w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:フィル・マクドナルド
録音:1965年6月15日(take 6)
MONO MIX:1965年6月18日
STEREO MIX:1965年6月18日
1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-2)
パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)
リンゴの陽気なカントリーを、すっかり無かったかの様にかき消すのが「B面二曲目」のジョン・レノン作で在る此の楽曲です。此処から最後まで、正に「破壊と創造」が繰り返される「HELP !」のB面が本格的に始まります。勿論、冒頭にリンゴの「オラ、何も考えてねーだ、楽しけりゃええべ?」って強烈な「莫迦節」が在るからこそ、此処からが冴え渡り捲るのです。作者ジョンがアコギを弾きしゃがれて歌う哀愁の唄に、追っかけジョージがペダル・トーンを駆使してサポートするエレキが美しい!アルバム「HELP !」から始まる「レノン&ハリスン」の師弟愛コムビによる「美」が、ハッキリと記録されています。
ジョンの影響を最も受けたのはジョージです。彼は、ポールではなく、ジョンに師事しました。其れはジョージの其の後の道程を観れば明らかです。特に「曲を如何にして書くか?」との部分で、ジョージに其れを教えたのはジョン・レノンです。何故云い切れるかと問われるなら、ハッキリと云いましょう。「ポールは他人に曲作りを教える事が出来ません!」なのよさ。だって、アノ片は「そのへんに浮かんでるのを掴むんだよ」とか「夢で聴いた旋律を書き留めた」とかさ、例えるならミスター長嶋サマが「ボールがピューンと来るでしょ?其れを、カーン!と打つとホームラン!簡単でしょう、あっはっはっはっは☆」とか打撃指導しちゃうみたいな事しか云えないのですよ。ジョンは独学ながら曲作り法を編み出したから、キチンとジョージに指南したのです。アレンジ面でも、ポールの其れにはジョージは泣かされ続けたのだけど、ジョンは「お前の持って来た新しい楽器を弾いてみろよ」とチャンスをくれました。ジョンとジョージは「志」がおんなじでした。
さて、個人的にかなり好きなレノン節なのですが、本人は「大嫌いな曲」のひとつに挙げておりました。2月末に壱度は完成した新作が練り直され、最終的には6月中旬に追加録音され完成します。2月の録音分で在るサントラA面の主役は、ジョン・レノンでした。然し乍ら、B面は6月の録音を中心に構成されています。其処での那奈曲中でジョンが書いたのは此の「IT'S ONLY LOVE」だけです。対してポールは三曲です。B面の主役は、覚醒したポールでした。ジョンは嬉しさ半分、大いに嫉妬したのでしょう。前日に録音された「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」や「YESTERDAY」が如何に恐るべき作品なのかを、本当に理解していたのはジョン・レノンだけだった。
だからこそ、ジョンは自作にダメ出しをしたのでしょう。ジョンは悩みます。「遂に、ポールに喰われる時が来たのか?」と。されど、此れは名曲です。ポールには、逆立ちしたって書けない曲です。そして、其の「相対性」こそがビートルズの魅力でした。でも、ジョン・レノンは追い込まれた。ポールがすぐ後ろにピタリと付き、今にも追い越そうとしているのですからね。そして、ジョンの逆襲が始まりますが、其れは未だ先の噺。ジョン・レノンは自ら望んで生涯最大のライバルとなるポールと組み、叱咤激励し育て、恐るべき才能を開花させてしまったのだよ。「俺が人生で選んだパートナーは二人だけ。ポールとヨーコだ。そして、其れは正しかった」とジョンは語っていました。強いナァ、ジョン・レノン。
(小島藺子)