ビリー・プレストンは、1969年にアップルからジョージ・ハリスンのプロデュースでアルバム「THAT'S THE WAY GOD PLANNED IT(神の掟)」をリリースして、翌1970年9月11日(英国)・同年11月9日(米国)にアップルでの2作目のアルバム「ENCOURAGING WORDS」を、やはりジョージのプロデュースでリリースしています。アルバムの内容は、A面が、1「RIGHT NOW」、2「LITTLE GIRL」、3「USE WHAT YOU GOT」、4「MY SWEET LORD」、5「LET THE MUSIC PLAY」、6「THE SAME THING AGAIN」で、B面が、1「I'VE GOT A FEELING」、2「SING ONE FOR THE LORD」、3「WHEN YOU ARE MINE」、4「I DON'T WANT YOU TO PRETEND」、5「ENCOURAGING WORDS」、6「ALL THINGS MUST PASS」、7「YOU'VE BEEN ACTING STRANGE」の、全13曲入りです。約半数がビリーのオリジナルですが、あと半数は共作やカヴァーも収録されています。
ビートルズ関連で云えば、B面1曲目に「I'VE GOT A FEELING」のカヴァーが収録されています。この幻のアルバム「GET BACK」(2021年にアルバム「LET IT BE」50周年記念盤で公式盤となった)とアルバム「LET IT BE」に収録された本当の「レノン=マッカートニー」合作曲は、1969年1月30日の「ルーフトップ」でも演奏されていて、つまりはビリー・プレストンはオリジナルのビートルズ・ヴァージョンにも参加しています。更に、ジョージは自分のアナログ盤では3枚組だったビートルズ解散後初のソロ・アルバム「ALL THINGS MUST PASS」と、このアルバムと、ドリス・トロイのアルバムを並行してレコーディングしていたので、ゴスペル調の作風はビリーから大きな影響を受けていて、レコーディング・メンバーもそれらと同じです。ジョージが「LORD」と云う言葉を使うのに躊躇していた時に、ビリーとの共作「SING ONE FOR THE LORD」を書いた事で吹っ切れて、「MY SWEET LORD」を書いていて、ビートルズの「THE GET BACK SESSIONS」でも演奏していた「ALL THINGS MUST PASS」と2曲をこのアルバムに提供しています。
「MY SWEET LORD」も「ALL THINGS MUST PASS」も、ジョージは自分のソロ・アルバム「ALL THINGS MUST PASS」にも収録していますが、ジョージの方が後の1970年11月27日リリースなので、つまりは「MY SWEET LORD」と「ALL THINGS MUST PASS」はビリーへの提供曲であって、こっちがオリジナルで、ジョージはセルフ・カヴァーした事になります。「MY SWEET LORD」は、そのセルフ・カヴァーの方のジョージ・ヴァージョンが売れて、盗作裁判になったわけですが、ビリーのヴァージョンはよりゴスペル調となっていて、シフォンズの「HE'S SO FINE」とはそんなに似ていません。まあ、ジョディ・ミラーが「MY SWEET LORD」風なアレンジで「HE'S SO FINE」をカヴァーしたり、シフォンズが「MY SWEET LORD」をカヴァーして、問題になったんですけれどね。アレは、ジョージと共同プロデュースしたフィル・スペクターが敢えて「HE'S SO FINE」に寄せているから、似ているんじゃないでしょうか。ビリー・プレストンはアップルではシングル4作とアルバム2作しか残していませんが、ビートルズ解散後のジョン、ジョージ、リンゴとも共演しています。
A&Mに移籍したビリー・プレストンは、1972年にはインストゥルメンタル曲の「OUTA SPACE」が全米2位の大ヒットとなり、グラミー賞を獲得しました。更に、1972年には歌ものの「WILL IT GO ROUND IN CIRCLES」と1974年の歌ものの「NOTHING FROM NOTHING」は全米首位!となり、キーボード・プレイヤーとしてだけではなく、ソングライターとしてもヴォーカリストとしても全盛期を迎えました。ジョー・コッカーが熱唱した「YOU ARE SO BEAUTIFUL(美し過ぎて)」も、ビリーが書いた曲です。ビリーはジョージが提唱した1971年の「バングラデシュ難民救済コンサート」や、1974年のジョージの北米ツアーにも参加して、1989年から始まったリンゴのオールスター・バンドにも参加(お陰で生で観れた)していて、1970年代のローリング・ストーンズのアルバムやツアーにも参加しています。モータウン時代には、1979年にシリータとのデュエット曲「WITH YOU I'M BORN AGAIN」を大ヒットさせて、1981年にはデュエット・アルバムもリリースしています。その後も、JETやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのアルバムにも参加していたものの、病で倒れ2006年に59歳の若さで亡くなっています。それでも10歳でデビューしているので、半世紀近いキャリアでした。
(小島イコ)