
ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんは、1980年にゲフィン・レコードとアルバム8枚の契約を結び、一説には契約金は100億円だったそうです。しかし、ジョンはヨーコさんとの共作アルバム「DOUBLE FANTASY」を1980年11月17日にリリースした直後の、1980年12月8日に射殺されてしまったのです。それで、その時点で事実上はゲフィンとの契約は守れなくなりました。何だかんだ云っても、ゲフィンにとって欲しかったのは、あくまでも「ジョンの新曲」だったのです。ヨーコさんは1981年にソロ・アルバム「SEASON OF GLASS」をゲフィンからリリースしていて、1982年には当時はレーベルの枠を越えたジョンのベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」の米国での販売権をゲフィンに渡しますけれど、アルバムとしてはその3枚だけで、ジョンとのシングル「(JUST LIKE)STARTING OVER / KISS KISS KISS」と「WOMAN / BEAUTIFUL BOYS」と「WATCING THE WHEELS / YES, I'M YOUR ANGEL」の3枚に、ヨーコさんのシングル「WALKING ON THIN ICE / IT HAPPEND」と「NO, NO, NO / WILL YOU TOUCH ME」と「GOODBYE SADNESS / I DON'T KNOW WHY」の3枚に、ジョンのベスト・カップリング盤「(JUST LIKE)STARTING OVER / WOMAN」と「WATCING THE WHEELS / BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」の2枚と、シングルを乱発したものの、やはりジョンが不在では契約枚数を達成するには至らず、ヨーコさんとゲフィン社長が不仲となって、契約破棄となったのです。
しかし、ヨーコさんの手元には「ジョンの未発表音源」が遺されていました。それは、300時間にも及ぶと云われていて、徐々にその全貌が明かされてゆくのです。ヨーコさんは、1982年に、新たにポリドールとアルバム5枚の契約をして、まずは1982年11月に、1作目でヨーコさんのソロ・アルバム「IT'S ALRIGHT(I SEE RAINBOWS)」を、1983年11月には2作目のアルバム「HEART PLAY - UNFINISHED DIALOGUE」を、それぞれポリドールからリリースしました。アルバム「HEART PLAY - UNFINISHED DIALOGUE」はジョンとヨーコさんのインタビューを元にした音源で、音楽作品ではありません。しかし、未来を大いに語るジョンの生前の肉声は、刺さります。そして、1984年1月19日(米国)・同年1月27日(英国)・同年1月25日(日本)に、ポリドールからの3作目のアルバムで、ジョンとヨーコさんの共作アルバム「MILK AND HONEY」をリリースしました。更に、1984年9月には4作目でヨーコさんのトリビュート・アルバム「EVERY MAN HAS A WOMAN」を、そして1985年11月には5作目でヨーコさんのソロ・アルバム「STARPEACE」をリリースして、早いペースでポリドールとの5枚の契約を終えています。この5作品の中で、最も注目されたのが、ジョンとヨーコさんの共作になっている遺稿集「MILK AND HONEY」です。このアルバムは、全米11位・全英3位・日本3位となり、死後3年以上が経ってもジョンの音楽が多くの人々に求められている証明となりました。
アルバム「MILK AND HONEY」の内容は、A面が、1「I'M STEPPING OUT」、2「SLEEPLESS NIGHT」、3「I DON'T WANNA FACE IT」、4「DON'T BE SCARED」、5「NOBODY TOLD ME」、6「O' SANITY」で、B面が、1「BORROWED TIME」、2「YOUR HANDS」、3「(FORGIVE ME)MY LITTLE FLOWER PRINCESS」、4「LET ME COUNT THE WAYS」、5「GROW OLD WITH ME」、6「YOU'RE THE ONE」の、全12曲入りです。ジョンとヨーコさんの曲が交互に収録されていますけれど、ジョンが生前のアルバム「DOUBLE FANTASY」と違うのは、ジョンの5曲(「I'M STEPPING OUT」、「I DON'T WANNA FACE IT」、「NOBODY TOLD ME」、「BORROWED TIME」、「(FORGIVE ME)MY LITTLE FLOWER PRINCESS」)はアルバム「DOUBLE FANTASY」のセッション音源で、1曲(「GROW OLD WITH ME」)はデモ音源で、ヨーコさんの曲は2曲(「DON'T BE SCARED」、「YOU'RE THE ONE」)がアルバム「DOUBLE FANTASY」のセッションを元にしていて、1曲(「LET ME COUNT THE WAYS」)はデモ音源で、3曲(「SLEEPLESS NIGHT」、「O' SANITY」、「YOUR HANDS」)はこのアルバムの為に新たにレコーディングされた新曲なのです。これをもって、アルバム「DOUBLE FANTASY」と同等の評価をする事は出来ず、流石に日本の愚かな評論家でも「通して聴け!」とは云えない作品です。確かに、ジョンは早い段階でアルバム「DOUBLE FANTASY」の続編アルバムを構想していて、おそらくヨーコさんとの共作アルバムになったのでしょうけれど、それはこんな不格好な代物ではなく、キッチリと作り込まれたアルバムになっていたでしょうし、この遺稿集に収録された6曲全てが収録されてはいなかったでしょう。何にしろ、この遺稿集に収録されたジョンの6曲は、全てが完成品ではなく、ズバリ云って「ボツ音源」なのです。
遺稿集「MILK AND HONEY」のA面1曲目に収録されたのは、ジョンの「I'M STEPPING OUT」です。この曲は、アルバム「DOUBLE FANTASY」のレコーディング・セッションで最初に取り上げられていて、レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、リズム・ギター)、アール・スリック(リード・ギター)、ヒュー・マクラッケン(リード・ギター)、トニー・レヴィン(ベース)、ジョージ・スモール(キーボード)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)です。内容は「主夫生活はもうウンザリだから、外に飛び出したい」と歌われる軽快なロックンロールで、ポール・マッカートニーがウイングスで1976年にリリースした「SILLY LOVE SONGS」とコード進行が酷似しています。遺稿集「MILK AND HONEY」のジョンの6曲全てに云えますけれど、あくまでもリハーサル音源なので、ジョンのカウントやバック・ミュージシャンへ指示する声なども聴けて、逆にそれが生々しく響きます。この曲は、1984年3月15日(米国)・同年5月1日(日本)に、アルバムからの第2弾シングル(B面はヨーコさんの「SLEEPLESS NIGHT」)になり、同年7月13日にはアルバムからの英国では第3弾シングルになっていて、全米55位・全英88位になっています。1990年の箱「LENNON」には遺稿集「MILK AND HONEY」のジョンの6曲全てが収録されて、「I'M STEPPING OUT」は、1998年の箱「JOHN LENNON ANTHOLOGY」には別テイクが収録されて、2001年の遺稿集「MILK AND HONEY」のリミックス盤にはホーム・デモが収録されて、2005年のベスト盤「WORKING CLASS HERO」と、2010年の小箱「GIMME SOME TRUTH」と、2020年のベスト盤「GIMME SOME TRUTH.」にも選曲されています。
(小島イコ)
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