ビートルズの公式ライバルとして売り出されたローリング・ストーンズとは、実はズブズブの身内で、そもそもデッカにローリング・ストーンズを紹介したのは当時若干二十歳だったジョージ・ハリスンです。ローリング・ストーンズのマネジャーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムは、ビートルズのマネジャーだったブライアン・エプスタインの元・部下で、その繋がりでジョン・レノンとポール・マッカートニーは1963年にデビュー間もないローリング・ストーンズに「I WANNA BE YOUR MAN」を「レノン=マッカートニー」名義で提供していて、その後もジョンはローリング・ストーンズを「あいつらはビートルズの後追いばかりしている」とか云っていて、晩年になってもジョンは「MISS YOU」は俺様が書いた「SCARED」のテンポを速くしただけだ、などと生涯を通じて完全に上から目線で舎弟扱いしていました。ビートルズが1966年にライヴ活動を休止した時にミック・ジャガーが文句を云ったら、ジョンは「俺たちはミックがランチ・ボックスを持って学校に通っている頃から、毎日一晩中ハンブルグでライヴをやっていたんだ」と云い返されていました。
そんな表面上はライバル風にしていながら、ビートルズとローリング・ストーンズは滅茶苦茶仲が良くて、1967年のビートルズのシングル「ALL YOU NEED IS LOVE(愛こそはすべて)」には、ミック・ジャガーとキース・リチャーズがコーラスで参加しているのが全世界衛星中継されてバッチリと映っているのです。それでも当時は「ビートルズ派」と「ローリング・ストーンズ派」でファンが対立していたのですから、現在では考えられません。「ALL YOU NEED IS LOVE」にはマリアンヌ・フェイスフルやキース・ムーンも参加していて、つまりは、ビートルズもローリング・ストーンズもザ・フーも、更に云えば、ヤードバーズもクリームもジミ・ヘンドリックスもジェフ・ベック・グループもレッド・ツェッペリンも、みんな仲間で仲良しなのです。その仲間に入らなかったのは、アノ変人・レイ・デイヴィスが率いるキンクス位なもんでしょう。ジョンとポールは、1967年のローリング・ストーンズのシングル「WE LOVE YOU(この世界に愛を)」にコーラスで参加しているのですけれど、契約上の問題でジョンとポールの参加は公にされなかったので、実は仲良しと云う事実は隠されていました。
1967年にはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがビートルズの楽曲「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」にアルト・サックスで参加しているのですが、リリースされたのはブライアン・ジョーンズの死後の1970年3月で、シングル「LET IT BE」のB面でした。1967年11月にリリースされたローリング・ストーンズのアルバム「THEIR SATANIC MAJESTIES REQUEST」は、モロにビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」の影響が感じられる内容で、3Dジャケットにはビートルズの4人の顔写真も紛れ込ませてあります。コレはビートルズのアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」のジャケットでシャーリー・テンプルの人形が着ているセーターに「WELCOME THE ROLLING STONES」と書かれてあるからお返ししたと思われます。ローリング・ストーンズは、1968年12月にリリースされたアルバム「BEGGARS BANQUET」からは独自の路線を見つけて、その後は2024年の現在もつづくモンスター・ロックンロール・バンドとなるのでした。
その1968年12月にはTV番組「THE ROLLING STONES ROCK AND ROLL CIRCUS」をマイケル・リンゼイ=ホッグ監督(直前にビートルズの「HEY JUDE / REVOLUTION」のプロモーション・フィルムを、直後にビートルズの映画「LET IT BE」を監督)で撮りましたが、18年後の1996年までお蔵入りとなっていました。ゲストとして「THE DIRTY MAC」と云うバンドが出演していて、そのメンバーが、ジョン・レノン(ヴォーカル、ギター)、エリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース!)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と云う、スーパー・バンドでした。ビートルズとクリームとローリング・ストーンズとジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが合体した化物バンドですが、4人で演奏したのはビートルズの「YER BLUES」のみで、2曲目はヨーコさんの奇声「キエー!」とイヴリー・ギトリスによるヴァイオリンが交錯する「WHOLE LOTTA YOKO」と名付けられた楽曲で、いつも通り、困ったちゃんなのです。「THE ROLLING STONES ROCK AND ROLL CIRCUS」がお蔵入りした理由は、ミック・ジャガーがゲストで呼んだザ・フーによる「A QUICK ONE WHILE HE'S AWAY」の圧倒的なパフォーマンスに及び腰となり、ローリング・ストーンズの演奏部分を撮り直したいと云い出したからだと云われています。
そんなヘタレな部分もあるミック・ジャガーですけれど、1973年秋に「失われた週末」に突入したジョン・レノンのプロデュースで、100プルーフ・エイジド・イン・ソウルのカヴァー「TOO MANY COOKS(SPOIL THE SOUP)」をレコーディングしています。レコーディング・メンバーは、ダニー・コーチマー(ギター)、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、アル・クーパー(キーボード)、ジャック・ブルース(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ボビー・キーズ(サックス)、トレヴァー・ローレンス(サックス)、ハリー・ニルソン(バッキング・ヴォーカル)で、繰り返しますが、この非の打ち所がないバカ面子をバックに、ミックが歌っていて、ジョンがプロデュースしているのですが、これがまたお蔵入りしてしまい、長い間ブートレグでしか聴けない幻の楽曲となっていました。「TOO MANY COOKS(SPOIL THE SOUP)」が解禁されたのは、なな、なんと、レコーディングから34年後で、2007年10月にリリースされたミック・ジャガーのソロ名義でのベスト・アルバム「THE VERY BEST OF MICK JAGGER」に収録されて日の目を見ました。その音源はジョンの愛人だったメイ・パンがマスター・テープを大切に保管していたもので、近年はメイ・パンの株が上がっている理由のひとつです。
(小島イコ)