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2009年05月26日

FAB4-061:MR. MOONLIGHT

DR.FEELGOOD & THE INTERNS.jpg mms.gif


 w & m:ROY LEE JOHNSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ロン・ベンダー(8/14)、ジェフ・エマリック(10/18)、
   ケン・スコット(10/27)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年8月14日(take 4)、10月18日(リメイク、take 8)
 MONO MIX:1964年10月27日(take 4&8を編集し、2種制作)
 STEREO MIX:1964年11月4日(take 4&8を編集し、2種制作)

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-6)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


ポールの「太陽女性賛歌」に続くのは、ジョンのカヴァー「月男よ今夜もありがとう」と来るのが「レノマカ」の絶妙なコムビネーションです。されど、此の楽曲の評価は欧米と日本では全く違っております。多くの欧米での研究家は「ビートルズ史上、最も凡庸なカヴァー作で、駄作である」と云います。アルバムの穴埋めに、「PIANO RED」が変名の「DR.FEELGOOD & THE INTERNS」で1962年に発表したオリジナルを模倣しただけだと断じます。確かに、彼等にとっては急場しのぎのカヴァーに逃げるしか無かった事情ゆえに録音された楽曲だったのでしょう。他のカヴァー曲が「基本的には一発録りで決められた」のに、此の曲は出来が悪くリメイクまでして、二つのテイクを繋いでミックスされました。

ところが、日本では「此れぞ初期ビートルズの傑作だっ!」と讃える人が多いのです。其の理由を、あたくしは1970年代末に「たった壱度だけの再放送!」と謳われ日本テレビが放映した(実際にはライヴ部分は再放送では無く、本邦初公開映像だったのですが、、、)「1966年の来日公演映像」を観て納得しました。彼等が来日し羽田空港からパトカーに先導される場面で、サイレンを打ち破るかの如くジョン・レノンの絶唱「みすたぁぁあ、むーんらい!」が流れるのです。余りにもカッコいい演出でした。ゆえに、日本でのみシングル化もされてヒットしたのでしょう。いや、何故か本国では一曲もシングル・カットされていない「BEATLES FOR SALE」から、日本では14曲中10曲もシングル化され、更にもう2曲も視聴盤まで出来ていました。おいおい、14曲中12曲をシングル・カットするって、何じゃそりゃ?

オリジナルは、なかなか入手困難な物件です。昨年に待望のCD化が告知されたものの、発売延期になってしまいました。あたくしが此の曲の原曲を最初に聴けたのは、兄弟子「山下達郎さん」が惜しげも無くNHK-FMで流してくれたからです。ゲストで出演して居た大瀧師匠は「山下クンは優しいねぇ、僕もコレは持っているんだけど、かけた事ないよ」と云い、クマは「流石、大瀧さんだナァ」と呆れ返りました。何せ、大瀧師匠はかつてお逢い出来た時(もう30年前の出来事です)「ロネッツのレコードが欲しいんですけど、、、」と訊いたら「君ね、そんなもんはさ、もう無いよ。入手出来ない!」と云い放ったのです。其れで「いえ、何とかテープを手に入れて聴いているんですけど、やっぱりレコードが欲しいんで、、、」と返したら、こう云ったのです。「何だ、持ってんのかよ!だったら其れで満足しなよ。聴けるんじゃん。持って無いのかと思ったら、持ってんのかよ。君ね、其れはさ、贅沢だよ。みんな持って無いんだからさ。な〜んだ、ロネッツ持ってんのか、ふ〜ん、、、」とね。そして「多羅尾伴内」名義のサインをしてくれました。悔しくってさ、鬼の様にロネッツのレコードを探しましたよ。其れで、壱年後に見つけた時は、本当に嬉しかったナァ。多羅尾伴内師匠は、生意気な田舎の一回りも年下のファンに「自分で求めて探して身銭を切って手に入れなきゃダメなのだ!」と教えてくれたのです。

「師匠、有難う!」


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年05月27日

FAB4-062:KANSAS CITY 〜 HEY,HEY,HEY,HEY

The Essential kcs.gif


 w & m:JERRY LIEBER / MIKE STOLLER / RICHARD PENNIMAN

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジェフ・エマリック(10/18)、トニー・クラーク(10/26)
 録音:10月18日(take 1)
 MONO MIX:1964年10月26日
 STEREO MIX:1964年10月26日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-7)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


「BEATLES FOR SALE」のA面を締めるのは、ポール・マッカートニーの絶唱です。かつて、此のカヴァー曲は単に「カンサス・シティー」と表記されていましたが、ポールが参考にしたのはオリジナルでは無く、敬愛するリトル・リチャードが改変したカヴァーでした。言わば、此れはジョン・レノンによる「TWIST AND SHOUT」と同じ図式で、ビートルズがやらかしたのは「カヴァーのカヴァー」だったのです。二番煎じでは無く、出涸らしの参番茶を出したわけだ。

ところが、其れは魔法のお茶でした。急場しのぎでのカヴァーで逃げるしか無かった状況での「1964年10月18日」に、ジョンは「御馴染みのカヴァーを、一発録りしちゃおうぜっ!」と決めた。其れに、相棒ポールは応えた。此のカヴァーは実際には「2テイク」録音されましたが、初回の方が圧倒的に勝っていた為、音盤化されたのは「一発録り!」になりました。勿論、完全なる実況録音です。ビートルズの四人と、鍵盤担当の制作者で五人目のビートルと云われた「ジョージ・マーティン」を加えた「五人」による正真正銘の実演です。如何なるオーヴァー・ダビングもされていません。凄い!最近の若い人には「ビートルズって、ライヴが駄目じゃん、下手じゃん」とかヌカす可哀想な御仁もおられる様ですが、云っちゃうけどさ、聴いて無いだろ?もしも聴いて云ってんのならさ、おまいらは「ホウイチ」じゃん。此の頃のカヴァーってさ、ほとんどが「スタジオ・ライヴ」の一発録りだったのよさ。何処が下手なの?ポールが「ロックじゃない」なんて云えますかぁ?

ポール本人が述懐しています。「僕は、無理だと思った。でも、ジョンが『君なら出来るさ!』と励ましてくれたんだ。そして、やったよ!」と。美しいナァ。特に、後半の「HEY,HEY,HEY,HEY」になってからの「ポール対ジョン&ジョージ」の掛け合いが、ゾクゾクさせられます。ポールが有頂天になってアドリブをかまし乍ら高音で絶叫し、ジョン&ジョージが追っかけコーラスを延々と続ける展開は、後の「HEY JUDE」へと繋がって行きます。ポールは、愛するジョンの期待に応えました。励まされて、本当に嬉しかったのでしょう。其れが、永遠に刻まれた音盤にしっかりと遺されています。

「ポール覚醒、間近!」

ジョンは「してやったり!」だったと思います。未だ、レノンは余裕がありました。まさか、自分の予想を超える「眞の怪物を起こした」とは思っていなかった。確かに、レノンは初対面からポールを畏怖していました。「こいつをバンドに入れたら、俺が喰われちゃうかもよ」と予測はしておりました。ましてや、其のポールが連れて来た「子供:ジョージ」なんて眼中に無かったでしょう。ポールもジョージも「ジョニーに認めて欲しい!」と願った。ジョニーを追っかけた。そして、事態はドンドンとトンデモない事になって行くのです。今後のビートルズは「僕たちの好きだった革命」に強引に例えるならば、「山崎クン=ジョン」「未来ちゃん=ポール」「日比野クン=ジョージ」みたいな展開になってしまいます。

ジョン・レノンと云う稀人に憧れたポール・マッカートニー&ジョージ・ハリスンの二人も稀人でした。クオリーメン時代からの三人共が、普通なら「自分がリーダーのバンドを率いても成功する」レベルでした。そんな三人が長い下積みを経験して、万感の想いで絶唱する「HEY,HEY,HEY,HEY」に、心を撃たれるのも致し方ないでしょう。美しいよ。綺麗だ。


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年05月28日

FAB4-063:EIGHT DAYS A WEEK

Procol's Ninth Eightdaysaweek.jpg nrs.gif


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(10/6、12、27)、マイク・ストーン(10/6)、ジェフ・エマリック(10/18)
 録音:10月6日(take 13)、10月18日(take 15)
 MONO MIX:1964年10月12日(#1)、10月27日(#2 & #3)
 STEREO MIX:1964年10月27日(#1 & #2)

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-1)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


アナログ盤ではB面の1曲目でした。いえ、今も其れを聴いているのだけど、「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とフェイドアウトして終った「BEATLES FOR SALE」をひっくり返して針を落とせば、なな、なんと、此の素晴らしいレノマカ楽曲が「フェイドイン」して始まります。カッコいい!!こんなの聴いた事なかった。イントロがフェイドインして来るって物凄い発明です。

データでお分かりの様に、此の曲は現在聴けるカタチの前にモノラルでのミックスまで終了し完成しました。其れは、当初は此の楽曲こそがシングル候補だったからでしょう。当時、彼等の主演第二作映画として「EIGHT ARMS TO HOLD YOU」なる仮題が在りました。其の主題歌を想定してポールが骨組みを書き、録音中にジョンの比重が大きくなって、結果的には「レノマカの合作」へと発展したのです。然し乍ら、映画は結局「HELP !」として公開されます。しかも、ジョン主導の野心作「I FEEL FINE」が出来てしまった為に、此れ程にもポップな楽曲が本国英国では「アルバム用」に回されたのです。其れで、完成品に手を加える追加録音されます。此処までの流れを追えば、当然追加された録音でイントロが最録音されたと思われるでしょう。ところがだ、確かに彼等はイントロとアウトロを最録音しますが、結局、編集で繋がれたのはアウトロ部分のみでした。つまり、シングルを想定した段階から「イントロがフェイドインする事は決まっていた」のです!其の発想は、凄過ぎます。

米国では当然の如くシングル化され、首位を獲得します。日本でも、しっかりとシングル盤が出ております。おそらく「本国では壱曲たりともシングル・カットされなかった」アルバムにも関わらず「14曲中の10曲がシングル発売された」なんて国は、此の日本だけでしょう。米国だって、其処までやんなかったよ。其れ程までに日本人は「ビートルズ '65」が好きなんです。そうです、此の作品はタイムラグが在る日本では「ビートルズ '65」として、1965年に発売されたのでした。コンパクト盤も乱発され、リアルタイムの日本では何が何だか分らなかったでしょう。でも、記憶には残った。僕たち赤盤青盤世代の前に、リアルタイムで1964年に彼等に出逢ってしまった数少ないお兄さんやお姉さん(実際に其の世代の方々は皆さん「ビートルズを聴いていたのは、クラスで一人か二人だった」とおっしゃいます)が、「ビートルズ '65」が一番好きだって云っちゃうんですよ。

オリジナル楽曲は暗い傾向に在るアルバムの中で、此の「一週間に十日来い♪トコトン、トコトン♪」は、余りにも明るい。されど其れがシングル用だった経緯を知り、そして実際にシングルになったのが「I FEEL FINE / SHE'S A WOMAN」と云う表面上は「アイドル集団による恋愛賛歌」だったと云う事実から、1964年末の彼等の「戦略」が伺えます。ビートルズの楽曲を聴く時、僕たちは其の絶望感や悲壮感に驚く瞬間が在ります。彼等が歌った楽曲で底抜けな「ハッピー・ソング」を見つける方が困難です。彼等は、常に「此の世界の無常」を歌っていました。だからこそ、底抜けに明るいはずなのに「凡庸にはならなかった」此の楽曲は「永遠の美」になりました。そして、其れを実現したのは「レノマカ」の魔法でしょう。

繰り返しますが、此の曲は明らかにポールが主導で書かれた作品でした。なのに、テイクを重ねて、結局はジョンが主導権を握りリードを取りました。天然ポールの屈託の無い明るい旋律を、毒舌家レノンが歌った時に、何とも云い難い苦みが加わったのです。「レノマカ、此処に在り!」を示す傑作中の傑作です。此れをシングル化しなかったって「志」も、素晴らしい!余りにも、真摯だ。此れこそが「正義」です。彼等は、体制に反抗したのでは無い。新たな世界を築こうとしただけだ。其れを旧体制が畏れ弾圧したから、彼等は反逆児と呼ばれたのです。こんなにも美しい音楽を聴いただけで、不良になるって云われたのです。ビートルズが音楽の教科書に載る世界では「そんな馬鹿げた噺があるもんか?」と思うでしょうけど、本当に起こった事なのです。されど、音楽は力強く残りました。さあ、「BEATLES FOR SALE」B面の世界を、御一緒に楽しみましょう。


(小島藺子/姫川未亜)



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2009年05月29日

FAB4-064:WORDS OF LOVE

ベスト・オブ・バディ・ホリー シルヴァー・ビートルズ


 w & m:BUDDY HOLLY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジェフ・エマリック(10/18)、トニー・クラーク(10/26)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年10月18日(take 3)
 MONO MIX:1964年10月26日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-2)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


またしても「1964年10月18日」録音のカヴァーです。此の時、彼等は本当に切羽詰まっていたのです。其れで、遂に奥の手のカヴァー作品が登場します。「バディ・ホリー」其の夭折した天才は、多くの後輩に多大なる影響を与えました。ジョン、ポール、そしてジョージもそうでした。彼等が自費で初めて録音した音盤が「バディ・ホリー」作品のカヴァー「THAT'LL BE THE DAY」だった事実は、現在では「アンソロジー 1」で容易に聴けます。其の後もライヴやデッカ・オーディションでも多くの曲をカヴァーし、挙げ句の果てにはポールが版権を管理し、其れを知らずにジョンがうっかり「ロケンロール」でカヴァーして「ジョンが歌えばポールが儲かる」なんてトンデモ展開へ進み、其れを模倣したマイコーにポールは「レノマカ版権」を奪われると云う奇想天外な未来へと発展する程に、「バディ・ホリー」は「ビートルズ物語」で重要な人物です。なのに、現役時代の公式録音で残されたのは此の楽曲のみなのです。エルヴィスのカヴァーが壱曲も残されなかったと同様に、余りにも好きで在り、他のバンドも多くカヴァーするので避けたのかもしれません。

美しい楽曲です。手慣れた絶妙な「完全なるコピー」です。レノンの名作カヴァー盤「ロケンロール(1975年)」での「ペギー・スー」を聴いても、あのジョン様が単純に「物真似」しちゃっていますからね。単なるファンじゃん。もしもホリーが22才の若さで飛行機事故死しなかったなら、其の後の大衆音楽史は確実に変わっていたでしょう。さて、此の楽曲には論争が在ります。其れは、歌って居るのは誰か?って事です。一人は「ジョン・レノン」です。其れは間違い在りません。問題は、相方なのです。「ポール説」と「ジョージ説」が在ります。確かに、無名時代の実演での相方はジョージ(カール・ハリスン名儀時代)でした。おそらく、定説とされる「ポール説」を敢えて否定する根拠は其れでしょう。デッカ・オーディションでのジョージ歌唱のホリー作品も出来が好いです。正直、あたくしにはどっちなのか未だに分らない。聴けば聴く程、資料を探れば探る程に「結論がぼやけてゆく」のです。だから、こうしましょうよ。

「歌っているのは、ジョンとポールとジョージです」

其れで好いじゃん。何にせよ、此れはビートルズの作品なんですもの。


(小島藺子)



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2009年05月30日

FAB4-065:HONEY DON'T

Original Sun Greatest Hits bbc.jpg


 w & m:CARL PERKINS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:A.B.リンカーン(10/26)、ケン・スコット(10/27)
 録音:1964年10月26日(take 5)
 MONO MIX:1964年10月27日
 STEREO MIX:1964年10月27日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-3)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


タイム・リミットがやって来ました。1964年10月26日は、本来ならアルバム「BEATLES FOR SALE」のモノラル・ミキシングを行う予定だったのでしょう。現に、ツアーの休暇日だったビートルズの四人も立ち会ってのミキシングが行われました。しかし、未だ録音せねばならない楽曲が残っておりました。其れはポールの駄曲「WHAT YOU'RE DOING」(三曲後に登場します)のリメイクと、ファン倶楽部用の「クリスマス・レコード」、そして「リンゴの唄」でした。特に問題だったのは、当然乍ら何故か「アルバムに壱曲は入れようぜ」と決めていた「リンゴ・スターが歌う作品」でしょう。其れで、苦肉の策で実演で手慣れた此のカヴァーの登場です。

現在では「LIVE AT BBC」で聴ける様に、此のカール・パーキンス作品を歌っていたのは「ジョン・レノン」でした。またしても、親分ジョニーはリンゴへ自分のレパートリーを譲ります。此の関係はレノンが殺されるまで続きました。惜しげも無くジョンはリンゴに曲を贈り続けます。最後に加入したリンゴは、年齢ではジョンと同い年です。ライバル・バンドの看板太鼓叩きだったし、リンゴは音楽で生計を立てているプロでした。リーダーとして、責任感が在ったのでしょう。其の独特な太鼓の才能を買っていた事も、名作「ジョンの魂」で「太鼓はリンゴ、ベースはクラウス、他は誰も要らない」と基本的には「3ピース」で挑んだ事でも分ります。

果たして、リッチーはジョニーの期待に大いに応えました。まぁ、ジョンによる歌唱には劣るものの、此のカヴァーも基本的には完全コピーです。そして、リンゴの溌剌とした歌を大いにサポートしたのが、僕らの「ジョージ・ハリスン」でしょう。間奏に入る時にリンゴが掛け声をかけます。リンゴを熱心に勧誘したのは、ジョージでした。御蔭で、前任ピートのファンに殴られ怪我までさせられました。活き活きとしたジョージのロカビリー奏法が軽やかです。暗いトーンの「BEATLES FOR SALE」ですが、ジョージのギターが救っています。当時、ジョージは未だ21才でした。立場的にも気楽だったでしょう。でも、其の「甘さ」がビートルズには必要でした。1964年の世界では、ジョージは正しく「第三の男」です。(おいおい、リンゴの立場は、、、)

ポール?彼はね、元々リンゴが嫌いなんですよ。デビュー曲の時に太鼓を叩かせなかったのもポールの駄目出しが原因だったし、「ホワイト・アルバム」では殴って脱退させちゃうし、「LIVE 8」では「U2は要るけど、リンゴはイラネ!」と呼ばなかったし、、、だから、リンゴは「ラム」を評して「ポールは自分の才能をスポイルしてる」と云ったのよさ。ってのは「ハーフ・シリアス」です。ま、全部本当の話ですけどね。此の楽曲に関しては、ポールの出番は無しです。普通にベースを弾いているだけです。出たがりのポールにしては、珍しい程に存在感が在りません。きっと此の日のセッションで次にリメイクする自作「WHAT YOU'RE DOING」で頭がいっぱいだったのでしょう。


(小島藺子)



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2009年05月31日

FAB4-066:EVERY LITTLE THING

Yes rockandrollmusic.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット、マイク・ストーン(9/29、30)
 録音:1964年9月29日(take 4)、30日(take 9)
 MONO MIX:1964年10月27日
 STEREO MIX:1964年10月27日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-4)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


ポール・マッカートニー作の「恋愛賛歌」の快作が登場します。リード・ヴァーカルを担当するのは、何故かジョン・レノンであり、通例から考えればジョンが書いたとなりますが、ジョンもポールも「ポールが書いた」と証言しており、紛れもなくポール作と断定されています。何ゆえ、ポール作なのにジョンが歌ったのか?しかも、ポールの出番が少ない「BEATLES FOR SALE」で何故そんな事が行われたのかは謎です。ポールは、マスオさん状態で住んでいた婚約者のジェーン・アッシャー宅で此の曲を書いたそうです。

編成も凝っていて、ジョンのアコギを中心に、ポールは当然ベースと絶妙のコーラスで盛り上げ、好い処でリンゴが初めて叩くティンパニーで決めますし、マーティンによる鍵盤も目立ちます。故に、此の曲にはリード・ギターの出番が無いのです。其れで「此の曲にはジョージは参加していない」とか「ジョージが寝坊したから彼抜きで録音した」なんて説が罷り通っていたもんだった。まあ、其処までは許しましょう。此の楽曲には、苦い想い出が在るのです。

そんな風説を英文ライナーで書いて、真しやかに「実は其れは嘘で、ちゃんとジョージは居て(此処までは本当だから始末が悪い)、其のギターは編集で消されたのであるが(もう、妄想です)、遂に我々は其の編集前の音源(そんなもんは初めから無いんだから、捏造だろーがっ!)を入手し全てのビーヲタへ贈ろう!」なんて詐欺に引っ掛かってですね、高価な海賊盤を買って聴いたら「おいっ!明らかに重ね録りした電気式ギターじゃん!大体、此の音色はジョージが使っていなかった機種だし、てか、下手過ぎるだろーがっ!!舐めとんのかっ!!!何処の素人が重ねたんだよ〜んっ!!!!」と、当時は正規盤の倍位の価格で「白いジャケットにコピーが貼付けてあるだけ」って「貴重盤」なんて書いてある「妖しげなブツ」を買わされて涙に暮れた「いたいけな青春時代」が在ったわけですよ。其の中のひとつが、此の曲でした。

更に云えば、1997年頃に、当時18才のガールフレンド(ヴォーカル)と27才の鍵盤奏者のボーイフレンドとバンド(制作、作編曲、コーラス、他の楽器は全部当然乍ら未亜が担当)を組んだのだけど、まずはカヴァーでも演奏しますかって事で「宅録で仮オケを作るから、何が好い?」って訊いたのよさ。そしたら、当然の如く若い二人が、

「そりゃ、ELT でしょ。」

とか云い出すから、あらら、少しは知ってるんだけど間違ってるナァと思いまして、

「其れを云うなら、ELP でしょ?」

って正してあげたらさ、二人は呆れて、

「えぶり・りとる・しんぐ、で、いーえるてぃーなんだよ、オッサン!」

とヌカしやがりましてですね、

「はあ?何其れ?エマーソン・レイク&パーマーじゃないの?ビートルズなの?イエスなの?おせーてよっ!!」

って訊くしか無かった洋楽者の未亜(だが、何故か、ヴァーカルの持田ちゃんの事だけは、おそらく若い二人よりも前から知っていた)は、身銭で「ELT」の CD とスコアを買って、全楽器を演奏してオケを作ったのですよ。嗚呼、、、

「勿論、此れは、実話です。」


(小島藺子/姫川未亜



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2009年06月01日

FAB4-067:I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY
(パーティーはそのままに)

Retrospective 1979-1989 idwsps.gif


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(9/29)、マイク・ストーン(9/29、11/4)、トニー・クラーク(10/26)
 録音:1964年9月29日(take 19)
 MONO MIX:1964年10月26日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-5)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


1964年9月29日、過密スケジュールをこなし、約一ヶ月半振り(同年8月14日以来!)アビイロード・スタジオで「BEATLES FOR SALE」の録音に臨めた彼等は、未だ前作同様に「全曲オリジナル作品で!」と強く望んでいたと思われます。其の証拠に、此の日録音されたのはB面で仲良く並ぶ三曲「EVERY LITTLE THING」、「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」そして「WHAT YOU ARE DOING」の「レノマカ新作!」でした。しかも御丁寧にアルバムの曲順通りに進められており、時間的余裕の無さが明らかに感じられます。

結局、19テイクにも及んだ此のジョン・レノン作だけが何とか完成し、「EVERY LITTLE THING」は前出の通り翌日に手を加えられ、「WHAT YOU ARE DOING」に至っては、なな、なんとアルバムのモノラル・ミックスが行われた10月26日に「リンゴのうた」と同様にギリギリで最録音されます。其れに関しては、次項で大いに書き倒しましょう。如何にも此の時期のジョンらしい斜に構えた作風です。路線はA面での「負け犬宣言!新生ジョン・レノン」です。19テイクも重ねたものの、未だ未だジョンは納得がいかなかったでしょう。此のジョン・レノン作品には、原石状態で放り出された様な感も在ります。一寸デモっぽいって云うのか、裸なジョンが感じられます。されど「LOST LENNON TAPES」が魅力的な様に、ジョン・レノンには「未完成」をも「作品」にしてしまう「天賦の才能」が在ります。

此のアルバム用に、ジョージが「YOU KNOW WHAT TO DO」と云うオリジナルを書きデモを録音した事実は、現在では「アンソロジー 1」で容易に聴けます。当時のジョージは「WITH THE BEATLES」収録の「忘れたい過去」の駄曲「DON'T BOTHER ME」での屈辱からか自作は其れっきりになり、得意のカヴァー曲や兄貴:ジョニー作品で逃げていました。でも、追っかけジョージは懸命にジョンに学び習作を続けてもいました。次作アルバム「HELP !」では、満を持してジョージ作品が二曲も採用されます。其れが、ジョンが教え手助けをした成果だった事が現在では知られています。ジョンはジョージを可愛がっていました。実際、解散間際でも「ジョージの曲が俺やお前の書いた曲より採用率が低いのは問題だろ?」と相棒ポールに詰め寄るジョン発言が遺されています。

「I NEED YOU」「YOU LIKE ME TOO MUCH」がアルバム「HELP !」に採用されますが、其の中のひとつで在る「YOU LIKE ME TOO MUCH」が、此の「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」にとても良く似ています。「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」でも、ジョージがジョンに寄り添うように歌っており、「YOU LIKE ME TOO MUCH」でジョンはエレクトリック・ピアノでアシストしています。未完成で放り出した「パーティー」を「そのまま」に出来ず、ふたたびジョージ作品として焼き直したのではないのかしら?と思えてなりません。其れが「ジョンらしいリベンジ」だったと思えるのです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 16:28| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

FAB4-068:WHAT YOU ARE DOING

LOVE Lisa Lauren Loves the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(9/29-30、10/27)、マイク・ストーン(9/29-30)、A.B.リンカーン(10/26)
 録音:1964年9月29日、30日、10月26日(take 19)
 MONO MIX:1964年10月27日
 STEREO MIX:1964年10月27日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-6)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


「世紀の天才メロディー・メーカー」と同時に「世紀の天然バカボンのパパ」の側面を持つポール・マッカートニーの「レノマカ史上最大の駄曲!」が此れです。かつて「阿呆みたい」こと「HOLD ME TIGHT」でやらかした愚の骨頂を、ふたたび、ポールは犯しました。「BEATLES FOR SALE」用にポールが単独で書けた新曲は、此れと「EVERY LITTLE THING」のみです。8曲のレノン・マッカートニー作品が収められたものの、ジョンは多忙な中でも3曲の力を込めた新曲(「NO REPLY」「I'M A LOSER」「I DON'T WANT TO SPOIL THE PARTY」)を書きましたし、合作の2曲(「BABY'S IN BLACK」「EIGHT DAYS A WEEK」)でも主導権を握り、ポール作の「EVERY LITTLE THING」でもリード・ヴォーカルを担当しています。対してポールは五年も前に書いた旧作「I'LL FOLLOW THE SUN」のリメイク(オリジナルと聴き比べれば、此れすらレノンとの合作と云えるかもしれません)と、ジョンに丸投げした「EVERY LITTLE THING」、そして此のヘッポコ曲しか用意出来なかったのです。

ところが、こんな駄曲にまたしてもポールは固執し、なな、なんと多忙で締め切りに追われる状況にも関わらず三日間も費やして録音したのでした。嗚呼、酷い、酷過ぎる!兎に角、曲が出鱈目なのですから、何度試みても駄目なんですよ。「HOLD ME TIGHT」大失敗の教訓なんて、ポールの頭には在りません。なにせ次作アルバム「HELP !」でも「THAT MEANS A LOT」で三たびやらかしてしまいます。幸いにも其れは没になりますが、此の「WHAT YOU ARE DOING」は発表されてしまったのだ。本当に、時間が無かったのです。もうモノラル・ミックスをしなければならない日に、「リンゴのうた」をカヴァーでやっつけて、此れを再々録音したのですよ。つまり、此れが「BEATLES FOR SALE」で最後に録音された楽曲なのです。構成が無茶苦茶な曲ですので、幾らティンパニー(リンゴ担当)や12弦ギター(ジョージ担当)で盛り上げたり、ジョンがアコギとコーラスで絡んでも、「俺様ポール」の過剰な歌唱やあざといベースで台無しです。こんなんじゃ、誰もカヴァーしようって思わないのも当然です。「LEAVE MY KITTEN ALONE」を入れれば好かったのにね。ホント、「WHAT YOU ARE DOING?」と、ポールを小一時間問い詰めたくなりますよ。

世紀の駄作「LOVE」に此の曲が使われたのは、ポールのゴリ押しだったんじゃまいか?駄作に駄曲でピッタリでしたけどね。本当に、ポールには駄曲が在ります。此れが半年後に「YESTERDAY」「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」を書く天才と同一人物作とは、俄に信じられません。ひょっとして、ポールは1964年末に死んだんじゃまいか?「ポール死亡説」では1966年って事になって居るけど、アレは二人目が死んだって話なんじゃまいか?其の後は参人目なんじゃまいか?

「おいおい、ポールは綾波かよっ!」


(小島藺子)



posted by 栗 at 01:57| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

FAB4-069:EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY
(みんないい娘)

Blue Suede Shoes: A Rockabilly Session Essential Sun Collection


 w & m:CARL PERKINS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジェフ・エマリック(10/18)、ロン・ベンダー(10/21)、マイク・ストーン(11/4)
 録音:1964年10月18日(take 1)
 MONO MIX:1964年10月21日
 STEREO MIX:1964年11月4日

 1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-7)
 パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)


アルバムを締めるのは、またしても「一発録り!」での完全実況カヴァー曲です。FAB4の全員が敬愛する「カール・パーキンス」ナムバーを、いたいけジョージが元気溌剌!で歌い弾きまくります。其の歌声には「STEED(シングル・テープ・エコー・アンド・エコー・ディレイ)」と云う名の深いエコーが掛かっていて、かなり変です。前作「A HARD DAY'S NIGHT」でもジョージが初めて弾いたリッケンバッカー12弦の音色がアルバムに統一感を持たせていましたが、此の「BEATLES FOR SALE」も彼によるカントリー風ギターが全篇に渡ってサウンド面の要になっています。早弾きなんかよりも、ずっと難しいのが独特の音色です。ジョージは本物のギタリストなのです。

そんな努力家ジョージを、ボス:ジョニーは認め、アルバムの最後と云う重要な位置を与えました。此れまで、其処にはレノンがいました。ジョージが主役の楽曲で終る英国オリジナル・アルバムは、此れのみです。其れは此の作品のカラーを決めたのが「ジョージのギター」だったからでしょう。日本人はジョージが好きですが、此の「ビートルズ '65」も好評です。後の「カントリー・ロック」の元祖とも云える味を出したのは、ジョージでした。其の彼がソングライターとしても開花する日も、実はすぐそこに来ていたのです。でも、其の前に子分ジョージの活躍に地団駄を踏む男がいました。

其の名は「ポール・マッカートニー」

前作「A HARD DAY'S NIGHT」よりも悲惨な状況に陥った彼は、遂に次作で覚醒します。ジョージ・マーティンは、此の作品を余り評価していません。確かにマーティン好みの音では無いし、現場に居たからこそ、やっつけ仕事で捏ち上げた作品と知っているからでしょう。然し乍ら、デビュー盤が基本的にはたった壱日で録音された様に、長い時間を掛ければ好いってもんでも無いのです。カヴァー曲のほとんどが正真正銘の実況録音一発録りであったのは、彼等の確かな演奏能力を伝えます。同時期に「ハリウッド・ボウル」での実況録音が米キャピトルの要望で実現(1964年8月23日)しますが、没になります。翌年も再挑戦し、其れもお蔵入りとなり、結局陽の目を見たのは1977年です。挙句に未CD化ときたもんだ。「ライヴは酷いな」と云う評価が関係者間では出ていたわけですが、観客は絶叫し音楽なんかよく聴こえてなかったし、彼等もプレイバックの音すら歓声にかき消される状況で、世界で初めてスタジアムで生演奏したのです。そんな状況に疲れ切ったアーシーなレノン、本当に疲れちゃったポール、ひとり溌剌とギターを弾きまくるジョージ(でも彼だって疲れてますよ、ジャケットでは無精髭まで生やしてます)、そして何も考えていないリンゴ。狂乱の1964年は終わりました。世界のアイドルとなった彼等の、驚くべき1965年が始まるのでした。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:50| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

FAB4-070:TICKET TO RIDE(涙の乗車券)

キープ・ミー・ハンギング・オン 涙の乗車券


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/15、2/18)、ジェリー・ボイズ(2/15)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月15日(take 2)
 MONO MIX:1965年2月18日(英国用)、3月15日(米国用)
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年4月9日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5265(モノ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-7)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


1965年第壱弾シングル曲で、ジョン・レノンの作品。結果的に、主演映画第二作「HELP !」にも印象的に使われ、其れに連動した彼等にとって英国オリジナル五作目「HELP !」のサントラ面で在るA面のラストも飾った傑作です。アノ矢沢永吉さんも此の曲をラジオで聴いて音楽を志したと公言する程に、1965年の世界では衝撃的な「ヘヴィー・メタル」の創造でした。当然、通例通りに「ボス:ジョニーの自信作から録音」ってなわけで、「HELP !」セッションも此の曲から始まりました。

「流石はジョン・レノン!」と云いたい処ですが、此れは「レノン・マッカートニー」の眞の幕開けとなった曲でも在ったのです。確かに、書いて歌うのはジョンだ。しかし、此の恐るべきサウンドを生み出したのは、つい三ヶ月前までは寝ぼけていた「ポール・マッカートニー」でした。印象的過ぎる「いたいけジョージの12弦イントロ」を「邪魔だっ!どけっ!!」とばかりに、高らかにリード・ギターを奏でるのも、重厚で饒舌なベースを弾くのも、モノラル盤で聴けばハッキリと分る「ジョンの絶唱を後方から援護する高音ハーモニー」も、全部ポールです。リンゴによる太鼓も「おいおい、此れがリッチーかよ?」と耳を疑う程に凄まじく「歌っている」のですが、其れすらもポールが指導したのでした。しかもだ、たったの「2テイク」でやらかしたのですよ。後の「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO(ジョンとヨーコのバラード)」での「摩訶不思議(ジョンとポールだけでビートルズの音を奏でた)」は、もう此処で出来上がっていました。

「怪物:ポール・マッカートニー、覚醒!!」

此処に、新たなるビートルズが出現しました。其れは、簡単に云う事が出来ます。

「ジョンとポールでビートルズ」になってしまったのです。

レノンが待ち望んでいた時が、遂にやって来ました。相棒が、肩を並べたのです。当時の最新技術は、既に録音だけなら「ジョンとポール」だけで可能な状況に在った。「ビートルズで最も上手いギタリストで、リンゴよりも太鼓も上手で、ベースも鍵盤も管楽器も何でもかんでもこなせ、曲も書けて歌えて編曲も出来る」音楽バカボンの出番がやって来ました。バンド内パワーバランスをも覆す未来を、此の楽曲はしっかりと記録しています。前作ではあんなにも疲れ切って居たはずのジョンの魂の絶唱が、其れを祝福します。

更に云うなら、ジョン・レノン作の楽曲が素晴らしいのです。其れは、此の曲の有名なカヴァー作品で在る「ヴァニラ・ファッジ」盤や「カーペンターズ」盤を聴いて頂ければお分かりでしょう。どんなアレンジを施されても、ジョン・レノンの美しい旋律は残ります。そして、如何なる名唱もジョン・レノンの歌に敵わないのだよ。矢張り、ジョン・レノン恐るべし!そして、彼を慕い続けたポール・マッカートニーが全身全霊でサポートしました。最強タッグ「レノン・マッカートニー」、此処に完成。

余りにも感動的な、歴史的名曲名演です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

FAB4-071:YES IT IS

Bridge School Concerts, Vol. 1 ジョン・レノン全仕事1 ア・ハードデイズ・ナイト〜世界を抱きしめて (小学館文庫)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/16、2/18)、ジェリー・ボイズ(2/16)、マルコム・デイヴィス(2/23)
 録音:1965年2月16日(take 14)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日

 1965年4月9日 シングル発売、パーロフォン R 5265(モノ)


「此のB面を聴けっ!」

と萩原健太氏声で怒鳴りたくもなる、ジョン・レノン作の傑作ロッカ・バラッド。此の楽曲は、長い間、オリジナル・フォーマットでは「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」のシングル盤B面でのモノラルしか聴けませんでした。彼等は、アルバム「HELP !」には此れも、後述するシングル盤「HELP !」のB面曲で在る「I'M DOWN」も収録しなかったのです。潔いぜ、ビートルズ!当然乍ら守銭奴キャピトルはそんな事は知らぬ顔で「BEATLES VI」なる編集盤に疑似ステレオを捩じ込みます。そんな経緯から、此の楽曲のリアル・ステレオ・ヴァージョンは、なな、なんと制作されてから23年後に「PAST MASTERS VOL.1」で初めて公開されたのでした。「PAST MASTERS VOL.1」には此の楽曲の兄弟みたいなレノン作の「THIS BOY(こいつ)」のリアル・ステレオ・ヴァージョンも初収録され、其れは事件でした。現在では容易に聴けますが、僕たちは其れまで血眼になって探したのです。有り難みが全く違います。

録音に5時間!も掛けた入魂作で、其の内の3時間を費やしたのが「ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラス」です。ジョン・レノンの「THE BEACH BOYS」への、いやさ「ブライアン・ウイルソン」への赤ら様な対抗意識が伺えます。ジョージによるトーン・ペダル・ギターも哀愁に満ちて素晴らしいです。当初よりシングル候補として「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」と争った名曲なのですが、両面を制してしまったボス:ジョニーは「こっちはボツな」と敢え無く「只のB面のみ収録作」へと決断し実行しました。ジョンって、すげえ、、、理由は単純明快で「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」の方が断然革新的なサウンドだと確信したからでした。

ジョン・レノンと云う奇才は、平気で自作をボツにします。後の「ACROSS THE UNIVERSE」やアノ「JEALOUS GUY」の原曲で在る「CHILD OF NATURE」すらも、ポールやジョージの曲を世に出す為に捨てたのです。驚くべき事に「CHILD OF NATURE」は、2009年の現在でも公式音源では未発表です!そんな未発表音源が、未だ未だ沢山あるのですよ。「小野洋子さん、何卒、宜しく!」此の佳品もそんなジョンの審美眼から「埋もれた名曲」にされました。「ポールは確かに美しい旋律を書くけど、俺だって昔から『THIS BOY』とか『YES IT IS』とか書いたんだぜ。ま、たかがB面だから聴いた事ないだろうけどさ」と生前のジョン・レノンは悪戯っぽく笑って語りました。カッコいいナァ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 12:11| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

FAB4-072:BAD BOY

Bad Boy BeatlesVIalbumcover.jpg


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット
 録音:1965年5月10日(take 4)
 MONO MIX:1965年5月10日
 STEREO MIX:1965年5月10日

 1965年6月14日 アルバム発売(「BEATLES IV」A-4)
 米キャピトル T 2358(モノ)、ST 2358(ステレオ)


此の曲は、「厄介な案件です。」アルバム「HELP !」セッションでは、シングルやアルバムに収録された楽曲以外にも録音された物件が在ります。其れは他のセッションでも同じで、通常なら其れらは「没音源」となり「海賊盤」でしか聴けなかったりする運命を辿るのです。此の「HELP !」セッションでも、ポールの駄作「THAT MEANS A LOT」とか、リンゴの唄「IF YOU'VE GOT TROUBLE」等の、タイトルを聞いただけで「ダメだ、こりゃ」な屑曲も録音されたものの、幸いにも未発表に終ったわけです。そんなクズ曲が現在では堂々と「アンソロジー」とか云って正規盤になっているのですよ。確かに「SESSIONS」なるブートで其れを初めて聴いた時、僕らは歓喜しました。でもね、所詮はボツ音源なのです。「IF YOU'VE GOT TROUBLE」よりも「ACT NATURALLY」の方が圧倒的に優れていたからこそ、「HELP !」での「壱曲だけのリンゴちゃん」は、そっちになったのだ。それでええじゃまいか。

ところが、「守銭奴:米国キャピトル」は、そんな「ビートルズの真摯な志」など「屁の河童」だったのだよ。1965年5月10日、彼等は「DIZZY MISS LIZZY」と此の「BAD BOY」を録音し、ミックスまで完成します。どちらもジョン・レノンの師匠の一人で在る「ラリー・ウィリアムズ」のカヴァーで、ジョンが最も得意とする楽曲でした。前作「BEATLES FOR SALE」での急場しのぎでのカヴァーでは無く、天才歌手ジョン・レノンが望んで行った事だったのでしょう。二曲やって好い方を選ぼうと思ったのでしょう。結果的に「DIZZY MISS LIZZY」がアルバム「HELP !」を「芸術作品」に昇華させるに到ったアルバム最後(其れは、つまり「YESTERDAY」の次の曲でもあります)に収められます。しかし、此の日の二曲は翌日には大西洋を渡り米国キャピトルに届けられてしまったのでした。そして、未だ英国ではアルバム「HELP !」が発売される遥か前に発売されてしまいます。本来ならボツ曲だった「BAD BOY」が本国英国で発売されるのは、1966年12月の事でした。そうです、あたくしが最初に買った彼等のベスト盤「オールディーズ」に「未発表曲!」として収録されたのが此れだったのよさ。でも、亜米利加ではとっくに発表されていたのでした。此の辺の経緯が、例の「ブッチャー・カヴァー事件」に繋がるのです。

前作のセッションでも「LEAVE MY KITTEN ALONE」を平気でボツにしたジョンは、今回も此れを捨てました。其の潔い姿勢こそが、彼等を永遠にしました。リンゴの唄なんか削ってでも、ジョージの作品を二曲も入れなくとも、ポールに自分と同じだけの場所を与えなくとも、誰も文句なんか云わなかったでしょう。ジョンが「二曲とも入れようぜ」と云えば、当然収録されたでしょう。でも、ジョンは、またしても我を捨てた。本物のリーダーです。凄過ぎる。そりゃ、他の三人がついて行くよ。分け分んない事(例えば、東洋人女性を録音現場に同席させちゃうとか、、、)をやらかしても、「否!」って云えません。結局は、ポールもジョージもリンゴも「凄玉・ジョン・レノン」の信望者でした。彼こそが、ビートルズの正体だったのです。小野洋子さんが「ビートルズはジョンが創って、ジョンがリーダーの楽団です。」と喧伝し続けるのも、ビリー・プレストンが「ジョンは最後までビートルズのリーダーだったよ。1969年に再会した時だって、ポールじゃない、他の誰でもない。ジョンがチーフ・ビートルだったよ。」と云ったのも、嘘偽りは無く紛れも無い「真実」です。但し、ジョンのそばには常にポールが居ました。其れを忘れちゃ、イカンよ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 20:36| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月07日

FAB4-073:HELP !

Shades of Deep Purple コブラの悩み(紙ジャケット仕様)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(4/12)、フィル・マクドナルド(4/18、6/18)
 録音:1965年4月13日(take 1-12?)
 MONO MIX:1965年4月18日(1〜3)、6月18日(4)
 STEREO MIX:1965年4月18日(1)、6月18日(2)

 1965年7月23日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5305(モノ)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-1)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


1965年第二弾シングル曲で、前作から連続してジョン・レノンが主導の作品。然し乍ら、楽曲を聴けばお分かりの通りポール・マッカートニーが大いに協力しており、合作だとポールは語っています。あたくしも、確かに合作だと思います。二週間後(8/6)に発売される彼等の英国オリジナル五作目のアルバムでA面冒頭を飾り、タイトルにもなり、主演映画第二弾のタイトルにもなった、1965年前半を、いやビートルズを象徴する傑作で、代表曲です。元々は単に「BEATLES PRODUCTION 2」と仮題された彼等の主演映画第二作は、「EIGHT ARMS TO HOLD YOU」と勝手に決められ、レノマカは何とかそんな陳腐なタイトルを持つ曲を書こうとしたものの、出来たのは「EIGHT DAYS A WEEK」だったわけで、「確信犯:レノマカ(主にレノン)」の意志で却下されます。ジョンは前作映画同様に題名も決めてしまいました。

其れが此の「HELP !」です。現在では、此れが当時の「人間:ジョン・レノン」の真実の悲痛な叫びだった事は知られていますが、発表当時に其れに気付いた者は皆無に等しかったのです。総天然色の楽しいビートルズ活劇映画の主題歌として、愉快な大衆音楽として、此の楽曲は受け入れられ全世界で大ヒットしました。後にジョン自身が「あんなアップテンポでポップな編曲(追っかけコーラス部分は、当然乍らポールが編曲)にしたのは失敗だった。ビートルズ時代の最高の自信作だが、是非録音し直したいよ」と吐露し、実際にスローテンポでピアノ弾き語りの「HELP !」を「LOST LENNON TAPES」で聴く事も出来ます。でも、個人的な悲痛な叫びを大衆音楽にしてしまった事こそが、ジョンの才能だと思います。ポールが中心となってかけたオブラートが、其れを可能にしました。誰もが深い意味が在るなんて考えずに、此の楽曲を楽しく愉快に受け入れてしまったのです。此れは恐るべき事実です。

さて、データでお分かりな様に、此の楽曲は正式なデータでもモノラルが四種、ステレオが二種、合計六種ものミックスが行われております。基本的に彼等が現役時代に発表した楽曲には「ミックス違いは在るが、テイク違いは、ほとんど無い」のです。此の時点までなら、デビュー曲の「LOVE ME DO」と二曲目の「PLEASE PLEASE ME」が例外で「2テイクが公式に発表された」曲でした。ところが、此の曲は公式にはモノラルもステレオも同じ「テイク12」から作られたとなっているのですが、何回聴き比べても両者でのジョンのヴォーカルが全く違います。史上三曲目の「異なる二つのテイクが公式発表された楽曲」と考えるしかありません。マーク・ルウィソーン著の「レコーディング・セッション」によれば「HELP !」の録音は「1965年4月13日」の「12テイク」で、其の全てはブートレグで出回り容易に聴けます。なのに、其の何処にも「モノラルでのジョンの歌声」は存在しません。更に云うなら「映画での歌声」もありません。一体、いつ、別テイクは録音されたのでしょう?

前述の通りジョンは「HELP !」を相当気に入っていたもののビートルズでのヴァージョンには納得しておらず、新たに録音し直そうと考えていました。更に、1981年に計画されていた来日公演では一曲目に「HELP !」の新ヴァージョンを披露しようと決めていたと云われています。其れは、永遠に叶わぬ夢となってしまいましたが、実現していたなら世の中は変わらなくとも多くの人々の人生を変えたでしょう。1965年には届かなかったジョンの悲痛な叫びは、1981年なら多くの人々に理解できたはずです。「HELP !」は現在でも歌い継がれる名曲となりましたが、ジョン・レノンが本当に望んだカタチでは遺されずにいます。1990年にポールがライヴでカヴァーした時にピアノの弾き語りでスローに演奏したのを聴いて、「やっぱり、ポールはジョンを分かっているんだナァ」と当然過ぎる事なのに感動しました。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 14:19| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

FAB4-074:I'M DOWN

女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ] [DVD] パーマネント・ヴァケイション ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 7)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年7月23日 シングル発売、パーロフォン R 5305(モノ)


「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」

ポールが敬愛するリトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It / 米 1956)」を観て、一気に書き上げたロケンロール。本国ではシングル「HELP !」のB面に収録され、通例通りオリジナル・アルバムには未収録ですが、他のB面曲とは違い有名な楽曲です。其れは、1965年以降の彼等の実演でラストを飾る曲に選ばれたからでしょう。おそらく、ポールが「女はそれを我慢できない」を観たのは、主演の「金髪グラマー:ジェーン・マンスフィールド」を観たいってモチベーションが音楽面よりも強かったに決まっているのだけど、結果的に「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」に代わる実演最終曲をモノにしました。が、待てよ。此の曲が「女はそれを我慢できない」同様にリトル・リチャード作で在る「のっぽのサリー」に似過ぎてはいないか?と云うか「女はそれを我慢できない」にも似過ぎてはいないか?つまり、

「のっぽのサリー」+「女はそれを我慢できない」
=「アイム・ダウン」じゃないのよさ。
(足して二で割らないのがポイントです。)

ポール、、、またやらかしたのね。此れはもう「潜在盗用」じゃ無いよね。本人がネタバレしてんだもん「『のっぽのサリー』に代わるライヴ最終曲を書こうとして『女はそれを我慢できない』を観たら閃いたんで、一気に書いた」と自白してるじゃん。だから、同日に録音した「卵料理」もみんなに「此れって盗作じゃないよね?」と訊きまくったわけだ。

「ポール、、、天然杉」

奇しくも、此の曲が録音された1965年6月14日は、三曲の「マッカートニー節」の傑作が連続して奏でられました。最初は「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」で、次が此の「I'M DOWN」で、最後が「YESTERDAY」です。フォーク・ロック、ハード・ロック、スタンダード・ロッカ・バラッドと変幻自在な名曲を三タイプも書き分け、続けて披露したのです。ジョン・レノンは嬉しかったでしょう。「お前ら観たか、此れが俺が選んだ相棒、兄弟、ポールの実力だっ!」と祝福するエレピが効果的です。

確かに元ネタはバレバレだけど、他の誰が此処まで「リトル・リチャード」を真似出来るでしょう?ポールこそが、白人最強のハードロック・ヴォーカリストです。エアロスミスやハートによるカヴァーを聴けば、如何にポールが凄いかが分ります。そもそも、リトル・リチャードって天才ですからね。黒人なのに白人の養子になったのは、彼が「同性愛者」だから実父に「お前みたいなオカマ野郎は、俺の息子じゃない!白い奴らにくれてやる!!」って地獄絵図だし、1955年にメジャー・デビューして名曲を量産して、1957年人気絶頂なのにヤメちゃって、神学を学んで牧師になっちゃって、1962年に復帰してって経緯からして「なんじゃそりゃ?」なのよさ。其れで英国ツアーの前座がビートルズだったわけですよ。リトル・リチャードのバック・バンドのギタリストには若き日のジミヘンが参加していたし、ビートルズが前座だった時の鍵盤が未だ10代のビリー・プレストンだったのですよ。みんな、リトル・リチャードの弟子じゃん。

さてさて、此の奇跡の「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」が、時を隔て突如として蘇った事が在ります。其れは2001年、あの忌まわしい同時多発テロで犠牲になった消防士の為に、父親もボランティア消防士をして居た(THE FIREMAN の由来は此れでしょう)ポールが発案し実現した「Concert For New York City」で起こりました。主催者で大トリで登場したポールは、在ろう事か「I'M DOWN」を絶叫し、「YESTERDAY」を歌い、トドメに「LET IT BE」までやらかしました。ポールは慈善公演で必ず「LET IT BE」を歌う事だけでも「おいおい、なすがままに、じゃ解決せんだろ?」とツッコミたくなるのだけど、「アイム・ダウン」で「イエスタデイ」で「なすがままに」じゃ全く救いが無いじゃん!間には悪名高き迷曲「フリーダム」までやってしまいました。「あたしゃカックン!〜昨日は好かったナァ〜自由ばんじゃーいっ!〜なすがままに〜もっかい、アメリカさいこーっ!」ってさ、、、レノンやジョージが観たら怒りを通り越して呆れ果てますよ。でも、ポールはやってしまいました。おそらく本人は「最後に亜米利加でビートルズが歌った曲だよ、最近演奏してなかったし、みんな大喜びさ」とか単純に思ってやったんですよ。

「ポール、全く、お前って奴は、、、」

時間軸を戻し、其の奇跡の三曲「夢の人」「アイム・ダウン」「イエスタデイ」がミックスされ完成した「1965年6月18日」は、ポールの23回目のお誕生日でした。其の時、遂に「レノン・マッカートニー」が完成しました。出来過ぎた様な展開ですが、歴史的事実です。


(小島藺子)



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2009年06月09日

FAB4-075:THE NIGHT BEFORE

Steelin' the Beatles HELP! - 4人はアイドル


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(2/17、2/18)、マルコム・デイヴィス(2/23)、フィル・マクドナルド(4/18)
 録音:1965年2月17日(take 2)
 MONO MIX:1965年2月18日
 STEREO MIX:1965年2月23日(1)、4月18日(2:未使用)

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 A-2)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


さて、先行シングルでの曲が先に出ちゃってますけど、アルバム「HELP !」の登場です。邦題は映画のタイトルに合わせ「HELP ! 4人はアイドル」です。前作映画同様、水野先生のセンス、すぎょすぎです。つまり、彼等の主演第二作映画のサントラ盤としての側面を持つのですが、前作映画と同じく「A面にサントラ用の新曲、B面は其れ以外の新曲」ってカラクリになっており、サービス満点です。米国では、キャピトルによって無茶苦茶に解体され、収録曲は四枚のアルバムに分散されます。唯一の救いは、其の内の壱枚が純粋なサントラ盤だった事でしょう。

アルバム冒頭は当然、先行シングル第二弾として大ヒット中で映画の主題歌「HELP !」です。そして、二曲目に此のポール・マッカートニー作のやっつけ仕事が出て来ます。アルバム「HELP !」は、見事に「レノマカ」+α=「ビートルズ」が均等に配分されています。全14曲でリード・ヴォーカルは「ジョン:6、ポール:5、ジョージ:2、リンゴ:1」です。然し乍ら、未だ未だジョンに分が在ったと云わねばならないのは「A面でのポール駄作」の存在ゆえです。此の「THE NIGHT BEFORE」や「ANOTHER GIRL」更にはボツになった「THAT MEANS A LOT」を聴くと、未だポールは完全には覚醒しておりません。此れらはアルバム「HELP !」セッションの始めの時期(2月〜3月)に録音された楽曲です。確かに、セッション最初のジョン・レノン作「TICKET TO RIDE(涙の乗車券)」で、ポールは「編曲家&演奏家」としては化けました。でも、未だ「自作自演歌手」としては「寝ぼけた侭」だった様子です。

たったの2テイクで、一発録りに限りなく近いラフな演奏で流す上に乗せた「ポールの過剰なダブルトラック声」は、かつての「HOLD ME TIGHT」「WHAT YOU ARE DOING」の悪夢を想起させます。実際に「THAT MEANS A LOT」が三度目の悪夢でした。アルバム「HELP !」でジョンが導入したエレピも、此の曲では余り好い効果を上げてはいません。後述する「ANOTHER GIRL」も同じ印象です。セッションは一旦、1965年3月30日の「THAT MEANS A LOT」リメイク(ポールは三たび、駄曲に他の連中を、なな、なんと「24テイク(実際には那奈テイクですけど、五十歩百歩です)」も付き合わせ、結局ボツになるのでした。)を最後に中断し、4月13日にジョン作(ポールが合作だと云っているし、完成版を聴けば其の通りなのだけど、どー考えても基本的にはジョンの曲じゃん!)の主題歌「HELP !」を録音し再び中断、5月10日にはジョンのカヴァー2曲をやって、運命の6月14日が来るのです。僅か三ヶ月後に別人の様な「世紀のメロディーメイカー」が現れます。一体、1965年の春、ポールに何が起こったのでしょう?また死んで蘇ったのかしらん。ポールって、何人いるのよさ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする