1990年代となってからのポール・マッカートニーはライヴ活動に熱心になって、1990年にはライヴ盤の「TRIPPING THE LIVE FANTASTIC」全37曲入りを、1991年にはスタジオ・ライヴ盤の「UNPLUGGED」全17曲入りをリリースしていて、そちらはダブリが1曲もありませんでした。続けて、1993年3月から12月に行った「ザ・ニュー・ワールド・ツアー」(11月の2度目の来日公演を含む)の前半でのライヴから厳選した音源でのライヴ盤「PAUL IS LIVE」を、1993年11月15日にMPL/パーロフォンからリリースしました。まずはジャケットなのですが、かつての都市伝説「ポール死亡説」を逆手にとった趣向で、まずはタイトルが「ポールは生きている」にかけています。フォルクスワーゲン・ビートルのナンバーも「28IF」ではなく「51IS」になっていて、ポールが裸足ではなく靴を履いていて、ポールが踏み出しているのも右足ではなく左足になり、右手でタバコを持っているのではなく左手でリードを持っています。
内容は、1「DRIVE MY CAR」、2「LET ME ROLL IT」、3「LOOKING FOR CHANGES」、4「PEACE IN THE NEIGHBOURHOOD」、5「ALL MY LOVING」、6「ROBBIE'S BIT」、7「GOOD ROCKIN' TONIGHT」、8「WE CAN WORK IT OUT」、9「HOPE OF DELIVERANCE」、10「MICHELLE」、11「BIKER LIKE AN ICON」、12「HERE, THERE, AND EVERYWHERE」、13「MY LOVE」、14「MAGICAL MYSTERY TOUR」、15「C'MON PEOPLE」、16「LADY MADONNA」、17「PAPERBACK WRITER」、18「PENNY LANE」、19「LIVE AND LET DIE」、20「KANSAS CITY」、21「WELCOME TO SOUNDCHECK」、22「HOTEL IN BENIDORM」、23「I WANNA BE YOUR MAN」、24「A FINE DAY」の、全24曲入りです。まず驚かされるのが、スタジアム・ライヴでの前作ライヴ盤の「TRIPPING THE LIVE FANTASTIC」とは「LIVE AND LET DIE」の1曲しかダブリがありません。
此のツアーから取り入れたアコースティック・コーナーの元となったスタジオ・ライヴ盤「UNPLUGGED」とも、「HERE, THERE, AND EVERYWHERE」と「GOOD ROCKIN' TONIGHT」と「WE CAN WORK IT OUT」の3曲しかダブリがなく、ウイングス時代の1976年リリースの「WINGS OVER AMERICA」とも「LET ME ROLL IT」と「LADY MADONNA」と「LIVE AND LET DIE」と「MY LOVE」の4曲しかダブリがありません。特に同じスタジアム・ライヴでさほど間が空いていない「TRIPPING THE LIVE FANTASTIC」と1曲だけと云うのは、普通のミュージシャンならば考えられない離れ技です。実際の「ザ・ニュー・ワールド・ツアー」では「YESTERDAY」や「HEY JUDE」や「LET IT BE」や「BAND ON THE RUN」などの定番曲も演奏しているのですが、それらを敢えて外してもライヴ盤として成立してしまう数多くのヒット曲をポールは持っている証明となっています。アナログ盤は2枚組ですが、CDは77分19秒と目一杯詰め込んだ1枚です。
ライヴのメンバーは、ポール・マッカートニー(リード・ヴォーカル、ベース、ピアノ、ギター)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル、キーボード)、ヘイミッシュ・スチュアート(ギター、ベース、バッキング・ヴォーカル)、ロビー・マッキントッシュ(リード・ギター)、ポール'ウィックス'ウィケンズ(キーボード)、ブレア・カニンガム(ドラムス)の6人で、1991年のスタジオ・ライヴ盤「UNPLUGGED」から1993年のスタジオ・アルバム「OFF THE GROUND」までと同じ布陣で、ポール・マッカートニーのソロではウイングスも含めて最も充実した面々が揃っていたと思います。此の時の来日公演にも行きましたけれど、まさかリンダ・マッカートニーの見納めになるとは思っておりませんでした。其の後もポールは来日する度に観ておりますが、ウイングスの曲はリンダのコーラスがないと物足りないと、いなくなって気付かされました。アルバムはコノ時期にポールが乱発しすぎていたからか、全英34位・全米78位とイマイチな成績でした。
(小島イコ)