1976年から契約で英国パーロフォンと米国キャピトルはビートルズの編集盤を作る権利を得たので、1976年6月には編集盤「ROCK'N'ROLL MUSIC」を、1977年5月にはライヴ盤「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」を、1977年10月には編集盤「LOVE SONGS」をリリースして、それぞれ大ヒットさせました。1976年3月には英国盤シングルの箱を、1978年12月には英国オリジナル・アルバムの箱を、それでも漏れる曲があったので、1976年11月には米国編集盤「MAGICAL MYSTERY TOUR」を、1979年5月には米国編集盤「HEY JUDE」を英国でもリリースしています。そんな中で、日本では1976年6月にビートルズのアルバムを一挙にリイシューしています。ソレがですね、初めて英国オリジナルと同内容のアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」とアルバム「WITH THE BEATLES」が出て、アルバム「A HARD DAY'S NIGHT」とアルバム「BEATLES FOR SALE」も英国盤と同じジャケットになったのです。
が、しかし、英国盤だけではなく、米国編集盤やヨーロッパ編集盤などもリリースしていて、アルバムは通し番号が付けられていて、1980年リリースの米国編集盤「RARITIES」は「35番」だったのですよ。つまり、1970年代には日本ではビートルズのアルバムが35作も乱発されていたわけです。1980年10月20日には英国パーロフォンから「THE BEATLES BALLADS」がリリースされていて、内容は編集盤「LOVE SONGS」以上に甘い曲ばかりで、A面が、1「YESTERDAY」、2「NORWEGIAN WOOD(THIS BIRD HAS FLOWN)」、3「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」、4「FOR NO ONE」、5「MICHELLE」、6「NOWHERE MAN」、7「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」、8「ACROSS THE UNIVERSE」、9「ALL MY LOVING」、10「HEY JUDE」で、B面が、1「SOMETHING」、2「THE FOOL ON THE HILL」、3「TILL THERE WAS YOU」、4「THE LONG AND WINDING ROAD」、5「HERE COMES THE SUN」、6「BLACKBIRD」、7「AND I LOVE HER」、8「SHE'S LEAVING HOME」、9「HERE, THERE AND EVERYWHERE」、10「LET IT BE」の全20曲入りです。
選曲は「赤盤」と「青盤」とは14曲もダブっているし、「LOVE SONGS」とも10曲もダブっていて、無理矢理20曲もLP1枚に入れたので音も悪いし、ジョン・パトリック・バーンによる美しいジャケットにしか購買意欲が湧かないダメ盤でした。コレが、日本では1980年12月21日リリースだったので、ジョンの追悼盤になっちゃったのです。英国では1980年11月3日には「THE BEATLES BOX」と云うLP8枚組の箱が、パーロフォンの通販部門であるワールド・レコーズからリリースされました。コレは、英国ではジョンが殺される前には最後にリリースされたビートルズの編集盤なので、「THE BEATLES BALLADS」が最後ではなくした価値はあります。8枚組に公式全213曲の半数以上の全126曲をレコーディング年代順に並べていて、シングルも含めたビートルズの歩みを俯瞰出来る選曲でした。
しかも中にはレアなヴァージョン(「LOVE ME DO」のリンゴ・ヴァージョン、「P.S. I LOVE YOU」と「SHE LOVES YOU」の疑似ステレオ・ヴァージョン、「ALL MY LOVING」のイントロ・ハイハット・ヴァージョン、「AND I LOVE HER」のエンディングが6回のヴァージョン、「I FEEL FINE」のウイスパー・ヴァージョン、「DAY TRIPPER」と「PAPERBACK WRITER」と「I'M ONLY SLEEPING」と「AND YOUR BIRD CAN SING」のキャピトル・ステレオ・ヴァージョン、「PENNY LANE」のトランペット・エンディング・ヴァージョン、「I AM THE WALRUS」の編集ヴァージョン、「DON'T PASS ME BY」のモノラル・ヴァージョン、更にシングル曲やEP曲のステレオ・ヴァージョンなど)が混じっている遊びもありました。そして、1980年12月8日に、ジョンは殺されてしまったのです。解散から10年となり、レコード会社はビートルズをまとめに入っていたので企画されたレコードでしたが、結果的にはジョンへの追悼盤となったわけです。
ジョンの悲劇的な死の余韻が残っていた1981年6月に、オランダ人ユニット「スターズ・オン45」による「STARS ON 45(ショッキング・ビートルズ)」と云うシングルが全米首位!となりました。コレは、ディスコ・ビートに乗せてビートルズの楽曲をメドレーにしたもので、リード・ヴォーカルがジョンになかなか似ています。最初はショッキング・ブルーの「VENUS」とアーチーズの「SUGAR SUGAR」が続き、ソノ後にビートルズの「NO REPLY」〜「I'LL BE BACK」〜「DRIVE MY CAR」〜「A HARD DAY'S NIGHT」〜「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」〜「WE CAN WORK IT OUT」〜「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」〜「NOWHERE MAN」〜「YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL」と9曲がメドレーで演奏されている4分51秒で、メドレーになっている曲もなかなか渋い選曲でした。
ソレで、メドレー・ブームが巻き起こって、翌1982年3月22日(米国37作目)、同年5月24日(英国26作目)には元祖・ビートルズによるシングル「THE BEATLES' MOVIE MEDLEY」をリリースしたのです。内容は「MAGICAL MYSTERY TOUR」〜「ALL YOU NEED IS LOVE」〜「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」〜「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」〜「A HARD DAY'S NIGHT」〜「TICKET TO RIDE」〜「GET BACK」の映像作品で使われた7曲をメドレーにしていて、ミュージック・ヴィデオも制作されて、全英10位・全米12位とヒットしちゃったのです。B面にはジョン作でジョージが歌った「I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU」が収録されていて、英国では初めてのシングル・カットでした。既発曲をメドレーに繋いだだけのシングルがヒットしちゃうんですから、レコード会社はもう堪りませんなあ。
更に、1982年3月22日(米国)、同年3月29日(英国)には、サントラ編集盤「REEL MUSIC」もリリースされちゃったのです。編集盤「REEL MUSIC」の内容は、A面が、1「A HARD DAY'S NIGHT」、2「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」、3「CAN'T BUY ME LOVE」、4「AND I LOVE HER」、5「HELP!」、6「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」、7「TICKET TO RIDE」、8「MAGICAL MYSTERY TOUR」で、B面が、1「I AM THE WALRUS」、2「YELLOW SUBMARINE」、3「ALL YOU NEED IS LOVE」、4「LET IT BE」、5「GET BACK」、6「THE LONG AND WINDING ROAD」の、全14曲入りです。面白味のない選曲で、目玉である「THE BEATLES' MOVIE MEDLEY」は未収録ですが、全米で19位まで上がっています。ちなみに、全14曲すべてが「赤盤」と「青盤」にも入っていると云う最低な選曲でした。それでも米国だけで50万枚以上も売れちゃうんですから、レコード会社は美味しいですなあ。
(小島イコ)
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