
1970年4月10日に、ポール・マッカートニーはビートルズ脱退宣言をしました。それによって事実上はビートルズの解散へと進むのですが、解散は裁判沙汰となり、法的に正式の解散となったのは1975年1月9日でした。ポール・マッカートニーが脱退宣言をしたのは、4人の中では最後で、まず1968年8月22日にアルバム「THE BEATLES」を制作中に、リンゴ・スターが脱退しています。ドラマーが脱退したらレコーディングを中止して呼び戻そうとするところですけれど、3人になったビートルズはポール・マッカートニーがドラムスも叩いてレコーディングを続行しています。そもそもリンゴ・スターが脱退したのは、ポール・マッカートニーが「BACK IN THE U.S.S.R.」のリンゴ・スターによるドラムスを気に入らず、こう叩くんだよ、とリンゴ・スターに実演して見せたのでリンゴ・スターが激怒したからなのです。しかしながら、「HEY JUDE」と「REVOLUTION」のミュージック・ビデオを制作するのにドラムスのリンゴ・スターがいないのでは困るので、同年9月3日にリンゴ・スターは復帰して、そのゴタゴタは内密にされました。次に、1969年1月10日のジョージ・ハリスンの脱退で、「THE GET BACK SESSIONS」のリハーサル中に、前々からのポール・マッカートニーによるパワハラに耐えかねたのと、ジョン・レノンとも口論(ヨーコさんがジョージのビスケットを勝手に食べたから)になって、脱退しています。ジョージ・ハリスンは同年1月20日には条件つきで復帰していて、コレもまた内密にされました。そして、1969年9月20日に、遂にリーダーであるジョン・レノンがアップルの会議で脱退宣言をぶちかまして、ジョン・レノンはその後はビートルズのレコーディングには一切参加していません。しかしながら、ジョン・レノンの脱退は、アルバム「ABBEY ROAD」がリリースされる約1週間前で、米国キャピトルとの契約更新直前だったので、内密にされたのです。
ジョンがポールの脱退宣言に激怒したのは、ジョンが公言している「俺が先に脱退していたのを内密にしていたのに、ポールは1週間後にリリースする初のソロ・アルバム『McCARTNEY』の宣伝に利用した」からではなく、仲間内でのゴタゴタで済んだリンゴとジョージと自分(ジョン)とは違って、ポールがマスコミを通じて脱退宣言をしてしまった事でしょう。つまり、ポールは取り返しのつかない事をやってしまったのです。ポールとしては、他の3人も過去に脱退していて、自分(ポール)も含めて他の3人で止めたので、きっと今度はジョンとジョージとリンゴが止めてくれるだろう、と考えていたのでしょう。ところが、誰も止めてくれないどころか、何やらジョンもジョージもソロ・アルバムを作り始めて、両方にリンゴが参加していて、ジョンはジョージにも参加を呼び掛けていて、ポール抜きでビートルズが続行されそうな雲行きとなってしまい、1970年12月31日にポールはビートルズの解散を裁判沙汰にしてしまったのです。裁判沙汰となったビートルズの解散が決着したのが1975年1月9日で、つまり1974年末までは法的にはビートルズは存続していた事となります。となると、ジョンは1974年10月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES」まで、ポールは1974年10月リリースのシングル「JUNIOR'S FARM / SALLY G.」まで、ジョージは1974年12月リリースのアルバム「DARK HORSE」まで、リンゴは1974年11月リリースのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」までは、4人は「元・ビートルズ」ではなく「ビートルズ」のメンバーとしてソロ活動をしていたと云う事になります。法的にビートルズが解散した後の1970年代後半には、ジョンは音楽活動を止めて、ポールはウイングスで天下を取り、ジョージは趣味に興じて、リンゴは1970年代前半の狂い咲きが嘘だった様に低迷してしまったのです。自分から裁判沙汰にしたポールは、法的に解散が認められたら「ビートルズが本当に解散するとは思っていなかった」と云ったのですから「天然バカボン」全開です。
そこで、今回から「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY」を再び取り上げます。この2021年に「SUPERSTOCK」からリリースされたブートレグ2CD4セット全CD8枚組は以前に2作ずつ取り上げていますが、今回は1作ずつ、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、と分けて紹介します。最初に長々と前置きを書いたのは、これらの音源の半分位は、4人がまだ法的にはビートルズだった時期の音源であると云う説明をする為です。今回はジョン・レノン編の「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY JOHN LENNON」です。内容は、CD1が1「GIVE PEACE A CHANCE」、2「COLD TURKEY」、3「INSTANT KARMA!」、4「MOTHER」、5「LOVE」、6「GOD」、7「POWER TO THE PEOPLE」、8「IMAGINE」、9「JEALOUS GUY」、10「GIMME SOME TRUTH」、11「HOW?」、12「ATTICA STATE」、13「JOHN SINCLAIR」、14「IMAGINE」、15「NEW YORK CITY」、16「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」、18「SUNDAY BLOODY SUNDAY」、19「THE LUCK OF THE IRISH」、20「WORKING CLASS HERO」、21「HAPPY XMAS(WAR IS OVER!)」の、全21曲入りです。1「GIVE PEACE A CHANCE」は1969年7月リリースのプラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングルで、コレは編集前のヴァージョンです。この曲はまだビートルズが活動中にリリースされていて、作者名が「レノン=マッカートニー」となっていましたが、1997年10月リリースのジョンのベスト・アルバム「LENNON LEGEND」からはジョンの単独作に変更されています。ジョンがヨーコさんとのイヴェント「ベッドイン」でライヴ・レコーディングした曲で、勿論ジョンの単独作なのですが、作者名が「レノン=マッカートニー」となっているのが味だったのに、何で変えちゃったのでしょうね。
2「COLD TURKY」は1969年10月リリースのプラスティック・オノ・バンドの2作目のシングルで、コレはアセテート盤音源ですが、ビートルズでのリリースを他の3人に反対されてプラスティック・オノ・バンド名義でリリースしていて、作者名も「レノン」単独となっています。ビートルズとしてのリリースには反対したリンゴはシングル・ヴァージョンでドラムスを叩いているし、ジョージもライヴで披露した時にギターで参加しています。3「INSTANT KARMA!」は1970年2月リリースのプラスティック・オノ・バンドの3作目のシングルで、コレはテレビ番組で披露したヴァージョンです。スタジオ盤にはジョージがギターで参加していて、フィル・スペクターがジョンと共同プロデュースしています。このシングルでのフィル・スペクターの手腕を目の当たりにしたジョンとジョージが、アルバム「LET IT BE」のプロデュースを依頼するキッカケになっています。フィル・スペクターの起用は、リンゴは追加レコーディングに参加しているので当然知っていましたが、ポールには知らされていなかったのです。4「MOTHER」、5「LOVE」、6「GOD」の3曲は、1970年12月リリースのアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」からのアウトテイクです。7「POWER TO THE PEOPLE」は1971年3月リリースのシングルで、未編集ヴァージョンです。8「IMAGINE」、9「JEALOUS GUY」、10「GIMME SOME TRUTH」、11「HOW?」の4曲は、1971年10月リリースのアルバム「IMAGINE」からのアウトテイクで、ベーシック・トラックやリハーサル音源が聴けて、14「IMAGINE」はアコースティック・ギターでの弾き語りライヴ音源です。「IMAGINE」と云えばピアノの弾き語りを連想するでしょうけれど、このギターでの弾き語りも美しいヴァージョンで、何だかんだ云っても曲が良いのでしょう。
12「ATTICA STATE」、13「JOHN SINCLAIR」15「NEW YORK CITY」、16「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」、18「SUNDAY BLOODY SUNDAY」、19「THE LUCK OF THE IRISH」の7曲は、1972年9月リリースのアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」収録曲のライヴ音源やアウトテイクで、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」なんてジョンがソロで歌うこのデモ音源の方がずっと良いです。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は、今年(2025年)に「ワン・トゥ・ワン・コンサート」と抱き合わせでCD9枚+BD3枚の箱が出たみたいですけれど、そもそも「ワン・トゥ・ワン・コンサート」はジョンがお蔵入りにした出来が悪いライヴ音源ですし、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」は2枚組で、2枚目にはジョンとフランク・ザッパ先生の世紀のライヴ共演が入っていたりしたのですけれど、兎に角、本編である1枚目がヨーコさん色が強過ぎるレコードで、「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」と「NEW YORK CITY」位しか純粋にジョンの音楽が聴ける曲がないので、今更12枚組とか出されてもなあ、と云う感じです。このブートレグの目玉は、20「WORKING CLASS HERO」で、ライヴ・リハーサル音源となっているので「ワン・トゥ・ワン・コンサート」のリハーサル音源なのでしょうけれど、楽曲自体はアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」に収録されている曲です。レコードではボブ・ディラン風にアコースティック・ギターで弾き語りしていたのですが、コレはヘヴィなバックでジョンが叫ぶ様に歌っているテイクです。この感じでフル・ライヴをやっていたら、評価は変わっていたでしょう。21「HAPPY XMAS(WAR IS OVER!)」は、別リミックス音源です。
CD2は、1「MIND GAMES」、2「MEAT CITY」、3「ONE DAY(AT A TIME)」、4「OUT THE BLUE」、5「ROCK’N’ROLL PEOPLE」、6「I'M THE GREATEST」、7「WHATEVER GET YOU THRU THE NIGHT」、8「#9 DREAM」、9「MOVE OVER MS. L」、10「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU’RE DOWN AND OUT)」、11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」、13「(JUST LIKE)STARTING OVER」、14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」、16「WOMAN」、17「NOBODY TOLD ME」、18「I DON'T WANNA FACE IT」、19「BORROWED TIME」、20「I'M STEPPING OUT」、21「GROW OLD WITH ME」の、全21曲入りで、計42曲入りです。1「MIND GAMES」、2「MEAT CITY」、3「ONE DAY(AT A TIME)」、4「OUT THE BLUE」、5「ROCK’N’ROLL PEOPLE」の5曲は、1973年11月リリースのアルバム「MIND GAMES」からのラフミックス音源を中心に収録していて、5「ROCK'N'ROLL PEOPLE」はボツになっていますが、ジョニー・ウィンターが1974年リリースのアルバム「俺は天才ギタリスト」で取り上げていて、提供曲となりました。6「I'M THE GREATEST」は、1973年リリースのリンゴのアルバム「RINGO」に提供した楽曲のデモ音源で、リンゴのアルバムではA面1曲目に収録されて、ジョン、ジョージ、リンゴとポール以外の3人が揃った上に、クラウス・フォアマンとビリー・プレストンと云うビートルズの身内も大集合した楽曲です。7「WHATEVER GET YOU THRU THE NIGHT」、8「#9 DREAM」、10「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU’RE DOWN AND OUT)」の3曲は、1974年10月にリリースされたアルバム「WALLS AND BRIDGES」からのアウトテイクで、8「#9 DREAM」はシングル・ヴァージョンです。
9「MOVE OVER MS. L」、11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」の3曲は、1975年2月リリースのアルバム「ROCK'N'ROLL」からで、9「MOVE OVER MS. L」はシングル「STAND BY ME」のB面になり、1975年のキース・ムーンのアルバム「TWO SIDES OF THE MOON」にも提供曲として収録(ビートルズの「IN MY LIFE」もカバー)されています。11「STAND BY ME」、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」は未編集ヴァージョンです。そして、5年の沈黙の後に、1980年11月にアルバム「DOUBLE FANTASY」でジョンは復活しました。13「(JUST LIKE)STARTING OVER」、14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」、16「WOMAN」の4曲は、そのアルバム「DOUBLE FANTASY」からで、13「(JUST LIKE)STARTING OVER」はプロモ盤音源でエンディングのジョンのアドリブが長く聴けます。14「BEAUTIFUL BOY」、15「WATCHING THE WHEELS」の2曲はアウトテイクで、16「WOMAN」は美しいアコースティック・ギター弾き語りデモ音源です。そして、1980年12月8日にジョンは殺されてしまい、1984年1月に遺稿集「MILK AND HONEY」がリリースされました。17「NOBODY TOLD ME」、18「I DON'T WANNA FACE IT」、19「BORROWED TIME」、20「I'M STEPPING OUT」、21「GROW OLD WITH ME」の5曲はそのアルバムからのアウトテイクなのですけれど、そもそもアルバム「MILK AND HONEY」はアルバム「DOUBLE FANTASY」のセッションでのボツ音源集なわけで、アウトテイクのアウトテイクと云うヘンテコリンな事になっています。但し、やっぱり「GROW OLD WITH ME」は、このピアノの弾き語りが良いです。と云う感じで、ビートルズが解散状態となった時期の別テイク集なのですけれど、ジョンの場合は沈黙する前の1975年2月リリースのアルバム「ROCK'N'ROLL」(レコーディングは1973年と1974年)と1975年10月リリースのベスト・アルバム「SHAVED FISH」(レコーディングは1969年から1974年)までは「元」が付かない「ビートルズのメンバー」だったわけです。
(小島イコ)
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