ポール・マッカートニーが率いる「第5期ウイングス」は、歴代のウイングスの中でも最もまとまりも良く、ウイングスとしての全盛期と云われています。ウイングスは「第1期ウイングス」と「第3期ウイングス」と「第4期ウイングス」と「第6期ウイングス」は、人数が少なかったりしてライヴ活動が出来ていません。故にライヴ音源が残されているのは「第2期ウイングス」と「第5期ウイングス」と「第7期ウイングス」だけです。まあ、「第4期ウイングス」もスタジオ・ライヴはありますけれどね。「第2期ウイングス」のライヴでは、ビートルズ・ナンバーはカヴァー曲の「LONG TALL SALLY」しか演奏しなかったので、「第5期ウイングス」になってビートルズ・ナンバーを解禁したのも、セットリストに厚みが増していますし、1975年9月から1976年10月までの長期ワールド・ツアーは、ホーン隊の4人も加えた9人での「第5.5期ウイングス」として充実のライヴを繰り広げました。特に1976年5月から6月の北米ツアー全31公演は動員記録を塗り替える程の大盛況でした。
それでポールは、1976年3月から6月までのツアーから選りすぐりのテイクをアナログ3枚組のライヴ・アルバム「WINGS OVER AMERICA」として1976年12月10日にMPL/EMIからリリースしたのです。アナログ3枚組にも関わらず、全英8位・全米首位!と大ヒットしました。長期に渡ったツアーも大好評で、ジョン・レノンは「ビートルズ再結成なんてない、ビートルズのライヴが観たければ、ウイングスを観ればいい」と発言しています。前述の通り此の時期のウイングスは、ポール&リンダとデニー・レインとジミー・マカロックとジョー・イングリッシュの5人に、ホーン・セクションの4人も加えた、9人体制の「第5.5期ウイングス」で、鉄壁なアンサンブルでライヴを行っていました。そして、ソノ3枚組ライヴ盤から翌1977年2月4日にシングル・カットされたのが「MAYBE I'M AMAZED(ハートのささやき)(LIVE) / SOILY(ソイリー)(LIVE)」です。A面の「MAYBE I'M AMAZED」は、1970年4月リリースのポールの初のソロ・アルバム「McCARTNEY」からのナンバーで、元々はビートルズ末期の1969年には出来ていた楽曲です。
ライヴ盤「WINGS OVER AMERICA」は全28曲入りで、最初が「VENUS AND MARS / ROCK SHOW / JET」のメドレーなので、ソレを分けると全30曲入りです。ビートルズ・ナンバーが5曲、1970年のアルバム「McCARTNEY」から1曲、1972年のシングル1曲、1973年のシングル1曲、1973年のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」から1曲、1973年のアルバム「BAND ON THE RUN」から5曲、1975年のアルバム「VENUS AND MARS」から9曲、1976年のアルバム「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」から4曲、未発表曲1曲、サイモン&ガーファンクルのカヴァー1曲、ムーディー・ブルースのセルフ・カヴァー1曲となっていて、1971年リリースのアルバム「RAM」とアルバム「WILD LIFE」からは1曲も演奏していません。「第2期ウイングス」のライヴでは、アルバム「RAM」とアルバム「WILD LIFE」からの曲が中心だったので、「第2期ウイングス」と「第5.5期ウイングス」のライヴでのセットリストは全く違っています。
此の「MAYBE I'M AMAZED」は、アルバム「McCARTNEY」では「恋することのもどかしさ」と云う邦題でしたが、ライヴ盤では「メイビー・アイム・アメイズド」と原題のカタカナ表記に変わり、更にシングル・カットでは「ハートのささやき」に変更されていますが、全部同じ曲です。「THE 7‘’ SINGLES BOX」では20枚目で、日本盤のピクチャー・スリーヴで復刻されていますが、「ハートのささやき」、歌と演奏「ウイングス」と「ウイングス」表記で日本では珍しいものの、制作「ポール・マッカートニー」とも大きく書かれています。ライヴ盤ながら、全英28位・全米10位とヒットしていて、此のライヴは、1976年5月29日の録音です。B面の「SOILY」は、1976年6月7日の録音で、此のライヴ盤で初めてレコード化されたのですが、曲自体は1972年の「第2期ウイングス」時代からライヴで披露していた楽曲です。「MAYBE I'M AMAZED」は、元々はポールがひとりで演奏した曲でしたが、リード・ギターのジミー・マカロックは原曲に忠実に弾いていて、ソレはジミーが加入する前のビートルズ・ナンバーやウイングス・ナンバーでも同じです。以前にも書いた様に、ジミーこそが、ポールが考えている通りに弾いてくれる「ポールにとっては理想的なギタリスト」だったのです。
(小島イコ)