患者がアッサリと死んでしまいます。それで春木が青井を海に連れ出して、明るく振る舞っていた青井は突然「死にたくないよ!」と号泣して、春木も「俺にはもう何もしてやれないのか!」と男泣きします。此のドラマは「ロマンチック・コメディ」と謳われているのですが、終盤に来て唐突にどシリアスな展開となって、視聴者に涙を強要するのです。まあ、最終話を観れば「私の涙を返して!」状態になるんですけどね。
(小島イコ/姫川未亜)
posted by 栗 at 05:30|
ACTRESS
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2025年10月09日
1969年にデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」を、父親が自主制作した千枚を配布したシャッグスは、ドロシー・ドット・ウィギン(ヴォーカル、リード・ギター)、ベティ・ウィギン(ヴォーカル、リズム・ギター)、ヘレン・ウィギン(ドラムス)のウィギン3姉妹からなるバンドです。プロデューサーは3姉妹の父親であるオースティン・ウィギン・ジュニアで、その母親(シャッグスにとっては祖母)の「3姉妹に音楽活動をさせれば大スターになる」と云う何の根拠もない預言を信じた為に、1965年に高校を中退させて家に閉じ込めて、3姉妹はそれまでは触った事すらなかったギターやドラムスの練習をさせられて、ドロシーはコード進行が何たるものかも知らずに曲作りをさせられたのです。そうしてたったの1日でおそらく一発録音でレコーディングされたのが、デビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」です。チューニングが狂ったギターを不規則なリズムで演奏して、リード・ギターは単音弾きで歌メロをなぞる様に演奏されて、ドラムスは絶妙にズレていて、ドロシーが書いた曲は単純ながら不安定で、歌声は抑揚がなく何処へ向かうのかが予測不能で、通常のルートからは外れ捲る、異様な音楽となっています。シャッグスはデビュー・アルバムをリリースした後に、従妹のレイチェル・ウィギンをベース・プレイヤーとして加入させて、ようやくマトモな編成となり、練習も以前よりは自発的に行う様になりました。そして、1975年になって6年ぶりの2作目のレコーディング・セッションを行っています。しかし、同年にプロデューサーである父親のオースティン・ウィギン・ジュニアが心臓発作で47歳の若さで亡くなってしまい、シャッグスは元々が父親の命令で結成させられたバンドなので、同1975年に解散しました。
ところが、デビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」が1970年代にカルト盤としてコピー盤が出回って、1980年にラウンダー・レコードからリイシュー盤がリリースされたのです。それが好評だったので、1982年には1969年から前述の1975年までの未発表音源を集めたコンピレーション・アルバム「SHAGGS' OWN THING」が同じくラウンダー・レコードからリリースされました。それが、CDの時代となった1988年に、コンピレーション・アルバム「THE SHAGGS」として同じくラウンダー・レコードからリリースされたのです。内容は、1「I'M SO HAPPY WHEN YOU'RE NEAR」、2「MY COMPANION」、3「THAT LITTLE SPORTS CAR」、4「SWEET THING」、5「PHILOSOPHY OF THE WORLD」、6「WHAT SHOULD I DO?」、7「MY PAL FOOT FOOT」、8「WHO ARE PARENTS」、9「THINGS I WONDER」、10「WHY DO I FEEL?」、11「IT'S HALLOWEEN」、12「WE HAVE A SAVIOR」、13「WHO ARE PARENTS」、14「YOU'RE SOMETHIN' SPECIAL TO ME」、15「WHEELS」、16「PAPER ROSES」、17「SHAGGS' OWN THING」、18「PAINFUL MEMORIES」、19「GIMME DAT DING」、20「MY CUTIE」、21「YESTERDAY ONCE MORE」、22「MY PAL FOOT FOOT」、23「I LOVE」、24「SHAGGS' OWN THING」、25「LOVE AT FIRST SIGHT」の、全25曲入りで、67分59秒もシャッグスをCDで聴けます。デビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」とコンピレーション・アルバム「SHAGGS' OWN THING」が単品でCD化されるよりも先に、このコンピレーション・アルバム「THE SHAGGS」はCD化されています。
コンピレーション・アルバムと云っても、1「I'M SO HAPPY WHEN YOU'RE NEAR」〜12「WE HAVE A SAVIOR」の12曲は、1969年のデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」全12曲を何故か曲順を変えて全曲収録しています。13「WHO ARE PARENTS」は別テイクで、14「YOU'RE SOMETHIN' SPECIAL TO ME」〜24「SHAGGS' OWN THING」の11曲は、1982年のコンピレーション・アルバム「SHAGGS' OWN THING」を同じ曲順で全曲収録していて、25「LOVE AT FIRST SIGHT」は未発表曲です。つまり、このコンピレーション・アルバム「THE SHAGGS」は、ほぼ全曲集と云っても良い選曲になっていて、このCD1枚があれば、シャッグスの楽曲はほとんど全てが聴けます。前々回に紹介したデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」と、前回に紹介したコンピレーション・アルバム「SHAGGS' OWN THING」も単品でCD化されていますが、音源だけ欲しい場合は、このコンピレーション・アルバム「THE SHAGGS」で充分でしょう。このコンピレーション・アルバム「THE SHAGGS」の裏ジャケットには、フランク・ザッパ先生のコメントとして「THE SHAGGS. BETTER THAN THE BEATLES - EVEN TODAY.」が掲載されていますけれど、前にも書いた通り、フランク・ザッパ先生はそんな事は云っていません。その後のシャッグスは、1999年にドロシーとベティで再結成(ヘレンは病気で不参加)して4曲披露していて、2001年にはトリビュート・アルバム「BETTER THAN THE BEATLES」がリリースされました。ヘレンは2006年に亡くなって、2017年にはドロシーとベティで2度目の再結成をしています。再結成と云っても、レコーディングしたのではなく、ライヴで数曲演奏しただけです。デビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」と比べると、コンピレーション・アルバム「SHAGGS' OWN THING」はマトモに聴ける様になっていますが、やっぱりシャッグスは、演奏や歌や作詞作曲能力が上手くなってはいけないバンドです。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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ミステリーチャンネル 6:30〜11:00(第1話、第3話、第4話、連続放送)
第1話「恐山・十和田・弘前編」
片瀬那奈 AS 藤波紹子(第1話マドンナ)
「浅見光彦〜最終章〜」第1話の、今年4回目の再放送です。「最終章」となっていますが、ソレは「エロス沢村版」が2時間ドラマのシリーズであって、ソノ「最終章」であって、「浅見光彦シリーズ」としてはその前もその後もキャスティングを変えて制作されています。那奈ちゃんが演じた藤波紹子さんは料理人で、連続殺人事件に関わっている役どころです。基本的にはシリアスなドラマなのですが、エロスと那奈ちゃんが並ぶとコントが始まりそうで笑ってしまいます。エロスと那奈ちゃんは、アンナに仲良しだったのにねえ。初回スペシャルだったので、2時間ドラマの尺があります。ミステリーチャンネルでは何度も再放送されていますけれど、何故か第2話が欠番になっています。
(小島イコ/姫川未亜)
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ACTRESS
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フジテレビTWO 3:40〜5:30
第7話「別れよう」
第8話「心の握手」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第7話と第8話の、今年2回目の再放送です。第7話での那奈ちゃんが演じた律子さんは、ターゲットをヒロインの青井に変えた日垣とのハグを偶然にも目撃してしまい、青井に「貴女の事、信じていいの?」と訊くだけで再び「1分出演の端役」に逆戻りします。主人公の春木は青井ゾッコンで、日垣に挑発されても柳に風で、少し前の回で青井の怪文書が出回り左遷されそうになった時には「俺も会社を辞める」などと庇ってもいたものの、青井は自分が春木の重荷になっていると感じて別れを切り出すのです。第5話のラストでくっついて、第7話では別れ話って、何じゃらほい。第8話では律子さんが日垣からのプロポーズを受けると云うと、日垣は「その指輪の有効期限は終わりました」なんぞとぬかして断ってしまいます。おいおい、日垣の4年越しの想いって設定は何だったのだ?日垣は青井にまっしぐらとなり、青井がレディース時代の悪友に借金の肩代わりをさせられそうになると「訳は訊かないから、貸してやる」と金にものを云わせて落としにかかります。また青井も日垣を好きだったりして、ウダウダしていると、春木はそのレディース時代の悪友と話し合いで解決してしまいます。日垣は春木の男気にあっさりと白旗を挙げて、青井に「貸すはずだった金は、律子を追ってニューヨークへ行く資金にさせてもらう」なんぞとぬかしやがるのですが、コレはこのドラマが如何に一貫性がなくて適当な展開だと分かる重要なセリフなので、覚えておきましょう。
(小島イコ/姫川未亜)
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ACTRESS
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2025年10月08日
1969年に過激すぎるデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」でデビューさせられた、ドロシー・ドット・ウィギン(ヴォーカル、リード・ギター)、ベティ・ウィギン(ヴォーカル、リズム・ギター)、ヘレン・ウィギン(ドラムス)の、ウィギン3姉妹から成る「シャッグス」は、翌1970年のラジオ番組でフランク・ザッパ先生が言及した事もあって、ごく一部で評価されました。デビュー・アルバムをリリースした時には、まだまだドロシーが書いた曲も単調で抑揚のないもので、果たしてそれを曲だと云うのもためらう程に稚拙なものでした。普通、3ピース・バンドならば、ギターとベースとドラムスの編成となるのですけれど、シャッグスの場合はギターが二人にドラムスと云う変則的な編成となっていて、それは狙ったのではなく、3姉妹がそもそも3ピース・バンドの通常の編成を知らなかったから、偶然にそう云うカタチになってしまったのです。ドロシーが書く曲も、おそらく循環コードすら知らなかったので、曲作りとしては出鱈目でした。プロデューサーで実の父親であるオースティン・ウィギン・ジュニアが母親(シャッグスにとっては祖母)の預言を信じて、無理矢理3姉妹にバンドを結成させて、一日中ギターやドラムスを練習させて、ライヴにも無理矢理に出演させて、たったの1日でレコーディングしたデビュー・アルバムをリリースさせられてしまったので、シャッグスの3姉妹は音楽活動が苦痛でしかなかったそうです。それで、1969年にデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」をリリースした後は、しばらくの間は何をやっているのか分からなかったみたいです。
ところが、シャッグスには苦痛でしかなかった音楽活動が、デビュー・アルバムをリリースした後になって、少しだけ楽しくなってしまったのです。それで、ベーシストとして3姉妹の従妹であるレイチェル・ウィギンが参加したマトモな編成のバンドとなって、1975年には2作目のアルバムをレコーディングしていた様です。そのレコーディングの直後に、プロデューサーで父親であるオースティン・ウィギン・ジュニアが心臓発作で47歳の若さで亡くなってしまい、シャッグスは無理強いする父親がいないならもうバンドをやる必要もなくなって、録音機材も売り払い、同1975年に解散しました。同時に、その時にレコーディングされた2作目のアルバムも未発表となったのです。3姉妹はそれぞれ結婚をして家を出て、母親は家を売却したのですけれど、新たに住んだ所有者がオースティン・ウィギン・ジュニアの幽霊が出ると思い込んで、消防署に寄付してしまい、消防署が火災訓練で家を焼き払ってしまいました。そうして、シャッグスの3姉妹が、学校を退学させられ幽閉されて、無理矢理に楽器を練習させられた家もなくなったのです。ちなみに、デビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」は自主リリースで限定千枚で配布されたので、シャッグスは結成から解散までの10年余りの音楽活動では、一銭も報酬を得ていませんでした。つまり、現役時代のシャッグスはプロのバンドではなく、アマチュアのバンドがアルバムを1作自主制作しただけだったわけです。ところが、1969年に配布されただけのアルバムが、1970年代にコピーされて、カルト盤として注目されていったのです。
それで、1980年にデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」がリイシューされました。このリイシューに関してもシャッグスは断ろうと思っていたらしく、それはアルバムを再発するには自分たちがお金を出さなければならないと思っていたからでした。そのリイシュー盤が好評だった(この時に「BETTER THAN THE BEATLES」と評価された)ので、1982年に2作目のアルバムとして「SHAGGS' OWN THING」がリリースされました。内容は、A面が、1「YOU'RE SOMETHIN' SPECIAL TO ME」、2「WHEELS」、3「PAPER ROSES」、4「SHAGGS' OWN THING」、5「PAINFUL MEMORIES」、6「GIMME DAT DING」で、B面が、1「MY CUTIE」、2「YESTERDAY ONCE MORE」、3「MY PAL FOOT FOOT」、4「I LOVE」、5「SHAGGS' OWN THING」の、全11曲入りで、CDではボーナス・トラックとして、12「LOVE AT FIRST SIGHT」、13「SWEET MARIA」、14「MISSOURI WALTZ(MISSOURI STATE SONG)」、15「WIPE OUT」の4曲を加えた全15曲入りです。コレはですね、1969年から1975年までのシャッグスの未発表音源を集めたコンピレーション・アルバムで、2作目としてレコーディングされた音源も含めているものの、あくまでも未発表音源集です。ドロシーやベティのオリジナルもありますが、カーペンターズの「YESTERDAY ONCE MORE」などのカバー曲も収録されています。芸風はデビュー・アルバムから変化していませんけれど、演奏技術が少しだけ上手くなってしまっている曲もあります。特にカバー曲は、元々がマトモな曲なので、ソレをシャッグス風にやってみました、と云う感じになっていて、相変わらずチューニングが狂っているギターで、リード・ギターは歌メロをなぞるだけの単音弾きで、ドラムスは微妙にズレているのですけれど、曲が普通じゃあ魅力も半減です。シャッグスの最大の魅力は、ドロシーが書く予測不能な楽曲にあったのだなあ、とカバー曲を聴くと分かるのでした。
(小島イコ)
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FAB4
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フジテレビTWO 3:40〜5:30
第5話「輝くキス」
第6話「もう一度」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第5話と第6話の、今年2回目の再放送です。第5話では、主人公たちの勤務する会社の現地視察と称した温泉旅行があって、那奈ちゃんが演じた律子さんも同行します。そこでの登場人物たちの振る舞いは、色恋沙汰ばかりでとても仕事をしに来たとは思えません。日垣の女性関係に不信感を持つ律子さんに、日垣は大ぼらプロポーズをぶちかまします。日垣は律子さんに振られて海外に傷心旅行にゆき、砂漠に指輪を投げ捨てたものの、律子さんへの想いを断ち切れず、500キロも引き返して砂漠の中から探し出したと云う砂にまみれた指輪を渡すのです。そんな大嘘に引っ掛かるバカはいないよなぁ、と思えば、律子さんは信じて涙ぐんでいるバカでしたとさ。主人公の春木とヒロインの青井も、第5話のラストでは遂に結ばれます。まだ中盤なのに主役バカップルまで誕生したら話は終わってしまうので、第6話からは大波乱が待っているのでした。律子さんの亡き恩師はニューヨークへ留学させる手筈を取っていて、それを知らせる手紙を日垣は盗み見してしまいます。主役バカップルと律子さんと日垣の脇役バカップルで食事をして、主役バカップルは律子さんにプロポーズの返事を急かすと、律子さんはニューヨークへ行きたいから帰国するまで待って欲しいと日垣にお願いします。すると手紙を盗み見したので「死んだ恩師を忘れられないのだ」と逆上して逆ギレした日垣は、律子さんからターゲットをヒロインの青井に変更してしまうのでした。他の登場人物も、全員が「こいつら、バカなのか?」としか思えないトンデモ思考でトンデモ行動をやらかし捲るバカ展開は、まだまだ序の口なのでした。
(小島イコ/姫川未亜)
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2025年10月07日
前回に紹介したビートルズ人気に便乗した楽曲を集めたコンピレーション・アルバム「BETTER THAN THE BEATLES」は、1曲目に収録されているブラッド・バーウィックの「I'M BETTER THAN THE BEATLES」から取られています。しかしながら、「BETTER THAN THE BEATLES」と云うアルバムは他にも出ていて、それは「シャッグス」と云うバンドへのトリビュート・アルバムなのです。シャッグスを知っている方々は、フランク・ザッパ先生がシャッグスを「BETTER THAN THE BEATLES」と語った逸話をご存知かと思います。シャッグスのコンピレーション・アルバムと云うか全曲集であるCD「THE SHAGGS」の裏ジャケットにも、フランク・ザッパ先生のコメントとして「THE SHAGGS. BETTER THAN THE BEATLES - EVEN TODAY.」と云うコメントが掲載されているのですけれど、実はこのコメントはフランク・ザッパ先生が発言したものではありません。1969年にデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD(世界哲学)」をリリースしたシャッグスを、フランク・ザッパ先生が1970年にいち早くラジオ番組で言及していて、それが「BETTER THAN THE BEATLES」と発言したと云う伝説になってしまっただけで、実際には1981年に「ザ・ニューヨーカー」誌上で評論家のレスター・バングズが書いた記事からの引用です。それが、デビューしたばかりのシャッグスを話題にしたフランク・ザッパ先生が云った事になってしまったのです。それは、あのビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」をコケにしたアルバム「WE'RE ONLY IN IT FOR THE MONEY」を制作したフランク・ザッパ先生なら云いそうだな、と思われたからでしょう。当のフランク・ザッパ先生は、ライヴでジョン・レノンと共演していたりします。
シャッグスは、ドロシー・ドット・ウィギン・センプリーニ(リード・ギター 、ヴォーカル)、ベティ・ウィギン・ポーター(リズム・ギター)、ヘレン・ウィギン(ドラムス)の、ウィギン3姉妹によるバンドで、3姉妹は米国の裕福で厳格な家庭に生まれて、寵愛する父親の方針で学校を中退させられていて、ポピュラー音楽の知識など全くなかったのです。いや、音楽以前に他人とのコミュニケーション方法すら知らなかったのでしょう。ところが、父親でシャッグスのプロデューサーであるオースティン・ウィギン・ジュニアが母親の預言である「3姉妹を音楽で売り出せば世界的なスターになる」に従って、3姉妹に強引にシャッグスと云うバンドを1965年に結成させて、自費でレコーディングして1969年にアルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」でデビューさせてしまったのです。内容は、A面が、1「PHILOSOPHY OF THE WORLD」、2「THAT LITTLE SPORTS CAR」、3「WHO ARE PARENTS」、4「MY PAL FOOT FOOT」、5「MY COMPANION」、6「I'M SO HAPPY WHEN YOU'RE NEAR」で、B面が、1「THINGS I WONDER」、2「SWEET THING」、3「IT'S HALLOWEEN」、4「WHY DO I FEEL?」、5「WHAT SHOULD I DO?」、6「WE HAVE A SAVIOR」の、全12曲入りです。全曲をヴォーカルも担当しているドロシーが書いていて、演奏はシャッグスの3人によるもので、一発録音でオーバーダビングなどは一切行っていない様です。音楽性は、何とも云い難く、ガレージ・ロックとか、プロト・パンクとか、アウトサイダー・ミュージックとか云われていますけれど、そもそもコレは、そうしたジャンル分けが出来るのかすらよく分からない、摩訶不思議なアルバムです。
何と説明したら良いのか難しいのですけれど、このシャッグスによる音楽を聴くと「脳みそがとろける」様な感じにはなります。シャッグスの3姉妹は前述の通り音楽知識が全くなかったのに、無理矢理に父親に命令されて音楽活動を始めたので、曲作りは勿論のこと、ギターやドラムスも触った事すらなく、つまりは全くのド素人だったのです。箱入り娘だったので、おそらくビートルズすら聴いた事もなかったのでしょう。それをですね、独学でギターやドラムスを手探り状態で学んで、楽曲もそれまでには誰も書いた事もないと云うか、通常の曲作りからは考え付かない様な独創的過ぎるものを生み出してしまったのです。曲は単調で、ヴォーカルは抑揚がなく、ギターは片方がチューニングが安定しない単純なコードを怠そうに鳴らして、もう片方は単音をつま弾いて、ドラムスは鼓笛隊の太鼓(写真で分かる通り通常のドラムス・セットではない)みたいで、そのギター2本とドラムスのアンサンブルが合っていないと云うか、絶妙にズレていて、普通の感覚だと、聴いていて気持ち悪くなる様な音楽です。スラックキーギターはハワイに流れ着いたギターの調弦方法が分からず、オープン・チューニングにして生まれたとも云われていますが、このアルバムもそれと似た発明です。繰り返しますが、シャッグスは父親の命令で3姉妹が10代だった1965年に無理矢理結成させられて、それまでには触った事もなかったギターやドラムスを一日中練習させられ、作詞作曲法など知らないのに曲を書かされ、ライヴにも無理矢理出演させられ笑い者にされて、演奏技術もないのに、このデビュー・アルバム「PHILOSOPHY OF THE WORLD」をリリースさせられてしまったのです。それは、ウィギン家が裕福だったから出来た事で、だったら他にやり方があるだろう、と云う話です。そんな父親のエゴに振り回されたシャッグスは、奇跡の様な他の誰にもマネが出来ない音楽を作り出してしまったのですから、何がどうなるかは分からないものです。
(小島イコ)
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フジテレビTWO 3:40〜5:30
第3話「涙の抱擁」
第4話「幸せの絆」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第3話と第4話の、今年2回目の再放送です。第3話ではそれまでは「1分出演の端役」だった那奈ちゃんが演じた律子さんが、突然出番が多くなります。しかし、その展開が酷いのです。律子さんは学生時代の恩師で亡くなってしまった婚約者を忘れられずにいて、日垣に云い寄られても拒絶していました。ところが第3話では唐突にお見合いして結婚してデザイナーの仕事は辞めると云い出し、実際に婚約者をみんなに紹介したりするのです。おいおい、亡き恩師を忘れられない設定は何処へ?と思えば、お節介なヒロインの青井は、律子さんが描いた日垣がモデルと思われるイラストを観て、実は律子さんも日垣を想っていると主人公の春木と一緒に見抜き、あっさりと日垣と律子さんはカップルになってしまいます。おいおい、今度は婚約者はどうなるの?と思えば、カップル誕生でお役御免で何事もなかったかの様に存在自体が消えてしまいます。第4話では再び「1分出演の端役」に戻った律子さんが日垣の部屋で帰りを待っていると、日垣の別の女が怒鳴り込んで来ます。日垣は律子さんに一途なのではなくプレイボーイの設定で、数多い食い散らかした女のひとりは、あろうことかヒロインの青井なのです。第3話の段階でカップルを誕生させたのは、単純明快にこれから揉めさせる為の仕掛けなんですよ。このドラマの脚本家は、登場人物をコマとしか考えていないので、キャラクター設定はブレブレだし、愛情の欠片もありません。
(小島イコ/姫川未亜)
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2025年10月06日

前回紹介したコンピレーション・アルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」は、主に「ビートルズ讃歌」を集めていましたが、1964年にビートルズが全米制覇を成し遂げた時には、そうした好意的な反応だけではありませんでした。今回紹介するのは、そうしたビートルズに対して敵意を剥きだしにした楽曲を中心に選曲されたコンピレーション・アルバム「BETTER THAN THE BEATLES」です。内容は、1「I'M BETTER THAN THE BEATLES」BRAD BERWICK、2「WE'RE THE WEAVILS」THE WEAVILS、3「HERE I AM IN LOVE AGAIN」THE WEAVILS、4「BUGG VS. BEETLES」THE BUGGS、5「AIN'T NO BEATLES」GARY SANDERS、6「THE BEETLE-BOMB」THE EXTERMINATORS、7「THE SPIRIT OF ’64」BOCKY & THE VISIONS、8「IT'S COMIN THRU THE DOORS」BOBBY & THE BLUE JAYS、9「BEATLE MANIACS」RAY RUFF & THE CHECKMATES、10「THE GUY WITH THE LONG LIVERPOOL HAIR」THE OUTSIDERS、11「YOU GOT ME BUGGED」THE PACERS、12「I LOVE YOU」TONY RIVERS & THE CASTWAYS、13「RINGO COMES TO TOWN」CHUG & DOUG、14「RINGO BOY」DORIE PEYTON、15「BEATLE BOUNCE」BOBBY COMSTOCK & THE COUNT、16「I WANNA BE A BEATLE」GENE COSTOCK & THE COUNT、17「OH MISERY」GENE COSTOCK & THE COUNT、18「THE BEETLE DANCE」ERNIE MARESCA、19「THE BEETLE」GARY USHER、20「ONLY SEVENTEEN」THE BEATLE-ETTES、21「LIVERPOOL」THE VULCANES、22「I DREAMED I WAS A BEATLE」MURRY KELLUM、23「THE BOY WITH THE BEATLE HAIR」THE SWANS、24「I WANT TO BE A BEATLE」BOBBY WILDING、25「LONG-HAIR」THE MOTIONS、26「LIKE RINGO」DICK LORD、27「BONUS TRACK」MR. REK-O-KUT、の全27曲入りです。
コンピレーション・アルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」全23曲とダブっているのは、ゲイリー・アッシャーの19「THE BEETLE」と、マレイ・クラムの22「I DREAMED I WAS A BEATLE(あこがれのビートルズ)」と、スワンズの23「THE BOY WITH THE BEATLE HAIR」の3曲しかありません。ほとんどが1964年から1965年にかけてリリースされたシングル曲で、いきなりだなあ、と「俺様はビートルズよりも偉大だ」と根拠もなく歌われるブラッド・バーウィックによる1「I'M BETTER THAN THE BEATLES」に始まって、ビートルズ人気に便乗しつつも対抗心を表した楽曲が多く選曲されています。こちらにも、13「RINGO COMES TO TOWN」や、14「RINGO BOY」や、26「LIKE RINGO」と云ったリンゴ・スターが主役の楽曲があって、米国でのリンゴの人気ぶりが伺えます。このコンピレーション・アルバムのタイトル曲とも云える1「I'M BETTER THAN THE BEATLES」から、2「WE'RE THE WEAVILS」、3「HERE I AM IN LOVE AGAIN」、4「BUGG VS. BEETLES」、5「AIN'T NO BEATLES」と云ったところは、ビートルズへのライバル心を剥きだしにしていますけれど、4「BUGG VS. BEETLES」は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」の替え歌なのにレノン=マッカートニーの名前は載っていないし、5「AIN'T NO BEATLES」では、ビートルズと共にローリング・ストーンズも米国には必要ないんだよ、と歌っていて、英国からの侵略者をまとめてぶっ飛ばそうとしています。それなのに曲調は思いっ切りローリング・ストーンズ風であるところに、複雑な感情が伺えます。そんな曲が多い中で、前回紹介したコンピレーション・アルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」にも入っていたゲイリー・アッシャーの19「THE BEETLE」は、事を荒立てずに手堅くビートルズに便乗している辺りが、一発屋にすらなれなかった他のミュージシャンとは違っています。
6「THE BEETLE-BOMB」、7「THE SPIRIT OF ’64」、8「IT'S COMIN THRU THE DOORS」、9「BEATLE MANIACS」、10「THE GUY WITH THE LONG LIVERPOOL HAIR」、11「YOU GOT ME BUGGED」と続くところも、ビートルズの「イェー!イェー!イェー!」などを取り込んだ楽曲で、全体的にそうした便乗曲を集めてあるわけですけれど、中にはガールズ・グループのビートレッツによる、20「ONLY SEVENTEEN」の様に「I SAW HER STANDING THERE」に対するアンサー・ソングが入っていたりもするので、侮れません。12「I LOVE YOU」、15「BEATLE BOUNCE」、16「I WANNA BE A BEATLE」、17「OH MISERY」(Aメロがジョージ・ハリスンの処女作「DON'T BOTHER ME」とソックリ)、18「THE BEETLE DANCE」、21「LIVERPOOL」、24「I WANT TO BE A BEATLE」、25「LONG-HAIR」と云った曲も、このコンピレーション・アルバムで初めて聴いた曲ばかりです。と申しますか、前回に紹介したコンピレーション・アルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」とダブっている、ゲイリー・アッシャーの「THE BEETLE」と、マレイ・クラムの「I DREAMED I WAS A BEATLE(あこがれのビートルズ)」と、スワンズの「THE BOY WITH THE BEATLE HAIR」以外の本編全26曲中23曲は、このコンピレーション・アルバム「BETTER THAN THE BEATLES」で初めて聴いた曲ばかりですし、演奏しているバンドやミュージシャンも聞いた事もない名前ばかりです。最後の27は、ケアフリーズの「WE LOVE YOU BEATLES(ビートルズに首ったけ)」のサワリで、偶然でしょうけれど、前回に紹介したコンピレーション・アルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」に続く様になっています。それで、コレを聴いて連想したのは、本家のビートルズではなく、ガレージ・ロック集の「ナゲッツ」に近いと云うか、ズバリ云って日本の「カルトGS」です。あたくしは「ナゲッツ」も「カルトGS」も好きなので楽しく聴いていますけれど、普通のビートルズ・ファンはこんなカルト盤は聴かなくとも良いですよ。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
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フジテレビTWO 3:40〜5:30
第1話「秘密の二人」
第2話「奇跡の夜」
片瀬那奈 AS 藤澤律子
「ラストクリスマス」第1話と第2話の、今年2回目の再放送です。クリスマスシーズンのお話なので、10月の上旬に再放送するのは、まあ、まだマシです。前回は4月の再放送で、季節感など無視していました。このドラマは歌手活動に専念していた那奈ちゃんが女優回帰したと云う意味では重要ですが、その内容はトンデモ展開の大駄作です。それでも数字は平均で20%を超えたのですけれど、20年以上も前のお話ですし、数字が良ければ傑作と云うわけでもありません。第1話と第2話での那奈ちゃんが演じた律子さんの出番は合わせて1分位しかありませんし、ドラマの内容も酷いのです。特にヒロインが難病を患っていると発覚してからの後半の展開は、ふざけるな、と云いたくなる様な「感動ポルノ」で無茶苦茶でございます。売りが過去のヒット・ドラマの焼き直し(主演俳優、脚本家、プロデューサーが同じと自ら宣伝していた)で、2025年の現在ならば「まあ、フジテレビだからなあ」のひとことで済んでしまう様な「へっぽこドラマ」です。
(小島イコ/姫川未亜)
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2025年10月05日
前々回は1964年リリースのサー・ジョージ・マーティンによるアルバム「OFF THE BEATLE TRACK」を、前回は1964年リリースのチップマンクスによるアルバム「THE CHIPMUNKS SING THE BEATLES HITS」と、ビートルズが活躍した最初期に全曲カバーしたアルバムを紹介しました。今回はビートルズが全米制覇を成し遂げた1964年から、その人気に便乗してリリースされた楽曲を集めたアルバム「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」を紹介します。このアルバムは、1993年に日本のレーベル「A-SIDE RECORDS」からリリースされた、所謂ひとつの「パチモン」盤ですが、なかなかオリジナルのシングル盤では集められない様なレア音源が満載です。内容は、1「WE LOVE YOU BEATLES(ビートルズに首ったけ)」ケアフリーズ、2「I HAD A DREAM I WAS A BEATLE(夢みるビートルズ)」ドナ・リン、3「MY BOYFRIEND GOT A BEATLE HAIRCUT(ビートルズ・カットのボーイフレンド)」ドナ・リン、4「WE LOVE THE BEATLES」ヴァーノン・ガールズ、5「A LETTER TO THE BEATLES(ビートルズへの手紙)」フォー・プレップス、6「THE BEETLE」ゲイリー・アッシャー、7「A BEATLE I WANT TO BE」ソニー・カーティス、8「I DREAMED I WAS A BEATLE(あこがれのビートルズ)」マレイ・ケラム、9「BEATLEMANIA」ジャック・ニッチェ、10「RINGO, I LOVE YOU」ボニー・ジョー・メイソン(シェールの変名)、11「HELLO PETITE FILLE(こんにちはマドモアゼル、「HELLO LITTLE GIRL」のフランス語カバー)」シェイラ、12「A BEATLE MEETS A LADYBUG」ポーラ・ラモン、13「THE BOY WITH THE BEATLE HAIR」スワンズ、と続きます。
続いて、14「WHAT'S WRONG WITH RINGO」ボン・ボンズ、15「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」シルキー、16「NOWHERE MAN(ひとりぽっちのあいつ)」スリー・グッド・リーズンズ、17「RINGO'S THEME(リンゴのテーマ、「THIS BOY」のインストゥルメンタル)」サー・ジョージ・マーティン、18「A LETTER TO THE BEATLES(ビートルズへの手紙)」ピカソ・トリオ、19「RINGO FOR PRESIDENT」ヤング・ワールド・シンガーズ、20「IT WOULD'T HAPPEN WITH ME」ジョニー・リヴァース、21「RINGO'S BEAT」エラ・フィッツジェラルド、22「THE INVASION」ブキャナン&グリーンフィールド、23「THE GIRL I LOVE」ビートルズ、の全23曲入りです。中には有名なミュージシャンもいますけれど、ほとんどが聞いた事もない様な方々が、正にビートルズ人気に便乗してリリースした楽曲が並んでいます。とは云え、この「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」に収録されている曲は、比較的に「ビートルズ讃歌」と云える好意的な楽曲を集めています。ケアフリーズの、1「ビートルズに首ったけ」や、ドナ・リンの、2「夢みるビートルズ」と、3「ビートルズ・カットのボーイフレンド」と云った楽曲は、そこそこヒットしていて、大瀧師匠も「イエロー・サブマリン音頭」に引用したり、ラジオ番組「GO! GO! NIAGARA」のジングルに使っていたりするので、ナイアガラのファンにはお馴染みでしょう。4「WE LOVE THE BEATLES」を歌ったヴァーノン・ガールズ(サマンサ・ジョーンズことジーン・オーウェンが在籍)はマイナーなガールズ・グループながら、ビートルズ・ファンの女の子はこの歌を愛唱していたそうです。
5のフォー・プレップスと、そのカバー18ピカソ・トリオの「ビートルズへの手紙」は、ビートルズにゾッコンになってしまったガールフレンドがラヴレターを送ったら、ファン倶楽部の入会方法とか物販紹介が返事で来たと云う歌です。6「THE BEETLE」はビーチ・ボーイズとも関係が深いゲイリー・アッシャーの曲で、ビートルズと車のビートルをかけたホッドロッド・ソングです。7「A BEATLE I WANT TO BE」は、元クリケッツのソニー・カーティスの曲で、ビートルズはクリケッツをマネッコしてバンド名を昆虫から取っているので、云わば元祖で本家からの愛情がこもったビートルズ讃歌です。8「I DREAMED I WAS A BEATLE」はアレイ・クラムと云うマイナーな歌手の曲で、こうしたコンピレーション・アルバムでしか聴けないでしょう。9「BEATLEMANIA」は、フィル・スペクター作品のアレンジャーとして有名なジャック・ニッチェの作品で、ジャック・ニッチェは1964年にアルバム「HITS OF THE BEATLES」も制作しています。10「RINGO, I LOVE YOU」はシェールがボニー・ジョー・メイソンと云う変名でフィル・スペクターのプロデュースでリリースしたレア盤で、これまたこう云うコンピレーション・アルバムでしか聴けないでしょう。11「こんにちはマドモアゼル」はシェイラによる「HELLO LITTLE GIRL」のフランス語カバーで、元々はジョン・レノン主導書いたレノン=マッカートニー作品で、1963年にフォーモストに提供した曲です。12「A BEATLE MEETS A LADYBUG」は、ポーラ・ラモンと云う女性歌手のマイナーな曲で、13「THE BOY WITH THE BEATLE HAIR」はスワンズによる一発ヒットで、14「WHAT'S WRONG WITH RINGO」はボン・ボンズ(後のシャングリラス)による曲で、米国ではリンゴ・スターが一番人気があったのです。
15「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」は、ジョン・レノン主導で書いたレノン=マッカートニー作品で、1965年のアルバム「HELP!」に収録された曲のシルキーによるカバーですが、ジョンのプロデュースでビートルズの面々が演奏に参加しています。シルキーは、このカバー曲だけの一発屋です。16「NOWHERE MAN」はジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品で、1965年のアルバム「RUBBER SOUL」に収録された曲のスリー・グッド・リーズンズによるカバーで、英国ではビートルズのオリジナルがシングル・カットされなかったので(米国では独自にシングル・カットして全米3位を記録)代わりのコレがヒットしていて、スリー・グッド・リーズンズもコレだけの一発屋となっています。17「リンゴのテーマ」は、1964年のビートルズの初主演映画「A HARD DAY'S NIGHT」で使われたサー・ジョージ・マーティンによるオーケストラ・アレンジのインストゥルメンタル曲で、ビートルズの1963年のシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND」のB面曲「THIS BOY」のインストゥルメンタルです。このオーケストラ版は、1964年に「AND I LOVE HER」とのカップリングで米国や日本でシングル・カットされて、そこそこヒットしています。19「RINGO FOR PRESIDENT」は、ヤング・ワールド・シンガーズと云う聞いた事もないグループによる「リンゴを大統領にしよう!」と云う訳が分からない楽曲で、20「IT WOULD'T HAPPEN WITH ME」は、ジョニー・リヴァースがビートルズとエルヴィス・プレスリーを歌い込んだ楽曲です。
