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2009年04月06日

FAB4-016:THANK YOU GIRL

Past Masters, Vol. 1 [12 inch Analog] B-Sides the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(3/5)、ジェフ・エマリック(3/13)
 録音:1963年3月5日、13日、MIX:1963年3月13日

 1963年4月11日 シングル発売
 パーロフォン R 5015(モノ)


ジョン・レノンとポール・マッカートニーが合作した「たかが、B面曲」です。ジョン・レノンは、前述の通り風邪をひいています。アルバムを壱日で「やっつけ仕事」しちゃった時よりも、益々、最悪な状態になってしまいました。二度目のセッションの前日公演にはリーダーなのに参加出来なかった模様です。初期のジョンの声は「鼻にかかった風邪声」みたいに聴こえる歌唱が多く、其れが魅力のひとつにもなって居りますが、、、

「本当に風邪をひいていたんだよっ!」

かつて「全曲カヴァー」を探した時に「最後までマトモなカヴァーが見つからなかった数曲のひとつ」なのです。そんだけ、マイナー過ぎる曲なのですよ。特にスタジオ盤では「捨て曲」にすら聴こえます。ジョンも「此の曲は上手くいかなかった」と語っていました。然し乍ら、「アンソロジー1」に収録された「LIVE音源」を聴く時、其の楽曲の評価は一変します。其れでも、其のたかがB面曲をA面の倍以上の「28テイク」も録音しています。「FROM ME TO YOU」は、壱日で出来上がりました。でも、B面は後日わざわざ最録音しているのです。そんだけ出来損ないの曲だったのかもしれません。でもでも、、、

「ビートルズに、駄曲無しっ!」

ファンの女の子に「いつもレコード買ってくれたり、ライヴに来てくれたり、プレゼントをくれたりしてくれて、ごっつぁんです!」

てなことを能天気に歌っている、単純明快な「バカ・ロケンロール」でしかない楽曲です。でも、そりゃ嬉しいでしょ?「アンソロジー 1」に入っているライブ・ヴァージョンを聴けば分りますですよ。女の子たち、大合唱ですもん。嬉しくって、堪んないよ。自分たちの事を歌ってくれたんだもん。泣きながら絶唱ですよ。美しいよ、綺麗だよ、此れが「音楽」じゃまいか。A面が「僕から君に愛を捧げよう」なんて歌でさ、でも、其の「君」って「ジョンやポールの彼女の事かしら?」なんて思ってひっくり返したら、「あらら、あたしかい?」(片瀬クン声で)ってことなのよさ。こんなシングル盤を出されたらさ、「確信犯ホスト:レノン・マッカートニー」の手練手管にハマってしまう罠。ポールは「ファンの女の子たちが喜ぶだろう、と意識して作った」と語っています。よーするに、ジョンとポールは、

「シングル盤の両面でストーリーを紡いだ」のです。

此れは、新しかった。そもそも、レコードで「ファンに直接呼び掛ける」って発想がすぎょいです。こりゃ、メロメロになっちゃうよ。だってさ、「僕から君へ愛を込めて / ありがとう!ファンの女の子」ってレコードなんですよ。あのさ、、、

「そんなレコは、此れ以外に無いんだよっ!」


「あたしは、レコスケか?」(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-17
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-15

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月07日

FAB4-017:SHE LOVES YOU

The Essential Chet Atkins Chet Atkins Picks on the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(7/1)
 2E:ジェフ・エマリック(7/1)
 録音:1963年7月1日、MIX:1963年7月4日

 1963年8月23日 シングル発売(最高位1位)
 パーロフォン R 5055(モノ)


デビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME」そしてサード・シングル「FROM ME TO YOU」と立て続けに首位を獲得したビートルズは、更に覚醒します。休む間もないツアーの日々で、新曲をゆっくり作る時間すらとれなかった「レノン・マッカートニー」は、6月26日に相部屋のニューカッスルのホテルの一室で四枚目のシングル曲を合作しなければなりませんでした。前作「FROM ME TO YOU」あたりから、矢鱈と「時間が無くて、二人で急場凌ぎに捏ち上げた」と語られるシングル曲が続き、其れらが此れだったり「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」だったりするのは「出来過ぎてる噺」と感じられる御仁もおられるかとは思います。然し乍ら、此の楽曲や「抱きしめたい」等、当時の「シングル盤のみ限定発売曲」の録音過程を其の遺された「ミックス違い」から知る時、其れが紛れも無い真実だと解るのです。本当に、彼等は「急いで曲を書きまくっていた」ので在り、其れらが全て「名曲」になったのでした。長い下積みが、彼等に底力を蓄えさせていたのでしょう。

ポールが「コール&レスポンスの曲にしようぜ」と提案します。おそらく後にカヴァーする「KANSAS CITY 〜 HEY,HEY,HEY,HEY」みたいなイメージだったのでしょう。ジョンが「そりゃダサイぜ、一緒に歌うのが新しいだろ?」と説得します。後年までつづく「レノン・マッカートニー」の鉄壁なる曲作りが完成しました。こうして生まれた楽曲は、僅か一週間後にはレコーディングされました。B面となる「GET YOU IN THE END(仮題)」と共に、2トラックのやっつけ仕事です。三日後にはモノ・ミックスが行われ、テープが勿体無いからと上から何かを重ね録りされ、マスターは消えました。(此の世紀の暴挙に関しては、後でドイツ語ヴァージョンの項で詳しく書きます。)

ビートルズが多忙なら、ジョージ・マーティンも売れっ子プロデューサーになっていました。ブライアン・エプスタインが抱えるビートルズ以外の新人も全部プロデュースしまくります。其れが全部、バカ売れしました。ビートルズと出逢うまでは「変人窓際プロデューサー」だったマーティンは、もうウハウハですよ。彼らにとって、初のミリオン・セラーとなる「SHE LOVES YOU」の録音に立ち会ったのは、其の歴史的な名曲に相応しい布陣でした。マーティン、スミス、そしてエマリック。正にビートルズのサウンドを支えた三人が一堂に会したのです。

エンディングが「G6」で、当時のロケンロール・バンドとしては斬新でした。音楽知識が豊富だったマーティンは「こんな終わり方、此れまでなかっただろ?」とはしゃぎまくるビートルズに「ああ、こんなのは私も聴いたことがないよ!」と応えました。でも、其れは嘘です。マーティンはジャズなどではポピュラーな手法だと知っていながら、得意げになって居る「可愛いビートルズ」をノセたのです。そして、おそらく、此の「ロケンロール・バンドとしては斬新かつ不可思議」なエンディングを鳴らすと決めたのは、ジョン・レノンでしょう。

根拠は在ります。1970年代に、ジョンは「ROOTS」と云うアルバムを制作しなければならなくなりました。結局、其れは「ROCK'N'ROLL」なる「カヴァーの最高峰」に成るのですが、其のセッションで彼はプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」をカヴァーします。公式盤では、リンゴのソロ作品として発表され、全米5位の大ヒットになりました。(現在は、ジョンのデモも公式盤で聴けます。)原題が「ROOTS」だったアルバムは、ジョンの正に「ROOTS」をカヴァーした作品だったのです。つまり、ジョンは「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」が好きだったのです。もうお分かりでしょう。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」のエンディングは「G6」なのですよ。ジョンは、知って居たんです。此のコードで終わる曲を愛していたのですからね。

さて、あたくしは「赤盤青盤(1973年)」で彼等を知った、所謂ひとつの「解散後のビートルズ世代」です。当時の日本では、ミッシェル・ポルナレフと云う仏蘭西のロック歌手が人気者でした。「シェリーに口づけ」は、おそらく現在でも愛されて居る彼の代表曲でしょう。其の楽曲構造が「SHE LOVES YOU」とおんなじだと云う事実も、音楽を愛する方々ならば御承知だと存じます。でも其れは「盗作なんて淋しい云い方はやめようよ」なのです。ポルナレフは、シャンソン界では完全なる異端児でした。「御仏蘭西のビートルズ」だったと思います。ボカァ、今でも大好きですよ。日本は不可思議な音楽環境に在ります。あたくしが洋楽者になった時、其処に在ったのは「無国籍音楽」だったのです。そして其れは、幸運で幸福な事だったのでしょう。

話を「FAB4」に戻しましょう。初期の代表曲ですから、カヴァー・ヴァージョンも多々在りますが、「Chet Atkins Picks on the Beatles」がオススメです。ジョージ・ハリスンに多大な影響を与えた「チェット・アトキンス」が後輩の楽曲を余裕でカヴァーした名盤です。つまり、ジョージがマネしたフレーズ(例えば「ALL MY LOVING」のリード等、「チェット・アトキンス奏法」と呼ばれている)を、本人が逆カヴァーしちゃったわけです。音楽家って「フレーズを拝借される」事に、わりと平気なんですよね。大らかで「音楽は共有財産」みたいに思っている処が在ります。音楽をやっている限り「自分も先達から拝借した」って事実が必ず在るわけですよ。で、「他人の事を云えないナァ」ってなっちゃう。大体「盗作だっ!」とか訴えるのって「版権を持つ出版社」なのよさ。師匠が弟子に学ぶ。こういう交流関係って、素敵じゃないか。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-18
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-16

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月08日

FAB4-018:I'LL GET YOU

ミート・ザ・ビートルズ Imagine (Original Soundtrack)


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(7/1)
 2E:ジェフ・エマリック(7/1)
 録音:1963年7月1日、MIX:1963年7月4日

 1963年8月23日 シングル発売
 パーロフォン R 5055(モノ)


近年、ポールがツアーで此の曲を解禁したと知り、かなり驚きました。ジョンの声の印象が強いので、彼が主に書いた曲だと思います。但し、初期は「レノン・マッカートニー」ってかなり合作に近いカタチでの「仲良しソングライター・チーム」でも在ったわけです。A面の「SHE LOVES YOU」もジョン色が強い感じもしますが、紛れも無い「共作」でした。そもそもジョンだって「SHE LOVES YOU」ってタイトル発想自体がポール発案だと語っています。「あいつは、自分と他人の間に第三者を置きたがるから『僕』じゃなく『彼女』が『君』を好きって書くわけよ」みたいな噺をしております。

よくよく聴いてみれば、確かにAメロはレノン節ですが、中間部で同じフレーズを繰り返しながら音程が徐々に上がって行く部分なんかは、なるほどマッカ節にも聴こえます。後年、コステロと合作した「ヴェロニカ」等でも使われる「ポールお得意の展開」です。其れでLIVEで歌っているのですから、たぶん合作なのでしょう。最近のナウでヤングなファンは、何かと云うと「ジョン派」か「ポール派」か、などと云う「不毛な論議」がお好きな様ですが、僕らの感覚では「レノン・マッカートニー」は「ひとつ」です。両方いてこそのビートルズなのです。そしてジョージも加えた「3声コーラス」が魅力なんです。三人に揃ってなきゃダメなのよ。(おいおい、リンゴの立場は、、、)敢えて、対立させるなら、「レノン・マッカートニー派」か「ジョージ派」か、なのよさ。ジョージは、ずっと、ジョージだもん。ジョンとポールはチームだもん。其れで、三人は「兄弟」じゃん。(あたくしは「レコスケ」か?てか、リンゴの立場って、一体、、、)

美しい曲です。正に「此れぞ、B面!」と云える完璧な「隠れた名曲」です。そう云えば、後年ジョンは、ソロの名曲「イマジン」(笑うトコです)に関して「アレのイマジンなんちゃらってフレーズは、ヨーコの本からパクったから、本当は合作だ(ついでに曲はルー・リードから戴いた)」と語りますが、記憶力が好いんだか健忘症なのか分んなくなるトンデモ発言ですよね。だって、此の曲の歌い出しって何なのよさ?

♪イマ〜ジン、あーいみんら〜びじゅ♪

おいおい、思いっきり歌ってんじゃん!ヨーコと逢うのは、何年後だと思ってんのよさ。

あっ。ジョンは歌詞を覚えない事でも「有名」でした。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-18
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-17

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月09日

FAB4-019:IT WON'T BE LONG

ウィズ・ザ・ビートルズ Punk


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-1)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ビートルズは、EMIと年間2枚のアルバム契約を交わしていました。其れは、1963年から1966年までの四年に及ぶ契約だったのです。つまり、メジャー・デビューと同時に、四年で八枚ものアルバムを制作しなければならないって「トンデモ」な縛りを受けたわけです。いや、其れどころか、其の後も同じ契約でって噺だったのよさ。ライバルの「THE BEACH BOYS」なんて、もっと悲惨で、年間アルバム3枚ですよっ!きっと、大瀧師匠が「年間四枚!」なんて契約をしてしまったのは「う〜ん、僕は其れを超えたんだよ」とか云いたかったからだと思います。(いや、其れは、一寸だけ違うと思う。)「21世紀少年」には、全く理解不能な世界でしょう。だってさ、ビートルズがマトモにアルバムを出した期間って、1963年から1969年までの、

たったの「那奈年間」だったのですよっ!

ゆえに、3月に発売したデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME」が未だバカ売れしている八ヶ月後には、セカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」を発表してしまいました。契約ですから、致し方ない事でした。時代は、彼らを休ませてくれなかった。なのにセカンド・アルバム「WITH THE BEATLES」にはシングル・ヒット曲が、一曲も収録されていません。全曲、アルバムの為の新録でした。同時期にレコーディングしていた彼らのシングルには「SHE LOVES YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」が在りますし、「FROM ME TO YOU」もアルバム未収録でした。そんな特大ヒット曲は勿論、其のB面すらもアルバムには入れなかったのです。そして、アルバムからのシングル・カットも頑なに拒んだのでした。彼らはファンに二度買いさせる事を嫌い、シングル曲をアルバムに入れる事を避けました。其れは、彼ら自身が熱狂的なレコード・コレクターだったからでしょう。

アルバムの一曲目は、いきなりイントロなしで怒涛の掛け合いコーラスから始まります。針を落とした途端に、性急なジョンのヴォーカルと、ポール&ジョージのコーラスが飛び出します。此れは、所謂ひとつの「ガールズ・グループ」的な3声コーラスです。彼らの魅力のひとつで在る「3声コーラス」は、ロネッツなどの「三人娘」を手本にしているのです。どっからそーゆー中性的な発想が生まれたのか分りませんが、兎も角、男子がおねえちゃんのマネをしているのですから、斬新でした。同時期の大ヒット・シングル「SHE LOVES YOU」同様に、初期の彼らの代名詞にもなった「YEAH !」が連呼され、掴みはオッケー!で忽ちアルバムの世界に引き込まれるのでした。そして、ハーフシャドウのアルバム・カヴァー。彼らのジャケットは全て美しいのですが、此のアルバムは其の中でも特に人気が高い逸品です。こーゆーのは、レコードで持ってないとダメだよ。

ジョン・レノンの単独作品と云って良い楽曲ですが、ポールとジョージによる掛け合いが大きな魅力にもなっています。レノン節炸裂!の一筋縄ではいかない展開が好いですね。彼の曲は、ほとんどが此の様に自由奔放に展開します。エンディングの甘く切ない不安定なコーラスまで、疾走するジョンが眩しいです。さて、一昨日(2009年4月那奈日)に、全世界のビーヲタ待望の衝撃の告知が「大英帝国の本家 APPLE 社」より在りました。簡潔に申しますと、20年以上も1987年に初CD化された時のまんまだった「THE BEATLES」の全作品が、今年の秋(具体的には、2009年9月)に、初めて「リマスター」されて発売されると発表されたのです。此れは、エライ事になりましたよっ。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-19
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-18

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月10日

FAB4-020:ALL I'VE GOT TO DO

Kid Blue/Louise Goffin An A CaPPella Tribute to The Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-2)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョン・レノンが書いた楽曲です。初期のビートルズは未亡人のヨーコさんが10億光年回くりかえし云う通り「ジョンが作り、ジョンがリーダーのバンド」でした。でもさ、ヨーコさんが初めてジョンに逢った頃には、事情は違っていたのですよ。其れは未だ先のお話です。

「PLEASE PLEASE ME」とは違い、ツアーと併行してとは云え「WITH THE BEATLES」のレコーディングは、1963年7月から10月までの約参ヶ月もの時間を掛けさせてもらえました。いや、其れは、実際には過酷なツアーやメディア露出の連続で、マトモに丸一日中スタジオに籠って「やっつけ仕事」を捏ち上げる事すらも「不可能」になってしまったからだったのです。デビュー盤以上の過酷過ぎる状況で、断続的に時間さえ作れたのなら彼等は「WITH THE BEATLES」を録音しました。されど、デビュー盤では風邪で不調だった(アレでも不調だったのだよ!)ジョン・レノンは、同じ轍は踏まなかった。次作「A HARD DAY'S NIGHT」が「ハッキリ云って、レノンのソロじゃんっ!」になってしまう明らかな予感が、此のセカンド・アルバムには刻まれて居ます。最早、彼等は「当時の本来の姿」を隠さなかった。「PLEASE PLEASE ME」では平等に見えた「唄い手」が、実は「ジョン・レノン」だと云う事実を赤ら様にしました。「ポールがパートナー」って、冗談だろ?と思える程に「ジョンと彼の楽団」と化した「1963年のビートルズ」が居ます。

一曲目に続いて、「レノン節」が高らかに歌い上げられます。特にミディアム・テンポの此の曲は、ジョンの「歌の上手さ」が際立った名唱でしょう。其の息づかいや「Yeah !」とか「Oh !」など「意味のない言葉」を歌う部分などにまで、艶っぽさが満ちています。22才のジョン・レノンは「世界一の天才ヴォーカリスト」でした。(過去形が口惜しい。)「レノン・マッカートニー」が「ゴフィン&キング」をお手本にしていた事は有名ですが、特にジョンはキャロル・キングにゾッコンだった様です。其の尊敬する作家チームの愛娘ルイーズ・ゴフィンがデビュー作「KID BLUE(1979)」で此の曲をカヴァーしています。アノ「ロコモーション」を歌ったリトル・エバがベビー・シッターをしたのがルイーズと云う事にもなります。ジョンは、其のカヴァーを聴けたのでしょうか?もし聴いていたのなら、さぞかし喜んだでしょう。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-19
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-19

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月11日

FAB4-021:ALL MY LOVING

Paul Is Live [12 inch Analog] ジュークボックス BeatlesAML.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-3)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


初期のビートルズでは、ジョン・レノンの魅力が他を凌駕していました。「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」なんて名乗って居た頃も在ったほどに、ジョンは絶対的なリーダーだったのです。ポール・マッカートニーの歴史とは、其の「早熟の天才:ジョン・レノン」を追いかける事でした。更に云えば、ジョージは「世紀の二大巨頭:レノン・マッカートニー」の追っかけでした。ジョン、ポール、ジョージの三人が、子供の頃から六年も一緒に辛酸を舐めて、下積み時代を送って、ようやく世に出たのです。アノ三人がですよ。俄には信じられない噺でしょうけど、歴史的事実です。

ジョンは、初対面でポールの秘めたる才能を見抜きます。彼にとってのビートルズとは、自分とポールだけいれば好いバンドだったのです。其れは、彼が不幸過ぎる最期を迎える時まで、一貫した発言でした。死する間際に「俺は、ビートルズ、の、ジョンだ」と云った人物はこう語りました。「バンドは、俺が作った。あの日、俺の晴れ姿を観たポールってファンと楽屋で出逢った。俺は、あいつに惚れたから、バンドに加えた。其のポールがジョージってガキを連れて来た。ポールのダチだから、渋々入れた。其れで、親友のスチュと便利屋のピートと五人でやらかしてたら、スチュが死んで、ピートはクビにするって話になって、ジョージがリッチーを連れて来た。だからさ『FAB4』で、俺が選んだのは、ポールだけだぜ。他は知らない。再結成?いつでも好いよ。俺とポールがいれば、其れで好いんだからさ。」(すいません、かなりの意訳かもしれないけど「大意」はこんな感じでしょ?)

そんなジョンの期待に、ポールは応えて行きます。此の時代は、どう贔屓目に見ても

「ジョン>ポール」です。

でも、ポール・マッカートニーと云う人はアルバムで最低一曲は「トンデモない名曲」を書くのでした。「WITH THE BEATLES」での其れは、文句なしに此の「ALL MY LOVING」でしょう。同じアルバムに収録された、もうひとつのポール作品「HOLD ME TIGHT」と比べ、おんなじ奴が書いたとは思えない程に素晴らしい作品です。いや、何度も繰り返し云いますが「HOLD ME TIGHT」が駄曲過ぎるわけだ。(ポールには、結構「クズ曲」が在ります。)

ポールの下降進行のメロディアスなリード・ベースは、最初にコピーしたベース・ラインです。弾きながら歌うのに、かなり苦労したっけ。そんなポールに呼応して、三連をかき鳴らしまくるジョン、そしてチェット・アトキンス奏法でリードを弾くジョージ。初期の彼らにとって間違いない名演のひとつです。シングル曲ではないのに「赤盤」へ選曲したジョージは偉いぞ!ジョンも「ポールには完璧な作曲能力がある」と絶賛し、奇しくも射殺された時に運び込まれた病院で「ALL MY LOVING」が流れていたらしいです。

「おいおい、毎度ながら、リンゴはどーした?」

って声が聞こえます。はい、其れはですね、ミックス違いの迷宮へのいざないになりますよ。と云うのも、此の二枚目から「モノとステレオを別の日にミックスした」からです。さらに、人気上昇から「各国盤」が登場します。

「泥沼のミックス違い道」へ、ようこそ。

通常ヴァージョンでは、イントロなしでいきなり歌い出され演奏もバッチリ決まりますが、オランダ盤のベスト「beatles' greatest」などに収録された別ミックスでは、リンゴがハイハットで「チッ、チッ、チッ、チッ、チ」とカウントを取り、ポールが息を吸う部分が(おそらく間違って)収録されちゃいました。通常ヴァージョンも、注意深く聴けば「ポールのブレスの一部」が確認出来ます。つまり、カウント無しでいきなり始まるのは「演出」だったのです。ちゃんとリンゴが(珍しく)カウントして居るのです。其れを隠そうとしたんだけど、好い加減な各国盤ミックスでバレちゃったって噺です。其れだけの違いなんですよ。カウントが在るか無いかだけです。でもね、こーゆー些細な違いを発見した時って、感動するんだよね。そんな気持ちになれたなら、貴方も「立派なビーヲタ」です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-20
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-20

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月12日

FAB4-022:DON'T BOTHER ME

Off the Beatle Track 素顔のジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月12日
 MONO MIX:1963年9月30日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-4)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


此のたった那奈年後に、三枚組ソロ作品で華々しくデビューし、其の作曲能力を満天下に知らしめるジョージ・ハリスンの処女作です。

「だせぇ曲!」

ジョージ・ファンがビートルズ時代の彼のコンピ盤を編集しても「此れは、なかった事にしよう。」とオミットし、知らんぷりして「I NEED YOU」から始めてしまったりする程の駄曲です。はい、あたくしがそうですよっ。アルバム「WITH THE BEATLES」では、コッソリとA面4曲目に目立たない様に紛れ込ませているのも納得の「クズ曲」ですね。が、しかし、「WITH THE BEATLES」のジャケットは余りにも美しかったので米盤「MEET THE BEATLES」と日本盤「ビートルズ!」に流用され、中学生だった頃には全部おんなじに見えました。

そして、在ろう事か米盤ではB面トップ!日本盤でもA面ラストと云う、最高に目立つ位置に何故か配置されちゃったのですよ。大体、何でこんな曲が三枚でダブっているんだ?「WITH THE BEATLES」の曲順を滅茶苦茶にした来日記念盤「ステレオ!これがビートルズ Vol.2」にまで入ってやがるっ!(いや、其れは当たり前。)ジョージが天に召された時に出た海賊盤ベスト三枚組の壱曲目にもいやがったぞっ!!「1」の最初が「LOVE ME DO」で在るペテンよりもムカついたわよ。厭味なのか、ジョージ・マーティンが「off the BEATLE track」でカヴァーまでしているじゃまいかっ!!

もうね、ジョージ本人も「そんな曲を書いた覚えはないさ」と誤魔化していたに決まってますよっ。そんな「へっぽこ曲」なのに、ビートルズは二日(9/11&12)に渡り17テイクも録音したのでした。出来が悪いから時間が掛かったわけよ。だって、自伝「I ME MINE」で本人が認めてますから。「アレは生まれて初めて書いた曲で、ハッキリ云えば駄作。僕は、ジョンとポールが名曲を大量生産して印税でガッポリ儲けてるのが羨ましかったのさ。だから、僕にも出来るのか試してみたんだ。ただそれだけ」ゆえに、未だジョージの秘めたる才能は開花していません。レノン・マッカートニーの粗悪なパチモンみたいな楽曲です。まあ、其の詩作は彼自身の心情を吐露したもので、ジョンに負けず劣らずに斬新でした。でも、曲が酷過ぎたっ!

絶対に、ポールは怒ったね。「ほっといてくれって、こんなクズ曲を持ってきやがって、ほっとけねーだろ!」と苛めたでしょう。でも、其のポールもヘボ曲「HOLD ME TIGHT」を録音し直すわけでして、、、ジョンはよく耐えたよ。(ん?リンゴの立場は。)でもね、こーゆー「スットコドッコイな曲」こそが、在る日突然、頭の中で鳴り出してしまい「アレレ?もしかして、此れが好きなの?」なんて思わせちゃうのがビートルズの恐ろしいトコなんです。そして、あたくしは此の曲が、実は好きなんです。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-21
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-21

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月13日

FAB4-023:LITTLE CHILD

All Strung Out Meet the Smithereens: Tribute to the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11、12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日、12日、10月3日
 MONO MIX:1963年9月30日、10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-5)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ジョージ・ハリスンの恥ずかしい過去で在る「DONT BOTHER ME」に続いて、ジョン・レノンのハモニカが大フューチャーされ、ポール・マッカートニーが初めてピアノを弾いた「LITTLE CHILD」の登場です。ポールは、ジョージ・マーティンに出逢い教えて貰うまで「ピアノが弾けなかった」のです。其れは、ジョンもおんなじです。ジョンもポールも譜面が書けなかったし、ズバリ云ってしまえば、現在でもポールは譜面が書けないし読めません。もっと本当の事を云えば、ビートルズの四人は全員「譜面が書けないし読めなかった」し、其の後も「譜面」で音楽を制作していません。彼らこそが「耳こそはすべて」だったのです。当然乍ら、レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーも「譜面」で音楽していません。おっと、噺がヤバくなりそうなのでヤメときます。

此の楽曲は、ジョンとポールにとっては「新人にあげちゃおうか?」程度の曲だったのかもしれません。天然ポールとは違って、ジョンは既に「プロ意識」がありました。確かに、ステレオタイプな音楽的知識はジョンには皆無と云ってよかったでしょう。何せ、彼は母親のジュリアが得意だった「バンジョー」でコードを覚えたのです。ハッキリ云って、ジョンのギター奏法は滅茶苦茶です。作曲法も、完全なる「我流」です。其の点、元々音楽一家の出で在るポールは「ちゃんとした作曲技法」がありました。屈託がないストレート過ぎるジョンらしいロケンロールに、ポールはお得意のパクリを導入!其の相反する摩訶不思議さが、レノン・マッカートニーの類稀なる魅力です。

そして「DON’T BOTHER ME」同様にこうした「ほとんど忘れ去られる運命にある曲」こそ、レコーディングに手間取っていました。こんなお手軽そうな曲を、彼らは三日間、なな、なんと、「21テイク」も費やしたのです。モノ・ミックスも二回やっています。こんな曲の「ミックス違い」を見つけて、有頂天になったなら、貴方はもう「不治の病」です。あたくしも同じ病に侵されておりますので、お互いに支え合って生きてゆきましょうね。しみじみみあみあ。此の曲ってさ、三分どころか二分も無いのですよ。一分半一寸、たったの「106秒」で終わっちゃうのよさ。でも、此の性急さが「ロック」なのよ。ちなみに、画像の「ニノ&エイプリル」が歌っているのは「同名異曲」でカヴァーではありません。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-22
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-22

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月14日

FAB4-024:TILL THERE WAS YOU

Latin ala Lee!/Ole´ a la Lee ビートルズ事典 改訂・増補新版


 w & m:MEREDITH WILLSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18、30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日、30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-6)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


「WITH THE BEATLES」と云うアルバムは、初期の彼らの魅力を凝縮した傑作です。オリジナル8曲、カヴァー6曲と云うバランスは、デビュー盤と同じですが、ほとんど一発録りでやっつけたデビュー盤と違い、じっくりと時間を掛けて色んな企みを忍ばせておりました。リード・ヴォーカル担当も「ジョン:7、ポール:3、ジョージ:3、リンゴ:1」と、当時のバンド内パワー・バランスに沿ったカタチになっています。デビュー盤はたった一日のやっつけ仕事の上、リーダーで眞のリード歌手で在るジョンが風邪で不調でした。二枚目では、初期のライヴ・バンドとしてのビートルズの本当の姿が提示されたのです。そして、其処には「大ヒット・シングル」は収録されなかったっ!デビュー盤から二枚目の間には「FROM ME TO YOU」「SHE LOVES YOU」が在り、二枚目と同時進行で「I WANT TO HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)」をレコーディングしていたのに、全部アルバム未収録です。すぎょすぎる!

さて、オリジナルが5曲続き、此処でカヴァーの登場です。前出の通り、此のアルバムでポールが歌うのはたったの三曲で、後の展開からは俄に信じられない事態でした。挙げ句に其の中の一曲は、あの天下無敵のクズ曲「HOLD ME TIGHT」ですよっ!(此の件に関しては、三曲後に、こてんぱんに叩き書き致します。)でも、流石はポールです。

他の二曲は素晴らしかった!

ブロードウェイ・ミュージカル「THE MUSIC MAN」からの曲で、ポールが参考にしたのはペギー・リーのヴァージョンです。ソロになってからポールはペギーに曲を書きますから、熱狂的なファンだったのでしょう。ジョンには「なんじゃ此の曲は?」と云われたでしょうけど、ポールは喜々としてライヴでも演奏していました。名演です。間奏のギター・ソロなんか、とてもロケンロール・バンドとは思えません。そして、此の美しいアコースティック・ギター・ソロ(ペギー・リー版の完全コピーですけど)を奏でているのは、紛れも無く、他の誰でも無く、

「我が愛しのジョージ・ハリスン」其のひとなのですっ!!
(↑出ましたっ、イコちゃんの「レコスケ節」)

あのさ、ジョージはギターが下手じゃないんだよ。聴いてよ、此れを。ライヴでもおんなじソロを弾いてたし、後の「AND I LOVE HER」でも名ソロを弾いてるでしょ?ジョージはさ、アコギの名手だったんだよ。次のアルバムから、12弦を使い出したのはジョージだ。ウクレレも上手だったんだよ。シタールだって勉強したし、シンセサイザーを初めて導入したのもジョージなの。エレキだってさ、「SOMETHING」の頃には素晴らしいソロを弾ける様になったじゃん。ジョージは、立派な「ビートルズのリード・ギタリスト」です。鈴木茂だって云ってるぞ。「ジミヘン、クラプトン、ベックとかなら何とか真似出来たけど、ジョージのギターは真似が出来なかった。だから、僕はジョージに憧れたんです」とね。

さて、日本のビートルズ研究の父である「故・香月利一」先生は、此のカヴァー曲を聴いて「おっ、こいつら只のやかましい音を出す連中じゃないんだナ」と感心し、彼らの研究を始めたのだそうです。ポールのスタンダード嗜好が無ければ、日本に於ける彼らの評価は全く違っていたでしょう。現役時代には、ビージーズやモンキーズの方が人気があったみたいなんですよ。ジョンの我流なんて、日本人には理解出来ませんよ。スタンダードじゃなきゃダメだったのよ。だからこそ、ジョンは我を捨てて、ポールと組んだのです。ポールも「何にも音楽知識が無いのに自分勝手に作れちゃう」ジョンに憧れたんです。余談ですが、ウクレレで最初に練習したのが此の曲でした。最初にこんな難曲に挑んだので、ウクレレが弾ける様になりました。其れで、楽器が弾ける片ならすぐに気付く事ですけど、後にポールが書く名曲「I WILL」は此の複雑な楽曲のコード進行を簡略化して作られたモノです。ですから「TILL THERE WAS YOU」が弾けたなら「I WILL」なんて「お茶の子さいさい」で弾けちゃうわけですよ。

しかし、「ペギー・リーをカヴァーするロケンロール・バンド」なんて前代未聞だったと思います。一寸、他の「R&B嗜好」のバンドには真似の出来ないのが此れでした。プロデューサーのマーティンは、当然、此の分野ならお得意だったのです。風変わりな音楽性を持つマーティンですが、矢張り元々は正当派の常識的な音楽家でした。そして、そんなマーティンと組んだポールの、此の「スタンダードとロックを融合した前衛」こそが、ビートルズを後の世で音楽の教科書に載せたんだよ。分るよね、同志:山崎クン?(あらら、いつの間にか「片瀬噺」に持ってくトコだった。)

「レノン・マッカートニー」は、奇跡のコムビです。前作の「A TASTE OF HONEY(蜜の味)」や此の楽曲の様なミュージカル・ナムバーをも、ポールは好んでいました。更に云えば、デッカ・オーディションでポールは「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を、EMIでの最初のレコーディング時には「ベサメ・ムーチョ」まで歌っています。映画「LET IT BE」で「ベサメ・ムーチョ」を喜々としてがなるポールに、最初は付き合っていたジョンが途中で投げ出す場面が在ります。ジョンには、ロケンロールしかなかった。いや、ポールとは違い、ジョンは別に「音楽」じゃなくとも好かった。表現出来れば、何でも好かった。ポールは「音楽家」です。でも、ジョンは「芸術家」だったのです。そんな二人が偶然にもタッグを組んでしまったのです。

「最強」です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-22
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-23

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月15日

FAB4-025:PLEASE MISTER POSTMAN

20th Century Masters - The Millennium Collection: The Best of the Marvelettes Horizon


 w & m:HOLLAND / GARMAN / DOBBINS / BATEMAN / GARRETT

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 A-7)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


A面の最後もカヴァーです。そして、名演です。相棒ポール(未だ力量の差は歴然としていましたが、ジョンは対等だと認めていました)の名唱を、正に叩き潰すかの様な「絶唱」で対抗!容赦の無い、本気度「200 %」の、

「カヴァーの王様:ジョン・レノン」が、ぶちかましますよっ。

オリジナルのマーヴェレッツ盤が1961年に、更にカーペンターズのカヴァー盤が1975年に、全米首位を獲得した名曲です。しかし、本国ではシングル・カットすらされなかったビートルズのヴァージョンが最も有名で名演なのです。日本では、ちゃっかりシングル盤も出ていました。「キャピタル(昔の名前で書いてます)、氏ねっ!」などと云えるのは、英国人だけです。敢えて名は伏せますが、某「東芝音楽工業株式会社」は、おそらく、

「世界壱、ビーレコを発売していますよっ!」

彼らが得意とする「ガールズ・グループ」のカヴァーですが、兎に角、ヴォーカルが素晴らしい!リードのジョンに、コーラスのポール&ジョージ。此の「三人やろこ」の歌唱が、如何なる「三人娘」よりも「色っぽい」のです。エロ杉なのでつ。ぜいはあ、、、特に、ジョンですね。本当に、歌が上手い!正に「歌う為に生まれた」のがジョンでした。彼の歌は、おんなじ旋律を繰り返しません。其の歌詞に合わせて、一番と二番ではフレージングが全く変わるのです。最後の「うえたみに、うえたみに、うおおお」の自由奔放さこそが、ジョンの真骨頂です。完全にオリジナルを凌駕している。此れが「うた」です。

ジョン・レノンは「天才・歌手」でした。

此の連載を書きながら、あたくしはよく「彼らがカヴァーした原曲を編集した音源集」を流しています。其れを聴くと、ビートルズは演奏に於いて「オリジナル版の完全コピー」をやらかしていると云う事実が発覚します。山下達郎兄さんが、かつて(もう四半世紀以上も前)NHK-FMで「ANNA(Go To Him)」「MR. MOONLIGHT」のオリジナル盤を流してくれて、初めて其れを聴けました。感動したよ、タツロー。でも、一緒に居た「鬼の大瀧師匠」は云った。「山下クンは優しいねぇ、僕はこんなの全部三枚ずつ持ってるけど、壱度もラジオで流した事無いよ。勿体無いじゃない?」タツローは、口は悪いけど優しいのです。全部かけちゃうんですよ。手に入れたのが嬉しくて仕方ないんでしょう。でもね、あたくしも「大瀧師匠」の弟子として苦言を呈します。

「兄さん、後輩が自分で探す楽しみを奪っちゃダメよ」

「レア音源」とは、簡単に手に入れられたら「レア」でも何でも無くなっちゃうのよさ。そんな事よりも重要なのは、楽譜なんて無い時代にレコードを聴いただけで、いやおそらくラジオで繰り返し聴いただけで、耳だけで、

「ビートルズは、完コピ出来たのだっ!」

ジョン、ポール、ジョージの三人は、恐るべき耳と技量を持つ「秀才演奏家」だったのです。更には、同じオケを演奏しながらも、彼らが歌うと「ロック」になってしまうのです。勿論、彼等の性急なビート感も大きな要素では在りました。されど、アレンジは「オリジナルに忠実」なのですよ。そして原曲は、あくまでも「ロケンロール」や「ポップス」に過ぎません。いや、だからこそ永遠に美しいスタンダードなんです。時代を超えて聴ける楽曲です。でも、呑気なんですよ。チャック・ベリーなんて鼻唄じゃん。其処がサイコー!なんだけどね。でもでも、同じアレンジで、ジョンが歌い、ポールとジョージがハモルと、其れは、立町田舎村都道府県、全く別の得体の知れない何かになったのです。僕らは、其れをこう呼ぶ。

「ROCK」


彼らが「ロック」を創造したのです。あっ。リンゴの太鼓も好いですよ。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-23
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-24

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月16日

FAB4-026:ROLL OVER BEETHOVEN

Yow Elo 2 Chuck Berry - Roll Over Beethoven


 w & m:CHUCK BERRY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/30)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月30日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-1)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


レノンの「♪うえあみに、うえたみに、おーいぇー!ゆがた、うえ、うえっ!」で「A面の大団円」を迎え、

レコード盤、ひっくり返せば「B面」へ。(大瀧師匠声で)

「WITH THE BEATLES」では、ジョージが三曲も歌っています。此れは、他には「REVOLVER」と二枚組の「THE BEATLES」位しか実現しない事態です。ジョージは多くても三曲、リンゴは一曲ってのがお約束でした。然し乍ら「デッカ・オーディション」でも溌剌としていた様に、初期のジョージはカヴァーが得意でした。ゆえに、B面トップと云う好い位置に、此のチャック・ベリーの名曲カヴァーが収められました。後の「FOR SALE」でも、ジョージのカヴァー曲はB面ラストに収録されます。

アルバムで最も目立つのは、A面トップ&B面ラストです。次がA面ラストとB面トップなのです。「WITH THE BEATLES」に関してだけなら、其の四つのポジションを得たのは「ジョン:3」「ジョージ:1」なのです。リード・ヴォーカル担当もポールと同じ三曲だし、珍しいジョンとのデュエットまで入っていますので、正直、ポールよりも目立っています。てか、「WITH THE BEATLES」は、最もポールが目立たないアルバムです。ジャケでの顔の大きさも、ジョンやジョージに負けていますし、「ビートルズ史上最大のへっぽこ曲」である「HOLD ME TIGHT」をゴリ押しで収録しちゃってます。繰り返しますが、此の愚挙に関しては、次回いよいよ徹底的に叩きまくりますですよっ!ぜいはあ、、、

さて、此のチャック・ベリー作品を最初に歌っていたのは、当然「ジョン・レノン」でした。ジョンは、可愛い弟分のジョージに譲ったのです。其の憧れの兄貴の期待に、ジョージは応えました。「おい、ジョージ。今日から此れはお前が歌え」と云われた時のジョージの心情は、計り知れません。つまり、ジョンに認められたわけですからね。嬉しかったでしょう。たったひとりでギターを弾いていたポールとは違い、ジョージは「クオリーメン」に加入を許される前に、自分で「レブルズ」なるバンドを結成していました。未だ若干13才のギター少年だったジョージは、既に自分のバンドを持っていたのです。そんな早熟な少年が、スクールバスでポールに出逢い、ジョンに辿り着いてしまいます。当時のジョンは、もう完全に出来上がっていました。大人、いや、完璧なる「不良のボス」でした。ジョージは憧れた。そして、どんなに嫌がられても追っかけます。ジョージがジョンのバンドに加入を許されたのは、出逢って半年近く経ってからなのです。

1991年12月に来日したジョージを、あたくしは初日の横浜アリーナと最終日の東京ドームの二回行きました。洋楽の同一公演ツアーを二回観たのは、其の時だけです。其のライヴのアンコールの最後が此の曲でした。つまり、生で観て聴いた最後のジョージは此の曲なのです。当然の事ですが、おんなじ体験をした「多くのレコスケ」が居るでしょう。僕らにとって、大切な忘れられない名カヴァーとなりました。そして、其れを彼が最後に歌ったのは、憧れのジョンに貰った曲だからなのだと思います。チャック・ベリーをカヴァーしたんじゃないんだよ。ジョージは、ジョン・レノンをカヴァーしたのです。

其れは「ベートーベンをぶっ飛ばせ!」と連呼する途中に、こっそりと「ビートルズをぶっ飛ばせ!」なるフレーズを忍ばせている事でも明白でしょう。確かに、ジョンもそう歌っていました。如何にも「レノン」らしい「自己批判精神」で、其れを唯一共有した「ビートル」が「ハリスン」でした。此の「斜に構えた」感じが、其の「暗さ」こそが、「リズム隊で天然のマッカとスター」には無い彼等の魅力でも在りました。ジョージだけは観ていたんです、ジョンの陰を。そして、其の「残忍で底意地の悪い悪魔:ボス・ジョニー」に憧れたのでした。だから、追っかけた。ジョージは、健気です、可愛いです、苦労人です、日本人好みです。

「ジョージ、愛してる」


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-24
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-25

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月17日

FAB4-027:HOLD ME TIGHT

Back to Mono (1958-1969) サムホエア/エニホエア?〜幻の未発表音源集 ベイシーズ・ビートル・バッグ


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(2/11、9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年2月11日(ボツ!)、9月12日(リメイク)
 MONO MIX:1963年9月30日、10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-2)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


ポール・ファンなら1973年に発売された「ポール・マッカートニーとウイングス」のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」のラストを飾る「メドレー」に、同名異曲で在る「HOLD ME TIGHT」って名曲が在る事は知っているよね?

「ポールよ、自分が書いた曲名まで忘れたのかっ」

うんにゃ、ポールは決して忘れちゃいない。只、思い出したく無いだけさ。(アキラ声で)此の曲は、酷い、駄曲だ。なのに、ポールはたった一日しかなかった「PLEASE PLEASE ME」セッションで、在ろう事か此の「世紀のクズ曲」を13テイクも録音したのです。

「莫迦かお前はっ!」
(↑小川に完敗した橋本が「猪木さん!有難う御座居ましたぁーっ!」と絶叫した時に飛んだヤジ声で)

其れどころか、「WITH THE BEATLES」セッションでも更に10テイクも録音し、マーティンもエマリックも困り果て、モノ・ミックスを二回もやってんじゃねーかよっ!こんな「クズ曲」に、正式レコーディングだけでも「23回」も付き合わされた「ジョン、ジョージ&リンゴ」って、一体、、、ずっと後の噺になりますけど、解散間際の「ホワイト・アルバム」セッションや、悪夢の「ゲバ」などでも「天然バカボン:ポール vs 他の三人」って確執が登場します。其の元祖が此れでした。

「最初っから、ポールって、、、おまいって奴はっ。」

だってさ、リメイクですよ。其れなのに此れよ。あのさ、ポールの音程、外れまくってんじゃん。嫌気がさした他の参人も投げちゃってますよ。「ビートルズに駄曲なしっ!」と断言するあたくしでも、此れは一寸、酷いと思うぞ。何故だ?何故、ポールは、空耳で「アホみたい」と聴こえるこんなクズ曲にこだわったのだ?確かに、ポールには名曲とおんなじくらいの数だけの「駄曲」が在ります。つまりだ、アノ「世紀のメロディー・メイカー」様は、

「な〜んも考えてね〜んだよっ!」

ジョンやジョージは、懸命に「推敲」を重ねて「名曲」を残しました。リンゴ?ああ、彼は「曲なんか書けませんです!(断言)」なので論外なのよ。何?リチャード・スターキー名儀の曲も在るって?んなもん、全部「ジョージが書いてあげた」だけじゃん。少なくとも、名作「RINGO(1973年)」までのリンゴ名儀の曲って、本当の作者は「ジョージ・ハリスン」じゃん。例外は「DON'T PASS ME BY」位でしょ?アレはリンゴが書いたと思うよ。しかも、四年も掛けてね。其れでアレだぞ。リンゴには「作曲能力なんか無い!」です。

でさ、ポールってさ、出来ちゃったら「全部、発表しちゃう」のよさ。てかさ、マジで「推敲」なんてしないの。ポールは、一発で曲を書いちゃうの。最初から、全部、出来上がってるのよ。だから、例えば「YESTERDAY」とか「HEY JUDE」とか「LET IT BE」とかの名曲も、此の目も当てられない屑曲「HOLD ME TIGHT」も、作り方はおんなじなのですよ。つまりは「出たとこ勝負」なんです。兎に角、素材を作って、あとはスタジオで何とでもなるって考えてんのよ。ポールの曲って、恐るべき程に「コード進行が単純」なんです。誰でも知ってる展開なの。でも、ポールが作り、編曲し、演奏し、歌うと「魔法」が生まれるのですよ。だからこそ、ポールはテイクを重ねるのです。「きっと、もっとよくなる」って信じているのですからね。でもね、元は一発で出来上がっているのよさ。変えようが無いの。幾らアレンジしたって「名曲」は「名曲」で、「駄曲」は「屑!」なんですよ。

ジョンなんか「一発録りが楽でええや」って人ですから、堪ったもんじゃなかったでしょう。いや、ポールの完璧主義も、数多の名曲を生み出したのです。でも、其れは「元の楽曲が好い」って大前提ありきでしょう。もうね、素直に書けば名曲を書けるのに、無理に「へんちくりん」なコード展開を試みて、当然ながら「大失敗!」って云う「目も当てられない悲惨な土ツボへハマって行く」って「屑曲」の見本みたいな代物ですよっ。

「此の曲は酷い、酷過ぎるんだよ〜んのおじさんだよ〜ん!」

ところが、こんな「へぼ曲」を、フィル・スペクターやトッド・ラングレンやカウント・ベイシーがカヴァーしているのです。何故だ?おいおい、だからさ、書いた本人だって「アレはなかったことにしよう。そうだっ!おんなじタイトルで新曲を出してしまえばええじゃまいかっ!ボクって、やっぱ、天才だよナァ」なんて考えているんだからさぁ。

「頼むから、ポールを勘違いさせないで頂戴!」

こっちの「HOLD ME TIGHT」は、駄曲でつよっ!他人への提供曲でも、ジョンの作品は「勿体無い、自分で歌えよ」と思えるのに、ポールの其れは「当たり外れ」が激しいのです。何にも考えて無いのよさ。いや、考えてる事って云えば、若大将が証言する通りなのよさ。

「ポールは、おねえちゃんのアソコの事しか考えてないのよさっ!」

若大将が「こいつは、いつもこんな事しか考えてないのか?」と呆れ返ったのも頷けるわよ。アノ絵(来日公演時に、若大将と伍人で「スキヤキ」を食べながら描いた『WOMAN』)は何なのよさっ!「便所の落書きか?」ポールは「単なる助平な莫迦」です。完全なる「天然」です。此の歌も「今夜、僕とやろうぜ!」と連呼しているだけです。そんな下らない駄曲を正式レコーディングで「23回」もやらかして、すっかり忘れたふりをしちゃうんですから、トンデモないですよ。てか、マジで忘れちゃったのかもしれません。正に「やり逃げ」です。


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-25
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-25

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月18日

FAB4-028:YOU REALLY GOT A HOLD ON ME

The 35th Anniversary Collection シング・スモーキー(紙ジャケット仕様) 33 1/3


 w & m:SMOKEY ROBINSON

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-3)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの、ほぼリアル・タイムでのカヴァー曲です。ビートルズは、ガールズ・グループと共にこうしたR&Bチャートの動向にも注目し、いち早く最新ヒットをレパートリーに加えていました。古い黒人ブルースのカヴァーを演奏するバンドが多い中で、彼らの「先取り精神」は際立っていた事でしょう。「WITH THE BEATLES」では、タムラ・モータウンのヒット曲を三曲もカヴァーしていますが、時は1963年、英国でようやくモータウンのレコードが流通し始めたばかりでした。其れを、すぐに自分たちのレパートリーに加えてしまったのだ。三曲とも、リード・ヴォーカルは「カヴァーの天才:ジョン・レノン」です。歌が上手い!ミラクルズを速攻コピーして、自分の歌に変貌させちゃうんですよ。何なんだ、ジョン・レノン。正に、底知れぬ才気です。

当然、当時はすべて耳だけでコピーしていたわけです。「凄いナァ、やっぱり。」(小鉄声で) ポールの影が薄い「WITH THE BEATLES」ですが、演奏面での貢献を忘れてはいけませんね。コピー能力の高さや確かなアンサンブルを支えたのは、「天才マルチ・プレイヤー:ポール・マッカートニー」其のひとでしょう。(だから、リンゴの立場は、、、)其れで、此の楽曲は、おそらく唯一の「ジョン&ジョージ」によるデュエットです。「憧れのジョン」と二人っきりでハモる機会を得た「追っかけジョージ」の気持ちは、天にも昇る様だったでしょう。ポールが連れて来た「ギター少年:ジョージ」と初めて逢った時、ジョンは17才、ジョージは14才でした。10代での此の年齢差は「決定的」です。ジョンにとって、ジョージは「只のガキ」にすぎなかった。スクールバス仲間のポールが「君よりも、こいつはコードを知ってるぜ」と推薦しなかったら、ジョージはバンドに入れてもらえなかったでしょう。ジョンは17才にして、既に「圧倒的なスター」でした。ジョージは、追いかけます。どんなに邪魔者扱いされても、ジョンについて行ったのです。そんなジョージの健気さに、いつしかジョンも「可愛い弟」の様に思う事となるのでした。此処でも、ジョンの歌の上手さが際立っています。スモーキーを敬愛するジョージですが、完全に負けています。相手にならない。永遠に超えられない残酷すぎる「壁」が在ります。

「ラベルが違い過ぎるっ!」(「俺はムラタだ、此れはタムラだ」声で)

でも、たった一曲でもジョンと歌えたのだから、ジョージは満足だったでしょう。後に自伝で、ジョージはジョンの事をほとんど書かなかった。ジョンは、怒りました。当然です。ジョンは、ジョージを可愛がっていました。解散間際にジョージ作品が優遇されたのも、リーダー、いやさ「ボス:ジョニー」の提案が在ったからこそです。でも、だからこそ、ジョージはジョンの事を書けなかったのです。其れ程に、ジョージはジョンに憧れていました。其れは「過ぎ去りし日々」と云う曲を聴くだけでも解ります。数多在る「ジョン・レノン追悼歌」の中で、其れを「ちゃんとしたヒット曲」に昇華しえたのは「弟:ジョージ」だけでした。ジョージはジョンを愛し続けました。初めて逢った時から、ずっとずっと、追いかけた。そして、ジョンもジョージを深く愛していました。そうでなければ、ジョージの自伝に自分の事があまり書かれていない事に激怒したりはしません。

映画「LET IT BE」で、1969年の彼らが再び此の曲を演奏する場面を観る事が出来ます。ビリー・プレストンを加えた即興ながら骨太な演奏に乗せて、余裕たっぷりに歌うジョンに対し、ジョージは在ろう事か歌詞を忘れ、「ボキもう何が何だかわかりましぇ〜ん!」状態でカラダを揺らすだけになっちゃうのでした。そもそも、何故かミラクルズのオリジナル・キーで演奏しちゃっているので、ジョンもジョージも高くて声が出ないのだよ。でも、ジョンはテキトーに誤魔化しつつ「おまい、何やってんだよ?」とニヤニヤしながら睨みつけ、知らんぷりして演奏を止めないバンマス・ポール。鬼のレノマカの言いなり状態のリンゴとビリー。屈辱感に耐えるジョージ、、、ジョージは思ったでしょう。「タイトアップだ。雁字搦めだよ。僕はジョンとポールの下僕か?此のバンドにいる限り、僕は生涯、浮かばれないのだ!」と。でも、其れは、まだ先のお話です。


(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-26
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-26

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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2009年04月19日

FAB4-029:I WANNA BE YOUR MAN

Singles 1963-1965 Live at the Greek Theatre 2008


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(9/11、9/12)、ジェフ・エマリック(9/30、10/29)
 録音:1963年9月11日、12日、30日、10月3日
 MONO MIX:1963年10月23日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-4)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


えっと、、、「なんでこんな曲に手間掛けてんだよっ!」

云わずと知れた、天下無敵のロケンロール帝王に現在でも君臨する化け物「the rolling stones(此処では森高声で「ストンズ」と云います)」の為に、ジョンとポールが彼らの目の前であっと云う間に書き、プレゼントした曲のセルフ・カヴァーです。ビートルズとストンズは「同じ穴の狢」でした。少しだけ先にデビューしたジョンとポール、所謂ひとつの「レノン・マッカートニー」は、ストンズの中核をブライアン・ジョーンズからミック&キースに移行させる手助けをします。其れは、ジョンとポールの計算づくの悪巧みでした。彼らはさも一瞬にして曲を書いた様にみせ其れをプレゼントし、こう予言します。「ほら、曲なんか簡単に自分で作れるんだよ。此れをシングルにしたら、絶対に売れるよ。ま、友達だからあげちゃうよ。でもさ、お前らも自分で書けば儲かるぜ!」と。ジョンとポールの予言通り、ストンズが二枚目のシングルとして発売した此の曲は彼らにとって最初の「トップ10」ヒットになりました。「してやったりっ!レノン・マッカートニー」

いくら天才コムビの彼らでも「偶然にアンドリュー・オールダムに交差点で逢って、ノコノコとスタジオに行き、一瞬にして曲を書く」なんて無理でしょう。曲名にもなったフレーズは、ポールが以前から持っていたアイディアで、ジョンも知っていました。自分達でいつか完成させるつもりの膨大な未完成作品の引出しから、ストンズ用に「未完成状態の侭」で投げ出しただけです。てゆーか、ストンズのマネジャーで在った「アンドリュー・オールダム」ってさ、「ブライアン・エプスタイン」の弟子なのよさ。決まっていた事だったのです。ジョンとポールは「仕事をした」だけなんですよ。しかも、自分たちでやるには「些かお粗末な素材」を、恩着せがましく提供して優位に立っちゃったのよさ。

「鬼か?レノマカ。」

だから、其れをヒットさせたのは、ストンズの実力なんです。でも、鬼の「レノマカ(まんどくさいから、略称にしてますです)」は、何枚も上手でした。在ろう事か、ストンズで売れた此の曲をだ、、、「リンゴに歌わせたんだよーっ!!」完全に、ストンズを小馬鹿にした暴挙です。「こんなクズ曲は、ウチで最低の唄い手で充分なんだよ。ケケケ」ってなもんや、です。♪やりてー、やりてー、やりてーんだよ〜ん♪と、朴訥に太鼓を叩きつつ絶叫するだけの鼻がデカイひと「リンゴ」に、乙女は濡れました。在ろう事か「在る事情で歌詞が覚えられないリンゴ」は、ライヴでは、「一番の歌詞しか歌わないんだよ〜ん!」ミックが一生懸命にテクニックを駆使しても、莫迦リンゴの天然と変わんなかったわけよ。

データを見て頂ければお分かりの様に、ビートルズは、こーゆー「ヘボ曲」にこそ時間とお金を費やしていたのです。こんなもんに、三日間、21テイクも掛けてしまうわけで、こりゃ誰も叶わんよ。ステージではポールの紹介で曲名まで「リンゴ!」って云われていた単純明快なロケンロールです。「儲かるからさ、おまいらも自作しろよ」と唆し、ポイと目の前で曲を書かれた「ミック&キース」は、覚醒します。「兄貴たちが出来るんだから、俺達もやったるでっ!」と、若い二人は「自作自演」に走るのでした。そしたら、ええ曲が書けちゃったのよさ。キースは「サティスファクション」のリフを思い付いたのが外国だったから、英国までの飛行機の中でずっと忘れない様に頭の中でアノ有名過ぎるリフを刻んでいたのです。端から見れば、完全なる「危ない兄ちゃん」です。其の時、キースは「ロケンロールの魔法」を発見しちゃったわけよ。でも、唆したのは「レノマカ」なのです。ジョン・レノンは「ミックとキースは、俺とポールのマネばっかしてる」と云いましたが、そもそも「レノマカ」が「マネしろよ」と命じたのです。そもそも、デビュー前のストンズをライヴで観て推したのは、他ならぬビートルズなのだ。それじゃ、もうストンズは、ずっと頭が上がりませんよ。

「非道だぜっ!レノマカよっ。」


(小島藺子)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-27
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-27

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



posted by 栗 at 00:09| FAB4 | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

FAB4-030:DEVIL IN HER HEART

Kiss N Tell: 30 Works of Heart Baby It's You / I'll Follow Sun / Devil in Her ’69~’70


 w & m:RICHARD DRAPKIN

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:リチャード・ランガム(7/18)、ジェフ・エマリック(8/21、10/29)
 録音:1963年7月18日
 MONO MIX:1963年8月21日、STEREO MIX:1963年10月29日

 1963年11月22日 アルバム発売(「WITH THE BEATLES」 B-5)
 パーロフォン PMC 1206(モノ)、PCS 3045(ステレオ)


追っかけジョージによる「WITH THE BEATLES」三曲目のリード・ヴォーカル・ナムバーは、ビートルズの底知れぬ「マニアック」振りを示すカヴァーです。オリジナルは、全く無名の黒人ガールズ・グループ「ザ・ドネイズ」の1962年の不発シングル(トップ40に入っていません)「BAD BOYS」の、更にマイナーな B面曲!「DEVIL IN HIS HEART」であります。かつて、全曲カヴァーをやった時にも彼ら以外でこんなマイナーな曲を演奏したバンドを見つける事は出来なかったし、オリジナルの「ザ・ドネイズ」盤ですら入手するのは困難を究めました。

其れにしては、とても好い曲です。カヴァーの帝王:ジョン・レノンに憧れたジョージもカヴァーが大好きで得意でした。後年、奇跡の大復活を遂げた「GOT MY MIND SET ON YOU(1987、全米1位)」もカヴァーでしたし、多くのソロ・アルバムでもカヴァー曲を披露しています。ジョージもジョンに負けず劣らずの「ポップス研究家」だったのです。だってさ、こんなマイナー・ヒットの、しかも「B面」曲をカヴァーしようって云い出したのは、他ならぬ、

「ジョージ・ハリソン(昔の呼び名)」なのだよっ!

ジョージこそが、ガールズ・グループの「眞なる研究家」だったのです。だからこそ、後に「盗作疑惑」が派生するのですよ。彼には、ライフワークとして「ガールズ・グループ」をプロデュースするって「夢」が在りました。其れが「ロニー・スペクターとの仕事」や「マドンナ様主演映画の製作」や「シリータとデュエットでの映画主題歌」や「ベリンダ・カーライルのヒット曲でスライド・ギターを弾いたのは、やっぱり君か?事件(「弟:デレク」発言)」等のカタチで遺されました。でも、ジョージは本気で「ロネッツ」みたいな事をやらかす気だったのです。きっと、やっていたのでしょう。発掘を、切に望みます。

ジョージが歌うカヴァー曲は、ひとことで云えば「可愛い」のです。「胸キュン!(死語)」なのです。此の曲でも、ジョンとポールが「アノコはワルだぜ、やめときな」と掛け合いでコーラスしまくるのに対して「ちがう!そんなんじゃない(中村まーくん声で)」と健気に対抗するのが好いんだよね〜。そー云えば、中村雅俊さんってジョージに逢った事があるんだよね。昔「月刊明星」で見ました。まーくんの感想「ジョージに髭がなくって吃驚した!」(「33 1/3」の頃に英国まで逢いに行ったと記憶して居ります。)「僕たちの好きだった革命」の歴史は、長いのだ。あっ。うっかり、片瀬噺に持ってこうとしてる、、、何はともあれ、

「ジョージ、愛してる☆」


「レコスケは、同志です」:(小島藺子/姫川未亜)


初出:「COPY CONTROL AGAIN」2008-6-29
REMIX-1:「COPY CONTROL」2008-9-28

(and this is REMIX-2 by 小島藺子)



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