
ビートルズは、1969年1月に「THE GET BACK SESSIONS」を敢行しました。それに関しては、前回まで散々書いてまいりましたが、1月2日(木曜日)から1月16日(木曜日)までの平日の10日間に映画用のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサルを行い、1月20日(月曜日)から1月29日(水曜日)までと1月31日(金曜日)の11日間に土日返上でアップル・スタジオでレコーディング・セッションを行い、最終日の前日である1月30日にアップル・ビル屋上でのゲリラ・ライヴ・レコーディング・セッション(通称「ルーフトップ・コンサート」)を行っていて、本番のレコーディング・セッションだけでも12日間、リハーサルを加えれば22日間もかけたのです。ところが、レコーディング当時に完成出来たのは、1969年4月11日にアップルからリリースされたシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」の1枚2曲だけでした。この「THE GET BACK SESSIONS」が1969年1月いっぱいで終了となったのは、2月からはリンゴ・スターが映画「マジック・クリスチャン」の撮影に入る為と、エンジニアで実質的には「THE GET BACK SESSIONS」のプロデューサーでもあったグリン・ジョンズが2月からはエンジニアとして、レオン・ラッセルやローリング・ストーンズやスティーヴ・ミラー・バンドなどの仕事が詰まっていたからです。ポール・マッカートニーが発案して始まった「THE GET BACK SESSIONS」にグリン・ジョンズが起用されたので、元々グリン・ジョンズは1月にスティーヴ・ミラー・バンドのレコーディングに参加する事が決まっていたのに延期となっていて、ビートルズはスティーヴ・ミラーが待機している間のホテル代を支払っていたのだそうです。しかし、グリン・ジョンズはエンジニアとしては優秀でも、ビートルズをプロデュースする大役は果たせなかったのです。
1969年5月28日に、グリン・ジョンズはアルバム「GET BACK with Don't Let Me Down and 12 other songs」を完成させましたが、ビートルズによって却下されました。当のビートルズは、同年2月22日には「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」のレコーディングを行っていて、その時にはまだグリン・ジョンズがプロデューサーの役割を担っていました。しかし、同年4月11日にシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」をリリースした事で、ビートルズの興味は既に「THE GET BACK SESSIONS」から離れてしまって、同年4月14日には、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人だけで「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」をレコーディングしてしまうのです。この曲はサー・ジョージ・マーティンのプロデュースで、ジェフ・エメリックがエンジニアに復帰しているので、ここからアルバム「ABBEY ROAD」へとビートルズの興味は移っていたのでしょう。更に同年4月16日と18日にはジョージ・ハリスン作の「OLD BROWN SHOE」をサー・ジョージ・マーティンのプロデュースでレコーディングしていて、同年5月30日にはシングル「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO / OLD BROWN SHOE」をアップルからリリースしました。後にアルバム「ABBEY ROAD」に収録される楽曲は、1969年4月下旬から5月上旬にかけて断続的にレコーディングされて、同年7月から8月にはガッツリとレコーディングして、1969年9月26日にアップルからアルバム「ABBEY ROAD」がリリースされたのです。と、尤もらしい事を書いてきましたけれど、こう云う時系列に沿った事実は、長年のビートルズ研究家の方々が調べたので明らかになった事であって、特に1988年(日本語翻訳版は1990年)に出版されたマーク・ルイソンによる書籍「THE COMPLETE BEATLES RECORDING SESSIONS」の登場によって分かってきた事なのです。
つまり、現役時代の1969年当時には、1969年1月17日にアルバム「YELLOW SUBMARINE」が出て、同年4月11日にシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」が出て、同年5月9日にはジョン&ヨーコさんのアルバム「LIFE WITH THE LIONS」と、ジョージ・ハリスンのアルバム「ELECTRONIC SOUND」の、それぞれガラクタ音源がザップルから出て、同年5月30日にシングル「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO / OLD BROWN SHOE」が出て、同年7月4日にプラスティック・オノ・バンドのシングル「GIVE PEACE A CHANCE」(リリース当時の作者名はレノン=マッカートニー)が出て、同年9月26日にアルバム「ABBEY ROAD」が出たと云う流れしか分かっていなかったわけです。1969年1月にビートルズが「THE GET BACK SESSIONS」をやった事も、その成果としてグリン・ジョンズがまとめたアルバム「GET BACK with Don't Let Me Down and 12 other songs」が同年5月にボツにされた事も、何も知らされていなかったわけで、一体ビートルズは何をやっているのかが分かっておらず、1969年9月にアルバム「ABBEY ROAD」がリリースされる直前に、アルバム「HOT AS SUN」と云う都市伝説が、事もあろうに雑誌「ローリング・ストーン」誌に掲載されてしまったのです。同じ頃に出た「ポール死亡説」と同様に、デマだったわけですけれど、現在だったならばネットで拡散されて大変な事になっていたでしょうなあ。と云うか、インターネットなどない時代に、瞬く間にアルバム「HOT AS SUN」や「ポール死亡説」が口コミだけで拡散されたのですから、そこは流石にビートルズです。アルバム「HOT AS SUN」は、ビートルズが1969年5月にリリースを予定していたものの、窃盗団によってマスターテープが盗まれて、高額な金銭取引で取り戻したものの、税関のX線検査で内容が全て消去されてしまった、と云う「そんなバカな」としか云えない逸話が遺っているのです。それで、古くからその幻のアルバムを再現したブートレグが出ています。
