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2008年04月13日

「昭和プロレス万歳!」

アントニオ猪木全集 (5000セット限定) [DVD]


「本日のカタセカイ・ニュース」2

猪木“ぶってぶって姫”にお仕置き(デイリー 4/13)

小川勝ったのに“理不尽ビンタ”ダァ〜(デイリー 4/13)


「猪木なら何をやってもいいのかっ?!」

「いいのだ(キッパリ)」



(小島藺子)



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2008年04月14日

「鬼の号泣」

最強格闘技伝説 [DVD]


佐山サトルは「天才」だ。昨日放映された「中邑 vs 棚橋」も「セーム・シュルト vs マーク・ハント」も、壱回見るのも苦痛に感じるほど退屈な試合で、速攻HDDから消去されました。なのに、四半世紀も前の佐山の其れは、未だに何度も繰り返して観てしまうのです。其れは決して「ノスタルジー」では在りません。単純明快に、佐山の方が断然に面白いのです。

「伝説の虎戦士スーパータイガー」には、奇妙な試合が幾つか収録されています。最もへんちくりんな其れは、最後の前田戦です。前田がセメントを仕掛け、佐山がプロレスで対抗した其の試合は、観客が水を打った様に静まり返っています。明らかに尋常ではない前田の本気度200%の攻撃と、其れを完璧な技術で防御する佐山の闘いに、マニアで知られた「U」のファンが「此れは唯事ではない!」と気付き、言葉を無くしてリングを凝視しているのです。

もうひとつは、未だ若手だった高田に負けてしまう試合が在ります。実はほとんどコンプリートに近く収録されている此の作品には、最も重要な試合が未収録なのです。いや、其の試合は未だかつて商品化されていません。1985・1・20 後楽園での高田戦で、佐山は左肩に物凄い量のテーピングをしています。実は、其の僅か四日前の 1985・1・16 大阪で藤原戦が行われたのです。其の試合こそが(おそらく余りにも凄惨で在るから)映像作品として残されなかった「幻の試合」なのです。

藤原は、前年12月の「ノー・フォール・ルール」で佐山に蹴り倒され続け惨敗しました。其の余りにも壮絶な試合は、当時「世界のプロレス(東京12チャンネル系)」で放映され、あたくしも観ましたし、当然DVD化されています。其れで藤原が「あのルールはキック主体の佐山に有利だ。今度はノー・ロープ・ブレイクにしろ!」と再戦を迫り、佐山が受けたのです。関節技の鬼にとって、相手がロープに逃げられなければこっちのもんです。果たして、藤原の目論見通りに完璧な関節技で佐山を捉えました。しかし、佐山はギブアップしなかった。遂に、藤原は佐山の腕を折ってしまったのです。

「俺は、仲間の腕を折ってしまった!」そう云って藤原はリングで号泣しました。四日後、佐山は折れた腕で高田と闘い、レフェリーストップで敗れたのでした。確かに「U」もプロレスです。でもな、

此れのどこが八百長なんだよっ!


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 12:08| KINASAI | 更新情報をチェックする

「地獄のプロレス」

バイオレンスジャック 7 復刻版 (7)


「プロレス者」が「U」と云う時、其れは猪木の命令で前田やラッシャーが出向して出来た「ユニバーサル」を指すのでは在りません。

勿論、当然至極、新日にUターンした「UWF軍団」でもないし、長州の顔面を蹴り猪木に「プロレス道にもとる」と解雇された前田が旗揚げした「新生UWF」でも在りません。況や、高田なんぞを神輿に担いだ「UWFインター」で在るわけが在りません。

其れはスーパータイガー(佐山サトル)が参戦した「1984・7・23 後楽園ホール(無限大記念日)」から、彼が去り同時に団体が崩壊した「1985・9・11 後楽園ホール」までの、たったの壱年間を指すのです。

思えば、其れ以前の「タイガーマスク時代」も、たったの「壱年半の出来事」だったのです。僅か三年足らずで佐山が成し遂げた「前衛プロレス」は、素晴らしすぎた。眞の天才である彼が若干20代半ばでプロレス界を去らねばならなかったのは、彼が正に「20世紀最大の天才レスラー」であったからなのです。

猪木信者であるあたくしが云いましょう。
佐山は「猪木を超えた唯一無二の弟子」です。


「伝説の虎戦士スーパータイガー」のジャケットには「蒼き虎」のマスクを被った姿が映っています。しかし実際にDVDを観ると収録された全17試合中、マスク姿で闘う試合は前半のたったの5試合だけなのです。残りの12試合は、素顔の「佐山サトル」で闘っているのです。

佐山は、初めて素顔で闘う相手にマスクマンの「マッハ隼人」を選びました。虎の仮面を付けた侭で、いつもの入場シーンが在り、リングインします。其処で、いきなり「自らマスクを脱ぎ捨てる」のです。カッコいい。(いえ、別に、試合中に後輩・川田に「マスクを取れ!」と命じて脱がせた二代目を揶揄しているんじゃないですよ。)

マッハ隼人は「U」向きでは無い選手でした。ラッシャーや剛と一緒に退団してもおかしくなかった。けれど、其処はプロレスラーです。堂々と佐山に向かって行きました。されど、マスクを捨てた佐山は、余りにも強かった!

佐山に一方的に蹴りまくられ、関節を決められ、コーナーに逃げるマッハに、佐山は鬼の形相で呼び掛けます。其れは、背筋が凍る様な「地獄のひとこと」でした。

「来い此の野郎、真ん中に来い、此の野郎」

虎の仮面を脱いだ下には、もっと恐ろしい「猛虎」がいたのでした。


【あたくしの好きなヤジ】

(延々とグランドの攻防をつづける佐山&前田を観て)
 客A:グランドばっかで客が退屈してるぞっ!
 客B:うるせー!帰れ
 客C:そーだ、帰れ、お前は新日でも観てろ!
(場内大歓声)



初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 19:52| KINASAI | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

「インリン様最強伝説」

タイガーマスク (単行本)


「蘇る幻の虎戦士 ザ・タイガー〈復刻版〉 1984.7.23-24 東京・後楽園ホール」を買いました。

「伝説の虎戦士スーパータイガー」に関する文章で、UWF時代の佐山サトルの事を「スーパータイガー」と呼んでいますが、正確には誤りです。佐山が「タイガーマスク」を辞め、壱年後にUWFで復活した時の名前は「ザ・タイガー」だったのです。

1984年4月11日に、今は亡き大宮スケートセンターで旗揚げした「ユニバーサル・プロレスリング」は、「猪木サンは必ず来る!」と云ういたいけな前田の願いも虚しく、鬼の猪木に捨てられました。猪木は代わりに藤原と高田を差し出すものの、当時は誰も客を呼べる存在ではなかったのです。

そんな時、壱年前に引退し格闘技路線へと突き進んで居た佐山と弟子の山ちゃんが電撃的に参戦することとなったのでした。此れは事件でした。アノ、猪木をも人気面で凌駕した「タイガーマスク」が復帰するのです。引退したとは云え、早熟すぎる天才児:佐山は未だ20代中頃だったのですよ。バリバリの現役です。此れで「ユニバーサル」は安泰だと、関係者は誰もが思ったでしょう。

ところが、1984.7.23-24 東京・後楽園ホールにて二夜連続で行われた「無限大記念日」で復活した「タイガーマスク」改め「ザ・タイガー」は、最早「四次元殺法」の彼ではなかった。無骨なまでに空中殺法を封印し、蹴り倒し、投げ、関節技で決めると云う「今まで観客には見せなかったプロレスの刃」を公開したのです。

其の瞬間、「ユニバーサル」は「U」へと変貌しました。佐山が黄金の仮面で「ザ・タイガー」として闘えたのは「無限大記念日」のたった二夜の夢でした。佐山は、もう黄金のマスクを被ることは許されなくなったのです。そう、三沢が「二代目タイガーマスク」としてデビューすることになったからです。其れで佐山は「蒼き虎」となったのでした。

つまり、此の二夜だけが名前こそ違えど「タイガーマスク」其のものの姿で佐山が闘った試合だったのです。超満員に膨れ上がった観客は、当然、かつてのアイドルを求めます。佐山も在る程度は其れに応えるのですが、何やら様子がおかしくなって行きます。

佐山は、徐々に観客を「プロレス」から「総合格闘技」に導こうとしていました。彼が行った「タイガーマスク」→「ザ・タイガー」→「スーパータイガー」の闘い、そして「シューティング(修斗)」へと向かった1980年代は、余りにも早過ぎた「前衛芸術的プロレス」でした。DVDの後半で公開される佐山の技の数々は、正に「究極の美」です。

あたくしにとってのプロレスとは、アントニオ猪木と佐山サトルなのです。だから、其の二人に肉体改造された小川直也を、あたくしは熱烈に支持しました。そして、小川は本当に強かった。橋本戦での彼は「エヴァンゲリオン初号機」そっくりでした。

ゆえに、ハッスルの演劇舞台で、インリン様にフォールされた小川を観て、あたくしは泣いた。悔しかったよ。本当に情けなかったよ。小川よ、もう一花咲かせてくれっ!橋本が泣いているぞっ!!


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 21:45| KINASAI | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

「イノキ・ボンバイエ!」

Gスピリッツ Vol.6 (DVD付き) (タツミムック)


すべての猪木信者に告ぐ。

「Gスピリッツ Vol.6 (DVD付き)」 (タツミムック)を読みましょう。

「検証ーアントニオ猪木は本当に強かったのか?」

そんな刺激的な謳い文句に、わくわくしながら読めば、其処には「高坂剛」「鈴木みのる」「北沢幹之」そして「ビル・ロビンソン」による証言が掲載されていたのです。

暴露本を書いてしまった「ミスター高橋」ですら、「猪木さんは、本当に強かった!」と書かざるをえなかった。そして、「世界のTK」も「パンクラスの創始者」も「リングスのレフェリー」も、さらには「人間風車」さえも、全員が証言しています。

「アントニオ猪木は、本当に強かった」と。

残念ながら、過去形になってしまいますが、其れは致し方在りません。現在の猪木は、65歳なのです。其れなのに、引退して10年も経つのに、やはり猪木なのです。こんなテーマのムック本が成立してしまうのです。

猪木のDVDを、あたくしは未だ観続けています。強い!上手い!面白い!(牛丼か?)

人間風車の発言は、大瀧師匠とおんなじことを云っています。曰く、

「格闘技は、古いモンの方が完成されていたんだよ。」

で、みんな猪木を絶賛しているわけですけど、やっぱ馬場さんの事は、強さに於いては全く評価していないのよさ。弟子のジャンボまでけしょんけしょんなのですよ。ロビンソン証言だと「猪木(世界レベル)>豊登(日本最強レベル)>ジャンボ(素材は好かった=「宝の持ち腐れ」)」なのですよ。つまり、三団体すべてを経験した彼が、はっきりと云ってしまったんです。

「新日>国際>(永遠に超えられない壁)>全日」と!

すげぇ、、、ビル・ロビンソンは漢だっ!!

でも、やっぱ、先に死んだ奴って、損だ。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 21:29| KINASAI | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

「ムタとインリン様の息子はボノ」

新日本プロレスリング オフィシャルDVD THE GREAT MUTA 【SPECIAL EDITION】 BATTLE-0


ティンカーベルが自転車を預けていたので、結局、また真っ昼間から立ち呑み屋さんでしこたま呑むことになりましたけど、SO WHAT ?

今回はティンカーベルの呑み友達であるポニョちゃんも一緒でした。「昨日はあたしだったけど、今日はこいつが暴れるから、未亜よろしく☆」と宣言された通り、流石はティンカーベルの親友でした。マスターから「未亜、お前も毎日あんなお姉様たちの相手をして、大変だナァ」と同情されてしまいましたよ。とほほ。

「ま、楽しかったけどさ」

ところで話は変わりますが、昨日呑んだ時に、ティンカーベルがいきなり「未亜!観た?プロレス。何よ、あのイイズカって莫迦はっ!!天山が可哀相で、あたし朝まで悔しくって眠れなかったわよ」と云い出しました。

確かに、今の新日は狂っています。「友情タッグ」として売り出し中だった「天山・飯塚」組が、在ろう事か、飯塚の裏切りで空中分解したのです。解説の山ちゃんが激高し、「飯塚、どーしたっ!」と絶叫した姿に、もはやアングルをも超えたプロレスの摩訶不思議さを観ました。久しぶりに、「来週も絶対に観なければならんっ!」と思わせる展開です。ティンカーベルも「あたし、来週も起きて絶対に観るからっ!天山、がんばれっ!!」とコーフンしていましたよ。やったね、新日。

裏事情を探れば、飯塚は今年の契約更新でギャラが激減し「戦力外通告」をされてしまった様なのです。飯塚にとっても、最後の大勝負なのですよ。勿論、天山とていつの間にか「押しも押されもしない中堅レスラー(馳声で)」に落ちぶれていたわけでして、真壁が云った通り「プロレスに友情なんてねーんだよっ!」なわけだ。

思えば、前週には武藤ちゃんが中邑から見事にIWGPを奪ったのです。全日の社長とは云え、とっくの昔に峠を超えまくった武藤ちゃんがチャンピオンなのです。大金を叩いてカート・アングルからベルトを取り戻したのに、太陽の天才児と名勝負で防衛したのに、武藤ちゃんの一人勝ちで終わっちゃったんですよ。ま〜た、武藤ちゃんは云っているでしょう。「新日は金も好いし、おいしいんだよな」と。

もーこーなったら、武藤ちゃんよ、インリン様にベルトをあげちゃえよ。「IWGP ヘビー級チャンピオン:インリン様」で好いです。嗚呼。

さてさて、またまた話を大回転させましょう。僕が持っている「片瀬那奈ちゃんグッズ」の中で、ベスト那奈に入るのが「グレート・ムタ・Tシャツ、片瀬那奈ちゃん直筆サイン入り」です。数年前に、アンテツあにいがプレゼントしてくれた逸品なのです。「価値が分ってくれる人に持っていて欲しいんです」と、あにいは云いました。本当に那奈ちゃんが、グレート・ムタのTシャツにサインしたのですよ。雑誌に載ったから、間違いなく本物です。

那奈ちゃんって、へんだよね。(あれれ、いつの間にか片瀬噺に。)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (姫川未亜/小島藺子)



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2008年05月24日

「突然卍固め」

猪木寛至自伝


ケガレシア様を求めて彷徨い込んだみんな、那奈ちゃんの記事ばっかで、正直すまんかったっ!(初出時の「アゲン」に於ける検索語句で圧倒的に首位を爆走中だったのは「ケガレシア」です。)

ま、那奈ちゃん尽くしの日々を送る「単なる那奈ヲタ」の世迷い言が書いて在るだけですので、何卒ご勘弁下さいませ。

其れで、那奈ちゃんに逢った興奮から眠れなくなっちゃってTVを流してたら「キレ芸」大会みたいなのが映っていたんですよ。ま、今は自動的に「サラリーマンNEO」に変わっちゃいましたけどね。

でね、突然キレる!って云えば、あーた、プロレスですよっ。

「キレてないれしゅよ」なんて云う長州は、三代目なんです。初代は「力道山」です。あたくしも、流石に「力道山」先生は後追いなんですけど、兎に角、彼は何の脈略もなく、唐突に「キレる」のでした。

伝説の木村戦なんかも、引き分けのアングルだったはずなのに、突然に力がキレてガチになってしまったらしいのですよ。木村だって、グレイシーをサクの半世紀も前に破った漢ですから、初めからガチならリキも危なかったでしょう。まあ、普通のプロレスでも、別にシャープ兄弟とかが卑劣な反則行為をしたタイミングとかじゃなくって、リキはいきなりキレたのです。突然、怒涛の空手チョップの乱れ撃ちで外人をやっつけちゃうんですよ。カリスマとは、そーゆーもんなのでしょう。

さて、二代目は云わずと知れた「アントニオ猪木」です。猪木は酷いです。必殺技の半分くらいは「反則」なんですよ。純情可憐な永遠の不良少年「アキラ」が、「猪木なら何をやっても許されるのかっ」と叫びましたが、残念ながら許されたのです。

「キラー猪木」の名勝負と謳われている「グレート・アントニオ」戦とか「ラッシャー木村」戦などは、猪木が突然キレてしまい、相手に何もさせず一方的に叩き潰す試合です。ラッシャーは何度も対戦したので、報われた部分も在ったとは思えますが、グレート・アントニオは「何故、俺様がこんな目に逢わなきゃなんないんだっ!」と、心底、猪木を憎んだと思います。

最近、見返した試合で「こりゃひでぇ」って思ったのは「U」とのイルミネーション・マッチです。結果的に、其れまで地味な職人レスラーでしかなかった木戸をスターにするきっかけになった試合でした。最後に残ったのは猪木と木戸です。まさか、木戸が最後の相手になるとは予想が付かない展開でした。木戸だけ残った時点で、「ああ、猪木の楽勝じゃん」と思われた時でした。ところが、木戸は長年隠し持って居た刀を抜き、師匠である猪木を一方的に「U」系な危険な技で攻め込んだのです。

「木戸の大金星かっ!」と東京体育館が揺れた、其の時、

猪木は木戸の喉仏に、矢の様な反則パンチを放ったのだよっ!

ひでぇ〜っ!木戸サンは全身全霊を込めて師匠を「愛で殺そうとしていた」のに、猪木は其の弟子のピュアなハートを明らかな反則パンチで打ち砕いたのです。

やっぱ、猪木ってすげぇ。

ちなみに「長州力」ってリングネームは、一般公募で決まった事になっていますが、実際には猪木が「師匠:力道山」にちなんで、勝手につけてしまった「猪木命名」なのでした。一生懸命に投書したファンの気持ちなんぞ、猪木の前では「只の紙くず」だったのです。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年05月25日

「さようなら、インリン様」

インリン・オブ・ジョイトイ 2007年 カレンダー


インリン様“昇天”…美しく死す(デイリースポーツ 5/25)


インリン様が逝ってしまわれました。あたくしは「プロレス者」ですから、「ハッスル」を「プロレス」とは断じて認めません。「ハッスル」自身も、自ら「ファイティング・オペラ」と称しています。

されど、幾ら「日本一のローカル民放:テレ東」とは云え、日曜日の夕方16時から1時間15分も地上波で放送されると云うのは脅威です。しかも、昨日の興行を撮って出しですよっ。世間にとっては「ハッスル」も「プロレス」ですから、深夜に30分しか放送されていない「ノア」や「新日」なんかよりも、圧倒的に認知されている「プロレス」が「ハッスル」なんです。とほほ。

そんな「へっぽこハッスル」で、橋本が逝き小川も匙投げた後、あたくしが唯一認めていたのが「インリン様」でした。元々、「ハッスル」は橋本の団体「ゼロ1」が母体と云っても過言では無い団体で、其の「裏事情」は摩訶不思議で「武藤ちゃん体制の全日」や「K-1」「PRIDE」、「元U系」、更には「全ての元祖:アントニオ猪木」までも複雑に絡んだ世界です。然し乍ら、世に「ハッスル」を認知させたのは「小川直也」です。其れを命じたのは、師・猪木でした。事実、「ハッスル時代」の「橋本、小川」を強引にドーム大会のメインに「突然卍固め」で参戦させたのも、猪木です。そもそも、「橋本と小川の死闘から友情へ」と連なるドラマを演出したのも、猪木なのです。遅過ぎた現役引退から、早10余年。現在でも、格闘界の全ては「猪木の思惑」で動いています。

「嗚呼、馬場サンが生きていたらナァ。
 せめて大木サンが生きていたなら、
 こんな『猪木恐怖独裁院政』は、、、(ry」

(すいません、猪木サン、すいません。貴方はあたくしの師ですよっ。でもさぁ。)

でさ、昨年の大晦日に例年通り「格闘技番組」をザッピングしていて、一番面白かったのが「ハッスル」の「インリン様」だったのですよ。想像以上に練習していると分る動きでした。下手なインディーズのレスラーなんかよりも、ずっと「マトモなプロレス」をやっていました。

其れで、是非とも壱度は観戦しようと思っていたのですが、残念ながら昨日、愛息子「ボノちゃん」の巨体に圧殺されお亡くなりになったのでした。TVで観戦して、不覚にも半べそかいちゃいましたよ。インリン様よ、安らかにお眠り下さいませ。

で、大相撲にチャンネルを変えたんです。「カタセカイ住人の琴欧州」は、初優勝を果たしました。千秋楽も白星です。おめでとーっ!(那奈ちゃんは「あげまん」!)

でもね、最高だったのは「結びの一番」、つまりは本当の「千秋楽」である「朝青龍 vs 白鵬」でした。引き落としで勝った朝青龍が、勢いに任せてダメを押します。其れを肘打ちで返す白鵬。仕掛けに乗らせた「確信犯:朝青龍」は、シッカリとお返しまでしときながら、「おいおい、白ちゃん、何怒ってんのよ?」と唖然とした振りをします。

一触即発の睨み合い!土俵上じゃなきゃ、絶対にセメントが始まっていました。すげぇ。正に、ガチすぎる一番でした。おそらく、両横綱共に処分される事態でしょう。でもね、ぼかぁ、好きだな。

だって、格闘技なんだぜ、当たり前じゃん。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年05月26日

「起死回生の反則技」

猪木詩集「馬鹿になれ」


ジャイアント馬場さんは、ズルいです。

他のレスラーとおんなじ技なのに、馬場さんがやると、例えば只の前蹴りが「16文キック」になり、只のドロップキックも「32文ロケット砲」になっちゃうのです。他の必殺技だって「かわず落とし(足を掛けて倒れるだけ)」とか「ランニング・ネックブリーカー・ドロップ(走って首に腕を巻き付けて尻餅つくだけ)」なんて、他のレスラーだったら繋ぎ技に過ぎないもんばっかです。挙げ句に、関節技を極められててもフォールされても、デカイからすぐにロープに手足が届いてしまうのですよ。

猪木は、そんな馬場さんを心底憎んでいました。大体、馬場さんは練習なんかしませんからね。長州軍団が全日に上がっていた頃、現在はノアの小川が強くなりたくて一緒に練習していたら馬場さんに怒られたそうです。「お前、何勝手に練習なんかしてんだよ」と。練習の鬼である猪木の弟子だった長州軍団は「おいおい、全日じゃ練習すると怒られんのかよ」と失笑しましたとさ。

そんな馬場さんへの憎悪から、猪木は反則を必殺技にすると云う究極の手を思いつき、実行したのでしょう。原爆固め、コブラツイスト、卍固め、延髄斬り、アントニオ・ドライバー、など正攻法の必殺技も確かに在りますが、晩年になると「チョーク・スリーパー(反則の首絞め)」とか「怒りの鉄拳制裁(反則の拳殴り)」なんかがメインになります。「目突き」も「金的蹴り」も平気でやらかします。攻められて苦境から攻勢に出るきっかけは、全部「反則」です。小鉄が解説で「厳密にいうとですね、今のは反則です!」なんて実直真面目に云おうがお構いなしです。古館も辻も、実況なのに完全に猪木贔屓ですから、もーどーにもなりません。フルタチなんか、猪木が勝ったら「やった、やったぁーっ!」なんぞと絶叫しちゃうんですもん。「ハッキリ云って、新日贔屓だっ!」なんてトンデモ実況までしていました。

カウントダウンの頃に実況していた辻も、ずっと「猪木が、猪木が」と叫びまくるのです。誰と闘っているのかすら、実況だけでは全く分りません。其の頃の解説者であるマサ斎藤も「イノキさんはスゴイよ(はーと。」なんてことばっか云っています。何より、猪木自身が、すぎょい。試合後のインタビューで「此処は何処なのか分らない」とか「全然覚えてない」とか、本当に完璧な演技力で言い放つのでした。おいおい、、、

「覚えてないから反則もアリ」ですかっ!

そんでもって、負けると泣くんですよ。長州とかがやっと勝って主役になったかと思っているのに、「ちょーしゅーっ!」とか叫んで号泣しちゃうんです。勝った長州ではなく、負けた猪木をカメラは追い続け、実況アナも「猪木が泣いているっ!」と絶叫するのです。

猪木は、存在自体が「反則」です。「5カウント以内なら反則も合法だ」と偉そうにぬかすんですからね。其れは猪木の日常での「クリシェ」です。例えば、「エスペランサー」の披露宴でも「夫婦関係も、5カウント以内なら反則もアリです。」なんぞと「愛弟子:泣き虫」に祝辞で「浮気指南」していました。

つまり「5カウント以内なら反則は反則じゃないのだ」ってことなわけでして、そりゃそーなんだけど、普通はやらないんだよね。だって、「社長でエース」なんですから、馬場さんなら死んでもやりません。実際に亡くなるまで馬場さんは、そんな「理不尽」な、「手前勝手」な、ハッキリ云えば「究極の反則」なんて、絶対にやらなかったよ。

「でも、猪木はやるのです。」


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年05月27日

「人間凶器」

闘魂記


朝青龍と白鵬の千秋楽に於ける「横綱の品格」問題に苦言を呈する「竜虎」のコメントを聞いて、云っていることは正論なのに、どうしても「SRS〜にてんのか!2008〜」準優勝者「木村晃健」のモノマネ(ラビットも絶賛!)を思い出してしまい、爆笑しちゃったじゃまいか!似てる、そっくりだ。

「にてんのか!」が何故面白いのかと云うと、アレってあたくしの様な「格闘技通」は当然笑えるんだけど、ほとんど「格闘技」を知らない人でも笑えるわけでして、其れはですね、「格闘技自体が面白い」ってことなんですよ。

其の中でも最も笑えるのが「プロレス」です。春一番、アントキの猪木、長州小力など、プロレスラー個人限定のモノマネ芸人が成立してしまうんですからね。其れで、其の「プロレスラー」の中で一番笑えるのが「アントニオ猪木」なのです。

かつて、長州が提唱し「世代抗争」が勃発した時、旧世代軍のマサ斎藤が米国で乱闘して投獄された為に代役が必要になったら、猪木は在ろう事か武藤ちゃんを指名したのです。長州、藤波、前田などの「ニューリーダー」よりも若い武藤ちゃんが「ナウリーダー」って。挙げ句に、やっとマサが出所して戻って来たら「巌流島で闘う」などと云い出します。観客不在で巌流島で猪木とマサは本当に死闘を演じたのですが、猪木は決戦が近づくにつれて、ダンダンダンとおかしくなっていきました。元々変なのに、もっとわけわかんなくなっちゃってですね、「当日まで断食する」とか「巌流島まで東京から歩いていく」とか、「おいおい、猪木よ、正気か?」と小一時間問い詰めたかったっ。無論、答えは分っていました。

「猪木は、常に正気ではありません。」


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年06月17日

「もういいじゃないか、サク!」と叫びたい。

さくぼん―桜庭和志公式マガジン (Wanimagazine mook (170))


サクが、また惨敗した。一昨年の大晦日に「ヌル山」の非道な反則攻撃で敗れたのとは、わけが違います。完全なる「秒殺負け」でした。サクは、何にも出来ずに無惨にもマットに沈んだのです。

舞台は「DREAM 4」、サクも既に39才、総合格闘家としての峠なんか、とっくの昔に越えまくっている「オッサン」です。其れでも、現在でも、総合の舞台では「サクがメインエベントに登場しなければ客が入らない」のです。

サクは、「プロレス者」にとって、数少ない「眞の英雄」です。

総合格闘技がプロレスラーを利用して、彼らを「噛ませ犬」にしていた10年前、あたくし達は悔しかったんだっ!高田も負けた。ビガロも負けた。みんなみんな、負けた。

「所詮、プロレスラーなんて、こんなもんさ」

其れまで、プロレスの「プ」の字すら知らなかった連中に、酒場で莫迦にされました。「おまえは、こんな八百長に夢中になっている莫迦だ」と詰られたのです。そんな時、サクは「バーリトゥード」で優勝し、世間に高らかに言い放ったんだ。

「プロレスラーは、本当は、強いんです!」と。

あたくしは、サクが未だ新弟子の頃から観ていました。カラダだってそんなに大きくは無い、地味なレスラーでした。そいつが、やってくれたんだよ。あたくしは、泣いた。心の底から、感動した。「プロレス者になって、本当に好かったっ!」と思ったんだ。

だからさ、サク。もう、いいんだよ。もう充分だよ。サクは、やったよ。いっぱいいっぱい、夢と勇気を与えてくれたよ。もう、やすんで下さい。サクなら、例えば高山サンや鈴木みのるサンみたいに「プロレスラー」に戻れば、未だ未だ20年は現役でやれるでしょう。でも、サク自身が其れを望まないはずです。

サク、お疲れ様でした。引退試合には、行きます。是非、田村とやって下さい。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



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2008年07月15日

「コジマ命」

全日本プロレス 小島聡・行っちゃうぞ! バカヤロー スペシャル!


最近の「ワールドプロレスリング」は、面白い!主役は「天山」です。現在の新日の軸は「天山物語」で構成されているのです。気が付けば、「押しも押されもしない中堅レスラー(馳せんせい声で)」に成り下がっていた「心優しい猛牛」は、師で在る蝶野の軍団に対抗すべく独立し若手を集い新軍団(GBH)を作りました。されど、怪我で欠場している間に下克上が待っていたのです。軍団の長だったはずの天山は裏切られ、孤立します。思えば、山本クンは凱旋帰国時から「おまえ、どっちに来るんだよ?ごらっ」と常に軍団抗争の犠牲にされてしまった「内気なあいつ」でした。

其処に「友情タッグ」を組もうぜっ!と「飯塚」が擦り寄って来ました。そして、其れは案の定「罠」だったのです。天山よりも本当に「後が無い!」飯塚にとって、最後の賭けだったのでしょう。心優しい天山は、全てに踏みつけられたのです。飯塚にまで裏切られた天山は、正に「孤立無援」で闘い続けました。されど、試合で勝っても、すぐに他の連中が乱入して、毎度御馴染みの「公開リンチ」状態になってしまうんです。最近では珍しい、かつての「猪木黄金時代」をも彷彿とさせる「大河ドラマ」の主役に、気が付けば「天山」がいました。でも、もう、本当に味方は誰もいなくなってしまいました。こんな時、かつては決まって、あいつがいた。でも、其れは遠い過去の想い出です。彼は天山の元を去り、大きく成長し、かつての相棒を完膚無きまでに叩き潰しました。もう、天山はお終いです。

其の時、其の惨状を見かねた「漢」が、突如、リングに私服で駆け上がりましたよっ!彼の名は、江東区出身の「小島 聡」と云います。あたくしは、久しぶりに新日を観て感動しちゃったわよ。だってさ、袋叩きされるしかない天山を救う為に、コジが来たのだよ。

「テンコジ」復活だよっ!

「待たせたナ」って云ったコジのマイクに、不覚にも涙が出たよ。此れだから、プロレス者はヤメらんないんだよね。かつての「テンコジ」タッグは、明らかに天山が上だったのよ。だからこそ、コジは武藤ちゃんと一緒に「全日」へ行ったんだろ?そして、ゼロワンとの対抗戦では、アノ頃の小川にボコボコにされたよな。苦労して、三冠を穫った。そして、古巣でかつての相棒・天山との四冠戦を制した。「コジは、強くなったっ!」と絶賛したよ。いや、天山の情けなさに泣きもした。でもね、天山は不器用だから、優しいから、トップに立てなかったんだよ。だからこそ、コジが、必要なんだよ。

其れにしても、地元の「コジマさん」って、みんな、すぎょいっす。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 00:32| KINASAI | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

「テレ東、最強伝説」

流血の魔術 最強の演技―すべてのプロレスはショーである (講談社プラスアルファ文庫)


またまたまたまた、テレビ東京がやらかした。かつて、正月に一日中「猿の惑星」を放映し、其れが現在の「一日中、大河ドラマ」に繋がるわけで、大食いだって始めたのは此処なわけで、昭和天皇が崩御された時ですら、平然と「ムーミン」を放映しやがったトンデモ局なわけで(視聴率よかったらしいっす。)あのその、ダンダンダンと危険がアブナイ噺になりそうだからヤメときますが、現在、トンデモ番組を流してましてですね、下町レコの土田クンに別の何かをおせーられてたはずなんだけど、もうね、すっかり忘れちゃったわよ。

アンテツあにいにおせーてもらって、もうね、期待充分で待ってたら、何なんだよ、此の番組はっ!!「全日本プロレスSP」なんですよ。でも、もう、馬場サンはいないのよさ。「全日vs新日」の興行を放送してんのよさ、なのに、現在の全日って「武藤ちゃんの団体」なのよさ。PWF会長が「馳」なのよさ。最初の「IWGP戦」の実況が「元テロ朝アナで土曜の夕方とか深夜とかの落日間近の新日実況だった:エロス・辻」で、解説が「元・斜陽の身売り寸前の誰も観て無い丑三つ時の新日解説者:東スポ・柴田記者」と「金曜午後八時新日黄金時代の解説者:鬼軍曹・小鉄」なのよさ。丸っきり最強団体時代〜落ちぶれまくった「新日」生き証人じゃんっ!今の「ワールドプロレスリング」よりも、ずっと「新日」中継ですよぉっ!!

ところが、続く「三冠戦」の実況は「黄金時代でも実況してましたっ!の元・日テレアナ:泣きの若林」じゃまいか?!レフェリーは「京平」だぜっ!!アノ頃の「全日」じゃん。「無我」を乗っ取った「西村」と、「パンクラス」の「みのる」が、リングサイドにいるぞ。「諏訪魔」と「ケア」は、60分フルタイム闘ったのだよ。何なんだ?此の世界は。此れこそが「昭和プロレス」じゃん。全部、在るじゃん。そんでもって、あたくしが愛してやまない「テンコジ」まで登場するんだぜ。ん?此の解説は、、、小佐野だろ?渕サンじゃん。(声だけで認識出来る自分が怖い。)どーなっちゃってんのよさ。

「プロレスの灯は、消えない!」

ありがとう、アンテツ。ありがとう、テレ東。
「ありがとう!プロレス」(浜サン声で!気合いだぁーっ!!)

猪木が引退して以来、10年間、あたくしは生観戦をしておりません。かつては、年間50興行以上も生観戦していました。一日に、3興行を梯子した事だって、何度も在った。大阪まで遠征した。那奈ちゃんと出逢うのが、猪木の引退の時だったから、おんなじ事をしてたんだよ。つまり、那奈ちゃんに出逢うまでは「プロレス命」だったのだよ。

「日刊」「デイリー」「東スポ」を毎日買って、「ファイト」「週プロ」「ゴング」を毎週買って、毎週、後楽園にいた。関東地区の会場は全て行ったし、全団体を観た。やっぱり、離れらんないよ。あたくし、プロレス者だよ。K-1も総合もハッスルも、観るけど、格闘技は全部、好きだけど、、、

「プロレスが好きなんだっ!バカヤロー!!」

全日は、面白い!生観戦するなら、全日です。そして、きっと、あたくしを繋ぎ止めてくれた奴は、デビューからずっと観て来た、江東区出身の「コジマ」くんです。浜口サンのお弟子さんで、元サラリーマンで、苦労人で、泣けるんだよナァ。天山よ、すっかり追い抜かれちまったな。コジマは好いよね。うん。やっぱね、江東区出身の「コジマ」ちゃんが、好きだからっ!!

あれれ?いつの間にか「片瀬噺」になっとるよ。


初出:「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 03:43| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

「僕はプロレス者(キナサイへの誘い)」

猪木語録 元気ですか!一日一叫び!


「プロレス者」としての僕は、アントニオ猪木の引退と共に終わったと思っていました。かつては、年間50興行位は軽く生観戦していたのです。後楽園ホールに行くのは、毎週日曜日のルーティン・ワークでした。一日に三興行を梯子したのだって、一度や二度では在りません。地方へも逆密航していました。現在、片瀬那奈ちゃんのイベントの為に仕事を休む様に、平気でプロレス観戦の為に有給を取っていたのです。

関東地区で行かなかった会場は無いし、観戦しなかった団体も在りません。テケツ代だって安くはないのに、映像作品やグッズなども、鬼の様に購入していました。一体、どーやって当時の給料でやり繰りしていたのか自分でも不思議ですよ。プロレスの現場へ行くって事に関しては「やり尽くした」と思っていました。通算で、おそらく最低でも500興行は生観戦したはずです。14年間、クソ真面目に生観戦したのです。もういいじゃないか、猪木も引退したんだし、もう充分だろう、そう思って10年が経ちました。

なのに、僕の「プロレス心」は、鎮静しなかった。僕の大好きだった「昭和プロレス」は、もうDVDの中にしかないのに。雨の日も風の日も、駅まで自転車で買いに行った「週刊ファイト」も休刊してしまったのに。其れが何故なのかなんて、僕にも分りません。でも、きっと「プロレス者」として生き続けなければならないと決意したキッカケだけは、分っているんです。

僕が住む下町(通称:片瀬の街)の近所(「てか、隣なんだけどさ」)の煙草屋サンで、毎週「週刊ファイト」を買っていました。「ニッカン」も「デイリー」も「東スポ」も、歩いて1分の隣の其処で買っていたんです。でも一昨年、御主人が亡くなって、新聞を取り扱ってくれなくなったんです。

未亡人に僕は「なんで新聞を置かなくなっちゃったんですか?」と訊きました。彼女は、こう応えました。「だってさ、たった一人しか買わないのに、ずっとウチのひとったら『あいつが買いに来るから置かなきゃダメなんだ』って云ってさ、売れ残りの返品とか大変だからヤメちゃったのよ」と。

変だナァ、とは感じてたんですよ。「何で、スポーツ紙の朝刊も夕刊も全部置いてくれて、プロレス新聞まで常備してんだろ?」ってさ。亡くなった御主人は、こうも云ったそうです。「なんかさ、そいつは、たまにスポーツ新聞を全部買うんだよ。俺はさ、どうも、女優かなんかの贔屓なんじゃねぇかって思ってんだよ。誰だか分らないんだけど、兎に角、そいつが買うんだから置かなきゃイケナイだろ?」と。

「あの、其の『たった一人』って、僕のことだと思います。」と僕は云いました。「なんだ、あんただったのかよっ!」と、未亡人は笑いました。

そして、僕は「プロレス者」に復帰したのでした。


(小島藺子/姫川未亜)



初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-5-26

(原題:「僕はプロレス者」)



(REMIX by 小島藺子/姫川未亜)2009-3-25



posted by 栗 at 23:12| KINASAI | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

「蒼き虎」2009-RE-MIX

アイ・オブ・ザ・タイガー


「伝説の虎戦士スーパータイガー」が、半額以下で売られていたので、迷わず購入しました。此の二枚組DVDには、第一次UWF時代のスーパータイガー(佐山サトル)のシングルマッチが17試合、ほとんどノーカットで収録されています。藤原戦、木戸戦、前田戦、高田戦、山崎戦は現存するものならほぼ完璧でしょう。つまりは、コンプリートと云っても差し支えない「311分」です。

御存知の通り、所謂ひとつの「Uスタイル」を作ったのは佐山です。彼は其の為に、人気絶頂でタイガーマスクを辞めました。私たち「プロレス者」が「タイガーマスク」と云う時、其れは他の誰でもなく「佐山」を指します。彼は「タイガーマスク」を名乗れなくなりましたが、人々が「タイガー!」と声援を贈る先には、ずっと彼がいました。其の「スーパータイガー」だけが、新日へUターンしなかった。創始者とも云うべき彼の不在は、必然的に「U」を前田を頂点とする軍団へと変えていきました。

しかし、やはり「U」を「U」にしたのは、佐山です。彼こそが、猪木をも凌駕した唯一の存在でした。現に、新日に出戻りした時(1986〜1987)も、其の後の新生U時代(1988〜1991)も、更には再び分裂し「U系」と呼ばれた多団体時代と総合格闘技へ吸収されて云った現在までもが、全ては「佐山の絵図通り」でした。師で在り、根っからの「天然で閃きの人」で在る「アントニオ猪木」とは違い、佐山の構想は常に理論的です。佐山のプロレスには「色気」が在ります。其れは、猪木とも共通しますし、猪木の「艶」を、いやもっとハッキリと云えば「娼婦(かつて、古館は負けたら引退と喧伝された藤波戦(1988-8-8)の実況で「猪木は、世紀(じだい)の娼婦なのかぁっ!」と絶叫しました)」とも云うべき「妖しさ」を受け継いだのが佐山でした。

然し乍ら、おんなじ「色気」でも、猪木の其れは「何をやらかすか解らない(本人も理解していない)」カタセ式に云えば「小早川妙子」なのです。対して、佐山は知的です。「ちゃんと考えている」し「理にかなっている」のです。カタセ式に云えば「平山まどか先生」的な地点まで来ています。(余談ですが、あたくしは「プロレスラー」と「ストリッパー」は、おんなじ志を持っていると考えております。其れに関しては、また別の項で語ります。)

もう25年近く前の試合です。勿論、タイガーマスクの佐山も大好きです。でも、此の時代の「蒼い」佐山がもっと好きです。此れらの試合を観ていると、最近のプロレス中継なんて、ちゃんちゃら可笑しくって観てられませんし、今宵の「K-1」も見なくていいやって思っちゃうんだよね。(一応、格闘技は好きなので観るのだけど、つまんないのよさ。こないだの「K-1」も観てたんだけど、試合よりも藤原紀香が目立ってんだもん。なんじゃ、アノ衣装は?!エロなんて、絶対、リングサイドの紀香に気を取られて負けたのよさ。アーツはチューしてナンパしてるしさ。離婚して株上がってモテモテじゃん。完全なる「紀香の為の番組」みたいになっちゃっててさ、途中で寝ちゃったわよ。)

其れでですね、当時の「U」は当然「ノーTV」だから実況なんて入っていないわけですよ。会場の歓声(ヤジ)がモロに聞こえるわけですよ。まぁ、あたくしも会場で観ている時にはこーゆー状態だったと思うのですけどね、例えば佐山が前田の腕を決めますね、すると客が云うんですよ。

「折れ!」(←興奮した感じじゃなく、冷静な野太い声で)

ひぇ〜、おっかね〜。


初出:「COPY CONTROL AGAIN」 (小島藺子)



posted by 栗 at 12:57| KINASAI | 更新情報をチェックする