メリー・ホプキンはアップル・レコードから、1968年8月リリースのデビュー・シングル「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」、1969年2月リリースのデビュー・アルバム「POST CARD(ポップスのシンデレラ / メリー・ホプキン・ファースト)」、同年3月リリースの2作目のシングル「GOODBYE」、1970年1月リリースの3作目のシングル「TEMMA HARBOUR(夢みる港) / LONTANO DAGLI OCCHI(瞳はるかに)」と、順調にキャリアを重ねてヒットを連発していました。そして、それらはポール・マッカートニーがプロデュースや楽曲提供やアレンジで参加していたのですけれど、ポールによるポップな路線がメリー・ホプキンは余り気に入ってはいなかったらしいのです。そして、1971年10月1日(英国)・同年11月3日(米国)にアップルからリリースされた2作目のアルバム「EARTH SONG / OCEAN SONG(大地の歌)」は、夫となるトニー・ヴィスコンティによるプロデュースで方向転換しました。このアルバムでメリー・ホプキンは、ようやく自分がやりたかった音楽を実現出来たと云っています。
アルバム「EARTH SONG / OCEAN SONG」の内容は、A面が、1「INTERNATIONAL(インターナショナル)」、2「THERE'S GOT BE MORE(明日を生きよう)」、3「SILVER BIRCH(涙の白樺林)」、4「HOW COME THE SUN(何故、太陽は輝かない)」、5「EARTH SONG(大地の歌)」で、B面が、1「MARTHA(マーサ)」、2「STREETS OF LONDON(ロンドン通り)」、3「THE WIND(風)」、4「WATER, PAPER & CLAY(水と紙と粘土)」、5「OCEAN SONG(海の果てまで)」の、全10曲入りです。1992年にCD化された時にはボーナス・トラックは収録されていませんが、2010年の再CD化では3曲(「KEW GARDEN」、「WHEN I AM OLD DAY」、「LET MY NAME BE SORROW(私を哀しみと呼んで)」)が追加収録されています。トニー・ヴィスコンティも自画自賛した傑作アルバムですが、リリース当時には評価は低かったようです。何しろデビューからずっとポールが関わっているポップス路線で売れたわけで、突然に方向転換されたら聴き手は困ったちゃんなのです。前にも書きましたが、メリー・ホプキンのこのアルバムは「元祖・狂っていない時のケイト・ブッシュによるブリティッシュ・フォーク・アルバム」です。
このアルバムを発表した同1971年にトニー・ヴィスコンティと結婚したメリー・ホプキンは、歌手活動を引退して専業主婦となりました。そして、1972年11月24日(英国)・同年9月25日(米国)には、ベスト盤「THOSE WERE THE DAY(ベスト・オヴ・メリー・ホプキン)」がアップルからリリースされました。LPは全11曲入りでしたが、1995年にCD化されて全17曲入りで曲順も変更されています。CDの内容は、1「THOSE WERE THE DAY(悲しき天使)」、2「GOODBYE」、3「TEMMA HARBOUR(夢みる港)」、4「THINK ABOUT YOUR CHILDREN(未来の子供たちのために)」、5「KNOCK KNOCK WHO'S THERE(しあわせの扉)」、6「QUE SERA SERA(WHATEVER WILL BE, WILL BE)(ケ・セラ・セラ)」、7「LONTANO DEGLI OCCHI(瞳はるかに)」、8「SPARROW」、9「HERITAGE」、10「THE FIELD OF ST. ETIENNA」、11「JEFFERSON」、12「LET ME NAME BE SORROW(私を哀しみと呼んで)」、13「KEW GARDEN」、14「WHEN I AM OLD DAY」、15「SILVER BIRCH AND WEEPING WILLOW(涙の白樺林)」、16「STREETS OF LONDON(ロンドン通り)」、17「WATER, PAPER & CLAY(水と紙と粘土)」です。
メリー・ホプキンにはアルバム未収録シングルが多いので、このベスト盤でもその全ては収録されてはいません。ポールが書いたのは「GOODBYE」1曲ですが、プロデュースしている曲は「THOSE WERE THE DAY」と「GOODBYE」と「LONTANO DEGLI OCCHI」と「SPARROW」と「THE FIELD OF ST. ETIENNA」の5曲が収録されています。名曲「GOODBYE」は、メリー・ホプキンがヴォーカルとアコースティックギターを弾いている以外のベーシックトラックは、全てをポールがひとりで演奏しています。ミッキー・モストがプロデュースしたドリス・デイのカヴァー曲「QUE SERA SERA(WHATEVER WILL BE, WILL BE)」は、ポールがアレンジしてギターとベースも弾いていて、リンゴ・スターがドラムスで参加しています。この曲は、特にメリー・ホプキンは気に入っていなかったようです。要するにメリー・ホプキンは、ビートルズ色が濃い曲がイヤだったのでしょう。引退したメリー・ホプキンは、夫だったトニー・ヴィスコンティが共同プロデュースしたデヴィッド・ボウイの1977年リリースのアルバム「LOW」などに「メリー・ヴィスコンティ」名義で参加していましたが、1981年に離婚後には音楽活動を再開して、今なお現役バリバリです。ちなみに、トニー・ヴィスコンティは後にメイ・パンと再婚していて、ビートルズ絡みの女性が好きなんでしょうか。
ところで、この前「ハマスカ放送部」を観ていたら、洋楽のプレイ・リストを選んでいて、元・乃木坂46の齋藤飛鳥ちゃんが5曲選んでいる中に、ルー・リードの「PERFECT DAY」が入っていて、へ〜、飛鳥ちゃんってルー・リードを聴いているんだ、と思ったのですが、なんと、バッドフィンガーの「KNOW ONE KNOWS(誰も知らない)」も選んでいたのです。みんなバッドフィンガーを、それこそ誰も知らないのか、イジられていなかったのですけれど、バッドフィンガーの、しかも、アップル時代の大ヒット曲(「NO MATTER WHAT(嵐の恋)」や「WITHOUT YOU」や「DAY AFTER DAY」など)ではなく、ワーナー時代のアルバム「WISH YOU WERE HERE(素敵な君)」から日本でだけシングル・カットされた曲を選んでいるって事は、飛鳥ちゃんは「バッドフィンガーのディープなファン」なの?と驚きました。ちなみに、あたくしは飛鳥ちゃんとお誕生日が同じです。
(小島イコ)