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2024年10月28日

「ポールの道」#357「GEORGE'S SINGLES」#01「MY SWEET LORD / ISN'T IT A PITY」

オール・シングス・マスト・パス


ビートルズ時代のジョージ・ハリスンは、第三の男と呼ばれていて、つまりはジョン・レノンとポール・マッカートニーによる「レノン=マッカートニー」よりは格下と云う事になっていました。ソレはジョージが歌った曲数の少なさにも出ていて、1963年リリースの1作目のアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」では、ゴフィン&キング作で女性グループ・クッキーズのカヴァー「CHAINS」と、ジョンが主導で書いた「レノン=マッカートニー」作の「DO YOU WANT KNOW A SECRET」の2曲で、同1963年リリースの2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」では処女作の「DON'T BOTHER ME」と、チャック・ベリーのカヴァー「ROLL OVER BEETHOVEN」と、珍しくジョンとデュエットしたスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのカヴァー「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」と、女性グループ・ドネイズのカヴァー「DEVIL IN HER HEART」の4曲で、1964年リリースの3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」では、ジョンが主導で書いた「レノン=マッカートニー」作の「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」の1曲で、同1964年リリースの4作目のアルバム「BEATLES FOR SALE」では、カール・パーキンスのカヴァー「EVERYBODY’S TRYING TO BE MY BABY」の1曲で、ここまでの4作では合計8曲で、自作は「DON'T BOTHER ME」の1曲だけです。

それが、1965年リリースの5作目のアルバム「HELP!」では自作の「I NEED YOU」と「YOU LIKE ME TOO MUCH」と2曲を、同1965年リリースの6作目のアルバム「RUBBER SOUL」でも自作の「THINK FOR YOUR SELF」と「IF I NEEDED SOMEONE」と2曲を、1966年リリースの7作目のアルバム「REVOLVER」では自作の「TAXMAN」と「LOVE YOU TO」と「I WANT TO TELL YOU」の3曲を書いていて、A面1曲目に「TAXMAN」が収録されたり、インド音楽に影響された「LOVE YOU TO」や、後の日本公演で1曲目に演奏された「I WANT TO TELL YOU」と、ジョージならではの楽曲が出来てきています。1967年リリースの8作目のアルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」では自作は「WITHIN YOU WITHOUT YOU」の1曲だけですが、充分に貢献しています。同1967年リリースのEP「MAGICAL MYSTERY TOUR」でも、自作の「BLUE JAY WAY」が1曲取り上げられていて、1968年には初めてシングルのB面に自作の「THE INNER LIGHT」が抜擢されて、同1968年リリースの2枚組で9作目のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」では、自作の「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」と「PIGGIES」と「LONG, LONG, LONG」と「SAVOY TRUFFLE」の4曲がそれぞれの4面に分けて収録されています。

そして、1969年リリースの10作目のアルバム「YELLOW SUBMARINE」には、サントラ盤でビートルズの新曲が4曲しか収録されていないのに、その内の2曲「ONLY A NORTHERN SONG」と「IT'S ALL TOO MUCH」がジョージの自作なのです。しかしながら、コレには事情があって、ビートルズはアニメ映画をバカにしていて、わざと出来が悪い曲をアニメ用に提供していたわけで、ジョージの2曲も元々はボツ音源です。そして、同1969年にはシングルB面で自作の「OLD BROWN SHOE」と、11作目のアルバム「ABBEY ROAD」に自作の「SOMETHING」と「HERE COMES THE SUN」が2曲収録されて、「SOMETHING」は初めてシングルA面となり、遂にジョージの書いた曲が絶賛されました。1970年にリリースされた12作目で最後のアルバム「LET IT BE」にも自作の「FOR YOU BLUE」と「I ME MINE」が2曲収録されていて、よくアルバム「ABBEY ROAD」が録音順だとアルバム「LET IT BE」よりも後なので実質的なラスト・アルバムは「ABBEY ROAD」と云われていますが、ジョージ作の「I ME MINE」はジョンが不参加ですけれど、他の3人でアルバム「ABBEY ROAD」よりも後の1970年1月にレコーディングされています。と云う流れで、ビートルズ時代には公式の全213曲中、ジョージは22曲しか自作曲をリリースしていません。カヴァーとレノン=マッカートニー作品を含めても、29曲しか歌っていません。

ドキュメンタリー映画「GET BACK」では、ポールがスタジオからいなくなったタイミングで、ジョージがジョンに「このままじゃ、ビートルズでは、今までに書いた曲をリリースするのに10年かかるから、ソロ・アルバムを出したい」とお願いする場面があって、ジョンは「グループが結束しようって時にソロかよ」とか云っているのですけれど、たぶん10年かかるなんてサバを読んでいると思っていたのでしょう。それが、1970年11月27日にリリースされたビートルズ解散後では初めてのジョージのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」が、アナログ3枚組箱入りでリリースされた事で「マジだった」と証明されたのです。3枚目はポールに止められてビートルズでは自由にギターを弾けなかった鬱憤を晴らすかの様に、ジャム・セッションでジョージがギターを弾き捲っているのですが、本編2枚に18曲、ボブ・ディランとの共作が1曲、ボブ・ディランのカヴァーが1曲、2ヴァージョン収録した「ISN'T IT A PITY」があるので、ジョージの自作は共作を含めて16曲も収録されているのですから、そりゃあ、ビートルズでアルバムに2曲とかのペースでやっていたならば10年近くかかったでしょう。ジョージとフィル・スペクターの共同プロデュースによってアップルからリリースされたアルバム「ALL THINGS MUST PASS」は、3枚組なのに、全英首位!全米首位!と大ヒットしました。

そんな「ロックの金字塔」と呼ばれたアルバムからシングル・カットされたのが「MY SWEET LORD」で、1970年11月23日に米国では先行シングルとしてリリースされて、全米首位!となっています。元ビートルズで初めて全米首位!となったのは、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのです。英国ではカップリングが違っていて、全英首位!となっています。そのA面「MY SWEET LORD」に関しては、次回で詳しく取り上げます。米国でのB面は「ISN'T IT A PITY」で、アルバムでは2ヴァージョン収録されていた曲の「ヴァージョン1」が収録されていて、この「ヴァージョン1」は7分以上もあります。「ヴァージョン2」は4分45秒なので、普通ならばそちらをシングルにしそうなところを、敢えて長尺な「ヴァージョン1」にした意図は、やはり「ウォール・オブ・サウンド」炸裂のエコーかかり捲りの「ヴァージョン1」を多くの人々に聴いて欲しかったからでしょう。ポールが主導で書いた「レノン=マッカートニー」作の「HEY JUDE」への対抗意識もあったのかもしれません。日本盤のシングルも米国と同じカップリングだったので、ジョージと云えば「ISN'T IT A PITY」と云う印象が強かったですし、1991年の来日公演で本編のラストが「ISN'T IT A PITY」だった事にも驚いたし、嬉しかったです。2009年にリリースされたジョージのオールタイム・ベスト盤「LET IT ROLL」でも、最後は「ISN'T IT A PITY」で終わっているので、現在では全く隠れていない名曲となりました。このシングルは、日本でも4位まで上がっています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:07| FAB4 | 更新情報をチェックする