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2024年07月23日

「ポールの道」#440「FAB4 U.S. SINGLES」#33「SOMETHING / COME TOGETHER」



1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」が大失敗となったビートルズは、正に「THE GET BACK SESSIONS」が進行中だった1969年1月17日に英国では10作目で、同年1月13日に米国では14作目のアルバム「YELLOW SUBMARINE」を、アップルからリリースしました。しかしながら、内容はA面がビートルズで、B面はサー・ジョージ・マーティンによるスコアで、しかもビートルズの新曲はたったの4曲(ジョージ作の「ONLY A NORTHERN SONG」と「IT'S ALL TOO MUCH」、ポール作の「ALL TOGETHER NOW」、ジョン作の「HEY BULLDOG」)で全てが蔵出しで、当初は「ACROSS THE UNIVERSE」も加えた5曲入りEPでのリリースも考えられていました。それでもビートルズは、1969年2月から次作アルバムのレコーディングを開始していて、1969年5月にグリン・ジョンズが「THE GET BACK SESSIONS」をまとめたアルバム「GET BACK with Don't Let Me Down and 12 other songs」を却下してしまいました。

1969年4月14日にジョンとポールだけでレコーディングした「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」で、ジョンとのコンビネーションがまだ崩壊していなかったと手ごたえを得たポールは、サー・ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックに頭を下げて「もう1枚、プロデュースして欲しい」とお願いして、サー・ジョージ・マーティンは本当にプロデュースできるなら受けるが「THE GET BACK SESSIONS」みたいになるなら断ると応えて、エンジニアのジェフ・エメリックもアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」の途中で辞めて以来1年ぶりに戻ってきました。そうして出来たのが、ビートルズの事実上のラスト・アルバム「ABBEY ROAD」です。英国では11作目で1969年9月26日に、米国では15作目で同年10月1日に、それぞれアップルからリリースされました。

アルバム「ABBEY ROAD」は、A面が、1「COME TOGETHER」、2「SOMETHING」、3「MAXWELL'S SILVER HAMMER」、4「OH! DARLING」、5「OCTOPUS'S GARDEN」、6「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」で、B面が、1「HERE COMES THE SUN」、2「BECAUSE」、3「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」、4「SUN KING」、5「MEAN MR. MUSTARD」、6「POLYTHENE PAM」、7「SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」、8「GOLDEN SLUMBERS」、9「CARRY THAT WEIGHT」、10「THE END」、11「HER MAJESTY」の、全17曲入りです。最後の「HER MAJESTY」は、当初はシークレット・トラックでした。「SOMETHING」と「HERE COMES THE SUN」がジョージ作で、「OCTOPUS'S GARDEN」がリンゴ作で、他の14曲がレノン=マッカートニー作ですが、ジョン主導が「COME TOGETHER」、「I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)」、「BECAUSE」、「SUN KING」、「MEAN MR. MUSTARD」、「POLYTHENE PAM」の6曲で、ポール主導が「MAXWELL'S SILVER HAMMER」、「OH! DARLING」、「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」、「SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」、「GOLDEN SLUMBERS」、「CARRY THAT WEIGHT」、「THE END」、「HER MAJESTY」の8曲です。

此の頃になると「レノン=マッカートニー作」は、ほとんどがジョンかポールが単独で書いた楽曲ばかりとなりますが、アルバム「ABBEY ROAD」に関してはアナログ盤B面がメドレーになっていて、ソノ流れでジョンの曲とポールの曲が組み込まれているので、共作であると思えます。特にレコーディングもメドレーで演奏されている「POLYTHENE PAM」と「SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」は感動的です。ビートルズは当初シングル・カットは想定していなかったものの、アラン・クレインが米国流で1969年10月31日に英国で21作目で、同年10月6日に米国で31作目のシングル「SOMETHING / COME TOGETHER」を両A面でシングル・カットしています。全英4位でしたが、全米首位!となりました。ジョージの曲がシングルA面となったのは、ジョンの推薦があったからだと云われています。事実としてジョンは「THE GET BACK SESSIONS」で「SOMETHING」を歌っていて、ジョンがジョージの曲を歌うなんてなかなか聴けませんので、気に入っていたのでしょう。ジョージ作の「SOMETHING」は出だしの歌詞がジェイムス・テーラーの「SOMETHING IN THE WAY SHE MOVES」と同じで、ジョン作の「COME TOGEHER」はチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」と出だしが同じです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする