
ジョン・レノンは、1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースした2作目のソロ・アルバム「IMAGINE」の後に、本国である英国から米国へと移住しました。それは、長く続くジョンと米国政府との対立となってゆきます。ジョンは移住後には初のアルバムとなる「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を、ヨーコさんとの共作として、1971年11月から翌1972年3月にかけて、ニューヨークのレコード・プラント・イーストで、ジョンとヨーコさんとフィル・スペクターの共同プロデュースでレコーディングして、1972年6月12日(米国)・同年9月15日(英国)・同年11月20日(日本)にアップルからリリースしました。英国でのリリースが米国よりも3か月も後になったのは、ジョンとヨーコさんの拠点が米国へと移ったからでしょう。アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」からの先行シングルとして、ジョンは「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD(女は世界の奴隷か!)」を、1972年4月24日にアップルからリリースしています。英国でのシングル・カットはされておらず、日本では「女は世界の奴隷か!」の邦題で、同年6月25日にリリースされています。B面は、ヨーコさんの「SISTERS, O SISTERS」です。
黒人を蔑視する「NIGGER」と云う言葉が使われているので、全米では放送禁止曲となり、チャートでも57位までしか上がっていません。タイトルの「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ヨーコさんの発言から取ったもので、曲もジョンとヨーコさんの共作となっていますけれど、作曲はジョンが主導で書かれたと思われます。レコーディング・メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、スタン・ブロンスタイン(テナーサックス)、ゲイリー・ヴァン・サイオック(ベース)、アダム・イッポリート(ピアノ、オルガン)、ウェイン・"テックス"・ガブリエル(ギター)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス、パーカッション)、ジム・ケルトナー(ドラムス)で、エレファンツ・メモリーにジム・ケルトナーが加わった布陣で、1972年8月30日の「ワン・トゥ・ワン・コンサート」と同じです。タイトルでの「NIGGER」に関してジョンは「共闘している黒人が、差別だと感じるとは思わない」と云っています。ちゃんと内容を聴けば、ジョンが「女性も黒人と同じく差別されている」と歌っていると分かるのですけれど、今も昔も過激な表現は蓋をされるわけですなあ。楽曲としては、フィル・スペクターによる「音の壁」で、熱演となっていて、ジョンのシャウトも存分に聴けます。
収録されたアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」が2枚組で、スタジオ盤もライヴ盤もジョンとヨーコさんの共作となっている事もあって、この曲やアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録された曲は敬遠されているし、そもそもアルバムを聴いていない人も多いので、評価が低いし、アルバムのジャケットが示す通りに「新聞」の様な時事性がある楽曲が多くて、普遍的な作品とは一線を画す内容となっています。後のアルバム「DOUBLE FANTASY」は、ジョンとヨーコさんの楽曲が交互に配置されていましたけれど、アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」では、ジョンの曲とヨーコさんの曲だけではなく、二人の共作でデュエットしている曲も多くて、それらがごちゃ混ぜになっているので、なかなか通して聴く機会もないでしょう。挙句に2枚目のライヴ盤には「COLD TURKEY」や「DON'T WORRY KYOKO」の長尺ヴァージョンや、フランク・ザッパとの共演まで入っているのですから、アルバム「IMAGINE」の次だからと油断して聴くと、結構、痛い目に遭います。「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」は、ジョンのベスト盤には、生前の「SHAVED FISH」には短縮ヴァージョンで収録されていますが、死後のベスト盤では外される事も多い曲です。しかし、ライヴ音源やアウトテイクは多くの編集盤に収録されています。同じメンバーでのライヴ音源は、スタジオ盤での「フィル・スペクター・マジック」がない剥き出しの状態なので、エレファンツ・メモリーの下手な演奏が目立ちます。
(小島イコ)
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