小泉今日子のデビュー曲「私の16才」と、弐枚目の「素敵なラブリーボーイ」は、カヴァー曲でした。林寛子のスマッシュ・ヒットだった「素敵なラブリーボーイ」は兎も角、デビュー曲が森まどかの「ねぇ・ねぇ・ねぇ」を改変したカヴァーだったってのがすぎょい。何だか「まわりはキョンキョンに期待していなかったんじゃないの?」と思える処遇です。彼女が頭角を現すのは5枚目の「真っ赤な女の子」とつづく「半分少女」の筒美作品あたりからで、那奈麻衣目の「艶姿ナミダ娘」の頃にはすっかりトップ・アイドルに成長していました。
1982年デビュー組は当たり年で、なんと中森明菜も小泉今日子もレコード大賞新人賞に選ばれていません。彼女たちの素行に問題が在ったなどと云う噂も聞きましたが、其の後の展開を見るまでもなく、デビュー時点でふたりは秀でていましたから、全くもってナンセンスな選考だったと思います。
キョンキョンは、同世代の女の子の半歩先を提示することで生きながらえ、現在ですら其れは有効な様です。例えば「GOOD MORNING−CALL(1988)」と云う楽曲が在ります。此れは未だ「コムロの世界」になる前にコムロに曲を書かせ、彼女が作詞した曲ですが、発注の時に当時流行って居たTMNの曲を参考資料として出し「此れと似た様な曲を書いて頂戴。無理なら、おんなじでもいいのよ」と云ったそうです。其の後も大瀧さん、近田さん、小林武史、陽水&民生などなどを顎で使いブレイク直前に起用する勘のよさを見せ付けます。
てかさ、「あなたに会えてよかった(1991年)」では、レコード大賞作詞賞を穫りやがったのですよ。いくらレコ大の権威なんか落ちたって云っても、アイドル歌手が作詞で賞を取るなんて前代未聞です。阿久悠や松本隆や秋元康とかの立場はどーなるのよ?其れで、職業作詞家とか職業作曲家とかが居心地悪くなって行ったのです。キョンキョン、恐るべしっ!
小泉今日子は、松田聖子や中森明菜とは違った処で大いなる存在でした。1980年代の「ジャパニーズ・グラフィティ」を撮るなら、BGMは聖子ちゃんしか有り得ないでしょう。一寸ダークな其れなら、明菜が似合うでしょう。K2は其のどちらでも在りません。
「木枯しに抱かれて」は、アルフィーの高見沢俊彦による楽曲で、彼女の記念すべき20枚目のシングル曲でした。オリコンでは3位止まりで、次作の「水のルージュ」は首位です。されど「水のルージュ」を記憶している片はどれだけいるのでしょう?常に首位だった聖子ちゃんや明菜とは違い、キョンキョンの首位の曲は何故か印象が薄いのです。寧ろトップ5に入って首位に届かなかった曲の方が心に残っているのです。
そんな中から、片瀬那奈は「木枯しに抱かれて」を選びました。「なんてったってアイドル」を歌う片瀬クンも観てみたかった気はしますが、首位曲で固めたカヴァー・ミニアルバムで敢えて此れを選び最後に収録したのは片瀬那奈の頑固さゆえでしょう。スタッフの意見も当然在って、片瀬クンが聴いたことも無い曲もカヴァーされていますが、「淋しい熱帯魚」と「木枯しに抱かれて」の二曲は間違いなく片瀬那奈の意志で選曲されたと思います。当時五才だった片瀬クンが、いたいけにTVに合わせてうたう姿が目に浮かぶのは、あたくしだけではないでしょう。
(つづく)
初出「COPY CONTROL」 (小島藺子)