nana624.png

2009年06月10日

FAB4-076:YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY
(悲しみはぶっとばせ)

You've Got to Hide Your Love Away Kojak Variety


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/18、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月18日(take 9)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


ジョン・レノン作のフォーク・ロックの傑作。前作から明らかにディランの影響を受けたジョンは、其れを咀嚼し「ビートルズ・サウンド」として大衆化してしまいました。恐るべき才気です。楽曲からして、ポール作の前曲「THE NIGHT BEFORE」との格差は、最早「絶望的に」勝っています。何もかもが革新的でした。全く電気式楽器を使わず、フォーク調なのにワルツのリズムで奏で、デビュー盤「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」でリンゴの代わりにアンディ・ホワイトを太鼓で雇って以来、初めて外部から客演させました。つまり、此の時まで彼等は「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてマーティンの五人で演奏して来た」のです。呼ばれたのは「ジョン・スコット(後のジョニー・スコット)」でした。彼が吹くフルートが実に効果的に使われています。此の曲の編曲や製作過程が、ポール&マーティンによる永遠のスタンダード(小野未来ちゃんも絶賛!)「YESTERDAY」へと直結しています。

かつて1970年代の日本では「ビートルズの楽曲は、ほとんどがジョン・レノンが作詩し、ポール・マッカートニーが作曲している」なんて出鱈目が罷り通っていました。「こいつらは『ビートルズ革命』すらも読んでないんだな」と、中学生のあたくしは呆れ「音楽評論家なんて屑だっ!」と思いました。でも、確かにジョンにはポールには無い「詩的才能」が在ります。明らかにジョン・レノン作と分る楽曲の美しい詩が「作詩はレノン」なんて誤解を生んだのかもしれません。ま、単に「レノン/マッカートニー」だから「作詩/作曲」って思ったのが真相なんでしょうけどね。

解散状態になった1970年にジョンが初めてマトモなソロ作品として発表した「ジョンの魂」は、永遠のマスターピースです。其処での「裸のジョン・レノン」に僕らは聴く度に衝撃を受け続ける。されど、ジョンは元々そういう人だったし、真実だけを歌おうとしていたのです。「悲しみはぶっとばせ」は、そのまんま「労働者階級の英雄」へと繋がっています。愉快痛快な活劇映画で、ジョンとリンゴが「悲しみはぶっとばせ」を演奏する姿に惑わされてはいけません。更に云うなら「労働者階級の英雄」と「中流階級出身で大金持ちのジョン・レノン」が歌うペテンに騙されてもイカン!のです。でも、それでも、僕らは騙された。喜んでジョンの「まやかし」を受け入れた。其れは、どんなに毒舌を吐いても、誤魔化しても、もっと云えばどんなに陳腐な邦題を付けられようとも「ジョン・レノンの真実の心」が隠せなかったからでしょう。ジョン・レノンが作った音楽は、限りなく美しいのです。もしも、其れが「演技」だとしても、僕らは信じた。心を撃ち抜かれた。どんなに中傷されても、僕らのジョン・レノンは消えません。


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月12日

FAB4-077:I NEED YOU

オールタイム・ベスト Gentle Guitar Dreams


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 5)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-4)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


いたいけジョージの、ビートルズ現役時代の公式盤で二曲目のオリジナル作品です。そして数在るジョージ・ハリスン作品の中で、あたくしが最も好きな曲です。中学生時代に多重録音してカヴァーした録音まで残っているのです。たぶん、コード進行も簡単だからやったのかもしれないけどさ。録音は1965年2月15日、つまりアルバム「HELP !」セッション初日に、ジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、ポール・マッカートニー作「ANOTHER GIRL」に続けて行われました。アノ悪夢の「DON'T BOTHER ME」から一年半振りに、遂にジョージの出番が来たのです。テイク5でアコースティックな楽曲として完成した其れに、ジョージは翌日、新たな試みを加えます。相方のリンゴも、カウベルで盛り上げます。

「YES IT IS」でも演奏した「トーン・ペダル(所謂ひとつのワウワウ)」を、辿々しく弾くジョージも、イナタイ曲調も詩も、すがる様な哀願するワンコみたいな歌声も、何もかもが「可愛い」のです。いきなり「君は僕がどれだけ愛してるのか認識してない!」と始め「帰って来て、君が必要さ!」と畳み掛ける「ジャニーズも吃驚の小姓振り」も、此の時代のジョージなら大丈夫。日本人はジョージが好きだけど、ジャニーズも大好きです。そうです、其の通りです。ジョージこそが「ジャニーズの本質を体現した元祖」でも在るのです。何せ、ソロ・デビューまで「苦節15年!」の丁稚奉公だったのですよ。偉大過ぎる「レノマカ」の陰で、寡黙にコツコツと努力し、遂に花が咲くまで「第三の男」呼ばわりされ、ポールにダメ出しされたり、ジョニーに子供扱いされたりして耐えたのだよ。

「ビートルズって、ジョージの才能を開花させる為に存在した大いなる助走に過ぎないんじゃまいか?」と、同志:レコスケ声で叫びたいっ!!(ぜいはあ、、、)

だってさ、好い曲じゃないですか。「ポップス研究家:ジョージ」らしい、甘くドリーミーな楽曲は、明らかに「ブリル・ビルディング系」の王道アメリカン・ポップスの影響下に在りますが、既に此の時期のレノマカには書けなくなっていた(いや、幾らでも書けたけど、もう自分では歌えなくなっていた)永遠の美です。此の甘さが、此の時期の彼等には必要でした。だって「4人はアイドル」だったのですよ。最早、其れを体現出来るのは、ジョージだけでした。だから、あたくしは此の曲を愛しています。此の曲から、ジョージは本格的にスタートしたのです。

彼は生涯、壱度も此の曲を実演で披露しませんでした。彼が自作で披露した最も古い自作曲は「IF I NEEDED SOMEONE(恋をするなら)」で、次作「RUBBER SOUL」からの楽曲です。ベスト盤にも入らなかった。でも、あたくしがジョージの「オールタイム・ベスト」を選曲したなら、絶対に此の楽曲は入れます。「FAR EAST MAN」も入れます。ジョージの名曲群が遺されるのは素晴らしい事です。でも、矢張り、ベスト盤は「ファンがそれぞれ自分で作るモノ」だと思います。では、銀河系中のレコスケたちよ、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる」


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月15日

FAB4-078:ANOTHER GIRL

ALL BECAUSE OF YOU GUYS(紙ジャケット仕様) jane.jpg Jane Asher's Book of Cake Decorating Ideas


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15-18)、ジェリー・ボイズ(2/15-16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日、16日(take 1)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-5)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「一筆書きの人:ポール・マッカートニー」の覚醒直前を伝える「やっつけ仕事」です。1965年2月15日、新作録音初日、革新的なジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」の録音に全力疾走したポールは、自作を軽く一発録音で完成させてしまいました。いえ、其れで好いのだ。こんな楽曲は、軽く流してサントラ面の息抜きにして、次から二連発で来る「愛しのジョン」の楽曲を引立て様じゃないか!と、未だポールは思っていたのです。「ボキはジョンのメンゴだもん!うふっ☆」てなもんですよ。此の楽曲も決して悪くは在りません。此のロカビリー風マッカ節は、近年の怪作「THAT'S ME」へとまっすぐに繋がっています。イントロ無しで始まり、リンゴでも歌えそうな単調な曲が、流れる様に急転してメロディアスになる中間部が「ギラリ!」と光ります。でも、マッカにとっても、無論レノンにとっても「大した曲じゃねーや」ってなもんや、です。

ところが、此処でトンデモな事態が派生します。確かにビートルズは一発で此れをやっつけました。でも、リード・ギターが「へっぽこりん」だったので、録音し直したのです。いたいけジョージは、後の地獄を予感させられたでしょう。ポールに云われ、10回も録音しました。其れでもポールは「オッケー!ジョージ良くやった」とは云わなかった。「鬼の完璧主義者:ポール・マッカートニー」は、「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」とおんなじ仕打ちを、かつての相棒ジョージにします。ポールは最初「レノマカ」では無く「マカハリ」だったのだよ。ポールの相棒はジョージだったのです。二人で「マッカートニー / ハリソン」として共作していたのに、ポールはジョージとの共作タッグを見限って、ジョンに擦り寄ったのだっ!

なな、なんと、散々ジョージのギターにダメ出しし捲くった翌日に、ポール・マッカートニーは「えーいっ!分からず屋めぇーっ!!」と鉄腕アトムの大義名分決め台詞の様に(アトムは、一応は「おんなじロボット同士なんだからさ、仲良くしよーよ」とか云って、其れでも暴走する敵役を10万馬力で破壊する時に「こんなに云っても分らないのかぁーっ!!」と自分を正当化する為に絶叫するのでした、、、僕は小さい頃から「アトムって、おっかねえ、、、」と思いました。)、いたいけジョージのギターを消去し、、、自分でリード・ギターを弾いたのです。僕は、思う。

「ポールって、おっかねえ、、、」


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月18日

FAB4-079:YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL
(恋のアドバイス)

sp2.jpg HelpUSalbumcover.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/19、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月19日(take 3)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日(1、2)、4月2日(3)
 (公式盤に採用されたのはリミックス2)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-6)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


ジョン・レノン作の名曲。「此れぞ、ビートルズ!」と叫んで町内一周したくなる程に素晴らしい演奏、歌唱、全部合格!!アルバム「HELP !」のA面はサントラ用の楽曲で構成されていますが、主役はまたしても「ジョン・レノン」でした。全那奈曲中、ジョン・レノン作が四曲で、全て名曲です。其れは、冒頭の主題歌「HELP !」から、三曲目「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」を経て、六曲目の「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL(恋のアドバイス)」と最後の「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」へと連なる「ジョン・レノン劇場」です。内、二曲は先行大ヒット・シングル曲でもあるのです。ハッキリ云ってしまえば、間に入るポール作の二曲とジョージ作の壱曲は、単なる「繋ぎ」にしか聴こえません。ひっくり返して始まる世界を知らずにいれば「矢張り、ビートルズはジョン・レノンで保っている!」と思うしかありません。駄曲無し!変幻自在!美しい!芸術は爆発だ!!

其の素晴らしい「1965年前半型ジョン・レノンの世界」のA面四曲で、異彩を放つのが此れです。1965年の彼等は、邦題とは反して既に「4人はアイドル」では無かった。四人で仲良く楽しい恋の唄を奏でる楽団では無くなっていました。其れでも、彼等はアイドルとして主演冒険活劇映画に駆り出されたのです。だからジョンは「HELP !」と叫び「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY(悲しみはぶっとばせ)」や「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」、更には「YES IT IS」「IT'S ONLY LOVE」と悲観的な心情を歌いました。でも、其れでも、ジョンは此の楽曲をも書いた。誰もが好きになってしまう魔法の声で煽動し、明るく愉快で一寸意地悪な大衆音楽を書いてファンが求める「ビートルズ」を見事に演じ切って魅せた。いや、そんな解釈なんか要らないんだ。

ジョンが自信たっぷりに歌う、ポールとジョージが追っかける、リンゴが笑って太鼓を叩く。完璧なカタチだ。此れがビートルズの在るべき姿でした。でも、彼等は其れを自ら破壊しました。続けて始まる「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」は、シングル盤で単体で聴いた時よりも衝撃的です。うっかり1964年型「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」路線の「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL(恋のアドバイス)」で甘い夢をふたたびと思わせて、其れを切り裂く様に鳴り響くヘビイメタルの嵐に、畏れさえも覚えます。そして、B面には更なる暴力的な美が待っているのです。アルバム「HELP !」こそが、実は最初のコンセプト・アルバムだったと思います。何もかもが、衝撃的な傑作です。


(小島藺子)



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2009年06月19日

FAB4-080:ACT NATURALLY

21 #1 Hits: The Ultimate Collection フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター<コレクターズ・エディション>(DVD付)


 w & m:MORRISON / RUSSELL

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月17日(take 13)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-1)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


アルバム「HELP !」のB面は、リンゴの唄で始まります。レノマカがリンゴに書いた「IF YOU'VE GOT TROUBLE」は、2月18日に録音されミックスまで完成していたのです。事実、2月23日の段階で後に「HELP !」と呼ばれる新作は一旦完成します。4月13日に「HELP !」が録音されるまで、彼等は「題名も主題歌も決まっていない映画の撮影」をやっていました。ところが、「HELP !」が完成しポールも覚醒し、当初のアルバム構想とはかなり違ったモノに変わってしまったのです。アルバムに壱曲は入れなければならない(そんな必要は全く無いのですが、彼等はそう決めていました)リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」は、敢え無く「ボツ」になりました。

其処で、翌日にアルバムの最終ミキシングを控えた前日、前作「BEATLES FOR SALE」と同様の展開ですけど、リンゴの唄を録音し直しました。其れが此の「偉大なるカントリー歌手:バック・オーウェンス」の全米C&Wチャート首位(1963年)を獲得した名曲のカヴァーです。おそらく、カントリー好きのリンゴの十八番だったのでしょう。全13テイク中12テイクは演奏のみで、リンゴの唄は最終13テイクのみの一発録音です。オリジナルを聴けばお分かりでしょうが、此れは「完全コピー」です。但し、全米カントリー・チャートのほぼリアル・タイムでのヒット曲すらもビートルズはそっくりに真似出来たってのが凄いのです。他のどのロケンロール楽団がそんな事をやったでしょう?此のカヴァー録音を最後に、彼等は崩壊前夜の悪夢の「THE GET BACK SESSIONS(通称:ゲバ)」まで、他人の曲を封印してしまいます。

陽気で楽しい名演ですが、アルバム「HELP !」の流れとは少し違っています。故に、此の楽曲が収まるべき場所は「B面の最初」しか有り得ないわけで、絶妙な並べ方です。CDだと、其の辺の匙加減が分かり難いですね。ジョン・レノンをボスとする楽団は、同日に録音し翌日にミックスまで完成したレノマカの強力な合作ナムバー「WAIT」をあっさりとボツにし(結局、次作「RUBBER SOUL」に収録されます)、リンゴの出番を作りました。此の「バンド内完全民主主義」が、1970年代に彼等が解散状態になった時に「メムバー四人全員がソロ歌手でも大成功!四人ともシングル曲で全米首位を獲得!!」等と云う前人未到の奇跡を起こすのでした。

リンゴの近年発売された「オールタイム・ベスト」で在る「PHOTOGRAPH THE VERY BEST OF RINGO」には、本家:バック・オーウェンスとの楽しいデュエットも収録されました。映画「HELP !」の主役も「演技派:リンゴ」です。リンゴの実演は、とっても楽しかったナァ。あたくしが行ったのは1995年で、ビリー・プレストンは観れるわ、ラスカルズやTHE WHOやグランドファンクとか全部聴けちゃって、てんこ盛りで最高でしたよ。また来日しないかナァ。今やゾンビーズも聴けるんでしょ?シーラE、観たいナァ。ハッキリ云って「お得」です。ま、主役だけじゃレパートリーが少なくって保たないから苦肉の策で始めた「オールスター楽団」なんだけど、もうキラ星の様な楽団員が素晴らし過ぎるんですよ。はい、お約束の科白を御唱和下さい。

「おいおい、リンゴの立場って、一体、、、」


(「隠れリンゴ・ファン」:小島藺子)



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2009年06月20日

FAB4-081:IT'S ONLY LOVE

Dedication レノン・リメンバーズ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月15日(take 6)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


リンゴの陽気なカントリーを、すっかり無かったかの様にかき消すのが「B面二曲目」のジョン・レノン作で在る此の楽曲です。此処から最後まで、正に「破壊と創造」が繰り返される「HELP !」のB面が本格的に始まります。勿論、冒頭にリンゴの「オラ、何も考えてねーだ、楽しけりゃええべ?」って強烈な「莫迦節」が在るからこそ、此処からが冴え渡り捲るのです。作者ジョンがアコギを弾きしゃがれて歌う哀愁の唄に、追っかけジョージがペダル・トーンを駆使してサポートするエレキが美しい!アルバム「HELP !」から始まる「レノン&ハリスン」の師弟愛コムビによる「美」が、ハッキリと記録されています。

ジョンの影響を最も受けたのはジョージです。彼は、ポールではなく、ジョンに師事しました。其れはジョージの其の後の道程を観れば明らかです。特に「曲を如何にして書くか?」との部分で、ジョージに其れを教えたのはジョン・レノンです。何故云い切れるかと問われるなら、ハッキリと云いましょう。「ポールは他人に曲作りを教える事が出来ません!」なのよさ。だって、アノ片は「そのへんに浮かんでるのを掴むんだよ」とか「夢で聴いた旋律を書き留めた」とかさ、例えるならミスター長嶋サマが「ボールがピューンと来るでしょ?其れを、カーン!と打つとホームラン!簡単でしょう、あっはっはっはっは☆」とか打撃指導しちゃうみたいな事しか云えないのですよ。ジョンは独学ながら曲作り法を編み出したから、キチンとジョージに指南したのです。アレンジ面でも、ポールの其れにはジョージは泣かされ続けたのだけど、ジョンは「お前の持って来た新しい楽器を弾いてみろよ」とチャンスをくれました。ジョンとジョージは「志」がおんなじでした。

さて、個人的にかなり好きなレノン節なのですが、本人は「大嫌いな曲」のひとつに挙げておりました。2月末に壱度は完成した新作が練り直され、最終的には6月中旬に追加録音され完成します。2月の録音分で在るサントラA面の主役は、ジョン・レノンでした。然し乍ら、B面は6月の録音を中心に構成されています。其処での那奈曲中でジョンが書いたのは此の「IT'S ONLY LOVE」だけです。対してポールは三曲です。B面の主役は、覚醒したポールでした。ジョンは嬉しさ半分、大いに嫉妬したのでしょう。前日に録音された「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」「YESTERDAY」が如何に恐るべき作品なのかを、本当に理解していたのはジョン・レノンだけだった。

だからこそ、ジョンは自作にダメ出しをしたのでしょう。ジョンは悩みます。「遂に、ポールに喰われる時が来たのか?」と。されど、此れは名曲です。ポールには、逆立ちしたって書けない曲です。そして、其の「相対性」こそがビートルズの魅力でした。でも、ジョン・レノンは追い込まれた。ポールがすぐ後ろにピタリと付き、今にも追い越そうとしているのですからね。そして、ジョンの逆襲が始まりますが、其れは未だ先の噺。ジョン・レノンは自ら望んで生涯最大のライバルとなるポールと組み、叱咤激励し育て、恐るべき才能を開花させてしまったのだよ。「俺が人生で選んだパートナーは二人だけ。ポールとヨーコだ。そして、其れは正しかった」とジョンは語っていました。強いナァ、ジョン・レノン。


(小島藺子)



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2009年06月22日

FAB4-082:YOU LIKE ME TOO MUCH

HE WAS FAB-ジョージ・ハリスン・ラヴィング・トリビュート ジョージ・ハリスン全仕事


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月17日(take 8)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 A-3)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


元々はサントラ用に録音されたのだけど「I NEED YOU」に負けてB面に回された、ジョージ・ハリスンの愛らしい楽曲です。「IT'S ONLY LOVE」がフェイドアイトせずにジョンが弾くアコギのデカイ音で「チャーン!」と終ると、マーティン&ポールによるピアノのイントロが始まります。此の辺の繋ぎが絶妙なので、彼等のアルバムは曲順通りに聴かないと「気持ち悪い(アスカ声で)」って事になったなら、貴方も立派な「ビートルズ病患者」です。前述しましたが、此れはジョンが明らかに手伝って完成された楽曲でしょう。曲作りに於いて「レノン式」をジョージは学んだ。世紀の駄作「LOVE」で、彼等の単音階楽曲をマッシュアップしたパートが在りましたが、其れは当然上手くゆくのです。構造がおんなじなんですからね。

全面的にジョンによるリズム・エレクトリック・ピアノ!が曲を引き立てています。ジョンはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の頃からアコースティック・ギターでリズムを刻んでいましたが、アルバム「HELP !」セッションで新たなるリズム楽器としてエレクトリック・ピアノを導入しました。此の辺のセンスが、矢張り、類い稀なるモノです。おそらく、ディランの録音でのアル・クーパーに触発されたのでしょうが、完全なるレノン流になってしまった。此の我流は、本当に凄いです。更に、マーティンとポールが弾くピアノも効果的です。ポールは、此の時点でマーティンから鍵盤技術を盗んでしまっています。レノンは我流で、マッカは修習しちゃうんです。つえぇよ、こいつら、、、

「レノマカって、すげぇ〜やっ!」

あっ。此れはジョージの曲でした。つまり、そんなレノマカが弟分のジョージを叱咤激励し、立派なアーティストに育てあげるって物語もあるわけです。「I NEED YOU」同様に、此の曲でも既にジョージの才能は発芽しています。好い曲だナァ。可愛いナァ。しつこくってすみませんけど、銀河系中のレコスケ諸君、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる☆」


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月23日

FAB4-083:TELL ME WHAT YOU SEE

Hgm.jpg Help [DVD] [Import]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/18、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月18日(take 4)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 B-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-4)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


流れる水の如く、ポール・マッカートニー作の「サントラ面のボツ曲」へと繋がります。アルバム「HELP !」のB面は、不可思議な程にまとまっています。ジョージ・ハリスン作の「YOU LIKE ME TOO MUCH」と、此のポール作の「TELL ME WHAT YOU SEE」は、録音データでお分かりの通り「映画のサントラ用に録音された楽曲」です。他の五曲は「既にサントラ面が完成した後に録音された新曲」なのです。此の楽曲から三連発で「ポールの曲」が続くのですが、ジョン・レノンの「IT'S ONLY LOVE」から、アノ永遠のスタンダード曲「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」までの五曲が、まるで後の「ABBEY ROAD」B面メドレーの如く繋がっています。しかも、穏やかに何の作為も無いかの如く自然にそうなっています。其れが明らかに意図的な流れで在る事は、アルバム最終曲で明かされますが、此のB面の「緩やかで優しい色彩での統一した流れ」を作った要因のひとつは、楽器編成でしょう。

最早、其処には「ロケンロール楽団」だった彼等は居ません。ジョンはアコギ&エレピでリズムを刻みます。ポールは変幻自在なマルチ・プレイヤー振りを遂に発揮しますが、とっても紳士的です。ジョージはペダル・トーンに固執し、リンゴも多種多様なパーカッションに挑んでいます。そして、此の作品は映画「HELP !」のサントラ盤でも在りました。其のスコアを、マーティンは書かせてもらえなかったのです。監督のスーパーマン「リチャード・レスター」と喧嘩しちゃったんですよ。其れで、ケン・ソーンが書きました。彼は印度音楽に傾倒していたので、シタールを導入しスコアを書き、ビートルズは聴いてしまった。そして、シタールに興味を持ったのでした。マーティンとレスターの、正に「世紀の喧嘩」となりました。もし、彼等が仲違いしなければ、ノラ・ジョーンズは存在しなかったかもしれません。

底抜け脱線しすぎましたね。此の楽曲、なかなか好いです。正直、サントラ面に採用されたポールの駄曲よりも好いと思います。バディ・ホリーとエバリーを合わせた様な綺麗なメロディーを、ジョンとポールがハモってジョージが加わり黄金の三重唱へと進む展開は見事です。正に、ポールにしか書けない楽曲です。何なんだよ、此の「ナルシズムに溢れた歌詞」は。よくもヌケヌケとこんな事が歌えるもんだよ。「何が見える?其れは僕だろ?云ってごらんよ、ねえねえ☆」とかヌカしてんですよ。ジョンやジョージには絶対に書けません!「愛とは何ぞや?」と悩めるレノンの隣には、常にこんなにも能天気なマッカが居たのです。哀れ也、ジョン・レノン!!でも、そんなポールが、あたくしは好きなんです。莫迦って、可愛いじゃん。


(小島藺子)



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2009年06月24日

FAB4-084:I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)

Song for You U.S.A.ライヴ!!(紙ジャケット仕様)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 6)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-5)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「ポール・マッカートニー、覚醒」

アルバム「HELP !」B面中盤で三連打を放つマッカ節の中核を成すのは「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」ではなく、此の「夢の人」なんじゃ、われぇっ!と新橋で今宵も喚くオヤジもいる程に「名曲」です。素晴らしい。美しい。芸術も大爆発しちゃうってっ!!

いや、本当に「『イエスタデイ』だけがビートルズじゃねーんだよ、あのな、アレってさ『ヘルプ』ってアルバムに入ってるんだけど、知ってるか?知らねーのかよ。さしづめ、お前さんはベスト盤好きなインテリだな?だったら教えましょう、ええ、おせーて欲しいんでしょ?『イエスタデイ』なんぞよりもだ、其の前に入ってる『夢の人』てぇのが好いんだナァ、此れが。知らないの?ははぁ〜ん、そりゃイケナイ。お兄さん、それじゃあ、おテント様に申し訳無いってもんだ。ほら、此処に其の『ヘルプ』って音盤が在るじゃ在りませんか、大将!ね、そこいらじゃ二千円とかするお宝だ、だが、お兄さんを信じて、もう負けた、莫迦負けしちゃって千円だ。どーだ、え?もう一寸って、お兄さん、それじゃこっちもおまんまの食い上げだ。え〜い、こん畜生、那奈百円だっ!持ってけ泥棒!!」なんて、あれれ?途中から寅さんになってるじゃん。

てなくらいに、素敵な楽曲です。楽器編成が「ジョン、ポール、ジョージ」によるアコギ三本ってのも泣かせます。クオリーメン時代からの三人が、生ギターで躍動しています。彼等の絶品なコーラスにも負けない生ギター三本の絡みは、一朝一夕には決して出せない味です。美しい!綺麗だ!彼等を知った頃、もう四人はバラバラでした。リアルタイムで聴いたのは「WINGS」ってバンドでした。1975年に、其の楽団が日本に来るって事になって、ときめいた。でも、楽団長が葉っぱをやっているからとか何とか云われて、来なかったんです。其れで、お詫びにとか云ってオーストラリアでの公演をTVで流しました。御馴染みの「WINGS ナムバー」を披露した途中で、生ギターを持った楽団長が「夢の人」を演奏した。其の後に「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」も演ったんだけど、あたくしは「夢の人」にシビレた。「あれれ、此の人って、ビートルズじゃん!」と解ってしまったのです。驚いたよ。「え?もしかして、ジョン・レノンやジョージ・ハリソンやリンゴ・スターもビートルズなの?」って、いや、本当に初めて知ったんです。知識では無く、実感したんです。全てが繋がったのでした。興奮したナァ。正に「夢の人」に逢った瞬間でした。


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月25日

FAB4-085:YESTERDAY

Live in Las Vegas Yesterday_EP.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 2)
 MONO MIX:1965年6月17日(1 & 2)
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-6)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」
(未来ちゃん、いやさ片瀬那奈ちゃん声で)です。


日本の音楽の教科書にも載りました。いえ、世界で最もカヴァーされた楽曲でもあります。「ビートルズと云えば、イエスタデイ」ってなもんやです。名曲です。作者のポールは、在ろう事か「貴方の最高傑作は?」と訊かれ、自信満々に「そりゃ、チミ、イエスタデイに決まりだもん!」って応えちゃいます。ジョン・レノンが殺された時にも、此の曲が日本のテレビでは流されました。ジョンが生きていた頃だって「あらま、ビートルズのレノン様じゃありませんか、じゃあ貴方の曲を演奏しますわ」なんて云われて各国で此れを聴かされました。ジョンは「あのさ、其れはポールの曲じゃん!」と毒づきながらも「う〜む、やっぱ、名曲だナァ」と相棒の傑作を讃えたのです。

あたくしも、最初に彼等のアルバムを買う時に「イエスタデイ」が入っているってのが基準でした。其れで「オールディーズ」を買ってしまったのです。だって、赤盤は二枚組で高かったし、「ヘルプ」は14曲入りで「オールディーズ」は16曲入りだったのですよ。しかも、何故か「オールディーズ」の方が安かったんです。想い出も、思い入れもあります。其れで反則なんですけど、かつて(2002年)に書いた文章を再録してしまいます。


「日本人の為のビートルズ講座 (連載2発目)」

<Yesterdayを知っていますか?>

ザ・ビートルズの楽曲で一番有名な「YESTERDAY」は、何故か語られる機会が少ない様に感じられる。マニアは勿論、少し噛ったファンですら、一番好きな曲なんて事は云わない。捻くれた人は「夢の人」(同じアルバムに収録されたポールの作品で、YESTERDAY の前に入ってる曲)の方が名曲だと云う始末。彼等を知れば知る程、誰もが知ってる曲の事など語りたく無い気持ちは理解出来るし、私自身もかつては敢えて無視していた曲だった。

まず、これはビートルズの曲とは云えないんじゃないか?ってのがある。作ったのも録音に参加したのもポールだけで、他に関わったのは編曲とプロデュースのジョージ・マーティンと弦楽四重奏の外部ミュージシャンだけ、つまり「ポールのソロ」ではないのか?現在でも、ポールとヨーコの間で論議されているらしいが、クレジット上はジョンの名前もあるけど、いいじゃないかヨーコ、返してあげなさいよ。しかし、待てよ。1965年当時ポールはビートルズのメンバーだったし、レノン・マッカートニーと云うソングライター・チームの一員だったのだ。

ジョンが単独で作り、録音した「JULIA」と云うビートルズ作品がある。ところが「アンソロジー3」に収録されたアウトテイクを聴くと、ポールが録音に立ち会っていた事が解るのだ。一人でレコーディングしているジョンと、彼をコントロール・ルームからみつめアドバイスするポールとの会話が最後に収録されているのだけど、映像が浮かぶほどに感動的だ。二人が既に不仲と云われていた後期ですらこうした関係だったのだから、「YESTERDAY」の頃ならもっと密接な関わりがあっただろう。ジョンへの追悼曲「HERE TODAY」を聴けば、ポールの真意は解るはずだ。そしてポールは、自分の最高傑作を「YESTERDAY」と公言するサイコー!な天然パーである。普通、絶対、思っていても云わない。でも、ポールは云うよ。あの人が普通なわけないでしょ?

私も最初に好きになったのは「YESTERDAY」だったのだ、でも、すぐに「ジョンの魂」を聴いてしまい、敢えてポールの甘い曲は無視する様になった。元々、カーペンターズみたいなポップスが好きだったのに、ロックの人になりたかったわけだ。若い頃とは、ある意味本質を捩曲げる時期でもあるわけで、甘いポップス(実は苦くもある!)を好きだと云えるまでは、結構廻り道したな。

1990年のポール・マッカートニー初来日公演は、とにかく全曲一緒に歌うんだと決めていた。私にとって、それはひとつの決着になるはずだった。ソロもウイングスもリアルタイムで聴いて来たんだし、後追いだけどビートルズこそが命だ!!そうだ、今日はビートルズのコンサートに来たんだ!!そんな気持ちだった。「HEY JUDE」の大合唱直後には「ありがとうございました!!」と絶叫するほどに高揚していた私が、棒立ちになり歌えなかった曲があった。「LET IT BE」が最初だった。まるで天国から奏でられている様だった。声にならない、歌えない。そして、ポールは一人であの曲を歌った。「YESTERDAY」 私は、あんなに美しい音楽を聴いた事はなかったし、きっとこれからもないだろう。確かに決着は着いた。超有名曲は超名曲だし、子供の時の感動は正しいのだと解ったのだ。それから私は、恥ずかしいからと聴かなくなっていた音楽も再び聴く様になった。どれもが素晴らしく、若さ故の過ちを恥じたものだ。

さて、現在は音楽の教科書にも載っている「YESTERDAY」だが、発表された当時はかなり問題作だったのではないか?ロック・バンドが生ギターと弦楽四重奏だけで歌うなんて奇想天外なアイディアは、この曲が最初だったし、メンバー一人しか参加していないのにグループの作品としてしまう力技も後期はともかく、この時期には画期的だ。中期のサイケ時代に重要な役割となる管弦楽のアレンジも、この曲から始まったのだ。スタンダード化した美しいメロディーも、ギターは変則チューニングだし、コードもsus4や7thを多用していて複雑だ。学校の音楽で、一体どんな風に教えているのだろう? 詞に関しては、ポールが亡くなった母親を想って書いたと云う説が一般的だ。元々歌詞がなくて「スクランブル・エッグ」と云うインスト曲だったらしい。

ポールにとっても、間違い無く転機となった曲だろう。ジョンには書けない甘いバラードは、以後大きな武器になったし、世間の目も変わった。ビートルズは、只ウルサイ音を出す子供向けのバンドでは無く、大人の鑑賞にも充分耐えられる紳士的な連中だと云うわけだ。勿論、そんなのは本当の姿では無いが。既に当時から彼等はドラッグをキメまくっていたし、だからこそこんな不思議な曲も当たり前の様に出来たのだ。

ポール自身、最高傑作と認めるだけあり、自分で2曲もアンサー・ソングを発表している。 一つは前述した「HERE TODAY」で、1982年にジョンへの追悼曲として発表された。誰が聴いても曲、アレンジなど全てが似ている。もう一つは1971年の「TOMORROW」で、Aメロが全く同じコード進行(勿論メロディーは別!)で、ジョンを思わずにいられない最高のCメロに涙する名曲!「昨日・明日・今日」を17年掛けて同じアイディアと違うアプローチで表現した天才ポール・マッカートニー若干23才の奇跡的な名曲。

それが「YESTERDAY」だ。演奏してるのは、THE BEATLES である。

(TEXT:未亜、written and compoced by イコ)
初出「hilite」2002-7



(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月26日

FAB4-086:DIZZY MISS LIZZY

Specialty Profiles 平和の祈りを込めて〜ライヴ・イン・トロント1969〜


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 7)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 B-3)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-7)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


後にジョン・レノンが歌った通り、ビートルズとは「夢」でした。相方ポールが夢で聴いた旋律を其の侭書いた至上の名曲「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」(未来ちゃん、いやさ片瀬那奈ちゃん声で)で、アルバム「HELP !」は完結して好いのです。普通は、そうします。されど、彼等は破壊した。そもそも「YESTERDAY」を大した曲とは思ってなかった様です。

アルバムのトリ、いや「オチ」は、ジョン・レノンの絶唱です。お得意のラリー・ウイリアムスのカヴァーを力一杯喚きちらし、「YESTERDAY」の感傷的な余韻をぶち壊す「ロケンロール楽団:ビートルズ」が、B面で初めて牙を剥きます。リンゴの呑気で陽気なカントリーで始まり、穏やかな、いや「腑抜け」になった様な楽曲がメドレーの様に連なり、トドメに「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」(御本尊様声で)です。「其れで終ったんじゃ、納得がいかないっ!」と思ったのは、ファンでは無くビートルズだったのです。此れぞ正しく「芸術」です。破壊と創造です。

「HELP !」は、トータル・アルバムです。彼等は其れまでの四作も全て「統一性」を意識して制作していました。其れが遂に実現したのが「HELP !」です。彼等は一作ごとに変化してゆきます。其れは、突然起こったのでは無かったのです。四年後に、ジョンはふたたび此の曲を叫びます。其の間、公的にはカヴァーを封印していました。「チーフ・ビートル:ジョン・レノン」最後の絶唱です。其の声だけで、またしても全てを捩じ伏せてしまった。何もかもが、画期的でした。其れでも彼等は満足しなかった。もっともっと、革新的な企みがありました。水野晴郎せんせい入魂の邦題に反し、もう、彼等は「アイドル」では無かったのです。

然し!米国のキャピトルはそんなビートルズを全く理解せず、アルバム「HELP !」は無惨にも解体され発表されました。なな、なんと、英国でのアルバム発売の二ヶ月近く前に「BEATLES IV」に、「YOU LIKE ME TOO MUCH」「TELL ME WHAT YOU SEE」、「DIZZY MISS LIZZY」を収録してしまったのです。更にボツ音源だった「BAD BOYS」とシングルB面曲「YES IT IS」まで入れて、残りの6曲は「BEATLES FOR SALE」からの選曲と来たもんだ。其れで11曲入りでアルバムにしちゃったのよさ。

其の前に米国では「BEATLES FOR SALE」を「BEATLES '65」と改題して、オリジナルから8曲しか入れず、シングルの「I FEEL FINE」「SHE'S A WOMAN」、更にはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」から「I'LL BE BACK」を加えた11曲入りで出しやがっていたのだ。1987年にCD化で全世界統一規格とされた時に、アメリカのファンは、「おいおい、俺たちが聴いていたアルバムは、何だったんだ?」と驚愕したでしょう。


(小島藺子)



アルバム「HELP !」の項で、downtown records の土田社長に「HELP」して戴きました。感謝します。


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2009年06月30日

FAB4-087:DAY TRIPPER

The Otis Redding Dictionary Of Soul : Complete & Unbelievable Solid State Survivor


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(1965年)、ピーター・ボーン(1966年)
 2E:ケン・スコット('65-10/16、25、29)、ロン・ベンダー('65-10/26)、グレアム・カークビー('66-11/10)
 録音:1965年10月16日(take 3)
 MONO MIX:1965年10月25日(1)、10月29日(2、3)
 STEREO MIX:1965年10月26日(1)、1966年11月10日(2)

 1965年12月3日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5389(モノ)


ジョン・レノン作で、初の両A面シングル(片面は「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」)として発売され、二曲共全英全米チャートで首位に輝き、世界中で大ヒットした「天下無敵のビートルズ」楽曲です。が、しかし、ジョンとポールは「締め切りに追われて捏ち上げた曲さ」と吐き捨てました。

革新的なアルバム「HELP !」を発表し、同名主演映画第二作も公開され、伝説のシェア・スタジアム公演までやらかした1965年8月を乗り切り、9月は流石にのんびりと過ごしてしまった彼等に、鬼の契約「アルバム年間二枚!」が重く圧し掛かった10月でした。後に「RUBBER SOUL」となるアルバムのセッションを開始せねばならなくなったのです。「曲が無い!」と慌てたレノマカは、必死で書きまくりました。其のセッションから、またもや御丁寧に「アルバム未収録のシングル曲」として「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」をアルバムと同日に発売するのです。そうです、其の通りです。そんな時にも、彼等は「ファンに二度売りはしないぜ!」の意志を貫いたのでした。だから当時聴いて居た東洋の島国に住む「クリハラ キヨシ 少年」は思ったのです。「他の連中は、なんかダブっちゃうんだけど、ビートルズはダブらないんだよね。信用出来るって思ったよ。」とね。あたくしも、中学校の時に後追いで集め始めて、そう思ったよ。

「なんて真摯な連中なんだっ!」

小手先で書きなぐった曲なのに、こんなにもカッコいいのです。二本のギターとベースによるリフのユニゾンだけで構成されたレノン流の「R&B」です。ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラスが目くるめく高見へと登ってゆく様は、最早音楽による「ドラッグ」です。事実、彼等は既にドラッグを常用していました。でも、其れを芸術へと昇華したのです。

ビートルズのカヴァーに最初に興味を持ったのも、此の曲のオーティス・レディング盤を始めとする「黒人アーティスト」による返答でした。元々、ビートルズが黒人音楽への深い敬愛を込めて書いた楽曲群を、言わば本家本元が料理したのです。ゾクゾクする程に刺激的でした。「此れこそが音楽だ!」と10代の頃に貪る様に多様な音楽世界に誘われて行ったのです。

さて、此処で彼等にとって大きな問題が生じました。デビュー以来のプロデューサーで「五人目のビートル」と云われたジョージ・マーティンが1965年8月に「EMI」に辞表を叩き付け独立し「AIR」を設立しやがったのです。本来なら、「EMI」は自社の誰かを後任にしたかったでしょう。しかし、ビートルズにはマーティンが必要でした。其れを知っていたからこその独立だったのでしょう。「耳こそはすべて」じゃなく「金こそはすべて」とラトルズに揶揄されても仕方の無い事です。でも、マーティンも自由になったわけで、願ったり叶ったりだったでしょう。ところが、其のマーティンの独立に依って、デビュー以来のエンジニアであったノーマン・スミスがプロデューサー昇進し「RUBBER SOUL」セッションを最後に現場を離れる事になります。そして、其の後釜にアノ男がやって来るのです。でも、其れは、もう少し後のお話です。


(小島藺子)



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2009年07月10日

FAB4-088:WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)

涙を届けて Motown Meets the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(1965年)、ピーター・ボーン(1966年)
 2E:ケン・スコット('65-10/20、28、29、11/10)、グレアム・カークビー('66-11/10)
 録音:1965年10月20日(take 2)
 MONO MIX:1965年10月28日(1)、10月29日(2、3)
 STEREO MIX:1965年11月10日(1)、1966年11月10日(2)

 1965年12月3日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5389(モノ)


ビートルズ史上、初の両A面シングルの片面で、正真正銘のレノン・マッカートニーによる合作。本国以外の米日などでは、未だ其の画期的な両A面と言う概念が無く、「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」がA面で「DAY TRIPPER」はB面となりましたが、当然乍ら両面共に世界中で大ヒットしました。「DAY TRIPPER」同様に、次回から始まるアルバム「RUBBER SOUL」のセッションで録音され、アルバムと同日に発売されたシングル曲ですが、慣例通りに英国オリジナル・アルバムには両A面共に未収録で、アルバム「RUBBER SOUL」からは本国では壱曲たりともシングル・カットはされませんでした。1966年度グラミー賞で「SONG OF THE YEAR」を獲得した「MICHELLE」ですら、彼等はシングル化を拒みました。

元々はポールが書いた作品です。海賊盤で容易に聴けるデモ音源では、ジョンが書き加えた中間部(所謂ひとつのミドル・エイト)が無いアコースティックな小品となっております。其れは同時期の「MICHELLE」にも云える事で「ポールが骨組みを書いたお姉ちゃんを想う軽く明るい作品に、ジョンが苦みを加える合作法」が1965年後期には行われていました。此のカタチは解散状態になる1969年まで続きます。

1965年に覚醒したポールは、ぞくぞくと簡単に名曲を量産する様になります。然し乍ら、其れはジョンの協力が必須でした。其の典型的な例が、此の愛すべき名曲です。ポールが書いた甘くアイリッシュな小品(内容は当時の恋人ジェーン・アッシャーに関するアレコレ)に、ジョンが強烈なアンチテーゼを加えます。「最近、映画の撮影でジェーンが帰って来なくてつまんないんだけど、ま、上手く行くはずさ」と天然バカボンぶり全開で歌うポールに対し、ジョンが「おいおい、人生は短いんだぜ。お姉ちゃんの事しか考えらんないのかよ?しっかりしろよ、仕事しろよ、兄弟。」と返し、更には愛しのジョージ・ハリスンの抜群のアイディアでワルツに転換する中間部が、此の楽曲を凡庸な流行歌からスタンダードへと変えました。此の「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」と云う両A面シングルは、正に、ビートルズの才能溢れる三人衆(ジョン、ポール、ジョージ)が一丸となって居た時代の「楽団による合作」です。ん?リンゴは何やってたのかって?「I FEEL FINE」プロモみたいに、自転車でも漕いでいたんじゃまいか。

此の時代、彼等もモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れは相互作用でした。スティーヴィー・ワンダーによるカヴァー(1970年)は全米13位のヒットとなります。スティーヴィーは其れ以前にも「MICHELLE」に触発され名曲「MY CHERIE AMOUR(1967年)」を書きました。ちなみに、スティーヴィーはジョン・レノン&ポール・マッカートニーの両名と正式音源でデュエットした事が在り、海賊盤音源では「1970年代の解散状態だった時期のレノン・マッカートニーとのセッション」まで遺っている「稀有な存在」でも在ります。流石は「音楽神:スティーヴィー・ワンダー」、其の辺は絶対に外しません。確かにビートルズはモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れはお互い様でした。音楽は、すべて繋がっているのです。


(小島藺子/鳴海ルナ)



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2009年07月12日

FAB4-089:DRIVE MY CAR

ラバー・ソウル Doll in the Box


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/13、25)、ロン・ベンダー(10/26)
 録音:1965年10月13日(take 4)
 MONO MIX:1965年10月25日
 STEREO MIX:1965年10月26日

 1965年12月3日 アルバム発売 (「RUBBER SOUL」 A-1)
 パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)


アルバム「RUBBER SOUL」英国オリジナル盤の一曲目を飾ったポール・マッカートニーが主に書き、ジョン・レノンも協力した「プラスティック・ソウル」で、快作!ジョンが全面的にデュエットし、途中からジョージも加わって過激な三重唱を展開します。ギター・リフを考案したりと、アレンジ面でのジョージの貢献度もかなり高いようです。歪んだ表情のジャケットに衝撃を受け、針を落とし、明らかにオーティス・レディングを意識したイントロが流れた瞬間に、世界は変わりました。「プラスティック・ソウル」とは、つまり「白人が真似した紛い物の黒人音楽」って意味の差別語(ミック・ジャガーを揶揄して云われていたらしい)なのですが、ポールは「I'M DOWN」を熱唱した際に自嘲して「こんなのはプラスティック・ソウルだよ」と何度も云いました。其れが謙遜だった事は、歴史が証明しました。彼等は黒人音楽を愛し、必死でコピーして、其れを超えたのです。其の「偽物の魂」の延長線上に「RUBBER SOUL」は在ります。ビートルズは、「アイドル・ロケンロール楽団」では無く「ロック集団」へと変貌しました。黒人音楽だけでは無く、あらゆる音楽を咀嚼しビートルズ色に染め直し「オリジナル」として発表してしまう荒技に出たのです。

当時の彼等には年間二枚のアルバム契約と云う縛りが在り、世界制覇後の1965年の二枚「HELP !」と「RUBBER SOUL」のステレオ盤はCD化の際にジョージ・マーティンが「こんなんじゃ遺せない!」とわざわざリミックスした程に時間が無かった「やっつけ仕事」でした。其れなのに此のクオリティーです。てか、モノラルは好いんだから、其れをCD化すれば済む話だったわけだが。1965年に、レノン・マッカートニーは旬でした。ジョン・レノンを追いつづけたポール・マッカートニーが、遂に其の背中を視界に入れたのです。永遠に追われる立場だったジョン・レノンの「巨大な人間力」には驚かされます。何せ、彼を最も間近で追ったのは「ポール・マッカートニー」と「ジョージ・ハリスン」だったのですよ。「ボブ・ディラン」や数多の後塵楽団も、敬愛していた「キング・エルヴィス」ですら、ジョン・レノンを意識し対抗していました。想像を絶するプレッシャーだったでしょう。

そんな重圧に耐える時、相棒が「彼女が僕にアッシーくんをやれってさ、ピピ、ピピ、イエー!」なんぞと無意味にハモル曲を書いて来たら、ジョンはノリます。ジョンには絶対に書けない「下らない歌詞」で単純無欠の楽曲でしたが、其れが、ジョンは嬉しかったのです。「何でこいつは此処まで莫迦なんだ?女の事しか書けないのかよ?此れじゃビーチ・ボーイズとかの安っぽいホットロッドじゃん。」と呆れ果てながらも、嬉々として協力し歌詞もマシにしようと、結局は合作してしまいました。複雑怪奇な無理矢理で無茶苦茶なハーモニーが、最早「元ネタ」のR&Bを凌駕します。彼等には規制の音楽理論なんてありません。全員、譜面を書けないし読めないのです。意味なんてないんだ。かっこ良ければ好いのだ。ポールはベースのレベルを上げまくり出しました。唸りを上げるベースが完全に主導権を握ります。ビートルズのリーダーは、あくまでもジョン・レノンでした。されど、バンド・マスターはポール・マッカートニーです。そんなバンドが、確かに此の世界には存在していたのだよ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが同じバンドに居て、一緒に曲を書いて演奏して居たのです。

もしもブライアン・ウイルソンがオリジナルの「RUBBER SOUL」を聴いたなら、「PET SOUNDS」は違った作品集になっていたでしょう。ブライアンがドラッグをキメまくって聴き狂った米国盤「RUBBER SOUL」の最初の曲は、英国では前作「HELP !」に収録されていた「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」でした。改変された米国盤を聴いたブライアンは「此れは内省的なフォーク歌唱集だっ!素敵じゃないか!!」と勘違いします。ブライアンは「僕は絶対にビートルズに勝つんだ!」と誓った。つまり、彼はビートルズに恋焦がれてしまったのです。恋愛に勘違いは付き物で、其れが思わぬ展開を生み出すのも此の世の常なのです。大西洋を隔てた恋人同士は相互に誤解を重ねて、前人未到の芸術作品を創ってしまいます。ブライアンは、たった一人でビートルズに立ち向かおうとしていました。其れは「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてジョージ・マーティンを一人で打ち負かしてやる!」と云うトンデモな考えでしたが、ブライアンは挑んだのだよ。1965年の冬、世紀の恋愛音楽喜悲劇が始まったのでした。ピピ、ピピ、イエー!

「あっ。CRISTINA によるカヴァーは、是非、片瀬那奈ちゃんファンにも聴いて欲しい快作です。」


(小島藺子/鳴海ルナ)



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2009年07月20日

FAB4-090:NORWEGIAN WOOD
(THIS BIRD HAS FLOWN)(ノルウェーの森)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫) ノルウェイの森 下 (講談社文庫) ノルウェイの森 【スペシャル・エディション2枚組】 [DVD] Velvet Sofa


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/12、21、25)、ロン・ベンダー(10/26)
 録音:1965年10月12日(「This Bird Has Flown」take 1)、
    10月21日(リメイク take 4)
 MONO MIX:1965年10月25日
 STEREO MIX:1965年10月26日

 1965年12月3日 アルバム発売 (「RUBBER SOUL」 A-2)
 パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)


ジョン・レノン作の傑作フォーク・ソング。村上春樹氏のベストセラー小説にショートカットされた邦題「ノルウェーの森」は、当然乍ら「誤訳」です。いまどき小学生でも「WOOD」なら只の「木」で、「森」なら「WOODS」だと理解するでしょう。実際の意味は「ノルウェーの木材で作られた部屋」と云ったトコロでしょう。「彼女が住むのは、ノルウェーの木材製で椅子もない安アパート」とか歌っているのです。森の話なんか出てきません。いえ、本当は「彼女は、すぐにやらせてくれそうだぜ( KNOWING SHE WOULD.)」の洒落だとシタールを初めて弾いて大きく此の曲に貢献した「弟分:ジョージ」が明かしています。仮題でも在った副題の「This Bird Has Flown」でもお分かりの通り、作者のレノン曰く「(当時の妻だった)シンシアに分らない様に、他の女との情事を歌にした」のが此の曲です。だから、タイトルの「NORWEGIAN WOOD」には、本来の意味などありません。ジョージが云う通りに「KNOWING SHE WOULD」のモジリだと考えた方が納得がいきます。

アルバム「RUBBER SOUL」は、所謂ひとつの「暗喩」が多様され、より「詩的」な作品集となりました。冒頭の「DRIVE MY CAR」からしてそうなのですが、つまりビートルズは「SEX」を歌い出したのです。元々「抱きしめたい」と誤訳された時代から「君の手を握りたい」とか色恋沙汰ばかり歌っていたわけですけど、其れは「お気楽な恋の歌」でした。前作「HELP !」あたりから地続きで1965年の彼等は「大人の恋愛」を歌う様になります。もう当時のジョンは25才、ポールも23才です。ジョンとリンゴは既婚者で子持ち、ジョージもパティと1966年1月に結婚が決まっていました。唯一の独身者ポールにも美人女優の婚約者(ジェーン・アッシャー)がいて、彼女の実家に「マスオさん状態」で住んでいましたし、ポールこそが最大のプレイボーイで、既にハンブルグ時代に隠し子までいました。ビートルズは、十二分に成熟していたのです。

彼等のアルバムが其の作品を象徴する「ジョン・レノンの自信作」から録音されるのは、解散状態になるまで続く恒例です。アルバム「RUBBER SOUL」は1965年10月12日に録音が開始されますが、其の日に取り上げられたのはアルバムの最後に収められる「RUN FOR YOUR LIFE(浮気娘)」と此の二曲のジョン・レノン楽曲でした。しかも、後述する様にジョン自身が「駄作だ!」と断じる(ファンはそうは思いませんが)「RUN FOR YOUR LIFE」を四時間半かけて完成させ、立て続けに此の楽曲のリハーサルと第一テイク(ボツ。「アンソロジー 2」で聴けます)だけに同じく四時間半も費やしたのです。結局、其れに納得しなかった彼等は九日後にリメイクし、公式盤で聴かれる幻想的な作品を完成させたのでした。つまり、此の楽曲がアルバム「RUBBER SOUL」の方向性を決めたのだと思えます。

シタールを初めて本格的に導入した楽曲で、前述の通り奏でるのはジョージ・ハリスンです。ジョージは後にシンセサイザーを初めて導入する事にもなりますが、そんな新しモノ好きな楽器ヲタな弟分を乗せて自作に活用するのが「ボス:ジョニー」の得意技でした。シタールやタンブーラなど印度楽器を使った楽曲で印象的で有名なのがジョージ作の印度音楽風な其れよりも、ジョン・レノン作の此の曲や「TOMORROW NEVER KNOWS」「ACROSS THE UNIVERSE」等である点に注目しましょう。其処に「ジョン・レノン」の才気が在ります。ジョンはあくまでもシタールを自分の世界に取り込む方法を選択しました。ウブなジョージは、一聴すると印度音楽にしか聴こえない楽曲(ちゃんと聴けば、ジョージ作の印度風音楽がオリジナルでラガー・ロックの創造だった事実に気付きますが、当時はそんなもんは存在しなかったのですよ)になってしまったのだけど、ジョンの其れは「レノン節」なのです。此の楽曲など、其れまでに全くなかったはずなのに「大衆音楽」としても成立しています。其れはジョンの書く旋律が美しいからです。通常の音楽理論からは外れまくっているのに、ジョン・レノンが書く曲は自然で美しい。其れが「世紀のメロディー・メーカー」と称される相棒ポールには真似が出来ない才能でした。音楽一家で育ったポールには基礎が在り、ちゃんとギターが弾けたのです。ところが、ジョンは母親に習ったバンジョーのコードでギターを始め、曲作りも完全なる我流で、つまり「なんでもあり」なのだ。

此の楽曲にはビートルズの不可思議な部分が露呈しています。我流で書いたジョンの新曲に、史上初でジョージがシタールを導入します。其れだけなら、滅茶苦茶になったかもしれない。でも、打ち合わせも無しに寄り添う様に完璧なハーモニーを付けるポールがそばにいました。どんなにジョンが「ボブ・ディラン」以上の何かを目指しても、其れを許さない相棒が軌道修正します。そして、其れをジョンも望んでいました。何よりも彼自身の美しい旋律が、其れを証明しています。ジョンが書いた曲は、限りなく無垢で美しい。多くのカヴァー作品を聴けば分かるでしょう。しかも、ジョン・レノン作品は彼自身が歌わなければ眞の美を放ちません。例えば、ディラン作品はカヴァーの方が有名なものも多く、其れはディランがソングライターとしても優れている事実を教えてはくれます。でも、本人しか歌えない曲しか書けなかったジョン・レノンこそが「本物のシンガーソングライター」だと、強く思います。


(小島藺子/鳴海ルナ)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする