1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドル・スティック・パーク公演でライヴ活動を休止してしまったビートルズは、世間からは何をやっているのか分からない状態となり、1967年2月17日(英国・パーロフォン)・同年2月13日(米国・キャピトル)にロック史上最強のカップリング・シングル「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」をリリースするまでの半年間は謎となっていました。現在の感覚では半年間レコードを出さなかっただけで「消えた」などとは思われませんが、1960年代にはビートルズは年間2作のアルバムをリリースしていたし、ビーチ・ボーイズは年間3作もアルバムをリリースしていたのですから、半年も新作がなくベスト盤のみだと「ビートルズは終わった」などと書き立てられたのです。1966年はオリジナル・アルバムを「REVOLVER」しかリリースしなかったビートルズは、ライヴ活動も止めたので、それぞれが個人的な活動をする時間的な余裕が生まれました。
ジョンは映画「A HARD DAY'S NIGHT」や映画「HELP!」を監督したリチャード・レスター監督の映画「HOW I WON THE WAR」に俳優として参加して、髪をバッサリと切って、ソレ以後にトレードマークとなる丸メガネをかけて出演しています。ジョージは本格的にラヴィ・シャンカールからシタールを学ぶ為にインドへゆき、リンゴは家族と休暇を満喫してジョンの撮影現場にも訪れたりしました。そうして他の3人がビートルズから外れた活動をしている間に、ポールは初のサントラ盤を手掛ける事となったのです。ボウルティング・ブラザーズ監督の映画「THE FAMILY WAY(ふたりだけの窓)」にポールが書いたのは主題曲の「LOVE IN THE OPEN AIR」のみで、サー・ジョージ・マーティンが変奏曲として全編に渡って演奏しているので、ジャケットの「MUSIC COMPOSED BY Paul McCARTNEY」は些か過大なコピーです。ポールが絡んでいるのでプレミアが付いていましたが、現在ではシングル・ヴァージョンも収録したCDがリイシューされています。
元々、此のサントラ盤は1967年1月6日(英国・デッカ)・同年6月12日(米国・ロンドン)にリリースされていて、英国盤が因縁のデッカからと云うのがポイントです。1962年1月1日のデッカ・オーディションでビートルズを落としておいて、5年後にはポールの名前でサントラ盤を売っているのですから、困ったちゃんなのです。それで、このサントラ盤「THE FAMILY WAY」がポールの最初のソロ・アルバムなのかと云うと、前述の通りポールは「LOVE IN THE OPEN AIR」を書いただけなので、ベースやピアノなどでも参加しているものの、一寸違うでしょう。どちらかと云うと、サー・ジョージ・マーティンがビートルズの曲をオーケストラ・アレンジしたアルバム「OFF THE BEATLE TRACK」やアルバム「GEORGE MARTIN PLAY THE “HELP”」やアルバム「THE BEATLE GIRLS」などに近いと思います。つまりは、ポールが曲を提供したサー・ジョージ・マーティンの作品だと云う事です。ポールはピーター&ゴードンへの「WOMAN」でバーナード・ウェブ名義で実質的にはソロ名義で曲を提供して、遂に「LOVE IN THE OPEN AIR」では「ポール・マッカートニー」名義で曲を書いてしまったわけで、大いなるフライングでした。
(小島イコ)
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