ビートルズの4人の内で、最初にインド音楽に興味を持ったのはジョージです。しかしながら、ビートルズが最初にシタールを導入したのは1965年12月3日にリリースされた6作目のアルバム「RUBBER SOUL」に収録されたジョン作の「NORWEGIAN WOOD」で、ジョンがジョージにシタールを弾かせています。其の時には主旋律をなぞる程度にしかシタールを弾けなかったジョージでしたが、1966年8月5日にリリースされた7作目のアルバム「REVOLVER」に収録された「LOVE YOU TO」や、1967年6月1日にリリースされた8作目のアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」に収録された「WITHIN YOU WITHOUT YOU」と云った自作曲でより深くインド音楽へ接近してゆき、1966年からはラヴィ・シャンカールに弟子入りしてシタールを本格的に学ぶ様にもなったのです。ジョージは音楽だけではなく東洋思想にも興味を持ち、他の3人も巻き込んでインドへ修行へゆく事になるのでした。
1967年12月26日にBBCで放送されたテレビ映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」を大失敗作とコケにされたビートルズですが、翌1968年には新たなるシングルをレコーディングしました。ポール作の「LADY MADONNA」と、ジョン作の「ACROSS THE UNIVERSE」と、ジョージ作の「THE INNER LIGHT」の3曲が候補に挙がり、ポール作の「LADY MADONNA」がA面としてリリースされる事になったからか、ジョンは自ら「ACROSS THE UNIVERSE」をシングル候補曲から取り下げてしまい、結果的にはB面とは云えジョージの作品「THE INNER LIGHT」が英国オリジナル・シングルでは初めて選ばれてリリースされる事となったのです。此の曲は、ベーシック・トラックは1968年1月にインドで現地のミュージシャンによって演奏されています。ビートルズが年明け早々に新たなシングルのレコーディングをしたのは、1968年2月から4月にかけて4人でインドへ修行でゆく事が決まっていた為です。インドで修行と云えば「愛の戦士レインボーマン」みたいですけれど、ビートルズの方が先です。
そうして、1968年3月15日に英国では17作目のシングル「LADY MADONNA / THE INNER LIGHT」がパーロフォンからリリースされ、A面の「LADY MADONNA」が全英首位!となりました。此の頃になると、米国キャピトルでも英国オリジナルに沿ったリリースとなっていて、1968年3月18日に同じカップリングの19作目(米国では27作目)シングル「LADY MADONNA / THE INNER LIGHT」がキャピトルからリリースされて、A面の「LADY MADONNA」が全米4位まで上がり、B面の「THE INNER LIGHT」も全米96位となりました。宙に浮いてしまった「ACROSS THE UNIVERSE」は、1969年12月12日にチャリティー・アルバム「NO ONE'S GONNA CHANGE OUR WORLD」に鳥の羽ばたきのSE入りで回転数を早くしたサー・ジョージ・マーティンがプロデュースしたヴァージョンが収録されたのが初出です。
現在では編集盤「PAST MASTERS」でお手軽に聴ける通称「バード・ヴァージョン」は、かつてはレア音源で、「ACROSS THE UNIVERSE」と云えばフィル・スペクターがプロデュースした1970年5月8日にリリースされた12作目のアルバム「LET IT BE」に収録されたヴァージョンの方が有名でした。そちらは回転数を遅くしているのですが、元になったテイクは両方共に1968年2月にレコーディングされた同じ「テイク8」です。「LADY MADONNA」はプロモーション・フィルムも制作されて、ビートルズは時間が勿体ないとジョン作で書きかけだった「HEY BULLDOG」を、撮影中に曲を完成させてレコーディングしてしまったのです。故に「LADY MADONNA」のプロモーション・フィルムで実際に演奏しているのは、「HEY BULLDOG」です。こちらはアニメ映画「YELLOW SUBMARINE」に回されて、サントラ盤が1969年1月17日にリリースされて収録されました。「HEY BULLDOG」は、ジェフ・エメリックが「4人が一丸となってレコーディングした最後の曲」と述懐しています。
(小島イコ)