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2025年02月15日

「ポールの道」#647「LENNON SONGS」#072 「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド


ジョン・レノンが、1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルからリリースした4作目のソロ・アルバム「WALLS AND BRIDGES(心の壁、愛の橋)」には、エルトン・ジョンが「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」と「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」に参加しています。その返礼として、ジョンはエルトン・ジョンのレコーディングに参加していて、それが1967年のビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」に収録されていたジョンが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」のカヴァー・ヴァージョンです。ジョンがギターとバッキング・ヴォーカルで参加したエルトン・ジョンによるカヴァー・ヴァージョンは、1974年8月にレコーディングされて、同年11月15日(英国)・同年11月18日(米国)にシングルとしてリリースされて(B面はジョンの「ONE DAY(AT A TIME)」のカヴァー)、全米首位!・全英10位と大ヒットしました。1976年には、全ての楽曲がビートルズのカヴァー・ヴァージョンで構成された映画「映画と実録でつづる第二次世界大戦」のサントラ盤にも収録されています。

エルトン・ジョンが参加した「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」が全米首位!を獲得したので、首位!になるかどうか賭けをしてエルトン・ジョンが勝って、ジョンがエルトンのコンサートにゲスト出演する事となり、1974年11月28日に行われたマディソン・スクエア・ガーデンでのエルトンのコンサートに登場しました。ジョンはエルトンと共に「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と「I SAW HER STANDING THERE」の3曲を、テレキャスターを弾きながら歌ったのです。そのライヴ・ヴァージョンは、1990年のCD4枚組の箱「LENNON」などに収録されています。この「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と云う楽曲は、そもそもジョンの息子であるジュリアン・レノンが幼稚園で描いた絵が元ネタで、ジョンが何を描いたのか訊いたところ、ジュリアンが好きだったルーシーと云う少女がダイアモンドと共に空に浮かんでいる「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と応えたのをそのままタイトルにしたのです。頭文字が「LSD」になっているのは、偶然だとジョンは語っていましたけれど、まあ、狙っていたのでしょう。

ジュリアン・レノンはこの楽曲のヒントになった絵を描いただけではなく、1968年のビートルズの特大ヒット・シングルで、ポール・マッカートニーが主導で書いたレノン=マッカートニー作品「HEY JUDE」のモデルとなった事でも有名です。当時のジョンは、ヨーコさんとW不倫関係にあって、ジョンの妻だったシンシアと息子のジュリアンと別居していて、落ち込んでいるジュリアンに向けて、優しいポールおじさんが励ます為に書いたのが「HEY JUDE」なのです。ジュリアンは父親であるジョンよりもポールになついていて、それはポールが子どもが好きで相手をするのが上手かったからです。映画「LET IT BE」やドキュメンタリー「GET BACK」では、リンダの連れ子であるヘザーもすっかりポールになついている姿が観れます。ジョンとシンシアは、できちゃった結婚で、ビートルズが売れ出した時にジュリアンが生まれているので、ジョンはジュリアンに対しては余り構ってやれないどころか、暴力的な面もあったらしく、ジュリアンは父親を手放しでは受け入れていません。ジョンはそれを反省していて、次男であるショーンくんの為に音楽活動を止めて主夫になったわけです。そして、ショーンくんの名付け親は、エルトン・ジョンです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする