ジョージ・ハリスンは「静かなるビートル」などと呼ばれていましたが、実際には社交的で、数多くのミュージシャンと交流していました。ポール・マッカートニーの場合は「レコーディングに参加してやる」と云う様な上から目線(バッドフィンガーやメリー・ホプキンなどを見れば明らか)でしたが、ジョージはあくまでも対等もしくは謙虚な態度なので、他のミュージシャンも呼びやすかったのでしょう。以前に取り上げた通りに、アップル時代にはジャッキー・ロマックス、ビリー・プレストン、ドリス・トロイ、バッドフィンガーなどを手掛けていて、1969年には、クリームのアルバム「GOODBYE CREAM」に収録された「BUDGE」をエリック・クラプトンと共作して、ジョージは変名(L'Angelo Misterioso)でリズム・ギターを弾いています。同1969年には、クリームのベーシストだったジャック・ブルースのアルバム「SONGS FOR A TAILOR」の1曲目に収録された「NEVER TELL YOUR MOTHER SHE'S OUT OF TUNE(彼女は調子っぱずれ)」に、やはり変名でリズム・ギターで参加していますが、ミキシングの段階で音量を抑えられていて、そう云う事になっても文句を云わないのがジョージです。そして、同1969年にはジョー・コッカーのアルバム「JOE COCKER」に収録された「SOMETHING」でギターを弾いていて、その「SOMETHING」とは、あのビートルズの「SOMETHING」で、ジョージは最初はジャッキー・ロマックス用に書き、結局はジョー・コッカーへの提供曲として書いたのです。
1970年には、レオン・ラッセルのアルバム「LEON RUSSELL」や、デラニー&ボニーのアルバム「DELANEY AND BONNIE ON TOUR」にギターで参加していて、デレク&ザ・ドミノスのシングル「TELL THE TRUTH / ROLL IT OVER」にギターとバッキング・ヴォーカルで参加しているのですけれど、そのデレク&ザ・ドミノスとは、あのエリック・クラプトンが在籍したバンドで、あの「LAYLA(愛しのレイラ)」を同1970年にリリースするバンドなのです。つまり、ジョージは親友ではあるものの自分の妻の不倫相手でもあるエリック・クラプトンの作品に手を貸していたわけで、翌1971年の「バングラデシュ・コンサート」にもエリック・クラプトンを参加させているのです。前にも書きましたが、ジョージとクラプトンの関係性は全く理解不能です。同1970年には、アシュトン、ガードナー+ダイクのアルバム「THE WORST OF ASHTON, GARDNER + DYKE」に収録された「I'M YOUR SPIRITUAL BREANMAN」でギターを弾いています。1971年には、ゲイリー・ライトのアルバム「FOOTPRINTS」に収録された「GIVE ME THE GOOD EARTH」と「I CAN’T SEE THE REASON」でスライド・ギターを弾いています。スライド・ギターはジョージが大ヒット曲「MY SWEET LORD」で披露して以来ジョージの代名詞となっていて、云われなくとも聴いただけでジョージが弾いていると分かります。
アップル時代にはジョージがソロ・アルバムをプロデュースしていたビリー・プレストンのA&M移籍後のアルバム「I WROTE A SIMPLE SONG」では、表題曲でドブロ・ギターを弾いています。レオン・ラッセルとビリー・プレストンも1971年の「バングラデシュ・コンサート」に出演していて、ボブ・ディランも出演しているので、ジョージの幅広い人脈が伺えます。1972年にはジェシ・エド・デイヴィスのアルバム「ULULU」に「SUE ME, SUE YOU BLUES」を提供していて、その曲も1973年リリースのジョージのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」でセルフ・カヴァーしています。ジェシ・エド・デイヴィスも、ギタリストとして「バングラデシュ・コンサート」にも参加しています。兎に角、ジョージと云う人は名曲を提供曲にしてしまう事が多くて、前述のジョー・コッカーへの「SOMETHING」や、ビリー・プレストンへの「MY SWEET LORD」、そして1971年にロニー・スペクターへ提供した「TRY SOME, BUY SOME」と「YOU(二人はアイ・ラヴ・ユー)」、更に、後にジョンへの追悼曲になった1981年リリースの「ALL THOSE YEARS AGO(過ぎ去りし日々)」も、当初はリンゴへの提供曲として書かれた曲なのです。1972年には、デヴィッド・ブロムバーグのアルバム「DAVID BROMBERG?」に収録された「THE HOLDUP」をデヴィッド・ブロムバーグと共作してスライド・ギターを弾いています。
同じく1972年には、ボビー・キーズのアルバム「BOBBY KEYS」にギターで参加して、ハリー・ニルソンのアルバム「SON OF SCHMILSSON」収録の「YOU'RE BREAKING MY HEART」でスライド・ギターを弾いていて、ルディ・ロメロのアルバム「TO THE WORLD」に収録された「IF I FIND THE TIME」にバッキング・ヴォーカルで、「LOVELY LADY」と「NOTHIN' GONNA GET YOU DOWN」と「DOING THE RIGHT THING」にギターで参加しています。1973年には、ニッキー・ホプキンスのアルバム「THE TIN MAN WAS A DREAMER(夢みる人)」に収録された「WAITING FOR THE BAND」と「EDWARD」と「SPEED ON」と「BANANA ANNA」にギターで参加していて、チーチ&チョンのアルバム「LOS COCHINOS」に収録された「BASKETBALL JONES」でギターを弾いています。同1973年にはリンゴ・スターのアルバム「RINGO」でも共作を含めて3曲(「PHOTGRAPH(想い出のフォトグラフ)」、「SUNSHINE LIFE FOR ME(SAIL AWAY RAYMOND)」、「YOU AND ME(BABE)」)を提供して、ジョンが書いた「I'M THE GREATEST」を含めた4曲でギターとバッキング・ヴォーカルで参加しています。
同1973年には、アルヴィン・リー&マイロン・ルフェーヴルのアルバム「ON THE ROAD TO FREEDOM」収録の「SO SAD(NO LOVE OF HIS OWN)」を提供して、ギター、ベース、ハーモニー・ヴォーカルで参加しています。この曲も「SO SAD」と改題して、ジョージは1974年のアルバム「DARK HORSE」でセルフ・カヴァーしています。その1974年には、デイヴ・メイスンのアルバム「IT'S LIKE YOU NEVER LEFT」に収録された「IF YOU'VE GOT LOVE」でスライド・ギターを弾いています。同1974年にはハリー・ニルソンのアルバム「SON OF DRACULA」に収録された「DAYBREAK」にカウベルで参加しているのですけれど、コレは云われても分かりません。そして、同1974年には、以前に個別で取り上げたロン・ウッドのアルバム「I'VE GOT MY OWN ALBUM TO DO(俺と仲間)」に収録された名曲「FAR EAST MAN」をロン・ウッドと共作して、ギターとバッキング・ヴォーカルで参加しています。この「FAR EAST MAN」も、ジョージは1974年のアルバム「DARK HORSE」にジョージ・ヴァージョンを収録しています。「FAR EAST MAN」は本当に良い曲なので、ロン・ウッドとジョージの両方のヴァージョンを是非とも聴いて欲しいです。1970年代の終わりまで一気に書く心算でしたが、思ったよりもジョージが参加した曲が多かったので、つづきは次回以降とさせて頂きます。
(小島イコ)