今回紹介するのは、2013年にリリースされた1CDのブートレグ「HOT AS SUN - REVISED EDITION 2013」です。内容は、1「MAXWELL'S SILVER HAMMER」、2「DON'T LET ME DOWN」、3「HOT AS SUN」、4「JUNK」、5「POLYYHENE PAM」、6「OCTOPUS'S GARDEN」、7「I SHOULD LIKE TO LIVE UP THE TREE」、8「ZERO IS JUST ANOTHER EVEN NUMBER」、9「WHAT'S THE NEW MARY JANE」、10「DIRTY OLD MAN(MEAN MR. MUSTARD)」、11「MADMAN」、12「WATCHING RAINBOWS」、13「THIS SONG OF LOVE(IT'S JUST FOR YOU)」、14「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」、15「ACROSS THE UNIVERSE」、16「OLD BROWN SHOE」、17「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」、18「SUICIDE」、19「MAILMAN, BRING ME NO MORE BLUES」、20「THE WALK」、21「TEDDY BOY」、22「ALL THINGS MUST PASS」、23「BECAUSE」、24「HERE COMES THE SUN」、25「COME AND GET IT」、26「GOODBYE」、27「REAL LOVE」、28「FREE AS A BIRD」の、全28曲入りです。1「MAXWELL'S SILVER HAMMER」〜12「WATCHING RAINBOWS」の12曲が、アルバム「HOT AS SUN」の再現とされていて、他の16曲はボーナス・トラックです。なんと、アルバム本編よりもボーナス・トラックの方が曲数が多く収録されています。オリジナルとされるアルバム「HOT AS SUN」には、後にアルバム「ABBEY ROAD」に収録される曲や、ポールのソロ・アルバム「McCARTNEY」に収録される曲や、「THE GET BACK SESSIONS」で演奏された未発表曲などが含まれているので、デマを流したのはアップルとビートルズに近い何者かだったと考えられます。
1「MAXWELL'S SILVER HAMMER」は、公式盤「ANTHOLOGY 3」に収録されたアウトテイクで、ポールが出鱈目な歌い方をしているアレです。2「DON'T LET ME DOWN」、7「I SHOULD LIKE TO LIVE UP THE TREE」、8「ZERO IS JUST ANOTHER EVEN NUMBER」、10「DIRTY OLD MAN(MEAN MR. MUSTARD)」、11「MADMAN」、12「WATCHING RAINBOWS」は「THE GET BACK SESSIONS」音源で、3「HOT AS SUN」は「THE GET BACK SESSIONS」音源にポールのソロ・アルバム「McCARTNEY」収録ヴァージョンを繋いだインチキ・ミックスです。4「JUNK」、5「POLYTHENE PAM」は1968年の「イーシャー・デモ」音源で、6「OCTOPUS'S GARDEN」は公式盤「ANTHOLOGY 3」に収録されたアウトテイクで、9「WHAT'S THE NEW MARY JANE」は1968年のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」のアウトテイクです。この様に本編は、1968年の「イーシャー・デモ」と、1969年の「THE GET BACK SESSIONS」音源と、1969年のアルバム「ABBEY ROAD」のアウトテイクで構成されていて、特にコレでしか聴けない音源は収録されていません。7「I SHOULD LIKE TO LIVE UP THE TREE」と、8「ZERO IS JUST ANOTHER EVEN NUMBER」は、聞きなれない曲名ですけれど、内容は「THE GET BACK SESSIONS」音源の適当な演奏に無理矢理アルバム「HOT AS SUN」での曲名を付けただけです。ボーナス・トラックの方は、13「THIS SONG OF LOVE(IT'S JUST FOR YOU)」、18「SUICIDE」、19「MAILMAN, BRING ME NO MORE BLUES」、22「ALL THINGS MUST PASS」は、「THE GET BACK SESSIONS」音源です。14「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」は、公式盤「ANTHOLOGY 2」のステレオ・ロング・ヴァージョンに、エンディングだけモノラル・シングル・ヴァージョンを合体させたインチキ・ミックスです。
15「ACROSS THE UNIVERSE」は初期ミックスで、ジョンの声が正常のスピードです。16「OLD BROWN SHOE」はジョージによるデモ音源で、17「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」はオーバーダビング前の、ジョンのギターとヴォーカルにポールのドラムスだけのヴァージョンで、20「THE WALK」、21「TEDDY BOY」は、「THE GET BACK SESSIONS」からのアセテイト盤音源で、23「BECAUSE」は別リミックス音源です。24「HERE COMES THE SUN」は、サビに下手過ぎるリード・ギターが入っているヴァージョンで、あたくしはコレで初めて聴きましたけれど、本当にジョージが弾いているとは俄かには信じられないし、もしも弾いていたのだとしてもカットしたのは正解です。25「COME AND GET IT」はバッドフィンガーへの、26「GOODBYE」はメリー・ホプキンへの、それぞれポール・マッカートニーがひとりで制作したデモ音源です。バッドフィンガーへの「COME AND GET IT」は、ポールがひとりで全ての演奏と歌を担当して、バッドフィンガーにそのまんまコピーさせています。「GOODBYE」はアコースティック・ギターの弾き語りですが、キーをメリー・ホプキンに合わせてファルセットで歌っていて、コレもまたそのまんま歌わせています。ビートルズですら独裁体制と云われていたポールですから、プロデュースするとなれば、当然ながらこうなってしまいますわなあ。最後の、27「REAL LOVE」と、28「FREE AS A BIRD」は、1990年代のヴァーチャル・ビートルズの2曲のリミックス音源ですが、何故にここに入れたのか分かりません。一応、1968年から1969年までの楽曲から選曲していたのに、いきなりだなあ、と最後の2曲で1990年代が入っているのは蛇足でしょう。それから、裏ジャケットの画像にしたのはですね、表には何故かビートルズの4人と共にヨーコさんが偉そうに映っているからです。17「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」以外の内容とは全く合っていなくて、デザイナーのセンスを疑います。
(小島イコ)
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