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2007年07月12日

「花火のあと」

Me And My Monkey On the Moon


思いっきり、公式HPより引用。

2007年9月5日リリース ベスト盤詳細決定!
9月5日リリースのベスト盤、詳細が決定しました!

小島麻由美
A Musical Biography 2001-2007

01. 甘い恋 (Single Version)
02. doo-bee-doo-goo
03. ポルターガイスト
04. 眩暈
05. 黒い革のブルース
06. ロックステディガール (Single Version)
07. 愛しのキッズ
08. 刺青
09. 砂漠の向こう (Single Version)
10. もしも自由が欲しいなら (Alternate Mix)
11. ハートに火をつけて
12. 蛇むすめ
13. トルココーヒー (Alternate Mix)
14. ラストショット!
15. 赤い帽子 (Alternate Mix)
16. サマータイム
17. 黒猫 (New Version '07)
18. ひまわり (New Version '07)
19. シークレット・ムーンライト(新曲)

2007年9月5日リリース
PCCA-02237
¥3150(税込) ¥3000(税抜)

2001年から2007年の小島麻由美を俯瞰する、本人の選曲による2枚めのベストアルバムです。
ライブではすっかりかたちを変えてしまった「黒猫」「ひまわり」の新バージョンに加え、ミキシング違いが3曲、そして未発表の新曲「シークレット●ムーンライト」を含む全19曲を収録。
全曲リマスタリング(by George Marino at Starling Sound,New York)



え〜っ!「わいわいわい」が、、、ないわいわい。

てか、マニアックですね〜。19曲入りって、楽しみです。

コジマユの記事は、一年振りなんで、もう少しだけ語ろうか。過去記事で何度も云っている通り、小島麻由美クンは「僕が日本で唯一、現役の年下のコで全面的に敬愛している、本物の音楽家(アーティスト)」です。彼女は、音楽家になる為に生を受けた「天才」です。彼女には、其れしか道がなかった。

僕が憧れたのは、洋楽です。そして、其れを翻訳した「日本語ロック」です。未だに、YMOの三人の方が若造の遥か先を見据えているし、大瀧さんは日々是修行中で、ター坊は益々「男らしゅく」なっているんです。10代の頃から追っかけて来た方々が、未だ、絶対的に凄いことをやっているんですよ。すいませんけど、若いひとの試作には付き合えません。だって、其れはマネじゃん。どーにもこーにも、分ってないよな。だからこそ、若造なわけだが。

小島麻由美も、彼女が生きていなかった頃の音楽なんて後追いだ。其れはポールもおんなじなんだよね。ポールが愛される理由のひとつに「懐かしさ」が在る。ジョンが反対しても、ポールは古いミュージカル・ナムバーをレパートリーに加えた。其れこそが、彼らの芳醇な音楽世界の入り口だった。すべてを呑み込む「化け物」の誕生だ。ロケンロール・バンドなのに、提案したポールも許したジョンも、凄い。

そんなことが、確かに、小島麻由美の中で起きている。花火以後の那奈年、僕は真摯に彼女を聴いた。引退前よりも、もっともっと、懸命に彼女を追った。最初に逢ったのは「わいわいわい」の時だ。そう、復活したからこそ逢いに行った。だって、そうだろ?またいなくなられちゃ、困るんだ。もう、失いたくないんだ。

期待通りに、二枚目の総括盤を出してくれることになったけど、やっぱり彼女は「小島麻由美」だ。「Me And My Monkey On the Moon〜Singles and Outtakes〜」ってベスト盤もすぎょかったけど、今回は更に「キンキー」だ。

コジマユは、もう二度と失いたくない。此のベスト盤は、多くのひとに届いて欲しい。もしもそうなっても、小島サンは変わらないだろう。彼女だけは、絶対に、立ち位置が揺るがないと思う。

僕は、君が好きなんだナァ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 17:26| ONDO | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

「76分07秒の悦楽」

a musical biography KOJIMA MAYUMI 2001-2007


あたくしの預言通り、小島麻由美のベスト盤「a musical biography KOJIMA MAYUMI 2001-2007」が出た。

彼女には既に「Me And My Monkey On the Moon」(2000年発売)と云う1995年から1999年までのシングル全曲と未発表曲(つまりはボツ音源:アノ至上の名曲「ぱぶろっく」も含む。何故、アノ曲がボツだったんだっ?!長いからか?)からなるベスト盤もどきや、当時の代表曲を網羅したライヴ盤「Songs For Gentlemen」(2000年発売)が在る。所謂「セシル三部作」を出した後、ライヴ盤やベスト盤を出して「コジマユは壱度死んだ」のです。2001年4月に「わいわいわい」で復活するまで、1999年を最後に彼女は引退したのです。

故に、今回のベスト盤は「2001-2007」となっているわけだ。空白の「2000年」にライヴ盤とベスト盤しか出せなかったのはそんな事情からなのです。そして、其の沈黙期に小島麻由美は何をしていたのか?其れは彼女自身が語ってくれました。

「花火を見てた。」

あたくしは「わいわいわい」で復活した直後に「新宿のタワレコで行われたイベント」へ行き、此の「トンデモ回答」を生で聴いてしまい、完全に「コジマユの虜」になりました。(てか「サイン色紙手渡し握手付き」って段取りを反故にしちゃって、「塚本サンが来てくれてますよ」とか云っていきなりギターだけで二曲歌ってくれちゃって、完全にイッテいるひとなのだと初対面で充分過ぎる程認識したのですよ。よーするにだ、彼女はあたくしと「おんなじ」なのです。)

小島麻由美は、洋楽者の私が日本人で唯一「本物」と認めた「天才音楽家」です。彼女の作品は、例え其れが落書きの様なイラストでも、すべてが「芸術作品」です。

「流石は小島だぜっ!おっぱっぴーっ!!」

さて、枕が長過ぎになりますたけど、今回のベスト盤、肝心の復帰曲「わいわいわい」が入ってないぞっ!とか、マキシの「面影」(名盤)から「砂漠の向こう」しか入ってないぞっ!!とか色々と注文はあるけど、「コジマユ自身の選曲」じゃ、此れで好いよ。年代も滅茶苦茶だけど、つまりは「ライヴ」でのセットみたいにして在るわけですよ。「ひまわり」で終わって、アンコールで新曲なんですよ。そんでもって、此れでしか聴けない別MIXや新曲が六曲も入っててね、全19曲、76分07秒ですよ。長い!お得だ!!

コジマユはアナログ感覚のひとなので、オリジナルアルバムは10曲入りで40分弱で終わってしまうんです。(其処が好いんだけどね☆)其の頑固な彼女が、CDフォーマットの限界まで曲を詰め込んで、全曲リマスターしてるんですよ。

「此れは、家宝です。」(きっぱり)

「天才・小島麻由美」に駄作や捨て曲など在りませんので、全作品を聴いてもらうしかないのですが、とりあえず今作「a musical biography KOJIMA MAYUMI 2001-2007」と「Me And My Monkey On the Moon」の弐枚だけは聴いて下さいナ☆話は其れからです。

「コジマユ、さいこーっ!那奈ちゃん、最強!!」

小島麻由美さんは、今世紀になってから私が二番目に足繁くライヴへ行き御本人を間近で観て歌声を聴いているひとです。仙台に遠征までしました。たぶん、30回は軽く超えていますね。ん?一番ライヴに行っているのは誰かって?そんなの愚問ですよ。数えてないけど50回以上はお逢いしているはずです。初舞台だけで9回だもんね。其れは「もうひとりの小島サン」に決まってるでしょ。だって、あの日、

「ふたりの小島サンの学祭ライヴを梯子した莫迦は、
 確実に、世界であたくしだけです。」(断言)



初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 23:45| ONDO | 更新情報をチェックする

2007年11月22日

「大塚愛は天才です。」

LOVE PiECE


1. 「ロールオーバー大塚愛」

CDを叩き売りしてるのに、小山ルミの紙ジャケ復刻CDを参枚とも買ってしまった。あたくしも色々と所謂「カルト歌謡」を聴いて来たけど、「小山ルミ」は最高峰ですよ。すぎょすぎる。ルミの前では「東京ビートルズ」なんて屁の河童ですよ。

「あんた、河童を信じるかい?あたいは信じるよ」(ふみか声で)

そう、小山ルミは「河童」ですよ。小山ルミさえ在れば、もう他の1970年代の歌謡曲なんていらないって云っても過言では在りません。(すいません、誰にでも分る「嘘」をつきました。其れは言い過ぎです。)最初に購入した「ビートルズを歌う」は、数多ある THE BEATLES の日本語カヴァーが莫迦莫迦しくなって全部売ってしまった位の衝撃でした。「ベンチャーズ・ヒットを歌う!/二つのギター」なんて、「10番街の殺人」とか「急がば廻れ」にまで無理矢理日本語の歌詞を乗せて歌っているんですよ。なんじゃこりゃ?!「ロックン・ロール・ミュージック」は、ルミのアルバムでは壱番マトモだけど、其れでも狂気に満ちてる。ジョン・レノン・レベルのカヴァーの天才です。つまり、最上級です。「小山ルミはカヴァーの女王サマ」なのだっ!!最近は、「ポール(「マッカートニー」って人ね、念の為)」と「ボウイ(「DAVID」です、念の為)」と「イコちゃん(みあみあ)」ばっか聴いてるんだけど、ルミも聴かないとダメになっちゃったよ。

大塚愛よ、精進したまえ。先達は、恐ろしいぞ。なんて提言しても「古い音楽なんてシラネ」とぬかすであろうトコが「愛ちんちんのパワー」なのだ。新作「ラブ・ピース」なんだってナ☆あたくし、オリジナルアルバムを全部レンタルしてナニしたけど、レノンを引用するなら新作はDVD付き初回盤を新品で買うわよ。がんばれ、愛ちんちん☆お前さんの進んでいる道は、正しいぞよ。


2. 「あはんあはん、納豆ーっ!」

ええ、買いましたわよ。「LOVE PiECE(DVD付)」初回限定盤をね。

あたくし、最近毎日の様にCDを売りまくってまして、もうマトモに残っているのは「片瀬那奈ちゃん」と「SYREETA」だけです。「THE BEATLES」も「Stevie Wonder」もぜ〜んぶ売ってしまいました。今後はポールとマドンナを中心に売ります。よーするに「片瀬那奈ちゃん」以外は全部売る気でいます。其の分、アナログが増殖中なのです。「THE BEATLES」も「Stevie Wonder」も、やっぱアナログで聴かなきゃね☆(などと云いつつジャケットを眺めながらCDRを聴いていたりする、売ったモンは全部参機在るPCに取り込んで在るわよ。けけけ)そんな「GOOD BYE ! CD」宣言した此のイコ様が、大塚愛ちんちんの新譜を初回限定盤で買ってしまった。此れは「事件」です。邦楽のリイシューでは無い新作を速攻で買ったのって、もしかしたら「片瀬:歌手時代」以来?

レジの優しいお兄さんは「此の色で好いですか?」と訊きやがりました。さっさと逃げ出したい程恥ずかしいのに、、、云ってやったわよ。「ええ、ピンクが好きだから此れでいいわよ。あら、随分色んな色が在るのね」愛ちんちんのファンって全色買って、さらに通常盤も買うんだろうナァ。でも外から色が見えるから親切だよね。かつて、僕たち「那奈ヲタ」はCDでトレーディング・カードもどきの「悪徳商法」にまんまと引っ掛かったもんですよ。こーゆーことをやらかす会社って、、、

「やっぱり、avex じゃまいかっ!!」

正直DVDなんていらない(愛ちんちんのルックスが其れ程好みじゃない)のだけど、つまり「純粋に楽曲で好きになってしまった」わけで、1st〜3rdとベスト盤を全部レンタルで済ましちゃったし、タイトルが「レノン」なので、買いました。11曲入りで既発曲が6曲って、ものすぎょい「お嬢様商売」で、困ったことに、あたくしが気に入ったのは其の「既発曲6曲」だけでした。明日にでも売り飛ばしてしまいそうですけど、あたくしは東京事変の「遊戯」を買うくらいなら「大塚愛ちんちん」を選びます。

「洋楽?何歌ってるか分んないから聴かない」と言い放った「愛ちんちん」は「ROCK」なんですよ。カッコいいじゃん。只の莫迦でも貫けば「ROCK」なんだよ。


3. 「アノコハテンサイ」

「J-POP」と云うのは「日本語ロック」とおんなじで在りまして、其れはつまり「元々は洋楽だった」ってことですね。

「ロビタ」が元は半分「人間」だったみたいなもので、純粋培養ではない「雑種」なのです。日本には「ポップス」も「ロック」も在りません。其れらはすべて、洋楽の借り物なのです。そうして出来たのが「歌謡曲」や「演歌」だったのですが、其処へ「日本語ロック」や「日本語フォーク」が対抗し、其れらが「ニューミュージック」になり、再び「歌謡曲」へ取り込まれました。現在在るのは、全部「歌謡曲」です。ヒットチャートを見ると、相変わらず横文字のタイトルが並び、歌手名すら横文字です。アレだけみると此処は日本では在りませんが、日本人くらい英語をマトモに話せない人種もいないのです。未だに「アメリカ幻想」でも在るのでしょうかしらん?英語だとエライのか?そんなに憧れているのかい?

大塚愛の天才性は、彼女が書く音楽は紛れも無く「洋楽ポップス」を先祖としているのに、本人には其の自覚が全く無い処です。実際に彼女は、最新洋楽ヒットの感想を訊かれ「(英語だから)何いってるか分らん!」と言い放ちました。自分がやっている音楽の元になったモノを認識していないのです。すぎょいっ!彼女はおそらく、少し前の「J-POP」だけを聴いて音楽を始めたのでしょう。具体的には「aiko」とかに憧れて曲を書く様になったのでしょう。普通は「だったら、aikoサンはどうしてこんな曲が書けるのだろう?」とか考えて、aikoが影響を受けた音楽も聴いてみるのです。其処には当然、洋楽も含まれるのです。けれど、大塚愛は「天才」なので、そんな面倒な手続きはしないし、「aikoみたいな曲なんて、簡単に書けるよ、ほら」てな感じで作曲法を学んでしまったのです。ものすぎょすぎるっ!

「J-POP」の情けないトコは、タイトルばかりか詩にも英語が混じってしまうトコで在りまして、大昔の「日本語ロック論争」は結局はどちらの勝ちでも無く、勝利したのは「歌謡曲」だったのです。そして、大塚愛のものすぎょい点は「英語が分らない」ところだったのです。彼女の詩には、ほとんど「英語」が登場しません。例外的に「ハッピーデイ」とか「ピーチ」とか歌っても、そんなモンは幼稚園児でも理解出来るので英語ではなく「外来語」です。あれほど洋楽的なメロディーを書きながら「英語が分らない」ゆえに、英語で決めフレーズを書くことが出来ず、日本語ばかりの洋楽紛いの音楽が出来上がったのです。英語の方がカッコいいから、みんなサビで英語を使うのに、大塚愛は英語を覚えるのが面倒なので日本語でやってしまったのです。そして、其れが、ちゃんと乗った。

アレだけ悪戦苦闘した松本隆が「阿呆」に見えます。な〜んも考えないで、大塚愛は「はっぴえんど」を超えたのです。おそらく、彼女は「はっぴいえんど」なんて知らないでしょう。おんなじ avex グループから現在は発売されていますから、デレクターあたりが「愛ちゃん、此れあげるから聴いて勉強してごらん」なんて渡しても「何やねん、こんな古臭い音楽、イラン!」と捨ててしまうでしょう。其れで好いんです。其れこそが「天才」です。小島麻由美は「孤高の天才アーティスト」です。大塚愛は「大衆音楽界の天才」です。現在の歌謡界に、彼女以外には「天才」はいません。

此の文章は皮肉でも冗談でも在りません。あたくしが目指し超えなければならない「大いなる壁」が、大塚愛です。あたくしには「知」と「未知への探求」こそがすべてだ。彼女は其のあたくしの思想を、せせら笑っているのです。でも、其の「無知」こそが、あたくしを魅了するのです。

くりかえし云います。「大塚愛は天才です。」


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」
2007-9-15、9-26、11-22 全3回連作



posted by 栗 at 20:36| ONDO | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

「白昼夢」

ザ・タイマーズ


「夜のヒットスタジオ」ってお気に入りの番組で、あたくしはずっと観ていました。ヴィデオを購入した80年代中頃からは、出演するほとんどの女性アイドルと日本語ロック系を録画してもいたのです。1990年前後には、日本の音楽界もすっかり様変わりしたとゆーか、其れまで一家全員で楽しんでいた歌謡界が崩壊し、世代ごとに好きな音楽を選ぶ様になって行きます。「夜のヒットスタジオ」の楽しさのひとつに最初にリレーで次の出演者の持ち歌を歌って紹介してゆくって趣向が在って、例えば「三波春夫せんせいがトシちゃんの歌をうたう」なんて摩訶不思議空間が毎週生放送で展開されていたのでした。其れが、従来のカタチとロック系と演歌系の三分化して放送する様になってしまいます。

そんな時にあの「タイマーズ事件」が起こったのでした。数曲をメドレーで歌うと云う破格の待遇で登場したタイマーズは、弐曲目の「偽善者」を歌わず、レコード化出来なかった「FM東京」を演奏したから、さあ大変。放送禁止用語連発で名指しで「FM東京(現・TOKYO FM)」を批判した其の曲は、ヴォーカル:ゼリーの分身で在るキヨシローが山口冨士夫ちゃんの為に書いた「谷間のうた」が放送禁止になったことに抗議する為に書かれたのです。

当時地方在住だったあたくしは、録画しながら生放送で事件に遭遇しました。「すげえよ、昔のGSみたいじゃん!」と思いました。例えば、カップスのルイズ・ルイス・加部が生放送中にナイフで司会者に「ぶっ殺してやる!」と向かってった事件とかを思い出したんです。GSって、本物の不良だったんです。なにせ、NHKに出演出来なかったんですからね。

ところがだ、東京では特番が入り壱時間遅れで放送されたと後で知ったのです。タイマーズの出番は中盤で、充分に番組を差し替えることは出来たのに、CXはそのまんま流したのでした。にやり。


初出「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 15:44| ONDO | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

「ナイアガラ・カレンダー」

ナイアガラ・カレンダー 30th Anniversary Edition


皆さん(カン!)お待たせ致しました。

最近はレコードしか買わなくなっておりまして、紹介が遅れてしまいましたが、大瀧師匠の大傑作「ナイアガラ・カレンダー」が、遂にオリジナル・マスター(1978年版)と1981年リミックスの「2 on 1」にて、30周年盤としてドカーン!と発売されましたよ。

先月号と今月号の「レココレ」でも特集されております。師匠が語る制作秘話は、必読であります。此の作品が売れなければ、引退を覚悟して居たと云うのは有名なお話ですが、見事に売れなかった。しかし、当時は山下達郎しか指摘していませんでしたが、此の作品と「A LONG VACATION」は構造的に全くおんなじなのです。では何故「ロンバケ」は売れて「カレンダー」はダメだったかと云うと、まあ、その、ソニーとコロムビアの違いじゃないっすかね。(ぼそっ)

あたくしが師匠のソロで最も聴いたのは此れです。特に最後の「クリスマス音頭」がすぎょい。師匠の音頭作品の中でも、間違いなく最高傑作でしょう。確かに、30年前に此の音楽は多くのひとには届かなかった。されど、大瀧師匠が云う通り、

「音楽みたいなもんは、古いモノの方が良いんだよ。」

なのです。あたくしが全面的に保障致します。

「今こそ、此の芳醇な音楽を聴け!」


で、、、今月号の「レココレ」を読んでいたら、茂が今月「BAND WAGON 2008」と「LAGOON 2008」を発売する事実を知りました。一昨年とかに出さなかったっけ?あのさ、まあ買うけどさ。20周年や30周年でキチンと出している大瀧師匠は、真面目だよナァ。


初出「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年05月09日

「大好きだよ。」

愛 am BEST Tour 2007〜ベストなコメントにめっちゃ愛を込めんと!!!〜at Tokyo International Forum Hall A on 9th of July 2007 大好きだよ。 (DVD付) 大好きだよ。 (通常盤)


嗚呼、とうとう、大塚愛ちんちんの LIVE DVD を買ってしまったっ!

店頭で、小一時間、禿げしく悩みました。いえ、其れは買おうか買うまいかではなくて、沢山在る内でどれを買おうか?を熟考していたのでしたっ!中学生か?自分。

「おい、大丈夫か?自分、正気かっ」

其れで、結局一番新しいのと最後まで悩んだのだけど、シングル曲を沢山歌ってくれているひとつ前の「愛 am BEST Tour 2007〜ベストなコメントにめっちゃ愛を込めんと!!!〜at Tokyo International Forum Hall A on 9th of July 2007」を喜々として買ったわけですよ。大好きな「大好きだよ。」が、こっちにしか入ってなかったからね。

いえね、ポイントが貯まっていたから、税込み1,980円で買えたんですよ。千円引きですから、へどもど。其れで、部屋に帰ったら他にも聴いてないレコードや観ていないDVDが沢山在るのに、あたふたと開封して観ているわけです。

「まるで、あたくし、大塚愛ちんちんのファンみたいじゃん!」

(↑「まるで」でも「みたい」でもなく、普通にファンでしょう。)

おっかしいナァ、何でこんな事になっちゃうのよさ。かつては「はっぴーでー、はっぴーでー!」に耳を塞いだはずなのにナァ。確かに、音源は全部 iTunes に入っているし、mixi のコミュにもしっかり入ってはいますよ。でもさぁ。ルックスも好みじゃないのよさ。つまりは、純粋に音楽で好きになってしまっていたのかいナ?はらほれひれはら。

♪こいつは全く、参ったね〜♪(谷啓声で)

大塚愛は、やはり天才でした。こりゃ、マジすぎょいわ。彼女こそが「はっぴいえんど」の正当なる後継者だと思いました。いや、マジで。


初出「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年12月16日

「懐メロ乙女」

私と放電(通常盤)


あたくしがネット上で最初にごく一部で有名になったのは、「2ちゃんねる」の「イコ」です。と云うのも、あたくしは創成期(1999年)以来の、所謂ひとつの「ねらー」で、しかも「コテハン」だったからです。そう、あたくしがネットにデビューした時の名前が「イコ」だったのです。されど、当時の「2ちゃんねる」は、かなり「アナーキー」で「アンダー・グラウンド」な存在だったので、おそらく一般人に近い方々にとっては「2000年」に出現した「未亜」なる「ハンドル・ネーム」で初めて知った方々の方が多かったと思います。

実際に、そうでした。現在、ネット上で知り合い現実世界でも交流が在る方々のほとんど全てが、あたくしを「未亜」とか「未亜ちゃん」とか「未亜さん」と呼んで下さっています。でもね、あたくしの「眞なる名前(HN)」は「イコ」です。「未亜」ってのは、「冗談」だった。あたくしの名前の由来になった作品で「主役を演じた女の子」の名前が「未亜」だったから、テキトーに付けたのでした。どーだって好かったんですよ「HN」なんてさ。表舞台では、流石に「イコ」じゃマズイから、仮面を被っただけです。

「未亜」がネット上で最初に出現したのは、「椎名林檎ちゃんのファン・サイト」でした。「偽名の偽名」を使って、ほんの「お遊び」の心算で、あたくしは侵入した。「未亜」以外にも、「理名」とか様々な名前で遊んでいました。そーこーしている内に「オフ会」の話が持ち上がり、面白そうだし、壱度きりならと思い、うっかり「未亜」名儀で出てしまったのです。2000年の秋でした。新宿に行くと、誰もいなかった。「ま、そんなもんか」と帰ろうとしたら、「きれいなおねえさん」に「あのぉ、林檎ちゃんのオフ会の、、、」と訊かれたのです。暫し、初対面の「さかな」サンと待っていたら、自転車に乗った漢が来て、「御免!さかなサン。えっと、ジョッジさんですか?」と云ったのだった。其れで、あたくしは「いえ、未亜と申します」と応えた。そして、其の瞬間から、全ては「僕の思わぬ方向」へと進んでしまったのでした。

林檎ちゃんが出現した「1998年」に、僕は既に「38才」でした。同時期に出現した「片瀬那奈」に導かれてもおりました。されど、僕は「洋楽者」の「ロックの人」だったので、「アイドル:片瀬那奈」のコミューンにはそぐわないと考え、「アイドル崩れのロック歌手:椎名林檎」の集まりに参加してしまったのでした。「東スポ」や「FRIDAY」を持参し「ホリプロ・タレントキャラバン時代」の話をし出す「オッサン」に、明らかに「当時の林檎ちゃん(21才)と同世代の若者たち」は退いておりました。純粋でした。「嗚呼、僕って知識に汚されたんだナァ」と思ったよ。「無知」ってさ、眩しいんですよ。

「不惑」を迎えた「ゴリゴリのロックの人(+アイドリアン)」だった僕の前にいた「林檎ファン」は、ほとんど全員が「二十歳前後の学生」で、ハッキリ云って「餓鬼」だった。二度と逢う事も無いと思ったんだが、莫迦な奴が親に近い年上の僕に喧嘩を売って来たので付き合っている内に、友達になっちまったのだよ。「奇妙な世代を超えたサークル」だった。ダンダンダン!と、林檎ちゃんは関係無くなってしまった。

其れで、あたくしは「東京事変」の「横須賀ゲネプロ」を最後に、林檎ちゃんに捨てられたのでした。アレって、何年前だっけ?ところが、其の後、片瀬那奈ちゃんのファン・サイト代表として、彼女と共演した「ミクロちゃん」こと「堀北真希ちゃん」のファンと知り合ったのでした。其れが、まさか、アノ「an apple」の管理人サンと同一人物だとは。「林檎ちゃんが繋いでくれたんだナァ」と思った。

「私と放電」を、僕は、ようやく聴いてみたんだ。泣きたい位に、大好きな林檎ちゃんがいた。甘酸っぱい記憶が蘇って来た。苦い想いも、在った。確かに、僕は、此の時代の「椎名林檎」を愛した。久しぶりに「無罪」を聴いた。泣いた。僕にとって、林檎ちゃんは永遠に「大切な存在」です。でも、もう、彼女の音楽は「懐メロ」なんです。アノ頃を鮮明に思い出させる「悲しい酒」なんです。

林檎ちゃん、作曲して頂戴。新曲が聴きたい。「東京事変」ぢゃなく、サントラとかコラボとかぢゃなく、僕を打ちのめした「無罪」みたいな、アレを超えるソロ作品を出して欲しい。林檎ちゃんなら、出来る。林檎ちゃんの作品で、商業的に最も成功したのはソロ二作目のピンクちゃん:「勝訴ストリップ(2000年)」で、当時だけで200万枚も売れたのです。されど、僕の様な「無罪厨」が多く存在する様に、デビュー作「無罪モラトリアム(1999年)」こそが、未だに最高傑作だと、僕は強く思う。

現実問題として、商業的にも林檎ちゃんは「無罪/勝訴」以上の作品を遺していません。「林檎ちゃんの僕(しもべ)」に支えられて、ファンの為に「拡大再生産」をやっているとしか思えません。世間には、何も通じて無いよ。「あゆ」や「ヒッキー」etc. と、おんなじじゃん。いや、其れ以下じゃん。林檎ちゃんは、破壊しなきゃさぁ。凄い作品、出してよ。僕は、ずっと、信じているよ。


初出「COPY CONTROL」(原題「懐メロ」) (小島藺子/姫川未亜)



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2009年05月02日

「僕の好きなキヨシちゃんへ」

夢助


訃報:忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け(毎日新聞 5/2)

キヨシちゃん、ありがとう。

がんばったよ。忘れないよ。

言葉にできないよ。本当にたくさん、ありがとう。合掌。


(小島藺子/姫川未亜)



妹が「キヨシちゃんの古くからのファン」だったので、僕も「シングルマン」あたりからはリアルタイムでしっかりと聴いてた。何よりもキヨシちゃんが「ROCKが生まれた日」でウクレレを奏でる姿を観て、僕はウクレレを始めたんだよ。本当に素晴らしい先達です。ありがとう、キヨシちゃん。僕は生きるよ。頑張るよ。


