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2024年09月28日

「ポールの道」#507「FAB4 GAVE AWAY」#51 「GOODNIGHT VIENNA」「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」

Goodnight Vienna


1974年11月15日に英国で、同年11月18日に米国でリリースされたリンゴ・スターの4作目(リンゴ的には2作目)のソロ・アルバム「GOODNIGHT VIENNA(グッドナイト・ウィーン)」は、前作で大ヒットしたアルバム「RINGO」と同じリチャード・ペリーのプロデュースで、多くの大物ミュージシャンが楽曲を提供してレコーディングにも参加している、清々しいほどの二番煎じです。内容は、A面が、1「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」、2「OCCAPELLA」、3「OO-WEE」、4「HUSBANDS AND WIVES」、5「SNOOKEROO」で、B面が、1「ALL BY MYSELF」、2「CALL ME」、3「NO NO SONG」、4「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」、5「EASY FOR ME」、6「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」の、全11曲入りです。タイトル曲「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」で始まり、最後も「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」で終わる構成は、ビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を思わせます。何で「グッドナイト・ヴィエナ」の邦題が「グッドナイト・ウィーン」なのかと云うと「VIENNA」が元々はドイツ語の「WIEN」なので、それをローマ字読みしたからなのだそうです。

そのタイトル曲「GOODNIGHT VIENNA」は、ジョン・レノンの書き下ろしで、ジョンはピアノでも参加していて、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)と云うメンバーは、ジョンの1974年10月リリースのアルバム「WALLS AND BRIDGES」と同じ布陣です。そもそも、何故にリンゴがこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」を制作したのかと云うとですね、1973年からジョンやニルソンと呑み歩いていたリンゴが、1974年になってジョンとニルソンがニルソンのアルバム「PUSSY CATS」の仕上げをする為にロサンゼルスからニューヨークへ行ってしまい、残されたリンゴが暇になってしまったので、じゃあレコーディングするか、となったのです。そんなお気楽な気分で制作されたアルバム「GOODNIGHT VIENNA」は、全英30位とその後の落ちぶれる前兆を感じさせるものの、全米8位と大ヒットしているのです。本格的なレコーディングは、ジョンのアルバム「WALLS AND BRIDGES」の制作が終了してからそのメンバーをロサンゼルスに呼んで行われていて、ジョンも駆けつけて参加しています。当時は、ジョンとリンゴはお互いのアルバムのCMに出演していて、そう云えば、ポールやジョージとはジョンはケンカした事もあったけれど、リンゴとはずっと仲良しだったのです。

ブギ調でゴキゲンなジョン作の「GOODNIGHT VIENNA」は、シングル・ヴァージョンでは「(IT'S ALL DA-DA DOWN TO)GOODNIGHT VIENNA」と「GOODNIGHT VIENNA(REPRISE)」を編集しているので、アルバム・ヴァージョンとは違っています。そのシングルは、第3弾シングルだった事もあって、チャート入りしていません。この楽曲にもジョンが自らノリノリで歌ったヴァージョンもあって、ジョンの死後の1998年11月にリリースされた箱の「ANTHOLOGY」に収録されています。そして、もう1曲、ジョンはこのアルバム「GOODNIGHT VIENNA」に貢献していて、それがプラターズのカヴァー「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」です。当時ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」も制作途中で、ニルソンのアルバム「PUSSY CATS」にもジョンが自分で歌いたかったであろうカヴァーを入れているのですが、このリンゴの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」もそのひとつだったのでしょう。ジョンはアルバム「ROCK ’N' ROLL」のセッションでは、ロージー&ザ・オリジナルズの「ANGEL BABY」や、ロネッツの「BE MY BABY」などもカヴァーしていて、ビートルズ時代から女の子が歌った曲でさえも軽々とカヴァーしてしまうので、それに比べたらプラターズの「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」なんて、もうお手の物だったのです。

ジョンは、やはり前述のアルバム「WALLS AND BRIDGES」のレコーディング・メンバーで、リンゴの為にデモを制作していて、リンゴはそのジョンのヴォーカル・スタイルのまんまコピーして歌っています。ニルソンのコーラスも粋なこのカヴァーは第1弾シングル・カットされて、全英では26位止まりでしたが、全米では6位まで上がるヒット曲となっています。ジョンが歌ったヴァージョンは、やはり前述の箱「ANTHOLOGY」と、ダイジェスト盤の「WONSAPONATIME」に収録されているので、容易に聴く事が出来ます。アルバム「GOODNIGHT VIENNA」には、他にもエルトン・ジョンとバーニー・トーピンによる書き下ろしの「SNOOKEROO」や、ニルソン作の「EASY FOR ME」と云った提供曲もあって、レコーディング・メンバーも前述のジョンたちに加えて、ビリー・プレストン、デイヴィッド・フォスター、ニッキー・ホプキンス、ドクター・ジョン、スティーヴ・クロッパー、ロビー・ロバートソン、ロン・ヴァン・イートン、ボビー・キーズなど、豪華絢爛だったものの、前作「RINGO」での元ビートルズ揃い踏みに比べるとインパクトは弱かったのが、特に英国での成績に表れています。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」も「GOODNIGHT VIENNA」もリンゴの2007年のベスト盤でも聴けますが、「GOODNIGHT VIENNA」は前述のシングル・ヴァージョンですので、アルバム「RINGO」とアルバム「GOODNIGHT VIENNA」とベスト盤の3枚位は買って下さい。

(小島イコ)

さて、本日(9月28日)は、櫻坂46の山ア天ちゃんの19歳のお誕生日です。オーディションの時には12歳、欅坂46に二期生として加入した時は13歳、そのまま若干13歳で東京ドームのステージに立っていたわけで、初めて紅白歌合戦に出演した時には年齢制限で最初に「パプリカ」をFoorinと一緒に踊っただけで欅坂46のパフォーマンスには参加出来なかったのです。欅坂46の配信ライヴでセンターを務めたのが14歳で、「ViVi」の専属モデルになったのは15歳で、初めての表題曲センターを務めた「五月雨よ」の時でもまだ16歳で、早熟な逸材だったわけですが、17歳で再び東京ドームのステージにに立ち、18歳で2度目の表題曲「何歳の頃に戻りたいのか?」でセンターを務め、三度東京ドームのステージに立ち、今や櫻坂46のエースのひとりで、三期生や来るべき四期生の大先輩なのに、まだ10代なのです。世代的には三期生と同じなわけで、まだまだ天ちゃんには頂点を目指して頑張って頂きたいです。櫻坂46の新曲「I want tomorrow to come」を聴きましたけど、何だかプログレッシヴ・ロックみたいな展開の曲で、フルサイズでないと分かり難そうなので、歌番組ではどうするんでしょう。天ちゃん、お誕生日おめでとう。

(小島イコ/姫川未亜)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする