1967年1月6日にデッカからリリースされたサントラ盤「THE FAMILY WAY(ふたりだけの窓)」に、ポールは単独名義で主題曲の「LOVE IN THE OPEN AIR」を書き下ろしました。実際のオーケストラ・アレンジや演奏はサー・ジョージ・マーティンが担当しているし、ポールもインストゥルメンタル曲ならば「レノン=マッカートニー」名義でなくともいいや、と勝手に思ったのかもしれません。ジョンが単独で映画に俳優として参加したのだから、自分も映画音楽を単独で書いたっていいじゃん、と思ったのかもしれません。しかしながら、ジョンが俳優に挑戦したのと、ポールが単独名義で映画音楽を書いたのでは、大きな違いがあります。ジョンとポールは、10代半ばで出逢ってから、どちらか片方が書いた曲も全て「レノン=マッカートニー」名義で発表すると決めていました。それは「ゴフィン&キング」の様な、職業作家を目指していたからだと云われています。
その取り決めは、ビートルズでのオリジナルだけではなく、提供曲でも「レノン=マッカートニー」名義だったし、現在ではジョンの単独作とされている1969年リリースのプラスティック・オノ・バンドの「GIVE PEACE A CHANCE(平和を我等へ)」まで、リリース当時は「レノン=マッカートニー」名義だったのです。其の辺に「ジョンのビートルズ(ポール)に対する未練」を感じるし、逆にポールは平気でライヴ盤で「マッカートニー=レノン」名義にしてしまう「何も考えていない天然バカボン」ぶりを発揮しています。時は1967年6月1日、ビートルズはアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」をリリースして、ロックの頂点に輝いていました。そんな「サマー・オブ・ラヴ」からの1967年10月20日に、ポールは「CAT CALL」を単独名義でクリス・バーバー・バンドに提供して、マーマレードからリリースしています。B面の「MERCY MERCY MERCY」は、ビートルズ関連曲ではありません。
クリス・バーバー・バンドは、ストレンジャー・ウィズ・マイク・シャノンみたいなへっぽこバンドではなくて、1959年に全英3位の「PETIT FLEUR(小さな花)」を大ヒットさせている老舗バンドでした。ソレで、ポールは「LOVE IN THE OPEN AIR」と同じインストゥルメンタル曲だからいいじゃん、と「マッカートニー」単独名義で提供して、見事に売れなかったのです。「CAT CALL」はビートルズが無名時代に演奏していた「CAT WALK」を改題した曲で、其の時には「レノン=マッカートニー」名義でした。コノ頃になると、ジョンはビートルズ用の曲すらポール程には書けなくなっていて、とてもじゃないけど提供曲なんて書いていられない状況でした。対してポールは、マメに提供曲も書くし、スキャッフォルド(ポールの実弟・マイク・マクギアが在籍)や、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド(後にラトルズをやるニール・イネスが在籍)をプロデュースしてヒットさせています。
(小島イコ)
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