アルバム「TELEPATHY」とそのイベントまでは「ほぼ完璧に進行していた」片瀬那奈プロジェクトが、何らかの事情によって「次なる展開に迷いがある」ことを露呈してしまった「発売中止事件」は、どんなに隠蔽しようとも、隠し切れない歴史的事実です。しかしながら、結果的に発売された「Necessary / EVERY***(2003)」と、立ち直り再び始動したライヴでの片瀬那奈は、いよいよ歌手街道を邁進する気まんまんであり、事実、歌手時代の片瀬那奈は休む間もなく「ファン」の前に立ちつづけました。
念願のソロ・ライヴ(2003年11月1日、日本工業大学での「NANA KATASE LIVE2003」)も達成した片瀬那奈は、次なる構想を着々と練っていました。それは、まず年末の「Supa☆Star」(12/22 @六本木ベルファーレ)で、唐突に発覚します。ベルファーレの各テーブルには「WEEKEND FEVER 777」のフライヤーが、無造作に置いて在りました。曰く「片瀬那奈と新たなパーティースタイルが全国を駆け巡る」、どうやら「冠イベント」を最低でも月一で開催するとの告知の様でした。当然、集まった那奈ヲタのボルテージは最高潮になり、あたくしなんか片瀬那奈ちゃんからのプレゼントを最初にゲットするわ、出待ちを始めるわ、エライこっちゃエライこっちゃ、になったもんです。
翌2004年初頭、片瀬那奈の新たなリリース情報が明らかになりました。それは、わずか一ヶ月半の期間に「シングル二枚とミニアルバム一枚」を発売すると言うものでした。但し、それはすべて「1980年代のアイドル歌謡のカヴァー」であるとも発表されたのです。「こーなったら、冠イベントで、ライヴと何か(念願の「DJ」だった)を、マンスリーでガンガンやってやるっ!」と「80年代アイドル・カヴァー路線での新譜リリース・ラッシュ」って「ふたつの情報」に、何かチグハグな印象を受けました。
片瀬那奈のそれまでの歌手活動は、確かに「トップ10」入りのヒットこそなかったもののシングル4枚とアルバム1枚は、すべて「トップ20」入りしたのです。これは充分に誇れる成績だと思うのですが、制作サイドは(セールス的に)もっと上を目指していたのでしょう。その結果、オリジナル路線ではなくカヴァーと言う選択だったのではないでしょうか。こうなると、前作のゴタゴタは、おそらく今後の方向性を模索しての結果だったと思えても来るのです。
しかし、当初の路線を推進する「777」と言うイベントと、カヴァー企画はある意味「相反するもの」でもあるわけです。果たして、片瀬那奈はどうするのか?(以下、やっと「第1章:最終回」へ、つづく)
初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)