映画はズッコケた1984年のポール・マッカートニー脚本・主演の「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET(ヤァ!ブロード・ストリート)」ですが、サントラ盤のレコードは全英首位!全米21位とヒットしています。英国でのポール人気は衰え知らずで、米国では徐々に落ち込んでいったのです。1980年代にポールが低迷した事になっているのは、米国での売り上げを物差しにしているからで、1982年のアルバム「TUG OF WAR」が首位!、1983年のアルバム「PIPES OF PEACE」が15位、1984年のサントラ盤「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」が21位、1986年のアルバム「PRESS TO PLAY」が30位、ときて、1987年のベスト盤「ALL THE BEST!」が62位まで落ちて、1989年のアルバム「FLOWERS IN THE DIRT」でも21位までしか上がっていません。コレが英国だと、アルバム「TUG OF WAR」が首位!、アルバム「PIPES OF PEACE」が4位、サントラ盤「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」が首位!、アルバム「PRESS TO PLAY」が8位、ベスト盤「ALL THE BEST!」が2位、アルバム「FLOWERS IN THE DIRT」が首位!となっていて、常にトップ10ヒットだったわけですなあ。米国で売れなくなったのは、ズバリ云ってツアーを行っていなかったからでしょう。
海外での評価は分かりませんけれど、アルバム「PRESS TO PLAY」がダメで、アルバム「FLOWERS IN THE DIRT」は傑作としている日本の愚かな評論家は、現在の視点でしか見ていないからそんな出鱈目を書けるのです。アルバム「FLOWERS IN THE DIRT」でポールが復活したと云うのは、ソレに伴って行われたワールド・ツアーが大成功して、しかもソロとしての初来日公演が遂に実現した事を込みにして考えないといけないし、1980年代のポールは1984年の「LIVE AID」と1986年の「プリンス・トラスト」でチラリンコと演奏しただけで、1989年までライヴをやっていないのです。そんな事実を全く無視して、単純にアルバム「PRESS TO PLAY」とアルバム「FLOWERS IN THE DIRT」を並べて語っているからおかしな事になるのです。更に云えば、サントラ盤「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」こそがシングル「NO MORE LONELY NIGHTS」以外は評価が低かったし、アルバム「PRESS TO PLAY」に直結する1985年の同名映画主題歌シングルで駄作の「SPIES LIKE US」と、1980年代中頃にポールが関わった映画関連曲のショボさをなかった事にしているんじゃないでしょうか。さて、1984年11月12日に、ポールは自ら版権を持つ「くまのルパート」原作のアニメーション映画「ルパートとカエルの歌」を制作して、主題歌「WE ALL STAND TOGETHER / WE ALL STAND TOGETHER(HUMMING VERSION)」をMPL/パーロフォンからリリースしました。
此のシングルは1980年10月と11月にポールがサー・ジョージ・マーティンのプロデュースでレコーディングしたもので、此の楽曲で久しぶりに組んだ事から、1982年のアルバム「TUG OF WAR」と1983年のアルバム「PIPES OF PEACE」と1984年のサントラ盤「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」と、3作に及ぶサー・ジョージ・マーティンによるプロデュース作品に繋がってゆきました。結局は「WE ALL STAND TOGETHER」が最後にリリースされたのですが、此のシングルは英国のみで7インチ・シングルと変型シングルと絵本付カセットテープで出ていて、全英3位まで上がるヒット曲になっています。両面共にアルバム未収録曲で、日本盤や米国盤のシングルは出ておらず、A面は1987年のベスト盤「ALL THE BEST!」の英国盤と日本盤などには収録されたものの、米国盤には未収録です。1993年の「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」での「PIPES OF PEACE」にもボーナス・トラックで収録されましたが、B面の「ハミング・ヴァージョン」は未収録です。ポールの単独作で演奏もほとんどポールがひとりで、ポールとセント・ポールズ・コーラスとキング・シンガーズで合唱している子ども向けの作品です。「THE 7'' SINGLES BOX」には39枚目で、英国盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。
(小島イコ)