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2009年06月20日

FAB4-081:IT'S ONLY LOVE

Dedication レノン・リメンバーズ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月15日(take 6)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


リンゴの陽気なカントリーを、すっかり無かったかの様にかき消すのが「B面二曲目」のジョン・レノン作で在る此の楽曲です。此処から最後まで、正に「破壊と創造」が繰り返される「HELP !」のB面が本格的に始まります。勿論、冒頭にリンゴの「オラ、何も考えてねーだ、楽しけりゃええべ?」って強烈な「莫迦節」が在るからこそ、此処からが冴え渡り捲るのです。作者ジョンがアコギを弾きしゃがれて歌う哀愁の唄に、追っかけジョージがペダル・トーンを駆使してサポートするエレキが美しい!アルバム「HELP !」から始まる「レノン&ハリスン」の師弟愛コムビによる「美」が、ハッキリと記録されています。

ジョンの影響を最も受けたのはジョージです。彼は、ポールではなく、ジョンに師事しました。其れはジョージの其の後の道程を観れば明らかです。特に「曲を如何にして書くか?」との部分で、ジョージに其れを教えたのはジョン・レノンです。何故云い切れるかと問われるなら、ハッキリと云いましょう。「ポールは他人に曲作りを教える事が出来ません!」なのよさ。だって、アノ片は「そのへんに浮かんでるのを掴むんだよ」とか「夢で聴いた旋律を書き留めた」とかさ、例えるならミスター長嶋サマが「ボールがピューンと来るでしょ?其れを、カーン!と打つとホームラン!簡単でしょう、あっはっはっはっは☆」とか打撃指導しちゃうみたいな事しか云えないのですよ。ジョンは独学ながら曲作り法を編み出したから、キチンとジョージに指南したのです。アレンジ面でも、ポールの其れにはジョージは泣かされ続けたのだけど、ジョンは「お前の持って来た新しい楽器を弾いてみろよ」とチャンスをくれました。ジョンとジョージは「志」がおんなじでした。

さて、個人的にかなり好きなレノン節なのですが、本人は「大嫌いな曲」のひとつに挙げておりました。2月末に壱度は完成した新作が練り直され、最終的には6月中旬に追加録音され完成します。2月の録音分で在るサントラA面の主役は、ジョン・レノンでした。然し乍ら、B面は6月の録音を中心に構成されています。其処での那奈曲中でジョンが書いたのは此の「IT'S ONLY LOVE」だけです。対してポールは三曲です。B面の主役は、覚醒したポールでした。ジョンは嬉しさ半分、大いに嫉妬したのでしょう。前日に録音された「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」「YESTERDAY」が如何に恐るべき作品なのかを、本当に理解していたのはジョン・レノンだけだった。

だからこそ、ジョンは自作にダメ出しをしたのでしょう。ジョンは悩みます。「遂に、ポールに喰われる時が来たのか?」と。されど、此れは名曲です。ポールには、逆立ちしたって書けない曲です。そして、其の「相対性」こそがビートルズの魅力でした。でも、ジョン・レノンは追い込まれた。ポールがすぐ後ろにピタリと付き、今にも追い越そうとしているのですからね。そして、ジョンの逆襲が始まりますが、其れは未だ先の噺。ジョン・レノンは自ら望んで生涯最大のライバルとなるポールと組み、叱咤激励し育て、恐るべき才能を開花させてしまったのだよ。「俺が人生で選んだパートナーは二人だけ。ポールとヨーコだ。そして、其れは正しかった」とジョンは語っていました。強いナァ、ジョン・レノン。


(小島藺子)



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2009年06月22日

FAB4-082:YOU LIKE ME TOO MUCH

HE WAS FAB-ジョージ・ハリスン・ラヴィング・トリビュート ジョージ・ハリスン全仕事


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月17日(take 8)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 A-3)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-3)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


元々はサントラ用に録音されたのだけど「I NEED YOU」に負けてB面に回された、ジョージ・ハリスンの愛らしい楽曲です。「IT'S ONLY LOVE」がフェイドアイトせずにジョンが弾くアコギのデカイ音で「チャーン!」と終ると、マーティン&ポールによるピアノのイントロが始まります。此の辺の繋ぎが絶妙なので、彼等のアルバムは曲順通りに聴かないと「気持ち悪い(アスカ声で)」って事になったなら、貴方も立派な「ビートルズ病患者」です。前述しましたが、此れはジョンが明らかに手伝って完成された楽曲でしょう。曲作りに於いて「レノン式」をジョージは学んだ。世紀の駄作「LOVE」で、彼等の単音階楽曲をマッシュアップしたパートが在りましたが、其れは当然上手くゆくのです。構造がおんなじなんですからね。

全面的にジョンによるリズム・エレクトリック・ピアノ!が曲を引き立てています。ジョンはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の頃からアコースティック・ギターでリズムを刻んでいましたが、アルバム「HELP !」セッションで新たなるリズム楽器としてエレクトリック・ピアノを導入しました。此の辺のセンスが、矢張り、類い稀なるモノです。おそらく、ディランの録音でのアル・クーパーに触発されたのでしょうが、完全なるレノン流になってしまった。此の我流は、本当に凄いです。更に、マーティンとポールが弾くピアノも効果的です。ポールは、此の時点でマーティンから鍵盤技術を盗んでしまっています。レノンは我流で、マッカは修習しちゃうんです。つえぇよ、こいつら、、、

「レノマカって、すげぇ〜やっ!」

あっ。此れはジョージの曲でした。つまり、そんなレノマカが弟分のジョージを叱咤激励し、立派なアーティストに育てあげるって物語もあるわけです。「I NEED YOU」同様に、此の曲でも既にジョージの才能は発芽しています。好い曲だナァ。可愛いナァ。しつこくってすみませんけど、銀河系中のレコスケ諸君、御唱和下さい。

「ジョージ、愛してる☆」


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月23日

FAB4-083:TELL ME WHAT YOU SEE

Hgm.jpg Help [DVD] [Import]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/18、2/20)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月18日(take 4)
 MONO MIX:1965年2月20日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 B-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-4)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


流れる水の如く、ポール・マッカートニー作の「サントラ面のボツ曲」へと繋がります。アルバム「HELP !」のB面は、不可思議な程にまとまっています。ジョージ・ハリスン作の「YOU LIKE ME TOO MUCH」と、此のポール作の「TELL ME WHAT YOU SEE」は、録音データでお分かりの通り「映画のサントラ用に録音された楽曲」です。他の五曲は「既にサントラ面が完成した後に録音された新曲」なのです。此の楽曲から三連発で「ポールの曲」が続くのですが、ジョン・レノンの「IT'S ONLY LOVE」から、アノ永遠のスタンダード曲「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」までの五曲が、まるで後の「ABBEY ROAD」B面メドレーの如く繋がっています。しかも、穏やかに何の作為も無いかの如く自然にそうなっています。其れが明らかに意図的な流れで在る事は、アルバム最終曲で明かされますが、此のB面の「緩やかで優しい色彩での統一した流れ」を作った要因のひとつは、楽器編成でしょう。

最早、其処には「ロケンロール楽団」だった彼等は居ません。ジョンはアコギ&エレピでリズムを刻みます。ポールは変幻自在なマルチ・プレイヤー振りを遂に発揮しますが、とっても紳士的です。ジョージはペダル・トーンに固執し、リンゴも多種多様なパーカッションに挑んでいます。そして、此の作品は映画「HELP !」のサントラ盤でも在りました。其のスコアを、マーティンは書かせてもらえなかったのです。監督のスーパーマン「リチャード・レスター」と喧嘩しちゃったんですよ。其れで、ケン・ソーンが書きました。彼は印度音楽に傾倒していたので、シタールを導入しスコアを書き、ビートルズは聴いてしまった。そして、シタールに興味を持ったのでした。マーティンとレスターの、正に「世紀の喧嘩」となりました。もし、彼等が仲違いしなければ、ノラ・ジョーンズは存在しなかったかもしれません。

底抜け脱線しすぎましたね。此の楽曲、なかなか好いです。正直、サントラ面に採用されたポールの駄曲よりも好いと思います。バディ・ホリーとエバリーを合わせた様な綺麗なメロディーを、ジョンとポールがハモってジョージが加わり黄金の三重唱へと進む展開は見事です。正に、ポールにしか書けない楽曲です。何なんだよ、此の「ナルシズムに溢れた歌詞」は。よくもヌケヌケとこんな事が歌えるもんだよ。「何が見える?其れは僕だろ?云ってごらんよ、ねえねえ☆」とかヌカしてんですよ。ジョンやジョージには絶対に書けません!「愛とは何ぞや?」と悩めるレノンの隣には、常にこんなにも能天気なマッカが居たのです。哀れ也、ジョン・レノン!!でも、そんなポールが、あたくしは好きなんです。莫迦って、可愛いじゃん。


(小島藺子)



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2009年06月24日

FAB4-084:I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)

Song for You U.S.A.ライヴ!!(紙ジャケット仕様)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 6)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-5)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「ポール・マッカートニー、覚醒」

アルバム「HELP !」B面中盤で三連打を放つマッカ節の中核を成すのは「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」ではなく、此の「夢の人」なんじゃ、われぇっ!と新橋で今宵も喚くオヤジもいる程に「名曲」です。素晴らしい。美しい。芸術も大爆発しちゃうってっ!!

いや、本当に「『イエスタデイ』だけがビートルズじゃねーんだよ、あのな、アレってさ『ヘルプ』ってアルバムに入ってるんだけど、知ってるか?知らねーのかよ。さしづめ、お前さんはベスト盤好きなインテリだな?だったら教えましょう、ええ、おせーて欲しいんでしょ?『イエスタデイ』なんぞよりもだ、其の前に入ってる『夢の人』てぇのが好いんだナァ、此れが。知らないの?ははぁ〜ん、そりゃイケナイ。お兄さん、それじゃあ、おテント様に申し訳無いってもんだ。ほら、此処に其の『ヘルプ』って音盤が在るじゃ在りませんか、大将!ね、そこいらじゃ二千円とかするお宝だ、だが、お兄さんを信じて、もう負けた、莫迦負けしちゃって千円だ。どーだ、え?もう一寸って、お兄さん、それじゃこっちもおまんまの食い上げだ。え〜い、こん畜生、那奈百円だっ!持ってけ泥棒!!」なんて、あれれ?途中から寅さんになってるじゃん。

てなくらいに、素敵な楽曲です。楽器編成が「ジョン、ポール、ジョージ」によるアコギ三本ってのも泣かせます。クオリーメン時代からの三人が、生ギターで躍動しています。彼等の絶品なコーラスにも負けない生ギター三本の絡みは、一朝一夕には決して出せない味です。美しい!綺麗だ!彼等を知った頃、もう四人はバラバラでした。リアルタイムで聴いたのは「WINGS」ってバンドでした。1975年に、其の楽団が日本に来るって事になって、ときめいた。でも、楽団長が葉っぱをやっているからとか何とか云われて、来なかったんです。其れで、お詫びにとか云ってオーストラリアでの公演をTVで流しました。御馴染みの「WINGS ナムバー」を披露した途中で、生ギターを持った楽団長が「夢の人」を演奏した。其の後に「イエスタデイでしょ?あたし好きだな(未来ちゃん声で)」も演ったんだけど、あたくしは「夢の人」にシビレた。「あれれ、此の人って、ビートルズじゃん!」と解ってしまったのです。驚いたよ。「え?もしかして、ジョン・レノンやジョージ・ハリソンやリンゴ・スターもビートルズなの?」って、いや、本当に初めて知ったんです。知識では無く、実感したんです。全てが繋がったのでした。興奮したナァ。正に「夢の人」に逢った瞬間でした。


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月25日

FAB4-085:YESTERDAY

Live in Las Vegas Yesterday_EP.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 2)
 MONO MIX:1965年6月17日(1 & 2)
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-6)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」
(未来ちゃん、いやさ片瀬那奈ちゃん声で)です。


日本の音楽の教科書にも載りました。いえ、世界で最もカヴァーされた楽曲でもあります。「ビートルズと云えば、イエスタデイ」ってなもんやです。名曲です。作者のポールは、在ろう事か「貴方の最高傑作は?」と訊かれ、自信満々に「そりゃ、チミ、イエスタデイに決まりだもん!」って応えちゃいます。ジョン・レノンが殺された時にも、此の曲が日本のテレビでは流されました。ジョンが生きていた頃だって「あらま、ビートルズのレノン様じゃありませんか、じゃあ貴方の曲を演奏しますわ」なんて云われて各国で此れを聴かされました。ジョンは「あのさ、其れはポールの曲じゃん!」と毒づきながらも「う〜む、やっぱ、名曲だナァ」と相棒の傑作を讃えたのです。

あたくしも、最初に彼等のアルバムを買う時に「イエスタデイ」が入っているってのが基準でした。其れで「オールディーズ」を買ってしまったのです。だって、赤盤は二枚組で高かったし、「ヘルプ」は14曲入りで「オールディーズ」は16曲入りだったのですよ。しかも、何故か「オールディーズ」の方が安かったんです。想い出も、思い入れもあります。其れで反則なんですけど、かつて(2002年)に書いた文章を再録してしまいます。


「日本人の為のビートルズ講座 (連載2発目)」

<Yesterdayを知っていますか?>

ザ・ビートルズの楽曲で一番有名な「YESTERDAY」は、何故か語られる機会が少ない様に感じられる。マニアは勿論、少し噛ったファンですら、一番好きな曲なんて事は云わない。捻くれた人は「夢の人」(同じアルバムに収録されたポールの作品で、YESTERDAY の前に入ってる曲)の方が名曲だと云う始末。彼等を知れば知る程、誰もが知ってる曲の事など語りたく無い気持ちは理解出来るし、私自身もかつては敢えて無視していた曲だった。

まず、これはビートルズの曲とは云えないんじゃないか?ってのがある。作ったのも録音に参加したのもポールだけで、他に関わったのは編曲とプロデュースのジョージ・マーティンと弦楽四重奏の外部ミュージシャンだけ、つまり「ポールのソロ」ではないのか?現在でも、ポールとヨーコの間で論議されているらしいが、クレジット上はジョンの名前もあるけど、いいじゃないかヨーコ、返してあげなさいよ。しかし、待てよ。1965年当時ポールはビートルズのメンバーだったし、レノン・マッカートニーと云うソングライター・チームの一員だったのだ。

ジョンが単独で作り、録音した「JULIA」と云うビートルズ作品がある。ところが「アンソロジー3」に収録されたアウトテイクを聴くと、ポールが録音に立ち会っていた事が解るのだ。一人でレコーディングしているジョンと、彼をコントロール・ルームからみつめアドバイスするポールとの会話が最後に収録されているのだけど、映像が浮かぶほどに感動的だ。二人が既に不仲と云われていた後期ですらこうした関係だったのだから、「YESTERDAY」の頃ならもっと密接な関わりがあっただろう。ジョンへの追悼曲「HERE TODAY」を聴けば、ポールの真意は解るはずだ。そしてポールは、自分の最高傑作を「YESTERDAY」と公言するサイコー!な天然パーである。普通、絶対、思っていても云わない。でも、ポールは云うよ。あの人が普通なわけないでしょ?

私も最初に好きになったのは「YESTERDAY」だったのだ、でも、すぐに「ジョンの魂」を聴いてしまい、敢えてポールの甘い曲は無視する様になった。元々、カーペンターズみたいなポップスが好きだったのに、ロックの人になりたかったわけだ。若い頃とは、ある意味本質を捩曲げる時期でもあるわけで、甘いポップス(実は苦くもある!)を好きだと云えるまでは、結構廻り道したな。

1990年のポール・マッカートニー初来日公演は、とにかく全曲一緒に歌うんだと決めていた。私にとって、それはひとつの決着になるはずだった。ソロもウイングスもリアルタイムで聴いて来たんだし、後追いだけどビートルズこそが命だ!!そうだ、今日はビートルズのコンサートに来たんだ!!そんな気持ちだった。「HEY JUDE」の大合唱直後には「ありがとうございました!!」と絶叫するほどに高揚していた私が、棒立ちになり歌えなかった曲があった。「LET IT BE」が最初だった。まるで天国から奏でられている様だった。声にならない、歌えない。そして、ポールは一人であの曲を歌った。「YESTERDAY」 私は、あんなに美しい音楽を聴いた事はなかったし、きっとこれからもないだろう。確かに決着は着いた。超有名曲は超名曲だし、子供の時の感動は正しいのだと解ったのだ。それから私は、恥ずかしいからと聴かなくなっていた音楽も再び聴く様になった。どれもが素晴らしく、若さ故の過ちを恥じたものだ。

さて、現在は音楽の教科書にも載っている「YESTERDAY」だが、発表された当時はかなり問題作だったのではないか?ロック・バンドが生ギターと弦楽四重奏だけで歌うなんて奇想天外なアイディアは、この曲が最初だったし、メンバー一人しか参加していないのにグループの作品としてしまう力技も後期はともかく、この時期には画期的だ。中期のサイケ時代に重要な役割となる管弦楽のアレンジも、この曲から始まったのだ。スタンダード化した美しいメロディーも、ギターは変則チューニングだし、コードもsus4や7thを多用していて複雑だ。学校の音楽で、一体どんな風に教えているのだろう? 詞に関しては、ポールが亡くなった母親を想って書いたと云う説が一般的だ。元々歌詞がなくて「スクランブル・エッグ」と云うインスト曲だったらしい。

ポールにとっても、間違い無く転機となった曲だろう。ジョンには書けない甘いバラードは、以後大きな武器になったし、世間の目も変わった。ビートルズは、只ウルサイ音を出す子供向けのバンドでは無く、大人の鑑賞にも充分耐えられる紳士的な連中だと云うわけだ。勿論、そんなのは本当の姿では無いが。既に当時から彼等はドラッグをキメまくっていたし、だからこそこんな不思議な曲も当たり前の様に出来たのだ。

ポール自身、最高傑作と認めるだけあり、自分で2曲もアンサー・ソングを発表している。 一つは前述した「HERE TODAY」で、1982年にジョンへの追悼曲として発表された。誰が聴いても曲、アレンジなど全てが似ている。もう一つは1971年の「TOMORROW」で、Aメロが全く同じコード進行(勿論メロディーは別!)で、ジョンを思わずにいられない最高のCメロに涙する名曲!「昨日・明日・今日」を17年掛けて同じアイディアと違うアプローチで表現した天才ポール・マッカートニー若干23才の奇跡的な名曲。

それが「YESTERDAY」だ。演奏してるのは、THE BEATLES である。

(TEXT:未亜、written and compoced by イコ)
初出「hilite」2002-7



(小島藺子/姫川未亜)



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2009年06月26日

FAB4-086:DIZZY MISS LIZZY

Specialty Profiles 平和の祈りを込めて〜ライヴ・イン・トロント1969〜


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 7)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 初出:1965年6月14日 アルバム発売 (「BEATLES IV」 B-3)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-7)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


後にジョン・レノンが歌った通り、ビートルズとは「夢」でした。相方ポールが夢で聴いた旋律を其の侭書いた至上の名曲「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」(未来ちゃん、いやさ片瀬那奈ちゃん声で)で、アルバム「HELP !」は完結して好いのです。普通は、そうします。されど、彼等は破壊した。そもそも「YESTERDAY」を大した曲とは思ってなかった様です。

アルバムのトリ、いや「オチ」は、ジョン・レノンの絶唱です。お得意のラリー・ウイリアムスのカヴァーを力一杯喚きちらし、「YESTERDAY」の感傷的な余韻をぶち壊す「ロケンロール楽団:ビートルズ」が、B面で初めて牙を剥きます。リンゴの呑気で陽気なカントリーで始まり、穏やかな、いや「腑抜け」になった様な楽曲がメドレーの様に連なり、トドメに「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」(御本尊様声で)です。「其れで終ったんじゃ、納得がいかないっ!」と思ったのは、ファンでは無くビートルズだったのです。此れぞ正しく「芸術」です。破壊と創造です。

「HELP !」は、トータル・アルバムです。彼等は其れまでの四作も全て「統一性」を意識して制作していました。其れが遂に実現したのが「HELP !」です。彼等は一作ごとに変化してゆきます。其れは、突然起こったのでは無かったのです。四年後に、ジョンはふたたび此の曲を叫びます。其の間、公的にはカヴァーを封印していました。「チーフ・ビートル:ジョン・レノン」最後の絶唱です。其の声だけで、またしても全てを捩じ伏せてしまった。何もかもが、画期的でした。其れでも彼等は満足しなかった。もっともっと、革新的な企みがありました。水野晴郎せんせい入魂の邦題に反し、もう、彼等は「アイドル」では無かったのです。

然し!米国のキャピトルはそんなビートルズを全く理解せず、アルバム「HELP !」は無惨にも解体され発表されました。なな、なんと、英国でのアルバム発売の二ヶ月近く前に「BEATLES IV」に、「YOU LIKE ME TOO MUCH」「TELL ME WHAT YOU SEE」、「DIZZY MISS LIZZY」を収録してしまったのです。更にボツ音源だった「BAD BOYS」とシングルB面曲「YES IT IS」まで入れて、残りの6曲は「BEATLES FOR SALE」からの選曲と来たもんだ。其れで11曲入りでアルバムにしちゃったのよさ。

其の前に米国では「BEATLES FOR SALE」を「BEATLES '65」と改題して、オリジナルから8曲しか入れず、シングルの「I FEEL FINE」「SHE'S A WOMAN」、更にはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」から「I'LL BE BACK」を加えた11曲入りで出しやがっていたのだ。1987年にCD化で全世界統一規格とされた時に、アメリカのファンは、「おいおい、俺たちが聴いていたアルバムは、何だったんだ?」と驚愕したでしょう。


(小島藺子)



アルバム「HELP !」の項で、downtown records の土田社長に「HELP」して戴きました。感謝します。


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2009年06月30日

FAB4-087:DAY TRIPPER

The Otis Redding Dictionary Of Soul : Complete & Unbelievable Solid State Survivor


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(1965年)、ピーター・ボーン(1966年)
 2E:ケン・スコット('65-10/16、25、29)、ロン・ベンダー('65-10/26)、グレアム・カークビー('66-11/10)
 録音:1965年10月16日(take 3)
 MONO MIX:1965年10月25日(1)、10月29日(2、3)
 STEREO MIX:1965年10月26日(1)、1966年11月10日(2)

 1965年12月3日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5389(モノ)


ジョン・レノン作で、初の両A面シングル(片面は「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」)として発売され、二曲共全英全米チャートで首位に輝き、世界中で大ヒットした「天下無敵のビートルズ」楽曲です。が、しかし、ジョンとポールは「締め切りに追われて捏ち上げた曲さ」と吐き捨てました。

革新的なアルバム「HELP !」を発表し、同名主演映画第二作も公開され、伝説のシェア・スタジアム公演までやらかした1965年8月を乗り切り、9月は流石にのんびりと過ごしてしまった彼等に、鬼の契約「アルバム年間二枚!」が重く圧し掛かった10月でした。後に「RUBBER SOUL」となるアルバムのセッションを開始せねばならなくなったのです。「曲が無い!」と慌てたレノマカは、必死で書きまくりました。其のセッションから、またもや御丁寧に「アルバム未収録のシングル曲」として「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」をアルバムと同日に発売するのです。そうです、其の通りです。そんな時にも、彼等は「ファンに二度売りはしないぜ!」の意志を貫いたのでした。だから当時聴いて居た東洋の島国に住む「クリハラ キヨシ 少年」は思ったのです。「他の連中は、なんかダブっちゃうんだけど、ビートルズはダブらないんだよね。信用出来るって思ったよ。」とね。あたくしも、中学校の時に後追いで集め始めて、そう思ったよ。

「なんて真摯な連中なんだっ!」

小手先で書きなぐった曲なのに、こんなにもカッコいいのです。二本のギターとベースによるリフのユニゾンだけで構成されたレノン流の「R&B」です。ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラスが目くるめく高見へと登ってゆく様は、最早音楽による「ドラッグ」です。事実、彼等は既にドラッグを常用していました。でも、其れを芸術へと昇華したのです。

ビートルズのカヴァーに最初に興味を持ったのも、此の曲のオーティス・レディング盤を始めとする「黒人アーティスト」による返答でした。元々、ビートルズが黒人音楽への深い敬愛を込めて書いた楽曲群を、言わば本家本元が料理したのです。ゾクゾクする程に刺激的でした。「此れこそが音楽だ!」と10代の頃に貪る様に多様な音楽世界に誘われて行ったのです。

さて、此処で彼等にとって大きな問題が生じました。デビュー以来のプロデューサーで「五人目のビートル」と云われたジョージ・マーティンが1965年8月に「EMI」に辞表を叩き付け独立し「AIR」を設立しやがったのです。本来なら、「EMI」は自社の誰かを後任にしたかったでしょう。しかし、ビートルズにはマーティンが必要でした。其れを知っていたからこその独立だったのでしょう。「耳こそはすべて」じゃなく「金こそはすべて」とラトルズに揶揄されても仕方の無い事です。でも、マーティンも自由になったわけで、願ったり叶ったりだったでしょう。ところが、其のマーティンの独立に依って、デビュー以来のエンジニアであったノーマン・スミスがプロデューサー昇進し「RUBBER SOUL」セッションを最後に現場を離れる事になります。そして、其の後釜にアノ男がやって来るのです。でも、其れは、もう少し後のお話です。


(小島藺子)



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2009年07月10日

FAB4-088:WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)

涙を届けて Motown Meets the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(1965年)、ピーター・ボーン(1966年)
 2E:ケン・スコット('65-10/20、28、29、11/10)、グレアム・カークビー('66-11/10)
 録音:1965年10月20日(take 2)
 MONO MIX:1965年10月28日(1)、10月29日(2、3)
 STEREO MIX:1965年11月10日(1)、1966年11月10日(2)

 1965年12月3日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5389(モノ)


ビートルズ史上、初の両A面シングルの片面で、正真正銘のレノン・マッカートニーによる合作。本国以外の米日などでは、未だ其の画期的な両A面と言う概念が無く、「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」がA面で「DAY TRIPPER」はB面となりましたが、当然乍ら両面共に世界中で大ヒットしました。「DAY TRIPPER」同様に、次回から始まるアルバム「RUBBER SOUL」のセッションで録音され、アルバムと同日に発売されたシングル曲ですが、慣例通りに英国オリジナル・アルバムには両A面共に未収録で、アルバム「RUBBER SOUL」からは本国では壱曲たりともシングル・カットはされませんでした。1966年度グラミー賞で「SONG OF THE YEAR」を獲得した「MICHELLE」ですら、彼等はシングル化を拒みました。

元々はポールが書いた作品です。海賊盤で容易に聴けるデモ音源では、ジョンが書き加えた中間部(所謂ひとつのミドル・エイト)が無いアコースティックな小品となっております。其れは同時期の「MICHELLE」にも云える事で「ポールが骨組みを書いたお姉ちゃんを想う軽く明るい作品に、ジョンが苦みを加える合作法」が1965年後期には行われていました。此のカタチは解散状態になる1969年まで続きます。

1965年に覚醒したポールは、ぞくぞくと簡単に名曲を量産する様になります。然し乍ら、其れはジョンの協力が必須でした。其の典型的な例が、此の愛すべき名曲です。ポールが書いた甘くアイリッシュな小品(内容は当時の恋人ジェーン・アッシャーに関するアレコレ)に、ジョンが強烈なアンチテーゼを加えます。「最近、映画の撮影でジェーンが帰って来なくてつまんないんだけど、ま、上手く行くはずさ」と天然バカボンぶり全開で歌うポールに対し、ジョンが「おいおい、人生は短いんだぜ。お姉ちゃんの事しか考えらんないのかよ?しっかりしろよ、仕事しろよ、兄弟。」と返し、更には愛しのジョージ・ハリスンの抜群のアイディアでワルツに転換する中間部が、此の楽曲を凡庸な流行歌からスタンダードへと変えました。此の「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」と云う両A面シングルは、正に、ビートルズの才能溢れる三人衆(ジョン、ポール、ジョージ)が一丸となって居た時代の「楽団による合作」です。ん?リンゴは何やってたのかって?「I FEEL FINE」プロモみたいに、自転車でも漕いでいたんじゃまいか。

此の時代、彼等もモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れは相互作用でした。スティーヴィー・ワンダーによるカヴァー(1970年)は全米13位のヒットとなります。スティーヴィーは其れ以前にも「MICHELLE」に触発され名曲「MY CHERIE AMOUR(1967年)」を書きました。ちなみに、スティーヴィーはジョン・レノン&ポール・マッカートニーの両名と正式音源でデュエットした事が在り、海賊盤音源では「1970年代の解散状態だった時期のレノン・マッカートニーとのセッション」まで遺っている「稀有な存在」でも在ります。流石は「音楽神:スティーヴィー・ワンダー」、其の辺は絶対に外しません。確かにビートルズはモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れはお互い様でした。音楽は、すべて繋がっているのです。


(小島藺子/鳴海ルナ)



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2009年07月12日

FAB4-089:DRIVE MY CAR

ラバー・ソウル Doll in the Box


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/13、25)、ロン・ベンダー(10/26)
 録音:1965年10月13日(take 4)
 MONO MIX:1965年10月25日
 STEREO MIX:1965年10月26日

 1965年12月3日 アルバム発売 (「RUBBER SOUL」 A-1)
 パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)


アルバム「RUBBER SOUL」英国オリジナル盤の一曲目を飾ったポール・マッカートニーが主に書き、ジョン・レノンも協力した「プラスティック・ソウル」で、快作!ジョンが全面的にデュエットし、途中からジョージも加わって過激な三重唱を展開します。ギター・リフを考案したりと、アレンジ面でのジョージの貢献度もかなり高いようです。歪んだ表情のジャケットに衝撃を受け、針を落とし、明らかにオーティス・レディングを意識したイントロが流れた瞬間に、世界は変わりました。「プラスティック・ソウル」とは、つまり「白人が真似した紛い物の黒人音楽」って意味の差別語(ミック・ジャガーを揶揄して云われていたらしい)なのですが、ポールは「I'M DOWN」を熱唱した際に自嘲して「こんなのはプラスティック・ソウルだよ」と何度も云いました。其れが謙遜だった事は、歴史が証明しました。彼等は黒人音楽を愛し、必死でコピーして、其れを超えたのです。其の「偽物の魂」の延長線上に「RUBBER SOUL」は在ります。ビートルズは、「アイドル・ロケンロール楽団」では無く「ロック集団」へと変貌しました。黒人音楽だけでは無く、あらゆる音楽を咀嚼しビートルズ色に染め直し「オリジナル」として発表してしまう荒技に出たのです。

当時の彼等には年間二枚のアルバム契約と云う縛りが在り、世界制覇後の1965年の二枚「HELP !」と「RUBBER SOUL」のステレオ盤はCD化の際にジョージ・マーティンが「こんなんじゃ遺せない!」とわざわざリミックスした程に時間が無かった「やっつけ仕事」でした。其れなのに此のクオリティーです。てか、モノラルは好いんだから、其れをCD化すれば済む話だったわけだが。1965年に、レノン・マッカートニーは旬でした。ジョン・レノンを追いつづけたポール・マッカートニーが、遂に其の背中を視界に入れたのです。永遠に追われる立場だったジョン・レノンの「巨大な人間力」には驚かされます。何せ、彼を最も間近で追ったのは「ポール・マッカートニー」と「ジョージ・ハリスン」だったのですよ。「ボブ・ディラン」や数多の後塵楽団も、敬愛していた「キング・エルヴィス」ですら、ジョン・レノンを意識し対抗していました。想像を絶するプレッシャーだったでしょう。

そんな重圧に耐える時、相棒が「彼女が僕にアッシーくんをやれってさ、ピピ、ピピ、イエー!」なんぞと無意味にハモル曲を書いて来たら、ジョンはノリます。ジョンには絶対に書けない「下らない歌詞」で単純無欠の楽曲でしたが、其れが、ジョンは嬉しかったのです。「何でこいつは此処まで莫迦なんだ?女の事しか書けないのかよ?此れじゃビーチ・ボーイズとかの安っぽいホットロッドじゃん。」と呆れ果てながらも、嬉々として協力し歌詞もマシにしようと、結局は合作してしまいました。複雑怪奇な無理矢理で無茶苦茶なハーモニーが、最早「元ネタ」のR&Bを凌駕します。彼等には規制の音楽理論なんてありません。全員、譜面を書けないし読めないのです。意味なんてないんだ。かっこ良ければ好いのだ。ポールはベースのレベルを上げまくり出しました。唸りを上げるベースが完全に主導権を握ります。ビートルズのリーダーは、あくまでもジョン・レノンでした。されど、バンド・マスターはポール・マッカートニーです。そんなバンドが、確かに此の世界には存在していたのだよ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが同じバンドに居て、一緒に曲を書いて演奏して居たのです。

もしもブライアン・ウイルソンがオリジナルの「RUBBER SOUL」を聴いたなら、「PET SOUNDS」は違った作品集になっていたでしょう。ブライアンがドラッグをキメまくって聴き狂った米国盤「RUBBER SOUL」の最初の曲は、英国では前作「HELP !」に収録されていた「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」でした。改変された米国盤を聴いたブライアンは「此れは内省的なフォーク歌唱集だっ!素敵じゃないか!!」と勘違いします。ブライアンは「僕は絶対にビートルズに勝つんだ!」と誓った。つまり、彼はビートルズに恋焦がれてしまったのです。恋愛に勘違いは付き物で、其れが思わぬ展開を生み出すのも此の世の常なのです。大西洋を隔てた恋人同士は相互に誤解を重ねて、前人未到の芸術作品を創ってしまいます。ブライアンは、たった一人でビートルズに立ち向かおうとしていました。其れは「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてジョージ・マーティンを一人で打ち負かしてやる!」と云うトンデモな考えでしたが、ブライアンは挑んだのだよ。1965年の冬、世紀の恋愛音楽喜悲劇が始まったのでした。ピピ、ピピ、イエー!

「あっ。CRISTINA によるカヴァーは、是非、片瀬那奈ちゃんファンにも聴いて欲しい快作です。」


(小島藺子/鳴海ルナ)



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2009年07月20日

FAB4-090:NORWEGIAN WOOD
(THIS BIRD HAS FLOWN)(ノルウェーの森)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫) ノルウェイの森 下 (講談社文庫) ノルウェイの森 【スペシャル・エディション2枚組】 [DVD] Velvet Sofa


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/12、21、25)、ロン・ベンダー(10/26)
 録音:1965年10月12日(「This Bird Has Flown」take 1)、
    10月21日(リメイク take 4)
 MONO MIX:1965年10月25日
 STEREO MIX:1965年10月26日

 1965年12月3日 アルバム発売 (「RUBBER SOUL」 A-2)
 パーロフォン PMC 1267(モノ)、PCS 3075(ステレオ)


ジョン・レノン作の傑作フォーク・ソング。村上春樹氏のベストセラー小説にショートカットされた邦題「ノルウェーの森」は、当然乍ら「誤訳」です。いまどき小学生でも「WOOD」なら只の「木」で、「森」なら「WOODS」だと理解するでしょう。実際の意味は「ノルウェーの木材で作られた部屋」と云ったトコロでしょう。「彼女が住むのは、ノルウェーの木材製で椅子もない安アパート」とか歌っているのです。森の話なんか出てきません。いえ、本当は「彼女は、すぐにやらせてくれそうだぜ( KNOWING SHE WOULD.)」の洒落だとシタールを初めて弾いて大きく此の曲に貢献した「弟分:ジョージ」が明かしています。仮題でも在った副題の「This Bird Has Flown」でもお分かりの通り、作者のレノン曰く「(当時の妻だった)シンシアに分らない様に、他の女との情事を歌にした」のが此の曲です。だから、タイトルの「NORWEGIAN WOOD」には、本来の意味などありません。ジョージが云う通りに「KNOWING SHE WOULD」のモジリだと考えた方が納得がいきます。

アルバム「RUBBER SOUL」は、所謂ひとつの「暗喩」が多様され、より「詩的」な作品集となりました。冒頭の「DRIVE MY CAR」からしてそうなのですが、つまりビートルズは「SEX」を歌い出したのです。元々「抱きしめたい」と誤訳された時代から「君の手を握りたい」とか色恋沙汰ばかり歌っていたわけですけど、其れは「お気楽な恋の歌」でした。前作「HELP !」あたりから地続きで1965年の彼等は「大人の恋愛」を歌う様になります。もう当時のジョンは25才、ポールも23才です。ジョンとリンゴは既婚者で子持ち、ジョージもパティと1966年1月に結婚が決まっていました。唯一の独身者ポールにも美人女優の婚約者(ジェーン・アッシャー)がいて、彼女の実家に「マスオさん状態」で住んでいましたし、ポールこそが最大のプレイボーイで、既にハンブルグ時代に隠し子までいました。ビートルズは、十二分に成熟していたのです。

彼等のアルバムが其の作品を象徴する「ジョン・レノンの自信作」から録音されるのは、解散状態になるまで続く恒例です。アルバム「RUBBER SOUL」は1965年10月12日に録音が開始されますが、其の日に取り上げられたのはアルバムの最後に収められる「RUN FOR YOUR LIFE(浮気娘)」と此の二曲のジョン・レノン楽曲でした。しかも、後述する様にジョン自身が「駄作だ!」と断じる(ファンはそうは思いませんが)「RUN FOR YOUR LIFE」を四時間半かけて完成させ、立て続けに此の楽曲のリハーサルと第一テイク(ボツ。「アンソロジー 2」で聴けます)だけに同じく四時間半も費やしたのです。結局、其れに納得しなかった彼等は九日後にリメイクし、公式盤で聴かれる幻想的な作品を完成させたのでした。つまり、此の楽曲がアルバム「RUBBER SOUL」の方向性を決めたのだと思えます。

シタールを初めて本格的に導入した楽曲で、前述の通り奏でるのはジョージ・ハリスンです。ジョージは後にシンセサイザーを初めて導入する事にもなりますが、そんな新しモノ好きな楽器ヲタな弟分を乗せて自作に活用するのが「ボス:ジョニー」の得意技でした。シタールやタンブーラなど印度楽器を使った楽曲で印象的で有名なのがジョージ作の印度音楽風な其れよりも、ジョン・レノン作の此の曲や「TOMORROW NEVER KNOWS」「ACROSS THE UNIVERSE」等である点に注目しましょう。其処に「ジョン・レノン」の才気が在ります。ジョンはあくまでもシタールを自分の世界に取り込む方法を選択しました。ウブなジョージは、一聴すると印度音楽にしか聴こえない楽曲(ちゃんと聴けば、ジョージ作の印度風音楽がオリジナルでラガー・ロックの創造だった事実に気付きますが、当時はそんなもんは存在しなかったのですよ)になってしまったのだけど、ジョンの其れは「レノン節」なのです。此の楽曲など、其れまでに全くなかったはずなのに「大衆音楽」としても成立しています。其れはジョンの書く旋律が美しいからです。通常の音楽理論からは外れまくっているのに、ジョン・レノンが書く曲は自然で美しい。其れが「世紀のメロディー・メーカー」と称される相棒ポールには真似が出来ない才能でした。音楽一家で育ったポールには基礎が在り、ちゃんとギターが弾けたのです。ところが、ジョンは母親に習ったバンジョーのコードでギターを始め、曲作りも完全なる我流で、つまり「なんでもあり」なのだ。

此の楽曲にはビートルズの不可思議な部分が露呈しています。我流で書いたジョンの新曲に、史上初でジョージがシタールを導入します。其れだけなら、滅茶苦茶になったかもしれない。でも、打ち合わせも無しに寄り添う様に完璧なハーモニーを付けるポールがそばにいました。どんなにジョンが「ボブ・ディラン」以上の何かを目指しても、其れを許さない相棒が軌道修正します。そして、其れをジョンも望んでいました。何よりも彼自身の美しい旋律が、其れを証明しています。ジョンが書いた曲は、限りなく無垢で美しい。多くのカヴァー作品を聴けば分かるでしょう。しかも、ジョン・レノン作品は彼自身が歌わなければ眞の美を放ちません。例えば、ディラン作品はカヴァーの方が有名なものも多く、其れはディランがソングライターとしても優れている事実を教えてはくれます。でも、本人しか歌えない曲しか書けなかったジョン・レノンこそが「本物のシンガーソングライター」だと、強く思います。


(小島藺子/鳴海ルナ)



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2009年09月10日

「遥かなる林檎道」

ザ・ビートルズ・ボックス ザ・ビートルズ・モノ・ボックス(BOX SET)【初回生産限定盤】


ずっと「FAB4(THE BEATLES 全曲解説)」を中断して居ますけど、其の間に、うっかりトンデモな事になってしまいましたね。

ええ、聴いて居りますです「THE BEATLES 2009 REMASTER 16枚」、、、此れは、すぎょいっ!!最早、20年以上前のCDはゴミです。当時「CD化されてアナログでは聴こえなかった音が聴こえます!」なんぞとヌカした輩は「ホウイチ」だったな。1987年では、CDで此の音を再現するのは無理だったのです。今回の最新リマスターも、結論から云えばアナログ音源には敵いません。でも、よくぞ此処までやらかしたもんだと思います。とりあえず、全曲を iTunes に入れてCDRに焼いたら半分の八枚になっちゃったじゃまいか。「流石はコンパクト・ディスクだぜ」

アナログ盤とも違う印象を受ける部分も多々在ります。あくまでもリマスターなのですけど、正直、ギリギリのラインで「リミックス」に近い事もやらかしてしまったと思われます。ズバリ云えば「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」までは「モノとステレオの 2 on 1」でとも期待して居ました。結局は、映像のおまけは付いて居るものの、音源的には全て「オリジナル・フォーマット通り」での発売になり、通常盤はステレオを中心にしたカタチになりました。

アレレ?、最初の四枚も普通にステレオじゃん。20余年前にマーティンはサボりやがったんだナァ。確か「我々がスタジオで聴いたのは、初期四枚までは此のモノラル音源なのだっ!」と尤もらしい御託をヌカして居ったはずだけど、ステレオで出しちゃったじゃん。マーティンさん、本当は「時間が無くてモノにした」んだろ?いえ、あたくし、モノラルの方が好きなんですけど、其れも限定の箱でキチンと発売されました。おいおい「二度売りかよっ!」

映像の方も小出しにしてますけど、明らかにまたまた画質が異常に向上してますですよ。「LET IT BE」のDVD化も近いのでしょう。ルーフトップは完全版が観たいです。いや、遺って居る「ゲバ」映像は全部出してしまえっ!!「ゲバ」好きのあたくしに云わせればですね、彼等の録音現場がアレだけ大量に映像と音声で遺って居るってのは奇跡なんですよ。「鼻唄」でもええじゃん。だって、其れは「THE BEATLES の鼻唄」なんですよっ。お宝じゃん。

何にせよ、此れでまた最低でも20年は楽しめると思われます。こんなのが出ちゃったので、「FAB4」の再開はもう少しだけ延びます。ん?「おまいは『片瀬那奈全曲解説』を優先させたいだけなんだろ?」ですってぇ?!

「全く以て、其の通りっ!」

ま、世の中「ビートルズ・リマスター祭り」になって居るみたいなので、

「片瀬那奈ちゃんは、此処が独占させていただきます」
(馬場さん声で)


(小島藺子/姫川未亜)


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2009年11月21日

FAB4 外伝「記録」

ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版


2009年の洋楽シーンをリードしてくれたのは、夭折したマイコーと20余年振りにリマスターを発表したビートルズで在りました。此れは歴史的な事実として後世まで語り継がれるでしょう。CDの売り上げは勿論、書店の音楽コーナーへ行ってもビートルズとマイコーだらけです。マイコーは詳しく無いので分りませんけど、ビートルズに関しては此れまで出版された書籍のほとんど全てが新装改訂版で出版されたのではないか?と思える程です。ほとんどがリマスター便乗商法でしか無いと思いつつも何冊も買ってしまった中で、個人的には「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」と「ビートルソングス 新装版」が意義の在る改訂版だと思いました。今後の「FAB4」連載再開時には、お世話になる資料となるでしょう。

さて、今宵はNHKサマが其のマイコーとビートルズの貴重な特番の再放送をぶっ通しで二時間強もやって下さって居ります。此れは素晴らしい!マイコーの方は、軌跡を辿りつつも多くのPVを完全ノーカットで流し続けるって構成です。此れで好いのだ。音楽家を紹介する番組は、音楽家が演奏し歌って居る処を流せば其れで好いのだ。晩年はスキャンダラスな側面ばかりが取り上げられたマイコーだけど、こうしてみっちりと壱時間に渡って彼のパフォーマンスを観れば、矢張り稀代の天才芸術家だと思い知らされます。

そして、真打ちビートルズです。此れは、すぎょいです。冒頭にNHKが足したイントロが在りましたけど其れは御愛嬌として、BBC制作の「THE BEATLES Reborn」をフルで放送してくれたわけですよ。此れはもう再放送じゃないじゃん!壱時間で駆け抜けるアンソロジーで、リマスター盤にもオマケで入った映像の完全版です。音声は当然2009リマスターになって居ますが、其れ以上に驚くべきは映像の美しさです。長年ビートルズを観て来ましたから観た事の無い映像ってのは少なくなってゆくのですが、此処に来て画像が明らかに鮮明になるとは、、、此の画質でのPV集や待望の映画「LET IT BE」を期待せずには居られません。

たったの60分では満足なんか出来ませんが、ガイドとしてなら完璧な出来映えです。朝までレコードやDVDを満喫せねばならなくなってしまいました。アップルは、未だ未だ持ってますね。あたくしが生きて居る間に全部公開される事は、おそらく無いでしょう。だって、ジョンは最初のCDすら聴いて無いのですから。でも、其れが芸術です。此処で続けて居る片瀬那奈さんの記録も、其の欠片でも好いのでそんな風になれたら幸いです。少なくともあたくしは、此処を書く事も芸術活動だと思って居ます。


(小島藺子)


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2010年03月07日

「ジュード・ロウは、ヘイ・ジュード」

ザ・ビートルズ・アンソロジー DVD BOX 通常盤


「壱番欲しいのは、ブートレグだ!」とは、ジョン・レノンの名言です。昨年(2009年)に、遂にリマスター盤が発売された「THE BEATLES」の音源は、ステレオとモノラルが高音質で聴ける様になり、更に其れ以前に出た「米盤BOX」も揃えれば大抵の「別ミックス」も容易に公式音源で入手可能になりました。

海賊盤音源ってのは、入手した時はドキドキもんなのだけど、結局は「ボツ」だったわけでして、壱回聴けばええやってもんなのです。THE BEATLES に関しては「アンソロジー」って「ボツ音源集」も出てますので、かつての様には積極的に西新宿へ向かうなんて事もなくなりました。何せ、彼等は「40年も前に解散したバンド」なのですよ。音源にも限りが在ります。

所謂ひとつの「ゲバ」もん(解散間際の1969年1月に行われたセッションで、公式には「LET IT BE」としてアルバムと映画で発表されたが、其の30日間をほとんど全部記録して居た為に膨大な未発表音源が存在する)まで手を出し、鼻唄や会話まで聴き尽くしたわけでして「もうブートはええやん」と、、、はならないのでした。

確かに、リマスター音源の登場は素晴らしく、音源としてなら20年は楽しめます。旧盤CDとの聴き比べとか、アナログとの聴き比べとか、時間が幾ら在っても足りない位です。なら、ええじゃん!とはゆかないのが「THE LONG AND WINDING ROAD」なのよさ。

ズバリ云って、映像作品なのです。THE BEATLES の映像作品も多く発売されていますが、名作「MAGICAL MYSTERY TOUR」は廃盤で、あたくしが最も好きな「LET IT BE」なんか未だにDVD化されていません。「アンソロジー」の映像版は素晴らしい作品ですが、プロモ映像が中途半端に収録されてたりもするのです。そもそも、天下無敵の「THE BEATLES」のプロモ集すらマトモに出て居ないってのは何故なの?

さて、其処で「必要悪」で在ります「海賊盤」の登場です。ええ、観れるんですよ。でもね、やっぱ「MMT」と「レリビ」と「プロモ集」位は、公式で発売しなければダメですよ。特に「レリビ」だな。ルーフトップ・セッションがブートでしか味わえないなんて酷いよ。片瀬クンの実演は、シュガーちゃんが記録用にハンディで撮ったもんまで公式映像作品化されてるんですよ。対して「THE BEATLES」は、映画用に撮った映像が出てないのよさ。もしかして、アップルちゃんはブート屋さんを儲けさせたいのかしら?


(小島藺子/鳴海ルナ)



あっ。全曲解説は、そろそろ再開しますです。

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2010年03月21日

「アナログで『SMiLE』を聴く休日」

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昔、20代の頃に、最も欲しかったレコードは THE BEACH BOYS の「SMiLE」でした。

あたくしは1960年生まれなので、中学生の時にもう解散して居た「THE BEATLES」に出逢いました。所謂ひとつの「赤盤青盤(1973年発売)」が出たので、ラジオで彼等の曲をかけたのです。具体的に云えば、以前も書きましたが、鈴木ヒロミツさんと岡崎友紀さんがやってらした番組で初めて「THE BEATLES」を聴いたのです。其れで、僕の人生は変わりました。だって、其の時の僕は13才だったんです。

其れからは「洋楽一直線!」で「ロックの人」になってゆく青春時代を送ります。僕が英米文学部に進学したのだって、別に英語の成績が飛び抜けてよかったからではないのです。高校の文化祭でバンドでビートルズを歌ったら、其れをうっかり聴いた英語教諭に呼び出されたのです。英語の先生はこう云いました。「お前、英語の成績は大した事ないのに、何であんなに発音が完璧なんだ?お前が歌ってるの、聴いたんだよ。ハッキリ云って、ネイティヴ並みだ。俺よりも上手く話せる」褒められると嬉しいから、うっかり大学は英米文学科にしちゃったのよさ。でも、其れは単にあたくしがビートルズとかの洋楽にハマって、コピーしてただけなんです。

そんなこんなで学生時代には、正規盤も好いけど海賊盤が欲しいって事になりました。ビートルズの海賊盤はわりと入手可能だったのだけど、1980年代前半にはビーチ・ボーイズなんて山下達郎しか騒いでない存在だったのです。正規盤すら、ほとんど手に入らない状況でした。其れでも何枚か手に入れて「SMiLE」ってトンデモな幻の作品が存在するって事実を知ったのです。

確か、1984年頃だったと思うのですが、当時住んで居た仙台の輸入盤屋サンで、僕は「SMiLE」をみつけました。二枚組で八千円位の値段が付いて居たと思います。手が届かない!って価格でした。其れから四半世紀が経ちました。其の後、CDで「SMiLE」を何枚も買いました。ブライアン自身も2004年に正規盤として発表しました。でも、2004年の其れは、僕が欲しかった「SMiLE」じゃなかった。

僕が愛する「SMiLE」を、音源的にはCDで持って居るのだけど、今日うっかり中古盤でレコードを発見したのです。たったの「840円」で投げ売りされて居た愛しの「SMiLE」を、僕は迷わず購入しました。そして、今、針を落として聴いて居ます。音源なら、もっと良いのを持ってます。でもでも、此れで聴きたかった。

そう、此れは欲しくても買えなかった青春時代への「リベンジ」なのです。

そんでもって、えっと、まぁ、此れが「必殺カタセ固め」って技なのよさ。


(小島藺子)


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2010年04月19日

「僕の怪物くん」

The Beatles 1962-1966 The Beatles 1967-1970


1973年4月19日に発売された「The Beatles 1962-1966」と「The Beatles 1967-1970」に出逢わなかったなら、僕の人生は間違いなく違って居たでしょう。

ジョージ・ハリスン入魂の選曲で解散後に初めて発表された通称「赤盤、青盤」によって、僕は「THE BEATLES」と云う名の魔境に誘われました。当時は現在とは違って「日本先行発売!」なんて特権も無く、と云うよりも僕は「ビートルズってヒッピーの俗称」と誤解していた子供だったのです。

中学生になって「基礎英語」を学ぶって名目でラジカセを買い与えられた僕は、当然乍ら音楽番組をテープに録音する楽しみを知ってしまいます。童謡やクラシックが音楽だって習って居た少年少女合唱団所属だった僕は、歌謡曲やフォークにトキメキました。そんな時に、怪物集団の音楽を、うっかりラジオで聴いたのです。其れは、天地がひっくり返る程の衝撃でした。最早「基礎英語」なんて聴いてらんないです。幸か不幸か、僕のラジカセは短波も受信出来る機種だったので「FEN」なんてトンデモな放送局を見つけてしまいます。

さて、此の「赤盤」と「青盤」ってのは、1972年に大ヒットしちゃった「beatles AΩ」と云う四枚組の海賊盤に対抗する為に米キャピトルが「いたいけジョージ」に選曲を依頼して発売されたのだそうです。其の海賊盤は持ってますけど、箱のジャケットはヘンテコなイラストで、音もアナログ落とし(疑似ステレオも混じってるからソースはおそらく米盤)だし、選曲もソロまで含むハチャメチャなモンでして、「珍盤、奇盤」って類いのアイテムでしょう。そんなモンが何故に爆発的に出回ってしまったのか?と云うと、其れは「1972年当時に、ビートルズを総括するベスト盤が存在しなかった」からでありまして、更に云えば「未だビートルズって解散してないんじゃまいか?再結成するんじゃまいか?」なんて甘い期待も大いに在ったからとも云えるでしょう。

事実、幾らジョンが「俺はビートルズを信じない」と叫ぼうが、ポールがウイングスしようが、ジョージが我が世の春とばかりに台頭しようが、其処には「元・ビートルズ」なる呪縛が在りました。ジョンとジョージとリンゴの交流は続いて居て、それぞれのアルバムで普通に共演して居ましたし、決定的だったのは「赤盤」&「青盤」と同じ「1973年」に発表された「RINGO」でしょう。四人揃っての共演こそ無かったものの、おんなじアルバムに四人が集まってしまったのです。そうです、信じられないかもしれませんが、当時は「ビートルズ再結成」って話題が頻繁に出て居たのでした。

そんな事を考える様になるのは、ハッキリ云ってしまえば「1980年12月8日」以後の世界です。友人から借りて、初めて「赤盤」と「青盤」を聴いた時に、僕は只只、呆然となっただけでした。どんなに音源がリマスターされても、此の2セット四枚のアルバムには思い入れが在ります。確かに、当時を知らない若いファンにとっては物足りない作品でしょう。でも、僕が初めて出逢ったのは此の四枚の怪物くんだったのです。


(小島藺子)


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2010年08月14日

「LOVE COMES TO EVERYONE」

コンサート・フォー・ジョージ [DVD]


え〜、久しぶりに御馴染みのビートリー噺を一席。今年は、ジョン・レノンの生誕70年&没後30年と云う事で箱が出るそうです。未発表音源も三曲収録される様ですが、う〜む、、、もっと在るじゃん!と云わざるをえない選曲ですね。ビートルズの赤盤と青盤もリマスターで出るみたいです。此れはジョージ・ハリスンが選曲した公式初ベスト盤だったので、愛着があるファンも多い様です。昨年全作品がリマスターされちゃったので、楽曲的な面白味はほとんど無いと思われます。赤盤は充分にCD壱枚に収まるのですけど、ジョージ選曲って事で迂闊に手を加えられないのでしょう。ジャケットに関してはお徳用盤の「1」とは比較にならない程に素敵ですけどね。

ビートルズがリマスターされて、次はジョンって序列なのでしょうけど、ジョンのソロは既に全作品がリマスターばかりかリミックスまでやりまくられています。今回、また敢えて出すならコビンのへっぽこリミックスは無かった事にしてもらってですね、オリジナル通りのリマスターにして頂きたいと思います。其れよりもですね、ジョージのリマスターはどーした?

ジョージのソロは未だアップル時代の「ダーク・ホース」と「ジョージ・ハリスン帝国(なんちゅー邦題!)」がリマスターされていません。昨年「Let it Roll Songs of George Harrison」なんてベスト盤が出てですね、其れにも前記二作からは選曲されていないのですよ。ま、ジョージのリマスターは「オリビアが出来た嫁なので(他意はありません)」丁寧にゆっくりと進行していますので、大丈夫だとは思えます。個人的には「赤盤青盤世代」で丁度ビートルズにハマった頃のジョージが「ダーク・ホース」と「ジョージ・ハリスン帝国」だったので、思い入れがあります。

ビートルズにはソングライターが「ジョン、ポール、ジョージ」と三人いて、初期は圧倒的にジョンが優れていました。中期にはポールが覚醒しジョンを凌いだ様に見えますが、ジョンは曲作りの手法を敢えて変えていったので、その気になれば普通の曲も書けたと思えます。そして、末期になってジョージの才能が開花しました。

「GET BACK SESSIONS」の膨大な音源を聴くと、1969年1月のジョージがソングライターとしてピークを迎えていた事実が分ります。結局はアルバム「LET IT BE」になった時に、ジョージの曲は二曲しか収録されなかったのですが、当時のジョージは毎日新曲が出来ちゃうってどーにもとまらない状態にありました。其れが翌年の三枚組でドカン!と爆裂するわけです。

壱枚はジャム・セッションなので実質的には二枚組なのですが、其れまでアルバムに多くて三曲との小僧扱いに耐え忍んだジョージが名曲ばかりの二枚組!えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、よいよいよい、とばかりに大絶賛となりました。当時のジョンはヨーコとわけがわからない変態活動をしてましたし、ようやく出した「ジョンの魂」は名作と云われますが大衆音楽の範疇からは激しく逸脱しています。ポールは呑気なソロを出し、今でこそ傑作と云われる「RAM」も酷評されていました。挙げ句にジョンとポールは音楽作品で痴話喧嘩合戦を繰り広げます。

ジョージは、いきなりだナァで三枚組とか出さずに小出しにして行けばコンスタントにアルバムを出せたと思えます。なんとか70年代は乗り切りますが、80年代に入ると迷走し、1982年の「ゴーン・トロッポ」は当時ビートルズ・ファンからも批難されました。完全にやる気をなくして映画制作やカーレースとセレブ三昧の日々を送りますが、1987年の「クラウド・ナイン」でまさかの大復活を遂げます。結局、其れが生前最後のスタジオ盤となってしまうのですが、貯めがあれば傑作を創れる人なのですよ。そして、やはり初ソロを三枚組の箱で出したのは正解でしょう。「やる時はやる漢だっ」と未来永劫評価される偉業です。ハッキリ云いますが、当時は誰もジョージにそんな過大な期待を抱いていなかったと思います。


(小島藺子)


posted by 栗 at 09:23| FAB4 | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

「2010年のジョン・レノン」

POWER TO THE PEOPLE - THE HITS  (EXPERIENCE EDITION)


先日買った五枚組で千円(100曲入り、壱曲10円)の60年代コンピ盤が面白かったので、本日は70年代篇を買いに行きました。シリータが2曲入っているのですけど、1曲は「再録音」と明記してあります。すげぇ貴重!もう1曲も怪しいのです。再録音は「Spinnin' & Spinnin'」で、もうひとつは「With You I'm Born Again」なんですけど、「With You I'm Born Again」って確かビリー・プレストンとのデュエットだったはずで、シリータの個人名義になってるのですよ。だったら、さっさと聴いて検証しろって話なのですが、一緒に買ってしまったもうひとつの方から観賞しているのであります。

其れはジョン・レノンの新版ベスト盤であります「POWER TO THE PEOPLE - THE HITS (EXPERIENCE EDITION)」です。当然乍らDVD付きを購入し、今まさにDVDを観ております。今年(2010年)は、レノン生誕70年没後30年ですので、来るべき10/9のお誕生日へ向けまして、ドッカーン!とCDがリリースされました。

此れが結構厄介な案件でしてですね、まず、ジョンのオリジナル・スタジオ盤8作が2010年最新デジタル・リマスターで出ました。2000年代になってから、ジョンの作品はほとんどがリミックス盤で出ていましたけど、故人の知らないトコで勝手にリミックスしちゃうのはマズイと気付いたのでしょうね。今回は全てジョンが生前に行ったミックスを採用し、ボーナス・トラックも排除しました。其れが全部収められてボーナス盤が2枚付いた11枚組の「BOX」も出ました。

だったら、其の箱を買えば好いじゃん!ってトコなのですけど、なな、なんと今回は遺作の「ダブル・ファンタジー」だけはバラ売りだと2010年リミックス盤との二枚組で、其のリミックス盤は箱には入っておりません。更に、本日購入したベスト盤に付いておりますDVD(収録15曲のプロモ集)も、箱には入ってないのです。そんでもってですね、四枚組の「GIMME SOME TRUTH」ってベスト盤も出たのだけど、其れにはライヴ音源やアンソロジー・ヴァージョンからの最新デジタル・リマスターも選曲されているわけですよ。

つまりですね、11枚組の箱と四枚組の箱と二枚組を2タイトルの、合計19枚買わないと全部揃わないってカラクリになっているのでした。何だかナァ、、、。で、本日はとりあえず新版のベスト盤だけ買ってですね、どんな感じなのか確認しております。音の方は、オリジナルに戻って磨かれていますので、大いに納得です。もう、リミックス盤は聴かないだろうナ。注目のDVDなんですけど、残念乍ら、予想通りに以前発売された「レノン・レジェンド」での改悪ヴァージョンが収められておりました。何ゆえ「夢の夢」や「STAND BY ME」に小野洋子サンが登場するのか?此れはさ、歴史の改竄だし、芸術作品に対する冒涜ですよっ。てかさ「THE LOST LENNON TAPES」を聴くと、未だ公式に発表されていない曲が山程あるじゃまいか。今回のベスト盤は、なかなか好い感じの選曲ですけど、箱に入る新音源が三曲って少ないですよ。好い加減、ヨーコさんじゃない人に選曲してもらっても好いと思いますよ。

今月の中旬には、ビートルズの赤盤と青盤がリマスター仕様で出ます。昨年に全作品のステレオとモノがリマスターされましたので、あんまり面白味は無いのですけど、以前のCD化でも別ミックスを入れたりしてましたので侮れません。来月には、ポールが名作「Band On the Run」のデラックス・エディションを出します。アナログも含め、色んな仕様で出しやがりますけど、此処は四枚組を買うしかないでしょう。此の調子で、他のアルバムも豪華版で再発するんだろうナァ。

で、一通りレノンを観て聴いて、シリータが入っているコンピ盤を聴きました。「Spinnin' & Spinnin'」は、紛れも無い「再録」でした。どういう経緯で再録がいつ行われたのかは、さっぱり分りませんけど、未だ未だシリータ音源の奥は深いのですね。問題の「With You I'm Born Again」は、やはりシリータが独唱しているヴァージョンでした。再録って書いてないって事は、デュエットでヒットした頃のソロ・ヴァージョンなのでしょう。初めて聴きましたよ。もう、此の二曲だけで充分に千円の価値が在りまくりじゃん。


(小島藺子)


posted by 栗 at 22:05| FAB4 | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

「動くビートルズ60曲220分、千円」

ザ・ビートルズ・アンソロジー DVD BOX 通常盤


本日(10/14)は、堺雅人さん(片瀬那奈ちゃんとは「グータンヌーボ」で共演)のお誕生日です。御目出度う御座居ます。確か、其の時に主演映画の番宣絡みもあってですね、其れが「ゴールデンスランバー」って主演映画だったのですけど、まぁ、ビートルズの曲名なんですね。

さて、あたくし最近は毎日新宿へ通う日々を送っておりまして、新宿は色々と馴れ親しんだ場所なのですけどここ数年は頻繁には行かなくなっておりました。ゆえ在って、今年はずっと新宿通いって日々なので、早めに行って懐かしい場所を巡ったりしております。と云っても「レコ屋」とか「古本屋」とかなんですけどね。

それで、昨日、遂に禁断の地「西新宿」へと足を向けたのです。所謂ひとつの「海賊盤街地帯」です。いやぁ〜、廃れましたね。馴染みの店が、軒並み無くなってました。でも、何軒かは健在でして、冷やかし気分で入ったら新作も結構充実してやがるのだけど、投げ売りも充実!って分け分らん感じになってました。何も買わないってのも申し訳ないので、ビートルズのプロモ集DVDを買ったのですけど、其れが「60曲、220分、千円」って代物なのですよ。

で、ブートだからDVDRかと思えば、ちゃんとプレスしてやがんのよさ。ざっと観て居るのですけど、ほとんどのプロモは全部入ってますね。ヴィデオ時代から結構お金も掛けて集めた天下のビートルズのプロモ集が、ほぼ完全版でリマスターされて60曲220分で千円って、何だ?アップルは、赤盤青盤のリマスターなんぞを出してる場合じゃないだろ?

久しぶりに西新宿へ行って、僅かに残った馴染みの店を巡って思ったのは「おいおい、ブートが価格破壊してますよっ」って事です。クオリティが上がりまくってんのに低価格!此れは、嬉しい。愛すべきジョン・レノンは云った。

「一番欲しいのは、ブートレグだっ!」

はぁ?ホワイトアルバム・セッション9枚組で5,800円?カウカウファイナンスざんす。ところで、片瀬那奈ちゃんの海賊盤って、どっかに無いの?


(小島藺子)


posted by 栗 at 00:17| FAB4 | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

「ホワイト・アルバム」全部で5,800円

ザ・ビートルズ


一昨日に買った「動くビートルズ60曲220分、千円」(正確には「THE BEATLES CHRONOLOGY 1962-1970 1&2」ってブツです)が思いの外好かったので、本日は其の時にスル〜した「THE BEATLES “OFF WHITE”」ってのを買いました。

此れは、9枚組のCD箱でして、たったの5,800円(税込み)って嘘の様な低価格。其れで内容までスットコドッコイだったら「安物買いの銭失い」なのですけど、そーじゃないのが昨今のブート業界の様です。内容は、よーするにビートルズの通称「ホワイト・アルバム」と云われております1968年の傑作二枚組「THE BEATLES」関連音源を時系列で在るだけ詰め込んだって代物です。

ジョージ宅で行われたデモから始まりまして、那奈麻衣は「デモ、レコーディング・セッション、モニター・ミックス、別ミックス」と、これでもかっ!と続きまして、残り二枚は「オリジナル・モノ・ミックス+ボーナス・トラック」って構成でして、まぁ、此の箱が出た後にも新たに発掘された音源なんかも在るものの、「ホワイト・アルバム」関連ブートは此れだけ持っていれば十二分と云える優れもので御座居ます。其れが、新品でたったの「5,800円(税込み)」ってのが、2010年のブート業界事情なのでしょう。

あたくしが初めて「ホワイト・アルバム」関連ブートを買ったのは、もう20年ほど前でして、其のタイトルも「OFF WHITE」でした。CD壱枚で、4,000円位したと思います。其れから沢山「ホワイト・アルバム」関連ブートを買って、おそらく数万円は使ったと思いますけど、其れ等は全部此の「たった5,800円(税込み)」の箱に入っておりまして、音質も向上してやがるのでした。只、ひとつ云えるのは、例えば「Kinfauns Demo」だけでも公式では全てが発売はされてはいないわけで、其れは今後も変わらないって事です。

ビートルズのブートなんて、流石にもうネタ切れか?とも思えますけど、未だ未だ終らないわけでして、こーゆー総括し低価格って美味しいですよ。「GET BACK」も絶対に公式では出ませんけど、今や3ヴァージョンのセットで新品が三千円代まで落ちました。確か、四半世紀前にアナログ壱枚を「4,980円」で買った気がしますけど、もう過去の事は好いです。

でもですね、新しいファンって、いきなりお宝が投げ売りって状況から始まってしまうのですよね?アノ、本当に年寄りの負け惜しみじゃないのですけど、其れは在る意味「不幸」です。白ジャケにコピーを貼っただけの高価な海賊盤を買うのは、博打でした。悔しい思いも沢山しました。でもさ、だからこそ当たった時の有り難みってあったのよさ。「たった5,800円(税込み)」で簡単に手に入るって、何か変です。ま、あたくしは散々投資したんだから、当然なのだけどね。


(小島藺子)


posted by 栗 at 23:40| FAB4 | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

「ホワイト・アルバム」全部で5,800円、のつづき

ザ・ビートルズ [12 inch Analog]


本日(10/16)は、石川亜沙美さんのお誕生日です。御目出度う御座居ます。片瀬那奈ちゃんとは「熟年離婚」で共演されていますが、絡みは無かったと思います。でもですね、片瀬クンが歌手時代に出演した「汐留スタイル!」では、しっかりと絡んでおります。

さてさて、お題は片瀬クンではなく「ホワイト・アルバム」9枚組ブートのお話のつづきで御座居ます。あたくしが最も多く購入したビートルズの海賊盤は「ゲバ」こと「THE GET BACK SESSIONS」関連ですけど、其れは物量的に膨大だったからでありまして、まぁハマれば「底なしの地獄沼」で其れ也に楽しめますが、出来れば陥らない方が好い領域だと思います。以前も書いたと思いますけど、あたくしは「ゲバ」のロールを買い集めていた頃に、某有名レコ屋の店員サンに「お客さん、こんなもんまで全部集めてるんですか?聴いてて面白いですか?」と真顔でレジで云われた事があります。ま、つまんなかったら買わないわけだが、、、。

そんな「暗黒のゲバ」に比べれば、「ホワイト・アルバム」のブートは好いですよっ。たぶん「ゲバ」の次に投資額が大きいのは「ホワイト・アルバム」だと思います。音源が沢山遺っているって事もあるのですけど、あたくしの場合、所謂ひとつの「ミックス違い」にハマったのも「ホワイト・アルバム」のモノ盤を聴いたからだったし、何よりも「ホワイト・アルバム」が好きなんですよね。来週にリマスターが出る「赤盤」と「青盤」でビートルズを知ったあたくしにとって、オリジナル・アルバムで衝撃的だったのは「REVOLVER」と「THE BEATLES」でした。よーするに、「赤盤」と「青盤」には其の二作からの選曲が極端に少ないのです。「REVOLVER」からはシングル2曲のみで、二枚組の「THE BEATLES」からは3曲のみ!なのですよ。

「THE BEATLES」と題された通称「ホワイト・アルバム」は、ビートルズの崩壊を記録したアルバムです。翌年に「THE GET BACK SESSIONS」と「ABBEY ROAD」が在りますが、バンドがぶち壊れてゆく様を音盤に記したのは「ホワイト・アルバム」です。最初はジョージ宅で仲良くデモを制作していて、実際にインドで書いた曲はほとんどがアルバムに採用されるのですけど、レコーディングに入ると激しい軋轢が生じます。アルバム冒頭を飾る二曲でドラムを叩いているのはリンゴではなくポールで、其れはリンゴが脱退してしまったから起きたのでした。

最終的な曲順は、ジョンとポールが24時間も掛けて吟味した結果だったので、冒頭にリンゴ抜きの二曲を配置したのも、最後にリンゴしか参加していない曲を持って来たのも、全部「意図的」な仕掛けなのです。バラバラの様に見せ掛けて、タイトルは「THE BEATLES」、ジャケットは真っ白。解散なんて考えてはいなかったでしょうけど、明らかに彼等は「再出発」を望んでいたのでしょう。ビートルズの作品は全て好きですけど、一番惹かれるのは「ホワイト・アルバム」から「ゲバ」へ向かった1968年の夏から1969年の冬までの半年間です。特に「ホワイト・アルバム」は、鬼気迫る狂気があります。

こうして総括したブート音源を聴いても、謎は深まるばかりなのです。セッションは混沌を極めていたし、ジョージ・マーティンは投げ出し「壱枚にまとめなさい」って苦言を呈したのに、ジョンとポールは二枚組にしちゃったのよさ。滅茶苦茶になったモンを、其のハチャメチャな部分を残しつつも「THE BEATLES」にしてしまったのです。世界の頂点に立ったからこそ、こんなモンを出せたのです。でも、やりたい放題の様で「計算」もしてるのよさ。深いナァ。あたくしなら、此れで解散しちゃうけどね。そうしなかったのも、やっぱ、凄いです。正に、至上の名盤です。「THE BEATLES」との看板に、偽り無し。

でさ、前半の山場はセッション初日の「REVOLUTION SESSION」なのですよ。いえね、単体ブートでも買って知っている音源なんだけどさ、後に「REVOLUTION 1」と「REVOLUTION 9」になった歴史的なセッションですよ。そりゃ、もう凄いのですよ。延々と収録されていても聴き応え充分なんです。でもですね、、、もう絶対に、此れだけは譲れませんっ。

「小野洋子、黙れっ!」

えっとですね、折角のお宝音源にヨーコさんの実況解説が御丁寧に被されているので御座居ます。本当に申し訳ないのですけど、アンタの解説、イラナイから。マジで邪魔です。ホント、ポールとジョージとリンゴは、よく耐えましたね。其れだけで、エラいよ。人間が出来てます。


(小島藺子)


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