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2023年06月07日

「ポールの道」#032「BEACH BOYS' PARTY !」



ビートルズのライバルはローリング・ストーンズだと云われていましたが、ローリング・ストーンズの初代マネジャーでプロデューサーでもあったアンドリュー・ルーグ・オールダムは、ビートルズのマネジャーであるブライアン・エプスタインの元部下でビートルズの宣伝担当でもあり、前にも書いた通りにローリング・ストーンズをデッカに紹介したのはジョージ・ハリスンです。つまりはローリング・ストーンズは作られた「ビートルズの公式ライバル」であって、例えるならば「AKB48の公式ライバルは乃木坂46」であるようなもんだったのです。ミック・ジャガーとキース・リチャーズがオリジナル曲を書く様になったのは、オールダムがジョン・レノンとポール・マッカートニーを連れて来て、目の前で「I WANNA BE YOUR MAN」を書いて提供して、ソレがローリング・ストーンズにとって初めての英国でのヒット(12位)になったからですし、ビートルズとローリング・ストーンズは友人であって、ジョンなんかは明らかにローリング・ストーンズを「舎弟」扱いしていました。他の英国のバンドも運命共同体であって、ビートルズを筆頭としたそれらが1964年に一挙に米国へ進出して「ブリティッシュ・インヴェイジョン」として爆発したのです。英国でのビートルズは圧倒的なキングであって、英国のバンドでビートルズに敬意をはらっていなかったのは、捻くれ者であるキンクスのレイ・デイヴィス位だったでしょう。ビートルズたち英国のバンドのライバルは米国のポップスターやバンドだったわけで、職業作詞家作曲家によるポップスターたちは、英国からの侵略者によって、あっと云う間に消えてしまいました。ところが、ところがですよ、米国にはブライアン・ウィルソンが率いるビーチ・ボーイズが居てですね、ビーチ・ボーイズは其の嵐の中で挑み続けて、英国勢に対抗したのです。

つまり、ビートルズの真のライバルはビーチ・ボーイズ(特にブライアン)だったのです。其のビーチ・ボーイズなんですけれど、リーダーであるブライアンは1964年を最後にツアーに同行しなくなり、他のメンバーがツアーをしている間に名うてのスタジオ・ミュージシャンを指揮して、つまりはひとりでビーチ・ボーイズのレコーディングを済ませてしまい、ツアーから帰って来た他のメンバーには歌とコーラスだけをやらせると云うトンデモ状態となったのです。ソレが始まったのは1965年3月8日にキャピトルからリリースされた「THE BEACH BOYS TODAY !」からで、ポールもこの辺りからビーチ・ボーイズからの影響を公言する様になります。ビートルズも1966年後半にはツアーをやめてスタジオに籠るのですが、其の辺もブライアンが先を行っていたのです。キャピトルはビーチ・ボーイズに年間3枚のアルバムを要求していたので、1965年には7月5日に「SUMMER DAYS (AND SUMMER NIGHTS !!)」と、11月8日に「BEACH BOYS' PARTY !」もリリースしていますが、今で云うアンプラグドの元祖とも云える「BEACH BOYS' PARTY !」では、ブライアンのビートルズへの対抗意識が現れた選曲になっています。一聴するとラフなホーム・パーティーをライヴ録音した様に聴こえるレコードですが、実は5日かけて何テイクもレコーディングして、後で歓声などのノイズを被せていて、疑似パーティー感を出す為なのか演奏や歌のミスはそのまんまにしています。そして、全12曲中「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」「TELL ME WHY」「YOU'VE GOT TO HIDE YOUR LOVE AWAY」と3曲もビートルズのカヴァーを入れています。近年では2枚組の完全盤も出ていて、他に「TICKET TO RIDE」も演奏していた事が分かりました。それどころか、ローリング・ストーンズの「(I CAN'T GET NO) SATISFACTION」まで演奏していたのですから、驚かされます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| FAB4 | 更新情報をチェックする