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2024年12月02日

「ポールの道」#572「GEORGE'S SINGLES」#35「MY SWEET LORD / LET IT DOWN / MY SWEET LORD(2000)」

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2001年11月29日に、ジョージ・ハリスンは闘病生活の末に58歳で亡くなりました。それで、ジョージの生前の遺作アルバムは「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤となったのです。ジョージの死をうけて、EMIは追悼シングルとして「MY SWEET LORD / LET IT DOWN / MY SWEET LORD(2000)」を2002年1月にリイシューしました。シングルCDでのリリースで、収録された3曲は全てがアルバム「ALL THINGS MUST PASS」30周年記念盤からの音源です。表題曲の「MY SWEET LORD」は、全英チャートで31年ぶりに首位!を獲得しています。カップリングされたのは「LET IT DOWN」と「MY SWEET LORD(2000)」で、「LET IT DOWN」は1970年11月リリースのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」に収録されたのが初出ですけれど、1969年1月のビートルズの「THE GET BACK SESSIONS」の時にはもう出来ていて、ビートルズとしてリハーサルやレコーディングをしていた曲のひとつです。

他にも「SOMETHING」や「OLD BROWN SHOE」や「FOR YOU BLUE」や「I ME MINE」と云ったビートルズで発表出来た曲に加えて、「ISN'T IT A PITY」や「ALL THINGS MUST PASS」や「HERE ME LORD」なども演奏していたし、「ART OF DYING」に至っては、1966年リリースのビートルズのアルバム「REVOLVER」の頃に書いた楽曲です。アルバム「ALL THINGS MUST PASS」がアナログ盤では3枚組だったのは、それだけジョージの曲がビートルズではボツになっていたからです。ジョン・レノンは結構ジョージの事を認めていて、1968年には「THE INNER LIGHT」を、1969年には「SOMETHING」を、それぞれシングルにする事を勧めているので、ジョージの曲をボツにしていたのは、ポール・マッカートニーだったのでしょう。ジョージは1999年に「OBE(大英帝国勲章)」の授章を拒否しているのですけれど、その理由としては、ポールが1997年に授賞した「ナイト(司令官騎士)」よりも下の階級だったからだと云われています。

映画「LET IT BE」やドキュメンタリー映画「GET BACK」を観ると、ポールとジョージの仲の悪さが伝わってくるのですけれど、それはポールがジョージを弟分扱いしているからなんですよね。ポールとジョージは8ヶ月位しか歳が離れていなくて、日本だったなら同学年なんですけれど、ポールは「ジョージをビートルズに加入させたのは僕だ」と云う絶対的な立場で、常にジョージに対しては上から目線なのです。何せポールは「ギターを弾くな」とか「ギターはジョンだけでいい」とか、ジョージに面と向かって云うんですから、ジョージはやっていられないでしょう。ジョージとしては、リーダーでもあって年上のジョンに文句を云われるのならば仕方がなくとも、ポールにはアレコレと云われたくないんですよ。それから、この追悼シングルで面白いのは、「MY SWEET LORD(2000)」もカップリングされている事で、同じベーシック・トラックを使っているのに歌メロが違っているのです。つまり、新世紀ヴァージョンのメロディーは「HE'S SO FINE」とは全く違っているわけで、ジョージが「これでも盗作と云うのかい?」と云っている様にも聴こえます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする