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2006年08月11日

「夢みる歌謡曲」第3章の2:
おニャン子クラブ「西暦1985年」

工藤静香 ベスト


1981年の「白いパラソル」から、松田聖子プロジェクトのお抱え作詞家として君臨した松本隆は、1984年11月のシングル「ハートのイアリング」(作曲:Holland Rose こと佐野元春)を最後に、別の世界へと進みました。翌1985年1月発売の聖子の次作シングル「天使のウィンク」は尾崎亜美の作詞作曲による曲となります。その1985年度のレコード大賞を獲得するのは、中森明菜の「ミ・アモーレ」ですが、ま、それを語るのはもう少し後のことにしましょう。

「おニャン子クラブ」のデビューもこの年なのですが、その仕掛人であった「秋元康」は突然現れたわけではありません。作詞家以前には放送作家であったことも今では知られています。(ちなみに彼の放送作家としての師匠「奥山コーシン」は、青島幸男の弟子です。つまり、彼は青島の孫弟子なのです。)そして、おニャン子たちも「夕ニャン」で突然現れたわけではありません。当時「オールナイト・フジ」と言う女子大生をメインにした深夜番組が人気だったのですが、その「女子高校生版」なるものがプロトタイプとして制作されたのです。その時に「素人だけどハンパはしない」司会を担当したのが「国生さゆり」であり、当然ながら初期メムバーも素人女子高校生として出演したのでした。

このプロジェクトは、結局、その「制作段階からを詳らかにする」と言う点が「斬新だった」のだと思います。そして作品の質も、決してお粗末な代物ではなかった。この時代を経験した多感な少年少女が、その後おんなじ夢をみたいと思っても仕方がないくらいの幻想が「1985年」には、確かにありました。

1990年代末期に登場した「モーニング娘。」を中心とする「ハロー・プロジェクト」の表向きの顔であるプロデューサーの「つんく♂」が、そのモデルとして「おニャン子」を考えたなんてぇーのは、当たり前すぎる噺です。但し、たったの二年で散った「おニャン子」に対して、曲りなりにも十年近く存続している「モー娘。」では、もはや色んな意味で比較の対象にはなりません。もともと新たなるモノであった「おニャン子」と、多くの先達の上に存在するその後の「乙女塾」とか「桜っ子クラブ」とか「美少女H」とか、諸々のモンちゅーのは、志が違うのです。ま、嫌いじゃなかったし、寧ろ積極的に好意をもたざるえないのだけどネ。

さてさて、この年初頭に、何故か「卒業」と言う同名異曲がほとんど同時にヒットしています。それは、「カリスマ」尾崎豊(自作)、「あなたはマイナーだから」斉藤由貴(作詞:松本隆)、「ラ・ムー」菊池桃子(作詞:秋元康)によるものでした。この符号に「何かを感ぜずにはおれない」片は、是非、今後とも「夢みる歌謡曲」を、何卒よろしくお願い致します。

(第3章、STOP,)

「ん?短いって?おいおい、この章はハナからネタだぞ。まあまあ、あわてないあわてない、全構想は出来上がっておりますので、のんびりやらせてくださいナ☆」


「夢みる歌謡曲」第3章:おニャン子クラブ(2006-8-10〜11)

 取材・文:未亜
 語りまくり:イコ

(文中、敬称略)


☆予告☆
次章は、「小美人と三人娘」(仮)と言うタイトルで、じっくりイコーと、予定して居ります。お楽しみにネ(はーと


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 02:10| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする