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2004年08月22日

「日本語で歌おう」

加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに


日本語のポップスやロックは、何処から始まったのだろう。其の起源を「はっぴいえんど」に求めるのは確かに分かり易いんだけど、突然変異で彼等が登場したわけではない。例えばザ・ビートルズなら、アメリカの音楽を自分たちに取り入れる上で少なくとも「言葉」の問題はなかった。だが、言語が違う日本では「英語の歌を日本語で歌う」と言う大問題が横たわって居た。アメリカン・ポップスを自国語に翻訳してカヴァーする処から始めなければならなかった。九ちゃんやミコちゃんに代表される「ヒッパレ」はそれでもそれなりに楽しいモノとなり、美空ひばりや小林旭、橋幸夫などのリズム歌謡も、クレージーキャッツの和洋折衷摩訶不思議音楽もなかなかどーして素敵なんです。

それじゃ、ビートルズまで日本語でやってみよー!と試みたところで強烈な違和感が生じる。「オープリーズ お前を 抱きしめたい 判る この気持ち アイウォナホジョーハーン!」1964年、スリーファンキーズと東京ビートルズの競作だった「抱きしめたい」の日本語盤(漣健児・作詞←原文まま)を聴くと、勿論音楽的な誤解による「とほほ」感も在るものの、歌詞のチグハグさ加減にギャグだとしか思えなくなる。しかし全員本気だったのだから問題は深刻だ。

音楽的にロケンロールとは何かを咀嚼した60年代後半のGS時代に於いてすら、日本語で歌うことの難しさは付きまとう。日本語によるオリジナルにも怪作は多いが、やはりカヴァーが凄い。ストーンズの「夜をぶっとばせ」(洋画や洋楽って、もう邦題の時点で何かがくるってるんだけどね)をオックスがカヴァーしてるんだけど「君がほしいよ 暗い夜だから 愛だけが見えて たまらないのさ」ってさぁ、字面だけで凄いけど「あいだけーがみえてぇー(みえてぇー)たまらなーいのさーおーぱぱぱぱぱ」とか歌われた日にゃあんた。

「はっぴいえんど」は日本語を洋楽に乗せようとして、やっと何かをつかんだ連中だったと思う。でもさ、それって加山雄三やGSの悪戦苦闘がありき、の事なんですよ。僕は今でも「日本語の」ポップスやロックって変だな、と思う。でも突き詰めていくと、そもそも言葉を音に乗せること自体がおかしなことに思えてしまう。ひとは何故歌うのか?只、何故歌うのかを考えると僕らは日本語で歌わなくてはならないってことが見えて来る。

「だから僕は、君が理解出来るたったひとつの言葉を繰り返す 
 愛してる愛してる愛してる」


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年08月23日

「続・日本語で歌おう」

加山雄三のすべて(2)


1966年に満を持して発売された加山雄三のファースト・アルバム 「恋は紅いバラ / Exciting Sounds Of Yuzo Kayama」(日本コロンビア PS 1314-JC/現在入手可能なCDはMUCD-1005)は、全曲英語詞とインストによる作品で洋楽レ−べルからのリリースだった。同時期に東芝から日本語盤ファースト・アルバム「加山雄三のすべて/ランチャーズとともに」(T-7100/MUCD-1004)も発売されていて混乱するが、其のへんの事情について本人は、

「ロック系の連中が日本語でもってエルヴィスの歌なんかうたいだしたときは、バーカが、何やってるんだという感じだったね(笑)ところが映画の世界に入ると、映画でむりやり日本語でうたわされて、レコーディングだよ(笑)バカバカしいけど、しょうがねえやと。」

と語っている。(2000年刊「レコード・コレクターズ増刊/ザ・ビートルズ コンプリート・ワークス2」インタビューより)ロック系の連中ってのは誰とは言えないけど、まぁロカビリーのことでしょうね。

彼としては「仕方なく日本語で歌わされた」と言うわけだ。ヴェンチャーズのコード進行を逆にして「ブラック・サンド・ビーチ」を作曲し多重録音の宅録デモを作りメンバーに配るなんて事を1965年には既に普通にやっていた加山にとって、ビートルズすら後輩に過ぎないと「オレ様節爆発」のインタビューは「一読の価値あり」だが、加山が「ロックを日本語でうたうなんてバーカじゃねえのか」と思っていた点に今回は注目したい。

「はっぴいえんど」の大滝詠一も「松本の言葉を歌わされて」いたと述懐している。何故日本語なんだ?と。言語構造が違うのだから無理が出るだろうと。少なくとも最初は松本隆だけが「日常的な日本語をロックのリズムに乗せる」との野望に燃えていたのだ。其れを大滝は逆手にとって言語を解体し洋楽と同じ様な曲をつけた。彼等の歌は時に日本語でありながら、日本語のアクセントや文節を無視している。歌が言葉を伝える為だけのモノなら、この試みは失敗だ。だがそもそも音に言葉を乗せること自体が、日常から逸脱しているわけですよ。我々はミュージカルの世界に生きているのじゃないからね。

もともと「言葉遊び」の好きな大滝にとっては、内田裕也に仕掛けられた「日本語ロック論争」など迷惑千万だっただろう。「ロック絶対主義(内田)」と「ロック相対主義(大滝)」では、思想が違う。だが、此の論争によって「はっぴいえんど」は日本語ロックの草分けと現在まで認知されることになった。つまり「内田の御蔭」だと云うわけなんですなぁ。

「artmania HP」に「日本語ロック論争」に関する大変面白いテキストが在るので紹介しよう。「日本語ロック論争」でぐぐって、一番上の「日本語ロックの生き証人」というテキストです。これは良いですよ。心理描写などフィクションも交えているけど、当時の様子が分かってもらえると思う。貴方、見てたのかひとの心が読めたのかって感じの心理描写が一番面白いんだけどね。

[ 大滝詠一は舌を出していた。
---「はいからはくち」の話をしたとき、メロディが「モビー・グレープ」のパクリだということを誰も指摘しなかった。こいつらインターナショナル云々いいながら、ホントはあんまり聴いてないんだ。 ここでひとつ「日本語は奥深い。「はいからはくち」は「ハイカラ白痴」と「肺から吐く血」の二重構造」と言ってみようか? いややめよう、松本にどやされるな…。]


此のへんでは、爆笑しちゃいました。

大滝自身はその後「日本語のポップス」にこだわり続け、悪戦苦闘を続ける。その美しい記録はマニアックな考えを捨てれば、リーズナブルな価格で入手可能だ。とりあえず「NIAGARA MOON」(1975年)に於ける「アンチはっぴいえんど(もしくは松本隆)」路線が、現在までの「日本語のポップス」に与えた影響は、個人的には「はっぴいえんど」を凌駕すると位置づけています。では、今日はこのへんで。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年08月24日

「もっと日本語で歌おう」

加山雄三のすべて(3)


なんとなく、連載っぽくなって来ました。「J-POP」が日常化して、ロックやポップスばかりか「R&B」だろーが「RAP」だろーが「HIP HOP」だろーが「HOUSE」だろーが、すべからく「洋楽に日本語を乗せることなんて、当たり前」の時代に「何を御託を並べてるんだ?」と御思いの方もいらっしゃるでしょう。「日本語ロック論争」なんて30年以上も前の話を、今頃蒸し返してなんになるんだよ?と。でもあの「avex グループ」である「avex io」から今年3月に発売された「はっぴいえんど BOX」(IOCD-40051〜8)が、いくら初回限定生産とはいえ瞬く間に店頭から姿を消したのだからね。ありゃノスタルジーで済まされる売れ方ではないわけで、たぶん僕なんかより、10代や20代の連中が現在熱狂的にBOXを聴いているんぢゃないかなぁ。

生まれた時から「日本語で歌う洋楽を源流とする音楽」を聴いて育った人たちは、「はっぴいえんど」の何処に衝撃を受けているんだろう?特に「ゆでめん」が良いと言う意見が、たまたま僕が一寸薦めてBOXを購入した若いふたりの友人双方から出たことを彼等のサイトで知った。此れは「にやり」だ。

「はっぴいえんど」と言えば、普通「風街ろまん」だろう。彼等のオリジナル・アルバムは3枚しかなく、もっと言うなら2枚目の「風街ろまん」を完成させた時点で目的を達成し解散していたも同然。勿論「風街ろまん」は傑作だし、この作品で「日本語でも洋楽と同じ音楽が出来る!」と証明されるのだが、此れはロックなのか?いや志はロックだが、其れを継承したのは「ニューミュージック」と言う今や「死語」となったジャンルだった。まぁ、別にロックにこだわるわけではないけどね。

「ゆでめん」には在った日本語と洋楽の融合による「違和感」が、「風街ろまん」には希薄なんです。だったら其れで良いぢゃないか、時は過ぎ「ニューミュージック」が「J-POP」になって、めでたしめでたし。いやぁ、そんな簡単なことぢゃない。「ゆでめん」のぎこちなさは、何だったんだ?あの「変な日本語」こそが僕らを熱くさせていたんぢゃないのか?

「ヒッパレ」や「GS」、日本語のフォークにロック、ニューミュージック、そして現在でも洋楽との決定的な違いが「僕らのJ-POP」にはある。すべてではないにしろ、こんなに他国語(特に英語)をタイトルや歌詞に多用する大衆音楽を持つのは「日本」だけだろう。ヒット・チャートを見てみよう。此処は日本なのか?外来語で済む問題なのか?

「わかるだろ you know この気持ち you know そうさ 今恋をみつけた」
 (ほり・まさゆき「アイ・フィール・ファイン」1965年)

「Touch いつでも探していた Necessary I know you're my sweet 眩しい君に逢えた」
 (片瀬那奈「Necessary」2003年)


「日本語ロック論争」は、まだ始まってもいない。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年08月25日

「それでも日本語で歌おう」

ブラック・サンド・ビーチ/加山雄三 with ランチャーズ


本家本元が何故か日本語で歌ってしまったってのが色々あったよなぁ、と思い「日本語で歌う洋楽」でぐぐると其のものズバリのテキストがありました。

四方宏明さんが「AAJ のテクノポップ」で4回に渡って沢山紹介して下さってます。テクノだけでは無く広く取り上げて居て良いですよ。僕は昔から此れを集めたコンピ盤が出たらイーノになぁ(だじゃれでごみん)と密かに願ってるんだが。

日本語で歌う洋楽〜第1回
日本語で歌う洋楽〜第2回
日本語で歌う洋楽〜第3回
日本語で歌う洋楽〜第4回

フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」日本語盤を聴いたのが、たぶん最初で、クイーンにずっこけてポリスの時には裏切られたとレコードを叩き割った(いや、買ってないや)「なんぢゃこりゃー!!とほほ」感が蘇る。ボウイのレコードから「天国の階段はないー」とか聴こえて来た時の衝撃、ジョンが「あーああああーいすいませんヨーコさん」と歌うのを聴いて「AISUMASENってあいすみませんって意味だったのかぁ。ジョン、今はあんまり使わないよ。アイムソーリーに少しだけ似てるから使ったのかなぁ?愛済みませんとか、色々考えたのかなぁ?駄洒落おやじかよジョンは。」などとわけわからなくなっちゃったあの日。

当然、ネイティヴではないことから来る発音の違和感による「ロック偉人幻想伝説崩壊」もある。しかし、此れでは「東京ビートルズ」じゃないか。GSを笑えないじゃないか。「スマハァーマ、ソキョハ」だとぉ「スマハマ」って何なんだよマイク・ラブ?「ドモアリガトミスタロボット、ドモ」ってなめとんのか?こんなモン歌った奴らは、全員をハリセンで殴り倒したい。

サー・ミックが「マダマダ、ツヅクヨーんぬ」と言い、サー・ポールは「モウカリマッカ?マイドオーキニ」とぬかしやがった。あんたらは天下無敵のロッカーでしょう?勘弁してください。「ジンケンモンダイ」と真面目に語るのに客が笑ってるぞ。なんなんだ、一体?ま、面白いからええのだが。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年09月09日

「SUKIYAKI」

上を向いて歩こう


9月9日は「九ちゃんの日」です。

あたくしは昔「坂本九のCDを置いてないお店ではCDを買わない」と公言していたことがある。其れは「坂本R」や「坂本F」のコーナーがあるうえ「さかともE」のコーナーまであった時代の話だ。

おい!なんで肝心の「九」がないんだよ。ふざけんな、店は此処だけじゃねぇーんだよ、いいいよいいよ他所で買うって。いや、別に「九」が欲しいんじゃないんだよ、うん、でも「九」を置いてない処では買わないんだ。なんで?だってさ、ジョン・レノンだって#9なんだよ、え?わけわかんない?いいよ、もう。

もっともっと遥か大昔、カッコつけて「FEN」ばっか聴いていた頃があったんだ。ビルボード新旧のヒット曲がガンガン聴けて、DJ が英語だから逆に耳障りも良く(よーするに音楽の邪魔にならなかった)そんなこんなで間違って英語を専攻したりもしたんだ。でも確かに、あの頃は「洋楽と洋画がすべて」だった。

そんな捻くれた10代のあたくしが「FEN」で「唯一聴いた日本語のうた」が「スキヤキ」だった。あの時の衝撃は忘れられない。考えてみてほしい。DJ も掛かる曲も全部英語なんだよ、ずっと其ればかり聴いて過ごしていたんだよ。少なくとも、ひとりの時間は頭の中は「英語でいっぱい」だったんだ。

突然♪うえほぉむふいて あるこぉおんうぉうぉ ぬあみだが こぼれぬぁいよほほに♪と「明らかに英語ではない」しかも「在る意味、日本語でもない」不可思議なうたが流れた。そのうたは当然知っていたけれど、そして外国でも有名だとかアメリカでもチャートで一位になったくらいの知識はあったけれど、本当に同じ処で他のアメリカン・ポップスと肩を並べているんだってことが分かってしまった。

前後の曲と比べてもまったく見劣りしなかったし、いや、なにより感動してしまったんだ。「おい!FEN で、日本人が、日本語で歌ってたぞ!!」と、PRIDE で小川を応援するみたいに、オリンピックでナショナリズムに燃えるように、あたくしは単純に興奮してしまった。

だからせめて日本のCD屋さんなら、ベスト盤くらいは置いてほしい。「世界のサカモト」は、教授だけじゃないんです。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年09月14日

「レコスケくんの世界」

レコスケくん COMPLETE EDITION


「モーニング娘。EARLY SINGLE BOX」と言うのが、12月に出るらしい。手元にフライヤーがあるんだけど、完全生産限定盤で税込み壱万円だそーだ。いや、アイドルのボックスなんてめずらしくないけど、どーも此れは気になるブツなんですよ。同じ事務所の大御所「KANちゃん」の件もあるし。

初期の8枚のシングル(内6枚は8センチ盤)をすべて12センチにして、それぞれに未発表レア音源を追加収録して、おまけでシングル以外で初期人気曲のカラオケ盤が付くみたいなことが書いてある。うーむ「レコード・コレクターズ」で取り上げられるリイシュー音源みたいだぞ。洋楽マニア層を、狙っているのか?

何だか、凄いな。一応「モー娘。」ってのは今も活動しているわけで、いくら何度もメムバーが変わったとは云え、普通のベスト盤とは「明らかに違う意味付けで過去が総括されてしまう」ってんだからさ、此れって解散したグループ扱いだよね。単なる商売って考えもアリだけどさ。まぁデビュー曲は1998年1月に出たわけで、結成は1997年だったわけで、遥か昔ですね。おいおい、林檎ちゃんより4ヶ月も先輩かよ。片瀬那奈ちゃんなんか「壱年も後輩」じゃん。

なんでこんなことを知ってるかと言うと、あたくしは「モー娘。」の初期8センチCDを全部持っているからなんだな。12センチになってからはよく知らないけど、「ふるさと」までなら歌えるな、たぶん当時のアルバムや初期タンポポとかも歌えるんじゃないかな。すいません、嘘をつきました。「ハッピー・サマー・ウェディング」までなら完璧にユニットも含めて歌えますです。「なっち」は「御誕生日が同じ」だし、つーか単純だけど其れでファンになって買っていた気がする。ちなみに当時は一応おんなじ誕生日の「なっち」が推しだって公言してたけど、本当は「プッチモニ」が壱番好きで、つまり「市井ちゃん」と「ごっちん」が好きだったのです。最初のシングル盤の「阿呆面ジャケ」に、完璧にヤラレちゃいました。発売日前日に、シングルとヴィデオを買いましたよ。(ん?「プッチモニ」って、もう一人居た?記憶に無いナァ、、、)

こうして手元にフライヤーがあるってことは興味が在ったってことだ。でも買わないなぁ、だって初期シングルを全部持ってたなんてことも、さっき気が付いたんだよ。フライヤーを見てて「こりゃ一発記事ネタになるな」なんて考えてたら、どーも見覚えがあるジャケットばかりなんで棚の奥の方を探したら出て来たわけだよ。

で、何が言いたいかってぇと、例えば最近ストーンズやコステロのシングル・ボックスなんかが出て「マニアならゲットするしかないだろう!」とか専門誌に書かれるけどさぁ、モー娘。だって同じだよなぁ。未発表音源とか言って「ボツテイク」だったり「ライヴ用の編集テイク」だったりってさ、やってること同じなんだよね。

片瀬那奈ちゃんの音源をザ・ビートルズの音源みたいに考察するってのが、此処のひとつの「カテゴリ・コンセプト」なんだけど、今や其れは別にめずらしいことではないのかもしれないな。其れがいいんだか悪いんだかは別としてね。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2004年09月19日

「幻の20年」

ザ・グレアム・グールドマン・シング


先日、神保町でCD屋さんを巡っていたら一服したくなりまして、ヴィレヴァンの喫煙所に行きました。その時居たCD屋さんにも喫煙所はあるのだけど、煙草もライターも持ってなかったので隣の自販機で煙草を買って、ライターはヴィレヴァンで買おうと思ったわけです。

そして「ぼくは煙草をくわえ一服するとアノコのことを考え」たら松本隆になってしまいますから、なにも考えないで壁をみていました。その壁には「バンドメンバー募集」の紙切れが沢山はってあって、なんとなく眺めていたんですが、そのうちなにか考えてしまったんです。

と言うのは、大体10代後半から20代前半の大学生くらいのひとたちが募集していたわけですけど、彼等がこんな感じの音楽をやってますって中にやけに「はっぴいえんど」と挙げてるのが多かったからなんですよ。だから「お、若いのに随分と昔のグループを聴いているんだなぁ」なんて思って他に誰を挙げてんだろ?と見てみると最近のバンドばかりなんですよ。解散したバンドでは「ユニコーン」とか「JAM」なんかも在ったけど、其れはつまり民生とかYUKIってことなんでしょう。いや「ユニコーン」もかなり昔のバンドだけどさぁ。

つまりリアルタイムで体験したってのが「ユニコーン」あたりからなんでしょうね。「はっぴいえんど」からいきなり「ユニコーン」なんだもんなぁ。おじさんはびっくらこいたよ。いや此れってきっと「ユニコーン」から始まって今のバンドまで来てから、いきなり「はっぴいえんど」なんぢゃないのか?70年代と80年代は空白ですね。洋楽嗜好の強い方だとせいぜい「スミス」あたりから始まってて最近のひとまで書いてあってね、いきなり最後に「あとビートルズも」とか「やっぱ、THE WHO」とか書いてあるんですよ。どーなってんだ?って事情はなんとなく分かるけどさ。

「ザ・ビートルズ」とか「はっぴいえんど」って便利ですね。各人のソロとか「ウイングス」とか「キャラメル・ママ」とか「YMO」とか、さらに其の関連音源とかまで全部含めているわけだ、最近のひとはすぎょい!!んなわけねーよな。どーりで共通言語にはならないわけだ。

大滝師匠が言ってた「視点を現在に置いていては、歴史の本質はみえない」ってのは名言ですなぁ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2004年09月25日

「洋楽は偉いのかい?」

EXODUS


J-WAVEでアメリカの歴代アルバムTOP10と言う企画をやっていたので、ソースであるRIAAを調べてみた。イーグルスの最初のベスト盤が1位なんだね。『このベスト盤には「ホテル・カリフォルニア」が入ってないんですよぉー』と大袈裟にナビゲーターさんは語ってくれたけど、その前のアルバムなんだから当たり前じゃん。立場も分るけど、現在の視点で語られるとわけわかんなくなっちゃうんだよ。ザ・ビートルズはホワイト・アルバムが一番売れて居るんだ、へえー。アメリカってアレが好きなんだなぁ、ただ真っ白なジャケットだけのレプリカでもカラフルな他のを差し置いて一番売れたらしいし。ま、此のあたりは語ると止まらないな。それにしてもザ・ビートルズが低いな。半ズボン野郎のAC/DCに負けてるよ。

で、くやしいからトータル・セールスを見てみよう。うんうん、THE BEATLES がダントツじゃん。でもスティーヴィー・ワンダーとかモータウン系のひとが抜けてるなぁ。あ、そーか70年代まではRIAAに加盟してなかったんだ。其れにあくまでもアメリカのデータですからね。全世界規模ならマイコーのスリラーだろーし、日本で一番売れた洋楽アルバムはマライア・キャリーだって言うじゃないの。しかも「デイ・ドリーム」だよ、覚えていますか?みなさん。売れればええってモンじゃないねぇ。

日刊スポーツではUtadaの全米デビューに関連して、歴代日本人アーティストのビルボード総合チャート入りデータが載っていました。「SUKIYAKI」の一位ってのが当然最高なんだけど、やっぱアレは日本語だったってのが凄いよね。「61年に日本で九ちゃん盤が出て、翌62年に英国でケニー・ボールがジャズ風にカヴァー、其れがアメリカに渡ってラジオで火が付いて、63年にキャピトルから九ちゃん盤が出た。」と言う経緯は興味深いですね。てゆーか、KODAが2001年に19位って知らなかったです。「TRUST YOUR LOVE」って曲も知らないです。「キューティーハニー」のカヴァーしか知らないですよ。売れればええってモンじゃないねぇ。

なんにせよ、ヒッキーには頑張ってほしいですよ。でもどうして日本で一ヶ月早く発売されたんでしょうね。日本人向け疑似洋楽なの?輸入盤対策?ファン・サービス?マーケティング?あたくしはどーせ買うなら折角だから米盤で買いたいけどなぁ。ま、買わないけどさ。個人的な意見だけど、あの手の音楽ならアリシア・キーズでも聴いている方がええです。餅は餅屋だべさ。

でもねアメリカでデビューするからって、坂本九を引き合いに出すのはもうやめた方がいいんじゃないかなぁ。先の記事にも「例外中の例外」とあったけれど、その後の「初めから入念な全米戦略ありき」と「SUKIYAKI」の「少なくとも当初は特に全米向けなんて視野に置いてなかった」ってのは根本的に、決定的に「志」が違うもんね。アメリカをターゲットにして作られたわけではなかったわけですよ。もちろん日本人限定って意識でもないよね、不特定多数のみんなに向けて「上を向いて歩こう」は在ったんだよなぁ。次の「CHINA NIGHTS」は充分にアメリカ向けを意識した楽曲だったのに「SUKIYAKI」には及ばなかったわけでして。商業音楽で在りますから「売れる」ことは大事です。遊びじゃないんだからね。でも考えてしまうよなぁー、KANちゃんが言う「まず楽曲ありき」って深いよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年10月27日

「はいから・びゅーちふる・さんさん・さんでー♪」

Who Are You


「utada」がまた快挙達成!!全米デビュー盤「EXODUS」が発売からわずか7週間で100万枚を突破したそうです。拍手喝采!!凄いなぁ、流石は僕らのヒッキーだぜ。此れはスキャットマン・ジョンの14週を遥かに凌ぐ、オリコンでの「洋楽デビュー盤ミリオン達成新記録」なんだって。やったねっ!!ヒッキーおめでとう。

ん?なんか変だぞ。つまり全米盤より約一ヶ月も早く発売された日本盤が、日本でミリオンセラーだって話なんですね?「utada」は日本では洋楽なのか、ふーん。日本で洋楽で、アメリカでは全米進出なわけか。日本では外人で、アメリカじゃ日本人なの?わけわかんないよ。つまり「EXODUS」は「無国籍音楽」なんだね。カッコイイ!!小林旭の映画か?マーティン・デニーか?YMOか?

アメリカのレーベルで、アメリカで制作して、全曲英語で歌ったら「洋楽」なんだ。でも日本盤を買った100万人のひとびとは「洋楽」として受け入れたのでしょうか?ピンク・レディーや永ちゃんや聖子ちゃんも同じことをしたけど、あれも「洋楽」だったのかしら?確かにヒッキーが日本語でデビューした時には「此れは世界に通用する」と思いました。でも彼女がそれ以前に英語で歌ったモノを聴いて「あれ?こんなはずじゃなかったのに」と戸惑ってしまったのです。此れは、天才子役「安達祐実」が「ガラスの仮面」あたりまでは「ハリウッドで通用するかも?」と思わせたのに、「大人の女優」へと変貌しようとして疾走して行った事実を思い起こさせました。

別に洋楽でも何でもええんだけどさ、現在のビルボード・チャートの第一線と「utada」は違う処に居ると思うのよ。前に書いた様にアリシア・キーズとは比べられないんですよ。全然違うんだもん。だから良いとか悪いとかじゃなくて、気になるのは「何故わざわざ洋楽とカテゴライズして、日本独自に先行発売し、よく分らない記録を達成させる必要があるのか?」ってことです。「スキャットマン・ジョンの記録を抜いた」って、、、其れって「莫迦にしてるのか?」って云いたくなっちゃうよ。

日本独自の洋楽ヒット曲ってのが昔から在って、例えばダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」なんかも本国では全くヒットしてなかったりするわけです。このままだと「utada」も「日本独自にヒットした洋楽」って話になってしまうのかな。

いや、だから、そもそも「utada」は「洋楽」ではないよ。一体「utada」って何者なの?


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年11月05日

「恋するまゆみ」

パブロの恋人


1.「ブルーメロディ」

9月になってお気に入りのお嬢さんたちから手紙を受け取る機会が増えそうだ。最初の手紙はふたつあった。でもaikoはJ-WAVEで毎日聴けるしCCCDだから、小島麻由美だけを買った。東京事変はCCCDではないと小耳にはさんだけど、そして「群青日和」はaiko同様毎日ラヂヲで聴けるけど、CCCDでも仕方なく買うだろう。コジマユもCCCDしかなかったら買ってしまうかもしれない。なんせJ-WAVEでは今回の曲を一度も聴いてないんだ。ただぼくは「少しイヤな気分」で好きなひとの音楽を入手するのが苦手なんだよ。

欲しい音楽なら買うし、欲しいのかどうか分からないなら買わない。借りてコピーしておしまいってのは、どーも性に合わない。だからコピーコントロール機能付きでもかまわないんだけど、CCCDやレーベルゲートは不備が多過ぎると思う。

ひさしぶりのコジマユは、相変わらずコジマユだった。タイトル曲は明らかに「世界残酷物語」(MORE)から引用したメロディだけど、明るく溌剌とした良い曲。カップリングはマイナーコードのナムバーが2曲で、次のアルバムは明るい感じらしいから外れたってトコかな。相変わらずの小島麻由美なんだけど、どうして毎回買ってしまうかと言うと「このひとは微妙に変化している」からなんだな。かなり個性の強い歌い手さんだから好きになったら離れられないってのもある。中毒性は充分だし、いまひとつメジャーになりきれないトコもマニア心を揺さぶる。バックのメムバーもずっと固定されているから、例えばUAや林檎みたいに新作ごとの劇的な変化はない。けれど変わっていく。簡単に言うならコジマユは「もともと歌が上手い」んだけど(いや、あのね、異論はあるでしょーけどね)「どんどん歌が上手く」なっているんだよね。

ウキウキするメロディが素直に嬉しい新曲だ。こんな手紙なら大歓迎。アルバムとツアーが楽しみになってくる。コジマユには、もっともっと歌が上手くなってほしい。ぼくは今の段階でも「日本一上手い」と思っているけどね。だからさ「ぼくはそー思っている」んだってばさ。


2.「まゆみ」

「33:55」CDプレーヤーにセットするとトータル・タイムが表示された。全10曲で34分弱、さりげなく数合わせ、此れだよ、此れが小島麻由美だ。CDフォーマットを考えれば短い。でもぼくはアナログ世代、LPは40分前後ってのが決まりだった。あ、そうか、此の事はかなり昔にもアノコの処で書いたな。あの時も小島麻由美の新作について語って筆がすべったんだっけ。

「パブロの恋人」(PCCA-02076) は、小島麻由美の一年八ヶ月ぶり、6枚目のオリジナル・アルバムだ。1995年のデビューから9年で6枚目とはわりとのんびりした感じだけど、彼女の場合「花火をみていた」空白の2年間がある。活動休止期間にはライヴ盤とシングル&レア・コンピ盤も出ているし、全活動期間を通してもアルバム未収録曲入りのシングル及びミニアルバムやトリビュート盤への参加もあり、ライヴもコンスタントに行っているからね。いや、そんなこたぁどーでもええんだ。コジマユの新しいアルバムが出たんだよ、うん、ぼかぁ嬉しいんだす、にゃんこ先生。おら、先生みたいな先生になる。

新作に伴ってライヴの方もガンガンやっちゃうみたいだ。今日も下北のヴィレヴァンでインストア、北海道なんかにも行っちゃうみたいだよ、その流れで塚本さんとのふたりでライヴハウス!なんてのも今月末にはあるし、来月からは全国ツアーだ。おいおい追加公演まで決まってるよ。今更いろいろ決まっても平日ばかりなので、最初に発表されたツアーの初日と最終日しか行けませんな。そー言えば去年は同日開催の片瀬那奈と小島麻由美の学園祭を梯子したりもしたな。あの日、両方観たのは絶対に私ひとりだと思うぞ。片瀬に関してはジェシー・ハリスと梯子もしたけど、あれも私だけだろーな。まぁ世の中にはもっと凄い梯子をしているひとも多々いるけどね、私の場合はカップリングの振幅が変だよなぁ。未亜だからしょーがねーか。

一聴して「蛇むすめ」が頭から離れなくなる、もうね此れはタイトルでわくわくしてたからね、うん期待以上の出来だ。明るいアルバムなんて噂もあったけど、前半の流れは確かに暗くはないけど、こりゃサイケだよ。完璧に確信犯的な様々な過去からの引用、意味深で無意味な歌詞、肝心なトコは官能的なスキャット、もはや桃源郷だよ。「砂漠の向こう」までの展開は美しすぎる。溶けてしまいそうだ。何より全体を通して「小島麻由美の声」が「オン」なのがイイ!!前作は音がこもっていて少し残念だったんだよね。後半のアッパーな感じも滅茶苦茶イイ!!此れだよ、此れが小島麻由美なんだよ。ぼくは今、此のアルバムだけでいい、もう他のCDはトレイにセットしなくていい、何度も何度も33:55を繰り返し聴くだけでいいんだ。

ぼかぁ、コジマユが大好きなんだなぁ。こうしてまたコジマユの新しいアルバムを聴けるだけで幸せだなぁ。ずっとずっと小島麻由美のうたを聴いて生きていきたいな。小島麻由美の歌には、ぼくの好きな「音楽」のほとんどすべてが在る。ジョンのロケンロールも、キンクスの甘いメロディも、昭和歌謡やGSや日本語のロックも、あの日のせつない洋楽も、ジャズもクラシックもサントラもソウルも何でもかんでもごちゃまぜに聴いてた10代のぼくが好きになったモノ、つまり其れは単純に「音楽」だったんだ。

そして思ったのは「小島麻由美はやっぱり、ずば抜けて歌が上手い!」ってことだ。また今回は更に上手くなっていたので、とってもとっても嬉しい。「茶色の小瓶」でレノン・パロディの叫びを聴いて堪え切れずに涙が出たよ。ありがとう、まゆみ。

「こんなことしか言えないぼくを許して」


3.「小島麻由美とアノコとSMiLE」

幻の街に行った。其処は僕が18歳から27歳まで住んでいた処で、例え外観が当時と違ってしまっても訪れる時にはビタースイートな感覚を呼び戻す。八木山に長く住んで居たのでテレビ塔が見えると「きゅん」となったりもする。僕は昔、確かに仙台に居た。

小島麻由美のツアーが仙台から始まると知って、土曜日だと言うので行ってみようと思った。彼女が仙台でライヴを行うのは初めてだから、きっと狭い箱だろうし、もしかしたら東京では演奏しない「ベストヒット(そんなもんがコジマユにあるのか?ってのは無しね)」な選曲も期待。。。確かに狭い、なんだ此処?って位に狭い処でのライヴだった。インストアみたいなスペースでフルが観れたって感じ。コジマユは基本的に何処でも同じなわけで、だけど御馴染みの客のつっこみはないし、こりゃ最後は「唖然」とするんだろうなぁなどと通ぶったりもしつつ、じっくりと楽しんでしまった。

「大変なことになってるみたいですよ、あ、不安にさせてどうする」ってMCで新潟の大地震のことを知ったけれど、ぼくらはあまりにも無力だと思うしかなかった。いや、はっきり言うけど「地震」の話はまったく頭になかった。あの曲に心をふるわせる自分が居ただけだった。小島麻由美は素晴らしいアーティストだけど、天災に対しては無効だ。まったく関係がない。

開演前に少しだけ時間があったのでHMVに行ってspymobと「SMiLE」を買った。仙台に向かう車中で読む本を探していた時に、今月は「レコードコレクターズ」をまだ買っていなかったことに気付いて、慌てて購入。其れは「SMiLE」特集で、僕があの頃からずっと追いかけていた音楽のひとつだった。spymobを買ったのは2枚で1690円のおまけみたいなモンで、とっくに出ていた「SMiLE」を仙台で買うことに意味があった。とっくに出ているはずだったモノが37年後に出て、約一ヶ月放置していたのは「今日此処で買え」と言うことなんだろう。つまり僕は少なくとも一ヶ月の間、いつものCD屋に行ってなかったんだな。

東京にもどって「SMiLE」を聴いている。確かに幻は幻の侭で良かったのかもしれない。でも此の音楽は発表されるべきだった。予備知識などいらない。笑っているアノコは、とても綺麗だった。そう、それでいいんだよ。


4.「小島麻由美と WILD HONEY」

小島麻由美の東京公演を観に行く前に、ぼくはずっとビーチ・ボーイズを聴いて居た。其れはきっと、仙台で彼女を観た時に「SMiLE」を買ったからだったかもしれない。いや、小島麻由美とビーチ・ボーイズに関連などないと思う。只、ぼくはそうして居ただけだ。

仙台ではとても狭いスペースで、最後列に居たアノコの顔まで判別出来たけれど、其れは別に狭いからではなかったことが分った。何故ならぼくは、東京でも2階席に居る彼を即座に見つけてしまったからだ。仙台と東京では、ほとんど同じセットでありながら印象はかなり違って居た。新しいアルバムで核となる「蛇むすめ」を異なる編成で聴けただけでも、仙台と東京を観た価値は充分だった。確かにSAXが唸る東京での演奏は此の曲が本来在るべき姿だったけれど、初めてライヴで聴いたSAXなしの「蛇むすめ」の妖しさも捨てがたい。今回、ぼくは「蛇むすめ」さえ聴ければ良いと考えて居た。

全体的に地味な選曲のライヴに聴こえたのは「花火を見ていた」頃を境にして復活した小島麻由美の今を全面に出したからだろう。本人にとって初の全国ツアーなのだからベスト・ヒット集で良かったのだけれど、まるで意図的にルートを外す様に彼女は選曲した。
ヒットしたかどうかは別として数多くのシングル曲が彼女には在る。「結婚相談所」「恋の極楽特急」「先生のお気に入り」「真夏の海」「はつ恋」「セシルカットブルース」「真夜中のパーティー」「わいわいわい」「甘い恋」「ロックステディ ガール」「愛しのキッズ」などが其れだ。しかし今回のツアーでは、在ろう事か上記の曲が只の一曲も歌われなかったのだ。此れを意図的ではないとしたら他にどう考えるべきなのだろう?

それでも小島麻由美のライヴは素晴らしかった。ブルース・コードを基調としてスキャットが炸裂するナムバーを中心に展開したけれど、後半で弾ける「茶色の小瓶」や「さよなら夏の光」を持って来たのも素敵だった。とは云え其れはアルバムと同じ展開なのだから、もしかしたら彼女は「何も考えてない」のかもしれない。唯一シングル曲として披露された「面影」(仙台)「ブルーメロディ」(東京)は、驚きと戸惑いを隠せない弾き語りだったりもした。いや、しかしアレは何だったんだろう?やりたいからやったってことなんだろうなぁ。あたしは、かつて「大貫先生に師事して居た時代(1975〜1997)」に、ター坊が「ロック宣言」をしてリッケンバッカー・レノン型でエレキ弾き語り!をやった過去の白昼夢(1986年頃だった)を思い出しました。ター坊もコジマユも「楽器に気を取られて、歌がメロメロになってしまった」のです。。。

狂おしいほどに美しい「砂漠の向こう」と「ひまわり」には感動するしかなかった。特に「ひまわり」の間奏で塚本さんが掻きむしるギターは、音楽が何故ぼくらを虜にしてしまうのかを数多の言葉よりも雄弁に語ってくれた。余談だけれど、東京では最前列に居たぼくが間奏に入る直前に目の前に移動したコジマユと目が合ってしまった。ぼくは塚本さんの劇的なソロを期待して居てコジマユの存在すら忘れて居たのだけど、真っ正面に彼女は居たのだ。小島麻由美は、ぼくの目を見て悪戯っぽく「にやり」と笑った。「やられたな」、と思った。

だけど、今回のツアーで最も心を打たれたのは仙台も東京も同じ曲だった。なんと小島麻由美はあの「ぱぶろっく」をキーボードの弾き語りで歌ったのだ。此れは犯罪行為だと思う。仙台ではあまりのことに呆然とするしかなかったけれど、東京は二度目だから少し冷静に観察して居た。辿々しく鍵盤を叩きながら、サビを歌う小島麻由美の目が潤んで居た。「此のひとは美しいうたを作るために生まれてきたんだなぁ」と思った。そう、だからきっと、ぼくはブライアンのうたを聴いて彼女のライヴに行ったんだろう。


5.「DARLIN'」

昨日のタイトルはビーチ・ボーイズの曲名なら何でもよかったのだけど、小島麻由美が「蜜蜂」を歌って居たので「WILD HONEY」にしたんです。1967年の問題作でジャケットが「花と蜜蜂」のサイケなイラストなのね、それに昨日のキーボードが「WILD HONEY」してたってのも在るな。(DOORSみたいだったと言わないのが未亜的でイコ的で栗的です。)小島麻由美って60'Sの影響も強いみたいで、ぼくはしばしばKINKSなんかを思い出すのだけどね。「昭和歌謡」と言うより「洋楽志向」のひとだと思っています。

1970年代にはビートルズを聴いていてもバカにされたものですから「ビーチ・ボーイズが好き」なんて言ったら、そりゃもう大変でした。まさか「SMiLE」がオリコン上位にランクされる日が来るとはねぇ。現在の日本に於ける彼等に対する評価は「PET SOUNDS」がCD化された1988年以後に降って湧いたのですよ。アナログ時代にビーチ・ボーイズを聴いているひとなんか全くいませんでした。大体レコードが売ってなかった、輸入盤で買っていたもんなぁ。現在進行形で「PET SOUNDS」以後もビーチ・ボーイズを愛していたのはイギリスのひとくらいだと思います。その中にはポール・マッカートニーと言うひとも居たのですね。ポールの才能が中期から開花したのは、ジョンに対する憧れとブライアンに対するライバル意識があったからで、こと音楽に関するならビーチ・ボーイズが居なければビートルズはあんな展開になってません。ま、ブライアンも「ビートルズに勝ちたい!」とラリラリにヘロヘロだったから、お互い様ですけどね。そう、ビートルズのライバルはストーンズではなくビーチ・ボーイズだったのです。

「DARLIN'」は「WILD HONEY」のB面1曲目に入っていて、「なんぢゃこりゃ?」と思いながらA面(スティーヴィーのカバーとかを同時代にやってるんですよ、あのビーチ・ボーイズが!)を聴き終えた耳に其れはもう爽やかに神々しく響いたものです。此のオリジナルを聴いた瞬間、其れまでぼくのアイドルだった「山下達郎さん」や「10CC」は只の「紹介おじさん」になってしまったのです。でもきっと「達郎さん」や「ロル・クレーム」が居なかったら、ぼくはビーチ・ボーイズを聴かなかったかもしれません。

さて「M.I.U. ALBUM」でも聴こうかな。


(小島藺子/姫川未亜)

初出「COPY CONTROL」
2004-9-6、9-15、10-24、11-4、11-5 全5回連作



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2004年11月16日

「やりたい邦題」

洋楽天国(EMI編)


今では輸入盤しか購入しないので最近どーなってるのか分らないけれど、かつて洋楽には「邦題」が付いているモノがありまして、ビートルズを聴き始めた頃は「抱きしめたい」や「恋を抱きしめよう」や「恋のアドバイス」などと「I WANT TO HOLD YOUR HAND」、「WE CAN WORK IT OUT」、「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL」が別の曲だと思っていました。「抱きしめたい」は「史上最高の名邦題」だとは思うけどね。

「MAKING GOOD THINGS BETTER」と言うオリビアの曲は日本のうたにも歌い込まれたのですけど、邦題は「きらめく光のように」でした。さっぱり分りません。オリビアには他にも「そよ風の誘惑/HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW」「たそがれの恋/DON'T STOP BELIEVIN'」「一人ぽっちの囁き/COME ON OVER」など目眩がする様な素敵な邦題がありました。ビーチ・ボーイズの「パンチで行こう/WHEN I GROW UP (TO BE A MAN)」とかは、一体何を考えて付けたのかしら?当時のノリで「大人になったら平凡パンチだよな」とか?キッスはやたらと「地獄の」と付いてたし、EW&Fとかボストンは「宇宙の」だったわけです。

まぁ此のネタはきりがないんだけど、以前イコちゃんが某所で書いたネタを紹介しましょう。以下はすべてビートルズがカバーした曲の邦題です。さて、原題はなんでしょう?イコちゃんは当然、答えを書きませんでした。

 1. いい娘じゃないか(可愛いあの娘) / 2. のっぽのサリー / 3. みんないい子 /
 4. 蜜の味 / 5. 愛のくさり / 6. 会ったとたんに一目ぼれ / 7. 夕陽に赤い帆 /
 8. 座って泣きたい / 9. 可愛いシェイラ / 10. あの娘さがして / 11. アラビアの酋長 / 
 12. さよならベイビー / 13. 私のものよ / 14. ハイティーン気質 / 15. 野獣のツイスト /
 16. 忘れじのひと / 17. あたしゃカックン! / 18. いつの日か / 19. 仔猫に手を出すな

ではずっと放置していた解答です。まったく「あたしゃカックン!」だよ。

【こたえ】

 1. いい娘じゃないか(可愛いあの娘) = AIN'T SHE SWEET
 2. のっぽのサリー = LONG TALL SALLY
 3. みんないい子 = EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY
 4. 蜜の味 = A TASTE OF HONEY
 5. 愛のくさり = CHAINS
 6. 会ったとたんに一目ぼれ = TO KNOW HIM IS TO LOVE HIM
 7. 夕陽に赤い帆 = RED SAILS IN THE SUNSET
 8. 座って泣きたい = I'M GONNA SIT RIGHT DOWN AND CRY OVER YOU
 9. 可愛いシェイラ = SHEILA
 10. あの娘さがして = SEARCHIN'
 11. アラビアの酋長 = THE SHEIK OF ARABY
 12. さよならベイビー = TAKE GOOD CARE OF MY BABY
 13. 私のものよ = KEEP YOUR HANDS OFF MY BABY
 14. ハイティーン気質 = YOUNG BLOOD
 15. 野獣のツイスト = A SHOT OF RHYTHM AND BLUES
 16. 忘れじのひと = I FOGOT TO REMEMBER TO FORGET
 17. あたしゃカックン! = OOH! MY SOUL
 18. いつの日か = THAT'LL BE THE DAY
 19. 仔猫に手を出すな = LEAVE MY KITTEN ALONE


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



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2004年11月18日

「し邦題」

洋楽天国 SME編


少しウケたので当然二番煎じ。ジョージ・ハリスンの「ジョージ・ハリスン帝国 / EXTRA TEXTURE (READ ALL ABOUT IT)」ってアルバム邦題は何なんだ?名曲「YOU」が入って居るけど邦題は「二人はアイ・ラヴ・ユー」ですよ。なんだこりゃ?日本語か?なんで二人なのに一人称なんだよ、二人でひとりってか?ジョンとヨーコか?ふざけんな。

「天才バカボンのパパ(危険がアブナイ)」みたいな邦題はポールにもあるぞ。「心のラヴ・ソング / SILLY LOVE SONGS」「ひとりぽっちのロンリー・ナイト / NO MORE LONELY NIGHTS」「ケアレス・ラヴに気をつけて / DON'T BE CARELESS LOVE」とかな。まぁポールは「天才バカボンのパパ」だから仕方ないけどね。なにげに「西暦1985年 / NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」ってのもええな。収録されている「BAND ON THE RUN」の初回帯には「バンドは荒野をめざす」と書いてあったよ、とほほ。

ジョンの「ジョンの魂 / JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND」や「心の壁、愛の橋 /WALLS AND BRIDGES」に関しては、どーなんだろーなー。名タイトルと言われてますけどね。でもさ、収録曲もほとんど全て邦題付きなんですよ、「ジョンの魂」の「母 / MOTHER」とか「愛 / LOVE」「神 / GOD」とかは、いや其れは分るからと言いたくもなりますな。「心の壁、愛の橋」の「真夜中を突っ走れ / WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」や「心のしとねは何処 / SCARED」「夢の夢 / #9 DREAM 」「愛の不毛 / NOBODY LOVES YOU (WHEN YOU DOWN AND OUT)」って凄いなぁ。日本語の方が難解だよ。では滅茶苦茶なアルバム邦題を気ままに列記しましょう。

「ギター殺人者の凱旋 / BLOW BY BLOW」
 ジェフ・ベックは犯罪者かよ。
「ギター殺人事件AC/DC流血ライヴ / IF YOU WANT BLOOD」
 AC/DC、お前もか。
「殺人機械 / KILLING MACHINE」
 ジューダス・プリーストまで、あ、此れは間違ってないや。
「新たなる殺意 / LIGHTS OUT」
 UFOを通報しますた。
「狂熱の蠍団〜ヴァージン・キラー / VIRGIN KILLER」
 スコーピオンズも通報しますた。
「飛べ!エアロスミス / GET YOUR WINGS」
 飛ぶのは聴き手なんだがなぁ。
「幻想飛行 / BOSTON」
 勝手に『宇宙の彼方へ』飛ばされた挙げ句、、、
「新惑星着陸 / DON'T LOOK BACK」
 つまりジャケのイメージだったわけか。哀れなりボストン。
「英雄夢語り / HEROES」
 ボウイの意図など粉々です。
「天使と小悪魔 / THE KICK INSIDE」
 ケイト・ブッシュのデビュー盤。何故か一曲目の『MOVING』も同題。
「錯乱のドライヴ / THE CARS」
 此れもジャケで決めたんだろーなぁ。
「クリームの素晴らしき世界 / WHEELS OF FIRE」
 二枚組で銀のジャケだからかな?
「紫の炎 / BURN」
 ま、パープルだからな。
「虹を翔ける覇者 / RAINBOW RISING」
 ま、レインボーだからな。
「ディーヴォのくいしん坊・万歳 / SMOOTH NOODLE MAPS」
 ま、DEVOだし。
「呪われた夜 / ONE OF THESE NIGHTS」
 此れは全く分らないんですよ、何故なのイーグルス?
「黙示録 / I AM」
 EW&Fってこんなのばっか。
「恐怖の頭脳改革 / BRAIN SALAD SURGERY」
 ELPって怖いよぉ、と思った。
「ラヴ・ガン / LOVE GUN」
 地獄がないキッスなんてキッスじゃないっ!!あれ?
「愛のペガサス / PRINCE」
 頼むから教えてくれ!何故なんだ?
「激愛 / MAD LOVE」
 うーむ、、、リンダ狂っちゃう。
「トッドのモダン・ポップ黄金時代 / THE EVER POPULAR TORTURED ARTIST EFFECT」
 長いよ。
「明日なき暴走 / BORN TO RUN」
 確かにスプリングスティーンはヤンキーだ罠。
「スーパースターはブロンドがお好き / BLONDES HAVE MORE FUN」
 ロッドにやにや。
「宇宙の騎士 / TOTO」
 ふーん。
「魂の叫び / RATTLE & HUM」
 U2は知っているのかしら?
「伝説の爆撃機 / VAN HALEN U」
 『炎の導火線』で此れで『暗黒の掟』で『戒厳令』で理解不能。
「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ! / THE MAN FROM UTOPIA」
 ヤッッチマイナー!!
「アリス・クーパー地獄へ行く / ALICE COOPER GOES TO HELL」
 間違ってないけど、あんまりだよ。


まだまだ沢山あるけど、今日は此のくらいにしといてやるよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 23:17| ONDO | 更新情報をチェックする

2004年11月19日

「アタシニホンゴシッテルヨ」

地獄の叫び(紙ジャケット仕様)


「ハイ・スクールはダンステリア」が本人の苦情によって(他の曲もすべて)原題のカタカナ表記に改められたのはともかく(かつて下積み時代に日本レストランでバイト経験も在るシンディー・ローパーは、来日して自分のスットコドッコイ邦題を知り激怒!「アタシニホンゴシッテルヨ!」と担当に詰め寄り、全て原題のカタカナ表記へ改めさせたらしいです)、「21世紀の精神異常者」が「21世紀のスキズオイド・マン」になったり「のっぽのサリー」が「ロング・トール・サリー」になったのは、百鬼丸に申し訳ないよ。まったく「オレたちは体のいい身体障害者みたいなもんだ」だよな、サイボーグ004。

枕は此れくらいにして、前回リンゴだけスルーしちゃったんで、寝覚めが悪くなりそうだから補足。リンゴのバカ邦題は此れだす。

「ロックは恋の特効薬 / A DOES OF ROCK'N'ROLL」

なんぢゃこりゃ?でな、意味が通じなかったかもしれないので「キッスの地獄」も補足しときます。需要はないかもしれんが。

「地獄からの使者 / KISS」
「地獄の叫び / HOTTER THAN HELL」
「地獄への接吻 / DRESSED TO KILL」
「地獄の狂獣 / KISS-ALIVE !」
「地獄の軍団 / DESTROYER」
「地獄のロック・ファイアー / ROCK AND ROLL OVER」
「地獄からの脱出 / DYNASTY」
「地獄の回想 / LICK IT UP」
「地獄の再会 / UNPLUGGED」
「地獄の交響曲 / ALIVE W」


他にも在った気もするけど、もう充分だな。ちなみに「地獄=HELL」が原題にも付いているのは「地獄の叫び / HOTTER THAN HELL」だけです。

「仮面の正体」「魔界大決戦」「暗黒の神話」とかもあったけど却下!!

キッスは地獄じゃなきゃイヤ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 01:26| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年02月20日

「ハートに火をつけて」

The Doors


渋谷クアトロで、小島麻由美さんのライヴを観ました。優しいお友達の御蔭で最前列でしたけど、ズルはしてません。今回から新編成になったバンドは、御馴染みのギター:塚本さん、ドラムス:ASA-CHANG、にハモンド・オルガン:エマーソン北村さんと云う3ピースに、ヴォーカルのコジマユでした。此の編成は「DOORS」ですね。じゃあ、コジマユはジム・モリソンかよ?ステージ上でナニしたりしちゃうのかよ?と不埒な妄想はやめましょう。

前座も在ったので15曲と、少し短めのセットでした。前座の方はイコ的には面白いひとで、まさかライヴを観ることになるとは思っていませんでした。確かにアレはナニですなぁ。でも本物が凄すぎるんで、あーゆーエピゴーネンもアリかなと。UAについていけない方は、どーぞって、バラしちゃったよ。初めて生で観たエマーソン北村さんのノリが、KANちゃんに似ていて面白かったです。ASA-CHANGは今日もドカドカ太鼓を叩いてました。そんでもって正面で観た塚本さんの「ひまわり」のソロは、何度聴いても良いですね。一寸、感極まって泣きそうになりましたよ。

小島さんはねぇ、相変わらずでした。でも、ステージのアノコが大好きです。アノコがステージに立つ限り、あたくしは何度でも観に行くでしょう。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 23:59| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年03月22日

「NIAGARA MOON 試論」

Niagara Moon 30th Anniversary Edition


1. NIAGARA MOON 試論

此れは、はっぴいえんど解散後に大滝詠一師匠が出した最初のアルバムです。

ソロ名義では二作目なんですけど、ファースト「大瀧詠一」は「はっぴいえんどの大瀧」によるアルバムと云う印象が強く、実際在籍中に制作されて作詞の半数が松本隆で細野さんと茂も参加ってなわけですから、まぁアレは「はっぴいえんど」って呼ばれてもええんぢゃないかって作品なんです。勿論、其れだけでは無いのが師匠らしいトコですけどね。

さて、30周年盤を聴きました。やはり凄い。もうね、此れは聴いてもらうしかないわけなんです。説明不要。オリジナル盤や初CD化、20周年盤等を持っていても聴くべし!本編のマスタリングも別だし、何よりボーナス・トラックが全く違うんですから全部聴かないとね。

此の作品でも細野さんと茂が参加しています。「はっぴいえんど」のメムバーで参加していないのは松本隆だけです。其れだけで、こんなにも違うモンなんでしょうか。「はっぴいえんど」とは、松本隆だったのでしょうか。いいえ、そうぢゃないんだ。「ジョンの魂」がポール色を完全に排除してビートルズとは別のモノとなったのに、何故か最もビートルズらしい作品とも云える様に、松本抜きの世界が最も「はっぴいえんど」的な展開だったと云えるのです。

同年に発表された茂の大傑作「バンド・ワゴン」が、松本の作詞で大瀧の歌唱を模倣し「はっぴいえんどの4枚目」なんて云われたりもします。其れは其れでアリだけど、其の本質に果敢に立ち向かって行った大滝の試行錯誤が、6年後「ロンバケ」での再会で結実するのです。「はっぴいえんど」とは、松本が作詞して大瀧が曲を書いて歌うバンドでした。「風をあつめて」が代表曲となった今では、少し意味不明でしょうけどね。


2. 続 NIAGARA MOON 試論

1975年上半期、もと「はっぴいえんど」の連中は、其の本性を露にし爆発しました。

「はっぴいえんど」は1973年9月21日の解散コンサートで終止符を打ちますが、正式解散は1972年12月31日です。大瀧のソロ(1972年11月25日発売)、正式解散(1972年12月31日)、はっぴいえんどのサード「HAPPY END」(1973年2月25日発売)、細野さんのソロ「HOSONO HOUSE」(1973年5月25日発売)、はっぴいえんどのベスト「CITY」(1973年9月10日発売)と来て、再結成コンサートとしての「解散コンサート」が行われたのです。

解散コンサートには、南佳孝(松本隆が作詞、プロデュース、デレクターを担当した「摩天楼のヒロイン」で同日にデビュー)、(松本隆の)ムーンライダース、キャラメル・ママ(細野、茂が参加)も出演し、大滝はココナツ・バンクとシュガー・ベイブを従えてのソロ・パートも披露しています。解散は、新たなる門出だったのです。

御存知の通り、松本は職業作詞家へと転身し、細野&茂はキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーとしてプレイヤー&アレンジャー集団の道へと進みました。一方、大滝はCMソングで頭角を表しながら、個人レーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、自宅に本格的な個人スタジオを作るのです。「HOSONO HOUSE」も自宅録音ですが、大滝がやったのは細野さんの宅録とは本質的に違っていました。

さて、1975年、まず1月に小坂忠「ほうろう」が発売されました。此れは小坂のソロですが、実際は細野さんとのコラボです。バックにはティン・パン・ファミリー総出演で、松本も作詞で参加しています。3月には鈴木茂が「BAND WAGON」で鮮烈なソロ・デビュー。単身渡米し、サンタナ・バンド、スライ&ファミリー・ストーン、タワー・オブ・パワー、リトル・フィートなどのメムバーをバックにギターを弾きまくり、松本の作詞を大瀧のものまねで歌うと云う「はっぴいえんど」好きには堪らない名盤を世に問いました。4月に、SUGAR BABE「SONGS」が大滝のレーベル「ナイアガラ」の第一弾として発売され、5月の「NIAGARA MOON」と続くのです。翌6月には荒井由実「コバルト・アワー」、細野晴臣「トロピカル・ダンディ」まで出てしまうんですから、夢の様な時代でした。

簡単に云うと「DOWN TOWN」とか「卒業写真」とか、タツローやユーミンに普遍的な名曲ポップスをやらせといて、大滝師匠は「三文ソング」とか細野さんは「北京ダック」とか、わけわかんねーことをやってたってことですな。すげえなぁ。


3. 続々 NIAGARA MOON 試論

全12曲で28分28秒。オリジナルの「NIAGARA MOON」は30分にも満たない作品ですが、今回のボーナス・トラックで其のレコーディングの全貌が明らかになりました。ボーナス・トラックは14テイクにも及び、収録時間は40分近くもあるのです。本篇よりもボーナス・トラックの方が長いって。

当時の大滝はCMソングで様々なリズムの実験を試みておりまして、「NIAGARA MOON」には其のCM曲を発展させた作品も多く収録されています。11曲目には、三ツ矢サイダーのCMソングがそのまんま入っていたりもします。そもそも「ナイアガラ」を立ち上げてエレックと契約したのは、CMソングをレコードにしたかったからだと云われていますが、当時「CMソングをそのままレコード化する」なんてことは、全くもって常識外れだったのです。なにしろタイアップなんて概念すらなくて、コマソンはあくまでもコマーシャル用に30秒位のサイズで制作されていた消耗品だったのですからね。

個人レーベルとして「ナイアガラ」を設立した大滝ですが、レーベルを強調する為に第一弾は自分のソロ作品ではなく SUGAR BABE のアルバムを出すことにします。山下達郎と大貫妙子が在籍していた此のバンドは、ドリーミーでポップな方向性だったので、連続リリースとなる「NIAGARA MOON」は敢えて大滝のポップな部分(所謂「夢で逢えたら」→「ロンバケ」路線)を意識的に排除することになったのです。また、はっぴいえんど的な叙情性(松本隆の世界)からも、大きく離れなければならなかった(松本の詩を歌わされていたと大滝は述懐している)ので、自作の言葉遊びに終始した意味不明な日本語をニューオリンズのリズムに乗せると云う「乾き切った」世界が展開されています。

「はっぴいえんど」は洋楽に日本語を乗せる試みに挑み「日本語ロックの草分け」とされていますが、「風街ろまん」で到達した世界は「ロック」と云うより「フォーク」に近いモノだったと思います。「ゆでめん」での初期衝動を発展させて行ったのは、大滝単独作品「颱風」や「はいからはくち」のリテイクで、其れは大滝のソロでの「びんぼう」や「あつさのせい」へと直結しています。そうした「日本語ロック」に対するこだわりが、「NIAGARA MOON」と云う前代未聞の「日本語ロック」を作らせたのでしょう。

オープニングで後のドリーミーなナイアガラ・サウンドに継承されるテーマ曲で始まりながら、突然のカット・アウトから間髪入れず「三文ソング」に繋げる部分は、30年の時を経ても未だに新鮮で衝撃的です。其処から流れる様に展開する前人未到の「リズム歌謡ロック」の数々は、近年でもCMや映画の主題歌に取り上げられる程「瑞々しい」新しい音楽です。

今回収録のボーナス・トラックは、珠玉の28分28秒が「如何にして作られたのか?」を教えてくれました。でも、そんな種明かしがなくとも、本篇を聴くだけで充分なんです。

愛すべきサンボマスターのファンに告ぐ。此れが「日本語ロック」です。


4. 続々続 NIAGARA MOON 試論

大滝詠一の代表作と云えば、此れはもう誰が何と云おうとも「A LONG VACATION」です。最近でも「君は天然色」や「スピーチ・バルーン」がCMに使用され、発売から四半世紀近く経った現在でも色褪せない此の名盤は「永遠のマスターピース」として今後も聴き続けられて行くのでしょう。音楽史的にも、大滝は「元・はっぴいえんど」で、ソロでは「ロンバケ」の作者として語り継がれて行くと思います。

しかし、ジョン・レノンが「元・ビートルズ」で、ソロでは「イマジン」の作者として語り継がれていることに対して「なんだかなぁー。」と思う様に、大滝詠一が「ロンバケ」だけで評価されたのでは「納得がいかない」んです。ジョンは亡くなってしまったので、自分の作品がどんな風に継承されて行くのかを見ることが出来ません。ゆえに、大滝が執拗に過去の作品をリマスタリングして行く姿に、あたくしは感動するのです。

「NIAGARA MOON」は、'70年代のナイアガラで唯一リミックス盤が存在しない作品です。ナイアガラのリミックスは賛否両論が在るものの、それぞれが楽しめる作品になっているのですが、此れだけは手を加えないって処に大滝の自信が伺えます。これぞ「永遠のマスターピース」でしょう。


5. 続々続々 NIAGARA MOON 試論

「A LONG VACATION」の大成功は、多くの新たなファンを獲得したものの、捻くれたオールド・ファンにとっては「喰い足りない」と云わせることとなりました。

発表当時、大滝さんの「DJ パーティー」に参加する機会が在って、今も昔もそんなモンにのこのこ出掛けるのは「コアな」ヲタばかりなので、安心してあたくしもシビアな質問ばかりしてしまったのだよ。若気のいたりと云うか、相変わらずと云うか、本人が触れて欲しくない「ナイアガラ暗黒時代」について執拗に訊ねたのだけど、売れて来たところにヲタに囲まれて気分も上々の師匠からは、本音も出た。

曰く「僕だってロンバケまで妥協しなきゃ売れないんだよ。今の日本には、布谷くん(「ナイガアラ音頭」を歌った怪人)の様な才能を認める土壌がない。」あの大傑作を「妥協の産物」と云い切る大滝(敬称略、以下同)に、底知れぬ凄みを感じた夜だった。

それならば、大滝詠一が目指した「妥協なき作品」とは、何だったのだろう?コンセプトとしては「NIAGARA CALENDAR '78」か。此れが売れなきゃ引退するとまで云って居たが、見事に売れず、ナイアガラは崩壊へと進むのだ。しかし、其のコンセプトは「ロンバケ」にそのまま使われているので(当時、其れを見抜いたのは一番弟子とも云える山下達郎だけだった)結果的には間違ってはいなかったわけだね。

大滝自身は「ファースト」「ロンバケ」そして「NIAGARA MOON」を自己ベストとしている。「処女作」と「大衆性を獲得した傑作」をベストとするのは当然なので、彼にとっての真のベストが「NIAGARA MOON」で在ることの証明とも取れる発言だろう。

夢と希望と実験に満ち溢れた此の作品には「後ろ向きの妥協」など、全く存在しないのだ。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-3-19〜3-22 全5回連載



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2005年03月27日

「あの娘はあぶないよ」

MY NAME IS BLUE


下北沢で小島麻由美を観た。

60人ほどのキャパで、バックはギターの塚本さんとピアノのDr.KYONのみ。気心しれたヲタ向けのスペシャル・ライヴと云った感じだが、内容は「ALL TIME BEST」!タイトルにした曲を初めてライヴで披露するわ、「マイモンキーはブルー」「さよなら、カエル」なんて初期のレアな曲も久しぶりにやってくれたし、大好きな「わいわいわい」も飛び出してラストは「一緒に帰ろうよ」ですよ。「泣けた?」と子供みたいに屈託なく自慢するコジマユがみえた!

勿論、「結婚相談所」「恋の極楽特急」も復活、「セシルのブルース」「黒い革のブルース」「ハートに火をつけて」「蛇むすめ」「茶色の小瓶」あたりも、しっかり押さえて、リクエストで予定外の「ぱぶろっく」(なんとKYONさんは初見で見事に弾いた!)まで聴けたのだから、云うこと無し。此の半年で何度も観た、定番化されたセットに「おいおい」と贅沢なことを云ってたあたくしは、もう大満足。そうだよ、小島さん。あなたには素敵な曲が山程在るんだ、色んな曲をライヴでやらなきゃね。うんうん。

しかし、何故コジマユは昨年の初全国ツアーでこんな感じのセットにしなかったのだろう?全国ツアーには「初めて生コジマユ」を観るファンが詰めかけたわけで、当然、ベストな選曲を望んでいたと思います。でも、彼女は「普通にやりたい様にやった」わけだ。なのに、こんなにも狭い小屋で「ベスト選曲」をやらかすわけです。普通は逆でしょ。いや、やはり其処が「小島麻由美」なんだな。

でも、本日のハイライトは松田聖子ちゃんのカヴァー「SWEET MEMORIES」でしょう。小編成と狭い場所で、いつもよりも「はっきりと」小島麻由美のうたを堪能出来た夜だったけれど、此のひとは何を歌っても自分のうたにしてしまうんだって思い知らされました。普通は原曲と掛け離れたアレンジで別作品としてのカヴァーをやるってのが定番ですが、小島さんの場合は「歌唱」だけで自分のうたにしてしまえるのです。なんてひとなんだ。やっぱり小島麻由美はうたが上手い!いや、うたが凄い!!

あんた、もう、ありゃ、ジョン・レノンだよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2005年04月01日

「THE APRYL FOOL」

APRYL FOOL


誤字ぢゃないよ。今日は April Fools' Day だから、THE APRYL FOOL のことを一寸書こう。

「エイプリル・フール」は、よく「はっぴいえんど」の前身として語られるバンド。事実、細野さんがベースで、松本隆がドラムスと作詞だから、「はっぴいえんど」の半分が参加していたわけで、しかもリズム隊だし、細野さんは曲も書いている。此の情報だけなら、当然「はっぴいえんど」前夜を期待しても仕方ない。昔は廃盤で聴けず、幻の音源だったし、まだサラリーマン時代のアラーキーが撮ったジャケットが小さく印刷されたレビューなんかを眺めては期待に「わくわくどきどき」したゼニヤッタモンダッタ。

けれど其れ以前、此のバンドは「フローラル」と云う「グループ・サウンズ(GS)」だったのですよ。其のメムバーだった小坂忠、柳田ヒロ、菊池英二に、細野さんと松本を加えたのが「エイプリル・フール」でして、「はっぴいえんど」を期待して聴いたりしたらガッカリすること必須です。まだ「フローラル」の方が「はっぴいえんど」に近いかもしれないよ。何しろ、「エイプリル・フール」は、英語で歌っていますからね。完全なる「日本語ロック論争:内田派」ですよ。「はっぴいえんど」の「は」の字も在りません。「フローラル」は、日本語で歌っていたんです。其れが「英語」になって「これぢゃ、ダメだ!」と松本の暴走が始まるのでした。

大体、「エイプリル・フール」で何か物凄いモノが生まれていたら「ゆでめん」は生まれてないでしょう。とは云え、「ゆでめん」だけに在る「ロック」らしさは、やはり「エイプリル・フール」を経た賜物とも思えますな。

あ、此れは一応、語り尽くされた史実なので、嘘ぢゃないよ。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)



posted by 栗 at 21:05| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年05月01日

「ah あんまりでもらい泣きしそうだよ」

面 おもかげ 影


池袋で小島麻由美のライヴを観た。

会場の自由学園明日館講堂は、礼拝堂みたいな内装で、とてもライヴ会場には思えない。長椅子に腰掛けてゆったりとアコースティック・ライヴを堪能できた。編成は下北沢での塚本さん:ギター、kyon:ピアノに、長山さん:ウッドベースを加えたもので、会場のPA設備もお世辞にも良いものではないので、完全にバックに徹した演奏で、コジマユの歌を全面に出した感じ。

「もしも自由がほしいなら」で始まったセットは、前半塚本さんはアコギで「あの娘はあぶないよ」「先生のお気に入り 」「ディビ・ドゥビ・ダー」「ショートケーキのサンバ 」「ドロップ」「ハートに火をつけて」と新旧取り混ぜた結構レアな選曲で、かなり「ぐっときて」しまった。

塚本さんが「なんちゃってバンジョー(6弦ある)」に持ち替えて「砂漠の向こう」「SWEET MEMORIES」(またやりました)「黒猫 」としっとり決めて、後半はエレキで「さよなら、カエル」「黒い革のブルース」「刺青」「蛇むすめ」「茶色の小瓶」と妖しい路線でぶっ飛ばし、ラストはなんとアコギでの「ひまわり」(よくあることだが、イントロでとちってやり直した)で、アンコールなしは相変わらず。一時間強で終わってしまったけれど、毎度のことでMCもほとんどなかったので、まぁ、どれもいつものことなんで慣れてしまってるんですが。

今回は特に前半のアコギ・パート(ラストの「ひまわり」も含めて)が良かったな。コジマユは美しい曲を書くひとなんだって、しみじみと再認識させて戴きました。(やっぱ、太鼓はいらないな、歌が聴こえないもん。)体調があまり良くなくて、久しぶりに一人だったし池袋まで出掛けるのも億劫だったのだけど、コジマユの歌を聴いていたら体に力がもどってくる様な気分になった。「音楽に癒される」なんて、ちゃんちゃら可笑しいと思っていたけれど、「歌」には何かそんな不可思議な効用も在るのかもしれないなぁ、と思いました。


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



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2005年06月07日

「溶けろ!リアリティー♪(TIN PAN ALLEY の時代)」

キャラメルママ(紙ジャケット仕様)


1. 今日はなんだか愛は幻

1975年4月25日にナイアガラ・レーベル第一弾として、SUGAR BABE のシングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」が発売された。

何度もしつこく云うけれど、当時は此の素敵なメロディーがまったく無視された。はっぴいえんども大滝さんも細野さんも全然売れてないんだから、其の弟子みたいな連中が受け入れられる土壌なんてなかったんだ。彼等の不運は発売元のエレックがすぐに倒産したことも在るけど、兎に角、本当に、全く売れなかった。達郎の話だと「500枚くらい」しか売れなかったらしい。あたくしも当時ラジオなんかで聴いた記憶がなく、レコードを買ったのは飢餓感ゆえだったのかもしれない。

11年前に発売から20周年記念でオリジナル・マスターでCD化された時に、オリコン3位まで上がるヒットを記録したのは有名な話だけど、ついに発売から30年も経ってしまった。なのに、此の瑞々しい音楽は一体何なんだろう。彼等に影響を受けた音楽が現在では主流になり、今でもなお新しいリスナーを増やしているよーで、まぁ売れればええわけではないけれど、「ざまーみろっ!!」って気にはなる。

14才の自分に「お前が選んだ音楽は、間違ってなんかないんだぞ。」と教えてあげたいね。


2. BAND WAGON

あれから30年、日本語ロックの方向性を決定付けた1975年の傑作群のひとつが、また世に問われました。一寸紹介するのが遅れたけど、2005年5月25日に、きっちりと30周年記念盤として茂の唯一無比の大傑作が発売された事が、とても嬉しいです。

現在では説明不要な作品になってしまいましたし、此れまでも何度もリイシューされて来ました。今回は、茂本人が新たにリマスタリングしていますが、オリジナル通りの9曲入りの侭です。36分くらいで終わってしまうんですけど、やはり余計なボーナス・トラックなんていらないんですね。(無いわけじゃ無いんですよ。実際「ハックルバック」なんてCDも出てますからね。)其れじゃ、今までのとあまり変わらないかって云うと、そうでもないんですよ。DVDが付属されて居ます。でも、あくまでも「おまけ」ですね。オリジナル・フォーマットが素晴らしいので、一切余計なモノは(本人の意志であれ)不要です。

リマスターではインスト曲が特に鮮明な印象を受けましたが、「砂の女」「100ワットの恋人」などの歌モノは、いつ聴いても素晴らしいです。処女作ってのには、多くの傑作が在ります。あたくしにとって、ビートルズとはっぴいえんどは特別な存在ですけど、其の中で何れも最年少であった(云わんとする意味は察して下さい)ジョージと茂がソロ・デビューで永遠の傑作を作ってくれたってーのが、永遠に彼等のファンでいられる理由のひとつですね。DVDのインタビューで「砂の女」を作ったくだりにジョージの名前が出た時には、思わず「にやり」としちゃいました。

此の作品を聴いたことが無い方がもし居るなら、此の機会に是非聴いてみて下さい。CD本篇に関する内容は、イコも未亜も、絶対保証致します。つまり、DVDはマニア向けだってことね。


3. TIN PAN ALLEY の時代

茂の「BAND WAGON」は1975年3月25日発売で、大滝さんの「NIAGARA MOON」が5月30日でして、30周年盤がそれぞれ5月25日と3月21日に出たのは、ナイアガラ記念日の321に対する茂の配慮なのかな?なんて考えるのも一興です。

1975年には大滝さんと茂&ハックルバックが共演したライヴと云うのが何度か在って、特に興味を惹くのが11月21日の荻窪ロフトです。記録によると開演が3時間も遅れたらしいのですが、其れでも此れを聴けたならええなって思いますね。此の時、ハックルバックをバックに大滝さんがヴォーカルでの「BAND WAGON」が披露されたのですから。

「BAND WAGON」での茂のうたは、誰がなんと云おうとも「大滝の模倣」です。茂以外はすべて外人ミュージシャンの演奏なのに、はっぴいえんどの4枚目とも云われてしまうのは「松本隆の歌詞を大滝がうたう」からなんです。当時の大滝さんは、もう兎に角「脱・松本隆」路線で行ってましたので、テストとしての「デビュー」(1978年)や、再会の「ロンバケ」(1981年)までは有り得ない世界だったのだけど、お茶目な師匠はしっかりと予告篇をやっていたわけですな。余談ですが、当時大滝さんのバック・バンドも勤めて居たのが「SUGAR BABE」でして、1994年にタツローが行った「Sings SUGAR BABE」を客席で観ていた大滝さんは号泣し、慌てて楽屋にお隠れになったそーです。其の時、タツローはかつての様に美しく「砂の女」を歌ったのです。

12月16日には「TROPICAL MOON」なんてコンサートもやってます。6月25日に発売された細野さんの「トロピカル・ダンディ」と「NIAGARA MOON」はしっかりと繋がっていました。大滝さんはいみじくも「細野さんと僕は似てる」と語っておりましたけど、其の後もオムニバス盤や楽団などコンセプトが酷似した展開を聴かせてくれるのです。まぁ、其れはまた、後の話。


4. まぬけなキューピッド

大滝さんと細野さんのそれぞれのソロ一作目は、はっぴいえんどの世界を色濃く感じさせる作品でした。「大瀧詠一」はバンド活動中の作品で、半分は丸っきり「はっぴいえんど」だし、「HOSONO HOUSE」も解散→再結成→また解散みたいな混沌とした時期に出たことは以前も詳しく書いた通りです。其れ故、お互いのソロ処女作は共通の匂いを感じさせるわけですが、茂がソロ・デビューで更に「はっぴいえんど」の未来を提示した時期に御大ふたりは完全に「脱・はっぴいえんど」を成し遂げてしまいました。其れが「NIAGARA MOON」と「トロピカル・ダンディ」です。此のふたつの作品は、根本的な部分で同じ試みをしているので聴き比べると大変面白いと思います。それぞれ二作目の前には「布谷文夫」「SUGAR BABE」「小坂忠」などのプロデュースをしているのも、似ていますね。つまり、ふたりはライバルなんですな。

現在でもまだ衝撃的な第二作(近年、はっぴいえんどの箱から新たにファンになった方でも、此れが実質的には解散後初のアルバムだと認識して聴いたら吃驚すると思いますからね)を発表した後に、ライバルが向かったのはオムニバス盤でした。

TIN PAN ALLEY の「キャラメル・ママ」は1975年11月25日発売。キャラメル・ママと云うのはティン・パン・アレイの前身となったバンド名です。細野さん、茂、林立夫、マンタのメムバーがそれぞれ2曲ずつとティン・パン・アレイとして2曲をプロデュースした計10曲に、ティン・パン・ファミリー総出演で臨んだバラエティー豊かな作品集になっています。茂の作品「ソバカスのある少女」では松本隆が作詞し、南佳孝が茂とデュエットと「はっぴいえんど」好きにも好まれる展開を見せますが、後藤次利のチョッパー・ベースが炸裂する林の「チョッパーズ・ブギ」などには「はっぴいえんど」の欠片も在りません。そして細野さんは早くも「イエロー・マジック・カーニバル」で未来を暗示しています。

対して大滝さんの「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」は、タツロー、銀次とのオムニバス盤で、1976年3月25日発売。タツローの「ドリーミング・デイ」「パレード」「フライング・キッド」は名曲だけど、やはり大滝さんが居ると「SUGAR BABE」を感じさせます。本来ならこれらの曲は「幻の SUGAR BABE セカンド」に入るべきだったのでしょう。銀次も後の「ウルフルズのプロデューサー」を予感させる痛快な「日射病」「新無頼横町」などで活躍して、シングルでは三人で歌った名曲「幸せにさよなら」(加山雄三さん用に作ってボツにされたらしいけど)も残しています。現在では有り難いことに、ボーナス・トラックとしてシングル版は追加収録されてます。しかし、やはり目玉は大滝さん。なんせ、ホントは「ホンダラ行進曲」を三人でカヴァーする気だったってんだからね。そもそも此れはナイアガラはもうダメってことで、タツローも銀ちゃんも去って行くからってんで「さよなら企画」として世に出たんですからね。そんな時に師匠ったら、全く何を考えてるんでしょうなぁ。まぁ、其の代わりに収録されたのが、もっと恐るべき怪作「ナイアガラ音頭」だったんですけどね。

そして注目すべきなのは「Fussa Strut Part-1」です。「NIAGARA MOON」で先にPart-2が発表された作品ですが、此処でのベースは細野さんで、ピアノは教授です。大滝さん曰く「彼等の初共演は、此れだよ。」

ほらね、上手くYMOに繋がったでしょ?お茶目で悪戯なキューピッドだね。


5. 溶けろ!リアリティー♪

そんでもって、すぐにYMOに行かないのが細野さんだったりします。「ティン・パン・アレー2」や「パシフィック」「エーゲ海」などのインスト盤も在りますけど「トロピカル・ダンディ」「キャラメル・ママ」の1975年から「イエロー・マジック・オーケストラ」(1978年11月25日発売、そうですよ彼女の御誕生日ね)まで特に注目すべきなのは、ソロ名儀三作品でしょう。

此の時代の最高傑作は「泰安洋行」(1976年7月25日発売)だとは思いますし、大滝さんが同時期(1976年10月25日)に発売した「Go! Go! NIAGARA」と比較しても「勝負在った!」と思わせます。しかし、冒頭の「蝶々-San」では、しっかりと大滝師匠とタツローがコーラスで参加して居るのがミソ。次にはカレンダーも待ってますから、ナイアガラーは心配御無用です。

で、個人的に一番聴き込んだのは「はらいそ」(1978年4月25日発売)です。アナログのB面では、YMO三人での初共演や偶然のシンクロも在って、横尾忠則との「コチンの月」(1978年9月20日発売)を経て、わずかな期間でYMOへと進んでしまいます。でも、あたくしが愛するのはタイトル曲などの細野さんの「うた」であり、衝撃のエンディングです。特に、今回のタイトルに引用した「はらいそ」の歌詞は、あたくしにとって永遠の「必殺の一行」なんです。此れこそが「虚構絶対主義宣言」でしょう。「現実」なんか、溶けてしまえば好いんだ。

怒濤の展開を魅せた1978年に、ライバル「大滝詠一」は一体何をしていたのかな?其れは「音頭」です。此の「ONDO」カテゴリの起点となるのは、「YMO」と「椎名林檎」が誕生した「1978年11月25日」に同じく産声をあげた「大滝さんの大傑作」に在るのですが、、、其れは、別項で。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-4-25、6-4〜6-7 全5回連作



posted by 栗 at 23:25| ONDO | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

多羅尾伴内 [DVD]


1. 「レッツ・オンド・アゲン」私論

大滝さんの大誤算は、自己レーベルを潰れたエレックからコロムビアに移籍する際に「年間4枚」の契約をしてしまったことでした。いえ、其の時にはナイアガラには大滝さん以外に「SUGAR BABE」「ココナツ・バンク」「布谷文夫」とコマが揃っていたわけでして、1976年にはエレック時代の2枚と新作2枚(「トライアングル1」と「GO! GO!」)で乗り切ります。しかし、タツローと銀ちゃんのバンドは解散し「トライアングル1」を最後に、彼等はみんなでナイアガラを去りますから、移籍早々「ひとりぽっち」になってしまうのです。ゆえに1977年と1978年で、大滝さんはひとりで8枚のアルバムを出さなければならなくなってしまいました。で、実際には1976年から1978年の期間でしたけど、「GO! GO!」から「レッツ・オンド・アゲン」まで、2年で8枚出してしまったんですな。

アイデアは豊富だったのでしょうけど、あまりにも無謀であり、なによりも全く売れなかったんですから、もーどーしよーもないんです。此の時期で一番売れた「CMスペシャル1」ですら2万4千枚、あの傑作「ナイアガラ・ムーン」がたったの2千枚、「レッツ・オンド・アゲン」は多くても500枚だって云うんですからね。1996年盤CDの解説で大滝さんが書いているのは事実なんですよ。つまり、あたくしは500人のうちのひとりだったのね。嗚呼、掛け値無しの大莫迦じゃん。

とは云え、此のアルバムにはお世話になりました。なんせ天下の「ロンバケ」のひとつ前の作品なんですから、そりゃーもー「大滝の前のレコードを聴かせてケロケロ」って云う輩全員に「此れだよーん」と聴かせてやりましたよ。だって、ホントのことだもん。ケロケロ


2. 「レッツ・オンド・アゲン」逸話

「スネークマン・ショー」でも活躍した小林克也さんが「ナンバー・ワン・バンド」を出す時に、大滝さんに試聴盤を聴いて戴き感想を伺ったら、師匠曰く

「うーん、面白いねぇ、僕のレコードの10倍は売れるよ。保証します。」

世の中「ロンバケ」の時代ですから「ええっ?大滝さんの10倍って、そりゃ何千万枚ってことかぁ?話半分でも凄いよ、ベストヒットUSA!!」と小林さんは有頂天になったんですけど、なんか売れないのね。5千枚くらいしか売れないってんで「大滝さん、全然ダメなんですけどぉー」ってお伺いを立てたら、師匠曰く

「当たったね。僕の『レッツ・オンド・アゲン』は500枚だから、丁度10倍だね。」

と、云うのは嘘です。ホントは小林さんのは1万枚くらいは売れたので、20倍なんですよ。師匠は一寸見栄をはったんですな。「1千枚しか売れなかったから」ってね。


3. 「レッツ・オンド・アゲン」がまた輝けば

世の中に所謂「ナイアガラー」なる輩たちを作り出したのは、勿論「大瀧詠一」の活動すべてが面白いからなんでしょーけど、「はっぴいえんど」や「ロンバケ以降」よりも「70年代ナイアガラ」に其の肝が在ると思われます。ナイアガラーは当然マニアです。ま、現在で云う「ヲタ」の元祖みたいな連中ですけど、一寸違う。で、大瀧さんは其のボスなんですな。徹底的にマニアックで、深い音楽の造詣をこれでもかとレコードに刻み、DJ(現在の様な意味ではありません)としても鬼の様に「趣味趣味音楽」をかけ続けて、数多の弟子を輩出した師匠なんです。

「はっぴいえんど」と云うバンドは、基本的に東京のぼんぼんが集まったのですけど、大瀧師匠だけは東北出身でした。上京し印刷会社に就職して、最初の呑み会で「大瀧、おまえも何かやれ」と云われザ・ビートルズの「ガール(一説には、ミッシェル)」を歌ったら、社長に「お前はクビだ。歌手になれ。」と云われ、音楽家の道へと進んだってのが「嘘のよーなホントの話」らしいです。

「NIAGARA MOON」「GO! GO! NIAGARA」「NIAGARA CM Special」「NIAGARA CALENDAR」などのコンセプト・アルバムは、宝の山と云って良いでしょう。「MOON」以外は、まだ深く語ってませんが、これから毎年出る「30周年盤」の時にでもゆっくりとね。

で、今回取り上げている「多羅尾伴内楽團」ってのは、大瀧師匠版「YMO」で在りまして、此れは長く再発されてないんです。唯一「VOL.3」に予定され制作開始された「レッツ・オンド・アゲン」だけが1996年に再発されたので、かろうじて入手可能なんですけどね。あたくしとしては70年代のナイアガラ作品は、1500円(税込)をみつけたら、すべて入手すべきだと思いますよ。高値が付いてる80年代の再発なんか無視してええよ。もうCD媒体としての「20年の寿命」が来てるし、もともと初期のCDは音が悪いんですから完全なマニア向け骨董品です。其の点、アナログは良く出来てましたね。少なくともビートルズのアナログがまだ聴けるんだから、40年以上は保つんですもん。

音楽を言葉で解説するなんてことが、如何に「無意味」なのかを「レッツ・オンド・アゲン」は教えてくれました。例えば「337秒間世界一周」が、何れだけの「ワールド・ミュージック」を内含していよーが、「禁煙音頭」を歌うのが誰で、コーラスがビーチ・ボーイズ風で、間奏で歌うのが誰であろーが、発表当時は歌詞のみしか掲載出来なかった「河原の石川五右衛門」が何れだけアナーキーであろーが、ラスト2曲で布谷文夫の怪唱へと雪崩れる頭で、密かに確認出来る、あの「颱風」を思い起こさせる大瀧師匠のカウントが、哀しくもかっこよかろーが、んなこたーどーでもええのよ。

よーするに、此れが「面白い」なら其れでええんだ。あたくしは「面白かった」し、今でも「愉快」で、未だに「謎だらけ」なんだよ。例えば、此のアルバムのジャケットが何故「ABBEY ROAD」なのかなぁ?とか思ってたら、クレージー映画のラスベガスだったりもしてね。細野さんにも共通する「無国籍音楽」が、未だに真に受け入れられない不可思議さなんかもね。つーか「YMO」とか「ロンバケ」なんて、ホントはもっと謎だらけなんだけどさ。

そーゆーくだらねーことを考えちゃう輩が27年も経つのに「なかなか」いないので、こーやってえらそーに講釈たれられるわけだな。あ、つまりニーズも無いのかしら。

兎も角、1978年11月25日は「日本語ロック史」にとって「夜明け」だったと云えるでしょう。「ONDO」と「YMO」と「RINGO」が、同時に出現したのですから。


(小島藺子)

初出「COPY CONTROL」2005-6-9〜6-11 全3回連作



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