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2024年10月29日

「ポールの道」#358「GEORGE'S SINGLES」#02「MY SWEET LORD / WHAT IS LIFE」

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ジョージ・ハリスンの名曲「MY SWEET LORD」は、英国ではアルバム「ALL THINGS MUST PASS」からのシングル・カットで、1971年1月15日にアップルからリリースされて、全英首位!となっています。米国や日本でのB面は「ISN'T IT A PITY」でしたが、英国では「WHAT IS LIFE」がカップリングされた、超強力盤となっています。と申しますのも「WHAT IS LIFE」は、米国や日本ではアルバム「ALL THINGS MUST PASS」からの第2弾シングルとなってヒットしていて、つまり英国盤は両A面と呼べる様なカップリングとなっているのです。「MY SWEET LORD」は、元々はビリー・プレストンに教わったゴスペルのコード進行を元にしてジョージが書いた曲で、ビリー・プレストンへの提供曲として、1970年9月11日にリリースされたアルバム「ENCOURGING WORDS」に収録されたのが初出です。ビリー・プレストンのヴァージョンは、よりゴスペル色が強いアレンジになっています。ジョージは、1969年に大ヒットしたエドウィン・ホーキンス・シンガーズによる18世紀のゴスペルナンバー「OH HAPPY DAY」のカヴァーから影響されて書いていて、つまり「MY SWEET LORD」は、18世紀のゴスペルが元であって、1963年のシフォンズによる「HE'S SO FINE」も、元はゴスペルのコード進行なのです。

それが、1971年にジョディ・ミラーが「MY SWEET LORD」のアレンジで「HE'S SO FINE」をカヴァーして、1975年にシフォンズが「MY SWEET LORD」をカヴァーして、それらが証拠となり、ジョージは「潜在意識の内における盗用」と云う訳が分からない理由で裁判で負けてしまいました。大瀧師匠に云わせれば「あの裁判官は、音楽の事を何も分かっていない」となるわけで、同じゴスペルが元ネタなのですから、そんな事を云い出したならば「HE'S SO FINE」も盗作じゃないか、となるのですけれどね。「MY SWEET LORD」はジョージとフィル・スペクターの共同プロデュースなので、盛り上がってゆく「ウォール・オブ・サウンド」はフィル・スペクターの発明だし、フィル・スペクターが「HE'S SO FINE」を知らないわけがないので、敢えて寄せているわけで、それでも楽曲の独自性は強いのです。「HE'S SO FINE」の作者は1963年に亡くなっていたので、遺族が金目当てで訴えたわけですなあ。ジョージは、裁判沙汰をネタにした1975年の「THE PIRATE SONG」(「MY SWEET LORD」のイントロから無茶苦茶な別の歌を歌っている「パチモン」ソング)や、1976年の「THIS SONG」(コレは盗作じゃないよ、と歌っていて、プロモーション・ヴィデオで裁判を茶化している)を発表しているので、ジョージ本人は盗作ではないと云う信念があったのでしょう。ジョージの北米ツアーを実際に現地で観た鈴木茂さんは「MY SWEET LORD」のコード進行で名曲「砂の女」を書いているんですけれど、ソレを「盗作」なんて淋しい云い方はしないわけで、まあ、そう云う事なんですよ。

ところで「MY SWEET LORD」は、1971年にギリシャ出身のヴィッキーが日本語(星加ルミ子さん訳で「神よ、おお神よ、ある晴れた日、貴方は来たの」などと歌う)でカヴァーしていて、なかなかの珍品になっています。小山ルミさんも1973年に日本語でカヴァーしていて、そっちは千家和也さんの和訳と云うよりも替え歌です。アルバム「ALL THINGS MUST PASS」の演奏には、エリック・クラプトンを中心にしたデレク&ザ・ドミノスのメンバー(ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードン )、デイブ・メイスン、ピート・ドレイク、ビリー・プレストン、ゲイリー・ライト、ピーター・フランプトン、リンゴ・スター、クラウス・フォアマン、ジンジャー・ベイカー、アラン・ホワイト、ボビー・キーズ、ジム・プライス、ゲイリー・ブルッカー、トニー・アシュトン、マル・エヴァンス、エディ・クレイン、バッドフィンガー(ピート・ハム 、トム・エヴァンス 、ジョーイ・モーランド、マイク・ギビンズ)などが参加していて、ジョンとヨーコさんも手拍子で参加して、ポールだけハブにされて、オーケストラとコーラス・アレンジはジョン・バーハムで、プロデュースはジョージとフィル・スペクターです。英国盤シングルでは「MY SWEET LORD」のB面となった「WHAT IS LIFE」のアウトテイクでは、エリック・クラプトンが狂ったかの様にリード・ギターを弾き捲っているので、云われなくとも参加していると分かりますし、フィル・スペクターがソレをカットしたんだろうなあ、と思えます。

そもそもアルバム「ALL THINGS MUST PASS」がアナログ3枚組の大作となったのは、ビートルズ時代にはアルバムに2曲か3曲しかジョージの曲が採用されなかったからストックが貯まっていたからでもあります。ソレを一気に吐き出したわけで、そりゃあ3枚組にもなりますわなあ。「ART OF DYING」は、1966年リリースのビートルズのアルバム「REVOLVER」の頃に書いた曲ですし、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」の頃には、既にアルバム「ALL THINGS MUST PASS」に収録される多くの楽曲が出来ていました。何せ、タイトル曲の「ALL THINGS MUST PASS」も、何度もビートルズでリハーサルしていた音源が遺されているわけで、レコーディングはビートルズの解散直後の1970年5月から10月にかけて行われているのですから、曲のストックがなければ、そんな早業は不可能です。フィル・スペクターに云わせると「ジョージは何百曲もの未発表曲をストックしていたよ」となるわけで、流石にソレはサバ云うなこのヤローです。1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」の頃は、ジョージのソングライターとしてのピークであって、そうしたジョージ目線でドキュメンタリー映画「GET BACK」を観るのも一興です。当時のジョージは、毎日の様に新曲を書いてスタジオにやって来るわけで、ソレを面白く思わなかったであろうポール・マッカートニーとの仁義なき戦いは、実にスリリングです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする