
1977年4月にリリースした25作目のアルバム「LOVE YOU」が、全米53位・全英28位と内容の素晴らしさに反して良い成績を残せなかったビーチ・ボーイズですが、ブライアン・ウィルソン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、アル・ジャーディン、の結成当時のメンバーに戻ってはいました。アルバム「LOVE YOU」は、元々はブライアン・ウィルソンのソロ・アルバム「BRIAN LOVE YOU」から発展してもので、共作を含めた全曲をブライアン・ウィルソンが書いていて、アレンジも演奏も全てブライアン・ウィルソンが行い、プロデュースもブライアン・ウィルソンが手掛けていたのですが、アルバムは低迷して、シングル・カットした「HONKIN' DOWN THE HIGHWAY / SOLAR SYSTEM」はチャート入りすらしていません。それでは、ワーナー/リプリーズは最早ビーチ・ボーイズと契約している意味がなくなってしまいました。レコード会社が期待したのはブライアン・ウィルソンの復活でしたが、いざ復活したのにアルバムが売れないのではお先真っ暗なのです。同1977年5月には元メンバーであったブルース・ジョンストンがソロ・アルバム「GOING PUBLIC」をリリースして高評価を得ていて、同年8月にはデニス・ウィルソンがソロ・アルバム「PACIFIC OCEAN BLUE」をリリースして一部では絶賛されてもいて、バンド内の人間関係は最悪だったそうです。そんな中で、ビーチ・ボーイズはレコーディングを続けていて、アルバム「ADULT/CHILD」と、アルバム「MERRY CHRISTMAS FROM THE BEACH BOYS」を制作しますが、どちらも未発表となっています。1978年8月28日には、新たなアルバムからの先行シングルとして「PEGGY SUE / HEY, LITTLE TOMBOY」をリリースしますが、全米59位・全英46位と振るわず、先行きが危ぶまれました。当時のビーチ・ボーイズは、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンが、マイク・ラヴとアル・ジャーディンと対立していて、バンドの解散危機となった事で、ブライアン・ウィルソンは再びドラッグ、アルコール、煙草、過食に溺れて、新作アルバムはアル・ジャーディンとマイク・ラヴとブライアン・ウィルソンの3人がほとんどを制作する事となりました。ビーチ・ボーイズとしても移籍を考えていたので、ワーナー/リプリーズとのもう1作の契約を守る為に捻り出したわけです。
そして、1978年9月25日にビーチ・ボーイズの通算26作目のアルバム「M.I.U. ALBUM」が、ブラザー/リプリーズからリリースされたのです。結果から云えば、このアルバム「M.I.U. ALBUM」は、全米151位と商業的には大失敗作となり、内容もビーチ・ボーイズ史上最低最悪とされてしまいました。プロデュースはアル・ジャーディンと、ツアー・メンバーだったロン・アルトバックで、前述の通りブライアン・ウィルソンとアル・ジャーディンとマイク・ラヴの3人しか参加していない楽曲がほとんどで、ブライアン・ウィルソンも再びパッパラパー状態の混乱の中で制作されています。ブライアン・ウィルソンは、一応「エグゼクティブ・プロデューサー」となっています。タイトルの「M.I.U. ALBUM」とは、マイク・ラヴの提案で「マハリシ国際大学(M.I.U.)」でレコーディングされた音源が多いから付けられたものですが、中には未発表アルバム「ADULT/CHILD」や、同じく未発表アルバム「MERRY CHRISTMAS FROM THE BEACH BOYS」用にレコーディングしたバッキング・トラックを流用した楽曲も含まれています。内容は、A面が、1「SHE'S GOT RHYTHM」、2「COME GO WITH ME」、3「HEY, LITTLE TOMBOY」、4「KONA COAST」、5「PEGGY SUE」、6「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」で、B面が、1「SWEET SUNDAY」、2「BELLES OF PARIS」、3「PITTER PATTER」、4「MY DIANE」、5「MATCH POINT OF OUR LOVE」、6「WIND OF CHANGE」の、全12曲入りです。作者は、ブライアン・ウィルソンが2曲(「HEY, LITTLE TOMBOY」、「MY DIANE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの共作が3曲(「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」、「SWEET SUNDAY」、「MATCH POINT OF OUR LOVE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとロン・アルトバックの共作が2曲(「SHE'S GOT RHYTHM」、「BELLES OF PARIS」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとアル・ジャーディンの共作が1曲(「PITTER PATTER」)、マイク・ラヴとアル・ジャーディンの共作が1曲(「KONA COAST」)、ロン・アルトバックとエド・トゥレジャの共作が1曲(「WIND OF CHANGE」)、カバーが2曲(「COME GO WITH ME」、「PEGGY SUE」)です。
リード・ヴォーカルは、ブライアン・ウィルソンが1曲(「MATCH POINT OF OUR LOVE」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴが2曲(「SHE'S GOT RHYTHM」、「WONTCHA COME OUT TONIGHT?」)、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴとカール・ウィルソンが1曲(「HEY, LITTLE TOMBOY」)、カール・ウィルソンが1曲(「SWEET SUNDAY」)、デニス・ウィルソンが1曲(「MY DIANE」)、アル・ジャーディンとマイク・ラヴが4曲(「COME GO WITH ME」、「KONA COAST」、「PITTER PATTER」、「WIND OF CHANGE」)、アル・ジャーディンが1曲(「PEGGY SUE」)、マイク・ラヴが1曲(「BELLES OF PARIS」)、となっております。作者やリード・ヴォーカルでも分かる通り、このアルバム「M.I.U. ALBUM」には、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンがほとんど参加しておらず、ブライアン・ウィルソンも絶不調状態に逆戻りしてしまったので、アル・ジャーディンとマイク・ラヴが前面に出ています。だからダメダメ盤なのかと云えばそうとも云えず、デル・ヴァイキングスのカバー曲である「COME GO WITH ME」は、1981年11月2日にベスト・アルバム「TEN YEARS OF HARMONY」からのシングル・カット(B面は「DON'T GO NEAR THE WATER」)としてリリースされて、全米18位・全英11位とヒットしています。とは云え、肝心なウィルソン3兄弟の内で、デニス・ウィルソンとカール・ウィルソンはほとんど参加しておらず、ブライアン・ウィルソンも半病人状態では、バンドとしてのビーチ・ボーイズは成り立ちません。挙句に、ブライアン・ウィルソン作でデニス・ウィルソンが歌っている「MY DIANE」は、元・ハニーズで元・アメリカン・スプリングでブライアン・ウィルソンの妻だったマリリン・ウィルソンと姉妹であるダイアン・ローヴェルとブライアン・ウィルソンの不倫関係を曲にしているのです。このアルバム「M.I.U. ALBUM」がリリースされた時に、ブライアン・ウィルソンとマリリン・ウィルソンは離婚していますが、そりゃあ、そうなりますわなあ。アルバム「M.I.U. ALBUM」は、単体と、次作アルバム「L.A.(LIGHT ALBUM)」との「2 in 1」でCD化されています。
(小島イコ)
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