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2006年09月26日

「夢みる歌謡曲」第4章の3:
小美人と三人娘「恋のあやつり人形」

GOLDEN☆BEST/キャンディーズ


なかなか本題に入らない様で「サブタイトルで何かを語っていたりする」のが、分り易いイコちゃん流です。「二人組」と「三人組」は、洋の東西を問わず、アイドル・ユニットの基本型と言えるでしょう。例えば、日本での芸能プロダクション・システムを確立した「渡辺プロダクション(ナベプロ)」にも、その初期から「ザ・ピーナッツ」と「ナベプロ三人娘」が在籍していました。後のキャンディーズもナベプロです。

元々キャンディーズは、スクールメイツから抜擢された三人によるユニットでした。(同期にはアン・ルイスや太田裕美がいますが、間違って彼女らがキャンディーズになっていたら、それはそれで面白い展開だったかもしれません。)ドリフターズの人気番組にマスコット的な存在で登場した彼女たちは、当初それほど人気があったわけではありません。というよりも、さっぱり売れてなかったです。人気が出たのは、センターがスーちゃんからランちゃんに変更された「年下の男の子」からでした。

三人娘での人気者の登場に、対抗したのは「ふたり組」の「ピンクレディー」です。「スター誕生」出身のこのモンスター・チームは、社会現象とも言える大ブームを巻き起こしました。後の「おニャン子クラブ」では、贅沢にも組織内に「うしろゆびさされ組」「うしろ髪ひかれ隊」とふたりも三人も内包したうえ、「ニャンギラス」といった四人組までもヒットさせます。もう「なんでもあり」でした。それは、その後の多団体アイドルの雛形となり現在にまで至るのです。個人的には、おニャン子のメムバーがソロで歌う際に、サブでふたりがバックコーラスにつくカタチが「きゅんっ!」と来ましたね。ま、そのスタイルこそが「キャンディーズ」なのですが。

さてさて、キャンディーズがそうであった様に、デビューしてすぐには人気が出なかったアイドルもいます。そして1980年代で、その代表格と言えば「浅香唯」でしょう。彼女はその芸名が示す通り「ザ・スカウト・オーディション'84」で「浅香唯・賞」を受賞し、1985年6月に鳴り物入りで華々しく「夏少女」と言う曲でデビューします。が。「白豚ガエルと言われ、鳴かず飛ばず(トットちゃん・談)」の状況がつづきました。このデビュー曲はオリコン・チャートの100位以内にすらランクインせず、つづく「ふたりの Moon River」「ヤッパシ・・・H!」(怪作!!)「コンプレックス BANZAI!!」(やけくそか?)と圏外を彷徨い「10月のクリスマス」(もう滅茶苦茶)も88位止まりと、5作つづけて撃沈しました。

しかし、ここで奇跡が起こります。三代目スケバン刑事の襲名が決まったのです。「STAR」9位、「瞳にストーム」4位と狂い咲きし、8作目の「虹の Dreamer」でついにオリコン・チャート首位を獲得しました。デビューから、すでに二年以上経っての快挙であり、「デビュー曲がランクインせずに後に首位にまで登り詰めた唯一のアイドル」と言われています。

勢いは止まらず「風間三姉妹(大西結花、中村由真とのユニット)」名儀の「Remember」も首位をゲット!自身の9作目「Belive Again」も2位と、乗りまくった時期に記念すべき10作目のシングルとして(1988年カネボウ夏イメージソング)「C-Girl」が発売されました。その後も「セシル」など好調でしたし映画「YAWARA!」の主演もつとめますが、彼女のピークは「C-Girl」でしょう。個人的には末期の「恋のロックンロールサーカス」という、神をも恐れぬタイトルにもシビレました。

浅香唯は確かに「いちオクターブも出ない」音域しかない大根足のちっちゃなアイドルでした。でも、後に本人がセルフカヴァーした「C-Girl」には、例え技巧が上回っていても大切な「輝き」が消えていたのです。あたくしは(もうお分かりでしょうけど)「C-Girl」の亜紀ちゃんが大好きでした。だからこそ、片瀬那奈によって蘇った楽曲の輝きが本当に嬉しかったのです。(つづく)


初出「COPY CONTROL」 (小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 03:59| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする