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2023年02月16日

「ナイアガラ考」#27「SINGLES HAPPY END」



はっぴいえんどは解散コンサートのライブ盤も出たので、もうないかと思った1974年6月25日にベルウッド(キング)から発売されたのが「SINGLES HAPPY END」です。前年の1973年9月10日にベスト盤の「CITY」が出て僅か9か月後に新たなベスト盤と思いきや、此のアルバムにはシングル6枚両面12曲を収録しているので、「CITY」とのダブりは4曲で、ヴァージョン違いを考慮すれば2曲となります。しかしながら、此のアルバムのアナログではA面だった6曲は、大瀧詠一師匠のソロシングル2枚両面4曲と、細野晴臣さんのソロシングル1枚両面2曲で、B面がはっぴいえんどのシングル3枚両面6曲と云う変則的な構成です。そして大瀧師匠のシングルは「空飛ぶくじら」がアルバム未収録だったし、他の3曲もアルバムとはヴァージョンが違います。はっぴいえんどの1枚目のシングル「12月の雨の日/はいからはくち」もアルバムとは別ヴァージョンなので、半分の6曲が当時は此のアルバムに初収録されていて、当時でもそれらのシングルは入手困難だった事もあって、特に「空飛ぶくじら」は曲自体がシングルでしか聴けなかったので、単なるシングル盤の寄せ集めながら重宝なアルバムでした。

ジャケットにはシングル盤のジャケットがそのまんま載っていましたが、近年のリイシューでは4人のイラストに変更されているので、間違って2枚買わない様に注意が必要です。下の「Oldies and Badies」と云うのは、ビートルズのベスト盤「オールディーズ」に書いてあった「OLDIES BUT GOLDIES!」と同じで「Oldies but Goodies」のシャレです。師匠のソロははっぴいえんど在籍中だったし、細野さんのソロも解散して間もなく録音されたので、寄せ集めと云う印象はありません。現在では、はっぴいえんどのシングル・ヴァージョンも大瀧師匠のシングル・ヴァージョンも、音源としては他のアルバムのボーナストラックで聴けるので、シングル盤を収集するマニアの方々以外にはドーナッツ盤は意味がないでしょうし、それらを寄せ集めた此のアルバムにはもっと意味がないでしょう。単にシングル盤を並べただけではなく「さよならアメリカ さよならニッポン」を「無風状態」とのシングルAB面を逆にして最後に持って来たりと工夫はしてありますが、其れは3枚目でラストアルバムの「HAPPY END」と同じラストになっているので、まあ、あくまでも編集盤です。

(小島イコ)

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2023年02月17日

「ナイアガラ考」#28「1974年のはっぴいえんど」



1974年には前年のライブを収録した「ライブ!!はっぴいえんど」やシングル集の「SINGLES」が出ましたが、それらは過去の作品だったわけで、解散後の4人の新作は出ておりません。しかしながら、潜伏期間であり、翌1975年には大爆発へと繋がります。はっぴいえんどの作詞を担当してドラマーだった松本隆さんは、解散後にムーンライダースのドラマーとなり、南佳孝さんや岡林信康さんやあがた森魚さんなどの作詞とプロデュースを行っていましたが、南さんから「あまりにも松本色が強くて、松本隆の作品になってしまった」と云われてプロデュース業を辞めてしまい、ムーンラーダースからも脱退して、作詞家になります。それで「メジャーな歌謡曲の作詞はしないのか」と問われて「あんなもんはいつでも書ける」と豪語してしまい、ならやってみろとなったらしいです。1975年になって太田裕美さんに書いた「木綿のハンカチーフ」を、筒美京平さんに「コレは曲に出来ないだろう」と持っていったら、アッサリと作曲されてしまい、其れまでバカにしていた歌謡曲を見直す事になったのですが、旧知のミュージシャンたちからは「裏切り者」扱いされたそうです。

一方、細野晴臣さんと鈴木茂さんのキャラメル・ママ改めティン・パン・アレーはクラウンに移籍して、様々な方々のバックを務めたり、各々のソロをレコーディングしたりしていて、そんな中で茂が単身渡米して翌年に出るソロアルバムをレコーディングしてしまい、茂もまた「ティン・パン・アレーのメンバーを裏切って渡米してしまった」と語っています。細野さんも翌年発売の問題作「トロピカル・ダンディー」のレコーディングを11月から行っています。大瀧詠一師匠は、1973年12月にナイアガラ・エンタープライズを設立して、1974年には福生にスタジオを建設して、9月にはレーベルとしてエレックと契約します。エレックに所属していた泉谷しげるさんから「エレックで大丈夫か?」と心配されたらしく、其の読みは的中して翌1975年にエレックは倒産します。大瀧師匠としてはCM曲をレコード化する事に唯一許可してくれたのがエレックだったから契約したのだそうです。そんなこんなで大瀧師匠は、まずは個人レーベルではない事を示す為に第1弾アルバムはSUGAR BABEにすると決定して、彼らのプロデュースとエンジニアを務める事となります。空白期間の様な1974年は、大いなる助走でした。今回の画像は「SINGLES」の別ジャケットですので、くれぐれも2枚買わされない様にして下さい。

(小島イコ)

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2023年02月18日

「ナイアガラ考」#29「ほうろう」



1975年は「はっぴいえんどの逆襲」とも呼ぶべきか、もしくは「日本語ロックの大転換」とでも呼ぶべきか、元はっぴいえんどの4人が関わった名盤が続々と発表された年です。まずは、1975年1月25日にMUSHROOM / 日本コロムビアから発売された小坂忠さんの「ほうろう」です。小坂さんは前にも書きましたが、GSのザ・フローラル出身で、細野晴臣さんと松本隆さんが在籍したエイプリル・フールで歌っていて、解散後にはっぴいえんどの前身であるヴァレンタイン・ブルーに加入しようとしたところ、細野さんがギター伴奏で同席したミュージカル「HAIR」のオーディションに合格してしまい、代わりに大瀧詠一師匠が加入しました。だからと云ってはっぴいえんどとの縁が切れたわけではなく、1971年に発表したソロアルバム「ありがとう」は細野さんがプロデュースして、ソロアルバムと云うよりも細野さんとの合作に近い内容でした。1972年には、林立夫さん、松任谷正隆さん、後藤次利さん、駒沢裕城さんと「小坂忠とフォージョー・ハーフ」を結成して、其のメンバーの半分に細野さんと鈴木茂さんが合体して、キャラメル・ママとなり、改名してティン・パン・アレーとなります。ティン・パン・アレーのアルバムでの林さんの楽曲「CHOPPERS BOOGIE」で其の名の通り後藤さんがチョッパー・ベースを弾き捲っているのは、フォージョー・ハーフ以来の仲間だったからです。

さて、此の「ほうろう」は小坂さんと細野さんが共同プロデュースしていて、演奏はティン・パン・アレーで、細野さんがベース、茂がギター、林さんがドラム、松任谷さんがキーボード、更に矢野顕子さんがまだ鈴木晶子名義でキーボード、タツローとター坊と美奈子がコーラス、矢野誠さんがストリングス・アレンジで参加した、今となっては超豪華絢爛なメンバーによる名盤です。しかしながら、1975年当時にティン・パン・アレー系で売れたのはユーミンこと荒井由実さんだけで、他は後に再評価されてゆくのでした。内容は、はっぴいえんど時代の細野さんの「ふうらい坊」や松本さんと茂の「氷雨月のスケッチ」のカヴァー、細野さんの「ほうろう」と「ボン・ボヤージ波止場」、小坂さんの「機関車」と「ゆうがたラブ」、アッコちゃんの「つるべ糸」に加えて、松本さんと細野さんが再び組んだ「しらけちまうぜ」と「流星都市」の9曲で、ファンキーな名演に乗せて小坂さんのソウルフルで絶品な歌声が聴けます。特に松本さんと細野さんが組んだ2曲が素晴らしい曲で、後に小沢健二さんもカヴァーした「しらけちまうぜ」1曲の為に買っても損はありません。裏切り者と云われていた松本さんとも実は相変わらず仲良しだったわけで、其れは此の盤には参加していなかった大瀧師匠も同じだったのでしょう。小坂さんは昨年(2022年)にお亡くなりになりましたが、波乱万丈な人生は語り継がれ、此の名盤も残ってゆくでしょう。

(小島イコ)

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2023年02月19日

「ナイアガラ考」#30「BAND WAGON」



1974年10月に単身渡米した鈴木茂さんは、10月28日から11月28日までの1か月間でレコーディングして、翌1975年3月25日にクラウンからファースト・ソロアルバム「BAND WAGON」を発表しました。茂以外は全て外国人のミュージシャンを起用してレコーディングされた此の大傑作アルバムで、茂は「ティン・パン・アレーのメンバーを裏切って単身渡米してしまった」と語り、全9曲の全曲が茂の曲で、2曲はインスト(「スノー・エキスプレス」と「ウッド・ペッカー」)ですが、他の7曲は全て松本隆さんが作詞していて、つまりは元はっぴいえんどの裏切り者二人によるコラボレーション楽曲となっております。冒頭の「砂の女」から「八月の匂い」「微熱少年」「人力飛行機の夜」「100ワットの恋人」「夕焼け波止場」「銀河ラプソディー」と全曲が素晴らしい出来栄えで、本場のミュージシャンと演奏しても引けを取らない茂のギターが炸裂し、大いにはっぴいえんど色を残した松本さんの詞も抜群です。特に「微熱少年」は、松本さんが後に小説化して映画化までしてしまった自身のテーマ曲の様な作品ですので、作詞家としての松本さんにとっても此のアルバムは最重要作と云えます。此処での茂の歌い方は、明らかに大瀧詠一師匠をマネていて、其れ故に「はっぴいえんどの4枚目」と呼ばれる事もあります。

此のアルバムが発表された当時、大瀧師匠はライヴで茂の曲だけを披露した事があって、其のあまりのハマりぶりに驚かされたり、大瀧師匠から茂への「BAND WAGON」の先を待っているとの発言もありました。「砂の女」はSUGAR BABEもカヴァーしていて、1994年にSUGAR BABE時代の曲だけでのライヴ「TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE」で披露した時に、客席で聴いていた大瀧師匠が感極まって泣いてしまい楽屋にお隠れになったそうです。タツローは茂の曲に対して「茂はギターで曲を作るから、レンジが広くなって歌うのが大変」と語っております。驚くべきなのは、茂以外は全てが外国人ミュージシャンなのに、ちゃんと茂の音になっていて、前述の通り「はっぴいえんどの4枚目」とまで云われる程に「日本語ロック」として成立している事です。松本さんの「100ワットの恋人」みたいな歌詞を、よくもまあ、完全なロックに出来たもんだと思いますし、其の辺は茂が伊達にはっぴいえんどに居たわけではなく、細野さんや大瀧師匠がやっている事をちゃんと見ていて、自身の曲へと昇華させていたと思います。しかしながら、茂が此の大瀧の模倣とも云われた荒荒しい歌唱法で挑んだのはコレだけで、其の後はへなへなした歌い方に変えてしまうのでした。ジャケットにティン・パン・アレーとあるのは、茂なりのお詫びだったのでしょうか。

(小島イコ)

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2023年02月21日

「ナイアガラ考」#31「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK」展望



来るべき2023年3月21日に発売される「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK」の収録予定曲が、先日発表されました。2枚組で、1枚目の「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」が大瀧詠一師匠の提供曲をセルフカヴァーした11曲で、こちらは確定の様です。2枚目の「NIAGARA ONDO BOOK」は大瀧師匠が提供したりプロデュースした18曲を収録予定で、こちらはまだ予定は未定だそうです。「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」の方は4月にアナログ盤も発売されるらしいのですが、ほとんどの楽曲がセルフカヴァーと称されたデモ音源やガイドヴォーカル音源になりそうな悪寒がして、まあ、発売されるまで分かりませんけれど、アノ「DEBUT AGAIN」の悪夢よもう一度となりそうです。そんな中で注目なのは2曲目の「ゆうがたフレンド (USEFUL SONG)/大滝詠一と鈴木慶一(冗談ぢゃねーやーず)」で、2005年に書かれた曲を元にしたとありますが、コレはおそらく「とんねるずの為に書いてボツになった楽曲」ではないかと予想されます。石橋さんの番組に松本隆さんがゲストで出て対談した時に話していて、作詞が糸井重里さんだったと語っていたので、たぶん間違いないでしょう。1曲目の「NIAGARA ROCK’N’ ROLL ONDO」は聞きなれない曲名ですが、まあ、ズッコケさせられそうです。3曲目の「ポップスター」から4曲目「うなずきマーチ」5曲目「いちご畑でつかまえて」そして7曲目「ピンク・レディー」8曲目「消防署の火事」10曲目「あの娘に御用心」11曲目「針切じいさんのロケン・ロール」はセルフカヴァーで、ガイドヴォーカル音源が多そうです。

新井満さんへの提供曲「消防署の火事」は、生前に大瀧師匠が「僕のヴァージョンは面白いよ」と語っていたので、期待出来そうです。6曲目の「暑さのせい」はアルバム「大瀧詠一」収録曲ですが、何か違うモノを出して来そうですし、9曲目「ホルモン小唄~元気でチャチャチャ」は小林旭さんへの提供曲でボツになったモノでしょう。1枚目に関しては全て初登場音源とされているので、ほぼ間違いなく大瀧師匠不在で勝手に弄った音源となりそうで、不安ではあります。2枚目の方は、本当に此の18曲が収録されたならばかなり面白い内容となりそうで、入手困難な楽曲も多いのですが、1枚目も2枚目も出来れば余計な事はしないであるがままのカタチで出して頂きたいとは思います。でも、何やら矢鱈と「なんちゃらヴァージョン」とか書いてあるので、全体的にもアノ「Happy Ending」の悪夢を思い出させられて、期待しないで待っていようとは思います。小高桂子さんのオリジナルヴァージョンの「風が吹いたら恋もうけ」と「あんあんストリート」は初出だと思いますし、他の楽曲もレア度は高く、ナイアガラの音頭路線も好きなあたくしも含めた捻くれたファンには堪らない楽曲が予定されています。まあ、期待は失望の母であるので、なるべく期待せずにいたいんですけれど、そりゃあ新作が出るわけだから期待はしちゃうんですよね。詳しい事は、1か月後に発売されてから改めて書きます。

(小島イコ)

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2023年02月22日

「ナイアガラ考」#32「NIAGARA CD BOOK I」



1974年9月にエレックと契約したナイアガラは、レーベルとしての姿勢を明確にする為に、第1弾はSUGAR BABEのアルバムを発表する事にしました。1975年4月25日にエレックからSUGAR BABEの「SONGS」が出て、5月30日には第2弾として大瀧詠一師匠の「NIAGARA MOON」が出ます。ところが、その年にエレックは倒産してしまい、ナイアガラは1976年1月にはコロムビアへ移籍する事になります。それで、大瀧師匠は「年間4枚、3年で12枚」と云う契約をしてしまいます。大瀧師匠としては自分のソロだけではなく、SUGAR BABE(タツローやター坊が在籍)や伊藤銀次さんもいるから平気だろうと思っていたらしいのですが、コロムビアに移籍したらSUGAR BABEは解散してしまい、タツローやター坊も、銀次もみんないなくなってしまうのでした。其れで3年で12枚の契約を守る為に、大瀧師匠はほとんどひとりぼっち状態で鬼の様にレコーディングをしなければならなくなってしまいます。そんな暗黒時代であるナイアガラ1期時代の11枚を、オリジナルのフォーマットでまとめたのが2011年3月21日に発売された「NIAGARA CD BOOK I」です。大瀧師匠が自らリマスターしているので、内容は文句なしです。

「ロンバケ」の30周年記念盤と同日発売で、コロムビア時代の11枚に「NIAGARA CALENDAR」の1981年ミックスを加えた12枚組で、アルバムの様にバインダーで閉じられているのでバラバラには出来ません。実は大瀧師匠は1980年代にもLPとCDで同じ企画で出していたのですが、其の時には「CDは別にした方がいいと思っていた」と大胆なリミックスをしたアルバムも多く、完全にオリジナル通りのカタチでまとめたのはコレが最初で最後となりました。此のセットで初めて「多羅尾伴内楽團」はオリジナル通り2枚に分けられたし、「DEBUT」もオリジナルヴァージョンでは初CD化だったし、他のアルバムもボーナストラックは一切収録していません。音源だけに拘るならば、ほとんどのアルバムが1990年代にスリムケース廉価盤でボーナストラック満載で出ていますし、2000年代には30周年記念盤が新たなボーナストラック入りで出ていて、まあ、ぶっちゃけ「DEBUT」だけの為に買う事となった商品ではありますし、現在では配信で買えてしまうし、サブスクも解禁されています。此の後のお話は、1990年代のスリムケース廉価盤や30周年記念盤を取り上げてゆくので、まとめて聴くならコレがありますよ、と云う事です。まあ、コレ自体が元々高価な上にプレミアが付いたりしているので、マニア向けです。

(小島イコ)

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2023年02月23日

「ナイアガラ考」#33「SONGS」



1975年4月25日に、SUGAR BABEの最初で最後のLP「SONGS」がナイアガラ・レーベルの第1弾としてエレックから発売されて、同日にシングル「DOWN TOWN/いつも通り」も発売され、「DOWN TOWN」はシングル・ミックスでした。しかしながら、エレックは其の年に倒産してしまい、コロムビアに移籍して1976年10月25日に再発されましたが、其の時にはSUGAR BABEは解散していました。更にソニーに移籍して1981年4月1日に再々発売となり、同年12月2日には「NIAGARA VOX」にも収められています。そしてCDの時代となり、1986年6月1日に初代「NIAGARA CD BOOK T」と単品でソニーから初CD化されるのですが、内容は吉田保さんによる大胆なリミックス盤となっております。最初に聴いた時には「風の世界」でター坊が「かぜー」と歌った後にエコーがかかる部分がなかったりして、結構、違和感がありました。SUGAR BABEの楽曲はナイアガラのオムニバス盤などで小出しにされてゆきましたが、1980年代にはタツローやター坊がブレイクしたにも関わらず、其れほどには再評価されてはいませんでした。

其の再評価が爆発したのは、1994年4月10日に初めてオリジナルマスターでCD化された時です。ナイアガラ・レーベルでありながらソニーからではなくイーストウエストからの再発となったのは、大瀧詠一師匠によれば「実質的に山下くんがプロデュースしているから、彼の所属レコード会社から出す」と云う事で、マスタリングは原田光晴さんです。此の時には目に見えて売れて、オリコンチャートでも3位まで上がっていて、タツローは「20年近く昔のレコードがこんなに売れたのは、今の音楽がよっぽどつまらないからだ」と語り、SUGAR BABE時代の曲だけのライヴをやって、ター坊もゲスト出演させて、積年の恨みを晴らしています。と申しますのは、此のレコードが発売された1975年には売れないどころか、対バン形式でフェスにSUGAR BABEが出演するとモノを投げられたりしたからなのです。1994年盤の「SONGS」は、オリジナルの11曲に加えて7曲のボーナストラックが収録されていて、4曲は1974年4月のニッポン放送でのデモで、3曲は1976年3月と4月の解散コンサートからの音源です。

発売当時は全く受け入れてもらえなかった此のアルバムには、後のタツローやター坊のソロに直結した音楽が詰まっています。タツローの「SHOW」「DOWN TOWN」に続いてター坊の「蜃気楼の街」「風の世界」と来て村松さんの「ためいきばかり」と続くA面、ター坊の「いつも通り」からタツローとター坊のデュエットが聴ける「すてきなメロディー」、そしてタツローの「今日はなんだか」「雨は手のひらにいっぱい」「過ぎ去りし日々“60's Dream”」と来て最後の「SUGAR」でお祭り騒ぎとなるB面の本編は、正に名曲揃いなのですが、レコーディング環境は最悪だった様で、其れをガレージ・ロック・バンドとして封じ込めたミキサーの笛吹銅次さんの手腕も光ります。笛吹銅次と云うのは大瀧師匠の変名のひとつですが、此のレコードに関しては実質的な音楽プロデューサーはタツローであって、大瀧師匠はエンジニアとしての貢献度の方が高い作品です。タツローとター坊が同じバンドにいたと云うのは、奇跡に近い事実で、個人的には「ジョンとポールが同じバンドにいた」に匹敵するのですが、タツローによれば「此のレコードはインディーで時代と寝ていなくて、そんな作品はコレしかなくて、それ故に偶然に古くならなかった」との事です。モノを投げられる中で演奏していた経験から、捻くれちゃったんですね。

余談ですが、先日BSでフランス映画「地下鉄のザジ」を放送していました。ター坊が原田知世ちゃんに書いて後にセルフカヴァーもした楽曲の元ネタとなった映画ですが、字幕担当が今は亡き寺尾次郎さんでした。寺尾さんはSUGAR BABEのベーシストと同一人物で、ミュージシャンを辞めてフランス語の翻訳者に転身したのですが、ひょんなところでコラボしているみたいで嬉しかったです。

(小島イコ)

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2023年02月24日

「ナイアガラ考」#34「SONGS 30th Anniversary Edition」



SUGAR BABEの「SONGS」のCDは、1986年のリミックス盤、1994年のオリジナルマスター盤と来て、1999年には品番変更で1994年盤が再発されました。約10年ごとに再発されていて、2005年12月7日にはナイアガラ30周年記念盤のひとつとして、大瀧詠一師匠がリマスターして、此の時にはソニーからの発売となりました。1986年盤を吉田保さんによるリミックス盤にしたのは、1975年当時にはアマチュアのエンジニアだった笛吹銅次(大瀧師匠の変名)がミックスをしたので、プロのエンジニアだったらどうなっていたかを試したかったのだそうです。しかし、タツローから「アレは味なんだから、オリジナルマスターじゃないと」と云われて、1994年盤となったそうです。そして、此の30周年記念盤では自らリマスターを手掛けて、30年前からの笛吹銅次としての決着を付けようと試みました。ナイアガラの音源がどうなっているのかを、タツローですら分からなかったのですが、1995年にタツローのベスト盤「TREASURES」を出した時にオマケで「パレード」を収録する事になったら、大瀧師匠がリミックスしたので、其の時に初めて「コレはマルチテープがデジタル化されているな」と分かったそうです。事実として、大瀧師匠は1990年代にはスリムケース廉価盤を出しながら、全てのナイアガラ音源をデジタル化していました。

此の30周年記念盤には、本編11曲に加えて1994年盤よりも多い9曲ものボーナストラックが収録されています。其の内の4曲のニッポン放送でのデモ音源「夏の終わりに」「パレード」「SHOW」「指切り」は1994年盤にも収録されていましたが、「夏の終わりに」はマルチテープからのリミックスで、曲の前の様子も入っている別ヴァージョンです。「想い」と「いつも通り」は1974年のライヴで初出音源で、「ためいきばかり」と「SUGAR」も初出の別ミックスです。最後の「DOWN TOWN」の純カラオケ音源も初出なのですが、コレがどう云うわけなのか実際にレコードになったモノとはクラヴィネットのテイクが別になってしまっています。大瀧師匠が意図的に変えたのか、タツローが云う様に「大瀧さんはそういうところはアバウトだから」なのか分かりませんが、レアではあります。其れで40周年記念盤を出す時にタツローがリマスターだけではなくリミックスもしたのは、此の大滝師匠の悪戯もしくは天然で替えられたクラヴィネットを元に戻そうとして、どうせなら全曲のカラオケを作って、其れに歌を乗せたら良くなったからで、ター坊にも聴かせたら「いいね」と云ってくれたからなのでした。つまりは大滝師匠のミスもしくは謎かけがなければ40周年記念盤は存在していなかったかもしれないのです。

そうなるとですね、1994年盤とも30周年記念盤とも違う40周年記念盤のみに収録された15曲ものボーナストラックも商品化されていなかったわけでして、大滝師匠には「よくぞ間違えて下さった」もしくは「よくもわざと違うテイクを使って下さった」と感謝するしかありません。大滝師匠が死して尚残す異常なまでもの音源への拘りが、この様な事態を生んでいるわけです。30周年記念盤の特徴としては、ジャケットや帯も1975年にエレックから最初に発売された時と同じにしていて、ジャケットの紙の質感まで当時と同じにしている点もあげられます。そもそも、日本においては10年おきに記念盤を出し続けるなんて発想自体が稀で、其れを1980年代から2013年に亡くなるまでやり続けた事が前代未聞でした。リマスターをし続けたのは、世界初のCDを出した者としての責任感もあったのでしょうけれど、リマスターと云う考え方がなかった時からリマスターをしていたのですから、恐れ入ります。故に「ロンバケ」と「トライアングル2」には同じ品番で3種類のマスター違いがあるなんて事にもなってしまいました。尚、「SONGS」は2011年に「NIAGARA CD BOOK T」にも収録されましたが、そちらはボーナストラックなしで、新たなリマスターとなっております。

SUGAR BABEは個人的には日本で一番好きなバンドでありましてですね、もう海賊盤みたいな音質の音源ですら有難がって聴く位に好きなのですけれど、1曲選べと云われたならば「SUGAR」です。ナンシー・シナトラの「シュガータウンは恋の町」からコーラス部分を拝借しているのですけれど、何と云っても布谷文夫さんが大暴走するエンディングが凄くて、実にナイアガラっぽい曲になっております。此の曲はライヴでは20分位の長さで披露していて、途中でタツローがバラード風に歌うパートなどもあって、ラジオでは公開した事があります。40周年記念盤に収録されるか楽しみだったのですが、流石に長過ぎるからやめたんでしょうか。それともやはり再来年に「SONGS VOX」でも出して、其れに入れる心算なのでしょうか。個人的にはタツローの歌は若さだけで張り上げていた此の時代の方が圧倒的に好きだし、ター坊も低い地声に近い声だった此の頃が好きです。其の上、あたくしはタツローの曲よりもター坊の曲の方が好きなので、非常に稀なファンでした。其れでター坊のソロ「Grey Skies」を買ったら、SUGAR BABEっぽい曲も多くてハマった口です。其れもそのはずで、SUGAR BABE時代の楽曲をタツローのアレンジでやっていたわけで、当たり前だったんですよね。

(小島イコ)

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2023年02月25日

「ナイアガラ考」#35「NIAGARA MOON」



1975年5月30日にエレックから発売された「NIAGARA MOON」は、ナイアガラ・レーベルの第2弾で、大瀧詠一師匠の2枚目のソロアルバムです。レーベルの第1弾はSUGAR BABEの「SONGS」で、そちらがポップス路線だったので、大瀧師匠は敢えてメロディータイプは封印して、完全にノベルティ路線に振り切った作品となっています。発表した其の年にエレックが倒産してしまい、翌1976年1月に改めてコロムビアに移籍となった為に、其の後のリリースは「SONGS」と同じ様な変遷となります。1976年10月25日に再発されて裏ジャケが変わり、更にソニーに移籍後に1981年4月1日に再再発されまた裏ジャケが変わり、同年12月2日発売の「NIAGARA VOX」にも収められます。そして1986年6月1日に初代「NIAGARA CD BOOK T」と単品で初CD化されて、1995年3月24日にスリムケース廉価盤で発売されました。しかしながら、大瀧師匠自らが「何度リミックスしてもオリジナルよりも良くならない」と語っていて、基本的にはリミックスされていない音源となっていました。それは2005年3月21日に発売された30周年記念盤や2011年3月21日に発売された2代目「NIAGARA CD BOOK T」でも同じだったのですが、大瀧師匠の死後に2015年7月29日に発売された40周年記念盤ではリミックス盤となってしまった事は以前に書いた通りです。

実は「NIAGARA MOON」の収録曲の内4曲(「ナイアガラ・ムーン」「楽しい夜更し」「福生ストラット(PART U)」「恋はメレンゲ」)は1978年8月25日発売の「DEBUT」でリミックスされているのですが、ベスト盤でありながら既出音源は使用しないと云うコンセプトだったのでやってみたと云う事でしょう。現在では「DEBUT」は2代目「NIAGARA CD BOOK T」に入っていて、配信でも聴けます。今回取り上げるのは1995年のスリムケース廉価盤で、本編に続いて6曲のボーナストラックが収録されています。裏ジャケは、またしても変わっています。まずは本編ですが、以前も書いた通り初めて此のアルバムを聴くのならば、40周年記念盤のCDを買ってはいけません。此のアルバムは、此のスリムケース廉価盤もしくは30周年記念盤のオリジナル通りのマスターで曲順でなければ意味がないのです。優麗な「ナイアガラ・ムーン」で幕を開けたかと思ったら、いきなり「三文ソング」へと雪崩れ込み、そこからは前代未聞の「日本語ロック」と申しますか「リズム歌謡ロック」とでも申しましょうか、はっぴいえんどを真っ向から否定するかの様な摩訶不思議な音楽が展開されています。はっぴいえんど解散後の「脱・松本隆」路線は、細野晴臣さんも同じ道へと進んだものの、やはり大瀧師匠の方が其の辺の「松本の詞を歌わされていた」と云う鬱憤が大きかった様です。

言葉遊びに振り切って、意味すらない様な作詞をするのは、はっぴいえんど時代の大瀧師匠が書いた詞でもお馴染みではあったものの、やはりそこはメインの作詞家であった松本さんの世界観が勝っていました。其のタガが外れた此のアルバムでの詞は、もう滅茶苦茶です。本編が30分にも満たずに終わってしまいますが、余りにも凄まじい12曲が続くので満足度は高いです。ボーナストラックには5曲のスタジオライヴ音源(1976年2月20日収録)と「DEBUT」でのリミックスされた「ナイアガラ・ムーン」が収められています。全て初CD化音源で、スタジオライヴはSUGAR BABEのユカリ、寺尾さん、村松さん、更に元ココナツ・バンクの銀次、駒沢さん、そして教授による今となってはスーパーグループが演奏しています。1990年代のスリムケース廉価盤(20周年記念盤とも云われている)と2000年代の30周年記念盤は、リマスタリングが違うだけではなく、ボーナストラックも違っているので、ある内に買っておいた方が良いですよ。いや、配信もあるから、とか、いやいやサブスクでも聴けるから、なんて云っていると「いつまでも、あると思うな、ナイアガラ」と云う格言通りに、いきなり無くなってしまうのがナイアガラなのです。特にスリムケース廉価盤は、廃盤になっているタイトルもチラホラと出ております。

(小島イコ)

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2023年02月26日

「ナイアガラ考」#36「大瀧詠一」Yoo-Loo盤



ここで、一旦逆戻りして、三度アルバム「大瀧詠一」を紹介します。1972年11月25日に発表された大瀧詠一師匠のファースト・ソロアルバム「大瀧詠一」は、何度も再発されていますが、大まかに云うと以前紹介した通りに、オリジナルのままでの12曲入りと、昨年(2022年)に発売された50周年記念盤で2枚組の「乗合馬車」と、今回取り上げるスリムケース廉価盤のダブルオー盤の3種類があります。ジャケットは全て同じで、しかも似た様なジャケットの全曲カヴァー集や、悪名高き「Happy Ending」もあるので、まあ、コレは大瀧師匠の他のアルバムにも云えますが、購入する時には注意が必要です。今回また逆戻りしたのは、ダブルオー盤が「NIAGARA MOON」のスリムケース廉価盤と同じ1995年3月24日に発売されているからです。以前にも書きましたけれど、此のアルバムを購入するならば、ダブルオー盤が最適です。画像はダブルオー盤がソニーから再発されたモノですが、Yoo-Looとあるので内容は同じです。内容は、最初にシングル2枚両面4曲を配して、5曲目から15曲目まではアルバム「大瀧詠一」を其の侭で収録して、16曲目の「いかすぜ!この恋」は「シッカリとした」ヴァージョンで、17曲目から21曲目まではレアトラックで、最後の22曲目はアルバムでの「いかすぜ!この恋」と云う構成で、結果的にはアルバムに10曲のボーナストラックを収録したモノになっております。

「乗合馬車」にも此の時のボーナストラックは全て収録されている上に更に5曲半が加わっているのですが、曲順も滅茶苦茶としか思えないし、本当に大瀧師匠が40周年の時に構想したのかどうかは誰にも分かりません。価格的な事を考えれば、此のスリムケース廉価盤で充分に楽しめますので、中古でコレを買った方が良いですよ。それから、大瀧師匠の初期音源を収録したアルバムにはベルウッド(キング)から出ている「アーリー大瀧詠一」と云うのがあってですね、ソレは大瀧師匠が「ロンバケ」で売れた後に便乗して発売されたモノで、アナログ盤は10曲入りで、CD化された時に17曲入りになっています。内容はシングル2枚4曲と、アルバム「大瀧詠一」から楽曲がダブらない様に9曲と、はっぴいえんどの「HAPPY END」から2曲と「ライブ!!はっぴいえんど」から2曲と云う、在る曲は全部入れたお徳用なのか何だか分からない選曲です。全曲揃えるならばアルバムを4枚買わないと揃わないとは云え、何とも節操のない代物で、大瀧師匠は積極的には関わっていないレコードとなっております。しかもCDはジャケット違いもあって、収録曲も10曲入りと17曲入りがあって、非常に混乱するブツでもあります。ジャケットは二つ共にやる気のなさが感じられる趣きのないデザインで、コレクターの方でもゲンナリするでしょう。と云うわけで、初期音源ならば此のスリムケース廉価盤一択でよろしいかと存じます。

(小島イコ)

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2023年02月27日

「ナイアガラ考」#37「Niagara Moon 30th Anniversary Edition」



大瀧詠一師匠も「名盤でした」と認めた「NIAGARA MOON」は、ナイアガラの30周年記念盤では順番を無視してSUGAR BABEの「SONGS」よりも早く2005年3月21日に発売されました。そして此の「ナイアガラ不滅シリーズ」の30周年記念盤は、大瀧師匠が亡くなるまでつづくのでした。30周年記念盤は、本編12曲がオリジナル通りに新たなリマスターで収録されて、更に1995年盤とは違うボーナストラックが、なな、なんと14曲も入っています。つまり、本編よりもオマケの方が曲数が多く長いのです。バックを務めているのは、細野晴臣さんがベースで、林立夫さんがドラムで、鈴木茂さんがギターで、佐藤博さんがピアノのキャラメル・ママとハックル・バックが合体した凄腕の面々に、キャラメル・ママの松任谷正隆さんもピアノのオーバーダビングで参加していて、更には元ココナツ・バンクでSUGAR BABEのドラムのユカリとギターの銀次に駒沢さんに、SUGAR BABEのベースの寺尾さんとギターの村松さん、そしてコーラスにはSUGAR BABEのタツローとター坊、美奈子、シンガーズ・スリー、キング・トーンズ、ホーンは稲垣セクションと、超豪華絢爛なメンバーを揃えております。30周年記念盤ではまたしても裏ジャケが変わっておりますが、大瀧師匠が着ているシャツは1975年盤以降全て同じです。此の「NIAGARA MOON」での楽曲は、後の複雑怪奇に様様な元ネタを組み合わせたのではなく、結構そのまんなで日本語を乗っけた感じになっていて、例えば「論寒牛男」なんかはエルヴィスの「お日様なんか出なくてかまわない」の替え歌と云ってもよいストレートな直球勝負と申しますか、まあ、分かり易いネタです。

「恋はメレンゲ」なんかも間奏が元ネタのイーディ・ゴーメの「恋はボサ・ノバ」と全く同じだし、「楽しい夜更し」の「楽しいよ、たのしよ」も元ネタのアーニー・ケイドーの「マザー・イン・ロウ」と全く同じで、全体の歌メロやアレンジはリトル・ジュニア・パーカーの「フォクシー・デビル」と全く同じなのですが、1970年代には大瀧師匠がネタにする様な音源は多くが廃盤でバレなかったと申しますか、大瀧師匠も「分かるなら当ててみろ」と開き直っていたのでしょうか。「DEDICATION」として元ネタまで明かしているので、分かって欲しいと云うか「分かっちゃいるけどやめられない」だったのでしょうか。ほぼ全編でベースを演奏している「日本一のベース奏者(タツロー談)」である細野さんも凄いのですが、此のレコードで最も弾けているのは「BAND WAGON」を録音して帰国したばかりの茂のギターです。「福生ストラット(PART U)」では、なんとまあ、アンプの上に乗って踊りながら弾いていたらしいのですが、もうコノ時代からキメて演奏していたのでしょうか。其れで30周年記念盤に新たに入った14曲ものボーナストラックですけれど、コレが所謂ひとつのカラオケなのでございます。只のカラオケではなく、1995年にリミックスされた音源です。つまり、大瀧師匠は生前には1995年リミックスをカラオケでしか発表しなかったわけで、如何に40周年記念盤が怪しいと云う事にもなるのです。最後の「ナイアガラ・ムーン」のラストは別テイクの滝の音で、タツローが滝で何か叫んでいる声が初めて公開されておりますが、コレはタツローには「誰かが無くしたから、そんなものはない」と嘘をついていた音源です。「NIAGARA MOON」に関しては、40周年記念盤は論外だし、此の30周年記念盤よりも、やはりスリムケース廉価盤の方がボーナストラックも含めて最も良いと思います。

(小島イコ)

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2023年02月28日

「ナイアガラ考」#38「トロピカル・ダンディー」



1975年は、1月に小坂忠さんの「ほうろう」が、3月に鈴木茂さんの「BAND WAGON」が、4月にSUGAR BABEの「SONGS」が、そして5月には大瀧詠一師匠の「NIAGARA MOON」、6月20日には荒井由実さんの「COBALT HOUR」と来て、6月25日には細野晴臣さんの2枚目のアルバム「トロピカル・ダンディー」がクラウンから発売されました。大滝師匠の「NIAGARA MOON」も問題作でしたが、此の「トロピカル・ダンディー」もかなり衝撃的なアルバムです。細野さんと云えば、はっぴいえんど時代の「風をあつめて」や、ファースト・ソロアルバムでの「恋は桃色」と云ったフォークロック風な作風だったのですが、此の「トロピカル・ダンディー」はそれらをちゃぶ台をひっくり返したが如く変貌しています。YMOでの細野さんしか知らないと、逆にはっぴいえんどでの作風の方が違っていたかの様に感じられる程に、ここから始まった無国籍音楽は不可思議なムードを感じさせられる「へんちくりん」なモノとなっています。作詞作曲編曲に加えて、細野さんが歌い楽器もマルチプレイヤーとしてベースだけではなくメロトロン、マリンバ、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギター、クラヴィネット、カウベル、ホイッスル、コーラスと様々な楽器を演奏した上に、ギターが茂、ドラムが林立夫さん、キーボードの松任谷正隆さんと佐藤博さん、スティール・ギターの駒沢裕城さん、ギターで銀次、パーカッションに浜口茂外也さん、ストリングスアレンジで矢野誠さん、ゲストヴォーカルで吉田美奈子さんと久保田真琴さん、コーラスにシンガーズ・スリーの伊集加代子さんと云ったティン・パン・アレー系のミュージシャンが勢揃いしています。

「絹街道」では南こうせつさんがコーラスで参加しているのですが、まあ、当時は同じレコード会社だったので、ひょっこり参加したのかもしれません。半年の間に6枚もの「元・はっぴいえんど」で「ナイアガラ系」と「ティン・パン・アレー系」のアルバムが発表されたのですから、只事ではないと思わされますけれど、当時は全く売れませんでした。前にも書きましたが、当時ティン・パン・アレー系で売れたのはユーミンだけです。個別では取り上げませんが、1975年6月20日にはユーミンこと荒井由実さんの「COBALT HOUR」も発売されていて、バックはティン・パン・アレーでコーラスでSUGAR BABEのタツローとター坊や美奈子が参加していて、特にタツローの声がデカくて目立ちます。その他は全て後年に再評価されたのであって、タツローですらSUGAR BABEでは全く売れず、ソロになってもなかなか売れず、ブレイクしたのは1980年の「RIDE ON TIME」だったのです。細野さんも1978年のYMOまでは売れていなかったし、YMOもデビューアルバムでは其れほどには売れず、爆発したのは翌1979年の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」からでした。細野さんはソロになる前のはっぴいえんど時代から「脱・松本隆」を実践していて、其れは大瀧師匠と同じだったわけですが、小坂忠さんに書いた曲では松本さんと組んでおりました。茂に至っては、ずっと松本さんの詞を歌っていました。そうなるとですね、やはり大瀧師匠が偏屈だったと思わされます。それでも細野さんも此のアルバムからはかなりハチャメチャな事になっておりましてですね、特に1か月も経たずに発表された「NIAGARA MOON」と「トロピカル・ダンディー」はバックが同じなので、地続きとなっております。

(小島イコ)

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2023年03月01日

「ナイアガラ考」#39「キャラメル・ママ」



1975年11月25日には、ティン・パン・アレー名義でのファーストアルバム「キャラメル・ママ」がクラウンから発売されました。コレは実はティン・パン・アレーとしてのアルバムと云う名を借りた、メンバーである細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さんがそれぞれ2曲ずつ持ち寄ってセルフプロデュースして、更にはバンドとして2曲を加えたオムニバス盤です。当時は大瀧詠一師匠もオムニバス構想を持っていて、其れは翌1976年3月25日に「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」として発売されます。此のアルバムのタイトル「キャラメル・ママ」は、ティン・パン・アレーと改名する前のグループ名です。冒頭の「キャラメル・ラグ」は松任谷さんの曲で4人で演奏し、最後の「アヤのバラード」は細野さんの曲で松任谷さんがひとりで演奏しています。他の曲は4人バラバラでの作品で、「チョッパーズ・ブギ」と「シー・イズ・ゴーン」が林さん、「はあどぼいるど町」と「ソバカスのある少女」が茂の曲で詞は松本隆さんで「ソバカスのある少女」は茂と南佳孝さんがデュエットしていて、「月にてらされて」と「ジャクソン」が松任谷さんで「月にてらされて」は詞が此の後に結婚するユーミンで、「チュー・チュー・ガタゴト’75」と「イエロー・マジック・カーニバル」が細野さんです。

プロデューサーが4人いるのでそれぞれのレコーディングも多彩な顔触れが揃い、基本形の細野さんがベース、茂がギター、林さんがドラム、松任谷さんがキーボードに加えて、ベースで後藤次利さんと田中章弘さん、キーボードで今井裕さんとジョン山崎さんと矢野顕子さん、ギターで高中正義さん、スティールギターで駒沢裕城さん、パーカッションで斉藤ノブさん、コーラスでSUGAR BABEのタツローとター坊、シンガーズ・スリーの伊集加代さん、桑名正博さん&桑名ハルコさんの兄妹、久保田真琴さんなどなど、信じられない程に豪華なメンバーが演奏しています。「チュー・チュー・ガタゴト’75」では「奴がやってるニューオリンズ、あれはいいね」と歌われていますが、奴とは大瀧師匠の事かもしれません。そう云えば大瀧師匠も「ハンド・クラッピング・ルンバ」で「イノシシおみちゃん」と歌い込んでいました。名曲とされる「ソバカスのある少女」での茂の歌は、既に「へなへな歌唱法」になっています。ちなみに元ネタは、ハース・マルティネスの「All Together Alone」です。「イエロー・マジック・カーニバル」では、早くもYMO構想が始まっております。細野さん絡みの3曲は「トロピカル・ダンディー」のCDにボーナストラックとして収録されていますが、やはりコレはオムニバス盤で聴いてナンボかと存じます。

(小島イコ)

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2023年03月02日

「ナイアガラ考」#40「僕は天使ぢゃないよ」



1975年には、大瀧詠一師匠はSUGAR BABEの「SONGS」をプロデュースして、2枚目のソロアルバム「NIAGARA MOON」も発売しました。同年には、かまやつひろしさんへ「お先にどうぞ」を、吉田美奈子さんへ「わたし」を、沢田研二さんへ「あの娘に御用心」をと、プロデュース作にも名曲が多いのですが、其の辺は後年に「EIICHI OHTAKI Song Book」に収録されたので、後に語ります。そんな中で、1975年12月5日にベルウッド(キング)から発売されたのがサントラ盤「僕は天使ぢゃないよ」で、あがた森魚さんと大瀧師匠の連名となっておりますが、インストゥルメンタルはティン・パン・アレーが担当していて、云ってみれば、はっぴいえんど、はつみつぱい、ティン・パン・アレーが参加しているオムニバス盤です。大瀧師匠の曲は、アルバム「大瀧詠一」からの「びんぼう」「それはぼくじゃないよ」「乱れ髪」の3曲が再収録されています。サントラ盤と云う事はあがた森魚さんが監督した同名の自主制作映画があるわけですが、大瀧師匠が役者としても登場しております。まあ、役名も「大滝」だったし、大昔にレンタルビデオで借りて観たのですけれど、チョイ役でした。

そもそも映画「僕は天使ぢゃないよ」は、ジャケットを担当している林静一さんが「ガロ」に連載したマンガ「赤色エレジー」が原作で、其れに影響されたあがたさんは同名の楽曲を発表してヒットしています。林さんははっぴいえんどの通称「ゆでめん」でもジャケットを担当していたので、此の辺のURCやベルウッド人脈とは繋がりがあったのでしょう。其れで「ガロ」の長井社長も社長役で出ていたりします。内容は四畳半で同棲しているアニメーターの一郎と恋人の幸子を描いた重苦しい物語で、一郎の情けなさが充満していますが、林さんのポップな画力で読ませます。マンガだと最後の方でモップスの「朝まで待てない」がバックに流れると云う、当時としては斬新な手法を使っています。前述の通り大瀧師匠の楽曲は既出音源ばかりですが、此のアルバムはティン・パン・アレーの隠れた名盤とも云えます。「赤色エレジー」が連載されたのは1970年から1971年で、此のアルバムが出た頃には、林さんはロッテの「小梅ちゃん」のアニメで有名になっておりました。「ガロ」を卒業すると売れると云うジンクスの、初期の例です。

(小島イコ)

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2023年03月03日

「ナイアガラ考」#41「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」「NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition」(上)



エレックが倒産したので、1976年1月にはナイアガラはコロムビアに移籍します。其れで、年間4枚を3年で12枚と云う契約を大瀧詠一師匠はしてしまうのです。ナイアガラは元々は大瀧師匠と伊藤銀次さんのココナツ・バンクにタツローとター坊がいるSUGAR BABEの3本柱で行く心算だったらしいのですが、ココナツ・バンクは1973年9月22日(はっぴえんど解散コンサートの翌日)に解散していて、SUGAR BABEもアルバム1枚の契約で1975年夏頃には切れていて、結局はバンドも1976年4月1日に解散してしまいます。故に、大瀧師匠の思惑はコロムビアに移籍する頃には崩壊していたので、何故、3年で12枚なんて無謀な契約に応じたのかは謎です。其れで、タツローも銀次もナイアガラから去るので、大瀧師匠は3人でのオムニバス盤を提案して、1976年3月25日に発売したのが「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」です。元ネタは「TEENAGE TRIANGLE」と「MORE TEENAGE TRIANGLE」と云うアルバムで、コルピックス・レコードのジェームス・ダーレン、シェリー・フェブレー、ポール・ピーターセンの3人でのオムニバス盤と其の続編で、全体の流れとしては「MORE TEENAGE TRIANGLE」の方に近いです。更にはキャロル・キング、クッキーズ、リトル・エヴァの3組による「THE DIMENSION DOLLS VOL.1」と云うオムニバス盤もあるので、そちらにも影響は当然受けています。

アナログ盤はソニーに移籍して1981年4月1日に再発され、VOXにも入って、1986年6月1日には初CD化され初代「NIAGARA CD BOOK T」にも収録されましたが、5曲(「ドリーミング・デイ」「パレード」「遅すぎた別れ」「新無頼横町」「フライング・キッド」)が吉田保さんによるリミックスになっていて、「ココナツ・ホリデイ'76」はエンディングがフェイドアウトします。そして、1995年3月24日にはオリジナルマスターでスリムケース廉価盤が「大瀧詠一」と「NIAGARA MOON」と「NIAGARA CM SPECIAL」と同時発売されて、2006年3月21日には30周年記念盤が発売され、2011年3月21日発売の2代目「NIAGARA CD BOOK T」にも収録されました。今回取り上げるのはスリムケース廉価盤と30周年記念盤ですが、一見同じような2枚は結構違っております。スリムケース廉価盤は「ココナツ・ホリデイ'76」がフェイドアウトするので5分強しかありませんが、30周年記念盤はオリジナル通りなので7分以上もあります。更にボーナストラックはスリムケース廉価盤は3曲ですが、30周年記念盤は5曲に増えています。何やらスリムケース廉価盤は廃盤の様でプレミアも付いたりもしている様子ですが、ここは30周年記念盤一択でよろしいかと存じます。(つづく)

(小島イコ)

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2023年03月04日

「ナイアガラ考」#42「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」「NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition」(中)



「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は、A面の1曲目はタツローの「ドリーミング・デイ」で爽やかに始まります。此の曲は詞がター坊で曲がタツローと云う意外にも珍しい共作で、若い頃のタツローは完全にハードロック唱法です。2曲目はSUGAR BABEのレパートリーだった「パレード」で、3曲目の「遅すぎた別れ」は銀次とタツローの共作で、銀次のいやらしい語りが聴けます。「DOWN TOWN」と「遅すぎた別れ」は、ザ・キングトーンズに書いてボツになった曲なので、もしも採用されていたならば日本のポップスの流れは変わっていたかもしれません。ちなみに「クリスマス・イブ」もコノ頃に「雨は夜更け過ぎに」と云う着想があって、後に竹内まりやさんに提供してボツになった楽曲なのです。4曲目は銀次の「日射病」で、A面最後の5曲目も銀次の「ココナツ・ホリデイ'76」で、共にココナツ・バンク時代の楽曲でありましてですね、1973年9月21日のはっぴいえんど解散コンサートで披露されてライヴ音源はあったモノのスタジオでの再録音です。ひっくり返してB面の1曲目は銀次の「幸せにさよなら」で、此の曲はシングルカットされるのですが、そちらでは銀次だけではなく大瀧詠一師匠とタツローも歌っている「A面で恋をして」の元祖みたいな出来栄えです。

B面の2曲目は銀次の「新無頼横町」で、コレもココナツ・バンク時代のライヴ音源しかなかった曲のスタジオでの再録音です。3曲目は吉田美奈子さんが作詞でタツローが作曲の「フライング・キッド」ですが、美奈子の詞の一部しか歌っていない珍しい楽曲です。そして、B面の4曲目からが大瀧師匠の出番となって、「FUSSA STRUT Part-1」は「NIAGARA MOON」の収録曲の焼き直しで、インストに掛け声だけの新録ですが、細野晴臣さんと教授の初セッションだと大瀧師匠は云っていました。5曲目は「夜明け前の浜辺」で、此のアルバムでは唯一大瀧師匠の歌声が聴ける曲なのですが、これまた「NIAGARA MOON」のセッションでの「夜の散歩道」に歌を乗せたモノです。最後は「ナイアガラ音頭」で、歌っているのは布谷文夫さんですが、此のアルバムでの大瀧師匠は此の1曲にだけチカラを注いだとも云える大問題作でした。元々は最後は大瀧師匠と銀次とタツローの3人でクレイジー・キャッツの「ホンダラ行進曲」を歌って〆る予定でライヴではやったものの、ラジオ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」に寄せられたリクエストに応えてコノ世紀の快作が誕生しました。アナログ盤の全体を通して大活躍しているのは、まだ芸大の大学院生だった教授です。(つづく)

(小島イコ)

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2023年03月05日

「ナイアガラ考」#43「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」「NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition」(下)



オリジナルのアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は全11曲で、タツローが3曲、タツローと銀次で1曲、銀次が4曲、大瀧師匠が3曲と云う構成です。タツローと銀次は、それぞれナイアガラでの活動に終止符を打つ意味合いが楽曲にも現れておりますが、ナイアガラから去る二人は其れでいいのでしょうが、残される大瀧師匠にとっては此のアルバムからがコロムビアでの始まりなのです。しかしながら、其の肝心な大瀧師匠の3曲は「NIAGARA MOON」の蔵出しみたいな2曲で、早くもネタ切れかと思わせます。前作「NIAGARA MOON」に充満していたドクター・ジョンの「ガンボ」やミーターズのニューオーリンズ風味がある「FUSSA STRUT Part-1」は焼き直しでインストに近いし、カラオケだとサント&ジョニーの「スリープ・ウォーク」にそっくりな「夜明け前の浜辺」で唯一歌が聴けるのですが、チャチャっと詞を書いて2回位しか歌わなかったので、タツローから「もっと丁寧に歌入れすべきではないか」と苦言を呈されたそうです。大瀧師匠はプロデュースとエンジニアとして他の二人のレコーディングにも参加していたので、時間がなかったのでしょう。しかしながら、そんな物足りなさは最後の「ナイアガラ音頭」で全てがチャラになってお釣りが来ます。西洋音楽と和製音楽を融合させたコノ楽曲の底知れぬパワーには、只々圧倒されてしまうのでした。別々に録音した和物と洋物の演奏をミックスした現場で聴いたタツローからも「今世紀最高の傑作だ!」と賛辞が贈られたそうです。

スリムケース廉価盤にはボーナストラックが3曲で、30周年記念盤は5曲となっておりますが、前述の通りスリムケース廉価盤の3曲は全て30周年記念盤にも収録されていますし、「ココナツ・ホリデイ'76」もオリジナル通りにフェイドアウトせず7分14秒が楽しめます。共通しているボーナストラックは、シングル・ヴァージョンの「幸せにさよなら」と「ドリーミング・デイ」と「ナイアガラ音頭」で、全てモノラルです。「幸せにさよなら」はアルバムとは別ヴァージョンで、銀次とタツローと大瀧師匠が3人で歌っていますが、コレは3人が別々に歌入れして大瀧師匠が編集したので、担当パートが違うヴァージョンが複数あるマニアックな楽曲です。「ナイアガラ音頭」はアルバムのピッチを上げて教授のクラビネットをダビングしたディスコ・ヴァージョンに変貌していて、大瀧師匠は教授に「スティーヴィー・ワンダーみたいに弾いてくれ」と依頼したそうです。30周年記念盤にはカラオケの「あなたが唄うナイアガラ音頭」も入っていて、歌が入っていないと如何に複雑怪奇な演奏であるかが分かります。最後の「ココナツ・ホリデイ3日目」は「ココナツ・ホリデイ'76」と「あなたが唄うナイアガラ音頭」のイントロに使われたお囃子をほぼ完全収録していて、云うまでもないけれど云ってしまいますが、布谷文夫さんの「アミーゴ!」などが素のまんまで聴けます。「ドリーミング・デイ」で始まり「ナイアガラ音頭」で終わる構成が、前代未聞空前絶後なのですが、云ってみれば「ハイそれまでョ」をアルバムでやったみたいなもんでしょう。

(小島イコ)

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2023年03月06日

「ナイアガラ考」#44「FLAPPER」



1976年3月25日には「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」と同時に、吉田美奈子さんのアルバム「FLAPPER」がRCA/RVCから発売されました。大瀧詠一師匠の提供曲の中でも最重要作である「夢で逢えたら」のオリジナル歌唱ヴァージョンが収録されている事で有名ですが、バックはティン・パン・アレー(細野さん、茂、林さん、松任谷さん)で、コーラスはタツローとター坊と伊集加代子さんと美奈子で、ベーシックなリズムアレンジは多羅尾伴内(大瀧師匠の変名)でストリングスアレンジはタツローと、ティン・パン・アレー系とナイアガラ系の集大成とも云える超豪華絢爛な作品です。元々「夢で逢えたら」はアン・ルイスさん用に書かれてボツになった楽曲で、美奈子としては余り乗り気ではなかった様です。それでも作家の人選は美奈子が自らやったとの事で、大瀧師匠の「シャックリ・ママさん」のアンサーソングである「ケッペキにいさん」を自ら書いて収録しているので、其れほどには嫌だったわけでもないでしょう。美奈子は大瀧師匠のファーストアルバム「大瀧詠一」に収録されている「指切り」に参加しているので、大瀧師匠との付き合いはタツローよりも長いのです。「ナイアガラ音頭」と「夢で逢えたら」が同時に発表された1976年3月25日こそが、ナイアガラ記念日と云えます。

兎角「夢で逢えたら」ばかりがクローズアップされる事となったアルバムですが、細野さんが書いたトロピカル路線の「ラムはお好き?」や、アッコちゃんが書いた「かたおもい」、佐藤博さんが書いた「朝は君に」と「チョッカイ」、そして自作の「愛は彼方」と「ケッペキにいさん」と「忘れかけてた季節へ」と云った他の楽曲も素晴らしく、「夢で逢えたら」と「かたおもい」以外は詞も全て美奈子が書いています。そして最重要なのはラストの2曲で、美奈子とタツローによる「ラスト・ステップ」と「永遠に」です。SUGAR BABE時代に書かれた此の2曲は、解散後のタツローのファーストアルバム「CIRCUS TOWN」にも収録されているので、同じ曲で美奈子とタツローの両方のヴァージョンが聴けます。そして「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」と「FLAPPER」で始まったタツローと美奈子の共作は、1982年の「FOR YOU」まで続いてゆく事となります。個人的にはSUGAR BABEからRCA/RVC、AIR/RVC時代のタツローが好きで、詞も圧倒的に美奈子が書いたものが好きなので、1982年のベスト盤「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」辺りまでです。別にタツローの詞がダメとは云っておりませんけれど、まあ、云っているのと同じかもしれません。

(小島イコ)

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2023年03月07日

「ナイアガラ考」#45「泰安洋行」



1976年も、1975年同様にナイアガラ系やティン・パン・アレー系の名盤が毎月の様に発売されましたが、それらが名盤と呼ばれる様になったのはほとんどが後年の再評価によってなのです。1976年6月25日にクラウンから発売された細野晴臣さんの3枚目のソロアルバム「泰安洋行」も、其のひとつです。細野さんによって「ちゃんこ鍋」と「ファンキー」を合体させて「チャンキー・サウンド」と名付けられた此の無国籍音楽は、摩訶不思議な類を見ないものでした。1曲目の「蝶々さん」にはコーラスで山下よた郎と宿霧十軒が参加していて、勿論タツローと大瀧詠一師匠の変名です。他人のコーラスをやり捲っていたタツローは兎も角、大瀧師匠が提供曲やプロデュース作品以外で参加したのは珍しく、其の辺は細野さんと大瀧師匠の友情がありきだったのでしょう。細野さんは、ボーカル、エレクトリック・ベース、マリンバ、スティールパン、三味線、ヴィブラフォン、ピアノ、ハモンドオルガンと大活躍で、ギターに茂、ドラムに林さん、キーボードに佐藤博さんとアッコちゃん(コーラスでも参加)、アコーディオンに先日亡くなられたムーンライダーズの岡田徹さん、パーカッションに浜口茂外也さん、そしてコーラスにはター坊、小坂忠さん、久保田麻琴さん、などが参加しています。

「チャンキー」と云うのは、ニューオーリンズの名物料理「ガンボ」に例えたもので、細野さんも大瀧師匠と同様に此の時期はニューオーリンズの音楽にハマっておりました。ほとんどが細野さんの自作で、ニューオーリンズ風味だけではなく、沖縄音楽などにも接近していたりもします。更にホーギー・カーマイケルの「香港Blues」をカヴァーしていて、此の曲は後にジョージ・ハリスンもカヴァーしています。此の当時のター坊は、美奈子とアッコちゃんと3人でスリー・ディグリーズみたいなグループを組みたかったらしく、細野さんのバックコーラスでは其の片鱗を感じさせます。前作「トロピカル・ダンディー」同様に近年のCDではボーナストラックが入っていますが、こちらにはラジオ番組「馬場こずえの深夜営業」に細野さんがゲスト出演した時の音源が収録されております。勿論、大瀧師匠がテーマ曲を書いた番組であります。以前、細野さんの目の前で「HOSONO HOUSE」をかけて絶賛していたター坊は、2007年に細野さんのクラウン時代の音源をまとめた「ハリー細野 クラウン・イヤーズ 1974-1977」が発売された時に、全然関係がないインタビューで唐突に「最近出た細野さんのボックスは良いですよ。今の若いミュージシャンにはアレを聴いて勉強して欲しい」などと云っていました。

(小島イコ)

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2023年03月08日

「ナイアガラ考」#46「JAPANESE GIRL」



1975年12月5日に大瀧詠一師匠と連名でのアルバム「僕は天使ぢゃないよ」も出した事もあるあがた森魚さんは、1974年3月25日には松本隆さんのプロデュースで「噫無情(レ・ミゼラブル)」を、1976年1月25日には細野晴臣さんのプロデュースで「日本少年(ヂパング・ボーイ)」を発表するなど、元はっぴいえんどの所謂ひとつのティン・パン・アレー系とは関係が深いミュージシャンのひとりです。特に「日本少年(ヂパング・ボーイ)」は2枚組の大作で、はちみつぱいから発展したムーンライダーズや、細野さんや茂のティン・パン・アレー、更にはタツローやター坊のSUGAR BABE、そしてアッコちゃんなどが参加しています。其の後にアッコちゃんこと矢野顕子さんが1976年7月25日に日本フォノグラムから発売したデビューアルバム「JAPANESE GIRL」は、其の名の通り「日本少年(ヂパング・ボーイ)」へのアンサーアルバムとなっております。アッコちゃんは1974年に「ザリバ」としてシングル盤を1枚出していましたが、其れ以前の1973年にはキャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)をバックにアルバムを前提としてレコーディングしていて、其の音源から「JAPANESE GIRL」などへ流用されてもいます。それらはアッコちゃんがまだ10代だった頃の音源で、「JAPANESE GIRL」発表時でも21歳です。

「JAPANESE GIRL」はアナログ盤のA面が「AMERICAN SIDE」でリトル・フィートをバックにレコーディングされた5曲で、B面が「JAPANESE SIDE」で前述のキャラメル・ママとのお蔵入り音源や、あがたさんやムーンライダーズのメンバーがバックを務めている5曲です。A面を担当したリトル・フィートのリーダーであるローウェル・ジョージは、レコーディング時にアッコちゃんの底知れぬ才能を目の当たりにして驚愕し、「僕たちの力量が足りなかった」とギャラを受け取らなかったそうです。「日本少年(ヂパング・ボーイ)」にも「JAPANESE GIRL」にもそれぞれあがたさんもアッコちゃんも参加していて、正に表裏一体の作品です。アッコちゃんの革新性は、其の後にモノマネ以外ではフォロワーも居ない程に唯一無二であり、最近では能年玲奈(のん)ちゃんを可愛がっていたりするので嬉しいものの、何だかよく分からない事でバッシングされたりしていて、何だかなあ、と思います。橋本愛ちゃんも叩かれていますけれど、そっちも何だかなあ、なのです。アッコちゃんの鮮烈なデビューは、例えるならばケイト・ブッシュのデビューに匹敵すると思いますが、アッコちゃんの方が先なのです。そして、洋楽ロックと和楽器の融合と云えば、やはり「ナイアガラ音頭」と相通じるモノがあります。

(小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| ONDO | 更新情報をチェックする