nana.812.png

2025年11月05日

「ポールの道」#902「THE BEATLES BLACK VOX」
#211「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」

pepperland.jpg


ビートルズは、1966年8月29日のキャンドル・スティック・パーク公演を最後に、ライヴ活動を止めました。それは、1966年8月5日に英国パーロフォンからリリースした英国オリジナルでは7作目のアルバム「REVOLVER」を聴けば分かる様に、ビートルズは既にライヴでは再現不可能な音楽へと足を踏み出していたからでもあります。何でも云う事を聞く年下のエンジニアとして、ジェフ・エメリックが新たにレコーディングの現場に参加したのも大きいでしょう。それまでは、後にピンク・フロイドをプロデュースするノーマン・スミスがエンジニアだったのですけれど、ノーマン・スミスは前年である1965年12月3日にリリースされたビートルズの6作目のオリジナル・アルバム「RUBBER SOUL」を最後に、エンジニアからプロデューサーへ出世して、ビートルズのレコーディング現場から離れてしまいました。そこで、新たにビートルズのエンジニアとなったのが、当時若干19歳だったジェフ・エメリックなのです。何でそんな若造が天下御免のビートルズを担当する事になったのかと云うとですね、ビートルズのレコーディング・セッションではビートルズが無理難題を押し付けてくるので、他に誰もやりたがらず、若造のジェフ・エメリックが消去法で無理矢理にエンジニアにさせられたと云われています。それでビートルズ(特にジョン・レノン)は、自分の喉に穴を開けてアンプに直接通してくれ、とか、天井から逆さまに吊るして回しながら歌わせてくれ、とか、無茶苦茶な事を云い出したわけですなあ。プロデューサーのサー・ジョージ・マーティンに云わせるとですね、ポール・マッカートニーはキチンと音楽的にアレンジの希望を伝えてくれるからやり易いものの、ジョン・レノンはよく分からない漠然としたイメージを云ってくるので、ソレを具現化するのに苦労したそうです。

ライヴを止めたビートルズは、1966年の後半には、ジョンは映画「HOW I WON THE WAR」に出演して、ポールは単独で映画「THE FAMILY WAY」用に曲を書いて、ジョージ・ハリスンはラヴィ・シャンカール先生に本格的にシタールを学ぶ為にインドへ行き、何もする事がないリンゴ・スターは家族とのんびり過ごしたり、ジョンの撮影現場に行ったりしていました。そうして4人がバラバラになっていたので、ビートルズは1966年のクリスマス商戦用のアルバムを制作する事が出来ずに、1966年12月10日に現役時代では唯一のベスト・アルバム「A COLLECTION OF BEATLES OLDIES」全16曲入りを英国パーロフォンからリリースしました。ほとんどをヒット・シングルから選曲した全16曲中、アルバム未収録だった7曲と、英国では未発表だった「BAD BOY」を加えた内容でした。ところが、4人が何をしているのかも分からず、ベスト・アルバムまで出したので、すわっ、ビートルズ解散か、とマスコミが騒ぎ出して、当のジョージ・ハリスンまで「ライヴ活動を止めたから、ビートルズは解散すると思っていた」などと云い出したのです。もうこの頃には、ジョージは独り立ちする機会を伺っていたのでしょう。そんな中で、1966年12月8日からビートルズはレコーディング・セッションを再開しました。それは「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と云う、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作です。ビートルズは英国では8作目となる新作アルバムを、少年時代を回顧するテーマで制作しようと決めていたのです。それで、ジョンは「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」を書いて、ポールは逆説的に未来を歌った「WHEN I'M SIXTY-FOUR」を蔵出しして、ジョンの「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」に対抗してポールは「PENNY LANE」を書いて、レコーディング・セッションがつづいています。そのまま行けば、ジョンの「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」とポールの「PENNY LANE」は、新作アルバムの核となるはずでした。

ところが、レコード会社はビートルズが新曲をレコーディングしたと知って、ロック史上最強両A面シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」(全英2位)を、1967年2月17日に英国パーロフォンからリリースしてしまったのです。アルバムの目玉がシングルになってしまったのですけれど、それでもビートルズはレコーディングを続行しました。そうして「A DAY IN THE LIFE」と云う新たな目玉が出来たところで、ポール・マッカートニーが「架空のバンドによる架空のライヴ・コンサート」と云う新たなアルバムのテーマを思い付いたのです。それが1967年6月1日(実際には前倒しで5月26日)に英国パーロフォンからリリースした、英国オリジナルでは8作目のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」です。内容は、A面が、1「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」、2「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」、3「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」、4「GETTING BETTER」、5「FIXING A HOLE」、6「SHE'S LEAVING HOME」、7「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」で、B面が、1「WITHIN YOU WITHOUT YOU」、2「WHEN I'M SIXTY-FOUR」、3「LOVELY RITA」、4「GOOD MORNING GOOD MORNING」、5「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」、6「A DAY IN THE LIFE」の、全13曲入りです。マスコミが「ビートルズは終わった」と書き立てる中、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」をレコーディング中だったポール・マッカートニーは「今に見ていろ」と云い放ったそうです。米国キャピトル盤も、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」からは英国オリジナル盤と同内容(但し、米国キャピトル盤には最後の意味不明なお喋りは未収録)となっていて、それまで水増しアルバムやスカスカ・アルバムを聴いていた米国のファンは、さぞかし驚いたでしょう。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が異様に持ち上げられているのは、米国のファンがようやく本物のアルバムを聴けたからでもあったのでしょう。

A面の1「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌うロックンロールで、この曲が次の「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」へと導いて、B面の5で繰り返されるので、その3曲だけが実は「架空のバンドによる架空のライヴ」となっていて、他の10曲はコンセプトから外れているのです。故に、史上初のコンセプト・アルバムと云う評価は間違っているわけですけれど、何せ古今東西ばかりかビートルズ自身までも後ろに控えさせたアルバム・ジャケットが強烈なので、ソレに圧倒されてアルバム全体が「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の名の下にコンセプトがある様に思わせてしまったわけですなあ。2「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」はレノン=マッカートニーの共作で、リンゴが歌っていて、2025年の現在でもリンゴの代表曲としてライヴの最後で歌われています。3「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」はジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、コレは息子のジュリアン・レノンが描いた絵がヒントとなっていますけれど、頭文字が「LSD」なのは狙ったんでしょう。4「GETTING BETTER」はポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、リンゴが病欠した時の臨時ドラマーのジミー・ニコルの口癖がヒントになっています。5「FIXING A HOLE」も、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、後にジョンが「GLASS ONION」に歌い込んでいるので、お気に入りなのでしょう。6「SHE'S LEAVING HOME」もポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていますが、コーラス部分はジョンが書いて歌っているので共作です。美しい曲で、レコーディングはポールとジョンが歌っているだけでバックはストリングスですけれど、サー・ジョージ・マーティンがシラ・ブラックのレコーディングで手一杯だったので、ポールはマイク・リーンダー(ローリング・ストーンズの「AS TEARS GO BY」のアレンジで有名)に頼んでしまい、サー・ジョージ・マーティンは事あるごとに「何故、ポールは私を待てなかったのだ」と愚痴をこぼしていました。

7「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていて、この曲の歌詞は古いサーカスのポスターから全てを引用しています。何だ、パクリか、ではなくて、そんな作詞をやってしまうジョンが凄いのです。サー・ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックは、サーカスのおが屑の様な音と云うジョンの無理難題を、古いオルガンのテープを切って放り投げて繋ぐと云う滅茶苦茶な手法で応えています。ひっくり返してB面の、1「WITHIN YOU WITHOUT YOU」は、ジョージ・ハリスンが書いてジョージが歌っていて、益々インド音楽風ですけれど、実はコレはインド楽器と西洋のストリングスが合体している曲で、大瀧師匠で云うならば「あなたが唄うナイアガラ音頭」みたいな画期的な曲なのです。2「WHEN I'M SIXTY-FOUR」は、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌う曲ですが、実は16歳位の時に書いた曲を蔵出ししています。サー・ジョージ・マーティンは、「PENNY LANE」と両A面にはせずに、この「WHEN I'M SIXTY-FOUR」をB面にしていれば、間違いなく「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は首位!になったので後悔していたそうです。3「LOVELY RITA」も、ポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、ジョンは「俺が婦人警官がどうしたなんて下らない曲を書くわけがないだろう」と云っています。4「GOOD MORNING GOOD MORNING」は、ジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作でジョンが歌っていますが、コレはアルバムのコンセプトでブラスがオーバーダビングされているものの、ビートルズの4人で演奏した元のテイクの方がカッコイイです。コレも、ジョンがテレビのCMを観てヒントを得て書いた曲です。5「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」は、A面1曲目と同じポールが主導で書いたレノン=マッカートニー作でポールが歌っていて、前述の通りこのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」がコンセプト・アルバムとかトータル・アルバムと云われるのはコレがあるからです。そして、最後の、6「A DAY IN THE LIFE」は、架空のバンドの架空のライヴ・コンサートでのアンコールと云う位置付けで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの合作で、二人で歌っている大傑作です。

この曲が最後に収録されているからこそ、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は名盤と呼ばれていると云っても過言ではありません。ジョンも、ポールと一緒に「A DAY IN THE LIFE」を作っていた時は楽しかった、と云っていました。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、楽曲のテーマはバラバラで、曲を書いたのはレノン=マッカートニーが12曲(内、ジョンが6曲、ポールが9曲)、ジョージが1曲で、リード・ヴォーカルは、ジョンが4曲、ポールが8曲、ジョージが1曲、リンゴが1曲と、異様にポール・マッカートニーが前に出ている、アンバランスなアルバムです。1964年の「A HARD DAY'S NIGHT」ではほとんどジョンの一人舞台だった様に、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」はポールのアルバムと云っても良いでしょう。ビートルズは1966年でライヴを止めたので、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」からは、ビートルズとしては1曲もライヴでは披露していません。ジョンはエルトン・ジョンと一緒に1974年に「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」を披露していて、リンゴはずっと「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」を歌っていて(ポールとの共演もあり)、ポールは、自分が主導で書いた「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と「GETTING BETTER」と「FIXING A HOLE」と「SHE'S LEAVING HOME」と「WHEN I'M SIXTY-FOUR」と「LOVELY RITA」と「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)」の7曲はライヴで披露していますし、ジョンとの合作「A DAY IN THE LIFE」や、ジョンが主導で書いた「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」や、リンゴ用の「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」や、「PENNY LANE」ばかりか「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」までライヴで演奏しています。このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、その作品だけではなく、1967年と云う時代を映した作品となっていて、多くのバンドが後追いでトータル・アルバムやコンセプト・アルバムを制作するキッカケとなったのも重要です。

アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、1987年6月1日にオリジナル・ステレオ・ミックスで初CD化されました。ビートルズの初CD化が1987年だったのは、このアルバムの20周年だったからです。故にCDの装丁も他のアルバムが単なるプラケース入りだったのに、このアルバムだけが外箱入りで、ライナーノーツも気合が入っていました。ステレオ・ミックスで全世界統一規格化された事で文句が出たのも、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と、英国オリジナルでは次作アルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」でした。故に、このアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」は、単なるモノラル・ミックスのパイレート盤で充分に商売になっていた時代が、22年間もあったのです。2009年9月9日にはステレオ・ミックス(箱とバラ売り)とモノラル・ミックス(箱)がアップルからリマスターされて、ようやくステレオ・ミックスとモノラル・ミックスを公式盤CDで聴き比べ出来る様になりました。2017年5月26日には50周年の箱が出て、それもやはりアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」が起点となりました。箱の内容は4CD+1DVD+1BDで、CD1がアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」全13曲の2017年ステレオ・リミックスで、CD2とCD3が「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」の2015年ステレオ・リミックスと「PENNY LANE」の2017年ステレオ・リミックスの2曲にアウトテイク31曲での全33曲で、CD4がオリジナル・モノラル・ミックス全13曲に「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「PENNY LANE」など6曲を加えた全19曲入りで、DVDとBDはアルバムとシングル全15曲の音源と、プロモーション・フィルム3曲と、映像作品「THE MAKING OF SGT. PEPPER」が収録されています。2023年11月10日にリリースされたベスト・アルバム「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」の拡張盤には、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は2015年ステレオ・リミックスで、「PENNY LANE」と「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」と「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と「WITHIN YOU WITHOUT YOU」(追加収録)と「A DAY IN THE LIFE」の6曲は、2017年ステレオ・リミックスで収録されています。つまり、現在は2015年からのステレオ・リミックス音源がレギュラー化したのです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする