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2025年11月06日

「ポールの道」#903「THE BEATLES BLACK VOX」
#212「MAGICAL MYSTERY TOUR」

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1967年2月17日にロック史上最強の両A面シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」を英国パーロフォンからリリースしたビートルズは、同1967年5月26日にはビートルズの最高傑作と云われていた英国オリジナルでは8作目のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を英国パーロフォンからリリースしました。ポール・マッカートニー色が強いそのアルバムは、ポール・マッカートニーと、プロデューサーのサー・ジョージ・マーティンと、エンジニアのジェフ・エメリックによるアルバムだとも云えます。まあ、でもアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」でのポールの曲は、量は多いけれど相変わらずアタリハズレがあります。米国キャピトル盤のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」も、初めて英国オリジナルと同じ内容(但し、最後の意味不明なお喋りはカット)となり、有無を云わせぬ大仰なジャケットで、裏ジャケットには全曲の歌詞が印刷されています。そして、ポールはアルバムがほとんど完成したので、当時の恋人だったジェーン・・アッシャーのお誕生日(4月5日)をサプライズでお祝いする為に渡米して、ついでにブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)にも逢って、新作アルバム「SMiLE」を1967年の夏に間に合う様に早く完成しろ、とプレッシャーをかけています。そして帰国する飛行機の中で、ポールは新たな企画を思い付いてしまうのです。それが、1967年12月26日にBBCで初放送されるテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」です。帰国したポールは、直ぐにテーマ曲「MAGICAL MYSTERY TOUR」を書いて、1967年4月25日から困惑するジョン・レノンとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターを強引に誘い、「MAGICAL MYSTERY TOUR」のレコーディング・セッションを開始してしまったのです。ジョンとジョージとリンゴが困惑したのも当然で、ビートルズはまだアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を1967年4月20日に完成させたばかりでリリースもしておらず、それなのに早くも次の企画を持って来たポールに対して疑問を抱く様になりました。

英国での1967年のビートルズは、前述の1967年2月17日のシングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」を、1967年5月26日にアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と、つづいて英国パーロフォンからリリースして、1967年7月7日には同年6月25日に世界衛星中継された「OUR WORLD」で披露した「ALL YOU NEED IS LOVE」(B面はアニメ用だった「BABY YOU'RE A RICH MAN」)をリリースして、1967年11月24日にはシングル「HELLO GOODBYE / I AM THE WALRUS」をリリースしています。その間の1967年8月27日には、マネジャーであるブライアン・エプスタインが32歳の若さで亡くなると云う、ビートルズの存続を揺るがした大事件も起きています。ポールは舵取り役のブライアン・エプスタインが亡くなったので、自分が代わりにビートルズをまとめようとするのですけれど、他の3人にとっては「何でポールが仕切っているんだ?」と不満を持つ事となってゆくのでした。そして、ポールが発案したテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」が撮影されて、英国ではBBCで1967年12月26日にモノクロ映像で初放送されて、その意味不明な内容から「ビートルズ初めての大失敗作」と貶されたのでした。余りの悪評に、米国では放送中止になっています。そもそも脚本もなく行き当たりばったりで撮影されたテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」には意味などなく、ビートルズによるミュージック・ビデオの前後に意味不明な映像が挟まっている様な作品です。ビートルズたちがバス・ツアーをやって、何かハプニングが起こるだろうと思ったら、何も起こらなかったので、4人が魔法使いになったり、楽曲を演奏したりする場面を加えて完成させています。現在では「MTVの元祖」などと云われて傑作映画とされていますけれど、それなりにディープなビートルズのファンであるあたくしの目から見ても、昔も今も訳が分からない映画で、変な云い方ですが、その訳が分からないところが素晴らしいのかなあ、としか云えない、正に摩訶不思議な映像作品です。しかし、ビッグ・ジョージ・マーティンがプロデュースしたビートルズの音楽は絶賛されました。

ビートルズは、そのテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」用に書いた新たな6曲を、EP2枚組で1967年12月8日に英国パーロフォンからリリースしました。内容は、A面が、1「MAGICAL MYSTERY TOUR」、2「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」で、B面が、1「I AM THE WALRUS」で、C面が、1「THE FOOL ON THE HILL」、2「FLYING」で、D面が「BLUE JAY WAY」の、全6曲入りで、ステレオとモノラルでのリリースでした。ところが、米国キャピトルは何度もレコードをひっくり返すEPでは米国では受け入れられないと考えて、A面にEP「MAGICAL MYSTERY TOUR」の全6曲を入れて、B面には英国ではシングルのみでアルバム未収録だった5曲を入れて、全11曲入りの編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」として、1967年11月27日にリリースしてしまったのです。新たな試みとして敢えてEP2枚組にしたビートルズの意図など、米国キャピトルにとってはどうでも良かったのです。編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」の内容は、A面が、1「MAGICAL MYSTERY TOUR」、2「THE FOOL ON THE HILL」、3「FLYING」、4「BLUE JAY WAY」、5「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」、6「I AM THE WALRUS」で、B面が、1「HELLO GOODBYE」、2「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」、3「PENNY LANE」、4「BABY YOU'RE A RICH MAN」、5「ALL YOU NEED IS LOVE」の、全11曲入りです。A面の曲順もオリジナルのEPとは違っているし、大傑作であるシングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」を、単なるB面の2曲目と3曲目にしてしまったのは、いただけませんなあ。A面の、1「MAGICAL MYSTERY TOUR」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、ジョンの声も目立っているテレビ映画の主題歌です。2「THE FOOL ON THE HILL」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ポールが歌っています。3「FLYING」はビートルズ4人の合作になっているインストゥルメンタル曲ですが、主旋律を書いたのはポールでしょう。4「BLUE JAY WAY」は、ジョージ作でジョージが歌う幻想的な曲です。

5「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、6「I AM THE WALRUS」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っている大傑作ですが、ビートルズ風の曲を後の世に書く方々は、何故かこの「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」もしくは「I AM THE WALRUS」を参考にしています。これらの6曲は、映像版も込みでの評価となりますけれど、やはりビートルズが白いタキシード姿で階段を降りてくるだけの「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」と、着ぐるみ姿で演奏する「I AM THE WALRUS」が強烈な印象を与えてくれます。ひっくり返してB面の、1「HELLO GOODBYE」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌う能天気な歌で、ジョンは自画自賛している「I AM THE WALRUS」がシングルのB面になったので怒っていました。2「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」はジョン主導で、3「PENNY LANE」はポール主導でのレノン=マッカートニーによる「ロック史上最強両A面シングル」なのに、扱いが雑です。4「BABY YOU'RE A RICH MAN」は、レノン=マッカートニーの合作でジョンが歌い、クラヴィオラインを弾いていて、ミック・ジャガーがコーラスで参加しています。5「ALL YOU NEED IS LOVE」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル、キース・ムーンが参加していて、何だみんな仲良しじゃないか、となったのです。英国では全てがアルバム未収録曲だったので、米国キャピトルの輸入盤が売れて、1976年に英国盤がコッソリとリリースされています。アルバムだと、レノン=マッカートニーが9曲(ジョン主導が3曲、ポール主導が5曲、合作が1曲)、ジョージ作が1曲、4人の合作が1曲、となっていますけれど、A面のEPでの6曲は、ポール主導が3曲、ジョン主導が1曲、ジョージ作が1曲、4人の合作が1曲と、やはりポールが圧倒しています。1967年のビートルズは、ポール・マッカートニーでした。ポールはこの編集アルバムから、ソロで「MAGICAL MYSTERY TOUR」、「THE FOOL ON THE HILL」、「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」、「HELLO GOODBYE」、「PENNY LANE」は勿論、ジョン主導の「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「ALL YOU NEED IS LOVE」までライヴで披露しています。

ビートルズが初CD化された際に、この米国キャピトル編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」は、オリジナル・アルバムの仲間入りをしました。全11曲中「ALL YOU NEED IS LOVE」以外の10曲が英国オリジナル・アルバムには未収録だったので、1987年9月21日に米国キャピトル編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」の1971年リリースの西ドイツ盤(アルバムB面の何曲かが真正ステレオ・ミックスで初収録された)を元にした、ステレオ・ミックスでのCD化で、全世界統一規格化されました。1992年6月15日にリリースされた「THE BEATLES COMPACT DISC EP COLLECTION」には、英国オリジナルEP「MAGICAL MYSTERY TOUR」全6曲がステレオ・ミックスとモノラル・ミックスで収録されています。そして、時は流れて2009年9月9日に、編集アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」は、ステレオ・ミックス(箱とバラ売り)と、モノラル・ミックス(箱)でリマスターされアップルからリリースされました。それで、めだたしめでたし、となったのですけれど、2023年11月10日にベスト・アルバム「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」の拡張盤がアップルからリリースされたのです。元々「青盤」には、この編集アルバムからは、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」、「PENNY LANE」、「ALL YOU NEED IS LOVE」、「I AM THE WALRUS」、「HELLO GOODBYE」、「THE FOOL ON THE HILL」、「MAGICAL MYSTERY TOUR」の7曲が収録されていて、2023年盤への追加収録曲はなかったのですけれど、既にステレオ・リミックスしていた「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「ALL YOU NEED IS LOVE」と「HELLO GOODBYE」の3曲が2015年ステレオ・リミックスで、「PENNY LANE」が2017年ステレオ・リミックスで、収録されています。問題は、「I AM THE WALRUS」と「THE FOOL ON THE HILL」と「MAGICAL MYSTERY TOUR」の3曲で、ソレが「2023年ステレオ・リミックス」での初収録となったのです。特に「I AM THE WALRUS」は、これまでとは大きく印象が異なるステレオ・リミックスになっています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする

「匿名探偵」第4話(再)

匿名探偵 DVD BOX(5枚組)


テレ朝チャンネル2 7:00〜9:00

第4話「探偵と敵が多い女」

片瀬那奈 AS 冴島響子

「匿名探偵」第4話の今年(2023年)初めての再放送です。毎回、バーで那奈ちゃんが演じた「美人すぎる弁護士」である冴島響子先生が、匿名探偵に依頼をして、探偵は腕力にものを云わせずに、独自の捜査と推理力で事件を解決してゆきます。この第4話は冴島響子先生が何者かに命を狙われるので、冴島響子先生自らが依頼人となるので、出番が多い話になっています。一体誰が冴島響子先生を狙っているのかと、探偵は裁判記録を調べて、冴島響子先生との裁判で負けた被告連中の仕業だと考え話を聞くものの、裁判で負けた連中は「アンナ素敵で腕もある弁護士先生なんて他にいないから、何かやらかしたら今度は冴島響子先生に弁護を頼みますよ」とか「僕なんか冴島響子先生が新しい職場を紹介してくれたんです」とか、みんなが云っているので、それじゃあ、一体、冴島響子先生をトラックの前に突き出したり、サウナに閉じこめてしまったり、明らかに冴島響子先生を恨んでいるのは誰だ、となって、探偵の推理(そうか、そう云う事か)で、意外な真犯人が浮かび上がる展開です。

本放送:2012年11月2日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 21:00| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「ラストクリスマス」第7話、第8話」(再)

ラストクリスマス DVD-BOX


フジテレビTWO 3:40〜5:30

第7話「別れよう」
第8話「心の握手」

片瀬那奈 AS 藤澤律子

「ラストクリスマス」第7話と第8話の、今年3回目の再放送です。第7話での那奈ちゃんが演じた律子さんは、ターゲットをヒロインの青井に変えた日垣と青井のハグを偶然にも目撃してしまい、青井に「貴女の事、信じていいの?」と訊くだけで再び「1分出演の端役」に逆戻りします。主人公の春木は青井ゾッコンで、日垣に挑発されても柳に風で、少し前の回で青井の怪文書が出回り左遷されそうになった時には「俺も会社を辞める」などと庇ってもいたものの、青井は自分が春木の重荷になっていると感じて別れを切り出すのです。第5話のラストでくっついて、第7話では別れ話って、何じゃらほい。余りに軽すぎるざんしょ。それとも、またしても揉めさせるのが目的で、登場人物を動かしているのでしょうか。第8話では律子さんが日垣からのプロポーズを受けると云うと、日垣は「その指輪の有効期限は終わりました」なんぞとぬかして断ってしまいます。おいおい、日垣の4年越しの想いって設定は何だったのだ?日垣は青井にまっしぐらとなり、青井がレディース時代の悪友に借金の肩代わりをさせられそうになると「訳は訊かないから、貸してやる」と金にものを云わせて落としにかかります。また青井も日垣を好きだったりして、ウダウダしていると、春木はそのレディース時代の悪友と話し合いで解決してしまいます。日垣は春木の男気に、あっさりと白旗を挙げて、青井に「貸すはずだった金は、律子を追ってニューヨークへ行く資金にさせてもらうよ」なんぞとぬかしやがるのですが、コレはこのドラマが如何に一貫性がなくて適当な展開だと分かる重要なセリフなので、よ〜く覚えておきましょうね。


(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 05:30| ACTRESS | 更新情報をチェックする

2025年11月05日

「ポールの道」#902「THE BEATLES BLACK VOX」
#211「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」

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ビートルズは、1966年8月29日のキャンドル・スティック・パーク公演を最後に、ライヴ活動を止めました。それは、1966年8月5日に英国パーロフォンからリリースした英国オリジナルでは7作目のアルバム「REVOLVER」を聴けば分かる様に、ビートルズは既にライヴでは再現不可能な音楽へと足を踏み出していたからでもあります。何でも云う事を聞く年下のエンジニアとして、ジェフ・エメリックが新たにレコーディングの現場に参加したのも大きいでしょう。それまでは、後にピンク・フロイドをプロデュースするノーマン・スミスがエンジニアだったのですけれど、ノーマン・スミスは前年である1965年12月3日にリリースされたビートルズの6作目のオリジナル・アルバム「RUBBER SOUL」を最後に、エンジニアからプロデューサーへ出世して、ビートルズのレコーディング現場から離れてしまいました。そこで、新たにビートルズのエンジニアとなったのが、当時若干19歳だったジェフ・エメリックなのです。何でそんな若造が天下御免のビートルズを担当する事になったのかと云うとですね、ビートルズのレコーディング・セッションではビートルズが無理難題を押し付けてくるので、他に誰もやりたがらず、若造のジェフ・エメリックが消去法で無理矢理にエンジニアにさせられたと云われています。それでビートルズ(特にジョン・レノン)は、自分の喉に穴を開けてアンプに直接通してくれ、とか、天井から逆さまに吊るして回しながら歌わせてくれ、とか、無茶苦茶な事を云い出したわけですなあ。プロデューサーのサー・ジョージ・マーティンに云わせるとですね、ポール・マッカートニーはキチンと音楽的にアレンジの希望を伝えてくれるからやり易いものの、ジョン・レノンはよく分からない漠然としたイメージを云ってくるので、ソレを具現化するのに苦労したそうです。

ライヴを止めたビートルズは、1966年の後半には、ジョンは映画「HOW I WON THE WAR」に出演して、ポールは単独で映画「THE FAMILY WAY」用に曲を書いて、ジョージ・ハリスンはラヴィ・シャンカール先生に本格的にシタールを学ぶ為にインドへ行き、何もする事がないリンゴ・スターは家族とのんびり過ごしたり、ジョンの撮影現場に行ったりしていました。そうして4人がバラバラになっていたので、ビートルズは1966年のクリスマス商戦用のアルバムを制作する事が出来ずに、1966年12月10日に現役時代では唯一のベスト・アルバム「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」全16曲入りを英国パーロフォンからリリースしました。ほとんどをヒット・シングルから選曲した全16曲中、アルバム未収録だった7曲と、英国では未発表だった「BAD BOY」を加えた内容でした。ところが、4人が何をしているのかも分からず、ベスト・アルバムまで出したので、すわっ、ビートルズ解散か、とマスコミが騒ぎ出して、当のジョージ・ハリスンまで「ライヴ活動を止めたから、ビートルズは解散すると思っていた」などと云い出したのです。もうこの頃には、ジョージは独り立ちする機会を伺っていたのでしょう。そんな中で、1966年12月8日からビートルズはレコーディング・セッションを再開しました。それは「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と云う、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作です。ビートルズは英国では8作目となる新作アルバムを、少年時代を回顧するテーマで制作しようと決めていたのです。それで、ジョンは「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」を書いて、ポールは逆説的に未来を歌った「WHEN I'M SIXTY-FOUR」を蔵出しして、ジョンの「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」に対抗してポールは「PENNY LANE」を書いて、レコーディング・セッションがつづいています。そのまま行けば、ジョンの「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」とポールの「PENNY LANE」は、新作アルバムの核となるはずでした。

ところが、レコード会社はビートルズが新曲をレコーディングしたと知って、ロック史上最強両A面シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」(全英2位)を、1967年2月17日に英国パーロフォンからリリースしてしまったのです。アルバムの目玉がシングルになってしまったのですけれど、それでもビートルズはレコーディングを続行しました。そうして「A DAY IN THE LIFE」と云う新たな目玉が出来たところで、ポール・マッカートニーが「架空のバンドによる架空のライヴ・コンサート」と云う新たなアルバムのテーマを思い付いたのです。それが1967年6月1日(実際には前倒しで5月26日)に英国パーロフォンからリリースした、英国オリジナルでは8作目のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」です。内容は、A面が、1「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」、2「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」、3「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」、4「GETTING BETTER」、5「FIXING A HOLE」、6「SHE'S LEAVING HOME」、7「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」で、B面が、1「WITHIN YOU WITHOUT YOU」、2「WHEN I'M SIXTY-FOUR」、3「LOVELY RITA」、4「GOOD MORNING GOOD MORNING」、5「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」、6「A DAY IN THE LIFE」の、全13曲入りです。マスコミが「ビートルズは終わった」と書き立てる中、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」をレコーディング中だったポール・マッカートニーは「今に見ていろ」と云い放ったそうです。米国キャピトル盤も、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」からは英国オリジナル盤と同内容(但し、米国キャピトル盤には最後の意味不明なお喋りは未収録)となっていて、それまで水増しアルバムやスカスカ・アルバムを聴いていた米国のファンは、さぞかし驚いたでしょう。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が異様に持ち上げられているのは、米国のファンがようやく本物のアルバムを聴けたからでもあったのでしょう。

A面の1「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌うロックンロールで、この曲が次の「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」へと導いて、B面の5で繰り返されるので、その3曲だけが実は「架空のバンドによる架空のライヴ」となっていて、他の10曲はコンセプトから外れているのです。故に、史上初のコンセプト・アルバムと云う評価は間違っているわけですけれど、何せ古今東西ばかりかビートルズ自身までも後ろに控えさせたアルバム・ジャケットが強烈なので、ソレに圧倒されてアルバム全体が「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の名の下にコンセプトがある様に思わせてしまったわけですなあ。2「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」はレノン=マッカートニーの共作で、リンゴが歌っていて、2025年の現在でもリンゴの代表曲としてライヴの最後で歌われています。3「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」はジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、コレは息子のジュリアン・レノンが描いた絵がヒントとなっていますけれど、頭文字が「LSD」なのは狙ったんでしょう。4「GETTING BETTER」はポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、リンゴが病欠した時の臨時ドラマーのジミー・ニコルの口癖がヒントになっています。5「FIXING A HOLE」も、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、後にジョンが「GLASS ONION」に歌い込んでいるので、お気に入りなのでしょう。6「SHE'S LEAVING HOME」もポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていますが、コーラス部分はジョンが書いて歌っているので共作です。美しい曲で、レコーディングはポールとジョンが歌っているだけでバックはストリングスですけれど、サー・ジョージ・マーティンがシラ・ブラックのレコーディングで手一杯だったので、ポールはマイク・リーンダー(ローリング・ストーンズの「AS TEARS GO BY」のアレンジで有名)に頼んでしまい、サー・ジョージ・マーティンは事あるごとに「何故、ポールは私を待てなかったのだ」と愚痴をこぼしていました。

7「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、この曲の歌詞は古いサーカスのポスターから全てを引用しています。何だ、パクリか、ではなくて、そんな作詞をやってしまうジョンが凄いのです。サー・ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックは、サーカスのおが屑の様な音と云うジョンの無理難題を、古いオルガンのテープを切って放り投げて繋ぐと云う滅茶苦茶な手法で応えています。ひっくり返してB面の、1「WITHIN YOU WITHOUT YOU」は、ジョージ・ハリスンが書いてジョージが歌っていて、益々インド音楽風ですけれど、実はコレはインド楽器と西洋のストリングスが合体している曲で、大瀧師匠で云うならば「あなたが唄うナイアガラ音頭」みたいな画期的な曲なのです。2「WHEN I'M SIXTY-FOUR」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌う曲ですが、実は16歳位の時に書いた曲を蔵出ししています。サー・ジョージ・マーティンは、「PENNY LANE」と両A面にはせずに、この「WHEN I'M SIXTY-FOUR」をB面にしていれば、間違いなく「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は首位!になったので後悔していたそうです。3「LOVELY RITA」も、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、ジョンは「俺が婦人警官がどうしたなんて下らない曲を書くわけがないだろう」と云っています。4「GOOD MORNING GOOD MORNING」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていますが、コレはアルバムのコンセプトでブラスがオーバーダビングされているものの、ビートルズの4人で演奏した元のテイクの方がカッコイイです。コレも、ジョンがテレビのCMを観てヒントを得て書いた曲です。5「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」は、A面1曲目と同じポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、前述の通りこのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」がコンセプト・アルバムとかトータル・アルバムと云われるのはコレがあるからです。そして、最後の、6「A DAY IN THE LIFE」は、架空のバンドの架空のライヴ・コンサートでのアンコールと云う位置付けで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの合作で、二人で歌っている大傑作です。

この曲が最後に収録されているからこそ、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は名盤と呼ばれていると云っても過言ではありません。ジョンも、ポールと一緒に「A DAY IN THE LIFE」を作っていた時は楽しかった、と云っていました。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、楽曲のテーマはバラバラで、曲を書いたのはレノン=マッカートニーが12曲(内、ジョンが6曲、ポールが9曲)、ジョージが1曲で、リード・ヴォーカルは、ジョンが4曲、ポールが8曲、ジョージが1曲、リンゴが1曲と、異様にポール・マッカートニーが前に出ている、アンバランスなアルバムです。1964年の「A HARD DAY'S NIGHT」ではほとんどジョンの一人舞台だった様に、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」はポールのアルバムと云っても良いでしょう。ビートルズは1966年でライヴを止めたので、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」からは、ビートルズとしては1曲もライヴでは披露していません。ジョンはエルトン・ジョンと一緒に1974年に「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」を披露していて、リンゴはずっと「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」を歌っていて(ポールとの共演もあり)、ポールは、自分が主導で書いた「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と「GETTING BETTER」と「FIXING A HOLE」と「SHE'S LEAVING HOME」と「WHEN I'M SIXTY-FOUR」と「LOVELY RITA」と「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」の7曲はライヴで披露していますし、ジョンとの合作「A DAY IN THE LIFE」や、ジョンが主導で書いた「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」や、リンゴ用の「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」や、「PENNY LANE」ばかりか「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」までライヴで演奏しています。このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、その作品だけではなく、1967年と云う時代を映した作品となっていて、多くのバンドが後追いでトータル・アルバムやコンセプト・アルバムを制作するキッカケとなったのも重要です。

アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、1987年6月1日にオリジナル・ステレオ・ミックスで初CD化されました。ビートルズの初CD化が1987年だったのは、このアルバムの20周年だったからです。故にCDの装丁も他のアルバムが単なるプラケース入りだったのに、このアルバムだけが外箱入りで、ライナーノーツも気合が入っていました。ステレオ・ミックスで全世界統一規格化された事で文句が出たのも、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と、英国オリジナルでは次作アルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」でした。故に、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、単なるモノラル・ミックスのパイレート盤で充分に商売になっていた時代が、22年間もあったのです。2009年9月9日にはステレオ・ミックス(箱とバラ売り)とモノラル・ミックス(箱)がアップルからリマスターされて、ようやくステレオ・ミックスとモノラル・ミックスを公式盤CDで聴き比べ出来る様になりました。2017年5月26日には50周年の箱が出て、それもやはりアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が起点となりました。箱の内容は4CD+1DVD+1BDで、CD1がアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」全13曲の2017年ステレオ・リミックスで、CD2とCD3が「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」の2015年ステレオ・リミックスと「PENNY LANE」の2017年ステレオ・リミックスの2曲にアウトテイク31曲での全33曲で、CD4がオリジナル・モノラル・ミックス全13曲に「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「PENNY LANE」など6曲を加えた全19曲入りで、DVDとBDはアルバムとシングル全15曲の音源と、プロモーション・フィルム3曲と、映像作品「THE MAKING OF SGT. PEPPER」が収録されています。2023年11月10日にリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」の拡張盤には、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は2015年ステレオ・リミックスで、「PENNY LANE」と「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と「WITHIN YOU WITHOUT YOU」(追加収録)と「A DAY IN THE LIFE」の6曲は、2017年ステレオ・リミックスで収録されています。つまり、現在は2015年からのステレオ・リミックス音源がレギュラー化したのです。

(小島イコ)

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「匿名探偵」第3話(再)

匿名探偵 DVD BOX(5枚組)


テレ朝チャンネル2 20:00〜21:00

第3話「探偵と世間知らずの女」

片瀬那奈 AS 冴島響子

「匿名探偵」第3話の、今年初めての再放送です。那奈ちゃんが演じた「美人すぎる弁護士」の冴島響子先生は、冒頭で探偵に仕事を依頼して、事件が解決後に探偵への報酬を大幅にピンハネするパターンです。毎回そのやり取りをするバーのマスターは「モロボシ・ダン」ですが、この2012年版のシリーズ第一期では、セリフが全くありません。第3話で初登場する小池里奈ちゃんが演じた麻美は、その後も何度も再登場するセミ・レギュラーとなっています。

本放送:2012年10月26日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 21:00| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「ラストクリスマス」第5話、第6話(再)

ラストクリスマス DVD-BOX


フジテレビTWO 3:40〜5:30

第5話「輝くキス」
第6話「もう一度」

片瀬那奈 AS 藤澤律子

「ラストクリスマス」第5話と第6話の、今年3回目の再放送です。第5話では、主人公たちの勤務する会社の現地視察と称した温泉旅行があって、那奈ちゃんが演じた律子さんも同行します。社外のデザイナーにすぎない律子さんまで何故に一緒に行くのかと云うとですね、そうしてもらわないと色恋沙汰にならないからです。何しろ、このドラマの登場人物たちの振る舞いは、色恋沙汰ばかりでとても仕事をしているとは思えません。前回の別の女の怒鳴り込みで、日垣の女性関係に不信感を持つ律子さんに、日垣は大ぼらプロポーズをぶちかまします。日垣は律子さんに振られて海外に傷心旅行にゆき、砂漠に指輪を投げ捨てたものの、律子さんへの想いを断ち切れず、500キロも引き返して砂漠の中から探し出したと云う砂にまみれた指輪を渡すのです。そんな大ぼらに引っ掛かるバカはいないよなぁ、と思えば、律子さんは信じて涙ぐんでいる大バカでしたとさ。主人公の春木とヒロインの青井も、第5話のラストでは早くもに結ばれます。まあね、部屋がドアで繋がっている初期設定からして同棲している様なもんなので、そりゃあ、くっつくわなあ、第5話までよく辛抱したね、なのですけれど、まだ中盤なのに主役バカップルまで誕生したら話は終わってしまうので、第6話からは大波乱が待っているのでした。律子さんの亡き恩師はニューヨークへ留学させる手筈を取っていて、それを知らせる手紙を日垣は盗み見してしまいます。主役バカップルと律子さんと日垣の脇役バカップルで食事をして、主役バカップルは律子さんにプロポーズの返事を急かすと、律子さんはニューヨークへ行きたいから帰国するまで待って欲しいと日垣にお願いします。すると手紙を盗み見したので「死んだ恩師を忘れられないのだ」と勝手に思って逆上して逆ギレした日垣は、律子さんからターゲットをヒロインの青井に変更してしまうのでした。他の登場人物も、全員が「こいつら、バカなのか?」としか思えないトンデモ思考でトンデモ行動をやらかし捲るバカ展開は、まだまだ序の口なのでした。


(小島イコ/姫川未亜)

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2025年11月04日

「ポールの道」#901「THE BEATLES BLACK VOX」
#210「REVOLVER」

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1966年のビートルズは、大きく変化しました。まず、1964年の初主演映画「A HARD DAY'S NIGHT」と、1965年の2作目の主演映画「HELP!」につづく3作目の主演映画を、マネジャーであるブライアン・エプスタインは当然の如く企画していたのにも関わらず、中止しています。そして、BBCラジオへの出演も止めていて、テレビ出演もプロモーション・フィルムを制作する事で止めています。更に、1966年8月29日のサンフランシスコのキャンドル・スティック・パーク公演を最後に、ライヴ活動も止めてしまいました。1966年6月から7月にかけての初来日公演は、そう考えればギリギリ間に合ったわけです。そうした流れで、ビートルズは新たにスタジオ・レコーディングに特化したバンドに生まれ変わるのです。1966年6月10日には、シングル「PAPERBACK WRITER / RAIN」を英国パーロフォンからリリースしていて、A面の「PAPERBACK WRITER」は、ポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていてイントロのギターもポールで、B面の「RAIN」は、ジョン・レノンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っています。2曲共に、ポールによるベースと、リンゴ・スターによるドラムスが強烈ですが、リンゴ自身が自画自賛したジョン作の「RAIN」では、演奏を速いスピードで弾いて通常のスピードに戻したり、テープの逆回転を使っています。つまり、このシングルの段階で、既にライヴでの再現は不可能な領域に入っていますし、このシングルから、エンジニアがノーマン・スミスからジェフ・エメリックに代わっています。1966年8月5日には、7作目のアルバム「REVOLVER」全14曲入りと、アルバムからの両A面シングル「ELEANOR RIGBY / YELLOW SUBMARINE」を英国パーロフォンから同時にリリースしていて、シングル2作は全英首位!となり、アルバム「REVOLVER」は全英7週連続首位!となっています。ビートルズやローリング・ストーンズ以外にも沢山のバンドが活動していたので、アルバム「REVOLVER」は以前の様に長期間の首位!とはなっていませんし、そのサウンドの変化から取っ付き難い内容となっていたのかもしれません。

アルバム「REVOLVER」の内容は、A面が、1「TAXMAN」、2「ELEANOR RIGBY」、3「I'M ONLY SLEEPING」、4「LOVE YOU TO」、5「HERE, THERE AND EVERYWHERE」、6「YELLOW SUBMARINE」、7「SHE SAID SHE SAID」で、B面が、1「GOOD DAY SUNSHINE」、2「AND YOUR BIRD CAN SING」、3「FOR NO ONE」、4「DOCTOR ROBERT」、5「I WANT TO TELL YOU」、6「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」、7「TOMORROW NEVER KNOWS」の、全14曲入りです。1966年の新作レコードはアルバム「REVOLVER」までなので、新曲は16曲と大幅に減っています。1966年8月8日には米国キャピトル盤がリリースされていますが、米国キャピトルは1966年6月20日に編集盤「YESTERDAY AND TODAY」に3曲(「I'M ONLY SLEEPING」、「AND YOUR BIRD CAN SING」、「DOCTOR ROBERT」)とジョンが主導の3曲を先出しさせたので、米国キャピトル編集アルバムとなった「REVOLVER」は、英国オリジナル・アルバム「REVOLVER」から3曲抜いた全11曲のスカスカ盤と化してしまったのです。英国オリジナル・アルバム「REVOLVER」は、レノン=マッカートニー作が11曲(ジョン主導が5曲、ポール主導が5曲、合作が1曲)で、ジョージ・ハリスン作が3曲の、全曲オリジナルです。リード・ヴォーカルは、ジョンが5曲、ポールが5曲、ジョージが3曲、リンゴが1曲となっていて、ここに来て遂にポールが量質共にジョンと並びました。そして、ジョージが3曲とレノン=マッカートニーの後ろからダーク・ホースも追い上げて来ています。何より、A面の1曲目がカウントで始まるジョージ作の「TAXMAN」なのです。ソレは、1963年リリースのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」の最初が「I SAW HER STANDING THERE」でカウントから始まっていたのを想起させて、正にこのアルバム「REVOLVER」から新たなビートルズが誕生する様な演出となっています。

A面の、1「TAXMAN」は、ジョージ作でジョージが歌っていますが、強烈なリード・ギターはポールが弾いています。2「ELEANOR RIGBY」は、ポール主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていますが、ポールのリード・ヴォーカルと、ジョンとジョージのコーラス以外は弦楽八重奏だけで、ビートルズは演奏していません。3「I'M ONLY SLEEPING」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていますが、間奏はギターの逆回転です。4「LOVE YOU TO」は、ジョージ作でジョージが歌っていて、シタールを中心にしたインド音楽風の曲になっています。5「HERE, THERE AND EVERYWHERE」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌う美しい傑作で、ポール自身も、ジョンもお気に入りの曲です。ポールは、ビーチ・ボーイズのアルバム「PET SOUNDS」から影響されたと云っています。6「YELLOW SUBMARINE」は、レノン=マッカートニーの合作で、リンゴが歌っていて、リンゴの代表曲となりました。7「SHE SAID SHE SAID」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、この曲が個人的にはアルバム「REVOLVER」で最も好きなジョンの曲(ポールの曲で一番好きなのは「HERE, THERE AND EVERYWHERE」)です。ひっくり返してB面の、1「GOOD DAY SUNSHINE」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていますが、コレはですね、ポール自身がラヴィン・スプーンフルの「DAYDREAM」を参考にしたと云っています。2「AND YOUR BIRD CAN SING」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、この曲は初期ビートルズを感じさせる佳曲で、ジョンの声も以前と変わっていません。3「FOR NO ONE」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、これも名曲ですなあ。4「DOCTOR ROBERT」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ミドル部分はポールが手伝っている感じです。5「I WANT TO TELL YOU」は、ジョージ作でジョージが歌っていて、1991年の来日公演では驚きの1曲目でした。

6「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ポールが歌っていて、ブラス・ロックの先駆けです。そして、最後の、7「TOMORROW NEVER KNOWS」は、2025年の現在でも「衝撃作」であり続ける「問題作」で、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っています。アルバム「REVOLVER」のレコーディング・セッションは、この「TOMORROW NEVER KNOWS」から始まっているので、もう最初からライヴで再現する事など考えていなかったのでしょう。この曲は、英国オリジナル初回モノラル盤では別ミックスです。収録された捨て曲なしの全14曲は、1曲もビートルズとしてはライヴで披露しておらず、同時期のシングル「PAPERBACK WRITER」を披露しただけです。ポールはソロになって「ELEANOR RIGBY」、「HERE, THERE AND EVERYWHERE」、「GOOD DAY SUNSHINE」、「FOR NO ONE」、「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」と、自分が主導で書いた5曲を披露しているし、ジョージも「TAXMAN」と「I WANT TO TELL YOU」を披露してくれたし、リンゴは延々と「YELLOW SUBMARINE」をタコ踊りしながら歌いつづけていますけれど、1966年当時にはライヴ演奏は困難でした。アルバム「REVOLVER」は、ジョンの5曲とポールの5曲が代わる代わる収録されていて、ジョージの3曲と、リンゴが歌うレノン=マッカートニーの合作の1曲を抜いても、レノン=マッカートニーのバランスが取れているわけで、コレが最もまとまりがあるビートルズのアルバムです。そして、重要なのは、ビートルズはライヴを止める前に、このアルバム「REVOLVER」をレコーディングしていた事実なのです。つまり、ビートルズはまだツアーをやっている中で、ライヴでは再現不可能なアルバム「REVOLVER」を制作してしまったのです。それから、スカスカな米国キャピトル編集アルバム「REVOLVER」を聴くと、如何にジョンの3曲が重要であるかが分かります。レノン=マッカートニーが絶妙なバランスを保っていたアルバム「REVOLVER」を改変改悪してしまった米国キャピトルの罪は重いのです。

アルバム「REVOLVER」は、1987年4月30日に初CD化されて、それは英国オリジナル・ステレオ・ミックスでした。米国のファンは、21年もスカスカな全11曲入り「REVOLVER」を聴いていたわけで、全14曲入りのCDを聴いて驚いたでしょうなあ。そして、米国キャピトル編集盤「YESTERDAY AND TODAY」に先出しされた3曲は、全てが疑似ステレオとステレオとモノラルが英国盤とは別ミックスでした。1976年6月にリリースされた編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤では、「TAXMAN」と「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」の2曲が左右逆のステレオ・リミックスで収録されて、1977年にリリースされた編集アルバム「LOVE SONGS」には、「HERE, THERE AND EVERYWHERE」と「FOR NO ONE」が英国盤と米国盤では異なるステレオ・リミックスで収録されています。CDは、2009年9月9日にステレオ(箱とバラ売り)とモノラル(箱)がリマスターされています。そして、2022年10月28日に箱の「REVOLVER」がアップルからリリースされました。CD5枚組の内容は、CD1がアルバム「REVOLVER」の2022年ステレオ・リミックスで、CD2とCD3がアウトテイク集で、CD4がアルバム「REVOLVER」のオリジナル・モノ・マスターで、CD5は「PAPERBACK WRITER / RAIN」4曲入りのEP扱いで、些か内容がスカスカでした。2023年11月10日にアップルからリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」の拡張盤には、同時期のシングル「PAPERBACK WRITER」と、アルバム「REVOLVER」から「ELEANOR RIGBY」、「YELLOW SUBMARINE」、「TAXMAN」、「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」、「I'M ONLY SLEEPING」、「HERE, THERE AND EVERYWHERE」、「TOMORROW NEVER KNOWS」の7曲が2022年ステレオ・リミックスで収録されました。オリジナルの「赤盤」には、アルバム「REVOLVER」から「ELEANOR RIGBY」と「YELLOW SUBMARINE」の2曲しか収録されていなかったので、5曲も追加された事となっていて、ソレは近年にアルバム「REVOLVER」の評価が上がっているからなのでしょう。クラウス・フォアマンによるアルバム・ジャケットも、内容に合った素晴らしい出来栄えです。

(小島イコ)

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「匿名探偵」第2話(再)

匿名探偵 DVD BOX(5枚組)


テレ朝チャンネル2 20:00〜21:00

第2話「探偵と傷だらけの女」

片瀬那奈 AS 冴島響子

「匿名探偵」第2話の、今年初めての再放送です。主演の高橋克典さんの代表作のひとつである「特命係長 只野仁」と、同じスタッフで共演者も被っている、清々しい程の二番煎じドラマですが、やはり週末の金曜日の夜に放送される「金曜ナイトドラマ」枠では、こうしたおバカなドラマが受けるのでしょうなあ。コレも深夜ドラマなのに、数字が平均で二桁を超えていて、2014年には続編も制作されて、那奈ちゃんが演じた「美人すぎる弁護士」冴島響子先生も続投しています。只野仁は夜の顔ではスーパーマンでしたけれど、こちらではとぼけた探偵で、推理力で事件を解決するので、頭は良いのでしょう。

本放送:2012年10月19日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

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「ラストクリスマス」第3話、第4話(再)

ラストクリスマス DVD-BOX


フジテレビTWO 3:40〜5:30

第3話「涙の抱擁」
第4話「幸せの絆」

片瀬那奈 AS 藤澤律子

「ラストクリスマス」第3話と第4話の、今年3回目の再放送です。第1話と第2話では、那奈ちゃんが演じた律子さんは合わせても1分位しか出番がなかったものの、主人公の春木やヒロインの青井と同じ会社に勤務する二枚目キャラの日垣が、律子さんにしつこくつきまとっていて、何度も袖にしていて、律子さんはその会社に関わっているデザイナーであるとか、日垣の求愛を断っているのは、律子さんが亡き婚約者で恩師を忘れられないからだとか、それでも日垣はどうやら律子さんとは美大の同級生でその辺の事情を知っているのに4年間も想いつづけているとか、出演時間からは考えられない程の情報がインプットさせられていました。ところが、第3話では出演時間が大幅に増えて、何と、律子さんは結婚して仕事を辞めると云い出して、実際に婚約者をみんなに紹介したりするのです。はあ?亡き婚約者を忘れられない設定は何処へ行ったの?と思ったのも束の間、お節介なヒロイン・青井は律子さんが描いた日垣がモデルだと思われるイラストを見て、律子さんも日垣が好きだと見抜いて、第3話なのに脇役バカップルが爆誕!となるのです。はあ?はあ?オイオイ、あの婚約者はどうなるの?と思えば、そんな話は初めからなかったかの様に存在が抹消されてしまうのです。第4話では、早くも半同棲状態になったであろう律子さんが日垣の部屋で帰りを待っていると、別の女が怒鳴り込んで来ます。さあ、修羅場だ、と思えば、その女も出番はその一瞬だけで、そもそも律子さんの出番もそれだけなので、また1分間のチョイ役へと逆戻りしてしまいます。日垣は、ただ律子さんを追っかけまわしていたのではなく、名うてのプレイボーイと云う設定で、数十人もしくは数百人の女性を食い散らかしていて、その中のひとりは、ヒロインの青井なのです。第3話での脇役バカップル誕生は、単にその後に揉めさせる為であってですね、もう、この辺から、このドラマは真面目に観るとバカを見るぞ、と思わせてくれるわけですなあ。登場人物のキャラ設定が毎回コロコロ変わるのは、この脚本家は前の回を忘れて書いているんじゃないのか、と思わせられる程です。


(小島イコ/姫川未亜)

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2025年11月03日

「ポールの道」#900「THE BEATLES BLACK VOX」
#209「RUBBER SOUL」

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1965年のビートルズは、世界ツアーをやりながら、ラジオやテレビにも引っ張りだこで、2作目の映画「HELP!」も撮影して公開している中で、新曲も途切れる事なくリリースしていました。1965年4月9日にはシングル「TICKET TO RIDE / YES IT IS」を、1965年7月23日にはシングル「HELP! / I'M DOWN」を、英国パーロフォンからリリースして、1965年8月6日には5作目のアルバム「HELP!」を英国パーロフォンからリリースしています。アルバム「HELP!」全14曲中、既発シングルのA面2曲(「TICKET TO RIDE」、「HELP!」)はアルバムにも収録されていますけれど、B面の2曲(「YES IT IS」、「I'M DOWN」)は未収録です。1965年前半で新曲を16曲もリリースしていて、米国キャピトル編集アルバムで先出しされた「BAD BOY」も加えれば17曲もリリースしていました。そして、1965年12月3日には、シングル「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT」と、6作目のアルバム「RUBBER SOUL」を英国パーロフォンから同時にリリースしていて、シングルは全英5週連続首位!で、アルバムは全英12週連続首位!となっています。両A面曲である「DAY TRIPPER」と「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」はアルバム未収録で、「DAY TRIPPER」はジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンとポールが二人で歌っていて、「WE CAN WORK IT OUT」はレノン=マッカートニーの合作でポールが歌っています。その強力な2曲を含まない6作目のアルバム「RUBBER SOUL」の内容は、A面が、1「DRIVE MY CAR」、2「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)」、3「YOU WON'T SEE ME」、4「NOWHERE MAN」、5「THINK FOR YOURSELF」、6「THE WORD」、7「MICHELLE」で、B面が、1「WHAT GOES ON」、2「GIRL」、3「I'M LOOKING THROUGH YOU」、4「IN MY LIFE」、5「WAIT」、6「IF I NEEDED SOMEONE」、7「RUN FOR YOUR LIFE」の、全14曲入りです。タイトルは黒人ブルースマンがローリング・ストーンズを「プラスティック・ソウル」と揶揄した発言から、ポール・マッカートニーが考案したものです。

アルバム「RUBBER SOUL」の全14曲は、11曲がレノン=マッカートニー作で、2曲がジョージ・ハリスン作で、1曲がレノン=マッカートニー=スターキー作の、全曲オリジナルです。前述の通り、シングル「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT」は未収録なので、1965年後半の新曲は16曲で、1965年のビートルズは33曲も新曲をリリースしています。コレが米国キャピトル盤では、1965年12月6日にアルバム「RUBBER SOUL」をリリースするものの全12曲入りで、しかも2曲(「I'VE JUST SEEN A FACE」、「IT'S ONLY LOVE」)は英国での前作アルバム「HELP!」の収録曲です。残りの4曲(「DRIVE MY CAR」、「NOWHERE MAN」、「IF I NEEDED SOMEONE」、「WHAT GOES ON」)は、1966年6月20日にリリースされたブッチャー・カバーで有名な編集アルバム「YESTERDAY AND TODAY」に回されています。アルバム「YESTERDAY AND TODAY」には、既発シングル「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT」も収録されていて、米国キャピトルは独自に「NOWHERE MAN / WHAT GOES ON」もシングル・カットしているので、もう滅茶苦茶でした。ちなみに英国では、アルバム「RUBBER SOUL」からは1曲もシングル・カットされていません。A面の、1「DRIVE MY CAR」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作ですが、全編に渡ってジョンとポールが二人で歌っているモータウン風の曲です。2「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)(ノルウェーの森)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、ジョージが初めてシタールを弾いています。3「YOU WON'T SEE ME」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っています。4「NOWHERE MAN(ひとりぼっちのあいつ)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていますが、ジョンとポールとジョージが3声でコーラスしている傑作です。5「THINK FOR YOURSELF(嘘つき女)」は、ジョージ作でジョージが歌っていますが、ポールのファズ・ベースが目立っています。

6「THE WORD(愛のことば)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っています。6「MICHELLE」は、レノン=マッカートニーの合作でポールが歌っている名曲です。ひっくり返してB面の、1「WHAT GOES ON(消えた恋)」は、レノン=マッカートニーにリンゴ・スター(サー・リチャード・スターキー)が加わった共作で、アルバムに1曲のリンゴの歌ですが、リンゴは言葉を5コ位考えただけだそうです。前作「HELP!」に続いてB面1曲目がリンゴの歌なのは、ソコにしか置きようがないからでしょうなあ。2「GIRL」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌った佳曲ですけれど、1965年11月11日の最終セッションで、「YOU WON'T SEE ME」と蔵出し「WAIT」と共にギリギリで絞り出した曲です。3「I'M LOOKING THROUGH YOU(君はいずこへ)」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っています。この曲のイントロでギターをトチっているヴァージョン(米国キャピトル盤「RUBBER SOUL」のステレオ・ミックス)は、ミックス違いの泥沼に入るキッカケとなっています。4「IN MY LIFE」は、レノン=マッカートニーの共作でジョンが歌っている名曲ですが、詞はジョンで確定ですけれど、曲は双方が自分が中心で書いたと云っています。5「WAIT」は、レノン=マッカートニーの共作で二人で歌っていますが、コレは時間がなくて前作アルバム「HELP!」のアウトテイクをリメイクした曲です。6「IF I NEEDED SOMEONE(恋をするなら)」は、ジョージ作でジョージが歌っていて、1966年の来日公演でも、1991年の来日公演でも披露してくれました。最後の、7「RUN FOR YOUR LIFE(浮気娘)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っているものの、ジョン自身は「クズ曲」と云っていました。それなのに何故、アルバム「RUBBER SOUL」のレコーディング・セッションの最初にレコーディングされていて、アルバムの最後に収録されているのでしょうか。曲を書いたのは、ジョンが9曲、ポールが7曲、ジョージが2曲、リンゴが1曲で、歌っているのは、ジョンが8曲、ポールが5曲、ジョージが2曲、リンゴが1曲で、ポールが量だけではなく質でも追い上げて来ました。

アルバム「RUBBER SOUL」は、1987年4月30日に初CD化されているのですけれど、その時にはサー・ジョージ・マーティンがステレオ・リミックスした音源になっていました。アルバム「RUBBER SOUL」のオリジナル・ステレオ・ミックスは、ヴォーカルが基本的に右で、演奏が左右に泣き別れしていて、サー・ジョージ・マーティンは以前から気に入っていなかったのです。リリース当時にサー・ジョージ・マーティンがそう云うステレオ・ミックスをしたのは、モノラル・プレイヤーでステレオ盤をかけても効果が出る様に考えていたからだったそうです。つまり、失敗しちゃったのです。それで、1976年6月7日リリースの編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤に収録された「DRIVE MY CAR」や、1977年にリリースの編集アルバム「LOVE SONGS」に収録された4曲(「GIRL」、「IN MY LIFE」、「MICHELLE」、「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)」)は、英国盤と米国盤ではそれぞれ別の左右が逆でセンター寄りのステレオ・リミックスで収録されています。そして、2006年には、米国編集盤「RUBBER SOUL」が先にリマスターされて、ステレオとモノラルの「2in1」でリリースされています。2009年9月9日にステレオ・ミックス(箱とバラ売り)とモノラル・ミックス(箱)がリマスターされたものの、レギュラーとなったステレオ盤は、1987年のステレオ・サー・ジョージ・マーティン・リミックスのリマスターです。そして、オリジナル・ステレオ・ミックスは、モノラル盤に追加収録されています。1973年4月にリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」には、そもそも何故かこの「RUBBER SOUL」から6曲も選ばれていたのですけれど、2023年11月10日にアップルからリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」の拡張盤には、同時期のシングル「WE CAN WORK IT OUT」と「DAY TRIPPER」に、アルバム「RUBBER SOUL」から、「DRIVE MY CAR」、「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)」、「NOWHERE MAN」、「MICHELLE」、「IN MY LIFE」、「IF I NEEDED SOMEONE」(追加収録)、「GIRL」の7曲と、合計9曲が「2023年ステレオ・リミックス」で収録されています。

(小島イコ)

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「匿名探偵」第1話(再)

匿名探偵 DVD BOX(5枚組)


テレ朝チャンネル2 20:00〜21:00

第1話「探偵と汚れなき女」

片瀬那奈 AS 冴島響子

「匿名探偵」第1話の、今年初めての再放送です。昨年(2024年)には、8回(地上波での抜粋された回は9回)も再放送されていたのですけれど、今年はご無沙汰でした。那奈ちゃんが演じた「美人すぎる弁護士」の冴島響子は、毎回冒頭の探偵への依頼と最後のオチでバーの場面に出てくるパターンです。主演の高橋克典さんの代表作のひとつである「特命係長 只野仁」と同じスタッフで、主要キャストだった田山涼成さんや三浦理恵子さんも出ている、完全なる二番煎じです。開き直ってセルフ・パロディも交えた演出で、高橋克典さんも「まあ、同じ様なドラマです」と云っていました。「金曜ナイトドラマ」枠で平均二桁の数字を叩き出したので、2014年には続編が制作されています。やっぱり、金曜日の夜は「24 JAPAN」ではなく、こっちでしょう。

本放送:2012年10月12日(テレビ朝日)

(小島イコ/姫川未亜)

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「ラストクリスマス」第1話、第2話(再)

ラストクリスマス DVD-BOX


フジテレビTWO 3:40〜5:30

第1話「秘密の二人」
第2話「奇跡の夜」

片瀬那奈 AS 藤澤律子

「ラストクリスマス」第1話と第2話の、今年3回目の再放送です。前回の再放送で「もう再放送しないでね」とお願いしたのにも関わらず、1か月も経たないのに、またしてもこの最低最悪なドラマがやって来ました。コレはですね、来月も「クリスマスだから」と云って、再放送する気マンマンなんじゃないでしょうか。そもそも、深夜3時台から明け方5時台の再放送なんて、誰が観ているんだろう、と云う話なのですけれど、イチオー「片瀬那奈全記録」と看板を掲げているので、そこに那奈ちゃんが居るのならば、知らんぷりも出来ないわけですなあ。那奈ちゃんが演じた律子さんは、この第1話と第2話を合わせても1分位しか出番がなくてですね、当時は歌手活動から女優回帰した時期だったし、現在よりはずっと人気だった「月9」に出演すると云う事で、大いに期待したのにはぐらかされたと記憶しています。しかしながら、このヘッポコ・ドラマのその後の出鱈目な展開を考えるとですね、毎回1分のチョイ役で居てくれた方が良かったです。


(小島イコ/姫川未亜)

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2025年11月02日

「ポールの道」#899「THE BEATLES BLACK VOX」
#208「HELP!」

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1964年のビートルズは、全米制覇を成し遂げて、3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」が全英21週連続首位!で、4作目のアルバム「BEATLES FOR SALE」が全英21週連続首位!と合わせて全英42週連続首位!となっていました。1963年にはデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」が全英30週連続首位!で、2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」が全英21週連続首位!で、合わせて全英51週連続首位!だったのですけれど、アルバム「WITH THE BEATLES」とアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の間には、ローリング・ストーンズのデビュー・アルバム「THE ROLLING STONES」が割り込んでいて、全英12週連続首位!となっていました。それで、ビートルズは1965年8月6日に5作目のアルバム「HELP!」を英国パーロフォンからリリースして全英11週連続首位!となるのですけれど、アルバム「BEATLES FOR SALE」とアルバム「HELP!」の間にも、ローリング・ストーンズの2作目のアルバム「THE ROLLING STONES NO.2」が合わせて10週首位!となっています。つまり、後発のローリング・ストーンズがビートルズのライバルとしてのし上がって来たのですけれど、実際のところは、ローリング・ストーンズはビートルズの友達バンドみたいな存在でした。メンバー同士の仲も良くて、お互いのレコードに客演してもいます。何しろ、デッカにローリング・ストーンズを紹介したのはジョージ・ハリスンだし、ローリング・ストーンズのマネジャーのアンドリュー・オールダムは、ビートルズのマネジャーであるブライアン・エプスタインの部下でした。アンドリュー・オールダムは野心家で、ブライアン・エプスタインがビートルズにメジャー・デビュー前の革ジャンに革のパンツでリーゼントと云う不良スタイルだったのを、お揃いのスーツ・スタイルに変えたのを、全く逆にしてローリング・ストーンズはボサボサの髪に服装もてんでバラバラの薄汚い恰好にさせて、ビートルズの逆のそのまた逆の不良スタイルにしたのです。

アンドリュー・オールダムは、単にマネジャーをやるだけではなく、R&Bのカバーばかり演奏していたローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズにレノン=マッカートニーの様に曲を書かせて、プロデュースもビートルズが音楽のプロであるサー・ジョージ・マーティンに任せたのとは違って、自分でやっています。アンドリュー・オールダムは、実際にローリング・ストーンズのレコーディング・セッションにも参加しているフィル・スペクターに憧れていて、バンドのマネジャーではなく、音楽プロデューサーになりたかったのです。さて、1965年のビートルズですけれど、世界規模になったツアーに加えて、1964年同様に映画の撮影をやっています。1965年4月9日にはシングル「TICKET TO RIDE / YES IT IS」をアルバムからの先行シングルと云うカタチで英国パーロフォンからリリースして、1965年7月23日にはシングル「HELP! / I'M DOWN」を、やはりアルバムからの先行シングルで英国パーロフォンからリリースしています。A面の「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」と「HELP!」はアルバムにも収録されますが、B面の「YES IT IS」と「I'M DOWN」はアルバム未収録曲です。「YES IT IS」はジョン・レノンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でジョンが歌っていますが、ジョン、ポール、ジョージによる3声コーラスが美しい楽曲です。「I'M DOWN」はポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていますが、リトル・リチャードのカバーでライヴの最後に演奏していた「LONG TALL SALLY」に代わるオリジナル曲を作ろうとポールが書いたのですけれど、些か「LONG TALL SALLY」に似過ぎではないでしょうか。少なくとも、後にジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、チャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと云われた「COME TOGETHER」よりは、ずっと似ています。あくどい版権保持者だったなら、盗作で訴えられているレベルです。

英国オリジナル・アルバム「HELP!」の内容は、A面が、1「HELP!」、2「THE NIGHT BEFORE」、3「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」、4「I NEED YOU」、5「ANOTHER GIRL」、6「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL」、7「TICKET TO RIDE」で、B面が、1「ACT NATURALLY」、2「IT'S ONLY LOVE」、3「YOU LIKE ME TOO MUCH」、4「TELL ME WHAT YOU SEE」、5「I'VE JUST SEEN A FACE」、6「YESTERDAY」、7「DIZZY MISS LIZZY」の、全14曲です。大雑把に云えば、A面が映画「HELP!」用の7曲で、B面が映画には使われていない7曲です。ソレにシングルB面2曲と同セッションでレコーディングされて後にリリースされた「BAD BOY」を加えた全17曲中、レノン=マッカートニー作が12曲で、ジョン主導が6曲、ポール主導が6曲、ジョージ作が2曲、カバーが3曲です。リード・ヴォーカルは、ジョンが8曲、ポールが6曲、ジョージが2曲、リンゴが1曲です。ここに来て、遂にポールがジョンと肩を並べた感じがしますし、ジョージが2曲も書いているのにも注目ではありますけれど、内容はなかなか数と同じにはなっていません。ジョンの曲やカバーに関しては文句はありませんし、ジョージもまだ習作にすぎないのですけれど、兎に角「ポール・マッカートニーは二人居る説」を証明する様なアタリハズレの多さが目立つし、出しゃばりポールの面目躍如のレコーディングでもあるのです。1「HELP!」は同名映画の主題歌で、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、ポールとジョージの後追いコーラス入りの、文句なしの名曲で名唱です。米国サントラ盤では、イントロに「なんちゃってジェイムズ・ボンドのテーマ」入りです。2「THE NIGHT BEFORE」はダメな方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ポールが歌って、ジョンとジョージがコーラスを入れています。3「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っているボブ・ディランの影響が強い曲です。4「I NEED YOU」は、ジョージ作でジョージが歌う可愛い曲です。

そして、5「ANOTHER GIRL」なんですけれど、ダメな方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌って、ジョンとジョージがコーラスをしているのは良いとしても、オーバーダビングしたリード・ギターもポールで、わざわざソレを裏ジャケットにクレジットしているのです。6「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL(恋のアドバイス)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌ってポールとジョージが後追いコーラスをする初期のビートルズの完成形の様な名曲です。7「TICKET TO RIDE」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌ってポールがハモっている傑作ですけれど、これもまた、わざわざリード・ギターもポールだとクレジットされていて、しかもドラムスのアレンジもポールで、リンゴ・スターにポールが教えて叩かせているのです。後の「ポール独裁レコーディング」が、既に始まっていたのでした。1967年にレコーディングに特化したバンドになったアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の頃から、ポールはリンゴが帰った後に勝手にドラムスを追加で自ら叩いていて、リンゴはソレを知っていたので、随分と落ち込んだそうです。B面は、そのリンゴが歌う、1「ACT NATURALLY」からで、バック・オーウェンスのカバーです。この曲は、米国や日本では独自にシングル・カットされていて、A面がこの「ACT NATURALLY」で、B面が「YESTERDAY」でした。2「IT'S ONLY LOVE」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っています。良い曲なのですけれど、作者のジョンは「クズ曲」と云っていました。3「YOU LIKE ME TOO MUCH」は、ジョージ作でジョージが歌っていて、アルバムにジョージ作が2曲収録されたのはコレが最初です。この曲を中心にして、アルバム「HELP!」にはアコースティックな感じがあって、エレクトリック・ピアノの音が耳に残ります。と云うか、ダメな方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌った、4「TELL ME WHAT YOU SEE」が「YOU LIKE ME TOO MUCH」と同じ様な曲なんですよ。

5「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」は、絶好調な方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ポールが歌っていて、6「YESTERDAY」は云わずと知れた絶好調な方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、レコーディングもポールと弦楽四重奏だけでの傑作で、この2曲とシングルB面の「I'M DOWN」の合わせて3曲は、全て1965年6月14日にレコーディングされています。つまり、その日にポールは覚醒したのでしょうなあ。そうしてレコーディング記録を追ってみるとですね、ダメな方のポールの「THE NIGHT BEFORE」と「ANOTHER GIRL」と「TELL ME WHAT YOU SEE」は、全てが1965年2月中旬にレコーディングされているのです。故に、2月のダメな方のポールと、6月の絶好調な方のポールは、別人なのです。最後の、7「DIZZY MISS LIZZY」はラリー・ウィリアムズのカバーで、カバーの帝王・ジョン・レノンの絶唱で〆ていて、この「YESTERDAY」で終わらずに、ロックンロールで終わるところが良いわけですなあ。この「DIZZY MISS LIZZY」は1965年5月10日のレコーディングですが、同日に同じラリー・ウィリアムズのカバーである「BAD BOY」もレコーディングしています。そちらも当然ジョンが歌っていますが、1965年6月14日にリリースされた米国キャピトル編集アルバム「BEATLES Y」に先出しとなっていて、英国では1966年12月10日リリースのベスト・アルバム「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」まで未発表曲でした。この英国オリジナル・アルバム「HELP!」全14曲は、米国キャピトル編集アルバムではその「BEATLES Y」(「TELL ME WHAT YOU SEE」、「YOU LIKE ME TOO MUCH」、「DIZZY MISS LIZZY」の3曲)と、1965年8月13日リリースのサントラ盤「HELP!」(「HELP!」、「THE NIGHT BEFORE」、「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」、「I NEED YOU」、「ANOTHER GIRL」、「TICKET TO RIDE」、「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL」の7曲)と、1965年12月6日リリースの編集アルバム「RUBBER SOUL」(「I'VE JUST SEEN A FACE」、「IT'S ONLY LOVE」の2曲)と、1966年6月20日リリースの編集アルバム「YESTERDAY AND TODAY」(「YESTERDAY」、「ACT NATURALLY」の2曲)と、4作のアルバムに分けられて収録されました。普通に考えると、無茶苦茶な事をされていたわけです。

アルバム「HELP!」は、1987年4月30日に初CD化されました。ところが、ソレはサー・ジョージ・マーティンがステレオ・リミックスした新たなる音源だったのです。アルバム「HELP!」のオリジナル・ステレオ・ミックスは、ヴォーカルは中央なのですけれど、演奏が左右泣き別れとなっていて、サー・ジョージ・マーティンはソレが昔から気に入らなかったのです。それで、アナログ盤時代の1976年6月7日にリリースされた編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国キャピトル盤では、全28曲を新たに、一説にはノーギャラでステレオ・リミックスをしていて、このアルバム「HELP!」からも「DIZZY MISS LIZZY」と「THE NIGHT BEFORE」の2曲と、関連の「BAD BOY」と「I'M DOWN」の合計4曲を左右が逆で中央寄りのステレオ・リミックスで収録していました。更に、1977年10月21日にリリースされた編集アルバム「LOVE SONGS」でも、「YESTERDAY」、「I NEED YOU」、「TELL ME WHAT YOU SEE」、「IT'S ONLY LOVE」、「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL」、「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」の6曲が、英国盤と米国盤ではそれぞれ別のステレオ・リミックスで収録されています。CDはそのままに、22年間も放って置かれて、2006年4月11日には米国キャピトルのサントラ盤「HELP!」が先にリマスターされてステレオとモノラルの「2in1」でリリースされています。2009年9月9日にステレオ・サー・ジョージ・マーティン・リミックスとモノラル・ミックスがリマスターされましたが、モノラル・ミックス盤「HELP!」はオリジナル・ステレオ・ミックスとの「2in1」になっています。2023年11月10日にアップルからリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」の拡張盤には、「TICKET TO RIDE」、「YESTERDAY」、「HELP!」、「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」の4曲が2023年ステレオ・リミックスで収録されました。アルバム「HELP!」のセッションでは、公式盤に収録された全17曲以外に、レノン=マッカートニー作でリンゴが歌う「IF YOU’VE GOT TROUBLE」と、ポール・マッカートニー史上最低最悪なクズ曲「THAT MEANS A LOT」もレコーディングされてボツになっています。ポールは、二人いるんですよ。

(小島イコ)

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2025年11月01日

「ポールの道」#898「THE BEATLES BLACK VOX」
#207「BEATLES FOR SALE」

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ビートルズは英国オリジナルで、1964年3月20日にシングル「CAN'T BUY ME LOVE / YOU CAN'T DO THAT」を、6月19日にEP「LONG TALL SALLY」4曲(「LONG TALL SALLY」、「I CALL YOUR NAME」、「SLOW DOWN」、「MATCHBOX」)入りを、7月10日にシングル「A HARD DAY'S NIGHT / THINGS WE SAID TODAY」と3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」全13曲(「A HARD DAY'S NIGHT」、「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」、「IF I FELL」、「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」、「AND I LOVE HER」、「TELL ME WHY」、「CAN'T BUY ME LOVE」、「ANY TIME AT ALL」、「I'LL CRY INSTEAD」、「THINGS WE SAID TODAY」、「WHEN I GET HOME」、「YOU CAN'T DO THAT」、「I'LL BE BACK」)入りを、それぞれ英国パーロフォンからサー・ジョージ・マーティンのプロデュースでリリースしました。この1964年の前半だけで、新曲を17曲もリリースしています。そして、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」をリリースした1か月後の1964年8月11日から、早くも次のアルバムのレコーディング・セッションを開始しています。しかし、8月14日にレコーディングを行った後には、大規模なアメリカ・ツアーが行われたので、アルバムのレコーディング・セッションを再開出来たのは9月29日からで、9月30日、10月6日、10月8日、10月18日、10月26日と、他の仕事の合間に曲を書いてはレコーディングをしていて、クリスマス商戦に間に合わすにはギリギリのスケジュールとなっていました。それで、アルバムをリリースする前の1964年11月27日には、シングル「I FEEL FINE / SHE'S A WOMAN」と云う強力な2曲を英国パーロフォンからリリースするわけですけれど、例によってこの2曲は英国ではオリジナル・アルバムには未収録です。「I FEEL FINE」はジョン・レノンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、イントロがフィードバックで始まる斬新な曲で、B面の「SHE'S A WOMAN」は、ポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、どちらもライヴでも頻繁に披露されていきます。

その新曲2曲がシングルに回された為に、アルバムには新曲が14曲必要となりました。それで、1964年12月4日に何とか英国パーロフォンからリリース出来たのが、ビートルズの4作目の英国オリジナル・アルバム「BEATLES FOR SALE」です。タイトルは「ビートルズ売り出し中」と云う、身も蓋もないもので、流石のレノン=マッカートニーもそんなにホイホイとオリジナル曲を書けるわけではなかったので、オリジナルが8曲でカバーが6曲と云う、デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」と同じ構成となっております。内容は、A面が、1「NO REPLY」、2「I'M A LOSER」、3「BABY'S IN BLACK」、4「ROCK AND ROLL MUSIC」、5「I'LL FOLLOW THE SUN」、6「MR. MOONLIGHT」、7「KANSAS CITY / HEY-HEY-HEY-HEY!」で、B面が、1「EIGHT DAYS A WEEK」、2「WORDS OF LOVE」、3「HONEY DON'T」、4「EVERY LITTLE THING」、5「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」、6「WHAT YOU'RE DOING」、7「EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY」の、全14曲入りです。ビートルズのアルバムの中でも地味なアルバムとなっておりますけれど、日本ではアルバム全14曲中、なんと5枚10曲(「NO REPLY / EIGHT DAYS A WEEK」、「ROCK AND ROLL MUSIC / EVERY LITTLE THING」、「MR. MOONLIGHT / WHAT YOU'RE DOING」、「KANSAS CITY / HEY-HEY-HEY-HEY! / I'LL FOLLOW THE SUN」、「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY / EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY」)もシングル・カットされていて、人気があったのでしょう。1966年の来日公演のテレビ特番でパトカーに先導されてビートルズが乗った車が首都高を走る映像で流れた「MR. MOONLIGHT」や、来日公演の1曲目だった「ROCK AND ROLL MUSIC」の印象が強かったと、リアルタイム世代のファンの方々は云っていますけれど、このアルバムが日本で発売されたのは1965年3月15日で、1966年6月と7月の来日公演とはタイムラグがあります。それは兎も角として、1964年にビートルズは、英国オリジナルで33曲も新曲をリリースしていたわけです。

A面の、1「NO REPLY」は、トミー・クイックリーへの提供曲としてジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていますが、時間がなくて自分たちのアルバムに入れたのでしょう。しかし、楽曲の出来栄えは良くて、イントロなしでA面1曲目が始まると云う、アルバム「WITH THE BEATLES」の「IT WON'T BE LONG」と同じ手法を使っています。2「I'M A LOSER」もジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、コレはジョンが初めて内省的になって心の内を吐露した重要な楽曲と云われています。1964年と云えば、ビートルズが全米制覇を成し遂げた年ですから、そのビートルズのリーダーが「僕は負け犬」と歌っているのは衝撃的です。3「BABY'S IN BLACK」は、ジョンとポールの合作で二人で歌っていますが、コレは夭折したビートルズのメンバーだったスチュワート・サトクリフの恋人で、写真家のアストリッド・キルヒヘルを歌った曲だと云われています。4「ROCK AND ROLL MUSIC」はチャック・ベリーのカバーで、ジョンが歌っています。5「I'LL FOLLOW THE SUN」はポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌ってサビでジョンがハモっていますが、この曲は書き下ろしではなく、ポールが16歳の頃に書いた曲の蔵出しです。6「MR. MOONLIGHT」はドクター・フィールグッド&インターンズのカバーで、ジョンが歌っています。7「KANSAS CITY / HEY-HEY-HEY-HEY!」は、リトル・ウィリー・リトルフィールドのオリジナル「KANSAS CITY」に、リトル・リチャードが自作の「HEY-HEY-HEY-HEY!」を繋げたヴァージョンのカバーで、ポールが歌って、ジョンとジョージの掛け合いが入っています。ひっくり返してB面の、1「EIGHT DAYS A WEEK」は、レノン=マッカートニーの共作で二人で歌っていますが、イントロがフェイドインして来るアレンジはレコードで聴かないと効果が出ません。2「WORDS OF LOVE」は、バディ・ホリーのカバーで、ジョンとポールが歌っています。3「HONEY DON'T」は、カール・パーキンスのカバーで、リンゴにも1曲の曲ですが、元々はジョンが歌っていて、1994年リリースのスタジオ・ライヴ・アルバム「LIVE AT THE BBC」で聴けます。

4「EVERY LITTLE THING」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンとポールが二人で歌っています。日本の同名音楽ユニット「ELT」こと「EVERY LITTLE THING」は、この曲から取られています。英国ではこのアルバムからのシングル・カット曲は1曲もありませんが、前述の通り日本では5枚10曲もシングル・カットされていて、米国キャピトルでも独自にこの「EVERY LITTLE THING」をシングル・カットして全米首位!となったので、ベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」や「1」に収録されています。5「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY(パーティーはそのままに)」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ジョンが歌っています。このアルバム辺りから、ジョンの歌にはより哀愁が漂っています。6「WHAT YOU'RE DOING」は、ダメな方のポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作で、ダメな方のポールが歌っています。こんな駄作の後に入っているので、7「EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY(みんないい娘)」のジョージが目立っています。「EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY」は、カール・パーキンスのカバーで、同じアルバムに2曲もカール・パーキンスのカバーが収録されています。オリジナルの8曲は、ジョンが共作も含めて5曲、ポールが共作も含めて5曲で、リード・ヴォーカルは、ジョンが9曲、ポールが8曲、ジョージが1曲、リンゴが1曲です。ジョンとポールが合作したり二人で歌っている曲が多いのも、オリジナルが8曲と少なくなったのも、カバー曲は昔からライヴで披露していた曲をチャッチャと演奏しているのも、多忙で曲作りもレコーディング・セッションもやっている時間がなかったからだと云われています。ジャケット写真の疲れ切った様な4人の顔にもソレは表れていて、ビートルズとしては、とても呑気に「ビートルズ売り出し中」なんて云ってはいられなかったのでしょうなあ。そんなハードなレコーディングだったのに、ジョンが熱唱するカバー曲「LEAVE MY KITTEN ALONE」は平気でボツにしています。

アルバム「BEATLES FOR SALE」は、1987年2月26日に初CD化されていますが、同日発売だったアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と、アルバム「WITH THE BEATLES」と、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」と合わせて4作は、サー・ジョージ・マーティンの意向でモノラル・ミックスでのリリースでした。ソレはいいんですけれど、初期4作がモノラル・ミックスで全世界統一規格化されてしまったのです。それで、22年間も放って置かれたので、ステレオ・ミックスはパイレート盤やブートレグでしか聴けない状態となりました。2009年9月9日にステレオ・ミックスとモノラル・ミックスがリマスターされたのですけれど、その間の2004年と2006年に米国キャピトル水増し編集盤が先にステレオ・ミックスとモノラル・ミックスの「2in1」でCD化されちゃったりもしました。CD化はされていませんが、1976年6月7日にリリースされた編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤は、サー・ジョージ・マーティンがステレオ・リミックスしていて、このアルバム「BEATLES FOR SALE」からは「ROCK AND ROLL MUSIC」と「KANSAS CITY / HEY-HEY-HEY-HEY!」と「EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY」の3曲が左右が逆で中央寄りのステレオ・リミックスで収録されています。この編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」は、ベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」と「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」のオリジナル仕様全54曲とは全28曲中4曲しかダブリがなく、全曲が別ステレオ・リミックスなので、CD化しても良かったと思いますよ。編集盤「PAST MASTERS」なんかよりも、コンセプトもあって名編集盤なんですよ。2023年の「赤盤」の拡張盤では、このアルバム「BEATLES FOR SALE」からは新たに選曲された曲はありませんが、元々オリジナル仕様盤に入っていた「EIGHT DAYS A WEEK」と、同時期のシングル「I FEEL FINE」は、2023年ステレオ・リミックスで収録されています。

(小島イコ)

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2025年10月31日

「ポールの道」#897「THE BEATLES BLACK VOX」
#206「A HARD DAY'S NIGHT」

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1963年3月22日に英国パーロフォンからリリースしたデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」が30週連続全英首位!となり、それを蹴落とした1963年11月22日に英国パーロフォンからリリースしたセカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」が21週連続全英首位!となり、合わせて51週連続全英首位!となっていたビートルズですが、それを打ち破ったのはローリング・ストーンズが1964年4月12日にデッカからリリースしたデビュー・アルバム「THE ROLLING STONES」でした。そして、ローリング・ストーンズのデビュー・アルバムは12週連続全英首位!となり、それを蹴落として全英首位!となったのが、1964年7月10日に英国パーロフォンからリリースされたビートルズの3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」です。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は21週連続全英首位!となり、それを蹴落として全英首位!となるのが、1964年12月4日に英国パーロフォンからリリースされるビートルズの4作目のアルバム「BEATLES FOR SALE」です。ビートルズのアルバム「WITH THE BEATLES」と「A HARD DAY'S NIGHT」の間にローリング・ストーンズのデビュー・アルバムが割り込んでいるので、英国ではこの辺からローリング・ストーンズがビートルズのライバルとされているのですけれど、以前から書いている通り、ローリング・ストーンズをデッカに紹介したのはビートルズの最年少メンバーであるジョージ・ハリスンです。ローリング・ストーンズの初代マネジャーのアンドリュー・オールダムは、元々はビートルズのマネジャーであるブライアン・エプスタインの下で働いていて、自分もブライアン・エプスタインの様にマネジャーになりたかったのです。それで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーを連れて来て、ローリング・ストーンズのメンバーの目の前でジョンとポールが「I WANNA BE YOUR MAN」をスラスラと書いて、ミック・ジャガーとキース・リチャーズにも自作曲を作る様に仕向けたわけですなあ。

2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」のレコーディング・セッションの最終段階で、ビートルズはそれまでの2トラックではなく、4トラックでレコーディングする事となりました。しかし4トラックを導入してレコーディングしたのは1963年10月17日の「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」とシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND / THIS BOY」のみなので、アルバム「WITH THE BEATLES」のステレオ盤は「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」以外は左右泣き別れステレオ・ミックスになっています。1964年3月20日にはシングル「CAN'T BUY ME LOVE / YOU CAN'T DO THAT」を英国パーロフォンからリリースして、1964年6月19日には4曲入り(「LONG TALL SALLY」、「I CALL YOUR NAME」、「SLOW DOWN」、「MATCHBOX」)のEP「LONG TALL SALLY」を英国パーロフォンからリリースして、1964年7月10日にはシングル「A HARD DAY'S NIGHT / THINGS WE SAID TODAY」と3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」を英国パーロフォンからリリースしました。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の内容は、A面が、1「A HARD DAY'S NIGHT」、2「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」、3「IF I FELL」、4「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」、5「AND I LOVE HER」、6「TELL ME WHY」、7「CAN'T BUY ME LOVE」で、B面が、1「ANY TIME AT ALL」、2「I'LL CRY INSTEAD」、3「THINGS WE SAID TODAY」、4「WHEN I GET HOME」、5「YOU CAN'T DO THAT」、6「I'LL BE BACK」の、全13曲入りです。このアルバムに加えて、前述のEP「LONG TALL SALLY」の4曲と、ドイツ語版の「KOMM, GIB MIR DEINE HAND(I WANT TO HOLD YOUR HAND)」と「SIE LIEBT DICH(SHE LOVES YOU)」の2曲と、合わせて19曲が「A HARD DAY'S NIGHT」のレコーディング・セッション音源です。これらは、1964年2月25日、27日、3月1日と、同年6月1日、2日と、やはり多忙な中、僅か5日間でレコーディングされました。

このアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は、1964年公開のビートルズ初主演映画「A HARD DAY'S NIGHT」のサントラ盤ともなっていて、英国盤ではA面が映画で使われた楽曲で、B面が映画用以外の楽曲と、ザックリと云えば分かれています。米国では映画を配給したユナイテッド・アーティスツから純然たるサントラ盤(ビートルズが8曲に、サー・ジョージ・マーティンによるインストゥルメンタル4曲)として出ていて、全米12週連続首位!となっています。ちなみに、同時期の1964年5月30日にロンドンからリリースされたローリング・ストーンズの米国でのデビュー・アルバム「ENGLAND'S NEWEST HIT MAKERS THE ROLLING STONES」は全米最高11位です。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は、ビートルズのアルバムで唯一の全13曲が「レノン=マッカートニー作」のオリジナルで固められていて、既発シングル4曲(「CAN'T BUY ME LOVE / YOU CAN'T DO THAT」、「A HARD DAY'S NIGHT / THINGS WE SAID TODAY」)も収録されていますが、ソレは映画のサントラの主題歌と挿入歌なので外せなかったのでしょう。EP「LONG TALL SALLY」の4曲はアルバム未収録なので、ソレをアルバムに回せば全てが新曲でもいけたのです。そうはせずに、全てを「レノン=マッカートニー作」にしたのは、全曲オリジナルにしようとした固い意志が感じられます。その全13曲なのですけれど、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作が10曲で、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作が3曲と云う、アンバランスな事になっています。A面だと、ジョンとポールがハモっているジョン作の「IF I FELL」と、ポールが歌う「AND I LOVE HER」や「CAN'T BUY ME LOVE」があるし、ジョン作でジョージが歌う「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」もあるのでバランスが取れていますけれど、B面の6曲は「THINGS WE SAID TODAY」以外の5曲がジョン作でジョンが歌っていて、独壇場となっています。EP「LONG TALL SALLY」の4曲では、リンゴ・スターへの1曲が回されているので、このアルバムにはリンゴの寝ぼけた歌がないので、流れが止まりません。

1「A HARD DAY'S NIGHT」は同名映画の主題歌で、不協和音のイントロから始まるジョンの曲です。ミドル部分が高いのでポールが歌っているので共作とも云われていますけれど、ソレを云ったら「AND I LOVE HER」のミドル部分はジョンが書いたとなるのです。2「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」は「恋する二人」の邦題でもお馴染みのジョン作でジョンが歌っていて、この曲はエヴァリー・ブラザーズの「CATHY'S CLOWN」と最初の部分のコード進行が同じだと、大瀧師匠に教えてもらいました。映画だとジョンとポールが二人で歌っているのに音声はジョンだけと云う不思議な絵になっています。3「IF I FELL(恋に落ちたら)」は全編でジョンとポールが歌っているものの、書いたのはジョンです。4「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU(すてきなダンス)」はジョージが歌っていますが、書いたのはジョンです。5「AND I LOVE HER」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作の傑作でポールが歌っていますが、ミドル部分はジョンが書いたのでしょう。6「TELL ME WHY」はジョンが書いて歌っていて、一説にはコーラスもジョンがひとりで歌っているらしいのです。7「CAN'T BUY ME LOVE」はポール作でポールが歌っていて、名曲ですが、どうしても「東京ビートルズ」の怪演が頭をよぎります。ひっくり返してB面は、前述の通りジョンの一人舞台で、1「ANY TIME AT ALL」の高い部分をポールが一声入れているだけで、他にはポールの出番は、3「THINGS WE SAID TODAY(今日の誓い)」だけです。2「I'LL CRY INSTEAD(僕が泣く)」と、4「WHEN I GET HOME(家に帰れば)」と、5「YOU CAN'T DO THAT」と、6「I'LL BE BACK」の合わせて5曲は、全てジョンが書いて歌っています。その結果、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」では、ジョン作が10曲で、ポール作が3曲で、リード・ヴォーカルは、ジョンが10曲、ポールが4曲、ジョージが1曲となっています。

同時期のEP「LONG TALL SALLY」の4曲は、3曲がカバーで、「I CALL YOUR NAME」はジョン作(ビリー・J・クレイマー・ウィズ・ザ・ダコタスへの提供曲のセルフ・カバー)で、その「A HARD DAY'S NIGHT」絡みの17曲中、ジョン作が11曲、ポール作が3曲、カバーが3曲で、リード・ヴォーカルは、ジョンが12曲、ポールが5曲、ジョージが1曲、リンゴが1曲です。最早「ジョン・レノン&ザ・ビートルズ」状態となっていたのが、1964年のビートルズでした。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は、1987年2月26日に初CD化されて、その時はモノラル・ミックスでした。2009年9月9日にリマスターされたCDではステレオ・ミックスがレギュラー盤となり、モノラル・ミックスは箱「THE BEATLES IN MONO」に収録されました。例外として、1976年6月7日にリリースされた編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤には、「YOU CAN'T DO THAT」と「ANY TIME AT ALL」の2曲(EP「LONG TALL SALLY」からは「I CALL YOUR NAME」と「LONG TALL SALLY」と「SLOW DOWN」と「MATCHBOX」の全4曲)が、サー・ジョージ・マーティンによる左右が逆で中央寄りのステレオ・リミックスで収録されています。このアルバムからは4トラック・レコーディングなので、元々ステレオは左右泣き別れではなく、ヴォーカルが中央になっています。2014年1月21日リリースの箱「THE U.S. ALBUMS」には米国ユナイテッド・アーティスツ盤が初CD化されて収録されましたが、中味は2009年リマスター音源に差し替えられています。2023年11月10日にリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(「赤盤」)」拡張盤には、「CAN'T BUY ME LOVE」と「YOU CAN'T DO THAT」と「A HARD DAY'S NIGHT」と「AND I LOVE HER」の4曲が2023年ステレオ・リミックスで収録されていて、「YOU CAN'T DO THAT」はオリジナルの「赤盤」には未収録で、この時に追加収録された12曲のひとつです。それにしてもこのアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」でのジョン・レノンは、後のソロ・アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」や「WALLS AND BRIDGES」などと比べても遜色がなく、ジョン・レノンの最高傑作と云ってもよろしいでしょう。

(小島イコ)

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2025年10月30日

「ポールの道」#896「THE BEATLES BLACK VOX」
#205「WITH THE BEATLES」

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1963年3月22日に英国でのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」をリリースしたビートルズですが、それは既発シングル4曲(「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」と「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」)以外の10曲を1963年2月11日にたったの1日でレコーディングしてしまった、やっつけ仕事でした。それでもハンブルクで箱バンをやっていたビートルズの演奏能力は高く、スタジオ・ライヴに近い作品となっていて、全英チャートで30週連続首位!となっています。ビートルズは1963年3月5日には、早くも3作目のシングル「FROM ME TO YOU / THANK YOU GIRL」をレコーディングしていて、1963年4月11日には英国パーロフォンからリリースして、文句なしの全英首位!となります。そして、1963年7月1日には4作目のシングル「SHE LOVES YOU / I'LL GET YOU」をレコーディングして、1963年8月23日には英国パーロフォンからリリースして、全英首位!どころか英国のシングル売り上げの新記録を打ち立てました。そして、1963年11月22日には2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」を英国パーロフォンからリリースして、30週もずっと首位!に居座っていたビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」を自ら蹴落として首位!となり、21週連続で首位!となりました。アルバム「WITH THE BEATLES」をリリースしたばかりの1963年11月29日(レコーディングは1963年10月17日)には、5作目のシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND / THIS BOY」を英国パーロフォンからリリースして、当然の如く全英首位!を獲得して、この「I WANT TO HOLD YOUR HAND」は翌1964年に全米首位!となり、ビートルズは全米制覇を成し遂げるのですけれど、それはつまり、全世界制覇を成し遂げた事となります。

驚くべきなのは1963年の英国でのリリース状況で、シングル4作とアルバム2作も1年でリリースしているのです。しかも、2作目のシングル「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」はデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」にも収録したのですが、3作目のシングル「FROM ME TO YOU / THANK YOU GIRL」と、4作目のシングル「SHE LOVES YOU / I'LL GET YOU」と、5作目のシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND / THIS BOY」の6曲は、アルバム未収録なのです。つまり、1963年だけで英国でのビートルズは32曲も新曲を発表していたわけですよ。レコード会社の契約でそうなっていたのでしょうけれど、1年でシングル4作とアルバム2作なんて、現在の日本では坂道シリーズみたいなハイペースです。いや、例えば「櫻坂46」を例にすると、今年(2025年)は新曲7曲入りのシングルが3作に、アルバムが1作で、アルバムでの新曲は「Addiction」だけ(他はリミックス音源などの既発曲)で新曲は22曲なので、1963年のビートルズの恐ろしさがお分かり頂けるでしょうか。坂道シリーズにはガッツリと制作スタッフが居るわけですけれど、ビートルズの場合は作詞・作曲・編曲も歌も演奏も全てが自力なのです。いやいや、坂道シリーズはライヴの円盤もあるだろうと思われるでしょうけれど、1963年のビートルズはツアーもガンガンやっていて、もしもその時代にBDやDVDがあったならば、それこそ鬼の様にライヴの円盤もリリースしていたでしょう。と云うわけで、1963年11月22日にビートルズは2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」を英国パーロフォンからリリースしたわけです。内容は、A面が、1「IT WON'T BE LONG」、2「ALL I'VE GOT TO DO」、3「ALL MY LOVING」、4「DON'T BOTHER ME」、5「LITTLE CHILD」、6「TILL THERE WAS YOU」、7「PLEASE MISTER POSTMAN」で、B面が、1「ROLL OVER BEETHOVEN」、2「HOLD ME TIGHT」、3「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」、4「I WANNA BE YOUR MAN」、5「DEVIL IN HER HEART」、6「NOT A SECOND TIME」、7「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」の、全14曲入りです。

ざっと曲目を見て頂いてもお分かりの通り、何と、この2作目のアルバムには、同時期の既発シングル6曲は収録されていません。それはどう云う事なのかと云うと、「FROM ME TO YOU」も「SHE LOVES YOU」も「I WANT TO HOLD YOUR HAND」も、シングルは全英首位!の大ヒット曲なのに、アルバムには未収録なのです。こんな芸当は、流石の乃木坂46でもやっていません。デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」は既発シングル4曲を入れていたし、他の10曲はたったの1日でレコーディングされていましたが、売れると分かったので2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」では、1963年7月から10月にかけてレコーディングが行われています。しかしながら、当時のビートルズは売れっ子で、ツアーやラジオやテレビに引っ張りだこだったので、実際には7日しか本格的なレコーディングは行われていません。オリジナルが8曲でカバーが6曲と云う構成も、レコーディングにそれ程には時間を掛けられなかった事を感じさせます。オリジナル8曲中1曲がジョージ・ハリスンの処女作「DON'T BOTHER ME」であるのも、新たな挑戦ではありますが、やはり大ヒット曲を入れる事もなく「SHE LOVES YOU with From Me To You and 12 other songs」なんて云う事になっていないのが良いのです。A面の、1「IT WON'T BE LONG」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でジョンが歌っていますが、レコード盤に針を落としたらイントロなしでこの曲が始まるので掴みはオッケーです。2「ALL I'VE GOT TO DO」も、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でジョンが歌っていて、この哀愁がある歌いっぷりは本当にレコーディング当時は若干22歳だった歌い手によるものなのでしょうか。3「ALL MY LOVING」は、良い方のポールが主導で書いて歌ったレノン=マッカートニー作品の文句の付け所がない傑作で、コレもイントロなしで、ジョンの三連ギターもスゴ技ではありますけれど、ポールの下降進行ベースを弾きながら歌う荒技もスゴイのです。

個人的にはベースで最初にコピーしたのが「ALL MY LOVING」だったのですけれど、ベースは弾ける様になったものの、弾きながら歌えないんですよ。ウイングスの「SILLY LOVE SONGS」も同様で、ベースは弾ける様になったのですけれど、弾きながら歌えないんですよ。ソレを軽々と弾きながら歌うポールは凄いんだなあ、と子ども心に思ったものです。4「DON'T BOTHER ME」は、曲を書いたジョージ自身が黒歴史化している駄作です。5「LITTLE CHILD」は、リンゴ・スター用にレノン=マッカートニーが共作した駄曲ですけれど、リンゴには別の曲が決まったのでジョンが歌っています。6「TILL THERE WAS YOU」は、ミュージカル・ナンバーのカバーで、ポールが歌っていますが、参考にしたのが女性歌手のペギー・リーが歌ったヴァージョンです。ビートルズはガールズ・グループのカバーだけではなく、女性歌手のカバーまでやっていたのです。この曲の美しいけれど複雑なコード進行を簡単にすると、1968年11月22日にリリースされるアルバム「THE BEATLES」に収録された「I WILL」になります。7「PLEASE MISTER POSTMAN」は、1961年のガールズ・グループのマーヴェレッツ(全米首位!)のカバーで、後に1974年にはカーペンターズもカバー(全米首位!)しているものの、このジョンが歌うヴァージョンも傑作カバーのひとつです。これまたガールズ・グループのカバーですけれど、1995年にはスタジオ・ライヴ・アルバム「LIVE AT BBC」からのシングル・カットでビートルズ盤がリリースされています。日本では独自に1964年にシングル・カットされていて、洋楽チャート7位まで上がっているのでビートルズ盤も有名です。ひっくり返してB面の1「ROLL OVER BEETHOVEN」は、チャック・ベリーのカバーで、元々はジョンが歌っていたのですが、レコードではジョージに譲っています。ジョージは1991年12月の来日公演で、この曲をアンコールの最後に披露しています。2「HOLD ME TIGHT」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でポールが歌っていて、コレはダメな方のポールが書いた駄作ですけれど、後にフィル・スペクターを経過して大瀧師匠が「白い港」と云う傑作にしています。

3「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」は、スモーキー・ロビンソンが書いて歌ったミラクルズのカバーで、スモーキーを敬愛するジョンとジョージがデュエットしています。ジョンとジョージが二人でリード・ヴォーカルを担当したのは、この曲だけです。映画「LET IT BE」では1969年1月のヴァージョンが観れますが、緊張感がないダラダラなリハーサルで名曲が台無しです。4「I WANNA BE YOUR MAN」は、レノン=マッカートニー作でリンゴが歌っているものの、元々はローリング・ストーンズのシングル用にミック・ジャガーやキース・リチャーズたちの目の前でスラスラと書いてしまった曲です。ソレを、リンゴに歌わせたのですから、レノン=マッカートニーは鬼ですわなあ。ローリング・ストーンズのヴァージョンは結構レアで、シングルのみでアルバム未収録曲なので、CD3枚組のベスト・アルバム「SINGLES COLLECTION THE LONDON YEARS」などでしか聴けません。5「DEVIL IN HER HEART」は、ドネイズと云うマイナーなガールズ・グループのシングルB面曲のカバーで、ジョージが歌っていて、ジョンとポールが掛け合いでコーラスをやっているのですけれど、こんな曲までカバーしているビートルズは、かなりマニアックなガールズ・グループのオタクですわなあ。現在の日本で云うならば、有名なバンドが地下アイドルのカップリング曲をカバーしている様なものです。6「NOT A SECOND TIME」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品でジョンが歌っていて、コレは文句なしの隠れた名曲です。7「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」は、バレット・ストロングのカバーでジョンが絶唱していて、「PLEASE MISTER POSTMAN」と云い、この曲と云い、ビートルズはかなりモータウンを意識していたと分かります。「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」は、ローリング・ストーンズも同時期にカバーしているのですが、これまたEPのみの収録なので、編集盤や復刻盤でしか聴けないレア音源です。アルバムの構成は、デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と同じで、オリジナル8曲にカバーが6曲の全14曲入りですが、ジョン主導で書いたのが3曲、ポール主導で書いたのが2曲、二人の合作が2曲、ジョージが1曲となっています。

リード・ヴォーカルは、ジョンが7曲、ポールが3曲、ジョージが3曲、リンゴが1曲で、相変わらずジョンが圧倒していますが、ポールは必殺の「ALL MY LOVING」と名カバーの「TILL THERE WAS YOU」があるものの、もう1曲が最低な「HOLD ME TIGHT」なので、プラスマイナス1曲みたいな感じです。そこにジョージが処女作「DON'T BOTHER ME」はご愛嬌としても、B面1曲目の「ROLL OVER BEETHOVEN」とマニアックな「DEVIL IN HER HEART」でポールよりも目立っています。このアルバムは、1987年2月26日にモノラル・ミックスで初CD化されて、22年間もそのまんまで、2009年9月9日にステレオ・ミックス(レギュラー盤と箱)とモノラル・ミックス(一応限定の箱)でリマスターされました。「ALL MY LOVING」は例外で、1993年9月20日リリースのベスト・アルバム「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」でステレオ・ミックスが収録されていました。2009年のリマスター盤でレギュラー盤となったステレオ・ミックスは、所謂ひとつの「左右泣き別れミックス」で、基本的に左が演奏で右がヴォーカルです。おそらく、サー・ジョージ・マーティンは、この左右泣き別れステレオ・ミックスが気に入っていなくて、レコーディング当時は2トラック・レコーディングだったから仕方なかったわけですけれど、初CD化の際にモノラル・ミックスにしたのでしょうなあ。1976年6月リリースの編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤では、サー・ジョージ・マーティンがステレオ・リミックスしているので、このアルバムからの「I WANNA BE YOUR MAN」と「MONEY(THAT'S WHAT I WANT)」と「ROLL OVER BEETHOVEN」が左右逆で中央寄りになっていました。編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」のサー・ジョージ・マーティンによるステレオ・リミックスは、全28曲が全て公式盤とは違っているので、リマスターしてCD化しても良いと思いますよ。2023年の「赤盤」の拡張盤では、「ALL MY LOVING」と「ROLL OVER BEETHOVEN」と「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」の3曲が「2023年ステレオ・リミックス」で収録されています。

(小島イコ)

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「法廷荒らし 弁護士 猪狩文助」(再)

必殺!!主題歌ベストセレクション~裏稼業の哀歌たち~ CD


チャンネルNECO 19:00〜21:00

片瀬那奈 AS 夏目理恵子

(撮影:2007年5月/京都、奈良ロケ)

「法廷荒らし 弁護士 猪狩文助」の、今年6回目の再放送です。一昨日にBSで再放送されたばかりですけれど、今回はCSでの再放送です。那奈ちゃんが演じた夏目理恵子さんは、新人弁護士で、藤田まことさんが演じた猪狩弁護士と共に冤罪殺人事件の裁判に挑みます。奇跡の初舞台と云われた舞台「僕たちの好きだった革命」の直後に、京都と奈良でのロケで、おそらく撮影時期が被っていたドラマ「地獄の沙汰もヨメ次第」があったので、東京と関西を何往復もして撮影されています。それにしても藤田まことさんは、「必殺シリーズ」だけではなく、「はぐれ刑事純情派」や、「剣客商売」などもシリーズ化されていて、他にもこうした2時間ドラマにも出ていたので、毎日何作も再放送されていて、どれだけドラマに出ていたんでしょうか。植木等さんが自分の番組にゲストで藤田まことさんを呼んだ時に、「まこちゃんのスケジュール帳を覗いたら、3年先まで真っ黒だった」と云って爆笑していました。

本放送:2007年11月18日(BSジャパン)、2007年11月21日(テレビ東京)

(小島イコ/姫川未亜)

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「323万アクセスの、るん」



当ブログのアクセス数が、323万を超えました。今後とも、何卒宜しくお願い致します。

(小島イコ/姫川未亜)

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2025年10月29日

「ポールの道」#895「THE BEATLES BLACK VOX」
#204「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」

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ビートルズのパイレート盤やブートレグを紹介する「THE BEATLES BLACK VOX」も、気が付けば200回を越えていました。当初はパイレート盤を中心に書く心算でしたが、やはりブートレグ音源を多く取り上げる事となっていて、他にもブートレグは沢山持ってはいるものの、そろそろ別のテーマで書きたい事もありますので、まとめに入っていこうと思います。最後に紹介するのは、ビートルズの英国公式オリジナル・アルバムです。これまではパイレート盤やブートレグの他にも公式の米国盤や編集盤などについても年代順に追ってきましたけれど、肝心な英国オリジナル・アルバムに関してはスルーしていました。それでこの連載「THE BEATLES BLACK VOX」のオチは英国オリジナル・アルバムを紹介してですね、上手い具合に今度リリースされる箱「ANTHOLOGY」に繋げて、次のテーマ(仮題「BEAT THE BEATLES」)に進もうかと思っています。それで、最初は1963年3月22日にモノラル盤が、同年4月26日にステレオ盤が、それぞれ英国パーロフォンからリリースされた、ビートルズの記念すべきデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」を取り上げます。ステレオ盤がモノラル盤よりも1か月以上も後にリリースされているのは、英国パーロフォンが、兎に角何でもいいから早くリリースしたかったからでもあるのでしょうけれど、ビートルズは1968年11月22日にリリースされる英国オリジナルでは9作目のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」までは、ステレオ・ミックスとモノラル・ミックスの両方を別々に行っていたからなのです。それで、ビートルズがチカラを注いでいたのが、モノラル・ミックスだったと云われているのです。ビートルズは、1962年10月5日にシングル「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」を英国パーロフォンからリリースしてメジャー・デビューしましたが、一説にはマネジャーのブライアン・エプスタインが1万枚買い取ったとも云われていて、何とか全英17位となっています。

1963年1月11日には、2作目のシングル「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」を英国パーロフォンからリリースして、コレが大ヒットとなり、英国の一部のチャートでは首位!となったものの全英チャートでは2位止まりだったので、2000年11月13日にアップルからリリースされた英国か米国のどちらかで首位!になった曲を集めたベスト・アルバム「1」には「PLEASE PLEASE ME」が収録されていません。それなのに全英17位だった「LOVE ME DO」が偉そうに入っているのは、1964年に全米制覇した時にドサクサ紛れに全米首位!となったからです。英国パーロフォンとしては、シングル「PLEASE PLEASE ME」の大ヒットは一過性のものだと考えて、サッサとアルバムを出して売れている内に売り切ってしまおうとしたわけです。それで、アルバムのタイトルは「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」に決まって、要するに大ヒット曲の「PLEASE PLEASE ME」とデビュー曲の「LOVE ME DO」に加えて他に12曲が入っていますよ、と云う、身も蓋もない題名だったわけです。現在では単に「PLEASE PLEASE ME」と題してあるわけですけれど、ジャケットにはバッチリと「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と大きく載っているわけで、まあ、1963年当時には他のバンドもシンガーもみんなそうやってシングル・ヒットに他の曲を加えてアルバムにしていたのです。ところが、蓋を開けてみれば全英チャートで30週連続首位!となってレコード会社はウハウハだったでしょうなあ。アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」の内容は、A面が、1「I SAW HER STANDING THERE」、2「MISERY」、3「ANNA(GO TO HIM)」、4「CHAINS」、5「BOYS」、6「ASK ME WHY」、7「PLEASE PLEASE ME」で、B面が、1「LOVE ME DO」、2「P.S. I LOVE YOU」、3「BABY IT'S YOU」、4「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」、5「A TAST OF HONEY」、6「THERE'S A PLACE」、7「TWIST AND SHOUT」の、全14曲入りです。

レコードだとAB面があるので、A面の最後が「PLEASE PLEASE ME」で、その前が「ASK ME WHY」で、B面の最初が「LOVE ME DO」で、その次が「P.S. I LOVE YOU」と、既発シングル両面4曲を固めています。その他の10曲は、1963年2月11日にたったの1日でほとんどが一発録音でレコーディングされています。サー・ジョージ・マーティンは、当初はキャバーン・クラブでライヴ・レコーディングする心算だったのを、スタジオ・ライヴに変更したのです。それでサー・ジョージ・マーティンがチャチャッとオーバーダビングやミックスをやって、1963年3月22日にはモノラル盤が店頭に並んでいたわけです。このデビュー・アルバムの時には「レノン=マッカートニー」ではなく「マッカートニー=レノン」だったオリジナル曲は、既発シングル4曲以外では4曲(「I SAW HER STANDING THERE」、「MISERY」、「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」、「THERE'S A PLACE」)と合計8曲で、他の6曲はカバー・ヴァージョンです。そのカバー曲なんですけれど、半数の3曲(「CHAINS」、「BOYS」、「BABY IT'S YOU」)が、オリジナルが同時代のガールズ・グループによるヒット曲なのです。ジョン・レノンやポール・マッカートニーは、オリジナルを書いたのも、そうしたガールズ・グループのカバーも、他のバンドとは違う曲をレパートリーにする為だったと云っているのですけれど、例えばバート・バカラックが作曲した「BABY IT'S YOU」でのジョンの歌声には、オリジナルのシレルズとは違った色気があり、すっかり自分の曲にしちゃっています。最後の「TWIST AND SHOUT」は、フィル・スペクターがプロデュースしたトップ・ノーツが最初で、そのカバーがアイズレー・ブラザーズなので、カバーのカバーなのですけれど、もう完全にビートルズのオリジナル曲になっています。リード・ヴォーカルは、ジョンが7曲、ポールが5曲、ジョージが2曲、リンゴが1曲と、それ以後を考えるとポールが少なく感じられますけれど、ジョンと一緒に歌っている曲もあるし、何よりもメジャー・デビュー時にジョン・レノンは既に完全に出来上がっていました。ジョンは正に無双状態で、何でも歌える恐るべきヴォーカリストでした。

A面1曲目の「I SAW HER STANDING THERE」は、ポール・マッカートニーが主導で書いたマッカートニー=レノン作のストレートなロックンロールで、ポールのカウントから始まりポールが歌っていますが、コレはわざわざ別テイクからカウントだけ持って来て繋いでいます。2曲目の「MISERY」は、16歳の女性歌手ヘレン・シャピロ用に書いてボツになったマッカートニー=レノン作でジョンとポールで歌っていて、オリジナルでも女性歌手向けに曲を書いていたと分かります。3曲目の「ANNA(GO TO HIM)」は、アーサー・アレキサンダーのカバーで、ジョンが歌っていて、既にカバーの帝王・ジョン・レノンが聴けます。4曲目の「CHAINS」はゴフィン&キング作のクッキーズのカバーで、ジョージ・ハリスンが歌っています。5曲目の「BOYS」は、シレルズのカバーでリンゴ・スターが歌っていますが、原題通り「GIRLS」ではなく「BOYS」のままなので物議を醸した曲です。6曲目の「ASK ME WHY」と7曲目の「PLEASE PLEASE ME」は、ジョンが主導で書いて歌ったマッカートニー=レノン作品で既発シングルです。「PLEASE PLEASE ME」はステレオとモノラルが別テイクで、ステレオではジョンが歌詞を間違えて笑っています。B面1曲目の「LOVE ME DO」と2曲目の「P.S. I LOVE YOU」は、ポールが主導で書いて歌っているレノン=マッカートニー作品で既発シングルですが、「LOVE ME DO」は英国シングル初回盤のみがリンゴのドラムスで、アルバムではセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトがドラムスです。3曲目の「BABY IT'S YOU」は前述の通り、シレルズのカバーでジョンが歌っています。4曲目の「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」は、ジョンが主導で書いたマッカートニー=レノン作品ですが、ジョージが歌っています。5曲目の「A TAST OF HONEY」は元々が映画音楽のインストゥルメンタル曲で、レニー・ウェルチが歌詞付きで歌った曲のカバーで、ポールが歌っていますが、ジョンはこの手の路線が嫌いだったそうです。6曲目の「THERE'S A PLACE」はジョンが主導で書いたマッカートニー=レノン作品で、ジョンが歌っています。7曲目の「TWIST AND SHOUT」は、前述の通りのカバーのカバーで、たった1日のレコーディング・セッションの最後にジョンが絶唱していて、コレは「Take 1」で、ジョンが喉を潰してそれ以上は歌えなかったのです。

このアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」は、1987年2月26日に初CD化されていて、その時にはサー・ジョージ・マーティンの意向でモノラル・ミックスで、同日にリリースされた、2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」と、3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」と、4作目のアルバム「BEATLES FOR SALE」の4作が、モノラル・ミックスでした。サー・ジョージ・マーティンは、初期の4作をモノラル・ミックスでリリースしたのは、これが私たちが当時のスタジオで聴いたサウンドだ、とか尤もらしい事を云っていたものの、多分、ステレオ・リミックスする時間がなかったのだと疑っています。その証拠に、5作目のアルバム「HELP!」と6作目のアルバム「RUBBER SOUL」はステレオ・リミックスしているし、1993年9月20日に初CD化された「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」には、それら4作から選曲された曲もステレオ・ミックスをリマスターして収録しているのです。1987年はアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の20周年だったので、どうしてもソレを1987年6月1日にリリースしなければならず、締め切りに間に合わなかったのでしょうなあ。そして、アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」は、2009年9月9日にリマスター盤がステレオ・ミックスとモノラル・ミックスでリイシューされるまで、22年間もほったらかしにされてCDが売られていたのです。2009年リマスターCDでは、ステレオ・ミックスがレギュラー盤となっていて、左右泣き別れステレオ・ミックスが聴ける様になりました。旧CDではレギュラーだったモノラル・ミックスは限定の箱「THE BEATLES IN MONO」に収録されましたが、こちらは紙ジャケでオリジナル盤を再現していて、ミニチュア盤になっているので、コレは箱を今でも普通に買えるのでオススメです。1976年の編集アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」の米国盤では、「I SAW HER STANDING THERE」と「BOYS」と「TWIST AND SHOUT」の3曲が左右逆になっていて、中央に寄せられたサー・ジョージ・マーティンによるリミックスになっています。1977年の編集アルバム「LOVE SONGS」には、「P.S. I LOVE YOU」が英米で別のステレオ・リミックスで収録されています。2023年の「赤盤」拡張盤には、「PLEASE PLEASE ME」と「I SAW HER STANDING THERE」と「TWIST AND SHOUT」の2023年ステレオ・リミックスが収録されています。「LOVE ME DO」のリンゴがドラムスを叩いたヴァージョンのステレオ・デミックスも収録されていますが、アルバムの2009年リマスター盤ではアンディ・ホワイトが叩いたヴァージョンが収録されています。

(小島イコ)

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2025年10月28日

「ポールの道」#894「THE BEATLES BLACK VOX」
#203「ROCK'N'ROLL MUSIC LIVE & RARE 1962-1966」PART 3

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ビートルズのライヴ音源をまとめた「REEL TO REEL」からリリースされたCD10枚組のハーフオフィシャル盤「ROCK'N'ROLL MUSIC LIVE & RARE 1962-1966」を紹介していますが、このCD10枚組は年代順になってはいるものの、半分のCD1〜CD5の前半5枚に関しては「デッカ・オーディション音源」や「ポリドール音源」や「レコーディング・セッション音源」や「BBC音源」などからの抜粋となっています。些か頂けないのは、何度も書いていますけれど、トニー・シェリダンのバック・バンドを務めた「ポリドール音源」で、13曲中、ビートルズがバック・バンドを務めた音源が3曲しか入っていないのです。他の10曲はビート・ブラザーズが演奏しているわけで、例えば大瀧師匠の「LET'S ONDO AGAIN」の原曲であるチャビー・チェッカーの「LET'S TWIST AGAIN」のカバーなども演奏しているのですが、期待して聴いてもソレはビートルズではなくビート・ブラザーズが演奏しているわけですよ。確かに小箱の裏やCDジャケットには「BEAT BROTHERS」とも書かれているのですけれど、まさか10曲もビート・ブラザーズの演奏が収録されているなんて、普通に考えれば有り得ないのです。そんな事をする位だったら、10曲しか入っていないデッカ・オーディション全15曲を完全収録するとか、ポリドール音源もビートルズがバック・バンドを務めた音源を入れるとか、やりようがあるでしょう。何せ、ポリドール音源にはビートルズが単独で演奏した「AIN'T SHE SWEET」と「CRY FOR A SHADOW」があるのに、この小箱には両方共に未収録なのです。普通だったなら、ポリドール音源と云ったならば、最初にその2曲を選曲するところなのですけれどねえ。但し、最初のCD1がそんな有り得ない選曲になっているお陰で、その後は期待しないで聴けると云う事にはなりました。つまり、トニー・シェリダンとビート・ブラザーズは前座扱いなのです。それでは、今回はCD8〜CD10を紹介します。

CD8は、「PALAIS DES SPORT, PARIS」で、1「TWIST AND SHOUT」、2「SHE'S A WOMAN」、3「I'M A LOSER」、4「CAN'T BUY ME LOVE」、5「BABY'S IN BLACK」、6「I WANNA BE YOUR MAN」、7「A HARD DAY'S NIGHT」、8「EVERYBODY’S TRYING TO BE MY BABY」、9「ROCK AND ROLL MUSIC」、10「I FEEL FINE」、11「TICKET TO RIDE」、12「LONG TALL SALLY」、13「TWIST AND SHOUT」、14「SHE'S A WOMAN」、15「I'M A LOSER」、16「CAN'T BUY ME LOVE」、17「BABY'S IN BLACK」、18「I WANNA BE YOUR MAN」、19「A HARD DAY'S NIGHT」、20「EVERYBODY’S TRYING TO BE MY BABY」、21「ROCK AND ROLL MUSIC」、22「I FEEL FINE」、23「TICKET TO RIDE」、24「LONG TALL SALLY」の、全24曲入りです。1「TWIST AND SHOUT」〜12「LONG TALL SALLY」の12曲は、1965年6月20日のパリ公演・昼の部からのライヴ音源で、13「TWIST AND SHOUT」〜24「LONG TALL SALLY」の12曲は、同日の夜の部からのライヴ音源で、どちらも全12曲を完全収録しています。ラジオ番組用にライヴ・レコーディングされているので、音質も悪くはありません。但し、近年のブートレグでは「AI」を使って音質を更にアップさせていたりするので、1965年のライヴ・レコーディングとは思えない程に音質が良くなっているものもあります。同年同日の昼の部と夜の部なので、ビートルズによる演奏曲目は同じですが、ソレを「同じ曲を何度も繰り返し演奏しているから退屈」と感じられる方々にはオススメできません。ビートルズが生演奏しているのが重要であって、当時のビートルズのライヴは全11〜12曲35分のパッケージ・ショーだったので、演奏曲は決まっていたわけで、ソレの生演奏ならではのライヴごとの違いを楽しむCDなのです。

CD9は、「NME POLLWINNERS, WEMBLEY / BLACKPOOL, NIGHT OUT / SAM HOUSTON COLISEUM, HOUSTON」で、1「I FEEL FINE」、2「SHE'S A WOMAN」、3「BABY'S IN BLACK」、4「TICKET TO RIDE」、5「LONG TALL SALLY」、6「INTRO」、7「I FEEL FINE」、8「I'M DOWN」、9「ACT NATURALLY」、10「TICKET TO RIDE」、11「YESTERDAY」、12「HELP!」、13「I FEEL FINE」、14「DIZZY MISS LIZZY」、15「TICKET TO RIDE」、16「EVERYBODY’S TRYING TO BE MY BABY」、17「CAN'T BUY ME LOVE」、18「BABY'S IN BLACK」、19「I WANNA BE YOUR MAN」、20「A HARD DAY'S NIGHT」、21「HELP!」、22「I'M DOWN」の、全22トラックで全21曲入りです。1「I FEEL FINE」〜5「LONG TALL SALLY」の5曲は、1965年4月11日のロンドン公演でのライヴ音源で、6「INTRO」〜12「HELP!」の7トラック6曲は、1965年8月1日のブラックプール公演でのライヴ音源で、13「I FEEL FINE」〜22「I'M DOWN」の10曲は、1965年8月19日のサム・ヒューストン公演でのライヴ音源です。何れも完全収録ではありませんが、ラジオ番組用にライヴ・レコーディングされている音源です。以前に紹介した「YELLOW DOG RECORDS」から出た「THE ULTIMATE LIVE COLLECTION VOLUME 1」にコレと同じ1965年8月19日のサム・ヒューストン公演の昼の部と夜の部が完全収録されていましたが、アレはテープ・スピードが遅くなっていて、特に昼の部のピッチが半音に近い程に遅くなっていて、アレを聴いて「ビートルズはライヴが下手」などと云う間違った認識をされる様になった曰く付きの音源です。ソースがラジオ番組のエアチェック音源なので、音質は悪くなかったので多く広まったブートレグ音源で、テープ・スピードのピッチが狂っているので、ビートルズがやる気がない様な演奏をしていたと思われていたのです。

CD10は、「CIRCUS-KRONE-BAU, GERMANY / BUDOKAN HALL, TOKYO」で、1「INTRO」、2「BABY'S IN BLACK」、3「I FEEL FINE」、4「YESTERDAY」、5「INTRO」、6「ROCK AND ROLL MUSIC」、7「INTRO」、8「NOWHERE MAN」、9「I'M DOWN」、10「INTRO」、11「ROCK AND ROLL MUSIC」、12「SHE'S A WOMAN」、13「IF I NEEDED SOMEONE」、14「DAY TRIPPER」、15「BABY'S IN BLACK」、16「I FEEL FINE」、17「YESTERDAY」、18「I WANNA BE YOUR MAN」、19「NOWHERE MAN」、20「PAPERBACK WRITER」、21「I'M DOWN」、22「INTRO」、23「ROCK AND ROLL MUSIC」、24「SHE'S A WOMAN」、25「IF I NEEDED SOMEONE」、26「DAY TRIPPER」、27「BABY'S IN BLACK」、28「I FEEL FINE」、29「YESTERDAY」、30「I WANNA BE YOUR MAN」、31「NOWHERE MAN」、32「PAPERBACK WRITER」、33「I'M DOWN」の、全33トラック入りで全29曲入りです。CD10枚組で全260トラックで全251曲入りです。1「INTRO」〜4「YESTERDAY」の4トラック3曲は、1966年6月24日のドイツ公演・昼の部からのライヴ音源で、5「INTRO」〜9「I'M DOWN」の5トラック3曲は、同日のドイツ公演・夜の部からのライヴ音源です。そして、10「INTRO」〜21「I'M DOWN」の12トラック11曲は、1966年6月30日の日本武道館公演の初日・夜の部からのライヴ音源で、22「INTRO」〜33「I'M DOWN」の12トラック11曲は、同年7月1日の日本武道館公演・昼の部からのライヴ音源です。武道館での2公演に関しては、テレビ放送用に両方共にカメラを回していた(7月1日の昼の部が同日の21時から放送されて視聴率は「56.5%」だった)ので音質は良いのですけれど、ビートルズはライヴ活動に興味がなくなっていたので、特に6月30日の公演はやる気がない演奏(特にジョージ・ハリスンが手抜き演奏をしている)となっています。どうせ歓声が大きくて聴こえないだろうと思ったら、日本公演では規制が厳しくて聴こえて、これじゃアカンと7月1日からは気合が入った演奏となったのです。それでも「ビートルズはライヴが下手」などとは云えないんですよ。以上、CD10枚組で、後半の5枚はビートルズの有観客ライヴがたっぷりと聴けて、2千円余りの価格ですから、入門編としては充分な内容です。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする








「NO IMAGE」


here is

mia/iko presents

「the diary of nana katase」

A/K/A/ 「COPY CONTROL」


Recording Produced by IKO KOJIMA

Engineer : MIA HIMEKAWA

All voices & instruments : MW-777
(MIA/IKO/TACO/LUNA)

All Songs arranged , written and compoced by

009:栗

(A/K/A/ mia/iko) except where indicated.


with a big help from

001:ANTETSU (from NANAchan OGAMITAI of NO IMAGE),
002:USHIO (from SHiNY ☆ BRADBURYS of NO IMAGE),
008:HITO-WOLF (from MEI-KYO-SHI-SUI),
& 100 = TACO (from Queen of NO IMAGE),


055:PIN (from NEW of NO IMAGE)&
033:KIRI (from SISTER of NO IMAGE),
・・・with their family・・・,


101:NANAMI NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
051:LUNA NARUMI (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
0101010・・・,& so on:KOYUKI SISTERS #0-#2 with TVC-15,
& 「KOYUKI #3-#5」with TVC15-2!!,
m-G4-MIMI & W-7,W-10-nanaco#1-#3,

ukulele-MIDORI #1-#3 (from LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
070 & 077:NEO FLOWER GIRLS (from &'S LITTLE SISTERS of NO IMAGE),
396:pirozhki (from MARQUEE MOON),
099;mayaya

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