ジョン・レノンが1974年9月26日(米国)・同年10月4日(英国)にアップルからリリースしたソロ名義では4作目のアルバム「WALLS AND BRIDGES」には、エルトン・ジョンがピアノ・オルガン・バッキング・ヴォーカルで参加した「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT(真夜中を突っ走れ)」と、コーラスで参加した「SURPRISE, SURPRISE(SWEET BIRD OF PARADOX)(予期せぬ驚き)」が収録されています。それで、エルトンが「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」をシングル・カットして全米首位!になったなら、ジョンに自分のライヴに出て欲しい、と賭けをします。ジョンは「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」は大した曲ではないと考えていて、実際に全英チャートでは36位までしか上がっていないのですけれど、なな、なんと、エルトンの予言通りに全米首位!となってしまったのです。実は、この曲はジョンにとってはソロになって初めての全米首位!で、つまりは、生前のジョンにとっては唯一の全米首位!獲得曲なのです。以前にも書いた通りに、その後に全米首位!や全英首位!となったジョンのシングル曲は、全てジョンの死後に獲得しているので、ジョン本人はその事実を永遠に知りません。
同時期の1974年11月15日(英国)・同年11月18日(米国)に、エルトン・ジョンはシングル「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS / ONE DAY (AT A TIME)」をリリースしていて、A面は、1967年リリースのビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」に収録されたジョンが主導して書いた「レノン=マッカートニー」作のカヴァーで、B面はジョンの1973年リリースのアルバム「MIND GAMES」に収録されたジョン作のカヴァーです。1974年8月にレコーディングしたA面の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」では、ジョンが「ドクター・ウィンストン・オーブギー」名義でギターとハーモニー・ヴォーカルで参加していて、B面でもギターで参加しています。この「エルトン・ジョン・レノン」によるカヴァー・ヴァージョンは、全英10位・全米首位!を獲得しました。オリジナルの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、幼かったジョンの息子のジュリアンが保育園で描いた絵が元ネタで、ジュリアンが好意をよせていた女の子・ルーシーがダイアモンドと一緒に空にいる、とジョンに説明したのを聞いて書いた曲です。頭文字が「LSD」になっているのは偶然だと、ジョンもポールも云っています。
「失われた週末」時代には、ヨーコさんがいないので、ジョンは前妻・シンシアとの息子・ジュリアンとも再び逢って交流する様になっていて、アルバム「WALLS AND BRIDGES」には父子共演の「YA YA」も収録されています。エルトンとジョンは親友で、エルトンはジョンの次男であるショーンの名付け親でもあります。エルトン版の「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、1976年公開の映画「映画と実録でつづる第二次世界大戦」でもサントラとして使用されています。そのサントラ盤は、全てがビートルズのカヴァーで構成されています。と云う経緯でエルトンはジョンとの賭けに勝ったので、1974年11月28日のエルトンのマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴにジョンは飛び入りして、「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」と、何故かポールが主導して書いたレノン・マッカートニー作でビートルズのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」の1曲目に収録されている「I SAW HER STANDING THERE」を「いつもは別れたフィアンセが歌うけれど、今宵は僕が歌うよ」と云って披露したのです。ジョンが大観衆の前で、最後に演奏した曲が、奇しくも「I SAW HER STANDING THERE」となってしまいました。
1974年当時全米首位!となった「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」と、翌1975年に全米首位!になる「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は分かりますが、何故にもう1曲が「I SAW HER STANDING THERE」だったのかは、謎です。当時のジョンはポールと和解したどころかセッションもやっていて、翌1975年5月にリリースされるポールが率いるウイングスのアルバム「VENUS AND MARS」のニューオリンズでのレコーディングに、ジョンが参加する予定にもなっていたものの、前述のエルトンのライヴの楽屋でヨーコさんと再会してよりを戻してしまい、ヨーコさんの反対でオジャンになってしまったのです。メイ・パンと一緒だったから、ポールとも和解したし、ジュリアンとも再会出来たし、音楽的には実りが多かった事実は近年は認められてきてはいるものの、この時期のプロモーション・フィルムなどに何故か「いなかったはずのヨーコさんが出てくる」のは、歴史の改竄です。エルトン・ジョンのシングルはオリジナル・アルバム未収録ですが、両面共にエルトンの1975年リリースのアルバム「CAPTAIN FANTASTIC & THE BROWN DIRT COWBOY(キャプテン・ファンタスティック)」のCDにボーナス・トラックとして収録されていますし、ジョンとエルトンのライヴ3曲は1990年リリースのジョンの箱「LENNON」などで聴けます。
(小島イコ)
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