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2024年10月13日

「ポールの道」#522「FAB4 GAVE AWAY」#65 「PAUL McCARTNEY 1977-1979」

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1973年にポール&リンダ・マッカートニーとデニー・レインの3人組になってしまった「第3期ウイングス」は、それでも追い詰められた時に真の力量を発揮するポールの底力で傑作アルバム「BAND ON THE RUN」を12月にリリースしました。アルバム「BAND ON THE RUN」は翌1974年にかけてロングセラーとなり、ポールはリード・ギタリストのジミー・マカロックとドラマーのジェフ・ブリトンを加えた5人組の「第4期ウイングス」として改めてリハーサルから始めて、その模様は今年(2024年)にリリースされたスタジオ・ライヴ盤「ONE HAND CLAPPING」で聴けるようになったし、映像版も劇場公開されました。これまで、1974年のポールはシングル「JUNIOR'S FARM」を「第4期ウイングス」でリリースしただけとなっていたのが、公式盤としてアルバム「ONE HAND CLAPPING」がリリースされた事で覆されたわけです。ところが、アルバム「BAND ON THE RUN」に続く1975年5月リリースのアルバム「VENUS AND MARS」のレコーディング途中でポールとケンカしたドラマーのジェフ・ブリトンが表向きには「空手映画俳優になる!」との理由で脱退してしまい、急遽オーディションをしてドラマーはジョー・イングリッシュに交代して「第5期ウイングス」となってしまいました。

一般的にも「ウイングス」と云うならばこの「第5期ウイングス」を指す事も多く、ポール&リンダ、デニー・レイン、ジミー・マカロック、ジョー・イングリッシュの5人組で、1975年5月リリースのアルバム「VENUS AND MARS」の途中からと、1976年3月リリースのアルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」の全てと、1976年12月リリースのアナログ盤では3枚組だったライヴ盤「WINGS OVER AMERICA」の全てと、1978年3月リリースのアルバム「LONDON TOWN」の途中までと、スタジオ盤3作とライヴ盤1作に関わっています。が、しかし、よく見てみるとですね、結局はスタジオ盤をこの5人組で制作出来たのはアルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」だけなのです。そして、ソレはポールが「ウイングスはバンドだ」と云う事を証明する為に、他の4人にもリード・ヴォーカルを任せてしまい、全11曲中6曲しかポールが歌っていないと云うトンデモ盤となってしまったのです。確かにアナログ3枚組のライヴ盤をリリースする程に、この時期の「第5期ウイングス」はライヴ・バンドとしてはウイングス史上最高で、ホーン・セクションの4人も含めた9人組の「第5.5期ウイングス」と呼べる時期でした。

と、今更「第5期ウイングス」時代の1975年から1977年までを語ったのかと云うと、ポールがこの期間には他のミュージシャンの作品には顔を出さない程に「ウイングス」に専念していたからなのですよ。この期間にポールが関わったのは、実弟であるマイク・マクギアと、盟友・リンゴ・スターと云うズブズブの身内だけです。自分のバンドが上手くいっている間には、そっちに重心を置くと云う、実に分かり易い事をポールはやっているのです。が、しかし、1977年9月にジミー・マカロックが脱退して、同年10月にはジョー・イングリッシュも脱退して、ウイングスはまたしてもポール&リンダとデニー・レインの3人組の「第6期ウイングス」となってしまったのです。ジョー・イングリッシュが辛うじて関わっていた「第5.75期ウイングス」による「MULL OF KINTYRE(夢の旅人)」は、英国ではビートルズの「SHE LOVES YOU」の記録を15年ぶりに抜いて、9週連続首位!で英国だけで250万枚も売れました。でも、メンバーがまた3人になっちゃったので、ポールが大好きなライヴ活動は出来なくなったのです。するとですね、ポールは再び色んなところに顔を出すようになりました。それで、1977年にはロイ・ハーパーのアルバム「ONE OF THOSE DAYS IN ENGLAND」の表題曲にバッキング・ヴォーカルで参加していて、同1977年リリースのデニー・レインのソロ・アルバム「HOLLY DAYS」ではベース、ギター、ドラムス、ハーモニカ、ヴォーカル、などで全面的に参加しています。

デニー・レインのアルバム「HOLLY DAYS」は、ポールの会社「MPL」が版権を持っているバディ・ホリーのカヴァー集で、要するにカタログを増やす為に制作された安上がりな出来栄えです。同1977年には、ザ・フーのヴォーカリストであるロジャー・ダルトリーのソロ・アルバム「ONE OF THE BOYS」に「GIDDY」(アルバム「RAM」のアウトテイク「RODE ALL NIGHT」を発展させた曲)をポールが書いて提供しています。同じ「ザ・フー」でも、ジョンはキース・ムーンに書いて、ポールはロジャー・ダルトリーに書くのが、何だか分からないけれど納得してしまいます。1978年にはケイト・ロビンスの「TOMORROW」をプロデュースしていて、同1978年にはアノ「KISS」のジーン・シモンズのソロ・アルバム「GENE SIMMONS」収録の「MR. MAKE BELIEVE」にバッキング・ヴォーカルで参加しています。兎に角、ポールはどこにでも顔を出し捲るので、中には「何で?」とか「何処に?」と云う曲もあります。そのひとつが、1979年リリースのゴドレイ&クレームのアルバム「FREEZE FRAME」収録の「GET WELL SOON」へのバッキング・ヴォーカルでの参加です。ゴドレイ&クレームとは、彼らが10cc時代の1974年にストロベリー・スタジオで同時進行でレコーディングされたマイク・マクギアのアルバム「McGEAR」と10ccのアルバム「SHEET MUSIC」と云う接点がありましたが、どこをポールが歌っているのかサッパリ分かりません。でも、ポールは後に「ギズモ」を演奏しているので、この時に開発者本人であるゴドレイ&クレームから入手したのでしょう。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする