1963年には「BAD TO ME」や「I CALL YOUR NAME」や「I’M IN LOVE」と云った傑作を提供していたジョンですが、1964年になるとビートルズが忙しくなって他人に曲を書いている暇などなくなりました。1964年7月10日にリリースされたビートルズの3作目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」は全13曲がレノン=マッカートニー作のオリジナルでしたが、ジョンが10曲でポールは3曲しか書いていません。その分、ポールは1964年になっても提供曲を書いてはいるものの、ポール曰く「ビートルズで演奏するレベルに達していない曲を、他人に回していた」なのです。中にはピーター&ゴードンに書いた「A WORLD WITHOUT LOVE(愛なき世界)」や「NOBODY I KNOW(二人だけのパラダイス)」や「I DON'T WANT TO SEE YOU AGAIN(逢いたくないさ)」の様な佳曲もあるものの、「ONE AND ONE IS TWO」とか「TIP OF MY TONGUE」と云ったタイトルを聞いただけで、ダメだこりゃ、な駄作も多いのです。
1964年12月4日にリリースされたビートルズの4作目のアルバム「BEATLES FOR SALE」は、過酷なツアーやテレビやラジオ出演をこなしながらの制作だった為に、レノン=マッカートニー作のオリジナルは8曲で、残りの6曲はカヴァーでした。そのオリジナルも、ジョン作の「NO REPLY」はトミー・クイックリーへの提供曲の予定をビートルズで演奏してしまったり、ポール作の「I'LL FOLLOW THE SUN」は16歳の頃に書いた蔵出しだったりして、全く余裕がなくなっていました。だからと云って他人に回した「ポールの駄作」をビートルズでやるわけにもいかなかったのです。リンゴ用の曲まで一旦はボツにして、別の曲をレコーディングし直していたのですからね。其の辺を考えると、1965年9月17日(英国・リバティー・B面は「MY PRAYER」)、同年7月5日(米国・リバティー・B面は「LET THE WATER RUN DOWN」)にリリースされたP.J.プロビーへの提供曲となった「THAT MEANS A LOT」が悪い例でしょう。ビートルズによるボツ音源は、現在では「ANTHOLOGY 2」で聴けますが、酷いもんです。
このポールが書いた駄作「THAT MEANS A LOT」は、1965年8月6日にリリースされたビートルズの5作目のアルバム「HELP!」のセッションで、何度も繰り返して演奏された挙句の果てに、ボツになった楽曲です。ポールの悪い癖で、どうしようもない駄作に執着して、他の3人やサー・ジョージ・マーティンにも呆れられる、いつものパターンです。例えばデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」でボツになった「HOLD ME TIGHT」と云う駄作を、リメイクして2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」に収録しちゃったとか、毎度お馴染みのパターンです。駄作「HOLD ME TIGHT」はフィル・スペクターがプロデュースしてトレジャーズがカヴァーしていて、それを元にして大瀧師匠が名曲「白い港」にしちゃったから何がどうなるかは分かりません。しかし「THAT MEANS A LOT」にはそんなドラマもなく、P.J.プロビー盤は全英24位、全米ではチャート入りしていません。アルバム「HELP!」には、ご存知の通り「YESTERDAY」が収録されているのですが、同じ人が書いたとは思えません。
(小島イコ)