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2025年04月25日

「ナイアガラ考」#114「SONGS 50th Anniversary Edition」(上)

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今年、2025年は「ナイアガラ50周年」と云う事で、3月には、CD2枚組の「B-EACH TIME L-ONG 40th Anniversary Edition」と、CD3枚組の「Complete NIAGARA SONG BOOK」と、書籍「All About Niagara 1973-2024」も出て、それだけで1万5千円を超えたのですけれど、愛する「SUGAR BABE」の「SONGS」も50周年と云うわけで、2025年4月23日にCD2枚組がリリースされたわけです。コレを書いているのは4月22日なのですけれど、フラゲで届いてしまいました。あたくしは、基本的には新譜はもうCDしか買わないので、約2万円で済みましたけれど、ナイアガラーの方々はアナログ盤やカセットテープも全部買っているのでしょうか。近年はビートルズ関連やナイアガラ関連も、アナログ盤しか出さないものもあってですね、今回はアルバム「NIAGARA MOON」の50周年記念盤がアナログ盤でしか出ないわけですけれど、アレの40周年記念盤CDは酷い出来栄えだったので、また名盤に泥を塗る様なCDを出されなくて、ホッとしましたよ。SUGAR BABEの唯一のアルバム「SONGS」も、10年おきに何度もリイシューされていて、タツローこと山下達郎さんは10年前に40周年記念盤を出した時に、10年後にはCDはなくなっていて、もう最後のCD化になるかもしれないから、と2枚組でリマスターとリミックスを入れて、ボーナス・トラックも15曲も入れてくれたのですけれど、売れなくなったとは云え、CDはなくなる事はなく、めでたく50周年記念盤の登場となったわけです。

今回のリイシューもCDは2枚組で、CD1が、1「SHOW」、2「DOWN TOWN」、3「蜃気楼の街」、4「風の世界」、5「ためいきばかり」、6「いつも通り」、7「すてきなメロディー」、8「今日はなんだか」、9「雨は手のひらにいっぱい」、10「過ぎ去りし日々"60's Dream"」、11「SUGAR」の、オリジナル全11曲の後に、ボーナス・トラックとして、LFデモから、12「夏の終わりに」、13「パレード」、14「SHOW」、15「指切り」の4曲が、更に、宮城県民会館(仙台電力ホールと云われていたが今回訂正)でのライヴ音源が、16「WINDY LADY」、17「DOWN TOWN」、18「愛は幻」、19「今日はなんだか」の4曲入っていて、全19曲入りになっています。このアルバムは、2025年の現在でこそ「半世紀の時を越え、今なお光り輝く、J-POP史上屈指の名盤!!」などと帯で謳われていますが、1975年にオリジナル盤がエレック・レコード傘下のナイアガラからレーベル第1弾としてリリースされた時には、全く売れないどころか、音楽評論家どもに酷評されました。複数のバンドが出演したフェスでSUGAR BABEが登場すると、観客に石を投げられたとも云われています。ズバリ云って、SUGAR BABEのアルバム「SONGS」が正当な評価を得たのは、1994年にオリジナル・マスターからCD化された時で、20年近く前のアルバムのリイシュー盤が、オリコン・アルバム・チャートで3位まで上がったのです。

タツローは感想を訊かれて「20年前のアルバムがヒットしたのは、今の音楽がよっぽどつまらないからだ」と云い放ったのです。いやあ、あの時はスカッとしましたよ。それで、タツローは1994年に中野サンプラザで「TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE Live」を4日間だけ開催して、ター坊こと大貫妙子さんもゲスト出演して、アンコールも加えた全22曲を、SUGAR BABE時代の楽曲を中心としてライヴを行ったのです。今回の50周年記念盤の目玉はそのライヴから14曲がCD2に収められた事なのですけれど、ソレに関しては次回で詳しく書きます。CD1はオリジナル・アルバム全11曲のリマスター盤にボーナス・トラックを加えていて、オリジナル・アルバムは勿論、ボーナス・トラックの8曲も全てが既発音源です。ライナーノーツも、これまでの1994年盤、2005年盤、2015年盤からの大瀧師匠とタツローの原稿の再録、そして今回の2025年盤に対してのタツローのコメントと過去の解説への加筆修正と、50周年記念盤としてコンパクトにまとめてあって、アルバム「SONGS」の最終形態としていて、大仰な「SONGS VOX」にはしなかったところに好感が持てます。SUGAR BABEのライヴ音源は他にもあるのですけれど、出せるものと出せないものがあるわけで、タツローもター坊も村松さんも銀次も生きているわけで、目の黒い内にはトンデモ音源は出ないでしょう。例えば、解散コンサートでター坊が泣いて歌えなかった音源とか、20分超えの「SUGAR」とか、やっぱり出せないんでしょう。

SUGAR BABEが不遇だったのは、当時を振り返るタツローやター坊の発言を聞くと分かるし、別に盛って話しているのではなくて、本当に酷かったみたいです。前述の様にフェスに出ると石を投げられたし、評論家にはボロクソに叩かれていたし、エレックが倒産したので印税が全く入ってこなくて、貧乏でター坊は具のないナポリタンしか食べていなかったそうです。後に1978年のソロ・アルバム「MIGNONNE」を小倉エージさんがプロデュースする事になった時には、SUGAR BABEで貶されたのでター坊は「音楽評論家は敵だ」と思っていて、何で音楽評論家がプロデューサーなんだろう、と疑心暗鬼になって、でもレコード会社も移籍して「売れる」って云うし、小倉さんにも「もっと分かり易く」と云われて何度も書き直しした曲でのアルバムだったから「売れる」と思ったら、全く売れなかった、とか、色々とあったようです。何でそんなに不遇だったのに音楽活動をつづけたのかと云うと、ター坊は「楽しかったから」と云っています。状況が変わったのは、1980年代になって、YMOが売れて、タツローが売れて、大瀧師匠も売れて、ター坊も売れたからで、SUGAR BABEは「アノ大瀧詠一がプロデュースして、山下達郎と大貫妙子が同じバンドにいた伝説の存在」となったからなのです。逆に云えば、SUGAR BABEのアルバム「SONGS」は、リリース当時には全く売れなかったからこそ、永遠のアルバムになったのです。プロデュースは実質的にはタツローがやっていて、ミキサーは笛吹銅次こと大瀧師匠で、つまり、関わった面々が当時の音楽業界のプロではなかったからこそ、時代と寝なかったのです。(つづく)

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| ONDO | 更新情報をチェックする