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2023年03月30日

「ナイアガラ考」#68「イエロー・マジック・オーケストラ」



何度か話題に出している細野晴臣さんと鈴木茂さんとタツローこと山下達郎さんによるオムニバス盤「PACIFIC」(1978年6月21日発売)では、既に細野さんの曲にはユキヒロこと高橋幸宏さんと教授こと坂本龍一さんが参加しているばかりか、「コズミック・サーフィン」が収録されております。教授は当時はタツローのライヴやスタジオでもキーボードを担当していて、ター坊のアルバムでもアレンジとキーボードで参加しているわけで、引く手数多でございました。そんな中で、1978年11月25日には、遂にアルファから「イエロー・マジック・オーケストラ」が発売されます。YMOは細野さんとユキヒロと教授の3人によるユニットですが、其の成り立ちは細野さんが主導権を握っていて、1975年のティン・パン・アレー「キャラメル・ママ」では「イエロー・マジック・カーニバル」を歌っているし、1978年の「はらいそ」では「ハリー細野とイエロー・マジック・バンド」を名乗っているし、同年の「PACIFIC」では前述の通り「コズミック・サーフィン」をやっていました。同年にはユキヒロが「サラヴァ!」を、教授が「千のナイフ」を出しており、其の3人が合体したわけでして、そりゃあ、もう、大騒ぎかと思えば、アルバムは69位止まりでヒットしたわけではありません。いえ、逆に、社長からは「こんなのやめようよ」と云われ、ファンからは「ディスコに日和った」と非難轟轟だったのです。

エイプリル・フール、はっぴいえんど、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレーと来た細野さんは一部では絶大な支持を受けていて、日本一のベーシストだったし、サディスティック・ミカ・バンドからサディスティックスと来たユキヒロは名ドラマーだし、教授はナイアガラやタツローやター坊などで大活躍していたキーボードを操る新鋭だったわけで、其の3人が集まったのだから凄腕のフュージョンが聴けると思っていた方々は、YMOのコンピューター・ディスコ・ミュージックに戸惑い、落胆してしまったのです。其れがですね、翌1979年にアメリカ編集盤の「イエロー・マジック・オーケストラ」が発売されて、其れがアメリカでヒットして、逆輸入と云うカタチで日本盤が出て20位まで上がったところで2枚目の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が出て、堂々の1位を獲得するのでした。YMOはインストゥルメンタルの楽曲も多く、そうしたインスト物は歌入りよりもヒットしにくいと云われていたのに「テクノポリス」や「ライディーン」が売れたばかりか、テクノカットや人民服風の衣装までマネするファンが出て来て、1960年代のビートルズの様な現象を巻き起こすのでありました。そんな1978年11月25日には、コロムビア時代のナイアガラの最終兵器「レッツ・オンド・アゲン」が発売されたのでございます。

(小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| ONDO | 更新情報をチェックする