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2009年05月03日

「言論の自由」

初期のRCサクセション


日曜の朝だけど療養中で昨日も寝てばかりだったので、早く起きた。子供番組を流して、ぼんやりして居たんだけど、ウクレレを手に取ってしまった。「AND I LOVE HER」をソロで弾いた。歌えなかった。昔、ドラマでキヨシちゃんがアコギで弾き語りしてたからさ。其れで「DAYDREAM BELIEVER」を英語で弾き語りしたんだけど、サビのトコで「日本語のうた」を思い出して絶句してしまった。THE BEATLES やマージービートを立て続けに何曲も叫んだ。

何かしなきゃって思った。キヨシちゃんに教えてもらった事を、何かやんなきゃ。病床の僕は、此処を更新する位しか出来ないって思った。其れで、「ONDO」カテゴリをリマスターした。丸一日掛かった。キヨシちゃんの話はそんなに出て来ないけど、此れは全部キヨシちゃんの話でも在るんだ。

以前、友人から「イコは『日本語で歌ったら全部、歌謡だ』って書いてたけど、キヨシローはロックだと俺は思うぞ」と云われた。僕は「うん、キヨシちゃんは、数少ない例外だね」と応えた。「一度裏切った奴は二度と信用しねえ」や「大人だろ?勇気を出せよ」なんてコトノハに何度もチカラをもらった。此れからも、そうだろう。あんな大人にだったら、なりたいと思う。本当に、そう思う。


(小島藺子)



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2009年11月10日

新連載「REMEMBER 〜4人はアイドル〜」
#000:コピコン派の逆襲

HOT SWEET MEMORY〜MIA MASUDA BEST COLLECTION〜



さて「いきなりだナァ」で、また新連載を開始します。とりあえず「ONDO」カテゴリでのスタートになりますが、好評ならば独立させる予定です。

此の連載で語るのは「アイドル歌謡に影響を与えた THE BEATLES 論」です。2009年9月9日、実に22年振りに THE BEATLES 音源が公式でリマスターされ公表されました。元々の音源は、1962年〜1970年に発売され実質的には「たったの那奈年間」に録音された大昔の音楽が「所詮は単にリマスターされただけの再発商品」に過ぎないのに全世界で爆発的に売れてしまいました。此れでは現役のアーティストは「くぅ〜、、、」と云うしか在りません。今年(2009年)は、マイケル・ジャクソンの夭折も在り、昨今の「CDが売れない時代」を救ったのは、正に前世紀の遺物で在る「THE BEATLES」とマイコーの旧譜だったのでした。

いよいよ、ロックとかポップスと呼ばれる「かつては若者の文化で在った芸術」も、気が付けば「クラシック」や「ジャズ」と同様に愛される「オッサンの慰みもの」と化したのでしょうか?然し乍ら、オヤジの懐古趣味だけで片付けるには「THE BEATLES 2009」の狂想劇は説明出来ません。事実、少なくとも彼等の現役時代には「ビートルズを聴けば不良になる」と云われ、あたくしよりも一回り位年長の当時からのファンで在った諸先輩は異口同音に「クラスでビートルズを聴いていたのは一人か二人のマイノリティーだった」と云います。「赤盤青盤(1973年発売のジョージ・ハリスン選曲による解散後初の総体的なベスト盤)世代」で、10代前半にソロ作品全盛時代の洗礼(驚くべき事に、1970年代前半はジョン、ポール、ジョージ、リンゴの元ビートルズ全員が代わる代わるに全米チャートで首位を獲得する「夢の様な日々」だったのです!)をリアルタイムで受けたあたくしも証言しますが、1970年代ですら「ビートルズを聴いて居るのはクラスで一人か二人」だったし、当時のポールを真似た「一寸後ろ髪が長い髪型」をしただけで「不良」と呼ばれました。

ビートルズが認知されたのは、1980年12月8日の悲劇以降です。ジョン・レノンが殺されて、初めて世間は彼等を「安全なモノ」と認定したのです。でも、其れ以前から「ロックの人」だった連中は納得しなかった。彼等は其の「ロック魂」をいびつなカタチで露呈し、其れに依ってビートルズを後世に遺そうと、もがきました。現役時代から彼等は多くの邦人アーティストにも影響を与えましたが、其れがより大衆化してゆくのは解散後です。

「えっ。こんな処にビートルズ?」と云う珍現象は、2009年も止まるどころか新たなリマスターの登場で益々露見するのです。例えば、かつて大場久美子が「SGT. PEPPER'S」の替え歌で実演を始めたり、菊池桃子が「ペパーランド」そのまんまのインストでアルバム冒頭を飾った事実など、屁の河童!な摩訶不思議な「アイドルによるビートルズ」は存在します。

例えば、此処に「1990年アイドル冬の時代に咲いた徒花」と呼ばれる「増田未亜ちゃん」のシングル盤「アブナイ CANDY」が在ります。全体的にモータウンのリズム・パターンを借用したお手軽なアイドル歌謡に過ぎないのですが、間奏に注目して下さい。其れはビートルズのサイケ時代最高傑作と謳われる名曲「A DAY IN THE LIFE」の間奏と寸分に違わない旋律なのです。例のジョンのAメロからポールの中間部に移行し、ふたたびジョンのパートへ戻る時に流れるオーケストラに合わせて「あ〜ああ、あ〜〜」とユニゾンでも歌われるフレーズが「チープなシンセ」で再現されて居るのです。

何故?どーして此処で「A DAY IN THE LIFE」が出て来るのか?作曲した佐藤健サンと編曲した戸塚修サンを小一時間問い詰めたい程に「いきなりだナァ!」で増田未亜ちゃん楽曲は「一瞬だけサイケデリックになる」のでした。「おいおい、アブナイ CANDYって、もしかしてアレ?」とでも示唆したかったのでしょうか?1990年と云えば「バブル崩壊前後」ですから、そんな穿った見方もしてしまいますが、モータウン風のシュープリームス「恋はあせらず」あたりを下敷きにした曲で現れるビートルズ、しかも「A DAY IN THE LIFE」って展開に何か深いモノを感じてしまうのです。

てなわけで、枕は此の位にしまして本論に入りましょう。連載中断中の「FAB4」等の「旧コピコン派記事」と、此処のメインで在る「片瀬那奈論」を繋ぐ「ミッシング・リンク」のひとつとして展開してゆきますので、ま、コアな片だけ楽しんで頂戴。


(小島藺子/鳴海ルナ)


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2009年11月14日

「REMEMBER 〜4人はアイドル〜」
#001:真実が欲しい

WINK ALBUM COLLECTION 1988-2000 アルバム全曲集


アイドル歌謡史に於けるビートルズからの影響は、ビートルズが日本デビューを果たした1964年から始まって居ます。当時の流行だった「ヒッパレ」の流れで、其れまでのアメリカン・ポップス同様に「日本語に翻訳したカヴァー歌謡曲」として其れは出現します。