21「RINGO'S BEAT」は、ジャズ界の大物女性歌手であるエラ・フィッツジェラルドが自ら作詞にも関わっている1964年のシングル曲で、後年にビートルズ・ナンバーをカバーしているのは分かりますけれど、全米制覇した1964年に、エラ・フィッツジェラルドがリンゴを中心としたビートルズ讃歌を歌っていたのは驚きです。エラ・フィッツジェラルドは後にジョージ・ハリスン作の「SAVOY TRUFFLE」なんて渋い曲もカバーしているので、ビートルズが好きなんでしょうなあ。22「THE INVASION」は、ブキャナン&グリーンフィールドの作品で、ブレイク・イン(様々な曲のサワリを繋ぐ)と云う手法で有名なブキャナン&グッドマンのビル・グッドマンが、ニール・セダカと組んでいた作詞家のハウィ・グリーンフィールドと組んで、基本的に「SHE LOVES YOU」のコーラスに乗せて色んなヒット曲をブレイク・インさせて、英国からの侵略者を歌っています。最後の「THE GIRL I LOVE」は、ビートルズとは全く関係がなさそうなホワイト・ドゥー・ワップ・スタイルの楽曲なのですけれど、歌っているのが「THE BEATLES」なのです。勿論、英国の「THE BEATLES」とは全くの無関係なグループによる楽曲で、制作当時にはリリースすらされていなかった楽曲です。作者名が「J・レモン=J・ストロング」となっていて、謎の楽曲ですけれど、グループ名が同じなので収録されています。このCD「BRAVO! BEATLES THE BEATLES RELATIONS」に収録されている全23曲は、ほとんどが1964年のビートルズの全米制覇の時期にリリースされた楽曲で、その中から「ビートルズに対して好意的な讃歌」を集めています。しかしながら、「英国からの侵略者」が歓迎されただけではなかったわけで、その話は次回で紹介します。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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TBSチャンネル2 12:15〜13:55
萬田久子主演。湯けむり旅情サスペンス、第7弾!今回の舞台は三重県伊勢志摩。新郎新婦両家で一緒に旅をする“家族になろうよ”ツアー。その旅先で起こる事件とは…!?
内山理名 AS 高根沢智子
「湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿7」の、今年6回目の再放送です。2週間前位にも再放送されていて、コレも定番の2時間ドラマです。理名ちゃんが演じた智子さんは新婦役で、冒頭でウエディングドレス姿を披露しています。そして、新郎新婦の両家で親睦を深める為にバスツアーへと出かけるのですが、そこで事件が起こり、バスガイドの桜庭さやかさんが解決します。何故かBGMで、ビートルズの「IN MY LIFE」や、演奏者は不明な「YESTERDAY」のインストゥルメンタル・ヴァージョンや、ステッペンウルフの「BORN TO BE WILD(ワイルドでいこう!)」や、レッド・ツェッペリンの「STAIRWAY TO HEAVEN(天国への階段)」や、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「PROUD MARY」などが使われています。
(姫川未亜/小島イコ)
posted by 栗 at 13:55|
RINA
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2025年10月04日
本国である英国でビートルズは、1962年10月5日にシングル「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」をパーロフォンからリリースしてデビューしました。両面共にポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でしたが、マネジャーのブライアン・エプスタインが1万枚買い取って何とか全英チャートの17位となった、地味な楽曲です。しかし、翌1963年1月11日に第2弾シングル「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」をパーロフォンからリリースして、この2作目は両面共にジョン・レノンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品なのですけれど、A面の「PLEASE PLEASE ME」が大ヒットしました。一部のチャートでは首位!となったものの、全英チャートでは2位止まりだったので、ベスト・アルバム「1」には「PLEASE PLEASE ME」が収録されていません。ところが、何故か全英17位だった「LOVE ME DO」がベスト・アルバム「1」の1曲目に収録されているのは、1964年のビートルズが全米制覇した時に、ドサクサ紛れに全米首位!になってしまったからです。1963年3月22日に、英国ではデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」がパーロフォンからリリースされて、全英チャートで30週間連続首位!となりました。それを首位から引きずり落としたのは、1963年11月22日にパーロフォンからリリースされた、ビートルズの2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」で、21週間連続首位!となっています。つまり、1963年から1964年にかけての約1年間の51週間に、全英チャートではずっとビートルズが首位!だったのです。
