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2005年03月27日

「あの娘はあぶないよ」

MY NAME IS BLUE


下北沢で小島麻由美を観た。

60人ほどのキャパで、バックはギターの塚本さんとピアノのDr.KYONのみ。気心しれたヲタ向けのスペシャル・ライヴと云った感じだが、内容は「ALL TIME BEST」!タイトルにした曲を初めてライヴで披露するわ、「マイモンキーはブルー」「さよなら、カエル」なんて初期のレアな曲も久しぶりにやってくれたし、大好きな「わいわいわい」も飛び出してラストは「一緒に帰ろうよ」ですよ。「泣けた?」と子供みたいに屈託なく自慢するコジマユがみえた!

勿論、「結婚相談所」「恋の極楽特急」も復活、「セシルのブルース」「黒い革のブルース」「ハートに火をつけて」「蛇むすめ」「茶色の小瓶」あたりも、しっかり押さえて、リクエストで予定外の「ぱぶろっく」(なんとKYONさんは初見で見事に弾いた!)まで聴けたのだから、云うこと無し。此の半年で何度も観た、定番化されたセットに「おいおい」と贅沢なことを云ってたあたくしは、もう大満足。そうだよ、小島さん。あなたには素敵な曲が山程在るんだ、色んな曲をライヴでやらなきゃね。うんうん。

しかし、何故コジマユは昨年の初全国ツアーでこんな感じのセットにしなかったのだろう?全国ツアーには「初めて生コジマユ」を観るファンが詰めかけたわけで、当然、ベストな選曲を望んでいたと思います。でも、彼女は「普通にやりたい様にやった」わけだ。なのに、こんなにも狭い小屋で「ベスト選曲」をやらかすわけです。普通は逆でしょ。いや、やはり其処が「小島麻由美」なんだな。

でも、本日のハイライトは松田聖子ちゃんのカヴァー「SWEET MEMORIES」でしょう。小編成と狭い場所で、いつもよりも「はっきりと」小島麻由美のうたを堪能出来た夜だったけれど、此のひとは何を歌っても自分のうたにしてしまうんだって思い知らされました。普通は原曲と掛け離れたアレンジで別作品としてのカヴァーをやるってのが定番ですが、小島さんの場合は「歌唱」だけで自分のうたにしてしまえるのです。なんてひとなんだ。やっぱり小島麻由美はうたが上手い!いや、うたが凄い!!

あんた、もう、ありゃ、ジョン・レノンだよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2005年04月01日

「THE APRYL FOOL」

APRYL FOOL


誤字ぢゃないよ。今日は April Fools' Day だから、THE APRYL FOOL のことを一寸書こう。

「エイプリル・フール」は、よく「はっぴいえんど」の前身として語られるバンド。事実、細野さんがベースで、松本隆がドラムスと作詞だから、「はっぴいえんど」の半分が参加していたわけで、しかもリズム隊だし、細野さんは曲も書いている。此の情報だけなら、当然「はっぴいえんど」前夜を期待しても仕方ない。昔は廃盤で聴けず、幻の音源だったし、まだサラリーマン時代のアラーキーが撮ったジャケットが小さく印刷されたレビューなんかを眺めては期待に「わくわくどきどき」したゼニヤッタモンダッタ。

けれど其れ以前、此のバンドは「フローラル」と云う「グループ・サウンズ(GS)」だったのですよ。其のメムバーだった小坂忠、柳田ヒロ、菊池英二に、細野さんと松本を加えたのが「エイプリル・フール」でして、「はっぴいえんど」を期待して聴いたりしたらガッカリすること必須です。まだ「フローラル」の方が「はっぴいえんど」に近いかもしれないよ。何しろ、「エイプリル・フール」は、英語で歌っていますからね。完全なる「日本語ロック論争:内田派」ですよ。「はっぴいえんど」の「は」の字も在りません。「フローラル」は、日本語で歌っていたんです。其れが「英語」になって「これぢゃ、ダメだ!」と松本の暴走が始まるのでした。

大体、「エイプリル・フール」で何か物凄いモノが生まれていたら「ゆでめん」は生まれてないでしょう。とは云え、「ゆでめん」だけに在る「ロック」らしさは、やはり「エイプリル・フール」を経た賜物とも思えますな。

あ、此れは一応、語り尽くされた史実なので、嘘ぢゃないよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2005年05月01日

「ah あんまりでもらい泣きしそうだよ」

面 おもかげ 影


池袋で小島麻由美のライヴを観た。

会場の自由学園明日館講堂は、礼拝堂みたいな内装で、とてもライヴ会場には思えない。長椅子に腰掛けてゆったりとアコースティック・ライヴを堪能できた。編成は下北沢での塚本さん:ギター、kyon:ピアノに、長山さん:ウッドベースを加えたもので、会場のPA設備もお世辞にも良いものではないので、完全にバックに徹した演奏で、コジマユの歌を全面に出した感じ。

「もしも自由がほしいなら」で始まったセットは、前半塚本さんはアコギで「あの娘はあぶないよ」「先生のお気に入り 」「ディビ・ドゥビ・ダー」「ショートケーキのサンバ 」「ドロップ」「ハートに火をつけて」と新旧取り混ぜた結構レアな選曲で、かなり「ぐっときて」しまった。

塚本さんが「なんちゃってバンジョー(6弦ある)」に持ち替えて「砂漠の向こう」「SWEET MEMORIES」(またやりました)「黒猫 」としっとり決めて、後半はエレキで「さよなら、カエル」「黒い革のブルース」「刺青」「蛇むすめ」「茶色の小瓶」と妖しい路線でぶっ飛ばし、ラストはなんとアコギでの「ひまわり」(よくあることだが、イントロでとちってやり直した)で、アンコールなしは相変わらず。一時間強で終わってしまったけれど、毎度のことでMCもほとんどなかったので、まぁ、どれもいつものことなんで慣れてしまってるんですが。

今回は特に前半のアコギ・パート(ラストの「ひまわり」も含めて)が良かったな。コジマユは美しい曲を書くひとなんだって、しみじみと再認識させて戴きました。(やっぱ、太鼓はいらないな、歌が聴こえないもん。)体調があまり良くなくて、久しぶりに一人だったし池袋まで出掛けるのも億劫だったのだけど、コジマユの歌を聴いていたら体に力がもどってくる様な気分になった。「音楽に癒される」なんて、ちゃんちゃら可笑しいと思っていたけれど、「歌」には何かそんな不可思議な効用も在るのかもしれないなぁ、と思いました。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2005年06月07日

「溶けろ!リアリティー♪(TIN PAN ALLEY の時代)」

キャラメルママ(紙ジャケット仕様)


1. 今日はなんだか愛は幻

1975年4月25日にナイアガラ・レーベル第一弾として、SUGAR BABE のシングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」が発売された。

何度もしつこく云うけれど、当時は此の素敵なメロディーがまったく無視された。はっぴいえんども大滝さんも細野さんも全然売れてないんだから、其の弟子みたいな連中が受け入れられる土壌なんてなかったんだ。彼等の不運は発売元のエレックがすぐに倒産したことも在るけど、兎に角、本当に、全く売れなかった。達郎の話だと「500枚くらい」しか売れなかったらしい。あたくしも当時ラジオなんかで聴いた記憶がなく、レコードを買ったのは飢餓感ゆえだったのかもしれない。

11年前に発売から20周年記念でオリジナル・マスターでCD化された時に、オリコン3位まで上がるヒットを記録したのは有名な話だけど、ついに発売から30年も経ってしまった。なのに、此の瑞々しい音楽は一体何なんだろう。彼等に影響を受けた音楽が現在では主流になり、今でもなお新しいリスナーを増やしているよーで、まぁ売れればええわけではないけれど、「ざまーみろっ!!」って気にはなる。

14才の自分に「お前が選んだ音楽は、間違ってなんかないんだぞ。」と教えてあげたいね。


2. BAND WAGON

あれから30年、日本語ロックの方向性を決定付けた1975年の傑作群のひとつが、また世に問われました。一寸紹介するのが遅れたけど、2005年5月25日に、きっちりと30周年記念盤として茂の唯一無比の大傑作が発売された事が、とても嬉しいです。

現在では説明不要な作品になってしまいましたし、此れまでも何度もリイシューされて来ました。今回は、茂本人が新たにリマスタリングしていますが、オリジナル通りの9曲入りの侭です。36分くらいで終わってしまうんですけど、やはり余計なボーナス・トラックなんていらないんですね。(無いわけじゃ無いんですよ。実際「ハックルバック」なんてCDも出てますからね。)其れじゃ、今までのとあまり変わらないかって云うと、そうでもないんですよ。DVDが付属されて居ます。でも、あくまでも「おまけ」ですね。オリジナル・フォーマットが素晴らしいので、一切余計なモノは(本人の意志であれ)不要です。

リマスターではインスト曲が特に鮮明な印象を受けましたが、「砂の女」「100ワットの恋人」などの歌モノは、いつ聴いても素晴らしいです。処女作ってのには、多くの傑作が在ります。あたくしにとって、ビートルズとはっぴいえんどは特別な存在ですけど、其の中で何れも最年少であった(云わんとする意味は察して下さい)ジョージと茂がソロ・デビューで永遠の傑作を作ってくれたってーのが、永遠に彼等のファンでいられる理由のひとつですね。DVDのインタビューで「砂の女」を作ったくだりにジョージの名前が出た時には、思わず「にやり」としちゃいました。

此の作品を聴いたことが無い方がもし居るなら、此の機会に是非聴いてみて下さい。CD本篇に関する内容は、イコも未亜も、絶対保証致します。つまり、DVDはマニア向けだってことね。


3. TIN PAN ALLEY の時代

茂の「BAND WAGON」は1975年3月25日発売で、大滝さんの「NIAGARA MOON」が5月30日でして、30周年盤がそれぞれ5月25日と3月21日に出たのは、ナイアガラ記念日の321に対する茂の配慮なのかな?なんて考えるのも一興です。

1975年には大滝さんと茂&ハックルバックが共演したライヴと云うのが何度か在って、特に興味を惹くのが11月21日の荻窪ロフトです。記録によると開演が3時間も遅れたらしいのですが、其れでも此れを聴けたならええなって思いますね。此の時、ハックルバックをバックに大滝さんがヴォーカルでの「BAND WAGON」が披露されたのですから。

「BAND WAGON」での茂のうたは、誰がなんと云おうとも「大滝の模倣」です。茂以外はすべて外人ミュージシャンの演奏なのに、はっぴいえんどの4枚目とも云われてしまうのは「松本隆の歌詞を大滝がうたう」からなんです。当時の大滝さんは、もう兎に角「脱・松本隆」路線で行ってましたので、テストとしての「デビュー」(1978年)や、再会の「ロンバケ」(1981年)までは有り得ない世界だったのだけど、お茶目な師匠はしっかりと予告篇をやっていたわけですな。余談ですが、当時大滝さんのバック・バンドも勤めて居たのが「SUGAR BABE」でして、1994年にタツローが行った「Sings SUGAR BABE」を客席で観ていた大滝さんは号泣し、慌てて楽屋にお隠れになったそーです。其の時、タツローはかつての様に美しく「砂の女」を歌ったのです。

12月16日には「TROPICAL MOON」なんてコンサートもやってます。6月25日に発売された細野さんの「トロピカル・ダンディ」と「NIAGARA MOON」はしっかりと繋がっていました。大滝さんはいみじくも「細野さんと僕は似てる」と語っておりましたけど、其の後もオムニバス盤や楽団などコンセプトが酷似した展開を聴かせてくれるのです。まぁ、其れはまた、後の話。


4. まぬけなキューピッド

大滝さんと細野さんのそれぞれのソロ一作目は、はっぴいえんどの世界を色濃く感じさせる作品でした。「大瀧詠一」はバンド活動中の作品で、半分は丸っきり「はっぴいえんど」だし、「HOSONO HOUSE」も解散→再結成→また解散みたいな混沌とした時期に出たことは以前も詳しく書いた通りです。其れ故、お互いのソロ処女作は共通の匂いを感じさせるわけですが、茂がソロ・デビューで更に「はっぴいえんど」の未来を提示した時期に御大ふたりは完全に「脱・はっぴいえんど」を成し遂げてしまいました。其れが「NIAGARA MOON」と「トロピカル・ダンディ」です。此のふたつの作品は、根本的な部分で同じ試みをしているので聴き比べると大変面白いと思います。それぞれ二作目の前には「布谷文夫」「SUGAR BABE」「小坂忠」などのプロデュースをしているのも、似ていますね。つまり、ふたりはライバルなんですな。

現在でもまだ衝撃的な第二作(近年、はっぴいえんどの箱から新たにファンになった方でも、此れが実質的には解散後初のアルバムだと認識して聴いたら吃驚すると思いますからね)を発表した後に、ライバルが向かったのはオムニバス盤でした。

TIN PAN ALLEY の「キャラメル・ママ」は1975年11月25日発売。キャラメル・ママと云うのはティン・パン・アレイの前身となったバンド名です。細野さん、茂、林立夫、マンタのメムバーがそれぞれ2曲ずつとティン・パン・アレイとして2曲をプロデュースした計10曲に、ティン・パン・ファミリー総出演で臨んだバラエティー豊かな作品集になっています。茂の作品「ソバカスのある少女」では松本隆が作詞し、南佳孝が茂とデュエットと「はっぴいえんど」好きにも好まれる展開を見せますが、後藤次利のチョッパー・ベースが炸裂する林の「チョッパーズ・ブギ」などには「はっぴいえんど」の欠片も在りません。そして細野さんは早くも「イエロー・マジック・カーニバル」で未来を暗示しています。

対して大滝さんの「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は、タツロー、銀次とのオムニバス盤で、1976年3月25日発売。タツローの「ドリーミング・デイ」「パレード」「フライング・キッド」は名曲だけど、やはり大滝さんが居ると「SUGAR BABE」を感じさせます。本来ならこれらの曲は「幻の SUGAR BABE セカンド」に入るべきだったのでしょう。銀次も後の「ウルフルズのプロデューサー」を予感させる痛快な「日射病」「新無頼横町」などで活躍して、シングルでは三人で歌った名曲「幸せにさよなら」(加山雄三さん用に作ってボツにされたらしいけど)も残しています。現在では有り難いことに、ボーナス・トラックとしてシングル版は追加収録されてます。しかし、やはり目玉は大滝さん。なんせ、ホントは「ホンダラ行進曲」を三人でカヴァーする気だったってんだからね。そもそも此れはナイアガラはもうダメってことで、タツローも銀ちゃんも去って行くからってんで「さよなら企画」として世に出たんですからね。そんな時に師匠ったら、全く何を考えてるんでしょうなぁ。まぁ、其の代わりに収録されたのが、もっと恐るべき怪作「ナイアガラ音頭」だったんですけどね。

そして注目すべきなのは「Fussa Strut Part-1」です。「NIAGARA MOON」で先にPart-2が発表された作品ですが、此処でのベースは細野さんで、ピアノは教授です。大滝さん曰く「彼等の初共演は、此れだよ。」

ほらね、上手くYMOに繋がったでしょ?お茶目で悪戯なキューピッドだね。


5. 溶けろ!リアリティー♪

そんでもって、すぐにYMOに行かないのが細野さんだったりします。「ティン・パン・アレー2」や「パシフィック」「エーゲ海」などのインスト盤も在りますけど「トロピカル・ダンディ」「キャラメル・ママ」の1975年から「イエロー・マジック・オーケストラ」(1978年11月25日発売、そうですよ彼女の御誕生日ね)まで特に注目すべきなのは、ソロ名儀三作品でしょう。

此の時代の最高傑作は「泰安洋行」(1976年7月25日発売)だとは思いますし、大滝さんが同時期(1976年10月25日)に発売した「Go! Go! NIAGARA」と比較しても「勝負在った!」と思わせます。しかし、冒頭の「蝶々-San」では、しっかりと大滝師匠とタツローがコーラスで参加して居るのがミソ。次にはカレンダーも待ってますから、ナイアガラーは心配御無用です。

で、個人的に一番聴き込んだのは「はらいそ」(1978年4月25日発売)です。アナログのB面では、YMO三人での初共演や偶然のシンクロも在って、横尾忠則との「コチンの月」(1978年9月20日発売)を経て、わずかな期間でYMOへと進んでしまいます。でも、あたくしが愛するのはタイトル曲などの細野さんの「うた」であり、衝撃のエンディングです。特に、今回のタイトルに引用した「はらいそ」の歌詞は、あたくしにとって永遠の「必殺の一行」なんです。此れこそが「虚構絶対主義宣言」でしょう。「現実」なんか、溶けてしまえば好いんだ。

怒濤の展開を魅せた1978年に、ライバル「大滝詠一」は一体何をしていたのかな?其れは「音頭」です。此の「ONDO」カテゴリの起点となるのは、「YMO」と「椎名林檎」が誕生した「1978年11月25日」に同じく産声をあげた「大滝さんの大傑作」に在るのですが、、、其れは、別項で。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-4-25、6-4〜6-7 全5回連作



posted by 栗 at 23:25| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

多羅尾伴内 [DVD]


1. 「レッツ・オンド・アゲン」私論

大滝さんの大誤算は、自己レーベルを潰れたエレックからコロムビアに移籍する際に「年間4枚」の契約をしてしまったことでした。いえ、其の時にはナイアガラには大滝さん以外に「SUGAR BABE」「ココナツ・バンク」「布谷文夫」とコマが揃っていたわけでして、1976年にはエレック時代の2枚と新作2枚(「トライアングル1」と「GO! GO!」)で乗り切ります。しかし、タツローと銀ちゃんのバンドは解散し「トライアングル1」を最後に、彼等はみんなでナイアガラを去りますから、移籍早々「ひとりぽっち」になってしまうのです。ゆえに1977年と1978年で、大滝さんはひとりで8枚のアルバムを出さなければならなくなってしまいました。で、実際には1976年から1978年の期間でしたけど、「GO! GO!」から「レッツ・オンド・アゲン」まで、2年で8枚出してしまったんですな。

アイデアは豊富だったのでしょうけど、あまりにも無謀であり、なによりも全く売れなかったんですから、もーどーしよーもないんです。此の時期で一番売れた「CMスペシャル1」ですら2万4千枚、あの傑作「ナイアガラ・ムーン」がたったの2千枚、「レッツ・オンド・アゲン」は多くても500枚だって云うんですからね。1996年盤CDの解説で大滝さんが書いているのは事実なんですよ。つまり、あたくしは500人のうちのひとりだったのね。嗚呼、掛け値無しの大莫迦じゃん。

とは云え、此のアルバムにはお世話になりました。なんせ天下の「ロンバケ」のひとつ前の作品なんですから、そりゃーもー「大滝の前のレコードを聴かせてケロケロ」って云う輩全員に「此れだよーん」と聴かせてやりましたよ。だって、ホントのことだもん。ケロケロ


2. 「レッツ・オンド・アゲン」逸話

「スネークマン・ショー」でも活躍した小林克也さんが「ナンバー・ワン・バンド」を出す時に、大滝さんに試聴盤を聴いて戴き感想を伺ったら、師匠曰く

「うーん、面白いねぇ、僕のレコードの10倍は売れるよ。保証します。」

世の中「ロンバケ」の時代ですから「ええっ?大滝さんの10倍って、そりゃ何千万枚ってことかぁ?話半分でも凄いよ、ベストヒットUSA!!」と小林さんは有頂天になったんですけど、なんか売れないのね。5千枚くらいしか売れないってんで「大滝さん、全然ダメなんですけどぉー」ってお伺いを立てたら、師匠曰く

「当たったね。僕の『レッツ・オンド・アゲン』は500枚だから、丁度10倍だね。」

と、云うのは嘘です。ホントは小林さんのは1万枚くらいは売れたので、20倍なんですよ。師匠は一寸見栄をはったんですな。「1千枚しか売れなかったから」ってね。


3. 「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

世の中に所謂「ナイアガラー」なる輩たちを作り出したのは、勿論「大瀧詠一」の活動すべてが面白いからなんでしょーけど、「はっぴいえんど」や「ロンバケ以降」よりも「70年代ナイアガラ」に其の肝が在ると思われます。ナイアガラーは当然マニアです。ま、現在で云う「ヲタ」の元祖みたいな連中ですけど、一寸違う。で、大瀧さんは其のボスなんですな。徹底的にマニアックで、深い音楽の造詣をこれでもかとレコードに刻み、DJ(現在の様な意味ではありません)としても鬼の様に「趣味趣味音楽」をかけ続けて、数多の弟子を輩出した師匠なんです。

「はっぴいえんど」と云うバンドは、基本的に東京のぼんぼんが集まったのですけど、大瀧師匠だけは東北出身でした。上京し印刷会社に就職して、最初の呑み会で「大瀧、おまえも何かやれ」と云われザ・ビートルズの「ガール(一説には、ミッシェル)」を歌ったら、社長に「お前はクビだ。歌手になれ。」と云われ、音楽家の道へと進んだってのが「嘘のよーなホントの話」らしいです。

「NIAGARA MOON」「GO! GO! NIAGARA」「NIAGARA CM Special」「NIAGARA CALENDAR」などのコンセプト・アルバムは、宝の山と云って良いでしょう。「MOON」以外は、まだ深く語ってませんが、これから毎年出る「30周年盤」の時にでもゆっくりとね。

で、今回取り上げている「多羅尾伴内楽團」ってのは、大瀧師匠版「YMO」で在りまして、此れは長く再発されてないんです。唯一「VOL.3」に予定され制作開始された「レッツ・オンド・アゲン」だけが1996年に再発されたので、かろうじて入手可能なんですけどね。あたくしとしては70年代のナイアガラ作品は、1500円(税込)をみつけたら、すべて入手すべきだと思いますよ。高値が付いてる80年代の再発なんか無視してええよ。もうCD媒体としての「20年の寿命」が来てるし、もともと初期のCDは音が悪いんですから完全なマニア向け骨董品です。其の点、アナログは良く出来てましたね。少なくともビートルズのアナログがまだ聴けるんだから、40年以上は保つんですもん。

音楽を言葉で解説するなんてことが、如何に「無意味」なのかを「レッツ・オンド・アゲン」は教えてくれました。例えば「337秒間世界一周」が、何れだけの「ワールド・ミュージック」を内含していよーが、「禁煙音頭」を歌うのが誰で、コーラスがビーチ・ボーイズ風で、間奏で歌うのが誰であろーが、発表当時は歌詞のみしか掲載出来なかった「河原の石川五右衛門」が何れだけアナーキーであろーが、ラスト2曲で布谷文夫の怪唱へと雪崩れる頭で、密かに確認出来る、あの「颱風」を思い起こさせる大瀧師匠のカウントが、哀しくもかっこよかろーが、んなこたーどーでもええのよ。

よーするに、此れが「面白い」なら其れでええんだ。あたくしは「面白かった」し、今でも「愉快」で、未だに「謎だらけ」なんだよ。例えば、此のアルバムのジャケットが何故「ABBEY ROAD」なのかなぁ?とか思ってたら、クレージー映画のラスベガスだったりもしてね。細野さんにも共通する「無国籍音楽」が、未だに真に受け入れられない不可思議さなんかもね。つーか「YMO」とか「ロンバケ」なんて、ホントはもっと謎だらけなんだけどさ。

そーゆーくだらねーことを考えちゃう輩が27年も経つのに「なかなか」いないので、こーやってえらそーに講釈たれられるわけだな。あ、つまりニーズも無いのかしら。

兎も角、1978年11月25日は「日本語ロック史」にとって「夜明け」だったと云えるでしょう。「ONDO」と「YMO」と「RINGO」が、同時に出現したのですから。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-6-9〜6-11 全3回連作



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2005年07月17日

「everybody's got something to hide except me and my monkey」

セシルカットブルース


「コジマ・ロックンロール・キャラバン Vol.3」で小島麻由美を観た。

今年、4回目のコジマユだが、今回の編成はギターの塚本さん、ウッドベースの長山さん、太鼓の ASA-CHANG での「ギター・トリオ」だった。先月は塚本さん抜きだと云うので、心配して居たのだけど「毎回なんか変えたいね」とゆー我侭炸裂!ゆえだったみたい。とほほ。で、あたくしが観た4回もすべて編成が違っていたわけだ。

対バンの菊地さんは予想通りのフリー・ジャズ風味で、またーりとしたムードに包まれた処に、いきなりアップ・テンポでギター・カッティング・ヴァージョンとなった「セシルカットブルース」で幕を明けた。もともと大好きな曲のうえ最近ライヴで何故か演らなくなっていたので、此の一発目で「やられちゃった」。つづけて「結婚相談所」「マイモンキーはブルー」「わいわいわい」「私の運命線」と必殺のレア選曲に目眩がした。「dig dig (doo ron ron)」は、思わず一緒にうたってしまった。「ろくでなし」もひさしぶりに歌ってくれた。

後半は ASA-CHANG 仕様の定番選曲となったけど、今回はなんたって前半!此れは9月のワンマンが楽しみだ。兎に角、コジマユは日本一うたが上手いし、素晴らしい楽曲を山程書いていて、そのうえ誰よりもカヴァーが得意なんだぞ。此のひとこそ、カヴァー盤を出すべきなんだよ。それにしても ASA-CHANG の太鼓はウルサい。そして「ひまわり」での塚本さんのソロは本当に美しい。先月「ひまわり」を演奏したんだろうか?あたくしは塚本さんが居ない「ひまわり」なんて、絶対に聴きたくないよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 23:16| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年09月24日

「コジマ!コジマ!」

KOJIMA MAYUMI’S PAPERBACK


「コジマ・ロックンロール・キャラバン VOL.5」で小島麻由美を観た。渋谷クアトロで、マンスリーでやって来た対バン企画のラストは、ワンマン・ツアーの最終日ともなっておりまして、流石に「もうひとりの小島さん」こと那奈ヲタのあたくしも行かないってわけにはイカンのですよ。

もう昨日になってしまったけど、23日は、片瀬那奈ちゃんの初主演映画が配信され、TV出演も在った。でもって、此の「那奈ちゃん祭り」はまだ続いてる。此の後は、片瀬那奈ちゃんのドラマ?が放映されるんだよ。そんな「那奈ちゃん記念日」でも、あたくしは「コジマユ」を観に行った。だってあたくしは、かつて片瀬那奈ちゃんとコジマユの学祭を梯子した(たぶん此の世でたったひとりの)「小島好き」なんだもんな。

全21曲、新旧取り混ぜた選曲で、メムバーは、ギターの塚本さん、ウッドベースの長山さん、太鼓の ASA-CHANG 、ピアノのKYONさん。あんな状況でもアンコールをやらないって、頑なな姿勢に不満が無いわけじゃない。でも、今回は「そんなこと云ってはいけません」な。あたくしは、コジマユが大好きだよ。さて、もうひとりの小島さんの番組が始まったよ。

さてさて、コジマユの新作に関しても書いておこうか。新作って云ってもライヴで歌った「サマータイム」のことぢゃないよ。歌い終えて、次に行く時に「一寸休む」って云うほどの熱唱だったし、いや、あの、普通はしませんよ。平気で客に背を向けてバンドのメムバアと勝手に話し始めたり、疲れたから休むとか、やんないです。でも、其れでこそ「小島麻由美」なのだ!「ミュージカル(仮)」なんてタイトルも似合う名曲の香りがしたけど(おいおい、語ってるじゃないかよっ!)よーするに、コジマユは昨年の「パブロの恋人」以来、サントラ盤への提供以外、全く新作を発表していないのです。アルバムは勿論、シングルすら無いのです。で、何をやってたのかってぇーとライヴなんですな。てか、今年最初に観た時(二月かな?)に「またアルバム作りますよ。発売は、来年です」と云っていたよな。「おいおい、二月に来年の話かよっ!」と、普通ならツッコミたくもなるのですが、其れでも其れでこそ、小島麻由美だから、だ〜れも文句云えないどころか喜んで聴いてるんですナァ。で、今年は生でたっぷりと観れるんだから(実際、コアな片には負けますけど、あたくしも5回観たもんな)我慢しろよってことか?いや、もう毎年新作を出すなんてぇのも流行りじゃねーよな。でも、デビュー10周年なんじゃねーの?なんか出せよ。ってことで出たのが「KOJIMA MAYUMI’S PAPERBACK」なんだな。

此れが、もう、なんだかなぁって本なんだよ。コジマさーん、此れって、らくがき帖ですかぁ?此れで商売になるんだからなぁ。でも、おまけのCDが在るんで買わないわけにはイカンのね。デビュー前のデモが5曲入ってまして、此れがええんだな。なにせ、あたくしはブート好きだからね。そりゃ、公式音源には敵わないのだけど、デモは好きなひとには堪りませんよ。10代のコジマユが、もうコジマユだってのが、確認出来るだけで、充分だもんな。あたくしにとって、コジマユって、やっぱ「THE KINKS」だよ。ゴリラズとかを「はぁ?」って思うのは、レイを長年聴いてるからだもんな。ん?またオヤジの説教が始まったって思ったか?

ポールの新作を聴いて「クイーンやジェフ・ベックやレディオヘッドやブラーやオアシスやトラヴィスやジョン・レノンやジョージ・ハリスンやストーンズやクラプトンや(以下略、をいっぱいパクってるね。サイテーなオヤジだな」とか、釣りなんだろーけど、浅過ぎる。若僧よ、えらそーに、語るなよ。音楽は世界史かぁ?莫迦じゃねーの?つまんない伝説をつくってんのは、おまえらなんだぞ。何を云ってんのか、わかんねーだろーな。わかんなくて、えーよ。

そーゆー莫迦は「コジマユに触るなっ!!」


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2005年12月20日

「那奈枚目の SUGAR BABE」

SONGS 30th Anniversary Edition


1. あたしのあにさん

えー、巷では、本家の大師匠、御大ポールさまが4年振りのスタジオ盤だってことで、大騒ぎになってますけど、ウチのタツローあにさんなんか、那奈年振りなんでございます。ええご身分ですなって?滅相も無い。御大が4年間ぼけーっとしてたわけじゃない様に、クマあにさんも鬼の様に音楽を作りつづけているわけです。

7年の間、何もしてなかったわけではないことは、おそらく御贔屓さん以外でも知っているでしょう。あにさんの場合、古典の編集盤ですら新作同様の力を注ぐことは有名だし、おかみさんの作品も全面的に共同制作していますから、高座いやさツアー以外の時ってぇのは、常にスタジオでレコーディングしているんじゃねーの?って位、働いています。

J-WAVEでは「KISSからはじまるミステリー [ feat. RYO (from ケツメイシ) ]」がヘビロされてて、おいおい、唯我独尊のあにさんも時流に乗ったのか?なんて思われる方もいるかもしれません。キンキなんとかに書いた曲のセルフ・カヴァーで、相方がケツメイシ、普通なら「もーだめぽ」な展開ですけど、あにさんはあくまでもあにさんでした。此の曲に顕著な様に、今作ではレコーディングの方法自体を根本から変えています。50過ぎて、新たな挑戦ですよ。しかも、根っからの頑固さとガッツは不変なんですからね。あたしゃ、もう、驚きましたよ。此れを聴くと、あにさんがアイドル歌謡やJ-POPもしくはJ-HIP HOPに阿ったなんて感想は絶対に出てきませんな。やっぱ、あにさんは芸の鬼だよ。今日も午前中のJ-WAVEに出て、平気でバリーマンの話とか始めちゃうしなぁ。作曲家で聴くなんて発想が、もう時代と掛け離れておりますな。

ま「昔はガチンコで向き合う聴き方しかなかった」とか「だから、此れは部屋でヘッドフォンでひとりで聴け」とか云う頑固オヤジのヨタ噺に、仕事の手を止め大きく頷くあたしもあたしだけどね。悔しいけど、此のあにさんが居なけりゃ、あたしの音楽道は全然別のモンになってました。あにさんは、死ぬまであにさんでいて欲しい。クマあにさんは、大丈夫。全く心配しておりません。

ところで、肝心の師匠の方は、21年も新作を披露してないんですけど、古典でずっと行く気なんですかねぇ。


2. メドレー / 変わる過去〜捏造される未来

リミックス&リマスター盤の「WALLS AND BRIDGES」を手に取って、「あれっ?」と思った。ジャケットが違うのだ。

此の作品はアナログ時代には変型ジャケットで発売されていた。表には、ジョンが子供の頃に描いた水彩画が使われていて、でもそれは三分割されている。裏を見るとサングラスを沢山かけたジョンのアップで、三分割された部分を重ねてジョンの表情が変わると云う遊びが出来るモノだった。CD化された時に、そんな凝ったジャケットは再現出来ないので、表の一番下に隠されていた「Football」の絵が選ばれた。ところが、今回は本来は裏だったジョンのアップだ。しかも、御馴染みの「性悪な詐欺師」みたいな胡散臭い顔でも、「なさけない素顔」でもない。眼鏡を沢山かけてはいるけれど、なんだか優しそうな笑顔の写真になってしまった。裏が舌を出したジョンってのが救いだけど、なんだかなぁ。

此のオリジナル・ジャケットの裏は、ビートたけしや森高千里もアルバム・ジャケットでパロディ化したのだけど、おそらくあまり認知されなかったと思う。たけしは「俺たちのビートルズ・ソング」と云う曲を自ら作詞して歌っているし(但し、収録されたのは別のミニ・アルバム)、森高は其の作品(「TAIYO」)でベタ過ぎるが「HERE COMES THE SUN」をコピーしている。森高には「ペパーランド」と云うアルバムや「EVERYBODY'S GOT SOMETHING TO HIDE EXCEPT ME AND MY MONKEY」なんてかなり通好みの曲をコピーしたって事実もある。確か、アビイ・ロード・スタジオでもレコーディングしていたはずだ。森高に関しては、世間が大騒ぎする以前に、細野さんとのコラボで「はっぴいえんど」〜「はらいそ」時代を再現した過去もあり、かなり侮れない存在。てか、あたくしは「アローン」や「ミーハー」以来のファンだったりする。

話が大きくずれたな。いや、此れでええのだ。大瀧さんの最新対談( X 内田樹氏)を読んだのだけど、やはり、あたくしたちは、なんだかんだ云っても日本人なんだなぁ。例えば、何年か経ってアリシア・キーズを語る時に欧米人からは「ウタダ」や「ハマサキ」の名は出て来ないんですよ。でも、あたくしは死ぬまでアリシアの話に「片瀬那奈」を絡めると断言しちゃうもんな。アリシアと一緒に東京事変やaikoや大塚愛が流れている世界に、あたくしたちは居るんだよね。此処で「東京事変とaikoはわかるけど、大塚愛はねーだろー」って思ったら、イタイぞ。だって、あんなもん、洋楽的な立場でみたら、同じだろ?其れに「大塚愛って、実はすぎょいんじゃまいか?」って考えているのですよ。愛ちんちんに関しては、何れ深く考察しますよ。で、勿論逆も云えるわけで、極論すると「J-POP命のひとにとって、洋楽はすべて同じ」ってことだ。愛ちんちんは「英語だから、分らん!」と、一刀両断したらしい。

「THE EXOTIC BEATLES」と云う名カヴァー・コンピ盤シリーズがある。各国で発表された「変なカヴァー」を集めたもんでして、日本からも御馴染みの「イエローサブマリン音頭」を始め、何曲か収録されてきたのだけど、一緒に「犬や猫の鳴声」でのカヴァーなんかも入っているわけですよ。つまり、J-POPの位置付けは、其処なわけよ。

話は益々トッチラかってきたけど、最新対談で大瀧さんは、会社を辞める話で「GIRL」を歌ったと云ってるんだよなぁ。確かに前は「MICHELLE」を歌ったってきいた気がするのだけど、記憶違いだったのかな。まぁどっちも「RUBBER SOUL」の曲だから、案外両方歌ったのかもしれないな。こーゆーことは、とても気になるんだよね。

大瀧さんは「(もはや音楽に)オリジナルはない」とまで云ってる。すげぇなぁ。「「新作」と称するものはオリジナルに気がつかないか、あるいは隠しているかのカヴァー・ヴァージョンに過ぎないというのが僕の考え方。」かっこええっす、流石、師匠。あたくしも、勉強します。


3. 那奈枚目の SUGAR BABE

ついに「SONGS 30th Anniversary Edition」が出たよ。正確には7日に発売で、6日には店頭に並んだのだけど、ま、いろいろあったので紹介が遅れました。

今年は「NIAGARA」の30周年でありまして、師匠が二年前に予告していた「30周年盤」がスタートする年だったのです。ところが3月に出たのはレーベル二作目の「Niagara Moon 30th Anniversary Edition」だったので、第一弾の「SUGAR BABE / SONGS」は見送りなのかなぁ、と思いましたね。20周年盤CDの出来も良かったし、所属レコード会社の関係もあって師匠の一存では決められない作品ではあります。

ナイアガラの第一歩であり、彼等にとっても唯一のアルバムは、数奇な運命を辿った作品です。オリジナルは1975年4月25日にエレックから出ました。しかし、レーベルとして二作目の「NIAGARA MOON」を出した後、エレックは倒産します。エレックはインディーズだったし店頭に並ぶ期間も短かった為、この記念すべき初版は多くても500枚程度しか売れなかったと云われています。レーベルごとコロムビアに移籍し1976年10月25日に再発されますが、さっぱり売れません。なにせ、もうその時にはバンドは解散し、メムバーだったタツローたちもナイアガラから離れてしまっていたのです。タツローもター坊も1976年には、それぞれソロとしてデビュー盤を発表しています。それぞれのデビュー盤には、既に SUGAR BABE 時代にライヴで演奏していた楽曲も含まれています。そして「ひとりぽっちの師匠がもがきまくった第一期ナイアガラ」は70年代と共に崩壊し、80年代にCBS/ソニーで出直すこととなります。

1981年4月1日にソニー盤として再々発され「NAIAGARA FALL STARS」なる未発表音源集にも彼等のデモが初収録されましたが、此処で師匠の一世一代の大傑作「A LONG VACATION」が大ブレイク!!旧譜も釣られて売れ始めます。この頃には、SUGAR BABE のメムバーだったタツロー、ター坊、銀次などが次々に売れて「再評価の機運」も高まり、タツロー公認のepoによる「DOWN TOWN」のカヴァーが人気TVバラエティ番組のエンディングで使用されヒット、1982年にはオリジナル・ヴァージョンもシングル盤が再発されヒット!但しB面は「いつも通り」では無く、タツロー名儀ながら SUGAR BABE 時代の作品である「パレード」で、こちらも後にTVで使用されヒットします。此れらは「リバイバル・ヒット」ではありません。再発時に初めてヒットしたのです。ここまでが「アナログの時代」です。

CD時代に入り、ソニーから1986年6月1日に初CD化が実現します。これはオリジナル通りの曲数でしたが、全曲リミックスされており、賛否両論あったものです。あたくしはあまり好きではないです。そんな経緯からか此のCDは廃盤になり音源入手困難だった為、90年代になると「幻のバンド」との評価が定着します。所謂「渋谷系」と云われた当時の新鋭ミュージシャンがこぞって褒め讃え始め、飢餓感も高まった1994年4月10日、オリジナル・マスターでの初CD化が実現し、なんと20年前の作品がオリコン・チャートで3位まで上がると云う「奇妙な事態」となりました。「発売時は全く売れなかったのに、よっぽど今の音楽がツマンナイんですかね?」と皮肉を云いつつも気を良くしたタツローは「Sings SUGAR BABE」と云う「当時の楽曲だけのライヴ」を行い、ター坊もゲスト出演しました。二人のステージ共演は、約15年振りだったと思います。1999年には再発までされています。此れら20周年盤CDは、レーベルは「NIAGARA」ですが発売元がソニーではなく「タツローが所属するイースト・ウエスト(再発はワーナー)」からとなりました。オリジナル・マスターにボーナス・トラックが那奈曲も加えられています。

そして11年半経ち、衰えぬ人気と影響を公言する現在の新鋭ミュージシャンも現れた今、30周年盤がソニーから大瀧師匠入魂のリマスターで、実にアナログ時代から数えて「那奈回目」の発売を迎えたのです。収録されたのはオリジナルの11曲、LFデモの4曲、と15曲目までは、前回のCDと同じです。(LFデモの曲順は変更されています。)でも、その後に続く「想い」(これはあたしも初めて聴きました!)「いつも通り」のライヴと「ためいきばかり」「SUGAR」の別ミックス、「DOWN TOWN」のカラオケの5曲は、初登場音源です。(「SUGAR」の wild mix かっこえー!!)帯、ブックレット、歌詞カードなどはオリジナルのエレック盤を意識したモノで、全メムバーと大瀧さんの最新コメント付きです。価格も2100円(税込み)と値下げ!持っていないコは当然、94年盤を持っていても、買うしかないのだ。じゃあ前のCDはいらなくなったのかってぇと、「すてきなメロディー」「愛は幻」「今日はなんだか」のライヴは今回は収録されていないんだよね、ブックレットも全く違うのですよ。あはははは、やっぱナイアガラだわ。来年は「TRIANGLE vol.1」と「Go! Go!」が出るな、ホントに全部出す気ですね。つきあうよぉー。

タツローが云う通り、此の音楽は、ホントは単純に「ロケンロール」だった。だからこそ、此の音楽は永遠にかっこいいよ。


4. 伝説のグループ?笑っちゃうね。

今月号の「レコード・コレクターズ」は、SUGAR BABE の特集です。

先日30周年盤が発売され、タイムリーな企画です。が。此れはタツロー本人も困惑するくらい、本当に不可思議なことだと思います。日本のバンドでこれほどまでに評価が変化した例を、あたくしは知りません。確かにタツローもター坊も、ずっと現役で活躍しているし、大瀧さんのレーベルから出たと云うことも大きいのでしょう。それにしたって、一体どーなっているんだろう?

当時のター坊の曲なんか、シリータ・ライトにもろに影響されてたりして、あたくしは萌えましたねぇ。ソロの二作目までは今でも好きです。タツローやター坊の音楽は、ずっと好きでいられると思っていたものでした。それほど、彼等は絶対的な存在だったのです。結局、SUGAR BABE 以上に好きにはなれなかったけれど、それは仕方ないことだったのかもしれません。其の事実に気が付くまで、20年もかかってしまったけれど無駄ではなかったよ。

しかし、謎だ。タツローもター坊も基本的な音楽性は変わっていないのに、何故、此処にしかあたくしにとっての「素敵なメロディー」は無いんだろう?其れは当事者であるター坊がタツローのソロ・デビュー・アルバム「サーカス・タウン」を聴いた時の感想「ああ、山下くんはこーゆー音楽がやりたかったんだ。SUGAR BABE ではできなかったんだなって思った」で説明できるのでしょう。SUGAR BABE で演奏していた楽曲も含むアルバムで、全く違うアプローチをされたのですからね。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-9-15、12-4、12-9、12-20 全4回連作



posted by 栗 at 23:48| ONDO | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

「音楽の必然」

All About Niagara 1973‐1979+α


其の壱

大瀧さんの指摘で「ふたりのシーズン」の元ネタが「サマータイム」だと解ったくらいですから、あたくしの耳なんてまったくもってダメですな。「サマータイム」って曲は師匠もおっしゃってますけど、ゾンビーズ自身がファースト・アルバムでカヴァーしていまして、彼らのオリジナル・アルバムって二枚しかなくて、つまり二枚目で(と云うかシングルが売れたから二枚目が出たのだけど)「タイム・オブ・シーズン」なんだから、云われてみれば「なるほど」って噺なんですけどね。

どうも「サマータイム」ってゆーとジャニスの熱唱の印象が強く、ポールもカヴァーしてるのだけどジャニス版を洒落でやってる感じがしてね。でもゾンビーズの「サマータイム」を改めて聴くと、そこから「ふたりのシーズン」にまっすぐ繋がっているのが分ります。もともとはガーシュインの曲だけれど、それが変型して「ふたりのシーズン」になったり、同じ曲のはずなのにジャニスのオリジナルみたいになるってのが音楽でして、これこそが「インスパイヤ」いやさ「インスパイア」ってモンでしょうな。

かつては「著作権料よこせリクエスト大会」とか、最近では「音楽の偶然」なんてラジオのコーナーがあって、でもそれは素人でも分る相似形にすぎないわけです。先日もウルフルズの曲がイーグルスの「テイク・イット・イージー」に何故か似てるなんて指摘があって、ピストンは「うーん、これはアレンジって云うか雰囲気(なぜか変換出来たっ!!)が似てるんだね」なんて云ってにやにやみあみあしてましたけど、あたくしは初めてウルフルズのその曲を聴いて「これは、ビーチ・ボーイズの『コットン・フィールズ』そのまんまじゃねーかっ!」と思ったね。(余談ですが、トータスくんは少し前にラッパーと組んで♪初恋のあのこは〜♪とかゆー曲をやってたけど、耳があるなら誰でもカニエちゃんのショートケーキつーか替え歌だと。)

で、問題はイーグルスがビーチ・ボーイズからナニしてたってことが発覚しちゃうことですよ。ま、「コットン・フィールズ」ってのは彼らのオリジナルではなくフォーク・ソングのカヴァーなのだけど、それにしたってあのアレンジは紛れも無くビーチ・ボーイズのモノなわけでして。いや、でも、ビーチ・ボーイズのあのスタイルってのは、チャック・ベリーとフォー・フレッシュメンの融合ですから、結局は他にもビートルズとかストーンズとかの元になったチャック・ベリーじじいが一番なんだってことになってしまいますなぁ。でもでもでも、チャックにアレを教えたのはマイケル・J・フォックスだし、彼はジミヘンが好きで調子に乗って弾きまくってたぞ。だからだ、師匠のディック・デールあたりが元になっちまうんだよな、となるとタランティーノか、じゃあ僕らのチバちゃんが一番えらいんだな。

ん?あたくしは、なんの噺をしてたんだっけ?


其の弐

sweetbox の新しいアルバムに「Bold & Delicious」が収録されるらしいね。彼らは「Everything's Gonna Be Alright」など、クラシックをサンプリング(つーかそのまんまカラオケに)して、ラップと女性ヴォーカルを乗せるって楽曲が有名だけど、「Bold & Delicious」はそんな彼ら(つーかGEO)のオリジナルなんだってね。

最初にラジオで聴いた時には、てっきり「あゆ」が英語で歌っているのかと思ったのだけどね。ま、エイベックスお得意の「カヴァーがオリジナルより先に出る」ってやつなのかな?那奈ちゃんのデビュー曲を思わせる様な展開ではあります。ちなみに、女王あゆは勿論、sweetboxも片瀬クンも、みんな所属レコード会社はエイベックスです。

「Everything's Gonna Be Alright」ってのは、つまり「G線上のアリア」でして、下降進行コードなんですね。これは「カノン」進行と基本的には同じで、バロック音楽ってのは、みんなこんな感じなんですよ。(おいおい、そんなこと云って、えーのか?)でもって、これが「魔法の旋律」なのでして、バッハが「俺が作ったんだよ〜ん。だから、パクったら金をくれっ!」とか云ったら、いくらパッフェルベルが「もとは俺のカノンだけど、ま、えーや、おまいにくれてやる」って云っても、もう此の世にオリジナルなんてなくなってしまうんです。

高校時代の話です。あたくしは、覚えたてのプロコルハルムの「青い影」をつたないピアノで弾いていました。すると、幼少時代からピアノとヴァイオリンを習っていた友人が「おまえが弾いてるのはバッハだ」と云うのです。「いや、これは一寸昔のロックだよ」と返すと、彼は云いました。「そうかもしれないけど、もともとはクラシックの旋律だよ。歌が乗ってるだけだ。それは「G線上のアリア」って曲だ。」

ビートルズがクラシックの要素を取り入れたのは、20世紀最大の音楽集団と云われる所以のひとつですけど、其れは有名な「Yesterday」などだけを指すのではありません。「Hello Goodbye」のオケを聴いて下さいな。アレは紛れも無く「青い影」でして、つまり「G線上のアリア」なのです。そして其れは「カノン」進行に他ならないわけです。KREVAの「イッサイガッサイ」は「カノン」をそのまんまオケにした様な楽曲ですけど、そのKREVAが所属するKICK THE CAN CREWが(本人のお墨付きで)ラップでカヴァーした山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」も間奏で早回しアカペラでネタばれしている様に「カノン」です。間奏で早回しするってのは、ビートルズの「In My Life 」でのピアノ間奏早回しから繋がっていますが、そこでマーティンが弾いていたのも「カノン」です。マーティンは「YELLOW SUBMARINE」のサントラで「G線上のアリア」をそのまんま引用しています。

さて、本日はこのへんで勘弁しときましょうかね。なんてったって、今日はジョージのお誕生日だもん。「MY SWEET LOAD」を高らかに聴かなきゃならんっ!!

盗作なんて「さみしい噺」は、したくないね。


其の参

かつて「新世紀エヴァンゲリオン」の監督である庵野秀明氏は、過去の作品との類似を指摘され「エヴァは過去の名作をコラージュした作品だ」と開き直りました。つづけて「もはや意識しなくとも過去のコラージュになるのは必然であって、では何がオリジナルなのかと云えば、そこに加えた自分史しかない」と(うろおぼえだけど)語り、彼と同い歳であるあたくしは「なるほどね」と思ったものです。

大瀧師匠が「「新作」と称するものはオリジナルに気がつかないか、あるいは隠しているかのカヴァー・ヴァージョンに過ぎないというのが僕の考え方。」と語ったことは、以前も書きましたが、10ccは「オレたちが始めた頃は、元ネタなんてビートルズとかビーチ・ボーイズくらいしかなかったから、そりゃもう大変だったんだぞ。今の若僧は、なんでも揃ってんだから楽勝だろ?がっはっはっは」とオヤジ節を炸裂していましたね。流石はギズモなんて変な楽器を考案したうえ、分裂しただけはありますね。ま、前記の発言をしたのはエリックとグレアムの方で「なんだかんだ云ったって「I'M NOT IN LOVE」を書いたのはオレたちなんだから、あっち(ゴドレー&クレーム)が10ccなわけねーだろ?」とか云いたい放題でしたね。そのうえ「向こうと仲が悪いって?んなわけねーだろ、オレさま(エリック)の女房の妹はロル(クレーム)のかみさんなんだぞ。今でも隣に住んでるよ。つまりオレたちはファミリーなんだよ」と来るんだからね。てか、今じゃグレアムだけで10ccなんだってね。あ、随分と脱線したな。

ま、そーゆーわけで、「過去の遺産の上からしか新作は生まれない」(タツロー・談)のですから、やれ「パクリ」だ、それ「盗作」だ、なんて「淋しい噺」は、もーええじゃまいか。「オマージュ」とか「パロディ」とか色々と言い換えたところで、やってることは一緒なんですから、「はい、ショートケーキしましたけど、何か?」で構わないでしょ。

「 ん な こ た ー な い 」

なんでかってぇーと、そりゃつまりアレだ、そーゆーのを全部一緒にしちゃうと「合意のうえで愛のあるセックルをしたのとレイプでは、やってる行為は同じなんだから」ってことになるでしょ?ん、違うか。じゃあ、こーゆーことか。妙子「ノビュキはカナさんをしゅきになって、カナさんと寝たんれしょ?」伸木「ああ、寝たよっ!でも一度だけだ」妙子「一度れも寝たことに変わりはないやないっ!れったいに許さないっ!!キーーっ!!!」伸木「おまえだって、あの金井とかゆー学生と寝たんだろ?」妙子「潤くんとは、一回目は新鮮らった。二回目で冷めた。三回で飽きて、別れたのよさ、あっちょんぶりけ」伸木「なにぃ?三回も寝たのかぁーっ!!俺は、家を出るっ!」妙子「れったいに、認めないっ!」(おいおい、みーちゃんは?)ってことに、あれ?なんの噺をしてたんだっけ?

例えば、「(Just Like) STARTING OVER」と云うジョン・レノンの有名な曲があります。エルヴィスとロイ・オービソンを意識した展開で、歌い方やアレンジもそれ風にしたオールディーズのパロディみたいな曲で、イントロには自身の傑作「MOTHER」を茶化した趣向まで取り入れています。で、この曲、いろんな過去の曲からメロディーも引用していて、そのひとつにビーチ・ボーイズの「DON'T WORRY BABY」がよく挙げられますね。ところが、その「DON'T WORRY BABY」ってのは、ロネッツの「BE MY BABY」を意識してブライアンが書いた曲なのです。所謂アンサー・ソングってことなんでしょうね、わざわざ「BABY」ってネタ元を明かして、同じ様に太鼓で始めているのですから。その「BE MY BABY」をプロデュースしたのが、フィル・スペクターで、ジョンとは浅からぬ関係です。なにせ、ジョン自身がスペクターのプロデュースで「BE MY BABY」をカヴァーしていますからね。♪く〜るり〜く〜るり〜♪

そして、ジョージの「MY SWEET LOAD」をプロデュースしたのもスペクターなのです。盗作問題で騒がれたシフォンズの「HE'S SO FINE」は、ロネッツの「BE MY BABY」と同時代の曲で同じ様なガールズ・グループによる作品でありまして、スペクターが知らないわけがないんですよ。「MY SWEET LOAD」はジョージではなく、ビリー・プレストンによるカヴァーの方が二ヶ月ほど先に発表されていて、もともとビリーが弾くゴスペル風リフから出来た曲だとも云われています。つまり、セルフ・カヴァーで、ビリーへの提供曲だったのでしょう。ビリーによるヴァージョンを聴くと「HE'S SO FINE」を連想するのは困難です。よーするに、スペクターは意図的に、それをかつての自身へのオマージュへとつくりかえたのではないでしょうか。それを「盗作」で片付けてしまうのは、大瀧師匠の発言を借りれば「あの裁判官は音楽のことをまったくわかっていない」ってことなのでは?と思う今日このごろ、みなさん如何お過ごしですか?


其の肆

ビートルズはカヴァーを得意としたバンドでもあったのですが、なにせレコード・デビューをした頃には長い下積みを経ていて完全に出来上がっていた為、公式盤ではわずか24曲程度しかカヴァーを聴くことが出来なかったのです。しかし、ソロになってからジョンは決定盤とも云えるカヴァー集「ロケンロール」1975 を発表してくれたし、ポールも「CHOBA B CCCP」1988 と「RUN DEVIL RUN」1999(こちらはオリジナルも3曲含みますが)と、ビートルズの起源を知らしめる名盤を残しています。そして、BBCでのラジオ音源も公式化されました。以前も書いたことですが、公式では2枚組でオリジナル・アルバムでは聴けなかったカヴァー曲が多く収録されていますし、ウチには10枚組の箱があります。「ジョンとヨーコのバラード」が「LONESOME TEARS IN MY EYES」(Johnny Burnetto Trio) のパクリだと云われるのは、そりゃ聴けばギター・フレーズなんかまんまなのだから当たり前なのですけど、BBC音源でジョン本人の歌でカヴァーしているから発覚したってのが、ホントのトコなんじゃないかな。

ポールが語る様に「ビートルズは盗作集団」なのでありまして、また、それを自ら明かすのが好きみたいです。例えば、彼らはライヴの最後はリトル・リチャードの「のっぽのサリー」で締めるっての定番だったのだけど、「やっぱ、オリジナルで終わりてーよな」ってことになりまして、ポールが「I'M DOWN」を書くわけです。リトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It)」を観て、一気に書き上げたのだそうですよ。そりゃそーでしょー、まんまじゃねーか。「のっぽのサリー」と「女はそれを我慢できない」を足して割ると「I'M DOWN」になるんですよ。ポールって、分り易いよなぁ。ま、「リトル・リチャードはポールがお好き」だったので、なんの問題もなかったのですけどね。

そんな古いロケンロールのコンピ盤を聴いていると、Johnny and the Hurricanes の「CROSSFIRE」って曲に出逢えます。これを指摘しているのをあたくしは未だに知らないのですが、この曲ってインストなんだけど「SHE'S A WOMAN」そのまんまなんですよ。ポール、おまえって奴は。「Yesterday」を書いた時に、あんまり簡単に出来たので「これは盗作じゃないのか?」とみんなに訊いたって噺があるけど、なるほど「そりゃーマエがあるんだから、心配だろーよっ!!」とほほ。

さてさて、ショートケーキの噺でジョージの「MY SWEET LOAD」と同じくらいに有名なのが、「COME TOGETHER」です。これはチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」の盗作だと云われ「訴えてやるっ!」って話になっていたのです。勿論、チャックは漢ですから、そんなこたぁーしません。出版権を持っていた野郎(敢えて名は伏せるが、モーリス・レヴィという阿呆である)が、ジョンに文句をつけたわけですよ。でもって、裁判沙汰にするよりもジョンが自分が出版権を持つ楽曲をレコードに入れた方が儲かるって考えて、三曲カヴァーしろってことになったわけだ。そんな事情もあって「ロケンロール」が出たのだけど、ジョンはよりによって「YOU CAN'T CATCH ME」そのものをカヴァーして収録したのです。かっこええっ!!

で、ここで問題なのは「COME TOGETHER」を書いたのは確かにジョンだけど、クレジットは「レノン・マッカートニー」なわけで、ポールにも責任があるんじゃないんでしょうか?ええ、彼はちゃんとやってました。「ロケンロール」にはバディ・ホリーのカヴァーも入っていて、なんとその版権をポールは買っていたのです。つまり「ロケンロール」が売れれば、モーリスも儲かるけど、ポールも儲かるわけだ。

まったく、ポール、お前って奴は。


其の伍

何故このシリーズが「ONDO」カテゴリなのか?と突っ込まれる前に解説しておきましょう。「ONDO」と云うカテゴリでは「日本語のロック」を語って参りました。そして其れは「大瀧詠一」師匠が23年も前に提唱した「分母分子論」へと繋がっています。ですから、「此れはなんちゃらのパクリだ、盗作だ、エピゴーネンだ、やーい!やーい!!」なんて噺をしたいのではありません。「何処から来て、何処へ行くのか」を、考えているだけなのです。

日本の大衆音楽と云うのは「J-POP」に限らず、すべてが洋楽から始まっています。クラシックやジャズは当然ですけど、演歌もジャズや韓国歌謡が変化したモノですし、文部省唱歌なんてのもすべて洋楽を翻訳したモノ(よーするに替え歌だな)でありまして、「蛍の光」だってスコットランド民謡です。「君が代」ですら、日本独自のメロディーではありません。明治以前の雅楽や民謡あたりまで遡らないと、独自のメロディーなんてないのです。いくら洋楽が好きでも、私たちは、どうやっても英語圏のひとにはなれません。日本人なのだから、おとなしく日本語のうたを聴いて楽しんでいればええのでしょうけど、残念ながら其れらはすべて洋楽の翻訳です。王様がやる「直訳ロック」と、最先端のカッチョエエ「日本語ヒップホップ・ユニットの楽曲」は、立ち位置になんら変わりはないわけですよ。例えば、♪I believe myself 信じることで〜♪この不可思議な詩は、一体なんなのでしょう?「危険が危ない」天才バカボンのパパみたいじゃないですか。でも、それが当たり前になっているのが日本のヒット曲です。九ちゃんやミコちゃんの「ヒッパレ時代」から、まったく進歩していません。何故か?其れは、元が洋楽だからなのです。

大瀧さんは、はっぴいえんど時代に日本語を洋楽に乗せる為に、松本隆氏が書いた詩をすべてローマ字にして英語感覚で乗せたとのこと。それは、ある意味、もはや日本語ではありません。だから「春よ来い」では♪お正月といえば〜炬燵を囲んで〜お雑煮を食べながら〜歌留多をしてた、もぉおおおのおおおおでえ〜す♪なんてトンデモな展開になりました。ここで一番印象に残るのは「ものです」って部分で、其れには本来なら強い意味などないのです。後の「A LONG VACATION」では、いよいよ凄いことになって来ます。「恋するカレン」の冒頭で「キャンドルを暗くしてスローな曲がかかると」と云う部分を♪きゃーんどるをーくーらくしいてえ〜すーろぉおおおおなきょくがかかると〜♪ですよ。「スロー」ってもともと英語なのに、日本語として気持ち良くうたう為に解体されてしまったのです。明らかに洋楽を元にした大瀧さんの楽曲が、日本語で歌った瞬間に「歌謡」になるのですから面白いですね。

さて、「ラ・バンバ」と「ツィスト・アンド・シャウト」が、同じコード進行なので一緒に歌えるってのは分り易いのですが、ディランの「LIKE A ROLLING STONE」も一緒に歌えるってトコが「音楽の必然」です。ディランがエレキ・ギターを持ったのは、アニマルズの「朝日があたる家」を聴いて衝撃を受けたからといわれています。つまりトラディショナル・ソングでも、アレンジ次第でロケンロールになるのだと開眼したのです。それで出来た「LIKE A ROLLING STONE」が、アイズレーからヒントを得たとは考えにくいですね。リフはビートルズがカヴァーした「TWIST & SHOUT」からの転用でしょう。ちなみに、1971年のジョンのお誕生日パーティーで仲間たちと酔っぱらって演奏したテープを聴いたことがあるのですが、そこでジョンは「TWIST & SHOUT〜LIKE A ROLLING STONE」と云う曲を演奏しています。


其の陸

日本では、洋楽から影響を受けて発生した音楽が、段々と其のルーツを見失っていくと云う傾向が、遥か昔からあります。ロカビリーの頃、最初にカヴァーをしたひとたちは間違いなく「エルヴィス」を日本語でやっている気持ちだったでしょうね。そこでオリジナルをやってみようってなると、どうも変なことになってしまう。そもそも「若大将」が語る様に「エルヴィスを日本語でやるなんて、馬鹿じゃないのか?」だったのですから、致し方ない。

坂本九ちゃんは、自分では「エルヴィス」のマネをしているつもりで「GIブルース」なんかを日本語でうたっていたのですが、それはまったく別のモノにしか聴こえません。東京ビートルズを聴いて、それがビートルズを日本語にしただけとは到底思えない様に、言語の問題も大きいけれど、なんてったって音が違うのです。そして、その九ちゃんに憧れて歌手になるってコが出てきます。「エルヴィス」と「彼」の間には、「九ちゃんが存在する」わけで、そーすると♪あのこはルイジアナママ、やって来たのはニューオリン、髪はキンキラ目は青さ、本物だよデキシクイン、まぁーいるじあなまま、ほにおりん♪なんてことになるのです。

GS時代には、かなり優秀なミュージシャンも出てくるのですけど、芸能界のシステムへ巻き込まれメジャーな連中は歌謡曲化していきます。けれど、GSがお手本にしていたのは紛れも無く同時代の英米のロックだったわけです。ところが、そのGSにあこがれて音楽の道へと進むと、当然「洋楽と彼らの間にはGSが存在」します。フォークでも、岡林でも拓郎でも泉谷でも、当初は明らかに「ディランの翻訳」から始まっています。しかし、その日本語フォークに感化されて現れた方たちにとっては、ディランよりも岡林の方が重要だったから「四畳半フォーク」なんて奇怪な世界が登場したりします。其の岡林のバックバンドも担当した「はっぴいえんど」も、日本語ロックを作ったつもりが「ニューミュージック」なんてわけわからないカテゴリの元になってしまいました。

アリシア・キーズが普通に自分が生まれる前のソウルを歌ったり、ノラ・ジョーンズがカントリーのバンドをやったりするのは、彼女たちのルーツがしっかりとそばにあるからでしょう。それと同じ様なことを日本のミュージシャンがやるのは、とても困難なことだと思います。はっきり云ってしまうと、邦楽には原点回帰が出来ないのです。だって、其れは自国には無いのですから。自分のルーツがどこにあるのかを知らずに音楽を作っているのでは、とてもおつきあいする気にはなれません。

ジョンの「ロケンロール」を聴けば、彼が何処から来たのかが、はっきりと分ります。アリシアのステージを観れば、何故に彼女が歌っているのかが、明確に示されます。かたや、洋楽の替え歌をやっていながら、最新洋楽チャートの感想を訊かれ「何言ってんのか分らん」って、スゲエよ。彼女(大塚愛ちんちん)は、自分が何をやっているのか、分っていないのです。ユーミンやサザンを、もっと言えばドリカムやコムロやミスチルを、更に言ってしまうとミーシャやヒッキーやaikoや林檎あたりを「ルーツ」として、新しいコが出てきます。ユーミンですら、洋楽との間にGSが存在しています。その「ユーミンに勝つ!」と出て来たドリカムと洋楽の間にはユーミンとGSが入ってきます。さらにそのドリカムを手本にしたコには、単純なバカラックやカーペンターズやアースやエルトンなどの超有名曲からの引用すら、もはや「わからない」のです。だからこそ、そうゆーコが相似形を発見すると「盗作」としか思えないわけですよ。で、こーゆーのは「アリ」なんだって、普通に考えてつまらないことをやってしまうのでしょう。あたくしはドリカムを積極的に好きな方ではないのだけど、例えば「晴れたらいいね」とか云う曲のエンディングが、バカラックの「雨にぬれても」からの引用だってのは、納得がいくのです。ちゃんと世界観が繋がっていますからね。

一体、何故、そこにその旋律が出てくるのか?音楽を愛する方たちにきちんとその「構図」を説明出来ないでやってるのが「盗作」ってモンなんじゃないでしょうか。本人がおっしゃる通り、何もわかってないのでしょう。


其の那奈〜未亜イコ対談篇〜

未亜:ねえ、姐御、東京事変の新作のタイトル、知ってます?

イコ:「大人」と書いて「アダルト」だろ?つまんね。

未亜:そーじゃなくって、次のやつですよ。なんかね、「アダルト・ヴィデオ」ってタイトルらしいよ。

イコ:はあ、益々つまらんな。林檎が5Pでもやらかすのか?いよいよ終わったな。

未亜:そんなこといったら、コアな林檎ちゃんヲタに殺められちゃいますよ。ガクガクブルブル。

イコ:「大人」だの「AV」だの、本人は気が利いてるつもりなんだろ?イタすぎるんだよ。はい、撤収。

未亜:あーあ、姐御はついに全国数千万の林檎ちゃん好きを敵に回しましたね。ぼかあ、無関係ですからね。

イコ:おまえは、「愛ゆえに」って10ccの名曲でも聴き直して出直せよ。ダメなもんはダメなんだよ。無理してついていくなんて、それこそ失礼じゃないのさ。スライだってダメになっちまうのが、商業音楽ってもんだよ。

未亜:さっきまでスティーヴィーを聴いていたのに、スライですか。

イコ:全然おかしくないだろ?音楽は♪ふぁんきー♪が一番えらいんだよ。あたくしはな、トリビュート盤より、やっぱオリジナルを聴け!と声を大にして言いたいわけだ。

未亜:それは酔った勢いで、その日に買った新品を未開封であげちゃったからでしょ?負け惜しみなんじゃないの。大体いま聴いてんのって、お手軽なベスト盤じゃん。

イコ:はて?一体なんの話やら。

未亜:まー、スティーヴィーからスライってのは分らなくも無いんだけどさ、なんで次に「クレイジーキャッツ HONDARA盤」を待機させているんですか?どーして姐御は、スライから植木屋に繋げるわけ?

イコ:おまえさんは音楽を知らないな。むふふふふ。

未亜:はあ?こんな展開は、単なる姐御の趣味じゃん。スライと「スーダラ節」なんて、無関係ですよ。

イコ:つくづくノータリンだな。スライと植木等がやってんのは、まったくおんなじことじゃないの。おまえはジャンルとかに捕われているだけなんだよ。スライも植木屋も「意味もなくひとを昂揚させる」パワーを発散しまくってるじゃないか。これはまったくもって同じ構図なんだよ。♪すた〜ん!ななななななななな♪ってのと、♪そーのうちなんとかな〜るだろぉおお〜ぶわはっはっはっ!♪ってのは、同じことを言ってるの。

未亜:姐御は狂ってる。

イコ:ばかもん!大瀧師匠は、エルヴィスの「ハウンド・ドッグ」と植木さんの「スーダラ節」は同じだって言ってるぞ。

未亜:そんな姐御以上にわけわからん先達の発言なんて、もっとイカレてますよっ!!

イコ:「遺憾に存じます」のイントロは、ビートルズの「抱きしめたい」と同じじゃないか。ギターを弾いている寺内タケシ様はな、ここだけの話だけど「エレキ・ギターは俺さまが発明した」と公言してるんだぞ。

未亜:そんな俺さま節は、若大将の「俺さまの方がビートルズなんかより先にエルヴィスを聴いてたし、多重録音だってやってたんだ」ってのと同じですよ。「武道館でライヴってのも、ビートルズと俺さまが草分けだ」とか言ってるけど、若大将は映画のロケでの話じゃないですか。

イコ:でも、若大将は嘘をついてねーだろ?確かに彼の方が年上なんだし生まれながらにして金持ちだったんだから、ビートルズなんか小僧だったんだよ。ビートルズが全米制覇する一年も前に、坂本九の「スキヤキ」は全米チャートで首位に立っているのだよ。「スーダラ節」は1961年に出たんだぞ。その頃、ビートルズなんてハンブルグで便座を首にかけて歌ってたんだからな。なんもかんもが、ビートルズから始まったわけじゃないのだよ。

未亜:あのぉ、、、「なんもかんもが、ビートルズから始まった」って、姐御の決め台詞じゃないですか。

イコ:んなもん、わかりやすいからそーいっとくだけだよ。説明すんのが面倒くさいだろ?便利なんだよ、ビートルズから始まったってのは。ほら、日本でもとりあえず「はっぴいえんど」からとか言っとくと、若僧なんかは妙に納得するだろ?GSだのヒッパレだのロカビリーだのと掘り下げていったら、話が始まんないからな。

未亜:いや、充分掘り下げまくってませんか?アキラだのクレイジーだの。

イコ:そりゃおまえ、若僧の頃から大瀧さんだの細野さんだのタツローだのに鍛えられたからな。タツローなんか、もともと、まるっきりブラック・ミュージックじゃん。スティーヴィーやスライの70年代前半のアルバムなんか聴いてると、タツローだの茂だのが1975年にやっていたのはショートケーキばっかじゃん!ってことになっちゃいますな。

未亜:よく訴えられなかったね。

イコ:だって、日本じゃ誰も聴いてなかったんだもん。それに、タツローだって茂だって、さっぱり売れてなかったからね。ただ、それがその後の日本の音楽の主流になっていくわけよ。当時は「シティ・ミュージック」とかわけわからんジャンル分けになっていたんだけど、それってブラック・ミュージックの翻訳だったんだよね。大体が通好みで表面には出て来なかったんだけど、たまに例えば八神純子の「水色の雨」とかが歌謡曲化して売れるのさ。で、あれってスティーヴィーの「ANOTHER STAR」の替え歌だろ?

未亜:なるほど、そーやって売れると「パープル・タウン」みたいに訴えられるわけですね。

イコ:でさ、今はユーミンだのサザンだのタツローだのから始まっているのよ。その本質が隠れてしまったの。タツローが「誰も聴いてない音楽ばっか好んで聴いている僕の音楽が受け入れられるのが奇妙だ」とか、クワタが「自分が作った音楽が200万枚も売れるなんて理解できない」とか言ってた頃に、ユーミンは「200万枚売れるのは当然よ。だって、マーケティングして作ったんだもん」って言ったんだよ。で、それは、もう15年以上も昔の話なんだな。その後の90年代に何が起こって、今どーなっているのかは分るでしょ?

未亜:ヒッキーの1枚目は800万枚くらい売れたんだっけ?林檎ちゃんの「勝訴」も200万枚かな。確かに良い作品でしたけど、売れればええってもんじゃないんですね。

イコ:ま、クレイジーを聴いていると、そんなこたどーでもえ〜〜じゃまいか?って気分になるな。

未亜:なんだよ、それ。姐御の話なんか、マトモに聞くもんじゃないね。

イコ:さて、次は「WINGSPAN」でも観て、にやにやみあみあしよーかなっと。

未亜:だから、植木屋の次がポールって、なんのカンケーがあるんだよーっ!!

イコ:それはね、(以下、延々とつづくので、次回へ。)



其のタコ

MADONNA の「bootleg mix」を聴いてて思いますよ、DJってぇのはやりたい放題ですなぁ。公式リミックスですら原型を留めないほど解体し再構築されたモンを採用しているマドンナですから、bootleg なんてのはもはや無法地帯です。で、興味深いのは、他ならぬマドンナ本人がそーゆーことを楽しんでいる感じがするトコです。

「ユリイカ」誌での「近田vsピストン対談」でも、「マドンナはDJ感覚なのではないか?」と指摘されていますが、あたくしも同意見ですね。確かにマドンナの嗅覚は一歩先を読むDJ的なモンなのでしょう。でも、それだけではマドンナはマドンナになれませんね。だって、それならマドンナよりも例えば William Orbit とか sasha の方がより有名になってないとおかしいんですよ。でも「RAY OF LIGHT」は誰が何と言おうと「マドンナの作品」なのです。

DJは音源をピックアップして再構築するのだけど、マドンナはそういうDJやプロデューサーすらもピックアップする「スーパーDJ」であって、なにより「音楽家」なのです。あたくしは、彼女より以前からそんなことをやらかしていた御方を、ふたりほど存じております。そして、それこそが「サー・ポール・マッカートニー」と「大瀧詠一」と云う師匠であります。ポールに関してこれから述べることは、彼を御存知の方には説明不要で、よく知らない方には「ちんぷんかんぷん」でしょう。

「ビートルズで最も前衛的だったのは、ポールです」


未亜:おいおい、前衛っていえばヨーコと結ばれたジョンでしょう?ジョージだってインドだのシンセサイザーだのと新たな道を開いたじゃないですか。

イコ:いえいえ、それは彼らが自分の中になかったモノを求めた結果に過ぎませんよ。対してポールは、天然です。「YESTERDAY」を聴いてみてよ。1965年にロック・バンドが弦楽四重奏をバックにアコギのソロ弾き語りをやるなんて発想はありえないんだよ。それがプロデューサー「サー・ジョージ・マーティン」の手腕だとするなら、彼が同じ趣向で「YESTERDAY」の雛形としてプロデュースしたジェリー&ペースメーカーズの「YOU NEVER WALK ALONE」のダササ加減は一体なんなんだ?大体、そんな曲「コアなサッカー好き」でもない限り誰も知らないだろ。ほれ、これだよ、聴け。

未亜:げげっ。パット・プーンですか?これは、、、だ、だせ〜。

イコ:な、マーティンって、ちっともロックじゃないんだよ。あとね、ジョンが「いつも俺の曲が実験の場にされた」って言ってるけど、それはつまりポールが実験してたってことだろ?あの「Tomorrow Never Knows」でさえ、ポールの奇想天外なアレンジで完成したんだよ。中期以降のジョンのサイケ・ソングは全部ポールのアレンジでビートルズになったんだぞ。

未亜:おやおや、姐御はジョン派だと思ってたのに、実はポール派でしたか。

イコ:ぼけなすちゃんっ!おまえは何十年ビートルズを聴いてんだよっ!!ジョンとポールでビートルズだろーが。ふたりでひとつの「レノン・マッカートニー」なんだから、ジョン派もポール派もねーんだよ。ちなみに、あたくしは「ジョージ・ヲタ」なんだよ。覚えとけっ。

未亜:なんで怒られてんのかわかりません。


てなわけで、ポールはもともと「よこはまたそがれ♪あの〜ひと〜は♪」な御仁なのでありまして、「世紀のメロディーメイカー」なんてーのは、彼の一面だけを捕えたもんに過ぎないのです。ソロになってからの、多くのリミックスや別名プロジェクトを聴けば、ポールこそが「スーパーDJミュージシャン」の元祖だと思い知らされるわけだよ。ん?で、大瀧師匠はどーしてだって?そうか、君は「ラブジェネ」の主題歌で知ったんだもんな。わかったわかった、MDを作って強制的に聴かせてやろーじゃないか。マドンナは、ポールとナイアガラの娘だよ。あ、そーか、マドンナもよく知らないんだっけ?大丈夫。音楽は知識じゃない。こんなヨタ噺からは、音なんて出やしないだろ?好きなもんを好きに聴いていればええんだ。いや、ホントだよ。好きな音楽くらい、自分でみつけなきゃ、やってらんねーだろ?

そんなあたくしは、「SOMETHING 」の♪どわなりーはなー♪のトコは、「JUNK」の頭の♪もーたかーはんどばー♪と同じだってことに、ついさっきウクレレを弾いてて気付いたよ。当時、発売は「SOMETHING 」が先だったけど、「JUNK」が元だってのは現在なら明確な事実だね。なるほど、ポールが「SOMETHING 」をウクレレでやるわけだ。


#9

はっぴいえんどの「はいからはくち」が MOBY GRAPE の「Omaha」だったり、細野さんの「恋は桃色」が同じく MOBY GRAPE の「Right Before My Eyes」であるなんてのは、所謂「分る奴だけ分って欲しい」って感じなのでしょう。

細野さんの場合は「風来坊」(はっぴいえんど名儀)でToddの「Hello It's Me」を引用していたり、「風をあつめて」(同じくはっぴいえんど名儀)は James Taylor そのまんまだったり、後のYMOもクラフトワークとジョルジュオ・モローダーの融合だったりもするのですけど、なんとなく真面目な印象を受けます。でも、「はらいそ」の最後なんかを聴くと、やはり大瀧さんと同じバンドにいたひとなのだなぁ〜と妙に納得しますね。ひとことで言うと「ふざけてる」んです。音楽って、存在自体がコミカルなのですよ。

大瀧さんが曲を書いた「はいからはくち」は、何度もレコーディングし直され、その度に別のモノとなっていきます。「風街ろまん」ではハードなヴァージョンになり、その後のライヴではスカ風にアレンジされ、挙げ句に大瀧さんのソロ「ウララカ」と合体したフィル・スペクター風と原型を留めないカタチへと変貌します。「ウララカ」は、一聴して The Crystals の「DA DOO RON RON」を下敷きにしていると分るのですが、「はいからはくち」も構造としては全く同じであると言う種明かしを、音楽そのもので行っているのでしょう。「幸せな結末」にカップリングされた「HAPPY END で始めよう」を聴くと、それが「はいからはくち」と「ウララカ」を合体させた発展型だと分ります。この執念は、一体なんなのでしょう。

そんな「執念のひと」大瀧さんが尊敬する植木等さんの「遺憾に存じます」は、1965年11月15日に発売されています。ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が1967年ですから、GSブームに便乗して生まれた作品ではないことは明らかですね。クレージーのサウンドはジャズが基本ですが、ビートルズ来日の半年も前にエレキ・サウンドを導入してしまったのですから「ふざけて」います。ちなみに、美空ひばりがブルコメをバックにミニ・スカートで「真っ赤な太陽」を歌うのは、1967年6月です。どれだけクレイジーが早かったのかがお分かりになるでしょう。

ビートルズが来日した時に、彼らに逢ったのは若大将でしたけど、同じレコード会社と言う理由なら植木さんでも良かったんじゃないですかね。後輩のドリフは前座で出ていますから、話は在ったんじゃないでしょうか?ま、植木さんにとって、ビートルズなんて「ちゃんちゃらおかしい」小僧にすぎなかったのでしょうけど。(後に長渕剛が紅白で中継で三曲も熱唱した時に、「スーダラ伝説」を短縮版で歌った植木さんは「おや、まだうたってんの?」と言い、イラつく会場を和ませた。)植木さんやひばりちゃんによるエレキ作品を聴くと、明らかな違和感があります。それは洋楽の翻訳を超えてしまっているからなのでしょう。アキラの洋楽の解釈にも同じ様な「ちんぷんかんぷん」感が漂うのですが、アキラは天才だからなぁ。

クリスタル・ケイがジャム&ルイスのプロデュースによって英語で歌う曲を聴くと、ジャネット・ジャクソンとどこが違うのか、あたくしのつたない耳では判別がつきません。そして、それが、ついに洋楽と同じ立ち位置に来たとは到底思えないのです。そんな方法で、日本人はグラミーを取れるのでしょうか?ピンク・レディーや永ちゃんや聖子ちゃんやヒッキーなんかと同じことをやっていては、永遠に「スキヤキ」は食べられませんね。


「此の拙文を、多羅尾伴内師匠に捧ぐ」


(小島藺子/姫川未亜)

初出「COPY CONTROL」
2006-2-19、2-25〜3-1、3-4、3-11〜3-12、 全9回連作



posted by 栗 at 20:50| ONDO | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

「素晴らしき世界」

スウィンギン・キャラバン


1.「いっひっひっ」

小島麻由美の一年半ぶりの新作アルバムが、一週間前に発売されていました。あたくしは勝手に「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」の30周年盤と同じ「321」のナイアガラ記念日に発売されると勘違いしていて、本日ノコノコと買いに行きましたよ。すると、もうとっくに出てたって話じゃまいか。で、ナイアガラより先にコジマユを開封すると、7月のライヴ先行もとっくに始まっているって。そー云えば、最近、コジマユの公式も見てなかったと思い、慌てて覗くと「ミニ・ライヴ」や「ゲスト出演」もがんがんやっているじゃないですか。18日に渋谷で別のコジマさんを観ていた時も、隣の原宿でミニ・ライヴをやっていたんですね。どうやら、あたくし、バレンタイン・ライヴ告知以来2ヶ月くらい見てなかったみたいですよ。

 「 コ ジ マ ユ 正 直 す ま ん か っ た 」 

新作「スウィンギン・キャラバン」は、バックも御馴染みのメムバーで、プロデュースも毎度のことながらコジマユのダーリン(これってオフレコらしいのだけど、何故隠すのか不明です)で、一聴して「小島麻由美」と分る独特の世界が展開されています。

それなのに、なぜ、こんなにも「胸がときめいて」しまうのだろう。どの曲も、いつか聴いたメロディー。何度もレコードで、ライヴで聴いた懐かしさすら感じる「コジマユの声」。当然ながら、新作では「ラストショット!」や「サマータイム」の様な、曲の展開がくるくる変わる「コジマユ・ミュージカル」とでも呼びたい新機軸もしっかりとあります。「トルココーヒー」の「これでもかっ!」と畳み掛けるリフレインや、「みずうみ」の淡くて脆い美しさにも、益々磨きがかかっています。それでも、ここで聴ける「小島麻由美」は「KOJIMA MAYUMI’S PAPERBACK」のおまけCDで聴ける10代のデモ音源での瑞々しさを、いまだ保ち続けているのです。

10曲で「39:15」。CDをセットして、この表示をみるだけでも、あたくしは小島麻由美の新作を買って良かったと思います。そこから始まるのは、あたくしにとって「愛する音楽のすべて」なんです。「コジマユの美意識」は、決してあたくしを裏切らない。愛しの小島麻由美さん、素敵な新作をありがとう。7月のライヴで、またお逢い致しましょう。


2.「素晴らしき世界」

小島麻由美の新作「スウィンギン・キャラバン」は、傑作だと思います。最近のあたくしにしては、珍しくヘビロ状態になってしまいました。現在までの彼女のアルバムは僅か那奈枚です。他にライヴ盤とシングル・コンピ盤がそれぞれ1枚ずつ在ります。ライヴは当然すべて別テイクでスタジオ未発表曲入り、シングル集もアルバムとは別テイクを含む上に、至上の名曲「ぱぶろっく」など「何故ボツ音源だったのか分らないレア・トラック入り」ですので、この9枚はすべて必聴盤であります。更に言うなら、その「Me And My Monkey On the Moon〜Singles and Outtakes〜」以後に出たシングルにもすべてアルバム未収録曲や別テイクが満載なので、新たなコンピ盤でも出ない限りはすべて疎かには出来ません。

何故なら、小島麻由美には「駄作」や「捨て曲」がないからです。それを自ら証明したのが、昨年発売された「KOJIMA MAYUMI’S PAPERBACK」でした。あんなもんは、ただの「落書き帳」です。しかし、それを書いたのが「小島麻由美」だから「作品」になってしまったのです。最近は、どいつもこいつも「アーティスト」を名乗りますけど、あたくしが日本の大衆音楽家で紛れも無い「アーティスト」だと思うのは、「小島麻由美」しかいません。何故なら、彼女は「曲を書いて歌うことでしか生きていけないひと」だからです。今回の作品を聴いて、あたくしはあの「ブライアン・ウイルソン」を彼女に重ねてしまいました。

ブライアンの娘たちは、かなり変わった父親のことを恨んでいた時期もあったそうです。でも、自分たちも同じ音楽の世界に身を投じて、父親を許す気持ちになったのだそうです。曰く「あたしたちのパパは、美しい音楽を作るために生まれて来たの。」

小島麻由美も「美しい音楽を作るために生まれ」そして「生きている」のでしょう。なにより感動するのは、小島さんだって舞台裏では創作の苦悩もあるとは思うのに、そんなことはまったく感じさせないトコですね。無理をしているって思わせないんだから凄い。以前、半引退状態になった時期もあったのですけど、ホントに「花火をみてた」だけだったんじゃないのか?と思いますよ。きっと、そうだったんでしょう。

あたくしは英語のうたが大好きです。でも「小島麻由美」を聴いていると「この国に生まれてよかった」と、しみじみ思えるのです。「嗚呼、世界は美しい。」そんな幻が、本当だって信じられるんです。


(小島藺子/姫川未亜)

初出「COPY CONTROL」2006-3-21〜3-22 全2回連作



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2006年03月23日

「ナイアガラ・トライアングル」試論

Niagara Triangle Vol.1 30th Anniversary Edition


1.「ナイアガラ・トライアングル」試論 part 1

「ナイアガラはブリテッシュ・ロックやアメリカン・ポップスを継承しているから繋がるのは分るけれど、片瀬那奈へは簡単に繋がらないですよ。かなり遠いじゃないですか?」

なるほど、そりゃそーだ。(納得してどーする。)しかし、ひとは全く異なる音楽をバラバラに好きになってしまうのではないのです。あたくしが「那奈ヲタ」になったのは、彼女の容姿や人間性に惹かれたからでもありますが、それならば他の「なんとなく気になるおねえさん」と同じで「ヲタ」にまで症状は進みませんね。あたくしを「那奈ヲタ」へと変貌させたのは「歌手・片瀬那奈」です。彼女が音楽活動を始めなかったなら、「片瀬那奈全記録」も「那奈ちゃんねる」も、いや、おそらく「COPY CONTROL」すら始めていなかったでしょう。

話はいきなり変わりますが(これは片瀬クンの常套句なのですけど、実は「話は繋がっている」んですよ)、「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」の30周年盤がいよいよ発売されますね。今月号の「レコード・コレクターズ」誌でも特集されていまして、大瀧師匠とクマ、銀ちゃんの対談や師匠のインタビューなど読み応え充分なのですけど、音の方はまだ聴けないので1986年盤と1995年盤のCD音源を聴きながら予習してみました。その二枚を聴くだけで語ることが多過ぎると思いましたので、発売2日前から始めようとあいなったわけです。何故に同じレコードを聴いているのかと云うと、二枚のCDは別の作品だからです。そして、今回の30周年盤も、また別の作品となって登場するのです。もちろん、基本となるのは1976年のオリジナル・アナログ盤であり、その後の再発アナログ盤やCDも「同じ作品」でもあるのですが、フォーマットや品番が違うだけではなく、明らかに「別のミックス」や「未発表音源」が加えられています。

ナイアガラの1970年代の多くのアルバムは、1980年代にリミックスされ、初CD化の際にもリミックス音源が採用されていましたが、1990年代の再CD化でほとんどがオリジナル・マスターにもどされボーナス・トラックを加えたカタチになりました。そして現在、30周年盤としてリマスターされ、前回とは別のボーナス・トラック入りで毎年発表されています。ビートルズのアルバムがリマスターされて出たとしたら当然云われると同じ様に、これらの大瀧作品は「新作」なのです。

聴き直してみると、この作品の目玉は、やはり「ナイアガラ音頭」でした。タツローや銀ちゃんの作品も素晴らしいのだけど、「ナイアガラ音頭」の底知れぬパワーには、当時も現在も及ばなかった。ここで大滝がやっているのは、単なる「音頭」の模倣ではありません。別々に録音した邦楽伴奏と洋楽ロック伴奏をミックスしたオケの不可思議さが、兎に角、凄い。特に、教授がクラヴィネットを弾くシングル・ヴァージョンの奇怪さは、一体なんなのでしょう。大瀧師匠は今回の銀次との対談で「(坂本くんに)スティーヴィー・ワンダー調で弾いてもらったんだよ」と、さらりと言っています。

「はあ?何で音頭にスティーヴィーなんだよ?」その答えを探求すると「ビートルズはマドンナであって、さらに片瀬那奈なのだ」へと繋がるのですよ。


2.「ナイアガラ・トライアングル」試論 part 2

「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」は、発売当時(1976年)、前例の無い画期的なアルバムでした。「ナイアガラ・トライアングル」とは「山下達郎、伊藤銀次、大滝詠一」の三人によるグループ名で、1982年には、「佐野元春、杉真理、大滝詠一」の三人で再結成されます。第一期では、銀次の傑作「幸せにさよなら」で、第二期でも、大滝作の「A面で恋をして」で、それぞれの三人によるヴォーカルの共演も聴けます。そして、第一期ではその共演がシングルのみだったのがポイントです。

アルバムは、タツローと銀次が各4曲、大滝が3曲、別々に自分の集めたバンドで演奏し、各人でプロデュースしていて、それを並べたカタチになっています。その音楽性は一寸強引に括ると、アメリカン・ポップス&ソウルな山下、ブリティッシュ・ロック(リヴァプール・サウンド)の銀次、無国籍音楽の大滝と、一見てんでバラバラであります。タツローのきらめく様な「ドリーミング・デイ」で始まるレコードが、最後は大瀧&布谷の「ナイアガラ音頭」で終わるのですから、統一性のカケラもないと思えます。また、他のふたりの大活躍に比べて、大滝の影が薄い印象も受けがちです。プロデュース作が他二人より1曲少ない上に、なんと大滝のヴォーカル曲はたった一曲しか入ってないのですからね。(しかもそれも「NIAGARA MOON」のオケを流用した作品。)しかし、すべての楽曲のエンジニアとして「笛吹銅次」なる人物がクレジットされています。御存知の通り、これは大瀧師匠の数多ある変名のひとつです。ゆえに、これほど多様な楽曲を並べながらも、しっかりとしたトータリティーが生まれています。そして、三人別々のセレクションによって沢山のミュージシャンが参加しているのに、ほとんどすべての曲でまだ芸大に在学中だった坂本龍一がキーボードを弾いているのがミソですね。細野さんと教授の初セッションが聴けるのも、このアルバムなのです。

セッションは山下パートから始まった(1975年11月7日!)とのことで、当時、まだ「SUGAR BABE」は活動中でした。一説には、当初は彼らのセカンド・アルバムとして構想されたとも云われています。確かに「パレード」は「SUGAR BABE」の曲ですし、「ドリーミング・デイ」は「ター坊・作詞、タツロー・作曲」による意外にも珍しい合作です。「SONGS」に収録されなかった彼らの曲には、他にもタツローの「WINDY LADY」「YUMIN'」「こぬか雨」「ラスト・ステップ」、ター坊の「愛は幻」「約束」「からっぽの椅子」「時の始まり」などがありましたし、「ココナツ・ホリデイ」「指切り」「砂の女」などのカヴァー曲も秀逸で、二枚目を作るには充分過ぎるほどだったのですが。

「クライド・マック・バーガー」「福生スケッチ」なんて曲も収録されると言われましたが、それらはタツローの新曲の仮題でした。しかし「ホンダラ行進曲」をカヴァーする話は本当だったようです。事実、「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」制作中の1975年11月22日荻窪ロフトで SUGAR BABE(山下達郎、大貫妙子、村松邦男、寺尾次郎、上原裕) 、稲垣次郎、吉田美奈子、矢野顕子をバックに、大滝がアンコールの最後で「ホンダラ行進曲」を歌った記録が、しっかりと残っています。


3.「ナイアガラ・トライアングル」試論 part 3

「Niagara Triangle Vol.1 30th Anniversary Edition」を、やっと購入しましたよ。「ナイアガラ・トライアングル」の名前の由来が「Teenage Triangle」と「More Teenage Triangle」(James Darren , Shelley Fabares , Paul Peterson)と云うアルバムであるのは有名です。現在は「2on1」のカタチでCD化もされていますし「ジョニー・エンジェル」で御馴染みのシェリー・フェブレーの楽曲を聴く為だけに買っても損はない作品です。さてさて、リマスターされた30周年盤ですが、タツロー、銀次、大瀧師匠の新しい解説に、オリジナルの歌詞カードの復刻とブックレットも相変わらず楽しませてくれますね。肝心の音は、良いっ!!1986年盤のリミックスや1995年盤のオリジナル・マスターと比べても、格段に良くなっています。まだこの作品を聴いたことがない方は、迷わず30周年盤を買いましょう。内容は、絶対保証致します。

1995年盤では3曲だったボーナス・トラックも5曲に増えましたので、持っている方も絶対に買い!です。ん?2曲の為に買い直すのはイヤだって?甘い。本編の10曲の収録タイムを見比べてみると、すべて長くなっています。(数秒の違いが何だ?と思う方はベスト盤でも聴いて「すっこんでろっ!」)前回も入っていたシングル・ヴァージョンの3曲の音も、よりクリアですよ。そして新たに増えた「あなたが唄うナイアガラ音頭」(シングル「ナイアガラ音頭」B面、初CD化!)は、単なるカラオケなんかじゃありませんぞ。そしてそして、完全未発表音源「ココナツ・ホリデイ3日目」!!これは、もう聴くしかないっ!!なんだこりゃあーーーっ!!!なによりも嬉しかったのが、「ココナツ・ホリデイ’76」の完全版が初めてCD化されたことです。「7:14」(ちなみに1986年盤は「5:43」、1995年盤は「5:07」です)このエンディングを待っていました。そうだよ、アナログ盤はこれだったんだよなぁ。ひさしぶりに聴いて、その美しさと懐かしさと変わらぬ瑞々しさに、涙が出ました。「ココナツ・ホリデイ’76」「FUSSA STRUT Part-1」「あなたが唄うナイアガラ音頭」このインスト3曲を聴く為だけでも、購入する価値は充分過ぎるほどですよ。そのうえ、タツロー、銀次、大瀧師匠の名曲群も聴けて、「ナイアガラ音頭」をアルバムとシングルの両方聴けて、ナイアガラ・トライアングルでの「幸せにさよなら」まで聴けるなんて、夢じゃないのかしら?

なのに、師匠の気持ちは、既に次作(7月か?)の「GO! GO! NIAGARA 30周年盤」へ向かっている様です。えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、あみーご!あみーご!!


4.「ナイアガラ・トライアングル」試論 part 4

山下達郎のバンドと云われる「SUGAR BABE」ですが、「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」での4曲には「SONGS」でのタツローが(バンド活動中であったにも関わらず)既に希薄になっています。「パレード」は SUGAR BABE のレパートリーなのに大胆なアレンジを施され、ター坊との合作「ドリーミング・デイ」もタツローのソロに聴こえます。銀次の語りが素敵な傑作「遅すぎた別れ」と、名曲!「フライング・キッド」には、SUGAR BABE から飛び立とうとするソロ・アーティスト「山下達郎」が強く感じられます。それよりも、たった三ヶ月で脱退した銀次のプロデュース作「ココナツ・ホリデイ ’76」(コーラスが村松邦男とター坊)こそが、一番「SUGAR BABE」を感じさせるのです。この曲はライヴで SUGAR BABE も演奏していたし、なにより彼らの公式デビューである1973年9月21日のステージでも大滝パートで披露されている重要なナムバーではあるのだけれど、それよりも音の質感が「SUGAR BABE」なんですよ。

タツローは今作発表のわずか那奈ヶ月後の1976年10月25日に「サーカス・タウン」でソロ・デビューを果たします。ロスとニューヨークで海外ミュージシャンをバックに録音されたその作品には「WINDY LADY」や「ラスト・ステップ」といった SUGAR BABE 時代の曲も収録されているのに、全く違った姿で提示されていました。これを聴いて「ああ、(山下くんは)SUGAR BABE ではやりたいことが出来なかったんだなと思ったよ。」と発言したのがター坊ですが、その彼女もタツローよりも一ヶ月も早い1976年9月25日に「Grey Skies」でソロ・デビューしています。(SUGAR BABE の解散はその年の4月1日です。)そして、その「Grey Skies」こそ、最も SUGAR BABE の残像を内包した作品でした。「時の始まり」「約束」「愛は幻」の三曲は SUGAR BABE で演奏していた曲で、ここでもタツローがアレンジを担当、バックも山下、寺尾、上原の「元・SUGAR BABE」で固めています。そればかりか、細野さんと矢野誠さんのアレンジによる三曲を除いた、残り四曲(計那奈曲)でも彼らが演奏しているのです。

では、これはター坊による「SUGAR BABE」のセカンドなのか?と云うと、違うんだなぁ。その理由は、勿論「大貫妙子」と云うソロ・アーティストの発芽にもあるのですが、やはり彼女の次作を全面プロデュースすることになる男の存在が大きいのではないでしょうか。彼は前出の SUGAR BABE 絡み楽曲すべてに参加し、タツローがアレンジした曲以外の四曲ではアレンジも担当、細野さんがアレンジした二曲の内のひとつ「街」ではター坊と共にコーラス・アレンジまで担当(実際に歌うのは何故かタツローとター坊)と大活躍なんです。え?誰かって?それは「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」でも大活躍していた彼ですよ。おいおい、また「教授」かよ。


5.「ナイアガラ・トライアングル」試論 part 5

宮川泰さんが、21日に急死されました。御冥福をお祈り致します。

「作曲家の宮川泰さん死去「宇宙戦艦ヤマト」など手掛ける」(サンケイ 3/22付)

記事でも谷啓さんと植木さんがコメントされていますが、宮川さんは萩原哲晶さんを引き継ぎクレイジー・サウンドを作った偉大な作曲家です。勿論、他にも「ピーナッツの育ての親」とか、「『宇宙戦艦ヤマト』の音楽を作った男」とか、「紅白で『蛍の光』を指揮するひと」などなど、大きな功績を残した方なんです。例えば「ザ・ピーナッツ」がいなければ「桑田佳祐」は音楽を志していなかったかもしれませんし、「ヤマト」がなければ、後の「アニメ大国ニッポン」は始まっていなかったでしょう。そーなるとだ、ぼくらの那奈ちゃんは「ガンダム」も見れないし「サザン」も聴けない青春を生きなければならなくなってしまうのだよ。それでは「片瀬那奈」は生まれないじゃないか。そうそう、息子さんの宮川彬良さんは「マツケンサンバ II」でも御馴染みの作曲家ですよ。じゃあ、お父さんがいなければ、マドンナの「オイ!カツケン」も聴けなかったんだね。

「NIAGARA TRIANGLE VOL.1」には、確かに「宮川泰」の精神も受け継がれています。前出した様に「ホンダラ行進曲」で締めようと構想していた位なのですから、クレイジーがいなければ、ナイアガラは「ないあがら〜♪」なんです。音楽は、どこまでも繋がっているんですね。大瀧師匠は「正論のひと」であり「歴史家」です。でも、何故そうなったのかと云うと、それは単純に彼が「音楽家」だからなんです。新しいアルバムを作るよりも、研究と過去のリマスターに徹する現在の方が、より「音楽家」になり、影響力も増しているみたいです。(トラックバックを戴いたsugarmountainさんの指摘は鋭いな、と思いました。)

何も知らなくとも、音楽はいつも美しくそこに存在しています。でも、あたくしは知りたい。麗しい君が、どこからきてどこへいくのか?とっても、知りたいのです。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2006-3-19〜3-23 全5回連載



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2006年06月04日

「金色の髪の少女」

Hearts


数年前に出た「僕たちの洋楽ヒット」と言うコンピ盤シリーズがあって、発売当時は「なんだかなぁ」とか思っていたのだけど、最近図書館で何枚か借りて聴いています。結局、続編も含めて「450曲」程が「iTunes」に入ってますです。特に「ぐっとくる」のが1970年代中盤で、その「vol.7 1973〜1975」を今流しているのだけど、これがかなり良いんだな。こんな選曲なんです。

 01. レイン・レイン(サイモン・バタフライ)
 02. T.S.O.P.(ソウル・トレインのテーマ)(MFSB)
 03. 吼えろドラゴン(カンフー・ファイティング)(カール・ダグラス)
 04. ロコ・モーション(グランド・ファンク・レイルロード)
 05. マシン・ガン(コモドアーズ)
 06. エマニエル夫人(仏詞)(ピエール・バシュレ)
 07. エンターテイナー(マービン・ハムリッシュ)
 08. チューブラー・ベルズ〜オープニング・テーマ(マイク・オールドフィールド)
 09. 真夜中のオアシス(マリア・マルダー)
 10. 愛のテーマ(ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ)
 11. シュガー・ベイビー・ラブ(ルーベッツ)
 12. アイム・ノット・イン・ラブ(10CC)
 13. ザッツ・ザ・ウェイ(KC&ザ・サンシャイン・バンド)
 14. 金色の髪の少女(アメリカ)
 15. ザ・ハッスル(ヴァン・マッコイ&ソウル・シティ・シンフォニー)
 16. スカイ・ハイ(ジグソー)
 17. フライ・ロビン・フライ(シルヴァー・コンヴェンション)
 18. 愛がすべて(スタイリスティックス)
 19. そよ風の誘惑(オリビア・ニュートンジョン)

この頃ってのは、あたくしが洋楽に目覚めた時代だったんだよね。だから全曲リアル・タイムで聴いていました。勿論、ココに収録されていないビートルズの赤盤と青盤や、それぞれのソロ(何度も書いて来たけど、この時代は四人ともヒット曲連発の夢の様な時代でした。)にも熱中し、さらにスティーヴィーの全盛期で、グラムロックだのハードロックだの、シッチャかメッチャかにラジオから流れて来て、そんな洋楽を翻訳したニューミュージックなるもんが日本でも生まれたのでした。

ライナップを見ると、兎に角「当時の日本で流行った洋楽」ってことだけがキーワードとなっていますから、映画の主題歌やTV人気番組のテーマ曲なんかも無造作に放り込まれているんです。ジャンル分けしたら、絶対に隣にはいないであろう楽曲がただ単に年代だけで括られる爽快感!!そして、この頃の楽曲の考えられないほどの普遍性にはクラクラしちゃう。同じシリーズの80年代篇なんか、もう古くさくって失笑を禁じ得ない曲(特にアレンジね。)が多いのになぁ。

例えば切り取ってマリア・マルダーだけをを聴けば、同時代のティンパン系への直接的な影響を明確に感じるのですけど、このコンピ盤全体からあたくしが想起したのは「小島麻由美」でした。何故、小島麻由美の音楽に魅せられているのかが、はっきりと分ってしまったな。あのこは「初恋のひと」だったんだね。髪は金色じゃなかったけどさ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2006年07月01日

「愛し合ってるか〜い?」

ティアーズ・オブ・クラウン [DVD]


九段下で、小島麻由美を観た。

初のホールツアー最終日となった公演でのコジマユは、いつもの彼女だったけど(宅配ライヴの噺には笑い転げたよ)、内容は新作を要所に入れながら「ベスト・オブ・小島麻由美」とも言える選曲で、さらにさらに歌が上手くなっていたぞ。

今回の目玉は、サックスとクラリネットでほぼ全面参加していた(アノRCの!)梅津さん!!だ。まさか、コジマユのライヴで彼を観れる日が来るなんて。もはや御馴染みになったピアノのKYONさんが昨年から参加した時にも驚いたけど、今回は格別だった。もはや、このバンドは「日本語ロックの集大成」じゃないか。

唸るサックスで始まる「蛇むすめ」のイントロには、鳥肌が立った。そして、塚本さんのソロ以外は絶対に認めないと思っていた「ひまわり」の間奏でのギターとサックス、トロンボーンの絡みには涙が出た。これはロックだ。そう、これこそがあたしが愛するロックじゃないか。

小島麻由美は「ロックステディ ガール」を久しぶりに歌った。「ぱぶろっく」も歌った。
それ以前に一曲目で「ラストショット!」(新作の一曲目)を歌い、次にデビュー曲「結婚相談所」へ繋げたのだ。

「あたしは、小島麻由美だけは、絶対に失いたくない。」そう思った。

そして「もうひとりの小島ちゃんを傷つける輩を、許すわけにはいかない」のだ。


(小島藺子/姫川未亜)

初出「COPY CONTROL」



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2006年09月20日

「完全復活!!こんな時、あの娘がいてくれたらナァ」

GO!GO!NIAGARA 30th Anniversary Edition


出ました、「GO ! GO ! NIAGARA 30th Anniversary Edition」!!

なんとボーナス・トラック14曲入り!!って「おいおい、同じレコードが二回くりかえして入ってるだけじゃないか」なんて言う片は、

「スラップスティックの『浜辺のジュリエット』でも聴いて、
 すっこんでろっ!!」


1976年のオリジナル・マスターが初CD化!(あの「サイド1」最後の台詞も復活だっ!!)に加えて、1996年リミックス・マスターが丸ごとボーナス、そして大友克洋氏が無名漫画家時代の作品で流した名曲「土曜の夜の恋人に」のスペシャル・リミックス・ヴァージョンまで加えた「全27曲」ですよ。おいおい、クレイジーだナァ。すげーすげー、明日はマドンナさまだけど、コレを聴かずにおれません。ん?1996年リミックスも入ってるんだったら現行の「GO ! GO ! NIAGARA」は、もういらないから売るって?だからぁ、おまえみたいな「おっちょこちょい」は、

「琴風の『熱き心に』を聴きながら、ちゃんこ鍋でも喰ってろっ!!」

あたくしも、ちゃんと「1996年版はリミックスだ」って言ってましたからね。そんなこたぁ、ナイアガラーの常識です。で、今回はそのリミックスを更にリマスターしてますから、全く別の音源です。挙げ句に(毎度のことですけど)1996年版のボーナス・トラックは削除ですよ。このレコードは、師匠の名物ディスクジョッキー番組を音盤化すると言う「1976年の世界では前代未聞」の試みでした。しかし、その楽曲や構成は30年経っても、「面白かった」し「美しかった」と言っておきましょう。

今月号の「レココレ」でも特集されていますし、書きたいこともまだまだありますので、今回は「ほんの序文」です。それにしても、一年に二枚もナイアガラの新作を聴けるなんて本当に「ええ時代」になりましたね。師匠は、早くも2007年の次作を予告してくれました。まだまだ、つづくよ〜んぬ。なに?「そりゃ30年前とおんなじだろ?」って?とにかく、おまえのような天の邪鬼は、

「ジャイアント馬場のコブラツイストを受けてから、対抗心剥き出しのアントニオ猪木に卍固めを喰らわされた処に、トドメで大木金太郎に一本足頭突きをぶち込まれた状態で、ナイアガラの滝渡りでもやってから、出直してきなさいナ☆」


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2007年03月21日

「透明ガール」

NIAGARA CM Special Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition


今日は「ナイアガラ記念日」だから、予定通り「NIAGARA CM Special Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition」を買いに行きました。

「おいおい、那奈拾トラックも入ってるぞ。」

なんじゃこりゃ。1995年のCDでも41トラックも入ってるんだよね。その前の1983年盤では50トラックだったけど、オリジナル・アナログ盤に溯ると、メドレーになっていたので曲数とは云えないけど「13トラック」だったわけですよ。まあCMだから「15秒」とか「30秒」とかの曲も多いわけだけど、其れにしたってCD壱枚に「70曲」って常軌を逸しているぞ。「斎藤ネコ」は「50曲」だし「のこいのこ」だって「62曲」なのに、、、「キダ・タロー」は「77曲」入りだったけど弐枚組で廃盤なんだよ。こんなの「効果音のCD」でもなかなか無いぞ。壱枚に「那奈ちゃんが10人いる」って。
(「いや、ちがう」)

「MANY BONUS TRACKS」って、、、「2 MANY BT」じゃん。
(「そうぢゃないんだ」)

「やっぱり、大瀧師匠って、狂ってる」

(「狂ってるのは、イコちゃん」って、いきなりあたし?)

あっ。「革命」を知らない片には「理解不能な展開」だったな。

また此れが面白いから困っちゃう。そんでもって、もっといいことおせーてあげようか?70曲も入ってるのに、1995年盤まで入っていた曲がごっそり抜けてます。なんと、今回は1973年から1979年の途中までの楽曲で構成されていました。其れでも70曲。ブックレットが相変わらず分厚過ぎる。「レココレ」での、ケンタの「全曲ガイド」も、どーかしてるって。

「聴いてる間に、読み終わりません。」

でも、語りたくなる気持ちは解ります。何故なら「CM曲」こそが「ナイアガラ・サウンド」のエッセンスを凝縮したモノだからです。たった30秒程の楽曲に込められたアイディアを膨らませて、後に「三分間」へと発展させた楽曲も多いのです。ですから此れは本当に「70曲入り」なんですよ。曲ってさ、長けりゃええってもんじゃないのよさ。

そして、一緒に買いそびれていた「ハリー細野 クラウン・イヤーズ 1974-1977」も買いました。「HOSONO BOX 1969-2000」も当然持っていますけど、此れは買わなきゃね。はっきり云ってしまうと、あたくしが大好きなハリーは「はらいそ」までなんですよ。もともと「YMO」の人ではないのです。其れは、もう仕方ないことなんです。とっても嫌らしい云い方ですけど「ベースやギターを弾いてうたを歌う細野さんをリアルタイムで先に観てしまった」わけで、其の時の僕が「10代だった」だけです。でも、やっぱり、此ればっかりは、もう取り返しがつかないことでしょう。

其れで、ラーメン食べて「バラサバラサ」と帰ってきますたとさ。おしまい。

てのは嘘で、他にも沢山買いました。僕がソウルを現在の様に好んで聴く様になったのは、わりと最近のことです。ブラック・ミュージックよりも、屈折したロックの方が好きでした。でも大昔から熱中していた様な気分でも在るんです。其れは細野さんを中心にした「ティンパン系」を当時ずっと聴いていたからだと思います。

色んなことって巡ってしまうわけですが、なんだかんだ云っても1970年代の音楽が気持ちいいんです。其れはきっと、僕が歳を取ってしまったからでも在るのでしょう。だけど、僕はアノ頃、食事を我慢してお金を貯めてレコードを買っていたんです。其れでも、レコード店へ行くと膨大な数の聴いたことのない音源が在ったんです。今、新しく作られるCDや音楽配信を追うよりも、アノ頃聴きたくて仕方がなかったレコードこそを、僕は聴かなければいけないと思います。

片瀬那奈が「青春」と断言するミスチルの新作が沢山売れていても、僕にはラジオやTVで流れるのを聴くだけで充分過ぎるのです。片瀬クンと僕は、おんなじ「青春」を生きてはいない。だからこそ、コリーヌよりもデニースに手が伸びるのでしょう。されど、僕と片瀬クンが音楽に対して求めている「何か」は、もしかしたら「おんなじ気持ち」なのかもしれません。

それは、僕がどんなに「片瀬那奈ちゃんが好きな音楽」を聴いても、生涯理解出来ないと思います。それよりも、シリータやデニースを聴いていた方が、近づける様な気がするんです。だから、片瀬クンにシリータを贈ったのは、かなり図々しい行為でした。僕は、かなり迷った。本当は、そんなことをしなくとも良かったんです。(いつのまにか「片瀬噺」になってるけど、気にしないで下さいナ。)

さて、「レココレ」の大瀧さんのインタビューは毎度のことですけど、素晴らしいわけですが、残念な誤植が在りました。「レッツ・オンド・アゲン」と「イエロー・マジック・オーケストラ」が発売されたのは、1978年11月25日です。(「10月25日」と書かれています。ライナーでは正しく「11月25日」になっていますので、師匠や湯浅さんの記憶違いではなく、編集部のミスだと思われます。)此の日を間違ってもらっちゃうと、いくら「平成風俗」に見向きもしなくなったあたくしでも「おやっ?」と気付くんですよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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