スリーファンキーズと東京ビートルズの競作だった「抱きしめたい」の日本語盤や、キューピッツによる「シー・ラブズ・ユー」、ほり☆まさゆきの怪作「アイ・フィール・ファイン」等々、初期ビートルズの日本語カヴァーの頓珍漢な出来映えは現在でも大いなる破壊力を保ち続けて居りますが、そんな勘違いから脱却を試みたのは「グループサウンズ」でした。然し乍ら「GS」の先駆者と讃えられいち早くビートルズ・カヴァーをレコーディングした「スパイダース」の音楽的な要だった「かまやつひろし」や、「GS」以前から自作自演でのバンド活動を行い、しかも「反ロカビリー」を明確に表明して居た「加山雄三」等は、ビートルズよりも年長者で在り、加山が大いに語る通りに「絶対に俺の方がジョン・レノンなんかよりも先にエルヴィスを聴いてたし、多重録音だって俺が先」だったのです。

1964年にビートルズが全米制覇を果たす一年も前に、坂本九の「スキヤキ」はタイトルこそ改題されたものの「日本語の侭で全米制覇を成し遂げて居た」のです。ビートルズの「抱きしめたい」と同時期に全米首位を獲得したのが「イパネマの娘」だった事実からも「なんでもあり」な全米チャート気質が伺えます。其の後の戦略次第では、坂本九やゲッツ・ジルベルトにもチャンスは在ったのかもしれません。されど、彼等にはブライアン・エプスタインが居なかった。九ちゃんの全米第二弾シングル「チャイナ・ナイト」はスマッシュ・ヒットにはなりますが、オリエンタリズムを過剰に強調した「全米仕様路線」は大失敗に終ります。普通に「見上げてごらん夜の星を」でも発売すれば好かったのかもしれません。何にせよ、ビートルズ以後の日本歌謡史を同時代的に牽引した先駆者は「ビートルズよりも年長で、彼等をナメテいた」様です。エルヴィスが「WHAT IS BEETLES ?」と云った如く、「ビートルズ?何じゃそりゃ」だったのでしょう。

話がストラングルドホールドしましたが、常にリアルタイムで歌謡曲はビートルズからの影響を受け続けます。其れはカヴァーとしてだけでは無く、オリジナルとされる楽曲にも顕著に現れ、2009年の現在でも終らないのです。其れどころか、最早「ネタに詰まったらビートリー!」的な絶対的な保障付きの逃げ道にすらなって居ます。

直接的には全くビートルズからの影響を受けて居ないと思える此のサイトの主役「片瀬那奈」ですら、残念乍ら彼等の影響から逃れる事は不可能でした。例えば片瀬のシングルで多様された「両A面」と云う発想や、其の音楽を喧伝するのに大いに貢献した「プロモーション・ヴィデオ」、更には「多重録音によって歌唱を加工して創ったテレパシー・ヴォイス」、そして「シンセ等の電気式の導入と管弦楽の融合」等は、全てビートルズが始めた事です。片瀬那奈が「三回声を重ねてテレパシー・ヴォイス完成!」と試行錯誤して編み出した手法は、ジョン・レノンが「マイクに後ろ向きに立って歌う」とか「寝乍ら歌う」とか「フランジャーで疑似ダブルトラックにしてくれ!」とか「回転数を変えて声を変えてくれ!」とか「アンプに喉から直接繋ぐってのはどーよ?俺の喉に差し込みプラグを埋め込む手術をしろっ!」とか常軌を逸した「声の加工(信じ難い事実ですが、ジョン・レノンは自分の声が嫌いで別の声にして録音する事に執着したのだそうです)」が在りき!なのです。

「和製カイリー」と称される片瀬ですが、其の「本家カイリー」が現在では「パーロフォン・レーベル」から作品を発表して居る事実は、余り知られて居ない様です。「パーロフォン」は、ビートルズがアップルを設立(1968年)するまでの作品を発表したレーベルで、彼等の偉業を讃え「永久封印」されたも同然の金看板です。英国のEMIに所属するアーティストでビートルズ以後は「QUEEN」が後期に「パーロフォン」を冠された位しか例の無い事だと思われます。カイリーは言わば「英国EMIが認めたザ・ビートルズの後継者」なのです。

そんなカイリーがユーロのアイドルだった時代に其のカヴァーで国民的アイドルとなったのが「WINK」です。数多在るビートルズ関連カヴァー歌謡曲の中でも「怪作ベスト10」にランクインしそうな作品が其の「WINK」によるジョン・レノンの名曲「OH MY LOVE」の日本語カヴァーでしょう。門倉聡サンによる美しい弦楽アレンジをバックに蚊が鳴く様なユニゾンで歌われる其れは、ホラー映画の挿入歌を思わせる程に不気味です。暗闇から、長い黒髪で大きなサングラスを掛け大きな口で笑い乍ら黒装束の魔女(特にモデルはいません)が現れそうな「聴いてはいけない音源」のひとつだと思います。「何故?しょーことさっちんがレノン?」と20年前に頭を抱えた疑問は、おそらく永遠に解けないでしょう。同時期に宮沢りえはボウイとレノンが共作した「FAME」を、在ろう事か「GAME」と改題し日本語カヴァーして居りました。其れは「紅白歌合戦」でも「バスタブでリップシンクロ中継」で公開されたので覚えて居る片も居られるでしょうが、まさか其の楽曲が「ジョン・レノンとデイヴィッド・ボウイとカーロス・アロマーが創った」なんて知らなかったと思います。其れは只、単なる「歌謡曲」として存在し、消えました。正に「天国の階段はない〜!」と前衛劇風に叫びたい程の「ロック幻想の敗北」でした。

多くの「ビートルズ本」が、2009年リマスターに合わせて発売されました。其れ等には、資料的価値の高い名著の改訂版等も含まれ、こんな機会だからこそ実現したであろう有意義な作品も確かに在ります。其れにしたって、出し過ぎだろ?改訂版と銘打つなら好いけど、過去の著作の焼き直しで新作と称し「二度売りどころか、何度売りしてんのよさ?おまいはキャピトルか?」と断罪したくもなる阿呆(実名を出すと宣伝になるので書かないよ〜ん)まで湧いて来たわけですが、歌謡曲とビートルズって話が薄いんですよ。松崎しげるのビートルズ・メドレーの話なんか何処にも書いてないじゃん。夏木マリの「サムシング」にすら言及してないじゃん。東京ビートルズとか小山ルミは語っても、「レッツゴー・ヤング」で「ヘイ・ジュード」をピアノを弾きつつ熱唱した都倉俊一(ちなみにギターは野口五郎で、太鼓は西城秀樹)は語られないんじゃイカンのよさ。歪んだビートルズ史が、今、在る。アノ時、確かに僕らはクラスで一人か二人のマイノリティーだった。こんなにビートルズが日本でも受け入れられる未来なんて想像出来なかった。沢山の「2009年版ビートルズ本」を読んで、1971年のレノンとおんなじ事を云うしかないのです。こんなのは「嘘」だ。あたくしは、真実が欲しい。


(小島藺子/鳴海ルナ)


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2009年11月24日

「REMEMBER 〜4人はアイドル〜」
#002:IT'S ALL TOO MUCH

It’s all too much It’s all too much(初回生産限定盤)(DVD付)


鳴海:えっと、今回は対談形式で行きます。イコ姐さんが台本を書いてくれたので、読むだけなんすけど、、、

イコ:いきなりネタバレしてんじゃないわよ、鳴海。さっさとお始めなさい!ノッテ来たら台本は無視しても好いからさ。ガツンとアドリブかまして頂戴!

