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2009年04月21日

FAB4-031:NOT A SECOND TIME

Clues All You Need Is Ears


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-6)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョン好きで知られる「佐野・ライオン・元春」サンは、「貴方が一番好きなビートルズ・ナムバーは?」と訊かれる度に、待ってましたとばかりに自信満々で、

「其れは、ノッタセカンタイムですっ!」

と応え、ニヤリと笑います。其れで、きっと屈託も無く、「さあ、どーだい?なかなか渋い選曲だろ?其れにさ、此れこそがレノン節じゃないか?今夜は今夜しかないのさっ!(←其れは「SOMEDAY」違いだと思う。)」なんて感じで、如何にもタコの八ちゃんにも「元春らしいセレクション」を提示する「同志」に、あたくしは毎回、苦笑しちゃうのでした。

確かに、掛け値無しの名曲です。「ジョン・レノン、此処に在り!」と高らかに示す、「WITH THE BEATLES」のクライマックスが此れでしょう。徹底的に、歌心が在り過ぎますっ!自由自在に歌詞に沿ってメロディーを変えてしまいながら展開してゆく「魔法の歌唱法」こそが、レノンの最大の魅力なのです。しかも、此れは自作です。もう、やりたい放題し放題です。なのに、全く破綻しないっ!やっぱ、ジョンは「天才歌手」だわ。

マーラーの「大地の歌」とおんなじ終止和音を使ったと云われる曲ですが、其れは作者のレノンの企みでは無く、ピアノを担当したジョージ・マーティンの悪戯だったのだと思います。此れから何度か言及しますが、基本的にジョージ・マーティンって人は「ロックでも何でもない」のです。彼の基本は「クラシック」です。だから、後の「YESTERDAY」なんかが生まれるのだけど、ビートルズを担当するまでマーティンはギターのコードすら知らなかったのですよっ!其れは、ジョンやポールもおんなじで、彼らは譜面を書けなかったし、ピアノもマーティンに教わったのでした。そして其の「異文化交流(日本版トーマス声で。ちなみに米版ではリンゴが担当してたりする。)」こそが、魔法を産んだのです。

デビュー盤は基本的に一発録りだったので、マーティンが鍵盤楽器をオーヴァーダビングしたのは僅か二曲でした。其れが、二枚目の「WITH THE BEATLES」になると、正に「五人目のビートル」と呼ばれるに相応しい活躍を魅せます。初期はライヴ・バンドとしての魅力も在った彼らですが、レコードでは既にマーティンの鍵盤が大きな位置を占めていました。続く最後の「MONEY」でも、演奏の要はマーティンのピアノです。当時のライヴでは当然四人だけの演奏だったのですが、マーティンは「俺様がステージに上がって鍵盤でサポートしたら、きっともっともっと良くなるっ!」と思っていたのでしょう。「WITH THE BEATLES」で始まった此の「マーティンの出しゃばり」は、彼に代わる鍵盤奏者「ビリー・プレストン」が登場するまで延々と続くのでした。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-30
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-29

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月22日

FAB4-032:MONEY(THAT'S WHAT I WANT)

The Complete Motown Collection ミュージック・ファクトリー


 w & m:JANIE BRADFORD / BERRY GORDY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18、30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)、A.B.リンカーン(10/30)
 録音:1963年7月18日、30日、9月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日、30日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-7)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


アルバムのラストを飾るのは、ジョンのお気に入りナムバー「マネー」です。オリジナルはタムラ・モータウンのバレット・ストロングによる1960年のスマッシュ・ヒットで、作者は後にモータウンの社長になるベリー・ゴーディで、此の曲のヒットが其の後のモータウン発展への足がかりとなりました。ゆえに、此の楽曲は「THE BEATLES」と「THE ROLLING STONES」の二大グループにカヴァーされたと云う、大変に珍しい人気ナムバーとなりました。勿論、他にも多くのカヴァーが在ります。ちなみに、あたくしのお気に入りは「THE FLYING LIZARDS 」によるヴァージョンで、其の後の「宅録人生」に決定的な影響を受けました。されど、矢張り、其の曲が「ジョンの愛唱歌だった」事で興味を持ったのです。

其のジョンも、1962年のデッカ・オーディションで歌い、さらには1969年に「プラスティック・オノ・バンド」名儀でのトロントでのライヴでも取り上げています。ゆえに、ピート・ベスト、リンゴ・スター、アラン・ホワイトの三人による太鼓と共演するレノンが聴けます。(当然ながら、チャーリー・ワッツによる太鼓も聴けますよっ!THE FLYING LIZARDS なんて、ダンボール箱を叩いてるんですよ。)アラン・ホワイト曰く、

「ジョンのバックで太鼓を叩いて、リンゴの素晴らしさが分った」

「金くれっ!」と「銭ゲバ」の様に絶叫するレノンに呼応して演奏もかなり荒削りなのですが、此処でもジョージ・マーティンのスタイリッシュなピアノが中和剤になっています。ともすれば、クラシック志向のマーティンとロケンロール・バンドであるビートルズは「水と油」だったはずです。しかし、彼らは奇跡的に融合しました。「WITH THE BEATLES」の聴きどころのひとつは、マーティンのピアノやハモンド・オルガンと云った「鍵盤楽器」です。此の頃から1967年までは、間違いなく、マーティンが「伍人目のビートル」でした。「EMI には、マーティンが居た。」此れは、歴史の「偶然」と云う名の「必然」でした。もしも、デッカ・オーディションに受かっていたなら、ビートルズはジョージ・マーティンと出逢えなかったのです。兎も角、お溢れで「ビートルズのプロデューサー」になってしまったマーティンは、僅かな期間を彼等と共にした段階で思ったでしょう。

「ツイテたね☆」と。

アルバム「WITH THE BEATLES」は構成的に前作アルバムである「PLEASE PLEASE ME」と全く同じです。「オリジナル:8曲」&「カヴァー:6曲」で、ラストも「ジョンの絶叫カヴァー」なのですが、アンサンブルにマーティンの鍵盤が加わった事と、シングル曲(其れが「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」なのだよ!)をオミットした事で、実際には、たったの半年で大きく変貌した彼らが聴けるのです。「全曲新曲、大ヒット・シングル曲未収録!」と云う「アルバムはアルバムだろ?」って「レノンイズム」が、二作目にして既に出来上がっていました。

更に、モノクロームの美しいジャケットは、次作で映画のサントラでも在る「初期の大傑作」に繋がって行きます。当時の彼らは「モノクローム」でした。先を急げば、其れが中期にカラフルになり、真っ白になって、「ゲット・バック」しようとして頓挫し、「横断歩道を渡って去ってゆく」のです。余りにも「ドラマティックなバンド」です。其れが、たったの「那奈年間」で起こるのです。彼らがマトモにアルバムを出したのは、1963年から1969年までなのですよっ!たった那奈年で、彼等は10数枚のアルバムを遺しました。年間二枚と云うハイペースで、しかも「全て違ったコンセプトの作品集を連発した」のです。正に、彼等は「化物」です。

さて、噺を戻しましょう。データを見て戴ければお分かりの様に、此の楽曲はモノとステレオを別にミックスしたばかりか、ステレオ・ミックスを二回もやっています。ゆえに、明らかにモノとステレオでは違いがあります。モノを中心に考えていた当時の彼らには珍しく、此の曲に関しては圧倒的にステレオの方が「ど迫力サウンド」になっています。理由は、モノ・ミックス後にマーティンがピアノを追加録音(其の時、ビートルズは休暇で不在!)し、新たにステレオ・ミックスを行ったからなのだ。「泥沼のミックス違い道」へ進む覚悟がおありの片は、此の曲あたりから聴き比べてみては如何でしょう?但し、其の後の貴方の人生に関しての保障は、一切合切、致しません。

其れにしても、ジョンの歌うカヴァー曲は素晴らしい。此の楽曲も、明らかにオリジナルを超えてしまっています。オルジナルには無い歌詞を、ジョンはアドリヴで絶叫します。そして、此のひと言が、モータウンの「R&B」を「ROCK」に変えました。ジョンは叫ぶ。

「I WANNA BE FREE !」

そう、此れが「ROCK」だ。僕らは「自由」になりたくって、「ロックの人」になったのだから。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-1
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-1

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月23日

FAB4-033:I WANT TO HOLD YOUR HAND
(抱きしめたい)

meet the 東京ビートルズ iwanttoholdyourhand.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン(1963、1966)
 E:ノーマン・スミス(1963、1965)ジェフ・エマリック(1966)
 2E:ジェフ・エマリック(1963)、ロン・ペンダー(1965)、マイク・ストーン(1966)
 録音:1963年10月17日
 MONO & STEREO MIX:1963年10月21日
 STEREO MIX:1965年6月8日、1966年11月7日

 1963年11月29日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5084(モノ)


前出の通り彼らのセカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」には、大ヒット・シングル曲が全く収録されませんでした。アルバムと同時期に録音されたのは「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」、そして「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」と、それぞれのB面曲です。デビュー盤「PLEASE PLEASE ME」の二番煎じでも十二分に売れたはずですから、其の6曲に新録8曲でアルバムにすれば事足りたし、みんなそうやってアルバムを作っていました。されど、ビートルズにはそんなこたぁ出来なかったっ!

此の世界制覇を成し遂げた楽曲は、彼らにとって初めての「4トラック・レコーディング」でした。ゆえに、音の感じが「WITH THE BEATLES」とは全く違っています。ま、つまり此処までは全部「2トラック」だったわけでして、其れもすぎょい話です。本国英国では「WITH THE BEATLES」が発売された僅か一週間後にリリースされました。当時のファンにとっては夢の様な展開です。全曲新録音のアルバムを買って聴き狂っている時に、超ド級の新曲が発売されたのです。翌1964年、彼らは遂にアメリカを制覇します。全米チャートで英国のバンドが首位を獲得したのは二度目でした。初回のトーネイドーズによる「テルスター(1962年、プロデュース:ジョー・ミーク)」はインストでしたから、歌ものとしては史上初の快挙でした。

ビートルズの「世界規模での人気爆発!」は、正に此の「抱きしめたい(なんと云う素晴らしい邦題!)」から始まりました。ゆえに「WITH THE BEATLES」と同じジャケット写真を使った米国キャピトルでのデビュー盤「MEET THE BEATLES !(1964年)」でも、日本デビュー盤「ビートルズ!(1964年)」でも、A面一曲目は此の曲でした。ロバート・フリーマン撮影の有名すぎるハーフシャドウの四人のモノクロームのポートレートを使った三つ子の様な英米日の三枚のアルバムの中で、特にリアルタイムで聴かれた日本人にとって最も愛着が在るのが日本デビュー盤「ビートルズ!」でしょう。

かつては各国盤が勝手に編集されて居て、特に初期は米国や日本以外でも様々な編集盤が出ています。其の中でも、選曲に於いてベストなのが「ビートルズ!」だと思います。内容は、1963年までのベスト盤と云って良いでしょう。「LOVE ME DO」から「抱きしめたい」までの英国オリジナル・シングルA面5曲を完全収録し、他の9曲は「PLEASE PLEASE ME」と「WITH THE BEATLES」から選りすぐりの全14曲!モノラルで「盤落としだった!」なんて噂も在りますが、世界制覇前夜の彼らを壱枚に凝縮した名編集盤だと思います。実際、此処までの連載中に最も繰り返し聴いたのが「ビートルズ!」でした。敬愛する「キヨシちゃん」こと「忌野清志郎」先生は語ります。「ビートルズはさ、信じられたんだよ。だってさ、ストーンズのアルバムを買うと、曲がダブってんだよ。詐欺じゃねーかって思ったよ。ビートルズはダブらないんだよね。だから、信じたんだ」

此の曲は、後に語るドイツ語版も含めて、基本的にはすべて同一テイク(第17テイク)が元になっています。ゆえに、テイク違いは在りません。現在、最も容易にCDで聴けるのは「1966年のステレオ・ミックス」で、其れは未CD化の英国公式ベスト盤「オールディーズ(1966年)」の為に作られたミックスです。1963年当時、いや、解散間際まで彼らのシングル曲の多くは英国オリジナル・アルバムには収録されなかったのです。そして、其れらの楽曲はモノラルでした。初の「4トラック」に挑んだ「抱きしめたい」ですら、ステレオ・ミックスを制作したものの発売されなかったのです。其れでですね、米国じゃアルバムに入れたいわけですよ。てなると「疑似ステレオ」ってのを捏ち上げなきゃならんわけだ。「レコーディング・セッション」での記録だけで三回もステレオ・ミックスが行われていますから、無法の世界だったCD化以前の各国盤では「なんじゃ、こりゃ?」的なミックスも多発しました。此の曲で最も有名なのは、演奏と歌が左右に別れた「オーストラリア再発シングル盤」でしょう。

此れは、掛け値なしの文句なしの名曲です。こんな会心作をアルバムには収録しなかった「志の高さ」と「自信」は何だ?レノン色が強く感じられますが、紛れも無い「レノン・マッカートニー」の合作です。ジョン・レノン23歳、ポール・マッカートニー21歳、遂に彼らは天下を穫りました。アメリカ上陸し、憧れのゴフィン&キングに逢います。そして、此の曲の歌詞を「空耳」したボブ・ディランに出逢う事となりますが、其れはもう少しだけ後のお話です。それにしても、邦題を「抱きしめたい」と意訳したセンスは抜群ですね。但し、其の素晴らしいセンスが発揮されたのは此の曲だけでありました。何せ、B面は「こいつ」ですからね。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-2
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-2

(and this is REMIX-2 by 小島藺子



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2009年04月24日

FAB4-034:THIS BOY(こいつ)

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 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン(1963)
 E:ノーマン・スミス(1963)ピーター・ボーン(1966)
 2E:ジェフ・エマリック(1963)、グレアム・カークビー(1966)
 録音:1963年10月17日
 MONO MIX:1963年10月21日
 STEREO MIX:1966年11月10日

 1963年11月29日 シングル発売
 パーロフォン R 5084(モノ)


全く隠れていない「B面の名曲」です。

ジョン・レノン作。本人も語る様に「俺様だってポールに負けず劣らずのメロディ・メーカーなんだぜっ」を満天下に知らしめる美しい曲ですが、英国公式アルバムには当然のルールで未収録だった為に、アナログ時代にはシングル盤を買うかダブり覚悟で米国編集盤「MEET THE BEATLES !」か日本編集盤「ビートルズ No.5」を買わなければ聴けない「レア曲」のひとつでした。さらに、データでお分かりの様に此の曲のステレオ・ミックスはシングルのみと云うことで、1966年まで作られませんでした。其れも「オールディーズ」用に「BAD BOY」と「THIS BOY」を間違えてミックスしたと云う顛末だった為に「当然の如くお蔵入り」し、長年リアル・ステレオは「幻のミックス」と云われていました。彼らのシングル曲、特にB面では良くある話で、かつては結構「血眼になって『リアル・ステレオ』を探した」ものです。ま、現在では「パストマスターズ Vol.1」で簡単に聴けちゃうんだけどね。其の反面、昔は普通に聴けて居たモノラルが「20年前!のCD化」によって聴けなくなって居たりもします。其の辺もいよいよリマスター化により解消されるのだけど、結局はさ、「アナログ盤を聴けっ!」に尽きるんですよ。CDじゃ永遠に「THE BEATLES は理解出来ません」よ。だって、簡単じゃん。1960年代、彼等が現役だった時代に「CDなんて無かった!」のだよ。

ジョン、ポール、ジョージによる三声コーラスの美しさ!そして、サビのレノン節炸裂!の熱唱!!と、只のやかましいロケンロール・バンドだけではない彼らの魅力を存分に伝えてくれる素晴らしい名曲です。此れでも「B面」なんですからネ。英国アルバム未収録なんですよ。だってさ「A面」の「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」だって英国じゃ「オールディーズ(1966年)」までは「シングル盤」と「EP盤」でしか聴けなかったのですよ。レノン作品には「此のB面を聴け!」な名曲が多いのです。初期から、常に「実験的で革新性を重視した」彼は、こうした「美しいスタンダード曲」を敢えてB面に回しました。中期以降に「ポールのスタンダード路線」が、こと「シングル曲」では重視されます。ジョンの曲は「B面」に甘んずる事が多くなる上に、在ろう事か、レノンは「ジョージの曲でええやん」と私情を捨て、史上の名曲(「ACROSS THE UNIVERSE」で在ります!)を「没」にしたのですよっ!何故、ジョンはそんな事を出来たのか?其れはさ、彼こそがビートルズを、銀河系一に愛した漢だったからさ。彼こそがビートルズを結成し、誰よりも愛した人間だったんだよ。ジョンはさ、撃たれた後、救急車の中で云ったんだぜ。「貴方は誰ですか?」って訊かれて、応えたんだぜ。

「俺は、ビートルズの、ジョン、、、ジョン・レノンだ」

そう云って、死んじまったんだよ。ジョンはさ、そういうひとだったんだよ。さて、此の楽曲は、映画「A HARD DAY'S NIGHT」では、ジョージ・マーティンによる弦楽アレンジで「リンゴのテーマ」としても有名になりました。「俺が選んだのは、ポールだけさ」なんて嘯くジョンですけど、ジョージやリンゴにも「リーダー」らしく気を配っていたのです。其の辺の「ええ噺」は、追々、書いてゆきますよ。さてさて、余り指摘されないのですけど、此の曲って THE BEACH BOYS の名曲「サーファー・ガール」に似ていると思うのですよ。曲の構成は、ほぼ同じです。「ブライアンのライバルはポール」と云われ、ジョンが影響を受けた点は見逃されて居ますが、後の「(Just Like)STARTING OVER」にも「DON'T WORRY BABY」と似たメロディーが出て来ます。逆に「ディランからの影響が強いのはレノン」と云われますが、ポールだって十二分に受けているのです。ジョンとポールにとって、当時のアメリカの音楽のすべてが「憧れ」の対象だったのだと思います。そんでもって、邦題に関しては、敢えて「ノーコメント」です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-3
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-3

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月25日

FAB4-035:KOMM, GIB MIR DEINE HAND
(抱きしめたい ドイツ語版)

The Capitol Albums, Vol. 1 tag.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY / Nicolas / Hellmer

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)
 録音:1964年1月29日
 MONO MIX:1964年3月10日
 STEREO MIX:1964年3月12日

 1964年 西ドイツ発売


此の連載は基本的には英国オリジナル発売順に全曲解説する事にしていますが、数少ない例外として此の「独逸語版」が在ります。彼らには二曲の独逸語版が在りますが、其れは「無名時代に独逸のハンブルグで演奏していたから実現したわけではない」のです。そうで在れば「美談」なんですけど、残念ながらレコード会社(西独逸、オデオン)の「強い要望ゆえ」でした。何せ、此のレコーディングは公演中の仏蘭西で行われたのです。さらに云えば、独逸とは縁もゆかりもない「THE BEACH BOYS」ですら、独逸語版を録音させられたのでした。

「嗚呼、恐るべし独逸人!流石は同盟国だっ」

こちらの「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」は初めて「4トラック」で録音した楽曲でしたから、所謂ひとつの「カラオケ(第17テイクのベーシック・リズム・トラック)」が存在しておりました。マーティンとスミスが、門外不出の其れを抱えてパリまで飛んだのです。其の「カラオケ」に合わせて、独逸語によるヴォーカルと手拍子を加えて「一丁あがり」です。「海外向けの接待」みたいなもんでして、英国では1979年まで公表されなかった「黒歴史」なのでした。

しかし「守銭奴:米国キャピトル」は違ったっ!3月12日に作られたステレオ・ミックスは何故か西独逸だけでなく米国にも発送されました。ビートルズが米国を制覇した「1964年」に、米国ではなんと「6セット(那奈麻衣)」ものアルバムが発売されました。二ヶ月に壱枚は出たのですよ。兎に角、在るモンは全部出しまくったのです。しかも英国は14曲入りでシングル曲は収録しないのに対し、米国ではたったの「11曲入りでシングル曲も二度売り!」していたわけだよ。だからさ、1964年には英国で二枚(当時の彼らは英国で、年間アルバム二枚、シングル三枚の契約をしていました)だったのに、米国じゃ「其の三倍以上ものアルバムとシングルが乱発された」のです。(いや、此処日本では「もっとすぎょい状況」だった様ですが。)其の米国盤の内の四枚ずつをモノとステレオで収めた箱が現在では容易にCDで聴けます。

独逸での事情は分りません。僕らがアナログ時代に此のヴァージョンが聴けたのは、米国編集盤「SOMETHING NEW(1964)」と日本編集盤「ビートルズ No.5(1965)」でした。其れで、「SOMETHING NEW」のステレオ盤には「何だか変な声が入って居る」のです。イントロで米国のスタッフか誰か分んないけど、ノリノリで騒ぐ様子が入っちゃってるのですよっ!「なんじゃ、こりゃ?」米国盤って、こーゆー無茶苦茶でいい加減なミックスが多々在るわけよ。ですから、

初心者は「米国盤の箱なんか買っちゃダメですよっ!」

あーゆーのは、英国オリジナルを聴き倒してから辿り着くべき「最後の音源」です。「アンソロジー」とか「BBCライヴ」とか「なんちゃらリミックス」とかも、ぜ〜んぶ同じです。あんなもんはね、

「全部、海賊盤とおんなじですよっ!」

英国オリジナル盤こそはすべてなのです。幸いにも、やっと其の本家本元がリマスターされます。さあ、今年(2009年)の秋までには「最低、壱拾萬円」を貯めて置きましょうね。「祭り」ですよっ!出た時に全部買わなきゃイカン!のだ。何せ、20年以上も待ったんですよ。次はいつか分りません。20年に一度の「祭りだ!祭りだ!!わしょーいっ!!!」なのよさ。更に言及するならば、我が国「日本」ほどビートルズのレコードを「公式盤」及び「違法な海賊盤」で、平気で発売しまくっている国家は無いっ!と断言出来ます。いや、中国やジャマイカなどでは、もっと無茶な事をやらかしちゃっているのかもしれません。されど、其れは「違法なブート」や「違法なパチモン」や「違法なCOPY」です。

我が国では、各国盤の公式アルバムがほとんど全て「日本盤」として入手可能でした。西新宿に行けば、違法なナンチャラも全部お金さえ払えば買えたのです。実際に、敢えて名は伏せますけど、「某:ジミー・ペイジ様」とか、「某:ロバート・フィリップ様」なんてぇ方々は、西新宿で入手した音源(当然、無料で持ってくのです。鬼です。「俺様の演奏した音楽に、何故?俺様が金を払わなきゃならんのだ?俺様に返すだけじゃん。ぐわっはっはっはっはっは。」ですよ!)を元にしたと思われる「公式盤」まで発売しちゃってんだよぉっ!!ぜいはあ、、、(銭出して泣いたモンだった。)ビートルズだって、トンデモ音源が満載ですよ。くれぐれも、初心者は「英国公式盤」から始めて欲しいです。

(ま、あたくしは病気だから、全部買うけどさ。)


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-4
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-4

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月26日

FAB4-036:SIE LIEBT DICH(SHE LOVES YOU ドイツ語版)

Sie Liebt Dich Jeah, Jeah, Jeah: Weitere Beatles Songs Auf Deutsch TheBeatlesRaritiesalbumcover.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY / Nicolas / Montague

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)
 録音:1964年1月29日
 MONO MIX:1964年3月10日
 STEREO MIX:1964年3月12日

 1964年 西ドイツ発売


さてと、もう壱曲の「接待録音」です。但し「KOMM, GIB MIR DEINE HAND(抱きしめたい)」が基本的にはオリジナル・テイクのオケを流用したのとは違って、こっちは彼らには珍しい「完全なる別テイク」で御座居ます。なんて事だけ云うとだ、「何だか、オラ、わくわくして来たぞ!」な展開ですけど、其れは残念ながら「魔人ブーーーーーーー!」なのだ。「SHE LOVES YOU」の項でも述べた通り、1963年7月1日に行われた「SHE LOVES YOU / GET YOU TO THE END」セッションの詳しい記録は残っておりません。何故なら、セッションばかりか、「2トラック・テープ」すべてが処分されてしまったからです。シングル用の楽曲だったので、モノ・ミックスのみが行われ、其のマスター以外の何もかもぜ〜んぶなくなっちゃったのですよっ!

「信じられない愚挙だっ!」

だってさ、アータ、「SHE LOVES YOU」のテープを消しちゃったんですよ。何じゃ、そりゃ?常識的に「有り得ない!!」でしょ。なな、なんと、初期ばかりかビートルズ全キャリアに於いても最重要曲のひとつである「SHE LOVES YOU」の「2トラック・マスターは消された」のでした。幾ら当時のテープが高価で在ったからと云って、やっていい事と悪い事って在るでしょう?只、此の時の教訓が其の後「ビートルズの音源は、どんなクズでも絶対に捨てるなっ!」と云う「社訓」を作らせ、実質的なラスト・アルバムのエンディングを「愉快なモノ」にするのです。

「流石は、ビートルズ!タダでは転ばんのだっ!!」

ま、其れは「此の連載の最後の方のお楽しみ」です。兎に角、捨てちゃったのか、消しちゃったのか、重ね録りしちゃったのか、、、は定かではありませんが、失ったモンは帰って来ません。其れで、こっちの独逸語版は「ベーシック・トラックから全部録音し直さなければならなかった」わけです。あ〜あ、嫌がる奴がいますよ。新しい事しかしたくない「芸術家」で「リーダー」が居ますよ。困ったネェ。独逸語版を半ばイヤイヤ録音した日、彼らは「次のシングル曲」の録音もやっています。其れはポール作の「CAN'T BUY ME LOVE」でした。彼らは、既に「1964年」にいました。過去の焼き直しなんて、やってらんないのです。

特に、ジョンが分り易い。オリジナルに比べて全体的にルーズな演奏ですが、ジョンは丸っきりやる気が無いです。英語版ではジョンの声が大きいのに、独逸語だとポールに負けてます。其れは、決して「ポールにはハンブルグ時代に隠し子がいる」からではないでしょう。英国公式盤では1979年、米国キャピトル盤でも1980年まで正式発売されなかったヴァージョンです。米国スワンから、チャカリとシングル盤が出ていた方が驚きです。ドイツ以外で公開されたのはアメリカの、しかもマイナー・レーベルのみでした。いえ、実は日本では「ビートルズ No.5」なるヘッポコ盤やコンパクト盤にも収録されていたのです。でも、後追いの立場としては英国公式を中心に集めていたので、そんなもんは無視しておりましたから、必然的にあたくしが今回の連載本編で書く「公式213曲」の中では、、、

最後に聴いた「お宝音源」でした。

其れが、此れです。正に「目が点になる」とは此の事かと思い知らされましたよ。

ま、「お宝なんて、そんなモンですよっ」


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-4
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-4

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月27日

FAB4-037:CAN'T BUY ME LOVE

Sing the Beatles Hits ア・ビット・オブ・リヴァプール/TCB


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジャック・エスマンジョー(1/29)、リチャード・ランガム(2/26)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年1月29日、2月25日
 MONO MIX:1964年2月26日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年3月20日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5114(モノ)

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-7)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


苦節6年でようやく本国でメジャー・デビューを果たしたビートルズは、其の長い下積みで蓄えたパワーを一気に全開し、約一年後には全世界制覇を成し遂げます。1964年2月1日付の「米国ビルボード・シングル・チャート」で、彼らの「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」が首位を獲得しました。其れは那奈週連続続き、其れに代わって首位に立ったのが「SHE LOVES YOU」(二週連続)さらに其の次が此の「CAN'T BUY ME LOVE」(五週連続)と、通算14週連続で首位を独占!挙げ句の果てには、其の間の4月4日付では、在ろう事か「シングル・チャートの1位から5位までを彼らが占拠」し、100位内に12曲ものシングル曲がランクインしてしまったのでした。昨今の日本で作為的に再発シングル盤を乱発し「ビートルズ並みの(もしくは神をも恐れずに「超えた!」なんぞとぬかす)快挙を達成!」なんて云ってる阿呆とは違って、リアルタイムでの新曲が売れまくった結果の「大記録」だったのです。此の怪物が偶発的に成し遂げてしまった「TOP 5 独占!」って記録も現象も、おそらく、あたくしが生きていられる世の中では再現されないでしょう。

さて、フランスでのレコーディングで、たったの4テイクで完成まで行ってしまった新曲は、後に彼らの初主演映画に挿入歌として使用されます。結果的にはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」からの先行シングルになりましたが、此の曲が発売された時には未だタイトル曲は録音どころか書かれてもいなかったのです。激動の「1964年」に、最初に発表されたのが此のシングル盤でした。当時の彼らは、欧州ツアーをやり、テレビやラジオにも出演しまくり、初主演映画も撮影し、アメリカ上陸も果たす、と云う「わけ分りましぇーんっ!」状態で、此のシングルや、EP盤オリジナル作品「LONG TALL SALLY」、そしてアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の録音をすべて同時進行で行っていたのですっ!!すぎょすぎる。だからこそ「接待ドイツ語版」なんかを録るだけじゃ満足出来なかったし、何よりも時間が無かった。其の上、今後はもっともっと多忙になってゆくのでした。

ポール・マッカートニーが書いたストレートなロケンロールです。初期でポールの曲がシングルのA面になるのは珍しい事でした。此の楽曲が収められるアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は、はっきり云えば「ジョン・レノンのソロ・アルバム」です。彼らが三枚目にして初めて(そして結果的には最初で最後の)、全曲「レノン・マッカートニー」によるオリジナル曲で固めた作品ですが、全13曲中ポールが単独で書いたのは「たったの二曲」なのです。もう誰の目から見ても、ジョンこそが「要」でした。圧倒的に、器が違い過ぎた。其れでも、先行シングルは「ポール作の此れ」でした。確かに好い曲で大ヒットしたけれど、未だ此の時代のジョンには余裕が在ったとも思えます。「ま、今回はポールがA面でいいんじゃねーの?」ってな感じでしょう。後の「どっちがA面を穫るか、勝負だぜっ!」って気持ちは感じられません。だってさ、例えば「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER(恋する二人)」とか「IF I FELL(恋におちたら)」とかミックスまで終わっていたのですもの。ジョンは、待っていたのでしょう。最初に出逢った時から確信していた時が来る日を。正に頂点に達した己の才能をポールに見せつけて、相棒の眞の姿を暴こうとします。ポールは、其の真摯すぎる想いに応えようとしていました。そして、其の時は、もうすぐそこまで来てもいたのです。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-5
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-5

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月28日

FAB4-038:YOU CAN'T DO THAT

パンディモニアム・シャドウ・ショウ(紙ジャケット仕様) Summer Holiday


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/25、26)、A.B.リンカーン(5/22)、ジェフ・エマリック(6/22)、他
 録音:1964年2月25日、5月22日
 MONO MIX:1964年2月26日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年3月20日 シングル発売
 パーロフォン R 5114

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 B-5)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


「此れこそはB面の超名曲!そして名演!!」

ジョン・レノン作。どこをどー聴いてもジョン・レノン。リード・ギターもジョン。彼の得意とするカッティングが飛び出すから、すぐに分ります。そして、サイドにまわったジョージは此の後の彼らのサウンドを決定づけるリッケンバッカー社の電気式12弦ギターを、初めて正式録音で弾いています。レコーディングの直前にアメリカ初上陸した際に入手したばかりのピカピカの新品です。其れは映画でも嬉々として弾きまくっている、リッケンバッカー社が初めてジョージの為に作った「360/12モデル」です。

超有名曲で好きになった少年少女が、所謂ひとつの「ビートルズ通」になる頃に出逢う「僕だけが知っている(そんなこたぁ無いのだけど、そう思い込む)素敵なお宝音源」が此の楽曲でしょう。ウイルソン・ピケットを意識してジョンが書き上げた「1964年のビートルズ」が凝縮された会心作です。彼が自らリードも弾いたって事は、かなりの自信作だったはずです。パリでの「CAN'T BUY ME LOVE」と云う例外を除けば、其の後の彼らのアルバムの通例となる「最初に録音するのは、ジョン・レノンの新曲で自信作」と云う「暗黙の了解」が始まりました。そして、其れらの楽曲は、何れも「アルバムのカラーを決定づける」事となってゆきます。

解散間際に鍵盤奏者として準メムバーとなった「ビリー・プレストン」が自信を持って証言した様に、「ジョンは最後まで、ビートルズの偉大なるリーダー」でした。ジョンのソロ作品集とさえ云える初期の最高傑作アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」からの先行シングルに、ジョンはアルバムに単独作品を二曲しか書けなかった相棒ポールの「CAN'T BUY ME LOVE」を選び、自分の自信作をB面にしたのです。しかも「CAN'T BUY ME LOVE」ってお題に見事に応えた「YOU CAN'T DO THAT」って曲ですよっ。「ポールの曲の方が優れていたから、自信作だったけど、こりゃ仕方ないナァ、とB面に甘んじたのさ」と云う懐の深さが「ボス:ジョニー」の真骨頂でした。少なくとも未だ1964年の世界では。

さて、数多ある彼らの楽曲をカヴァーした作品の中でも「此れは必聴盤!」と云えるモノのひとつが、ハリー・ニルソンによる此の楽曲のカヴァーです。後にジョン、そしてリンゴと「大酒呑み仲間」となる愛すべき酔っぱらいニルソンが、未だ「酒焼けしていない美声」で歌うファースト・アルバムに収録された其のカヴァーには、沢山のビートルズ・ナムバーが歌い込まれていました。ビートルズへの愛に満ち溢れた其の名唱を36時間も聴き続けた男が、堪らずに英国から「見知らぬ米国の歌手ニルソン」に国際電話を掛けます。電話口に出たハリーに、英国の男は云いました。

「俺は、ジョン・レノンだ。此れだけは云いたい。
 お前のアルバムは最高だ、お前は最高だ!」


そして、二人は「生涯の友」になったのでした。そう、ジョン・レノンとは、そう云う人間だったのです。
彼は「真実」を求めていた。「自由」になろうとした。眞の「表現者」で「芸術家」です。しかも、彼は「大衆音楽家」で在る事を生涯貫きました。「自分の音楽を理解してくれる人間は、世界に100人といない」と自覚しながら、常に「マス」を相手に格闘し自分を追い込み推敲を重ねて楽曲を書きました。引退して悠々自適の生活をしていたのに、「やっぱり、俺がやらなきゃ誰がやる?」とばかりに復活し、大莫迦野郎にまで真摯にサインしてあげたにも関わらず、「サインする時の態度が気に食わない」なんぞと云うトンデモな理由で撃ち殺されてしまったのだ。何じゃ、そりゃ?

元・チューリップの財津さんなんか「ポールに逢った時はサインと握手も快くしてくれたのに、ジョンはヨーコさんが「サインはダメよ!」と云ったら「ダメ?ダメ!」とか云ってしてくれなかった。だから僕はポールが好き」なんぞと云っているぞ。ジョンにサインしてもらっただけでも有り難いと思いなさい!ところで、ジョンがイヤミの「シェー!」を完璧に出来たのは、彼が其れを「少年サンデー」を入手して来日公演以前に知っていたからだと思います。来日の時に会食した若大将の証言でも、ジョンは「日本の事を唯一、真剣に勉強していた」様子が伺えます。洋子さんに出逢う以前からジョンは日本に興味があったと考えると、其の後の展開が何となく分かった気にもなります。

さて、僕が「前衛芸術」を知ったのは、ビートルズでは無いのです。其れは、先日、惜しまれつつ亡くなった「赤塚不二夫」先生の漫画「天才バカボン」でした。小学生だった僕は、「実物大漫画」とか「左手で描きました→右足で描きました」とか「少女マンガに変更します」とか、毎週目くるめく変化する破天荒すぎる「実験作」に夢中になりました。其れで、将来は「手塚賞」ではなく「赤塚賞」を目指そうと、ギャグ漫画家になろうと決意したのです。そんな時にラジオでビートルズを聴いてしまったのでした。

赤塚先生の前衛ギャグで最も衝撃を受けたのが、「山田一郎」への改名事件です。「赤塚って名前は飽きたから、来週からは山田になるのだ。これでいいのだ!」と宣言し、本当に改名してしまったのですよ。何週間か本当に「山田一郎」名儀で全ての作品を発表して、「やっぱり元に戻す事にしたのだ」と「赤塚」に還っちゃったんだけどね。そう、僕が「コピコン」を閉鎖し「アゲン」を始めて、再び「コピコン」へ回帰したのは、其れのマネなのだ。だから、僕も「赤塚先生の作品」なのだ。万感の想いを込めて云うジョー!ニャロメ!!先生、有難う!だす、べし、やんす、だよ〜ん!!

「これでいいのだ。」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-6
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-6

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月29日

FAB4-039:LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)

The Georgia Peach BeatlesLongTallSallyEP.jpg


 w & m:ENOTRIS JOHNSON / RICHARD PENNIMAN / ROBERT BLACKWELL

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/10、6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年3月1日
 MONO MIX:1964年3月10日、6月4日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」A-1)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


ポール・マッカートニーの数多在るカヴァー・ソングの中で、最高傑作にして別格の存在が此の楽曲です。我が愛しの「小野未来」ちゃんも「イエスタデイでしょ?あたし、好きだナ☆」と語る様に、ポールと云えば「美しい曲を書き歌うバラード歌手」ってのが定番な評価となりました。其れは、「同志:山崎クン」が驚愕した様に、

「かつては不良の音楽と云われて居たのに、
 音楽の教科書に載ってるじゃまいかっ!」


って「コペルニクス的転換」が成されたからです。其れは、ジョンが殺されたから起こった事です。伝説になったから、安心して、安全なモンだって事にしようとしたのです。だから、若造どもはヌカすのだ。「ポールは、ロックじゃないよね〜」なんぞと云う暴言を、平気で吐くのだよ。「ロックじゃない」ひとが、こんな絶唱を出来ますかしら?結局、おまいらはさ、聴いてないのよさ。な〜んにも知らないのとおんなじなんだぜ。「聴いてなんぼ」なんです。後追いでもええから、

「体験しなきゃ語れない」のよさ。

さ〜てと、此の楽曲から始まる EP盤「LONG TALL SALLY」は、三枚目のアルバムで在り彼らにとって初主演映画のサントラ盤としての側面も在った「A HARD DAY'S NIGHT」セッションで録音された四曲が収められています。しかし、其れらはすべて、本国では其の四曲入りEP盤でしか聴けない楽曲で構成されていました。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」には、先行シングルとアルバム同時発売シングルの四曲が重複してしまい、セカンドで「全曲アルバム用でシングルとのダブリなしっ!」と云う快挙を遂げた彼らにしては些かお粗末な展開にも見えます。でも、其れは此の「EP盤の存在」で、帳消しになります。

超多忙過ぎた彼らでしたが、前作同様にアルバム全曲新録で行けるだけの録音はしたのです。されど、サントラ盤でも在ると云う縛りから、キラーチューンをシングル盤でも出さなければならなかったっ。そして、更には、当時「第一期のピーク」に達してしまった「早熟の奇才:ジョン」は、どうしても全曲オリジナルで作りたかった。此のEPに収められた四曲中、三曲はカヴァーです。そして、唯一のオリジナルを書いたのはジョンでした。最早「ジョンの創作意欲を止める手だて」など無かった。

1964年に、確かにジョンは開花してしまったのでした。

そんなジョンを追うポールは、此のカヴァー曲で秘めたる己に能力に気付きます。なな、なんと、此の楽曲は「正真正銘の一発録り!」です。現在もCDで聴ける演奏と歌は、たった一回で終わったスタジオ・ライヴです。パーソネルは、ビートルズの四人とピアノ担当のジョージ・マーティンです。マーティンの「俺様もメムバーなら、、、」なる野望が達成された瞬間だったでしょう。そして、何よりもポールの叫びが素晴らしい。ズバリ云って、当時のポールは白人史上最高のハード・ロック・ヴォーカリストです。其の後も20代前半のポールを超える存在などいません。流石のレノンも舌を巻いたでしょう。そして、ニヤリと笑ったはずです。

「やっぱ、俺様が見初めただけあるぜっ!」と。

ポールは、オリジナルのリトル・リチャードの大ファンでした。そして、其の憧れの人とツアーを行う機会を得たのです。時は1962年、やっとメジャー・デビューが決まった頃のお話です。もう、ポールは最高の気分でした。挙げ句に、尊敬する神様に気に入られちゃったんですよ。けど、どーも噺がおかしくなって行きました。リトル・リチャードは、ポールが好みのタイプだったみたいです。そーです、彼は「真性『ウホッ』のひと」だったのです。ポールは「可愛いお尻を散々追っかけ回される事」となりました。そして、其の当時リトル・リチャードのバックでキーボードを担当していたのが、当時未だ10代だった「ビリー・プレストン」でした。一説によると、意気投合したビートルズ・サイドから「ビリーを五人目のメムバーにしたい」との要請が在った様です。既にスケジュールがいっぱいだったビリーは1962年には断ってしまうのですが、那奈年後に再会を果たすのでした。

「ドラマティックだナァ!」

当時のライヴでもラスト・ナムバーとして何度も演奏された楽曲ですので、此れも彼らのオリジナルだと思っている「新しいファン」もいるかもしれません。其れ程に、此処でのポールは神懸かっています。1973年に制作された「ジェームス・ポール・マッカートニー・ショウ」での「スタジオ・ライヴ」を、中学生の時に「世界のワンマンショー(NHK)」で観ました。ヴィデオなんて無い時代だったから、カセットテープに録音しながら、一瞬も見逃すまいと、固唾を飲んで観ていたんだよ。そして、ポールは最後に此の曲を歌った。

格好よかった。嬉しかった。シビレたよ。

そしてポールは現在でも「シャウト」をヤメません。壱度でも、彼のライヴを体験した片なら、彼もまたジョンに負けず劣らずの「ロケンローラー」だと分るはずです。てかさ、彼がやった事こそが「ロック」なんだよ。後に詳しく語るけど、例えば「YESTERDAY」「HEY JUDE」「LET IT BE」ってポール作の「ビートル・スタンダード」ってさ、今でこそ「スタンダード」って思われてますけど、発表時には「誰も考えつかなかった斬新過ぎる楽曲」だったんだよ。其れを普通の曲と認めさせてしまったのが、ビートルズなのよさ。てか、そんな事すら分からないなんて、余りにも不憫です。お話になりません。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-7

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月30日

FAB4-040:I CALL YOUR NAME

Mercy, Mercy, Mercy: A Collection メイキング・オブ・ア・ハード・デイズ・ナイト [DVD] If You Can Believe Your Eyes & Ears [12 inch Analog]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/1、10、6/4)、A.B.リンカーン(3/3)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年3月1日
 MONO MIX:1964年3月3日、4日、6月4日
 STEREO MIX:1964年3月10日、6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」A-2)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とEP「LONG TALL SALLY」のレコーディングは、完全に同時進行で行われました。具体的には、1964年1月29日から6月2日までの三ヶ月余の期間です。映画も当然、同時に撮影していて、サントラ盤のA面には映画で使われる新曲を収めB面には其れ以外の新曲を入れる事になりました。余った曲が四曲入りのEP盤「LONG TALL SALLY」になるわけです。EP盤「LONG TALL SALLY」には、カヴァーが三曲と此のジョン・レノン作のオリジナルが弾かれましたが、実は「YOU CAN'T DO THAT」「I'LL CRY INSTEAD(僕が泣く)」と此の「I CALL YOUR NAME」の三曲も映画に使われる予定だったのです。ステレオ・ミックスが1964年3月10日に行われている事からも、間違いないでしょう。

「YOU CAN'T DO THAT」に関しては、実際に演奏シーンまで撮影され、其の場面には少年時代のフィル・コリンズが観客役のエキストラでバッチリ映っています。髪の毛もフサフサで、可愛い男の子なので俄に彼だとは気付かないかもしれません。(「MAKING OF A HARD DAY'S NIGHT(1994年制作)」で、禿げコリンズの自慢噺付きで観れます。アノ名言「最高だったよ!ビートルズにも逢えたし、弁当も出たし」の「弁当とビートルズが『等価』発言!」も飛び出す名作ドキュメンタリーですので、未見の片は是非とも御覧下さいナ☆)

三曲とも「みんなのアイドル」でも在った当時のビートルズにしては暗めで革新的なサウンドでした。そして、全部がジョンの曲です。此の曲が弾かれた理由は、タイトル曲である「A HARD DAY'S NIGHT」をギリギリになってジョンが書いて来たからでした。正に、此の頃のジョンは「神」でした。そして此の曲が、アルバムからまで弾かれてしまった理由は、此れが「セルフ・カヴァー曲」だったからなのかもしれません。そう、此の名曲は、何故か「ブライアン・エプスタイン」のお気に入りだった「BILLY J. KRAMER with THE DAKOTAS」によって、先に歌われてしまったのでした。ジョンから楽曲を最も提供されたのが彼らでした。ビリーって、歌が下手なのにナァ。何でかナァ。やっぱ、エプスタインが「ウホッ!」だからとしか思えませんです。

つまり、ビートルズは、同時進行で録音した楽曲から、カヴァーとセルフ・カヴァーを「EP」に収めたのです。其れ程に「A HARD DAY'S NIGHT」を「最初のオリジナル作品集にするぞっ!」って明確なる意志が、間違いなく、ジョンには在りました。彼らが「スカ・ビート」を取り入れるのは1968年の「OB-LA-DI, OB-LA-DA」が最初と云われていますが、実際には此の楽曲です。1964年に、ジョン・レノンは既にジャマイカン・ビートを自作で試みていたのです。本人がしっかりと証言しているので、偶然ではなく、確信犯的に「レゲ(かつてはこう云ったもんだった)」をやろうとした事が分ります。一般的には1970年代になってからブームが起こったと思われている「スカ」及び「レゲエ」ですが、実は1960年代初頭にも英国でプチ・ブームになっていた様です。そーゆー最新のリズムに飛びつくのが「ジョン・レノン」と云う奇才でした。其れは、後に「前衛音楽こそがビートルズの進むべき音楽だっ!」と宣言し、在ろう事か「REVOLUTION 9」のシングル化まで構想したエピソードからも伺えます。(其れは「革新的」杉!)

只、ジョン以外のメムバーに「其処までの革新性を求めるのは酷な話」だったので、此の曲に関しては何だか妙なミドル部分になっているのでした。其処で聴けるのは、ジョンの志を理解したポールとの「スカ・ビート」に、全く対応出来ないジョージとリンゴの「8ビート」なのです。「レノマカ」と他の二人の「音楽的センス」には、此の当時には「絶望的な格差」が在ったと理解出来るのが、此の曲の「不可思議なミドル部分」でしょう。ソロになってからレノンは、此の「中間部をいきなりレゲエにする」と云う大胆過ぎる試みに、再度挑戦します。約10年後に再チャレンジした其の楽曲は「MIND GAMES」と云います。

複雑な展開の楽曲だったからか、モノミックスとステレオミックスを合わせて五回もやっていますので、ミックス違いの宝庫でも在ります。印象的なカウベル(リンゴが担当)の入り方に特に大きな違いが聴き取れますので、色々と聴き比べれば楽しいと思いますよ。此の「ミックス違い道」とは、あたくしなんか「老後の楽しみのひとつ」として考えている位に「愉快痛快奇々怪々な世界」なんです。そして、EPとして発表された4曲も発売後の6月22日にステレオ・ミックスが作られているのが興味深いですね。此れはアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」用に行われたわけで、つまりEPの4曲もアルバム収録候補だったのだと思われます。此の日にビートルズはニュージーランドのウェリントンでコンサートを行っていて立ち会っていません。帰って来たビートルズが、いやさ、レノン・マッカートニーが、もっと云ってしまえばジョン・レノンがEP用のカヴァー曲を外してアルバム曲を決めたのかもしれません。

ちなみに、最も「老後の楽しみ」にしたい「ビートルズ音源」は、当然「ゲバ」ですよっ!ええ「THE GET BACK SESSIONS」の全ロールを、にやにやみあみあしながら「1/2〜1/31」まで順番に聴くわけよ。楽しいぞぉ。ま、あんまり「オススメ出来ない遊び」だけどね(ぼそっ)。でもね、「スカ」と「8ビート」が不格好に絡み合うってのが、其の「崩れた感じ」こそが、実は彼らを「永遠の美女」にしたのだと思う。一寸だけ、抜けてた方が好いんです。完璧なんて、有り得ないのよさ。ビートルズって「未完成」なんですよ。彼らには「完璧な作品」なんて皆無です。何処かが抜けているんです。マヌケなのよさ。

でも、其れこそが、実は彼らの「最大の魅力」なんです。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-8
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-8

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年05月01日

FAB4-041:SLOW DOWN

At His Finest: The Specialty Rock 'N' Roll Years ロックン・ロール


 w & m:LARRY WILLIAMS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(6/1)、リチャード・ランガム(6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年6月1日、4日
 MONO MIX:1964年6月4日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」B-1)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


EPのタイトル曲はポールに譲ったものの、主役は矢張りジョンでした。残りの三曲は、ジョンのオリジナルと此の最高にカッコいいカヴァー、そしてもう壱曲の「MATCHBOX」もリンゴが歌っているけれど元々はジョンが歌っていたナムバーです。何度も繰り返し云いますが、もう此の頃のジョン・レノンには手がつけられません。「兎に角、凄過ぎるのですっ!」

オリジナルは、ラリー・ウイリアムスの1958年の作品です。ジョンは、ラリーが相当にお気に入りだった様で、ビートルズ時代の公式カヴァーだけでも此の「SLOW DOWN」を始め「BAD BOY」「DIZZY MISS LIZZY」と三曲も録音しています。彼らの公式カヴァーは24曲ですから、其の頻度はかなり高く、すべてジョンが絶叫しております。更には、ソロ時代の名作カヴァー集「ROCK'N'ROLL(1975)」でも「BONY MARONIE」を取り上げていますし、感動的な「JUST BECAUSE」もオリジナルのロイド・プライス盤ではなくラリーのヴァージョンを参考にしたと思われます。

ジョンのダブルトラックによる歌が、素晴らし過ぎます。特にブレイクの時に「ぎゃーっ!」とか「ぶるるるるっ!」とか毎回変えて叫ぶところに「天才歌手:ジョン・レノン」此処にありっ!を感じさせます。本来なら、EPのタイトル曲はこっちでも好かったでしょう。しかし、レノンは我を捨て、ポールの熱唱「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」を推したのでした。ちなみに元「ザ・タイガース」のリーダーで「PYG」や「井上堯之バンド」の名ベーシスト:岸部おさみサン(現、名優「岸部一徳」サン)のニックネームは「サリー」ですが、背が高いから(「のっぽのサリー」だから)そう呼ばれた様です。

何度でも繰り返すけど、ジョンにはリーダーの資質が在りました。だからこそ、ビートルズは、下積み時代を加えて「15年近く(1957年〜1970年)」も保ったのです。確かに、一般人をも巻き込む「音楽的才能」なら、ポールの方に分が在ったでしょう。されど、ポールは「WINGS」で「THE BEATLES」とおんなじ夢を見ようとしたけれど、果たせませんでした。彼は、同一メムバアで壱枚しかアルバムを遺せなかったっ!ジョンもジョージも、ビートルズ以後に、如何なるバンドも結成しませんでした。ジョンの「プラスティック・オノ・バンド」は、バンドではなくユニットですし、ビートルズ在籍中から名乗っていた「変名」にすぎません。亡くなるまで「元・ビートルズ」の重責を背負い続けたんです。いや、あたくしは、現在「ひとりぽっち」で(だから、リンゴの立場は、、、)「THE BEATLES」の看板を守り続けて居るポールこそが偉大だと思っていますよ。でもね、ポールは自分勝手だ。何でも出来ちゃうから、組織の長にはなれません。「ワンマン社長」なんですよ。

さて、此処で「ビートルズ物語」に新たな重要人物が加わります。其の名は「ケン・スコット」当時若干17才です。ジョージ・マーティンとビートルズの元でエンジニアを経験した方々は、ノーマン・スミス、ジェフ・エマリック、クリス・トーマス、グリン・ジョンズ、などなど、すべて後に有名プロデューサーに成長しロック史に残る名盤を残して行く事になります。ケン・スコットも、其の中のひとりです。「すべては、ザ・ビートルズから始まった」と云われるのは、そうした周辺の人々の成長物語をも含めての事なのです。確かに、其処にビートルズがいなかったなら、「ロック史」は大きく変わったでしょう。いや、「ロケンロール」は「ロック」にはならなかったかもしれません。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-9
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-9

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年05月02日

FAB4-042:MATCHBOX

スーパースター・ロカビリー・セッション [DVD] ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC(期間限定)


 w & m:CARL PERKINS

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(6/1)、リチャード・ランガム(6/4)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年6月1日
 MONO MIX:1964年6月4日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年6月19日 EP発売(「LONG TALL SALLY」B-2)、パーロフォン GEP 8913(モノ)


カール・パーキンスのカヴァー曲で、当時英国ツアー中だったカール本人がレコーディングを見学しています。残念ながら、其の時には共演していませんが、後に(ジョンの他界後)ポール:「GET IT(1982、アルバム「TUG OF WAR」収録)」、ジョージとリンゴ:「BLUE SUEDE SHOES / ROCKABILLY SESSION WITH CARL PERKINS AND FRIENDS(1996)」の三人は尊敬する偉大なロケンローラーとの共演を果たす事となります。

ビートルズは、此の曲を正式録音した後も「HONEY DON'T」「EVERYBODY TRYING TO BE MY BABY(みんないい子)」とカヴァーし、「BBC LIVE」や「アンソロジー」などで聴ける様に「BLUE SUEDE SHOES」「LEND ME YOUR COMB」「SURE TO FALL(IN LOVE WITH YOU)」「TENNESSEE」「GONE GONE GONE」「YOUR TRUE LOVE」などなど多くの曲を取り上げました。

メムバー四人全員がリード・ヴォーカルを担当したカヴァー曲のオリジナル・アーティストは、おそらくカール・パーキンスだけだと思います。彼の楽曲を好んで演奏していたのは未だ無名だったハンブルグ時代からの事で、メジャー・デビュー直後にカールの英国公演で知り合い親交を深めた「自分の弟子」で在るビートルズをカールも可愛がっていたのでしょう。其れが、此の曲の録音を「わざわざ見学する」と云う行動に出た理由だと思われます。ビートルズは、どんなに有名になり売れても「先達を尊敬する気持ち」を忘れませんでした。

元々は後の「HONEY DON'T」同様に、ジョン・レノンが得意とし歌っていた曲です。リーダー:ジョンは、自分の十八番をリンゴに譲ったのです。やっぱ、偉いよナァ。だってさ、そんな事をしたのは、ジョンだけなのよさ。ポールは自分の十八番を「ビートルズ現役時代」には、ジョージやリンゴには歌わせなかった。ジョンは「眞のビートルズのリード・シンガー」だったので、レパートリーが豊富でした。だから「此れなら、リンゴでも歌えるナ」って思った楽曲を譲ったのです。

「偉いぞっ!ジョン・レノン」

アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」には、リンゴが歌う曲が収録されていません。此れは「リンゴにも壱曲は歌わせる」と云う暗黙の掟に反する事で、結果的には「A HARD DAY'S NIGHT」を初期の最高傑作にした要因にもなりました。(おいおい、リッチーの立場って、一体、、、)でも、ちゃんと壱曲は歌わせていたわけです。「A HARD DAY'S NIGHT」はオリジナルだけで勝負する事に決めたので、リンゴの歌はEP盤に回されただけです。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とEP盤「LONG TALL SALLY」は同時進行だったので、合計17曲で「A HARD DAY'S NIGHT」セッションと考えるのが妥当だと思います。(まあ、「CAN'T BUY ME LOVE」と同日録音の「ドイツ語接待版二曲」も入るのかもしれませんが。)

此の楽曲は、先に述べた通り元々はジョンが歌い、レコードでリンゴが歌いました。更には1989年からの世界ツアーでポールも歌いました。全てCDで容易に聴けますので、ジョン、ポール、そしてリンゴによる歌を聴き比べられる絶好の楽曲です。そんな珍しい曲は、他にはないと思います。おそらく、ジョージの歌唱も在るでしょう。だって、全員がカールを敬愛しているのだもの。結論から云えば「ジョン・レノンの圧勝」ですが、是非、皆さんも聴き比べてみて下さい。「百聞は一見に如かず」です。何故、あたくしが「ジョンは天才歌手」と断言するかが、はっきりと分るでしょう。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-10
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-10

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年05月03日

FAB4-043:A HARD DAY'S NIGHT
(ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!)

A Hard Day's Night − ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ! ハード・デイズ・ナイト [DVD] エキゾチック・ビートルズ 其の弐


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ジェフ・エマリック(4/16、6/22)、A.B.リンカーン(4/20)、
   デヴィッド・ロイド(4/23)、ケン・スコット(6/9)
 録音:1964年4月16日
 MONO MIX:1964年4月20日、23日、6月9日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年7月10日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5160(モノ)

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-1)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


ビートルズのオリジナル・アルバムはすべて大好きです。でも其の中でも此のシングル曲で始まる「A HARD DAY'S NIGHT」は、格別に好きなんです。此の連載を始めて、駆け足で此処まで来て、いよいよ「A HARD DAY'S NIGHT」に関して書く事になり、絶句してしまいました。余りにも好き過ぎて、何を書けばいいのか分らなくなってしまった。英国盤のモノとステレオ、米国盤のサントラ、そして「SOMETHING NEW」などの関連アルバムを繰り返して聴き、映画を観ていたら「もう言葉なんかいらない」と思いました。そう、アルバムを聴いて、映画を観てもらえば好いだけなんです。アルバムの英国オリジナル盤には、A面が映画に使われた曲で、B面は他の新曲が入っています。両面通して聴いても30分一寸で終わってしまうので、何度も繰り返して聴くのです。45年近く前の音楽だけど、全然飽きない。

最初に其のアルバムを聴いたのは中学時代で、女友達からレコード(確か、日本盤のジョージが真ん中に映っているジャケのモノでした。女子はみんな「ジョージが好き」だったからネ)を借りてテープにダビングして、あんまりにも好きなのでいつも持ち歩いていました。当時(1970年代前半)の中学生は全作品なんかとても個人じゃ買えないから、全校でも数少ない「ビートルズ仲間の同級生や先輩、後輩(各クラスに一人位しか居なかった)」を探して、お互いにトレードしてダビングするのが普通でした。レンタル店なんてなかったんですよ。在る日、確か「マリリン・モンローの三本立て映画」を市民会館で上映するので、部活帰りにうっかり学生カバンを自転車のカゴに入れたまんまで観て戻ったら、置き引きされていました。カバンはゴミ箱に捨てられていたのですぐに帰って来たけど、此のアルバムのテープとかギターのストラップなどは盗まれていました。其れで、悔しくってお金を貯めてレコードを買ったのです。アノ時のテープは、一体どんな運命を辿ったのでしょう?もしも盗んだ人が聴いて気に入ってビートルズのファンになっていたりしたなら、其れは其れで、「素敵な話じゃないか」(セックル王子声で)

ジョン・レノンが爆発しています。

英国公式アルバムに於いて、全曲レノン・マッカートニーによる新作書き下ろし13曲中、ジョンは9曲で歌い、10曲を単独で書き、1曲はポールとの共作です。ポールの単独作はたったの2曲です。此れは「ジョン・レノンのソロ作品集」と云ってしまって好いでしょう。映画でも、一見リンゴの出番が多いので彼が主役に観えますが、一番輝いているのはジョンです。此の「A HARD DAY'S NIGHT」と云う一連のプロダクションは、正に「才気溢れるジョン・レノン当時若干23才の若者の為に在った」のだ。勿論、なかなか決まらなかった初主演映画のタイトルを発案したのはリンゴです。でも、其の文法を無視したセンスを採用し「先に題名が決まっている曲」を難なく書いて来たのはジョンでした。もしも、リンゴの何気ない言葉に「チーフ・ビートル」であるジョンが飛びつかなければ、初主演映画の題名は「ビートルマニア」になっていたんですねぇ、其れでね、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」ってトンデモ邦題を付けたのは、「故・水野晴郎先生」なんですよ!「ヘルプ!4人はアイドル」も、そうなんですよ!「いやぁ、ビートルズって、本当に好いもんですね!」(山下奉文大将声で)

印象的過ぎるイントロとエンディングでの12弦ギターを弾くのはジョージです。書いたジョンがキーが高くて歌えなかったミドル部分を歌うのはポールです。此のミドル部分が、実はポール作なのでは?との説も在ります。彼らには「書いた奴が歌う」との暗黙の了解が在りましたし、譜面が書けないジョンが「自分が高くて歌えないライン」をどうやって書いたのか?との疑問も在るからでしょう。されど、此れは「200%、ジョンの単独作品」です。何の事は無い、ジョンはミドル部分を「裏声」で歌って書いただけです。其れは、ポールとの二重唱で在る「IF I FELL(恋におちたら)」のデモを聴けば、容易に導き出される結論です。確かに、四人が一丸となって弾けています。でも、其れでも、

此の時代のビートルズはジョンの為に在った!

相方のポールは、敗北感しかなかったでしょう。いや、ジョンに申し訳なくって仕方無かったでしょう。だって、共作とされた13曲の内、自分が書けたのは「たったの2曲」だったのですからね。ポールは3曲でリード・ヴォーカルを担当していますが、其の中で最も素晴らしいのは「AND I LOVE HER」です。アルバムに必ず一曲は在る「ポール節、炸裂!」の名曲です。そして其れは、ジョンとの合作なのだ。「ジョン、正直すまんかった。俺だって、いつかきっと!」ポールはそう誓いました。ジョンよりふたつ下の彼が23才になった時に、出逢った時からジョンも待ち望んでいた「約束の日」はやって来ます。そして、其れはビートルズと云うバンド内の「パワー・バランス」を、根底から覆す程の出来事になるのでした。只、其れは、もう少し後のお話です。

「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」で始まった「4トラック時代」の最初に作られたのが、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」です。当時の彼らは其れでもステレオよりもモノラルを重視していました。其れはデータを見れば一目瞭然です。厄介な(いや、在る意味、サイコーな)米国キャピトルとユニバーサルでの編集盤やジャケット違いの各国盤も登場し、更には映画版まで在る為、いよいよ「泥沼のミックス違い道」探究者(ま、只のビーヲタなわけだが)にとっては堪らない時代に突入しました。此の曲でも「エンディングの長さが違うぞっ!」なんて些細な事に気付いては「鬼の首でも取ったかの様にはしゃぎまくる莫迦野郎ども」がいるわけですよ。ま、其れはあたくしもおんなじです。だってさ、楽しいんだよ。みんなも、本での知識じゃなくって、実際に聴き比べて発見して下さいね。絶対にハマります。

其れにしてもだ、イントロの印象的過ぎる「ジャーンッ!」って「G7sus4/D」を、12弦で格好良くキメてくれるジョージに憧れたあたくしに、「ウルトラ・レア・トラックス」は残酷でした。現在の若人は「アンソロジー」なんて公式海賊盤で「無様なジョージ」を簡単に聴けちゃうんだもんナァ。最初から何でも在るって、不幸だよ。其れで、オリジナルの英国盤は当然好きだけど、米国盤の赤いジャケットも相当好きです。映画の正真正銘のサントラ盤で、キャピトルではなく映画を製作した「United Artists」から当初は発売されたので日本盤が出ていません。だから幻のレコードのひとつでも在りまして、最初に入手して聴いた時には感動しました。普通は「幻の〜」ってのは、実際に聴いてしまうと「嗚呼、幻は幻の侭で好かったんだ、、、」って事になる場合が多いのですが、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」の米国盤は、数少ない例外でした。キャピトルではなかった為か、ジャケット・デザインも米国盤ではピカイチ!です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-13
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-11

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年05月04日

FAB4-044:THINGS WE SAID TODAY(今日の誓い)

The Very Best of Larry Carlton Tripping the Live Fantastic ミーツ・ザ・ビートルズ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:ケン・スコット(6/2、9)ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年6月2日
 MONO MIX:1964年6月9日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年7月10日 シングル発売
 パーロフォン R 5160(モノ)

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 B-3)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


ポールは「昨日」とか「今日」とか「明日」とかが好きです。此の曲の邦題が「今日の誓い」だったので、約30年後に発表された「HOPES OF DELIVERANCE」(名曲!)の邦題は「明日への誓い」になりました。でも、何だかリンゴの大ヒット曲「明日への願い」(1971、原題:IT DON'T COME EASY)の二番煎じみたいで「トホホ」です。ちなみに「明日への願い」の作者はリンゴって事になっていますが、ジョージのガイド・ヴォーカル入りのデモが存在しますので「間違いなく、ジョージが書いた曲です!」(断言)おっと、いきなり脱線しちゃったナ。ま、あたくし「ジョージ、愛してる」ですので。

さてさて、此の頃からの英国オリジナル・シングル盤は、両面をジョンとポールが競い合い、出来の良い方がA面になります。其れが余りにも拮抗しちゃった時期には「両A面」って事にもなるのです。1964年前半のジョンには、其の点では「余裕」がありました。三枚目で、初めて全曲オリジナル作品で固めるアルバムで圧倒的優位に立ってしまうレノンは、先行シングル(「CAN'T BUY ME LOVE」)ではポール作品にA面を譲り、EP盤(「LONG TALL SALLY」)でも、ポール歌唱のカヴァー曲をタイトルに掲げました。

しかしだ、いよいよ映画と連動した元祖メディア・ミックスな「A HARD DAY'S NIGHT」で、ジョンは牙を剥いたのです。此の当時のポールは、未だ後の多作な彼では在りません。純粋なる新曲は、ほとんど書けてはいなかった。次作で発表する名曲「I'LL FOLLOW THE SUN」が実は随分と昔(なんと16才の頃!)に書かれた曲で在った事は有名ですが、初期のポールは過去の引出しから発表するのが精一杯だったみたいです。いや、「ジョン・レノンの創作意欲が桁違いだった」と云うべきでしょう。

ジョンの曲がA面なので、ポールはB面になりました。アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」にポールが単独で書いた2曲は、目出度く両方ともシングルになったわけです。何度も云いますけど、きっとポールは嬉しくも何ともなかったばかりか、屈辱感に苛まれていたと思います。きっと、ジョンは余裕をぶっこいて、こんな風に言い放ったでしょう。「映画の二枚目のシングルも片面はお前の曲だぞ。えっと、ああ、あと1曲しか録音してなかったっけ?じゃあ選ぶ手間が省けて好かったじゃん。ケケケ」しかも、此のポール作品を際立たせているのは、ジョンがイントロから高らかに奏でるアコギなのです。

「1964年のジョン・レノン、おそるべしっ!!」

ところで、此れは「名曲」です。確かにポールは「A HARD DAY'S NIGHT」に合作を含めても、たった三曲しか貢献していません。されど、其の彼が歌った三曲(「CAN'T BUY ME LOVE」、「AND I LOVE HER」そして此の「今日の誓い」)は、すべてスタンダート化した「ビートルズの代表曲」です。此の曲なんかB面なのに、日本のGS「ジャガーズ」の代表曲「マドモアゼル・ブルース」にモロパクされています。作曲は、御存知「筒美京平」大先生!挙句にB面は「哀れなジョン」なのだ。おいおい、、、。ポールには「駄曲」も多いってのは、彼が「書の人」だからです。下書き無しで描いてしまうわけですよ。そんな「やっつけ仕事」で曲を書いてしまうポールの楽曲が、たとえ13曲中で「たったの三曲」だったとしても、全部好いってのは奇跡的な事です。

正直に云いますと、中学生の時に初めてアルバムを聴いた時には「つまんない捨て曲だな」と思っていました。其れが数年後には「素晴らしい楽曲だ!」と評価が一変してしまったのです。此の時、ジョンもポールも、いやさ「レノン・マッカートニー」は「ほろ苦い大人の世界」に足を踏み入れていました。もう、既に「SHE LOVES YOU」でも「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」でも無くなって、たった数ヶ月前と、明らかに変わっていました。だから、ビートルズは面白いんだよ。おんなじモンなんか作らないんです。二番煎じをやりません。常に、先しか見てなかったんです。美しいよ。芸術だよ。初めて観たポールが此の曲を歌った時には、涙ぐんでしまいました。よくぞ、歌ってくれたと、感謝しました。「CAN'T BUY ME LOVE」も歌ってくれたけど、「今日の誓い」の方に軍配を上げた。此れは、名曲です。「最初はつまんないと思っても、何度も聴くうちに、深みが増して好きになってしまう」、ビートルズの楽曲には、そんな不可思議な魅力があります。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-7-16
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-12

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年05月05日

FAB4-045:I SHOULD HAVE KNOWN BETTER
(恋する二人)

Party! (Stereo & Mono) AHardDaysNightUSalbumcover.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/25、26)、A.B.リンカーン(3/3)、ジェフ・エマリック(6/22)
 録音:1964年2月25日、26日
 MONO MIX:1964年3月3日
 STEREO MIX:1964年6月22日

 1964年7月10日 アルバム発売(「A HARD DAY'S NIGHT」 A-2)
 パーロフォン PMC 1230(モノ)、PCS 3058(ステレオ)


大昔に、NHK-FM で「山下達郎のサウンド・ストリート」と云う番組が在りました。彼だけではなく、月曜日から金曜日まで其のプログラムは放送されていて、あたくしにとって「音楽の先生」と云える存在でした。何せ、1980年代前半には、あれほどに多様な音楽を聴かせてくれる番組はなかったのです。未だ「タワーレコード」も「HMV」も無かったのです。レコードは高価で、レンタル店も未だ存在していなかった1970年代から1980年代前半に、頼れるのは「ラジオ」だけでした。其のラジオ番組でも、AMやFMで洋楽を流してくれるのは稀有な存在でした。だから中学生時代から「FEN」ばっか聴いていました。洋楽を聴いている友人とも話が合わなくなって行きました。現在とは違い、当時の洋楽はかなりのタイムラグが在って日本で発売されていたからです。あたくしはリアルタイムで「最新ビルボード・チャート」を追っかけていたのです。ずっと「FEN」ばっか聴いていたら、いつの間にか「ニュース」や「スポーツ実況」も楽しく聴ける様になっていました。英語が、日常言語になってしまったのです。

そんな10代に聴いていた「日本のラジオ番組」は、「オールナイト・ニッポン」、「ヤング・ジョッキー」、「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」、「GO! GO! ナイアガラ」ってなモンでした。単純に、洋楽を流してくれるから、聴いていました。其の流れで「サウンド・ストリート」に繋がり、タツローの日は全部エアチェックして気に入った曲だけ編集し、何度も繰り返し聴きました。当時は手に入らない楽曲を、タツローは惜しげも無く嬉々として流してくれました。リクエストも読んでもらいました。正に、「山下達郎」サンは「洋楽の先生」でした。でも、彼にも師匠がいたのです。御存知、大瀧詠一大先生です。其の師弟が、現在も「新春放談」を継続しているわけですが、其の始まりが「サウンド・ストリート」だったのです。

「長い枕だにゃあ。」(長万部キャッツ声で)

其の時、二人の先生が「エヴァリー・ブラザーズ」を弾き語りしました。其の音源は、今では「ようつべ」などで容易に聴けます。其の中で「キャシーズ・クラウン」を演奏した時に、大瀧師匠がギターを弾きながら「音楽の魔法を解説」しやがったのよさ。

「コレさ、ジョンの『恋する二人』の元ネタなんだよね」と。

実際に、頭からコード進行がおんなじである事を、歌いながら明かしてくれたのですよ。

師匠に告ぐ。「途轍も無い衝撃でした!」

ジョンは当時、締め切りに追われて、半ばイヤイヤながらに楽曲を量産していました。其れでもクオリティが高かったのです。相方のポールが未だ発展途上だった為、全ては「チーフ・ビートル」で「ボス」で「リーダー」で在る「ジョン・レノン」の肩に重くのしかかっていました。「1964年の俺は、三文ライターだったんだ。下らない曲を書き飛ばし、下らない映画にまで出たんだよ」とレノンは述懐しました。されど、ジョン・レノンの才気が其れを「永遠の美」にしたのです。

此の曲がエヴァリーを元ネタにしている様に、ジョンの曲には「原型」が在るモノが多いのです。ソロ時代の代表曲になってしまった「イマジン」が、ベルベッツの「バナナ」から戴いたってのは、かなり有名な噺ですし、「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO(ジョンとヨーコのバラード)」なんてリード・ギターまで完コピで原曲(しかも、BBCライヴでカヴァーした楽曲)のマネをしまくっています。殺される前に最後に書いてデモを録音したと云われる「DEAR JOHN」では、途中で♪セプテンバー、ノベンバー♪と「元ネタ曲」をそのまんま歌っています。「COME TOGETHER」の盗作問題もありました。でもね、音楽なんてもんは「全て先達の偉大なる遺産の上に成り立っている」のです。其れは、遠い神代の昔からの決まりなのです。何にも無いトコから突然に何かは生まれません。では「パクリ」とか「盗作」と「オリジナル」の境界線は何処に在るのか?って事になりますね。其れは、此の楽曲なんかが好い例でしょう。此れがエヴァリーだって事実を云われなきゃ分らないんですよ。ジョンとポールが大のエヴァリー好きって知っていたのに、大瀧師匠に種明かしされるまで、少なくともあたくしは気付かなかった!

大好きな曲です。理屈抜きに楽しくなっちゃう。在る意味、コレこそが「1964年のビートルズ」でしょう。生き生きしていて、ジョンの「あはは〜ん♪」に萌えます。映画ではポールも歌っているのだけど、声は聞こえません。其れは「口パク」ではなく「逆口パク」なのです。確かに、ポールも歌っています。でも、音声が「レコード版」なだけです。

「嗚呼、ポール、哀れなりっ!」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-8-5
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-10-13

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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