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2023年01月20日

「ナイアガラ考」#07「EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」(1976~2018)」



さてさて、2018年3月21日には、ナイアガラーの方々が泣き笑いするしかない大量リリースが敢行されました。其れは「夢で逢えたら」に関したモノたちでありましてですね、大瀧詠一師匠が1977年にプロデュースしたシリア・ポールさんのアルバムを箱にした「夢で逢えたらVOX」と「夢で逢えたら 40th Anniversary Edition」と此の「EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976〜2018) 」でございます。シリア・ポールさんの箱と通常盤については、次の記事にまとめて書きます。問題は此のCD4枚組とアナログ盤で発売されたモノでございます。まず、CDの方ですが、コレがなんと「夢で逢えたら」だけが86ヴァージョンも収録されているのです。大瀧師匠が書いた楽曲で最も多くカヴァーされたと思われる「夢で逢えたら」を、レコード会社の垣根を越えてあるものは全部詰め込んでしまった編集盤なのです。アナログ盤は其れから5ヴァージョン選んだので、まだ一気に聴けますけれど、86ヴァージョン基本的には同じ曲を5時間以上も聴き続けるのは、ある意味、苦行でありましてですね、其れを耐えた上で楽しめる方々が「ナイアガラー」だとしたならば、前回に書いた通り、あたくしは「ナイアガラー」ではありません。

タイトルが「EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3」と題されたのも、かなり気になります。「vol.3」と云う事は「vol.1」と「vol.2」があるわけでして、それらは師匠が生前には「vol.1」を2タイプと「vol.2」の3種類があって、師匠の提供曲を師匠の手によって編集されております。それらと決定的に違うのは、同じ曲を86ヴァージョンも5時間以上も詰め込むなんて荒技は、師匠でさえもやっていなかった事なのです。其れを、やはり師匠不在で「やらかしてしまった感」はあります。師匠の歌声にマーチンと薬師丸ひろ子さんが無理矢理に声を重ねたNHKの「SONGS」で披露されたヴァージョンまで収録しちゃうって、やはり、どうなんでしょう。其れで、「EIICHI OHTAKI Song Book」の三つ目とするのは、基本的には吉田美奈子さんとシリア・ポールさんとラッツ&スターとインスト版と太田裕美さんのライヴ版とセルフカヴァー以外には師匠が編曲やプロデュースには関わっていないと思われるので、違う、そうじゃない、と思えます。コレは「Song Book」ではなくて、「大瀧詠一 Cover Book」の2作目と考えるのが自然なので、タイトルは「大瀧詠一 Cover Book U-大瀧詠一カバー集Vol.2「夢で逢えたら」(1976〜2018) -」とすべきだったし、それだったら師匠歌唱のリミックス以外は別に文句はありません。しかし、こんなもんまで有難がって聴かなければならない「ナイアガラー」の方々は、もう仏様の様な存在であって、あたくしなんぞには到底無理でございます。

(小島イコ)

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2023年01月21日

「ナイアガラ考」#08「夢で逢えたらVOX」「夢で逢えたら 40th Anniversary Edition」



2018年3月21日には、前述の「夢で逢えたら」だけ86ヴァージョンも収録した呆れた商品の他に、1977年に大瀧詠一師匠がプロデュースしたシリア・ポールさんのアルバム「夢で逢えたらVOX」と「夢で逢えたら 40th Anniversary Edition」も発売されています。「夢で逢えたらVOX」はアナログLP2枚、EP2枚、CD4枚の超豪華仕様ですが、基本的にはオリジナルLPの楽曲をオリジナル通りと、シングル・ヴァージョンと、別ミックスと、リミックスと、ライヴ音源と、アウトテイクなどをあるだけ詰め込んだモノでありましてですね、同じ曲を86ヴァージョンも聴かされるよりはマシですが、まあ、コレもマニア以外には「何だか同じアルバムを何回も聴かされているなあ」と思うに違いない構成です。前年の2017年に出たコロムビア時代のシングルVOXには未収録だったシングル盤とプロモ盤の2枚がこっちに収録されているのも、まあ、理解出来ますが、やはり小出しにしている感が満載でございます。価格も2万円を越えていて、ナイアガラーの方々には高いのか安いのか分かりませんけれど、まあ、こんなもんだと諦めの境地に達しているのかもしれません。

通常盤の方はCD2枚組で、VOXの4枚から美味しいところを抜粋したモノなので、普通の大瀧師匠のファンならば、こちらだけで充分に満足出来るでしょう。と申しますか、1997年に師匠が生前に自ら発売したスリムケースのCDで事足りると思います。オリジナルのLPにシングルとプロモとリミックスの6曲がボーナストラックで入っているので、実にお手軽で価格も1500円と良心的な商品です。1997年と云えば、師匠が「幸せな結末」で12年ぶりに復帰して大ヒットさせた年ですが、実はアノ特大ヒットには1990年代になってから旧譜をスリムケースでボーナストラックも満載で1枚たったの1500円で発売していた下地があったからだとも考えられるのです。実際に選書盤の「ロンバケ」なんかはかなり売れたらしく、「いつまでも、あると思うな、ナイアガラ」などと云って別ヴァージョンを生涯作り続けて前のやつは廃盤にしたりしてナイアガラーの方々をいじめて来た様に感じられる師匠が、本当はファン・サービスを徹底的にやっていたとも思えるのです。故に、やはり此の箱も2枚組の通常盤も、マニア向けの極致でありましてですね、あたくしなんぞは2枚組どころかスリムケース盤だけで満足です。

(小島イコ)

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2023年01月22日

「ナイアガラ考」#09「NIAGARA CONCERT '83」



2019年3月21には、遂にナイアガラ初のライヴ盤「NIAGARA CONCERT '83」が発売されました。実はナイアガラのカタログとしては2018年には「夢で逢えたら」関連作品以外に12月3日(アナログ盤は11月3日)に「大瀧詠一 Cover Book -ネクスト・ジェネレーション編- 『GO! GO! ARAGAIN』」が発売されているのですが、死後に出たトリビュート・アルバムであって勿論大瀧詠一師匠は楽曲以外では関わりたくとも関われない商品でした。そして、此のライヴ盤となるわけですが、初回盤はCD2枚にDVD1枚のセットでDVDのケース位ある通常盤よりも大きな箱に入っております。まず本編は、1983年7月24日に開催された「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES '83 / ASAHI BEER LIVE JAM」に大瀧師匠が出演した時の音源を全て収録しています。師匠の名義では最後のライヴであって非常に貴重な音源ですが、内容はと云うと、前半の5曲がストリングス・アレンジのNiagara Fall of Sound Orchestralによるインストで、6曲目になって大滝詠一さんがやっと登場して、15曲目まで一気に歌って、最後はまたインストでしめて全16曲となっております。師匠の歌入りが10曲と云うのは些か物足りませんが、前述の通りコレが結果的に最後のライヴだったわけで、贅沢は云えません。内容は「ロンバケ」と「トライアングル2」からの楽曲に加えて、貴重なセルフカヴァーも歌っているのですが、そっちの方は怪しげなセルフカヴァー盤「DEBUT AGAIN」にも収録してしまったので、貴重度数は落ちております。本来ならば「EACH TIME」のお披露目になるはずが、発売延期でセルフカヴァーに変えたらしいです。

オマケのCDには、師匠が歌ったライヴ音源からオールディーズのカヴァーがメドレーも交えて15トラックも収録されていて、最後は高校生時代に歌ったビートルズの「イエスタデイ」まで入っています。但し、師匠にはもっと沢山のカヴァーしたライヴ音源はありますので、コレはオマケであっても小出しにしているわけですし、自作曲のライヴ音源も同じです。更にオマケのDVDですが、これまた貴重な「THE FIRST NIAGARA TOUR 1977/6/20 渋谷公会堂」と云うライヴ映像作品が収録されています。コレがもう凄くて、大瀧師匠やシリア・ポールさんや布谷文夫さんが動いて歌っている姿が拝めるのです。コレはプロモーション映像として何度か公開されていたらしいので、師匠も発表する気があったのでしょうけれど、其れは「死後だね」と云っていて、まあ、其の通りになってしまいました。本編のライヴは師匠が頑なに映像化を拒んでいて、対バンしたラッツ&スターやサザンオールスターズは撮影していたのに、大滝パートはカメラを客席に向けて撮影させなかったそうです。音源に関してはニッポン放送で一部をオンエアされていて、ラッツやサザンと共演したカヴァーも流れたらしいのですが、そっちは入っておりません。それで、果たして師匠が生きていたら此のライヴ盤を発表したかどうかと云えば、おそらくしなかったでしょう。何せライヴが開催されてから亡くなるまで30年も経過したのにも関わらず、師匠は既発タイトルのリマスターばかりやって、ボーナストラックにすら此の時の音源は収録していないのです。オマケに関しても其れは同じなんですけれど、何でこうして細切れにして出してゆくのか理解出来ないなあ、と云う感じです。

(小島イコ)

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2023年01月23日

「ナイアガラ考」#10「Happy Ending」



2020年3月21日には、大滝詠一デビュー50周年記念盤として全曲未発表音源の「Happy Ending」が発売されてしまいました。最初に云っておきますが、これから大瀧詠一師匠の音楽を聴いていこうと思った方々は、此のアルバムは絶対に買わないで下さい。「大滝詠一最後のオリジナル・アルバム」なんぞと謳って「未発表音源を11曲集めました」なんぞとぬかした此のアルバムは、ナイアガラ史上最低最悪な商品でありましてですね、大瀧師匠が生きていたならば絶対に発表しなかったと断言出来るポンコツ盤です。初回限定のCDはオマケで「Niagara TV Special Vol.1」と云うマニア向けのTVサイズが集められていますが、まだそっちの方がマシな出来栄えです。アナログ盤とCDで出た本編は、確かに未発表音源ばかりですが、まずもって大滝詠一さんがまともに歌っている曲が全11曲中6曲しかなくて、鑑賞に堪えられる出来なのは「恋するふたり(Album Ver.)」と「イスタンブール・マンボ」と「Happy Endで始めよう(バカラック Ver.)」の3曲のみです。「幸せな結末(Album Ver.)」は師匠の歌とストリングスだけにしたスカスカなリミックスで、こんなもんを師匠が生前に作っていたとは考えられません。ベスト盤に入れちゃったからこっちは違うモノにしたのでしょうけれど、コレは酷過ぎます。

他の2曲「ダンスが終わる前に」と「So Long」は、女性歌手用のガイドヴォーカル音源で、キーが師匠に合っていません。佐野元春さんが渡辺満里奈さんに書いた「ダンスが終わる前に」を師匠がガイドヴォーカルとは云え歌っているのは珍しいとは思いますが、何故か演奏をスカスカにしてしまっていて、台無しです。「So Long」は市川実和子さんへの提供曲で平松愛理さんが作曲した「22歳のMellow」と詞がほとんど同じで、師匠が作曲した珍品で「恋するふたり」とかなり似た曲ですが、やはりガイドヴォーカルなのでキーが合っていません。残りの5曲は、もう輪を掛けて酷い代物で、オープニングの「Niagara Dreaming」は「恋するカレン」のサビ部分のバックコーラスだけ抜き出したモノだし、ラストの「Happy Ending」は「幸せな結末」のインストだし、「ナイアガラ慕情」と聖子ちゃん用の「ガラスの入江」とアン・ルイスさん用の「Dream Boy」も基本的にはインストで、何だかよく分からないタイミングで師匠の鼻歌が聴こえてくる奇妙奇天烈な音源です。コレで「大滝詠一」名義で「大瀧詠一」プロデュースって、よくもまあ、もうね、コレって詐欺みたいなモンですよ。こうした死後に出される作品にこそ、詳細な解説で制作年月日などを記載されているべきなのに、そんなものは一切なくて、果たして師匠がどれだけ関与していたのかが全く不明です。

この連載記事を師匠の死後から始めたのは、来るべき今年の3月21日に発売される「大滝詠一 Novelty Song Book」へ間に合わせようと思ったからでもありますが、此の世紀の最悪商品である「Happy Ending」をテッテテキに糾弾しようと思いましてですね、ここまでは一気に書いてしまいました。それにしたって、この時点で師匠が亡くなって7年足らずの期間で10タイトルもの新作もどきが発売されてしまった事実には愕然としてヘナヘナと腰が砕けてしまいます。師匠が生前は「EACH TIME」から30年も頑なに新作アルバムを発表せずに旧作を磨き続けた意志を、いとも簡単に覆してしまってよいのでありましょうか。此の商品で良かったのはオマケの方で、オンエア記録も載っていて、一部を除いて師匠が自ら編集したTVサイズが収録されているのですが、こんな短いヴァージョンばかり聴かされても初心者は「何じゃこりゃ」状態になるでしょう。「片瀬那奈全記録」としての立場では、那奈ちゃんも出演して歌っていた2012年のドラマ「カエルの王女さま」でのシャンソンズによる「DOWN TOWN」も記載されているのが嬉しかったって位です。繰り返しになりますが、此の商品はこれからナイアガラを聴こうと思っている方々は、絶対に買ってはいけませんし、オリジナル盤を全て聴いた後でも積極的にオススメは出来ません。此の無残なカタチで公開されてしまった音源を聴いて抱くのは、「嗚呼、もう大瀧詠一師匠も大滝詠一さんも、此の世にはいないんだな」と云う喪失感だけなのです。

(小島イコ)

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2023年01月25日

「ナイアガラ考」#11「A LONG VACATION VOX」「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」(上)



2021年3月21日には、箱の「A LONG VACATION VOX」と通常盤の「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」が発売されました。これらに関しては、前年の2020年3月21日に発売されてしまった世紀のスットコドッコイ盤である「Happy Ending」に早くも予告のフライヤーが入っておりました。まずは通常盤ですが、アナログ盤LPは1枚で本編のみで、CDは2枚組で1枚目は本編、2枚目は「Road to A LONG VACATION」と云う2011年の30周年記念盤の時に200名限定で公開された大瀧詠一師匠のDJスタイルで「ロンバケ」への歩みを明かしたモノで、師匠自らが40周年まで封印すると語っていたと云われるモノです。此の2枚は其の侭VOXにも入っておりますが、何故マニアックな2枚目も通常盤に収録されているかと云うと、「ロンバケ」のCDが辿って来た道のりを説明しなければなりません。今や日本のポップス並びにロックの金字塔と呼ばれる「ロンバケ」は、1981年3月21日にアナログ盤LPとカセットテープで発売されました。同じ年の7月21日には「Sing ALONG VACATION」と云う透明盤のLPが出ておりますが、コレは後に詳述します。

翌年の1982年10月1日には世界初のCD20作のひとつとして初CD化されたのですが、同じ品番でリマスターが3種類あります。何故3種類もあるかと云いますと、世界初のCDだったわけで師匠が聴いてみたら音が悪過ぎて2回リマスターをやり直したからです。1983年8月1日にはマスターサウンドのLPとカセットテープが出ていて、1989年6月1日に全9曲(「さらばシベリア鉄道」未収録)のリマスター盤CDとカセットテープが出ます。そして、1991年3月21日に全10曲に戻したリマスター盤がCD選書シリーズで出て、1997年10月22日にはMDが選書シリーズで出ています。2001年3月21日に20周年記念盤CDが出てリマスター音源10曲に加えて前記の「Sing ALONG VACATION」全9曲がボーナストラックで収録されました。「Sing ALONG VACATION」は「ロンバケ」の9曲(「さらばシベリア鉄道」未収録)のカラオケに歌メロをキーボードやギターで重ねたモノです。更に2011年3月21日には30周年記念盤CDが2枚組で出て、1枚目はリマスターで2枚目は純カラオケが収録されました。

其の後は師匠が亡くなってからとなり、2014年に配信が始まって、2015年3月21日には以前に紹介した「NIAGARA CD BOOK II」に「A LONG VACATION SINGLE VOX」と云う曲順が違うモノと「Sing ALONG VACATION」が収録されました。1980年代に出たモノは師匠も悪戦苦闘して何度もリマスターしたり曲を減らしたりしたので、10周年の選書盤が1500円と低価格で本編のみを楽しめます。20周年記念盤と30周年記念盤に関しては、オマケが同じインストでも別の音源なので、師匠も基本的には同じ「ロンバケ」を何度も売るのでサービスしていたのでしょう。そして、40周年記念盤としても違ったオマケを付けようと師匠を受け継いだ方々は考えたのでしょう。しかしながら、通常盤は本編のみにした方が良かったと思えます。師匠のDJで明かされる「ロンバケ」への道のりはファンならば大いに楽しめますけれど、実はあたくしは1981年に実際に師匠のDJパーティーに参加して、コレと同じスタイルのモノを師匠が実際に其の場で自分でレコードをかけながら語ると云う、今となっては夢のようなモノを体験した事があります。行きつけのロック喫茶店で「ロンバケ」以前からナイアガラ暗黒時代のレコードをリクエストしていたら「今度、大瀧さんが来るんだけど、来る?」と云われて、いそいそ出掛けたらトンデモナイ現場だったわけです。(つづく)

(小島イコ)

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2023年01月26日

「ナイアガラ考」#12「A LONG VACATION VOX」「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」(中)



ナイアガラーではないあたくしですが、大瀧詠一師匠を師と仰ぎ、大滝詠一さんの楽曲を愛する者として唯一自慢出来るのは、前回書いた通りに、実際に師匠と逢って、話をして、サインをして頂き、握手もした事です。そう云う体験をした方は其れほど多くはいないでしょうが、最も自慢出来るのは「大瀧詠一」のサインばかりではなく「多羅尾伴内」のサインもして頂いたので、其れは世の中にそんなにいないと思われます。当時は若造だったので、師匠にナイアガラ暗黒時代の話ばかり質問してしまって、まあ「ロンバケ」が売れ始めていたので師匠も機嫌が良くて付き合ってくれたのですが、機嫌が悪かったなら怒られていたかもしれません。それでサインをして下さる時に、師匠の方から「キミにはこっちの名前の方がいいかな」と云って「多羅尾伴内」と書いて下さり「コレはキミで4人目だよ」と云っていたので、おそらくそんなに沢山いないと思います。それでもあたくしはナイアガラーにはならず、どっちかと云うと師匠の元ネタを探して喜ぶと云うオールディーズ愛好家となってゆくのでした。まあ、此の箱とかも買っているので、一般的に見れば充分にナイアガラーと捉えられてしまうかもしれませんが、世の中にはあたくしなんぞよりも熱狂的な師匠のファンである所謂ひとつのナイアガラーがごまんといるのです。

元ネタの一例として、此のVOXには3枚目のCDに「悲しきWhite Harbour Cafe」と云うカラオケが入っていて、コレが次の「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」に収録されている「白い港」の元になっているのですが、コレがビートルズの「Hold Me Tight」をフィル・スペクターがプロデュースしたトレジャーズによるカヴァーとアレンジが全く同じで、ブックレットに載っているバックトラックの画像にも堂々と「Hold Me Tight」と記されています。あたくしはビートルズもトレジャーズも聴いているのに気付かずに、フィル・スペクターのブートレグでカラオケを聴いて初めて「おいおい、コレって「白い港」じゃん」とようやく分かったのです。さて、話が撮っ散らかってしまいましたが、此の40周年記念盤は箱にもなりましてですね、其れはCD4枚、LP2枚、カセットテープ1本、Blu-ray1枚、更には絵本1冊、60頁ブックレット、福袋、バッチと超豪華な内容です。LPは本編全10曲を45回転の2枚にしていて、カセットテープに関しては何を今更とも思えますが、師匠が生前に40周年は其の時にある全てのメディアでと構想していたらしく、現に同じ2021年3月21日には「ロンバケ」を含めた大滝詠一名義の楽曲が177曲も一斉にサブスクでも解禁されています。

CDの2枚目までは通常盤と同じで、本編全10曲の「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」と、DJスタイルの「Road to A LONG VACATION」です。3枚目は「A LONG VACATION SESSIONS」で、4枚目が「A LONG VACATION RARITIES」となっております。3枚目には1980年4月18日から8月27日までのセッションが録音順に収録されていて、本編10曲の別ヴァージョンや、前述の「悲しきWhite Harbour Cafe」の様な未発表音源や、山口百恵さんに書いた「哀愁のコニー・アイランド」の別アレンジ演奏や、同時期のCM曲などが収録されていて、限りなくマニア向けです。4枚目は、「ロンバケ」の関連未発表音源が収録されていて、須藤薫さんの「あなただけI LOVE YOU」や太田裕美さんの「恋のハーフムーン」と「ブルー・ベイビー・ブルー」の純カラオケや、聖子ちゃんに書いた「いちご畑でつかまえて」と師匠の「FUN×4」を合体させた曲や、太田裕美さんと師匠によるライヴでの「さらばシベリア鉄道」のデュエットや、「ロンバケ」のカラオケにフィル・スペクターとテディ・ベアーズで組んでいたキャロル・コナーズが英語の詞を付けて外国人シンガーが歌っている未発表音源(松本隆さんなどに話を通していなくてボツになったらしい)などが収録されていますが、これまた徹底的にマニア向け音源集です。そして、マニア向けだったなら、ライヴ音源などはもっとあるのに出し惜しみしている感もあります。(つづく)

(小島イコ)

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2023年01月27日

「ナイアガラ考」#13「A LONG VACATION VOX」「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」(下)



さてさて、「A LONG VACATION VOX」にはBlu-rayが1枚入っていて、全47曲が収録されています。まずは本編全10曲の「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」5.1chサラウンド音源、同じく本編全10曲の「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」ハイレゾリマスタリング音源、そしてインストに歌メロを乗せた全14曲の「Sing ALONG VACATION + Fiord 7」ハイレゾリマスタリング音源、更に純カラオケ全13曲の「A LONG VACATION TRACKS and More」ハイレゾリマスタリング音源です。5.1chサラウンド音源は、のんちゃんが主演した映画「私をくいとめて」に「君は天然色」が劇中とエンディングで使われる事になったので、劇場用に「君は天然色」の5.1chサラウンドを提供しようとなって、どうせなら全曲やってしまおうとやってしまったらしいのですが、大瀧詠一師匠が生きていても映画用にはそうしたかもしれませんし、ハイレゾリマスタリングも当然やっていたでしょう。但し、あくまでも師匠が亡くなってからの作業ですので、果たして師匠が望んだカタチになっているのかどうかは不明です。Blu-rayでの再生にはそれなりの環境が必要なので、此の箱自体がマニア向けですが、中にはアナログ盤みたいにBlu-rayだけ単品で売って欲しいと考える方もおられるでしょう。

全14曲の「Sing ALONG VACATION + Fiord 7」は、全9曲だった「Sing ALONG VACATION」(20周年記念盤にオマケで収録)に、発売当時は未収録で「フィヨルド7」名義でシングルで発売した「哀愁のさらばシベリア鉄道」ステレオ両面とそれらのモノラルと「恋するカレン」のモノラルの5曲を加えています。「A LONG VACATION TRACKS and More」は、30周年記念盤にオマケで入っていた「A LONG VACATION TRACKS」全11曲を再編して13曲にしていて、LPヴァージョンの「君は天然色」や、コーラス入りの「カナリア諸島にて」や、コーラス抜きの「FUN×4」の純カラオケが初出音源です。どちらのインスト版も20周年と30周年でCD化しているので、そこはサービスでBlu-rayにハイレゾで収録となったのでしょう。アナログ盤、CD、カセットテープ、Blu-ray、更にはサブスクとあらゆるメディアに対応した40周年記念盤VOXとなりましたが、MDだけがハブにされております。MDはソニーが開発したメディアでまだ製造は続けているらしいのですが、此のVOXでハブにされたと云う事は、即ちソニーによるMD敗北宣言なのでしょうか。

小出しにし続けているライヴ音源を除けば、此のVOXで「ロンバケ」関連音源はほぼ網羅されていて、様々なメディアで聴き比べも出来る仕様となっております。オマケの復刻版イラストブックや福袋などは、ナイアガラらしいお祭り感もあって楽しい企画ではありますし、譜面や松本隆さんの当時の直筆原稿なども収めた60頁ブックレットも資料的価値は充分ですが、それらの為か価格が2万円を軽く超えてしまったので、其の辺はどうなんでしょうね。内容は師匠が亡くなった後に出たモノの中では最も良かった、と申しますか、ここまでが酷いもんばっかり買わされて来たので、唯一納得がいった商品ではあります。VOXは敷居が高いと思われるので、一般的には通常盤といきたいところですけれど、やはり通常盤は本編だけで勝負して廉価盤とすべきだったとも思うのです。通常盤のオマケ「Road to A LONG VACATION」を面白がって聴く方々は、あたくしも含めてVOXを買うんですからね。そうでない方は、今やサブスクで聴くだろうし、中途半端な通常盤は宙に浮きます。ところで此のVOXが出た2021年は、前年の2020年が世界的にコロナ禍だった為に発売が1年延びた箱が多くて、個人的には「ジョンの魂」とかジョージの「オール・シングス・マスト・パス」とかビートルズの「LET IT BE」とか、矢鱈と箱を買わされて嬉しい悲鳴を上げておりました。

(小島イコ)

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2023年01月29日

「ナイアガラ考」#14「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」(上)



2022年3月21日には、箱の「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」と、通常盤CDとアナログ盤の「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」が発売されました。ところが、これらが厄介なモノでして、結論から申し上げますと、Blu-ray1枚とCD3枚とプロモ盤シングル復刻版3枚と解説書の箱と、通常盤CD2枚組と、45回転2枚組アナログ盤は、全て別の内容と云ってしまってもよいのです。簡単に云えば、前年(2021年)に出た「A LONG VACATION VOX」での構成を、今回は全てバラバラにしてしまい、ファンに3度買いさせようと云う姑息な手段を使っているのです。あたくしも予約して買った箱とは別に、CD2枚組の通常盤も買わされる羽目になりましたし、ナイアガラーの方々は当然2枚組のアナログ盤も買わされてしまったでしょう。さて、そもそも「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」とは何ぞやと思われるでしょうが、「Vol.2」と云うので当然「Vol.1」があるわけでして、そちらでは大瀧詠一師匠と銀次とタツローの3人で1976年3月25日にアルバムが、4月1日にシングル「幸せにさよなら」が、更には6月1日に関連盤シングル「ナイアガラ音頭」が発売されていてですね、1981年10月21日に師匠と佐野元春さんと杉真理さんの「Vol.2」による先行シングル「A面で恋をして」が出て、1982年3月21日にアルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」がアナログ盤とカセットテープで、更には3人のシングル盤3枚も発売されました。

其の後は「ロンバケ」と同じ様な変遷で、1982年10月1日にはオリジナルの全13曲で世界初のCD20作のひとつとして「ロンバケ」と同時に発売され(つまり世界初のCDの20作中2作はナイアガラだった)「ロンバケ」同様にリマスターを2回やり直したので品番が同じで3種あります。1985年6月1日に出た準ベスト盤の「B-EACH TIME L-ONG」には、師匠の3曲がリミックスで収録され、1989年6月1日には、なんと「A面で恋をして」をカットした全12曲でのリマスター盤をCDとカセットで発売して、1991年3月21日に「ロンバケ」と同時にオリジナル全13曲に戻したリマスター盤がCD選書盤で出て、1997年10月22日にはMDが選書盤で出ました。2002年3月21日には20周年記念のリマスター盤CDが出て、全13曲にシングル・ヴァージョンやアルバム未収録のB面など6曲をボーナストラックで入れています。2012年3月21日には30周年記念のリマスター盤がCD2枚組で出て、1枚目はオリジナル全13曲で、2枚目は全13曲に「A面で恋をして」は2ヴァージョン(コーラスありとなし)で14曲の純カラオケが収録されています。其の後は師匠が亡くなってからで、2014年に配信が始まって、2015年3月21日に出て以前紹介している「NIAGARA CD BOOK II」にリマスター盤がオリジナル全13曲で収録されました。其れで此の40周年記念盤となったわけですが、前年の「ロンバケ」の箱が良かったので、師匠はいないけれど佐野さんと杉さんは生きているので、信頼出来ると期待しておりました。

ところがですね、結果はファンをバカにした様なバラ売り商法を敢行されちゃってですね、もうそれだけで萎えましたよ。オリジナル全13曲の45回転アナログ盤を別にしたのは、まだ何となくそれぞれの再生環境を考えてみてと分かる気がしますが、だったらVOXにシングル3枚の復刻アナログ盤が入っているのは何じゃらホイとなります。それよりもですね、何故、CD2枚組の通常盤がVOXには入っていないのかですよ。オリジナル全13曲は確かにVOXのCDにも入っておりますが、其れはオリジナルの曲順ではなく、アノ「NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-」の悪夢をもう一度となっております。いや、オリジナルはBlu-rayに入ってはいますが、それこそアナログ盤同様に聴き手にある程度の視聴環境を強いるわけで、どうして通常盤のCD2枚がVOXには入っていないのかが、全く説明出来ないのです。通常盤の2枚目は「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」に関連したラジオ番組「スピーチ・バルーン 1982」と「スピーチ・バルーン 2012」と「A面で恋をして」のライヴ音源が入っているわけですが、ラジオ番組をそのまんまCDに入れてしまうなんて事に納得したり喜んだりするのって、それこそナイアガラーの方々やあたくしの様なファンだけなのであって、勿論皆さんVOXを買うわけですよ。其れをVOXには収録していないと云う事はですね、即ち「VOXと通常盤の両方買え」と云っているのと同じではありませんか。「ロンバケ」のVOXよりも安くて2万円を切っていると喜んだのも束の間で、通常盤CDとアナログ盤も買ったならば「ロンバケ」VOXより高額になっちゃうんですよ。(つづく)

(小島イコ)

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2023年01月30日

「ナイアガラ考」#15「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」(下)



前述した通りに「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」のアナログ盤は45回転2枚組で全13曲がオリジナル通りの曲順で収録されて、通常盤CD2枚組は1枚目が「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」全13曲をオリジナル通りの曲順で収録して、2枚目はラジオ番組と「A面で恋をして」のライヴ音源が収録されています。そして高価な箱である「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」には、どう云うわけなのか理解出来ませんが、2枚組のアナログ盤も、通常盤2枚組CDも収録されていません。VOXはBlu-ray1枚とCD3枚と復刻版アナログ盤シングル3枚と解説書からなっているにも関わらずです。CDの1枚目は「EACH TRIANGLE 2」と題されていて、何やら30周年記念盤の時に大瀧詠一師匠がテスト盤を制作して関係者に配ったとされる全13曲収録で、曲順も楽曲自体もオリジナルとは違っています。1曲目が「A面で恋をして」ではなく、佐野元春さんの「彼女はデリケート」で冒頭のセリフがカットされて、其の後の佐野さんと杉真理さんの曲はオリジナル通りですが、大滝詠一さんのパートである「オリーブの午后」と「白い港」と「Water Color」と「♡じかけのオレンジ」が収録されず、代わりに「EACH TIME」に収録される事になる「1969年のドラッグレース (EACH TRIANGLE 2 Version)」と「恋のナックルボール (1st Recording Version)」と「フィヨルドの少女 (EACH TRIANGLE 2 Version)」と来てようやく「A面で恋をして」が、更には最後に師匠がプロデュースした金沢明子さんの「イエロー・サブマリン音頭 (特別変)」で締めています。

最初の構想ではリヴァプール・イディオムでアルバムを統一させようと考えていて、師匠は此の楽曲を収録しようとしたらしく、最後が「イエロー・サブマリン音頭」となるのは「vol.1」が「ナイアガラ音頭」で終わっているのでシンメトリーにしたかったらしいのです。「イエロー・サブマリン音頭」には師匠も佐野さんと杉さんも参加していますので、別に収録するのは構いませんが、あくまでもボツになった曲順と楽曲です。CD2枚目の「EACH SIDE of NIAGARA TRIANGLE Vol.2」は、師匠の楽曲だけにスポットを当てて、1枚目には収録されなかった4曲や、「A面で恋をして」と「♡じかけのオレンジ」のシングル・ヴァージョンや、それらのインストやセッションの模様が「A面は天然色」とか「晴れのサースデイ」とか「風立つカレン」とか「ホンダラマーチ」とか「真夏の昼の夢で逢えたら」などとふざけたタイトルで、全18曲が収録されています。つまり、オリジナルは1枚目と2枚目に分割されてしまい、佐野さんのセリフも聴けません。CD3枚目は「NIAGARA TRIANGLE Story」と題されて、最初に30周年記念盤の時に佐野さんがリミックスしたものの収録しなかった「Bye Bye C-Boy (2011 Remix Version)」で幕を開けて、其の後は3人が当時如何にして組んだのかを音源で辿った全17トラック(MCも含む)が収録されていますが、2枚目が師匠ばっかりなのでバランスを取ったのか分かりませんが、佐野さんと杉さんの関連曲が多い印象です。何よりも伝説の1981年12月3日に開催された「HEADPHONE CONCERT」の音源が、これまで同様に小出しにされていて、またしてもジダンダ踏む事になりました。

折角のVOXなのに、オリジナルがCDでは聴けず、ボツ案を聴かされるのは納得がゆきませんし、差し替えになった「1969年のドラッグレース (EACH TRIANGLE 2 Version)」は師匠が意図して途中で音が飛ぶのですが、「音飛びする不良品だから返品交換して欲しい」なんて文句まで出ておりました。さてさて、注目のBlu-rayには全50曲も収録されておりまして、まずは師匠の6曲と「イエロー・サブマリン音頭 (特別変)」の全7曲の5.1ch サラウンド音源、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」ハイレゾリマスタリング音源全13曲(コレでようやくVOXでもオリジナルが聴ける)、そして「Single Version」ハイレゾリマスタリング音源全7曲、更には「カラオケ」ハイレゾリマスタリング音源でオリジナル通りの全13曲にシングルやCMヴァージョンも加えた全23曲です。5.1ch サラウンド音源が師匠の曲と「イエロー・サブマリン音頭 (特別変)」だけなので、其の辺は足並みが揃っていなかったのでしょうか。やはりオリジナルと云うか、オリジナルの師匠の完成形は「ロンバケ」とシンメトリーにした聖子ちゃんの「風立ちぬ」をそれまたシンメトリーにした名曲ばかりなので、別に差し替えた楽曲が悪いと云う気はないのですが、しっくり来るんですけどね。そもそも「実はこんな風にも大瀧詠一師匠は構想していた」とか「こんなもんも関係者には配っていた」とか「こんなもんも自分で編集していた」とか、そんなのは全部後出しじゃんけんなんですよね。些か残念な40周年記念盤となった責任は、佐野さんや杉さんには決してなくて、商魂逞しいソニーや現在のナイアガラにあると思います。

(小島イコ)

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2023年02月02日

「ナイアガラ考」#16「大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition」(上)



2022年11月25日にCD2枚組の「大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition」が発売され、音源自体は同内容と思われるアナログ盤2枚組は、来るべき今年(2023年)3月21日に「大滝詠一 Novelty Song Book」と同時発売予定です。まずもって、何故コノ作品が「ナイアガラ」レーベルから発売されるのかが、よく理解出来ません。50年前に此の作品の元となった「大瀧詠一」は、まだ大瀧詠一師匠が「はっぴいえんど」に在籍中に発表されたモノでして、作詞が松本隆さんで細野晴臣さんも鈴木茂さんも、勿論、松本さんもミュージシャンとして参加していて、はっぴいえんどの延長線上と思えるメロディアス路線の曲が半分を占めています。残りの半分はノヴェルティー路線で後の「ナイアガラ1期」を予兆させるものの、あくまでもバンドの1員が細野さんに「話がある内にやっておいた方がいいよ」と云われて制作された作品であって、同じ大瀧作品でも「ナイアガラ」とは一線を画すモノなのです。そもそも、何故にソロが出たかと云いますとですね、当時はっぴいえんどは「風街ろまん」を制作していて、其れはURCから出るのですが、キングから出したいと云う話になって、URCが「はっぴいえんどは譲れないけれど、ソロならいい」と云って来て、キングが「じゃあ、まずは大瀧で、次に細野や茂のソロも出そう」となったらしいのです。

そんなこんなで1971年12月10日に、はっぴいえんどの「風街ろまん」からのシングルカット盤「花いちもんめ/夏なんです」と同日に師匠のソロデビューシングル「恋の汽車ポッポ/それはぼくじゃないよ」が、翌1972年6月25日に2ndシングル「空飛ぶくじら/五月雨」と出てですね、師匠の構想ではシングル6枚12曲をまとめて「乗合馬車」と考えていたものの、結局はソロアルバムへと変わってしまい、「空飛ぶくじら」は未収録で他の3曲も再録して全12曲全てが新録となる「大瀧詠一」となったのでした。オリジナル通りのカタチではアナログでもカセットでもCDでも何度もベルウッド/キングから発売されていて、特に40周年記念盤となった2012年には師匠が自らリマスターしようと思っていたものの、ベルウッドの企画に譲ったらしいのです。それで50周年記念盤はナイアガラからとなったのですが、肝心の師匠がお亡くなりになっておりますので、何だかよく分からない構成となっております。まずはタイトルを「乗合馬車」としてしまったのは、前述の通りで初期段階の構想だったからで、其れによってCD1枚目全13曲の本編に「空飛ぶくじら」が入っているのですが、他の3曲はアルバム・ヴァージョンなのです。もうコノ段階で破綻しちゃっているんですよね。オムニバスの意味する「乗合馬車」ならば、シングル・ヴァージョンが優先されるべきなのに、コレではアルバム「大瀧詠一」に「空飛ぶくじら」をねじ込んだとしか思えません。

例によって「2012年に大瀧詠一が構想した新たな曲順」って、真偽不明の説明がありますけれど、毎度の事ですが、俄かに信用出来ませんなあ。そしてCD2枚目には「空飛ぶくじら」以外の3曲のシングルに始まって、別ヴァージョンが全14曲収録されています。しかしながら、完全初収録は僅か5曲で、あと「おもい」のリハが長くなっているので5曲半です。2枚組で全27曲になったわけですが、そこで比較すべきなのは1995年に師匠自らが編集したダブル・オーレコード盤全22曲スリムケースの1500円盤なのです。えっとですね、何だかよく分からない編集で、たった5曲半を増やしただけで、2枚組で4290円って、おいおい、そりゃないでしょう。師匠の解説もダブル・オー盤と同じなんですよ。何故に3倍近い価格設定になってしまったのか、全く理解不能です。しかもですよ、ダブル・オー盤はチャッカリと廃盤にしているらしいじゃありませんか。ダブル・オー盤は、最初の4曲がシングル盤で、そこからアルバムをオリジナル通りに入れて、最後の「いかすぜ!この恋」だけ別ヴァージョンにして、そこから別テイクになって、最後はアルバムの「いかすぜ!この恋」で終わると云う、初心者にもマニアにも納得の編集で、聴いている間に読み終えない師匠の解説も付いて、1500円だったんですよ。其れが何故にちょろっと変えただけで3倍近い価格になるんですかね。悪い事は云わないから、中古で1500円盤を買った方がいいですよ。多分、まだ1000円以下で売っていると思います。(つづく)

(小島イコ)

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2023年02月04日

「ナイアガラ考」#17「大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition」(下)



大瀧詠一師匠のソロアルバムが1972年11月25日に出て、同年の12月31日にはっぴえんどが解散してしまうので、師匠のソロが原因でバンドが解散したなどと誤解もされたらしいのですが、前述の通りに師匠のソロはあくまでも「はっぴいえんどの大瀧詠一」として始まっています。故に作詞には松本隆さんが書いたモノも多く、はっぴいえんどの細野晴臣さんも鈴木茂さんも、松本さんも演奏に参加しています。そもそも「風街ろまん」の制作中に、先に自分の曲を録音し終わっていた師匠がヒマにしていたのでソロはどうかとなって、はっぴいえんどの活動と並行して録音していたわけで、アルバムは1972年11月25日発売だったものの、師匠のソロシングルは1971年12月10日に出て、アルバムは1年掛かりだったし、当時のはっぴいえんどのライヴでは「びんぼう」や「それはぼくじゃないよ」などのソロで発表された曲も披露されていて、レコーディングを含めて、本人たちも「どこまでがはっぴいえんど」で「どこまでがソロ」なのかが混乱する様な状況だったみたいです。細野さんが「やっといた方がいいよ」と云ったので「シャレ」で始めた師匠は、はっぴいえんどでは封印していた技を此のソロアルバムでは出してはいますが、あくまでも「シャレ」であって、ソロデビューシングル「恋の汽車ポッポ」ではベースが師匠でドラムが細野さんと云った変則的な編成も試みています。

「恋の汽車ポッポ」は元々は「伊呂波」と云うタイトルで、はっぴいえんどの「愛飢を」が「あいうえお」と歌っている様に「いろはにほへと」で歌っていた曲で、松本さんが「それじゃあ売れないよ」と現在の詞になったのだそうです。つまり、ソロデビューの最初の時期では、はっぴいえんど解散など考えてはいなかったのでしょう。此の50周年記念盤に関しては、前述の通り疑問も多いものの、元になったシングルやアルバムは素晴らしい作品であると思います。あたくしは「ロンバケ」よりも前にはっぴいえんども師匠のソロも聴いていたので、特に此の「大瀧詠一」は愛聴していました。此の作品には、当たり前田のクラッシャーバンバンビガロですが、はっぴいえんど直系の曲も、メロディー系もノヴェルティー系もあって、細野さんからは「メロディー系かノヴェルティー系か、どちらかにまとめれば良かった」と云われたそうで、其れが後のノヴェルティー系に振り切った「NIAGARA MOON」や振り切れ過ぎた「レッツ・オンド・アゲン」となり、メロディー系は「ロンバケ」で花開くわけです。両方を混ぜた路線では「コレが売れなきゃ辞める」とまで宣言して見事に売れなかった「NIAGARA CALENDAR ’78」があるわけで、云わばタイトル通りに「大瀧詠一」の全てが詰まった名盤だとは思います。松本さん作詞でメロディー系の「水彩画の街」や「乱れ髪」などは、何故売れなかったのか分からない程に名曲で、師匠も「ロンバケ」の前哨戦として後に再録しています。

其れはノヴェルティー系にも云えて、「びんぼう」や「あつさのせい」は爽快だし、「指切り」はそれまでの日本語ロックでは聴いた事のない様なソウルフルな名曲で、後にSUGAR BABEもカヴァーしています。オールディーズを元にした「五月雨」や「ウララカ」や「恋の汽車ポッポ」や「いかすぜ!この恋」も楽しいし、エルヴィスの邦題を繋げて詞にする技には唸らされました。はっぴいえんど直系の「それはぼくぢゃないよ」も名曲だし、ジャズ系の「朝寝坊」もいいし、冒頭の「おもい」も、アルバム未収録でビートルズの封印を解いた「空飛ぶくじら」も素敵です。つまり全曲いいわけで、師匠自身も名盤のひとつとして、ヴォーカリストとしては此の時期がピークだったとまで云っていました。ところが、あろうことか此のアルバムの原盤権を持っていたキングは16チャンネルのテープを破棄してしまい、1995年盤の解説で師匠が書いている通りに2チャンネルしか残っていないらしいのです。其れが原因となって師匠は原盤権を持つ為にナイアガラをレーベルとして立ち上げて、1年も掛けて1千万円もスタジオ代が掛かってしまった事から福生に移住して自らのスタジオを建てる事となるのでした。たったの5曲半を増やしただけでダブル・オー盤の3倍の価格となった事には憤りを感じるし、幾ら師匠が構想したと云われても曲順には慣れませんけれど、アルバム「大瀧詠一」は名盤ではあります。其れでも「J-POPの始発点」とか「CITY-POPの原点」とか、持ち上げすぎな気もします。再評価に対して、ター坊は「自分はCITY-POPを作っているつもりはない」と云っているし、タツローは「40年前に云ってよ」と云っていますから、師匠が生きていたならば何と云っているのでしょうね。

(小島イコ)

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2023年02月06日

「ナイアガラ考」#18「はっぴいえんど」



3月21日に発売される「大滝詠一 Novelty Song Book」に間に合う様に大瀧詠一師匠が亡くなってからの商品から始めた此の連載ですが、悪口ばかりになると思って実際に悪口ばかりを書いてさっさと終わらせようとしたら、思いの外に早く進んでしまいました。其れで次はどこまで遡ろうかと考えて、まあ、最初まで戻ってしまおうと「はっぴいえんど」からもう一度始めようと思います。1970年8月5日に発表された「はっぴいえんど」のデビューアルバム「はっぴいえんど」は、林静一さんが描いたジャケットに大きく「ゆでめん」とあるので、通称「ゆでめん」と呼ばれています。元々はエイプリル・フールと云うバンドにいた細野晴臣さんと松本隆さんと小坂忠さんが新しいバンドを作ろうとしていて、小坂さんがミュージカル「ヘアー」のオーディション(細野さんがギター伴奏で同席していた)に合格してしまい、ヴォーカリストを失って、細野さんが友人の大瀧師匠を誘って「ヴァレンタイン・ブルー」が結成され、そこにまだ10代だった鈴木茂さんを加えて改名して「はっぴいえんど」が誕生します。「ゆでめん」の裏ジャケのメンバーに茂が最初に記されているのは、やめられない様にそうしたらしいです。松本さんはエイプリル・フールでは半分が英語詞だった事で失敗したと感じていて、日本語によるロックを創造しようと燃えていました。

しかしながら、作曲と歌を担当する師匠は日本語で洋楽の様な曲を書くのは困難と考えていて、松本さんの詞を全てローマ字にして其れに曲を付けたりしていたそうです。細野さんも日本語詞には反対する立場ながらも曲を書いていますが、ライヴでは基本的には細野さんが書いた曲も師匠が歌っています。此の「ゆでめん」に収録された曲では「春よ来い」と「かくれんぼ」と「十二月の雨の日」と「いらいら」と「朝」が師匠の曲で「いらいら」は詞も師匠です。他の5曲は細野さんの曲ですが、「あやか市の動物園」では師匠と細野さんのデュエットで、「はっぴいえんど」は師匠が歌っています。それで「松本が詞を書き、大瀧が曲を書き歌う」のが、はっぴいえんどの基本形とされていました。此のアルバムのレコーディングは1970年4月9日から12日までのたった4日で行われており、演奏スタイルは完全にバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレープをお手本にした洋楽ロックで、後の「ロンバケ」はおろか「ナイアガラ」の1期とも全く違っています。前述の通りに松本さんだけが其の所謂ひとつの「日本語ロック」への挑戦表明をしている様な状況で、其のサウンドは実にぎこちなく、逆に其の「ぎこちなさ」こそがファーストアルバムの「はっぴいえんど」にしかない魅力です。此の後に別レコーディングしたシングル「12月の雨の日/はいからはくち」が1971年4月1日に発売されますが、ぎこちなさはだいぶ薄れています。

「はっぴいえんどでは松本の詞を歌わされていた」と語った師匠ですが、結局は「ロンバケ」では再びタッグを組む事になります。しかしながら、「はっぴいえんど」と「ロンバケ」では全く世界観が違っているのに、師匠曰く「邪教である日本語の文節を無視した歌唱法」は、しっかりと受け継がれています。「春よ来い」での「お正月と言えばぁ炬燵を囲んでぇお雑煮を食べなぁがらぁ歌留多をしてぇた、もおおのおおおーです」と「恋するカレン」での「キャンドルをぉ暗くぅしぃてぇ、すうろおおおおな曲がぁかかるとぉ」は同じであって、特に後者は歌謡へ持ってゆく為に英語までもを解体してしまっているのです。此のアルバムが「ニューミュージック・マガジン」で「日本のロック賞」を取ってしまった事が原因で「日本語ロック論争」に発展したりするのですが、此処にあるのは「洋楽ロック」とは違う「日本語ロック」ではあるものの、完成形ではないのです。はっぴいえんどが「日本のロックの出発点」などと持ち上げられるのは、後に松本さんが作詞家として大成功したり、細野さんがYMOで世界的に成功したり、茂が敏腕ギタリストでアレンジャーになったり、師匠が「ロンバケ」で大成功したりとメンバー4人が出世したから云われているのであって、はっぴいえんどは過大に再評価され過ぎていると思います。日本語ロックに果敢にも挑戦したのは此の「はっぴいえんど」だけで、次の「風街ろまん」では詞と曲がマッチしてしまいます。其れは最早「日本語ロック」ではなく「ニューミュージック」とか「シティーポップ」とか奇妙なジャンルになるので、当時を知るミュージシャンなどからは「はっぴいえんどはロックではなく、フォーク」と云われる事となるのでした。

(小島イコ)

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2023年02月08日

「ナイアガラ考」#19「風街ろまん」



たったの4日でレコーディングした「はっぴいえんど」は1970年8月5日にURCから発売されましたが、1971年4月1日に発売されたシングル「12月の雨の日/はいからはくち」は別レコーディングでキングから発売されます。1971年11月20日には2枚目のアルバム「風街ろまん」がURCから発売されますが、1971年12月10日にシングルカットされた「花いちもんめ/夏なんです」はキングから、大瀧詠一師匠のソロデビューシングル「恋の汽車ポッポ/それはぼくじゃないよ」と同時に発売されます。其れで、アルバムはURCからで、シングルやソロはキングからと云う事になってゆきます。此のはっぴいえんどの2枚目のアルバム「風街ろまん」は、当時もそこそこ売れていた模様ですが、やはり後に些か過大な再評価をされています。「風街ろまん」では師匠は「抱きしめたい」と「空いろのくれよん」と「はいからはくち」と「はいから・びゅーちふる」と「颱風」と「春らんまん」と「愛餓を」を書いていて、松本隆さんの詞だけではなく「はいから・びゅーちふる」では詞も曲も師匠(多羅尾伴内・名義)と「颱風」では詞も書いています。残りは細野さんが「風をあつめて」と「暗闇坂むささび変化」と「夏なんです」と「あしたてんきになあれ」を、鈴木茂さんが「花いちもんめ」を、それぞれ松本さんの詞で書いていて、師匠は「暗闇坂むささび変化」も歌っています。

やはりここでも「松本が詞を書き、大瀧が曲を書き歌う」が基本形になってはいるものの、後に「風をあつめて」が異常な程にもてはやされてしまい、何だか変な風に再評価されました。「風をあつめて」は細野さんと松本さんしか参加していない楽曲で、云わばビートルズの「ホワイト・アルバム」の様な状況もあったのでしょうか。アルバムを通じて「はっぴいえんど」にはあった日本語詞と洋楽ロックの齟齬から来る「荒々しいぎこちなさ」が、「風街ろまん」にはありません。つまりは此の時点でバンドとしてのはっぴいえんどは目的を達成してしまったわけです。ジェームス・テイラーなどの当時流行したシンガーソングライター系の楽曲に触発された細野さんは、フォークロックの様な路線で「風をあつめて」や「夏なんです」を書いて自ら歌い、それらはロックンロールからは遠くなっています。確かに茂の処女作「花いちもんめ」も含めたニューミュージックの創造に、大瀧師匠以外の3人は到達していて、歌っている詞も良く理解出来る歌唱法になっています。しかしながらそれはレコーディングに限った事で、ライヴでは荒々しい演奏スタイルを披露していました。大瀧師匠はライヴでは細野さんの曲も歌っていて、「暗闇坂むささび変化」などは語尾を「ですますまんねん」と歌ったり、此のアルバムの最後も「あいうえお」で歌ったりしていますし、前述の通りに同時期のソロ「恋の汽車ポッポ」は「いろはにほへと」で歌えます。

ジャケットは宮谷一彦さんが4人の写真に上書きしたもので、何と申しますか、ジャケットで損をしている感じもします。先にレコーディングが済んでいた事も影響しているのか、他の3人とは違って、師匠の曲はまだ「はっぴいえんど」の残り香や、其の別のベクトルでの可能性を示しています。後に布谷文夫さんもカヴァーする「颱風」のハチャメチャな展開や、シングルとは違ったアレンジに変えて茂のギターが冴え捲る「はいからはくち」や、「春よ来い」のセルフ・アンサーソングである「春らんまん」や、前述の「愛餓を」などは明らかに別方向の「日本語ロック」へと向かっているし、冒頭の「抱きしめたい」での奇抜なイントロや「とても素早くと、びおりるので」や、「空いろのくれよん」でヨーデルにしてしまう邪教である「日本語の解体」は、大瀧師匠の楽曲にだけ残ってしまった感覚です。其の路線はソロになってからのリズムの実験をしたCM楽曲や、日本語ロックの大瀧師匠による完成形と思われる「NIAGARA MOON」へと続いてゆきます。現在では「風をあつめて」を収録したアルバムであり、はっぴいえんどの完成形とされる「風街ろまん」は、実は大瀧師匠にとってはあくまでも其の後に続く出発点であったと、思うのですますまんねん。

(小島イコ)

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2023年02月09日

「ナイアガラ考」#20「大瀧詠一」



流れとしては、はっぴいえんどの2枚目のアルバム「風街ろまん」が1971年11月20日にURCから発売されて、同年12月10日にシングルカットされた「花いちもんめ/夏なんです」はキングから、大瀧詠一師匠のソロデビューシングル「恋の汽車ポッポ/それはぼくじゃないよ」と同時に発売されて、翌1972年6月25日に師匠の2ndシングル「空飛ぶくじら/五月雨」がベルウッド(キング)から発売されて、同年11月25日に師匠のソロアルバム「大瀧詠一」がベルウッド(キング)から発売されました。はっぴいえんどの3枚目でスタジオ・ラスト・アルバムは同年の10月4日から25日にかけて渡米してレコーディングされており、其の時点で解散は決定していたものの、正式に解散したのは12月31日で、アメリカでレコーディングしたラストアルバム「HAPPY END」は翌1973年2月25日にベルウッド(キング)から発売されて、解散コンサートは同年9月21日に開催されています。その様な経緯から、大瀧師匠のソロは決して其れが原因で解散に向かったのではありません。繰り返しになりますが、師匠が「風街ろまん」での自分の曲を先にレコーディングしてしまい、ヒマになったタイミングでURCとキングで「はっぴいえんど」の取り合いが起きて、URC側が「ソロならいい」と条件を出して、アルバムはURCでシングルとソロはキングでとなり、三浦光紀さんがベルウッドをレーベルで立ち上げたので、また事情が変わってゆきます。

そもそもソロで6枚のシングル盤を出して、其れをあつめてアルバムにすると云うアイデアで始まった師匠のソロは、ベルウッドがレーベルになった事で一度撤回されてアルバムを求められます。結局はアルバムも3分位の曲を12曲シングルで出した3曲(「空飛ぶくじら」は未収録)も全てが新録で、30分弱で終わってしまいます。ソロを勧める会議に同席した細野晴臣さんの「話があるうちにやっといたほうがいいよ」との後押しで「シャレ」で始めたソロなので、はっぴいえんどのメンバーは演奏に3人とも参加しているし、松本隆さんは半分位は作詞しています。細野さんは小坂忠さんのミュージカルへのオーディションにも同行して取られてしまったし、師匠のソロも後押ししてしまうし、何と申しますか、他人思いの良い人なんですよね。そんな細野さんが後にユキヒロと教授を巻き込んで「YMO」を立ち上げたのは、余程その方向性に自信があったのでしょう。師匠のシングル盤を連続でリリースしてアルバムへと云うアイデアは、なんとまあ、矢沢永吉さんが在籍していたキャロルのデビューにそのまんま流用されています。何故数回前に書いたファーストアルバムの話をまたしているのかと云いますとですね、基本的に1972年に発売されたアルバム「大瀧詠一」と、昨年(2022年)に発売された「大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition」は、ジャケットや収録曲が同じでも全く違う商品だからなのです。

師匠が亡くなってから発売されている商品は、幾ら「生前に大瀧詠一自身が構想していた」なんぞと「死人に口なし」な解説を付けられても眉唾なのです。例えば「NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-」は、1995年3月24日に発売された「NIAGARA MOON」スリムケース廉価盤の時に師匠がリミックスしたと謳われていますが、1995年3月31日にリミックスされた音源も使われているのです。おいおい、時系列が違うではありませんか。50周年記念盤「乗合馬車」は2枚組で27曲入りですが、元々が30分弱のアルバムなので、22曲入りで1枚だった1995年3月24日発売の「大瀧詠一」ダブル・オー盤スリムケース廉価盤と同様に1枚に収録可能ではないですか。「乗合馬車」だって1時間12分でつまりは72分なんだから、アナログ盤が2枚組になるのは分かりますけれど、CDは1枚でせめて2千円とかで出せたでしょう。こうして比較してゆくと、如何に現在のソニーとナイアガラが殿様商売をしているのかが分かります。タツローは「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」を2枚組にしたけれど、CDには入るだけボーナストラックを詰め込んで3千円で出したではありませんか。リマスターもリミックスもタツローがやっているんだから、幽霊の師匠が「やった事になっている」音源なんかよりずっと信頼出来ますし、同じナイアガラでもソニーとワーナーでは価格設定が違うのは、一体誰が決めているんでしょうね。と云う事で、オリジナル通りが良い方々は此のベルウッド盤を、シングル盤も聴きたい方々はダブル・オー盤で、どうぞ。

(小島イコ)

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2023年02月10日

「ナイアガラ考」#21「HAPPY END」



1972年10月に渡米したはっぴいえんどは、もう解散を決定している中で此のアルバムのレコーディングをして、同年12月31日に正式に解散して、翌1973年2月25日に3枚目でラストアルバムである「HAPPY END」とシングルカットの「さよならアメリカ さよならニッポン/無風状態」をそれぞれベルウッド(キング)から発売しました。ジャケットデザインは其の前に出た大瀧詠一師匠のソロアルバム「大瀧詠一」と同じ「WORK SHOP MU!!」が手掛けているので、師匠のソロの続編にも思える感じになっています。師匠が書いた曲は「田舎道」と「外はいい天気」の2曲で、詞は松本隆さんです。鈴木茂さんは「氷雨月のスケッチ」と「明日あたりはきっと春」と「さよなら通り3番地」と3曲も書いて、詞は松本さんで、茂が歌って「氷雨月のスケッチ」ではサビを師匠が歌っています。ラストの「さよならアメリカ さよならニッポン」は、はっぴいえんどと「ソング・サイクル」やビーチボーイズの「スマイル」などで有名なヴァン・ダイク・パークスとの合作で、師匠が歌っています。他の3曲「風来坊」と「無風状態」と「相合傘」は細野さんが詞も曲も書いて歌っています。ヴァン・ダイク・パークスは植木屋ばりに呼んでもいないのに突然にスタジオにやって来て、あれよあれよと云う間に曲を完成させたそうです。

細野さんの3曲が早くも「脱・松本隆」であるのは、解散も決まっていた上に師匠に続いてソロアルバムの制作も決定していて、現地で書かれたとされる曲ではあるものの、ソロアルバム用に準備していたアイデアも流用したのでしょう。現に「相合傘」は、ソロアルバムでもサワリだけ聴けます。茂に関しては「風街ろまん」では1曲だったのに3曲と増えていて、まあ、ビートルズで云うとジョージみたいに成長したのでしょう。師匠の曲はカントリーロック風で、もう以前の湿っぽいはっぴいえんどではなくなって、あっけらかんとした乾いた音になっています。細野さんは詞も自分で書いて、師匠は松本さんの詞でもスカッとした曲にして、それぞれがソロへ向けて助走しているので、茂の曲が最も「はっぴいえんどらしさ」を残していて、後のファースト・ソロアルバム「BAND WAGON」での「松本が詞を書き、茂が曲を書き、茂が大瀧の模倣で歌う」と云う「はっぴえんどの4枚目」へと直結しています。茂の曲や細野さんの「無風状態」などには、明確に解散の影が見えるものの、師匠の曲には其れがありません。何せ「田舎道」では「駆出したい、田舎道、よどれいー!」なわけだし、「外はいい天気」も後の「ロンバケ」へと繋がるドリーミーなポップス路線なんですから、ソロアルバムも出したし、やりたい放題だったのでしょう。そもそも師匠は「ゆでめん」の「あやか市の動物園」のイントロで「ひい、ふう、みい、よ」とカウントしたりするし、細野さんも「さよならアメリカ さよならニッポン」で「よーいとなっと、よーいとなっと」とコーラスしたりで、二人共にふざけているんですよ。

前作の「風街ろまん」の時に細野さんがジェームス・テイラーに傾倒したので師匠も聴いたら、キャロル・キングがピアノで参加していて、更に大ヒットしていたジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」をフィル・スペクターがプロデュースしていて、其の上アメリカに行ったら唐突にヴァン・ダイク・パークスがやって来て、そこから共作していたブライアン・ウィルソンへ、更にはブライアンが師と仰いだフィル・スペクターへ、そしてスペクターが師としたリバー・ストラーとエルヴィスへと、何もかもが繋がってしまい、師匠は自分の音楽へ自信を持ってゆくのでした。其の確信が後のソロアルバムは勿論、ラジオ番組や論文にまで発展してゆきます。はっぴいえんどは前述の通りに1972年12月31日に解散しているので、此のアルバムは解散後2か月経過した状況で発売されています。其れで、其の後に解散ビジネス的にベスト盤「CITY」やシングル集「シングルス・はっぴいえんど」が発売され、其れを横目に細野さんはファースト・ソロアルバム「HOSONO HOUSE」を出したり、解散コンサートが1973年9月21日に開催されたりするので、前年である1972年から1974年までは、色々と入り組んでややこしい事になっています。はっぴいえんどのライヴに関して云えば、1970年代にはフェスやバッキング以外では解散コンサートしかなくて、やはり4人が出世した1980年代から発掘されてゆきます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| ONDO | 更新情報をチェックする

2023年02月11日

「ナイアガラ考」#22「HOSONO HOUSE」



1973年5月25日に、細野晴臣さんのファースト・ソロアルバム「HOSONO HOUSE」が、ベルウッド(キング)から発売されました。大瀧詠一師匠のファースト・ソロアルバム「大瀧詠一」が1972年11月25日発売で、はっぴいえんどは同年12月31日に解散して、はっぴいえんどのラストアルバム「HAPPY END」は1973年2月25日発売(レコーディングは1972年10月)です。此の「HOSONO HOUSE」はクレジットはされていませんが、キャラメル・ママで、ベースやギターやキーボードなどの細野晴臣さんとギターの鈴木茂さんのはっぴいえんどの2人と、小坂忠さんのバンドだったフォー・ジョー・ハーフのメンバーだったドラムの林立夫さんとキーボードの松任谷正隆さんの2人の4人で1972年末に結成されていて、まあ、つまりは、はっぴいえんどの解散と同時か、または掛け持ちで始まっています。レコーディングは1973年2月15日から3月16日までの1か月間に、細野さんの狭山市に引っ越した自宅で行われています。はっぴいえんどが解散してすぐさま録音されてラストアルバム発売の3か月後には発売されているのですから、こっちの方が大瀧師匠のソロアルバムよりもずっと解散の要因とされてもよさそうなのですけれどね。詞は1曲を除いて全て、曲は全て細野さんが書いて歌っています。

松本隆さんの詞を歌わないと云う事では、細野さんの方が「HAPPY END」でも全ての自作曲で詞も自分で書いているし、詞は松本さんだったけれど「風街ろまん」の「風をあつめて」や「夏なんです」あたりから始まったフォークロック路線が「HAPPY END」から「HOSONO HOUSE」へと一貫して繋がっていて、「なるほど、はっぴいえんどの細野さんだ」と思える路線だったのですが、細野さんは次作となる「トロピカル・ダンディー」から大胆なイメージチェンジをして「無国籍音楽」へと進んでゆきます。大瀧師匠を中心に書いている此の連載で細野さんのソロまで取り上げるのは何故かと云いますとですね、別にはっぴいえんどは喧嘩別れしたわけではなくて、枝葉を広げてゆく為の発展的な分裂だったからです。此のアルバムで初登場となった「キャラメル・ママ」は、改名して「ティン・パン・アレー」となり、1975年の大瀧師匠の2ndソロアルバム「NIAGARA MOON」でバックを務めていますし、細野さんと師匠はジョイントで其の名も「トロピカル・ムーン」と云うツアーまで行っています。師匠と細野さんは志向が似ていて、ソロになったら「脱・松本隆」路線へゆくし、オムニバス・アルバムも同時期に出すし、インスト路線も同時期に出すわけで、違ったのは師匠のインスト「多羅尾伴内楽團」はサッパリ売れなかったけれど、細野さんの「YMO」は社会現象を起こす程に売れた事です。

そもそもベルウッドとしては、まずは大瀧で次は細野とソロ路線も進めていたので、其の期間にはっぴいえんどの解散が決まってしまって、色々とあったと想像出来ます。ちなみに此のアルバムからは1973年9月25日になって「恋は桃色/福は内 鬼は外」がシングルカットされて、師匠のシングル2枚両面4曲とはっぴいえんどのシングル3枚両面6曲と共に、1974年6月25日にはっぴいえんどのアルバムとして「SINGLES」に収録されてしまうのです。1973年9月10日にもベスト盤「CITY」が出ているし、9月21日の解散コンサートを収録したライヴ盤は1974年1月15日に出るし、大瀧師匠も細野さんも1974年にはアルバムを発表していないので、それこそ「どこまでがソロで、どこまでがはっぴいえんど」なのか分かり辛い時期でもあったのでしょう。まあ、考えてみればいきなり最初に「NIAGARA MOON」だの「トロピカル・ダンディー」とかを出されたら、もっとビックリ仰天だったでしょうし、はっぴいえんどのファンは面食らってしまったと思われます。此の「HOSONO HOUSE」に関して云えば、捨て曲なしの名盤でありましてですね、最後のふざけた「相合傘」には笑わされます。昔、ター坊(大貫妙子さん)が細野さんと野外で対談する番組があって、ター坊がポータブルプレイヤーで此のレコードを本人の目の前でかけて絶賛していて、細野さんが照れくさそうにしていました。

(小島イコ)

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2023年02月12日

「ナイアガラ考」#23「CITY」



1972年12月31日に解散したはっぴいえんどは、同年10月に渡米してレコーディングしたラストアルバム「HAPPY END」を翌1973年2月25日に発売します。1972年末に鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さんと4人でキャラメル・ママを結成した細野晴臣さんは、翌1973年2月15日から3月16日に狭山の自宅でレコーディングしたソロアルバム「HOSONO HOUSE」を5月25日に発売します。大瀧詠一師匠はと云うと、1973年2月には三ツ矢サイダーのCM曲を制作開始していて、既に弟子として伊藤銀次さんを抱えていて、其の銀次が発掘して8月には山下達郎さんとの運命的な出逢いがありますが、其の辺の事情は後々に明かされてゆきます。1973年9月21日にははっぴいえんどの解散コンサートが開催されるのですが、其れに合わせたのか1973年9月10日にははっぴいえんどのベストアルバム「CITY」がベルウッド(キング)から発売されて、同じデザインの楽譜集も発売されています。はっぴいえんどの1枚目「はっぴいえんど」と2枚目「風街ろまん」はURCからの発売でしたが、此のベストアルバムには其の2枚からも選曲されていて、全12曲からなっています。

1曲目の「はいからはくち」はシングル盤とも「風街ろまん」とも違っていて、基本的にはシングル盤のアレンジですが、バックコーラスに幻のはっぴいえんどメンバーである小坂忠さんが参加している此のアルバムでしか聴けない新たなヴァージョンです。「はいからはくち」ははっぴいえんどの代表曲のひとつで、ヴァージョン違いが最も多い楽曲で、メロディーまで変わったヴァージョンなどもあるのですが、それらは後に発掘されてゆきます。ラストは「かくれんぼ」のライヴ音源で、当時は「はっぴいえんどはレコードはいいけれど、ライブはダメ」などと云われていたのを根底から覆す6分を超える名演です。その他の10曲は3枚のスタジオ盤からそれぞれ3曲から4曲を選曲していて、人気がある「12月の雨の日」や「風をあつめて」もしっかりと抑えているのですが、全体で大瀧師匠の曲が5曲、細野さんが4曲、茂が3曲となっていて、松本さんは10曲の作詞で、他の2曲の詞は細野さんです。手っ取り早くはっぴいえんどを知るには最適なベスト盤ではありますが、何せ3枚しかオリジナルアルバムがないのですから、3枚買った方がいいでしょう。前述の2曲が別テイクなので、マニア向けです。

(小島イコ)

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2023年02月13日

「ナイアガラ考」#24「悲しき夏バテ」



「大瀧さんは、プロデュース作品も大瀧さんの作品」とはタツローの発言ですが、其れは提供曲やプロデュース作を集めた作品集も発売されていて、其の統一感があるひとつのアルバムとして成立している事からも異存はありません。大瀧詠一師匠の初プロデュース作品は1971年7月5日にビクターから発売されたかねのぶさちこさんのシングル「時にまかせて」で、まだはっぴいえんどが活動中の事です。其の後にかねぶちさちこさんはURCに移籍して、1972年9月1日に金延幸子さん名義で「み空」を発表するのですが、ガールズグループ的なプロデュースをする師匠に難色を示した金延さんは、細野晴臣さんにプロデューサーを変更してしまいます。はっぴいえんどが1972年12月31日に解散して、翌1973年になると、2月25日にははっぴいえんどのラストアルバム「HAPPY END」が発売され、細野さんは前に取り上げたソロアルバム「HOSONO HOUSE」を2月からレコーディングして5月25日には発売しています。師匠はと云えば、1973年2月には三ツ矢サイダーのCM曲の制作に入りますが、それらが全貌を現すのはだいぶ先です。そして、師匠の1973年の大きな出来事としては、1973年11月21日にポリドールから発売された布谷文夫さんのファースト・ソロアルバム「悲しき夏バテ」でレコード時代のA面5曲をプロデュースした事があげられます。師匠は変名のひとつである笛吹銅次として、初めてエンジニアとしても関わっています。

布谷さんは、後にナイアガラで新民謡歌手と名乗り「ナイアガラ音頭」を歌うナイアガラにとって最重要人物ですが、元々は上京してすぐに大瀧師匠と友人になって、タブーを結成したり、ブルース・クリエイションで英語でブルースを歌っていました。其の布谷さんを師匠は、奇怪なヴォーカリストとしてプロデュースしており、其の異端過ぎる作品はソングブックにも収まり切れない程の怪作となっております。バックコーラスのシンガーズ・スリーも含めて最早何語で歌っているのか理解不能な強烈過ぎる「冷たい女」や「夏バテ」、スワンプロックと民謡をミックスチャーした世紀の怪作「深南部牛追唄」や、はっぴいえんども超えたカヴァー「颱風13号」と云った、前代未聞の楽曲が並びます。バックを務めているのは伊藤銀次さんのココナツ・バンクで、此のアルバムこそが後のナイアガラに直結していて、大瀧師匠のプロデュース作の中でも最重要作と云ってもいいでしょう。此の辺の楽曲は1980年代になってナイアガラのリイシューでオムニバス盤に収録されていたので初めて聴いたのですが、兎に角、もう凄過ぎて「レッツ・オンド・アゲン」も聴いていたにも関わらず、只々圧倒されてしまいました。大瀧師匠は「布谷くんの様な才能が認められる事は、日本では昔も今もこれからも絶対にない」と語っていましたが、其れは悪い意味だけではなく、最大限の称賛の言葉だったと思います。

(小島イコ)

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2023年02月14日

「ナイアガラ考」#25「ライブ!!はっぴいえんど」



はっぴいえんどは1972年12月31日に解散して、同年10月に渡米してレコーディングしたラストアルバム「HAPPY END」は翌1973年2月25日に発売されました。同時期である2月から3月にかけて細野晴臣さんはキャラメル・ママを率いて自宅録音のソロアルバム「HOSONO HOUSE」を5月25日に発売して、大瀧詠一師匠は2月から三ツ矢サイダーのCM曲を制作しています。そして、解散から9か月、ラストアルバム発表からでも7か月後の1973年9月21日になって、ようやくはっぴいえんどの解散コンサートが開催されました。実はライブで4人が揃ったのは1972年8月以来だったし、レコーディングも同年10月以来だったので、厳密には再結成であって、翌1974年1月15日に実況録音盤である「ライブ!!はっぴいえんど」が発売されるのです。「CITY-Last Time Around」と題された此のライブは、はっぴいえんどだけではなく、大瀧師匠のソロ(バックはココナツ・バンク、コーラスにSUGAR BABEとシンガーズ・スリー)、西岡恭蔵さん(ライブ盤と同月に細野さんがプロデュースしたアルバムも発売)、ココナツ・バンク(大瀧師匠がプロデュース)、(松本隆の)ムーンライダース(松本さんがドラムとプロデュースの、鈴木慶一さんの同名バンドとは別のバンド)、南佳孝さん(松本さんが作詞とプロデュースしたアルバムでライブ同日デビュー)、吉田美奈子さん(同じくライブ同日にデビュー)、と云った面々も参加したイベントで、物価が違うとは云え、たったの千円で観れたのですから、満足度は高かったでしょう。

此のベルウッド(キング)から発売されたアルバムには其のライブからはっぴいえんど7曲と大瀧師匠2曲と西岡さん2曲を収録していて、その他のライブは「1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出」として同日にショーボートから発売されています。はっぴいえんどは前述の成り行きで9か月前に解散していたので、繰り返しますが、此の時には再結成と云ってよい状況で、此のイベントは、はっぴいえんどに決着を付けて、4人がそれぞれ別の道へと向かっている事を示す為の発展的なモノでした。其れで、大瀧師匠としてもソロ・パートで新たな道を、ココナツ・バンクをバックに、SUGAR BABEからタツローとター坊と村松さん、シンガーズ・スリーと豪華なコーラスで「空飛ぶ・ウララカ・サイダー」と「ココナツ・ホリデイ」を披露しています。1973年8月に銀次が偶然耳にした自主製作盤を聴いた師匠がタツローと出逢って、1か月後に迫っていたライブに「コーラスが凄い」と参加を要請したものの、タツローとしては学生時代の録音と現在では違っていて「SUGAR BABEはバンド」と云っていたらしいのですが、結果的にはコレがデビューとなりました。師匠の2曲には、正にナイアガラ・サウンドの元が詰まっていて、はっぴいえんどの特にB面のパートとの落差が凄いです。はっぴえんどのA面での演奏は、キャラメル・ママの細野さんと茂やムーンライダースの松本さんが当時志向したファンク風の演奏になっていて、オリジナルとはかなり違います。元々此のイベントは大瀧師匠のソロやプロデュースしたココナツ・バンク、細野さんと茂がいるキャラメル・ママ、松本さんのムーンライダースなどのジョイント・ライブとして企画されたので、はっぴいえんどは「どうせ4人集まるなら」と後付けだったのです。まあ、でも、最後に「この4人でしかできない曲をやります」と師匠が云って演奏する「かくれんぼ」と「春よ来い」には、感傷的になって心を揺さぶられるのです。

(小島イコ)

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2023年02月15日

「ナイアガラ考」#26「1973.9.21 SHOWBOAT 素晴しき船出」



1973年9月21日に開催された「CITY-Last Time Around」は、当初は元はっぴいえんどのメンバーによる新たな方向性を示すライブで、大瀧詠一師匠のソロや、細野晴臣さんと鈴木茂さんのキャラメル・ママや、松本隆さんのムーンライダースなどによるジョイント・ライブとして企画されましたが、「どうせ4人集まるなら」と結果的にははっぴいえんどの解散コンサートがメインとなりました。第1部は所属事務所「風都市」が売り出そうとしていた南佳孝さん、吉田美奈子さん、西岡恭蔵さん、ココナツ・バンクで、第2部が大瀧師匠とココナツ・バンクにSUGAR BABEにシンガーズ・スリー、松本さんのムーンライダース、キャラメル・ママ、第3部がはっぴいえんどで、其の中からはっぴいえんどと大瀧師匠と西岡さんのパートがベルウッド(キング)から「ライブ!!はっぴいえんど」で、その他のパートがショーボートから此の「素晴らしき船出」で、それぞれ1974年1月15日に発売されました。南佳孝さんはライブ同日に松本さんのプロデュースでアルバム「摩天楼のヒロイン」でデビューしていて、吉田美奈子さんも同日にアルバム「扉の冬」でデビューしています。西岡さんは細野さんのプロデュースで翌1974年1月にアルバム「街行き村行き」を発表します。

吉田美奈子さんはナイアガラと関係が深いエンジニアの吉田保さんの妹で、既に1972年に大瀧師匠の「指切り」でピアノとフルートを担当していて、後に「夢で逢えたら」のオリジナル・シンガーとなったり、タツローと多くの楽曲を共作してゆく事となります。実は此の1973年9月21日には以前アルバム「悲しき夏バテ」で紹介した布谷文夫さんが師匠のプロデュースでシングル「台風13号/冷たい女」でデビューしていて、どちらもアルバムとは別ヴァージョンですが、現在ではアルバムのボーナストラックで聴けます。其のバックも務めていたココナツ・バンクは、元々は「ごまのはえ」と云う関西のバンドでしたが、上京して大瀧師匠の一番弟子になった伊藤銀次さんが師匠の提案で改名し再編したバンドです。ココナツ・バンクには後にドラマーでSUGAR BABEに加入する上原ユカリ(裕)さんや、はちみつぱいのメンバーでナイアガラには欠かせないスティール・ギターの駒沢裕城さんもいたのですが、此のライブ翌日に解散してしまいます。銀次は其の後「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」で、此のアルバムに収録された「日射病」と「無頼横町」更には「ライブ!!はっぴえんど」に収録された「ココナツ・ホリデイ」の3曲を再録しています。

(小島イコ)

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