鳴海:はい、えっと、ウチからでしたっけ?あっ。ホントだ。え〜、あ〜、だ、誰とは云いませんが、歌謡曲では THE BEATLES の曲名をそのまんま借用して自作曲に付けちゃうって事が結構在りますよね。例えば「A DAY IN THE LIFE」とか「IT'S ONLY LOVE」とか「TOMORROW NEVER KNOWS」とか「LADY MADONNA」とか「IT'S ALL TOO MUCH」とか色々と在って「おっ、ビートルズじゃん!」とか割と好意的に受け止めるんですけど、流石に「LET IT BE」なんて曲名は赤ら様過ぎて「とほほ、、、」と思いましたよ。ケホケホ、、、

イコ:かつて萩原健太氏が「『ビーチ・ボーイズ』ってドラマの主題歌が『フォーエヴァー』って、ふざけんなっ!」と怒り狂ったけど、一般人には余り伝わらない話だったナ。彼は「ビーチ・ボーイズってバンドが存在するし、彼等には『FOREVER』って名曲も在るわけだから」と怒ったわけよ。そして其れがどれだけ厚顔無恥な所業なのかを説明するのに「これは例えば『ビートルズ』ってドラマの主題歌が『LET IT BE』だという事とおんなじ」と続けたのよさ。其れなら一般人にも理解出来るけど、「LET IT BE」まで出てしまったわけよ。「マジで?そんなの昔から在るコトノハなんだから、偶然じゃん!」等とトボケる事は不可能なの。「LET IT BE」って云ったら、そりゃビートルズの曲名でしょう。音楽を生業にして居て知らないとは云えないし、「IT'S ALL TOO MUCH」なんてマイナーな曲名を引っぱって来たらもう確信犯ですし、「TOMORROW NEVER KNOWS」なる「英文法を無視したリンゴ・スターの造語」なんかをパクったら「200%真っ黒」です。

鳴海:はっ、あ、ウチの番っすか?う〜んと、じ、自分の好きな作品のタイトルを自作に拝借したいって気持ちは、創造者には付き物で映画や小説や漫画などにもビートルズはパクられて居るっす、じゃない、居ますね。其れは、やはり彼等のコピーライティング能力が優れて居るからでしょう。其れはアルバムのタイトルだけを見ても明確です。「A HARD DAY'S NIGHT」とか「RUBBER SOUL」と云った「造語」のセンスも抜群ですが、既成のコトノハに過ぎない「HELP !」とか「REVOLVER」とか「ABBEY ROAD」、更にはソロ作品の寄せ集めの様な芳醇な二枚組で在る通称「ホワイト・アルバム」に冠された「THE BEATLES」には唸らされます。えっと、姐さん此れって棒読みになってないっすか?真面目な話ってウチ苦手なんすよ。

イコ:(無視して)でもさ、ビートルズも先達から大いに影響を受けてタイトルの拝借もして居るのよ。ポール・マッカートニーが「僕らは20世紀最大の盗作集団さ」と語った様に、創造の為になりふり構わぬ大いなるパクリを堂々と敢行したわけさ。ジョージ作の「SOMETHING」が歌詞の冒頭までも当時アップルに所属して居た新人ジェームズ・テーラーの「SOMETHING IN THE WAY SHE MOVES」と云う楽曲からの引用で在る事は有名でしょ?他にも「CRY BABY CRY」とか「P.S. I LOVE YOU」とか「GOLDEN SLUMBERS」とかモロパク題名も多いのよ。ジョン・レノンの再起作で遺作になった「ダブル・ファンタジー」の冒頭を飾り先行シングルでもあった「(Just Like)STARTING OVER」は、「STARTING OVER」と云う楽曲が既に在るのでジョンが照れて(Just Like)を付け足したのよさ。

鳴海:へぇ〜、流石はイコ姐さん。大好きなビートルズでも盗用は暴くんっすね。今回も勉強になったっす。

イコ:鳴海、皆まで聴け!ゴホン!されど、右から左に引用するのとビートルズの其れは決定的に違います。「YESTERDAY」も「LET IT BE」も予め存在した何の変哲も無いコトノハなのです。彼等は、其れに別の意味を持たせました。日本人にとっては「イエスタデイ」は「昨日」では無く「ビートルズの曲名」になったのです。そして「HELP !」は「助けて!」では無く「4人はアイドル」になってしまったのです。確かに映画「HELP !」はアイドル映画でしたから「4人はアイドル」で正解なのですが、行間が全く読めなくなってしまいました。でも其れこそが日本のビートルズです。そもそも「抱きしめたい」で始まったのですから、屈折しまくるのですよ。しかし「IT'S ALL TOO MUCH」って同名異曲を2009年に聴くとは思わなかったナァ。ジョージが生きてたなら、ベリンダの時みたいにスライドギターで客演したかもね。

鳴海:イコ姐さん、何だか難しくって分んないっすよ。台本以外のアドリブなんて出ないっすよ。ウチ、お莫迦なんで、、、

イコ:う〜む、やっぱ、対談は未亜たん相手じゃなきゃダメか。

鳴海:はい、ウチもそう思います。


(小島藺子/鳴海ルナ)


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2010年02月22日

「師匠、今度は此の手で来たか」

オムニバス1~大瀧詠一ファーストアルバムカバー集(1980~2010)~


☆最近のナイアガラ・ニュース☆

初音ミク、大瀧詠一を歌う(BARKS 2/21)


大瀧師匠は「9年」と「0年」には「何拾周年盤」を出せませんので、今年はどーすんの?と思って居りました。てか、去年は何を出したのかいナ?秋頃に出た女性シンガーがカヴァーした「ロンバケ」が其れだったのかな。師匠も「散歩しない?」とお約束のひと声参加をして居て、なかなか好いカヴァー企画でした。

其れで味を占めたのか、今度は「ファースト」のカヴァー盤ですよ。「321」のナイアガラ記念日に出るし、ジャケットもまんまなので此れからは此れで食う気か?そー云えば「ロンバケ」カヴァーのジャケットもそのまんまでした。「オムニバス1」って事は他のアルバムもやる気マンマンじゃん。「20周年盤」の次に「30周年盤」をやった時にも思ったけど、大瀧詠一、恐るべし!リサイクルで一生やってくんですね。古典落語の世界だな。まぁ、ビートルズもおんなじ事をして、しかも売れて居るわけですが。

コジマユの参加が光りますが、記事タイトルに在る様に「初音ミク」のサンプリング・ヴォイスの片も参加しているみたいです。実はようつべに「初音ミク」が歌う片瀬那奈の「Shine」がうpされていたので、先日聴いてみました。「Shine」は人気が在るみたいで、他にも変わった楽器で演奏したものもありました。興味の在る片は「片瀬那奈 Shine」で検索してみてネ☆(と、いつの間にか「必殺カタセ固め」に持っていくあたくしであった。)


(小島藺子)


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2010年04月01日

「ヴォイス・ハンサム」

French Kiss Three Hearts


え〜とですね、やっぱ、「タマンねぇ!」(及川クン声で)

ロバート・ウェルチ様の声は最高です。1970年代後期に、日本でも彼はブレイクしました。来日公演も在ったはずです。でも、パリス時代から彼を日本で押しまくって居た、敢えて名は伏せますが「某・ロケノン社長:渋谷陽一」サンが「逢ってみたら、僕のイメージと違った」とか云っちゃってですね、挙げ句に「最早、彼の音楽は時代に乗り遅れてる」とか書いちゃってですね、ボロ雑巾の様に捨てたのですよっ。確かに世界的には無名だった「PARIS」を日本で極地的にメジャーにしたのは渋谷サンの功績でしたけど、其れって単に「ツェッペリンに似てる」って理由だったんじゃまいか?だって、本人も明かして居るけど、マック時代のウェルチ様の事なんか「洋楽評論家」で「洋楽雑誌の代表」なのに知らなかったんだもの。

ま、そんな大昔の事はええのよさ。でもね、兎に角、日本で「ボブ」と云えば「ディラン」では無く「ウェルチ」って時が確かに在ったの。そして、其の頃のあたくしは10代だったのだよ。彼のブレイク後に所謂ひとつの「J-POP」ってのが生まれてしまうのです。其れは我が師匠である大瀧サマがやらかした「A LONG VACATION」を基点にすると思われます。当時に流行して居た「AOR」の日本語翻訳と捉えられそうな「ロンバケ」ですが、コアな「ナイアガラー」なら師匠の積み重ねたオールディーズや歌謡曲、そして何より「ROCK」魂を感じるでしょう。だってさ、「ロンバケ」って構成が THE BEATLES の「サージェント・ペパーズ〜」と同じなんだもん。しかも、根底に流れるメロディーは「キャロル・キング」姐御の「其のまんま」ですからね。

でもさ、あたくしは思うんだよ。アノ頃、寺尾サンと大瀧師匠の「鼻唄」に包まれて居た頃をね。アレって「ボブ・ウェルチ」のマネだったんじゃまいか?とさ。確かに「1981年の寺尾サンも大瀧師匠もAOR」だ。でも、特に大瀧師匠に云えるのは根底に在る音楽なのよさ。

ま、今ではみんな揃って「百円コーナー」に並んで居るのだから、好いのよね。凄いナァ。アノ頃に、昼飯を我慢したりして買ったレコが「百円」って、、、嗚呼、もう有難いのか悔しいのか分りませんです。

で、ウェルチ様の声を「ヴォイス・ハンサム」と名付けたのは漫画家の森脇真末味サンです。代表作の「おんなのこ物語」で事実上の主役だった敵役の仲尾クンがバンドで歌う場面が在るのです。「やあ」って云っていきなり歌い出すんだけど、其の「やあ」って前振りがカッコいいのよさ。で「アノ声は誰かモデルが居るのですか?」って問い合わせが殺到して、森脇サンが「アレは声はボブ・ウェルチです。ヴォイス・ハンサムだから」って云ったのよさ。でさ、あたくしは其の「やあ」ってフレーズを頂いたんです。

そんな素敵な音楽が、壱枚「百円」になっちゃったよ〜ん!嗚呼、、、


(小島藺子)



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2010年04月03日

「はなれないわ〜♪」

ゴールデン☆ベスト 麻丘めぐみ Abbey Road [12 inch Analog]


三日連続で「下町レコ」に出向いてしまいました。いえ、もう昨日の「KISS」でお腹いっぱいだったのだけど、レコードを買い出すと♪どうにもとまらない♪になるわけで、かと云って「神保町とかまで出掛ける気も無いナァ」って日常ですので、近くにレコード店が在るってのは便利ですよっ。

あたくしは片瀬クンのイベントでも無い限りは、基本的に地元を自転車で回るって生活をしてます。隅田川の向こうに行くのは「大冒険」なのです。一ヶ月位電車に乗らないなんてのが「当たり前田のゴンタ顔(対ニールセン戦)」ってなわけでして、本日もぶらりと隣の仙堀公園に桜を見に出たのです。ジャージ姿で行ったわけですけど、土曜日だし桜が満開で大賑わいだったわけだよ。凄い人ごみで、まあ、其の構成員のひとりになってしまったあたくしは「失敗したかしら?」と思ったのでした。

其の時「おいおい、呑気に花見をしてるくらいなら、レコでも買えよ。ほら、其処で茶髪のおねえちゃんが売ってるビールは五百円もするんだぞ。百円レコなら五麻衣じゃん!さあ、すぐに部屋に戻って着替えて、下町レコへ GO ! GO ! GO ! GOES ON !! なのよさっ」と悪魔の囁きが在りまして、あたくしは踵を返して自宅へ戻り、ジーンズに履き替えてまっしぐらに「下町レコ」へゆきましたとさ。

果たして、別に欲しいレコが在るわけでも無いのです。でもね、何も無ければ「THE BEATLES」の安レコでも買えばええわけ。ビーレコなら何枚在っても好いのですからね。其れで「ま、今日は『ABBEY ROAD』のユニオンジャック帯盤でも買うか」と思ったのですけど、一緒に「麻丘めぐみ スーパー・デラックス」も買ってしまいました。

めぐみちゃんのデビュウ曲「芽ばえ」を、あたくしはずっとカヴァーさせてもらって居るのです。筒美サンの曲も好きなのですが、何と云いましても千家サンの詩が好きなのです。一体、コノコは何をしてきたのかしら?と穏やかでは無い妄想を膨らませる「エロ杉」な歌詞だと思います。以前も下町レコでシングル盤を購入したのだけど、「麻丘めぐみ スーパー・デラックス」のジャケットが好くって(何だか片瀬クンに似てるってゆーか、ハッキリ云うとお母様に似てるのです)、つまり「ジャケ買い」したのです。等と講釈をたれて居りますが「麻丘めぐみ スーパー・デラックス」の値段はたったの「360円」でした、、、

部屋に帰って「麻丘めぐみ スーパー・デラックス」のA面(全曲、筒美京平作品!)を聴いたら、有名な「わたしの彼は左きき」あたりで「おいおい、何だよ、此のベース主導のアレンジはっ!」と耳を峙ててしまったのでした。リード・ベースじゃん。あたくしは今でこそ「ウクレレ奏者」ですが、元々はベーシストなのです。こんな風にベースで引っぱられる演奏を聴けば萌えますよっ。そんでもってだ、めぐみちゃんの歌唱が「完璧ではない」ってのが凄いんです。絶対にわざと此のテイクを残したって思えるのですよ。つまり、声が上ずったり掠れたりフラットする部分が在るのですけど、其処が「可愛い」し、ハッキリ云えば「エロイ!」のよさ。♪わたしの、あたしの、かれは♪って二度目を「わたし」から「あたし」に意図的に変えてる辺りも素晴らしいですよっ。やっぱ、歌謡曲って面白いです。

偶然にも「ABBEY ROAD」もポール・マッカートニー様のリード・ベースが堪能出来る名盤です。ゆえに、ごく自然に「麻丘めぐみちゃん」から「ビートルズ」へと聴き繋げられました。確かに、ジョン・レノンが歌う通り「世界は丸い」のです。


(小島藺子)


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