その間には、1963年4月11日リリースの3作目のシングル「FROM ME TO YOU / THANK YOU GIRL」と、同年8月23日リリースの4作目のシングル「SHE LOVES YOU / I'LL GET YOU」と、同年11月29日リリースの5作目のシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND / THIS BOY」も、全てがA面は全英チャートで首位!となっていて、しかも3作目から5作目のシングル6曲は、英国でのオリジナル・アルバムには未収録でした。兎に角、1963年の英国では、寝ても覚めてもビートルズ旋風が吹き荒れていたのです。ところが、米国ではそんな事は露知らず、ビートルズの事など全く知られていなかったのです。それは、英国パーロフォンと提携していた大手レーベルの米国キャピトルが、当初はビートルズに興味を示さなかったので、米国でのデビュー・シングルとなった1963年2月7日リリースの「PLEASE PLEASE ME」や、デビュー・アルバムとなった1963年7月22日リリース予定で発売延期(翌1964年1月10日にリリース)となった「INTRODUCING THE BEATLES」などがマイナー・レーベルのヴィー・ジェイからとなってしまい、リリース当時の1963年には全く話題にもならず売れなかったのです。ヴィー・ジェイでは1963年5月27日にシングル「FROM ME TO YOU」もリリースしていましたが、これまた全く売れていません。2025年の現在では、ビートルズをカバーした曲や、ビートルズのカバーだけのトリビュート・アルバムは数多く出ていますけれど、1963年の米国では、そもそもビートルズ自体が知られていなかったので、カバー曲もリリースされていません。
そんな状況で、1963年6月に全米チャート77位に「FROM ME TO YOU」がランクインしています。コレはビートルズによるオリジナル・ヴァージョンではなくて、日本では「街角男」として有名なデル・シャノンによるカバー・ヴァージョンです。デル・シャノンは1963年に渡英した時にビートルズと知り合っていて、その縁でカバーしたのですけれど、おそらく、このデル・シャノンによる「FROM ME TO YOU」が世界で最初のビートルズのカバー・ヴァージョンでしょう。米国では翌1964年になって、米国キャピトルが手のひらを返して怒涛のビートルズ作品をリリースしていて、全米シングル・チャートで首位!から5位までビートルズが独占するなどと云う、前人未到の領域へと入っていきます。それで、ビートルズのカバーは前述の1963年のデル・シャノンによる「FROM ME TO YOU」が最初だと思いますけれど、アルバム全曲をビートルズのカバーで固めたトリビュート・アルバムの最初は何なのか考えるとですね、ソレはおそらく前回に紹介した1964年のサー・ジョージ・マーティンによるアルバム「OFF THE BEATLE TRACK」だと思います。しかしながら、サー・ジョージ・マーティンはビートルズのプロデューサーであってですね、実際にビートルズと共にキーボード奏者として演奏に参加していたりするので、云わばズブズブの身内ですし、セルフ・カバーに近い様な立ち位置です。実際に、前回に紹介した通り、アルバム「OFF THE BEATLE TRACK」のジャケットには、サー・ジョージ・マーティンと共にビートルズの4人も映っている写真が使われているのです。
では、全くの外部のミュージシャンによる全曲がビートルズのカバーで構成された最初のアルバムは何か?と考えると、どうやら1964年8月にリリースされた「THE CHIPMUNKS SING THE BEATLES HITS」なのではないのか、となります。内容は、A面が、1「ALL MY LOVING」、2「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET?」、3「SHE LOVES YOU」、4「FROM ME TO YOU」、5「LOVE ME DO」、6「TWIST AND SHOUT」で、B面が、1「A HARD DAY'S NIGHT」、2「P.S. I LOVE YOU」、3「I SAW HER STANDING THERE」、4「CAN'T BUY ME LOVE」、5「PLEASE PLEASE ME」、6「I WANT TO HOLD YOUR HAND」の、全12曲入りです。A面6曲目の「TWIST AND SHOUT」は元々がカバー曲で、他の11曲は「レノン=マッカートニー」のオリジナルです。その「TWIST AND SHOUT」も、ジョン・レノンの絶唱で有名なので、ビートルズ・ナンバーと考えても良いでしょう。曲目を見ただけでは、1964年のビートルズの全米制覇に便乗したカバー・アルバムだと思えるでしょう。ところがですね、この「チップマンクス」と云うのが曲者で、コレはですね、シマリスのキャラクターで、人形劇やテレビ・アニメやアニメ映画にもなっている人気者で、このビートルズ・カバー集以外にも沢山のレコードをリリースしてヒットさせているのです。手法としては、テープ速度を半分に落として録音したヴォーカルを通常のスピードに戻して再生して、甲高い声に加工しています。「ALL MY LOVING」でポールがダブルトラックでハモるところとか、「TWIST AND SHOUT」で3声を重ねるところとか、忠実に再現していますけれど、この人工的なキンキン声をアルバム1枚聴き通すのは些かキツイですし、演奏はオリジナルよりも若干ゆるい感じです。それでもこのアルバムは、全米チャートで14位まで上がるヒットとなっています。
(小島イコ)
posted by 栗 at 23:00|
FAB4
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「NO IMAGE」
here is
mia/iko presents
「the diary of nana katase」
A/K/A/ 「COPY CONTROL」
Recording Produced by IKO KOJIMA
Engineer : MIA HIMEKAWA
All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)
All Songs arranged , written and compoced by
009:栗
(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.
with a big help from
001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),
055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,
101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#5」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,
ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya
R-157:rina-chan
000:mamma-mia A+C ! &
007:nana-chan
& EVERY***
AND ・・・「∞:my MOTHER = MIAMIA/IKO-CHAN !」
ALL FOR NANA KATASE from the bottom of my heart.
since 2004-8-8
(C) NO IMAGE INC. with LOVE ☆
YES, we're just only the " NANA chan's FAN " .
since 1981-11-7